カラン、カラン。
さっぱりとした音が、仄暗い凪を溶けていく。色気よりも眠気を誘うゆったりとしたジャズに、清潔感を漂わせながら丁寧にグラスを磨くマスター、所謂
空間を装飾するあらゆるが、フゼイというものを際立てている。虚しさも悲しさも風化させ、鎮めるために存在するかのような気配が、そこに充満していた。
「ふーふふふんふふふっふん♪」
メロウに釣り合わない、陽気な鼻歌が流れる。ジャズに乗るならまだしも、コミカルで可愛い音ともなれば、ノイズと称されても無理ないことだった。
カラン。
揶揄うように、氷が再びグラスで揺れた。
「年代がバレますよ」
諌める言葉がノイズを塞いだ。脱力していつもより薄い目、しかしそこにはまだ、コーヒーよりも深い闇が隠れている。
「レディに対してあんまりな物言いね。なら君は、年齢詐称?」
「あえかな高校男児に対してあんまりな物言いですね」
慕っている師匠の影響で、教養に富んでいるだけだ。
浅川は気怠げにグラスに口をつける。当然、アルコールはない。
「仕返ししただけじゃなーい。でも、本当に様になっているよ。カレンな外見から醸し出されるオトナびたフンイキ。乙女心をくすぐられるね!」
おと、め……?
「……僕はあなたと雑談をしに来たわけじゃないんですよ。それとも、ただオトナな会話をする相手が欲しかっただけですか? ――知恵さん」
「名前呼びだなんてドキッとしちゃう。浅川君ってば、罪な男の子〜」
浅川は顔を顰めた。彼女の訳ありな態度は、一年生の教師陣の中で随一の恐さを誇る。
「ったく、客室にまで踏み込んできて……三宅が仰天しちゃってたじゃないですか」
「ごめんごめん! 生徒と個人的な連絡はNGだからさ。あ……ふふーん、そうだよねえ。着替えとか見られちゃったら恥ずかしいもんねえ」
「本当にそうなら目ェ潰してましたよ」
「またまたー、……え、本気?」
「試してみます?」
「……お姉さん、まだ色んな景色を見ていたいなあ」
おねえ、さん……?
声を震わせておののく様子に胡乱な瞳を向ける。まるで彼女が気後れしているような状況だが、実際のところはそうではない。
密かに主導権を握ろうとしている。浅川はそう知った。
「そもそもあなた、見え見えな嘘で僕から信用されなくなるとは考えないんですか?」
「なあに? 嘘って」
「生徒との接触自体は、必要性があれば禁止されていないはずです」
「私が君とのサシ飲みを必要としているって、信じてくれるの?」
「コイツを最後の一杯にしちゃいましょうか」
「わかったお願い待って! 捨てないで!」
やたら真に迫っている。本音が混じっていそうだ。
ただ、本音混じりだから堂に入られる。これも彼女の技術なのだと、浅川は感じ取る。
「要は、あなたが殴り込んできたのには別の理由があったわけです。僕が絶対に逃げられないようにするという、真っ当な理由が」
「私、そんながめつい女に見える?」
「執着心は強いのでは? 自分に素直なほうが愛らしいと思いますよ」
「きゃー!」と黄色い声をあげているが、その表情は見えない。
「浅川君、けっこう重い女がタイプなのね」
「愛されて嬉しくない人なんていませんよ。それより、本題に入りましょう」
「ぶー」
「豚のマネですか?」
「不貞腐れてるの! もう……入ればいいんでしょ入れば」
襟を正し、星乃宮は酒をあおる。
静かになった。
「――2000万。この数字が何を表しているか、知ってる?」
*
船内に戻る間、並び歩いていた少女が私に尋ねてきた。
「堀北さん。堀北さんって、生徒会長の妹さん、なんだよね?」
「ええ」
「さっきちょこっと話しているのを見たけど、仲良いんだね!」
「ええ」
「普段はどんな会話をしてるのかな?」
「ええ」
「……アルファベットの一文字目は?」
「A」
「にゃはは……」
一之瀬さんはにこやかだ。楽しそうね。
兄さんはどこから現れたかも知らない龍園君に対応中だ。全く動じずに挑発を受け流す風格はさすがとしか言いようがない。
そこに葛城君と、妙に小綺麗な少女が合流する。小さくて綺麗という意味の小綺麗だ。とても高校生とは思えないが、杖を頼りにしているのを見るに、安易に揶揄してはいけない事情がありそうだ。
「おやおや、これは、大層愉快な集まりではありませんか」
「面白がっている場合か。生徒会長、一体何用でこちらへ?」
「今のお前たちが気にする必要はない。偶然と受け取っておけ」
「なるほど、もしや上級生に用意される試験に関係しているのでしょうか」
「気にするな、と言っている。今年の一年は、例にも増して血気盛んなようだな」
険悪まではいかないが、油断ならない空気が流れる。ある種日常風景ね。
「坂柳か。クク、一人でこの船を貸し切りした気分はどうだ?」
「ふふ、退屈を紛らわすには限界がありましたね。とはいえ、他人の掌の上で身を粉にする喜劇は、大変面白い演目でしたよ」
「言ってろ。てめぇこそ、下手な仕込みをしたようじゃねぇか。そのタッパで気づかれねぇからって、背伸びはするもんじゃないぜ?」
「同級生どうし交流が多いのは、生徒会として喜ばしいことだ」
二人の応酬を見て兄さんが言う。それに龍園君は再び噛みついた。
「お高くとまってんじゃねえ。このクルーズ、無人島だけで終わるとは思っていなかったが、今度は生徒会長直々にお出ましときた。一体何をおっ始める気だ?」
「無人島での試験は、お前たちにとって刺激的ではなかったようだな」
「楽しませてはもらったぜ。だが、まだ足りねぇ。雑魚が溢れかえる120人で遊び続けんのは、飽きがくるって話だ」
「食ってかかるのはいいが、龍園。今は……」
「構いませんよ、真島先生」割って入ろうとする先生を、兄さんはやんわりと断った。「今年の一年とは、あまり交流がなかったですし、折角の機会です」
「ふふ、気になることをおっしゃいますね。『今年の』、ということは、例年はもっと学年間の交流が盛んなのでしょうか」
「このように、既に頭角を現している優秀な後輩もいることですから、私としてもぜひ実情を知っておきたい。少し場を設けてもよろしいでしょうか?」
真島先生は、自分も同席することを条件に、兄さんの提案を受け入れた。
「公平性のために、各クラス人数を調整しろ。この場にいる生徒は参加するということで構わないか?」
鷹のように鋭い目が、新入りたちを見回す。人によっては睨んでいると思ってしまうような。
あ、目が合った。
「……公平性とは、どういう意図でしょうか」
「気になるなら、お前も参加することだ」
申し訳程度に質問すると、淡々とした返答だ。隣の一之瀬さんが意味ありげに微笑んでいる。
ここにいる全員を「幸運」と称して席を設けるのなら話は自然だ。それを態々、公平性という言葉を使ってまで数合わせするというのだから、兄さんには思い描いている絵図があるのだろう。
そこには、どうやら私も含まれているようだ。
「わかりました。ヴァカンスが名残惜しいですが、今は場の雰囲気にあやかりましょう」
「今まさに担任の背中で寛いでいるやつが言うセリフか……」
真下の馬が愚痴を零した。彼女には、私の後ろ髪が見えていないみたいね。
会合に用いられたのは、カフェの一角だ。真島先生の打診に従い、各クラス四人が集結している。
茶柱先生はもういない。やけに疲れて暑そうにしていた。そういえば途中から背中の湿っぽさを感じていた気がする。体力ないのかしら、あの人。
Dクラスからは泣く泣く着替えを済ませた私と、場に居合わせた須藤君、リーダーの平田君、そして、
「……あなた、こんなところにまで私情を挟むつもり?」
「そ、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「いいじゃん、人が足りなかったんでしょ。櫛田さんも来れないってことなんだし、寧ろ感謝してよね」
不遜にそう言ってのけるのは軽井沢さん。他クラスを含めても異彩を放つ彼女の態度に溜息を抑えられない。あの須藤君ですら、もう少し溶け込めているのに。
「真島先生は四人以下と言ったのよ。私たちが不利益を被るような足手まといを呼ぶくらいなら、三人だけで良かったわ」
「でも、堀北さんはこの交流会には何か特別な意味があると思っているんだよね? それがもし人手の必要な内容だとしたら、困ってしまうと思うんだ」
「なんか数合わせ感すご……まぁいいけどね、平田君と一緒にいれるから」
腕を組まないで、腕を。恋人なら彼氏の渋面にくらい気付きなさいよ。
「俺、アイツ苦手だぜ……」
「あなたに同意するのは癪だけど、その通りね」
「ちょっと、聞こえてるんだけど!」
「うぇっ」珍しく須藤君が気圧されている。なるほど、これもある意味では、彼女を女王たらしめている要因なのかもしれないわね。
「というか、だったら浅川君とか綾小路君にでも頼めば良かったじゃない。堀北さんがご執心の」
「気持ち悪い言い方はやめてちょうだい。片方は体調不良で、片方は先約があるのよ」
根からの嘘だ。二人には連絡すら取っていない。理由は特になかった。ただ、不思議と選択肢に浮かばなかっただけだ。
だから、はじめは櫛田さんに要請した。しかし、結局彼女にも断られてしまった。来てほしくないときには現れるくせに、やはりあの腹黒ピエロは油まみれね。
「作戦会議は十分か?」
ドキッとした。突然声が発されたからか、それが兄さんだったからかは自分でもわからない。
既に兄さんは着席し、威光を放っていた。黙する姿だけで、一同「交流」が始まったことを感じ取る。
「――改めまして。お久しぶりです、生徒会長。一年B組の一之瀬帆波です!」
こういうとき、一之瀬さんの社交性には舌を巻かれる。たった一言で張り詰めすぎていた緊張が和らいだ。先陣をきるのが、とても上手い。
「七日間のサバイバルを終えた直後だというのに、元気が有り余っているようだな」
「いえ、さすがに堪えましたけど……落ち込んでいてもしょうがないですから!」
「その前向きな姿勢、私も見習いたいです。聞いていた通りの明るさですね」
後輩を愛でるように言う橘書記。兄さんの傍にいるだけあって、なかなか親しみやすい性格そうね……。
彼女の評価に、一之瀬さんも「にゃはは」と頬を緩ませる。その隣、しかつめらしい表情の少年を、兄さんは見た。
「お前とは、ちょうど一ヶ月ぶりになるな。神崎」
「……お久しぶりです、生徒会長」
無愛想なのか緊張なのか、硬い返事だ。当てつけのように、兄さんも鉄の顔で応える。
「面識はあの一度きりだが、それでもわかる。目が変わったな」
「生徒会長ともなれば、そこまでお見通しということですか」
「無人島では、何か得るものがあったようだな。だが同時に、悩みの種が植えられている。そんなところか」
「……っ」
図星だと、誰もがわかる反応だった。兄さんは追及する気はないらしい。
それを察してか、次はAクラスのほうから声があがる。
「生徒会長、我々が今一番気になっているのは、この場が設けられた意図です。何を考えておいでですか?」
「先程話したことが全てだ。ここに来たのは単なる偶然。言い換えるなら、興味本位だ」
「興味、ですか」含みのある復唱をするのは坂柳さんだ。「それは、生徒会長としての御言葉ですか? それとも、」
「何が言いたい?」
「いえ、遥々こんなところまで、所詮他人を一目見ようとするなんて。余程行動力に溢れていると感じただけですよ」
彼女はそう言いながら、何故か私に視線を投げてきた。何だか挑発的だ。
一瞬皮肉でも返そうかと思ったが、それでは結局向こうの思うツボな気がしてやめた。同じ土俵にあがるのも、それはそれで、面倒くさい。
「逆に問おう。お前たちは一度でも、上級生の実情に興味を持たなかったと言えるか? 現時点で生徒会役員とまともな交流を取った一年は確認されていない。いつかはそういう場を設けるべきだと、常々思っていた」
「どうにもきな臭えな。呑気にお話をするだけで、俺達を理解しようってのか?」
煮えを切らしたように龍園君が言う。沸点が低すぎて面白くすらある。
「お前は、普通の交流会を求めてはいないようだな」
「俺以外にも、同じ考えのやつはいるみたいだぜ」
「えぇ!? 龍園君以外にもいるの? そんな人」
「ふふ、はしたない方ですね」坂柳さんがまた、悪い笑顔で会話に混ざる。「紅茶の飲み方をご存知ですか? 龍園君」
「クク、毒の仕込み方なら知ってるさ。テメェも同じだろ」
「すぐに物騒なことを言って……しかし生徒会長、私も疑問がないわけではありません」
ブリーダー、いや葛城君までもが、懐疑的な眼差しを向ける。
「なぜ、『今ここで』する必要があったのでしょうか?」
「日々多忙故だ」
「あら、最近は忙しかったのですね。となると……龍園君、言われていますよ?」
「何のことだかさっぱりだ。馬鹿共が勝手な都合で天下の生徒会に迷惑かけたってだけだろ」
「まだそんな巫山戯たことを抜かすのか、龍園」
「神崎ぃ。証拠もなしに人を外道扱いするのは低脳のすることだぜ? 甘ちゃん風情が」
「お前次同じ呼び方をしたら本当に、」
「ちょちょ、ストーップ! 変な方向に話が逸れてない?」
「いいではないですか、一之瀬さん。これくらいお盛んなほうが、私たちの『実情』がよく見えると思いますよ」
「見られているのは『惨状』だろう……! 申し訳ありません生徒会長。会長の言葉を額縁通りに受け取るなら……いえ、額縁通りに受け取ってよろしいということですね?」
「解釈は自由だ。事実なのは、俺はこの場を『交流会』だとはっきり称していること。つまり、」
「つまり、チキチキお悩み相談会」
引き継がれた言葉。半ば言い争いと化していた談笑が、忽然と音を消した。
一同視線が一点に集中する。その先にいるのは、私。
だってそうだ。私の発言なのだから。
「そういうことでしょう? 兄さん」
「……そうだ」
兄さんは基本的に動揺を見せない。代わりに、眼鏡のブリッジを押し上げる。
動揺していないときにも起こる癖だから、気付かない人も多い。でも、私は知ってる。
「お前、すげぇな……」
「あはは……さすが堀北さんだね」
「尊敬通り越してちょっと怖いわ……私には絶対無理」
Dクラス三人がそう零す。何を褒めているの、一体。
「クク、無人島じゃどんなクソ真面目かと思っていたが、案外トンチキだな。お前」
「……」
少ないやり取りでもわかる。何を返しても喜ぶのが龍園君だ。無言に立ち戻る。
それを見て結局面白がられるのも、予想通りね。
見兼ねた一之瀬さんが再度先陣を切り直す。私が期待していた展開だ。
「確かに、四月にあった部活動紹介くらいでしか、生徒会が表に出てくることってなかったかも?」
「わかればいい。遠慮せずとも、答えられる範囲でなら答えようう」
「わあ、ありがとうございます! じゃあ早速、」
「一年は一年としか戦う機会がねえのか? 上級生や生徒会長を潰せるような特別試験は、いつやってくる?」
「ああーー!」冷蔵庫にあったプリンを食べられた子供のように、一之瀬さんは不満を表す。「さっきはあんな態度だったのに、なんで横入りするのさ!」
「速い者勝ちだ。――どうなんだ? 会長サマよぉ」
「待ってください。質問の内容はともかく、先程から随分な物言いではありませんか?」
横暴な言動にしびれを切らした橘書記が割って入る。
「ハッ、俺にへりくだれと? なんでそんな面倒なマネしなきゃならねえ。上級生だからか? 生徒会だからか? それとも、あんたらだからか?」
「目に余る、と言っているんです。あなたのしていることは、この場にふさわしくありません」
「正しさを説かれる義理はねぇ。これは俺なりな『処世術』ってやつだ」
またしても険悪な空気だ。大体龍園君が悪い。
Aクラスは坂柳さんが愉悦混じりに微笑み、それに気付いた葛城君がドン引きしている。Bクラスは「ホント肝が据わってるよね、龍園君は」と呆れる一之瀬さんと、眉間に皺を寄せて黙り込む神崎君。それぞれが龍園君の邪気に当てられている。
むしろ、一番真に受けていないのはDクラスだった。
一之瀬さんと同じく苦笑いの平田君に、興味ゼロと言わんばかりにネイルに見惚れる軽井沢さん。それから、
「なあ堀北、ショセイジュツってなんだ?」
「それ今聞くの?」
「いやだって、聞けるのお前しかいねえからよ」
こういうときだけ勤勉なフリをしないでほしい。
事情は知っている。浅川君の影響だ。「身近に溢れる『なぜ』に興味を持て」、彼はそう言っていた。
「……世の中との向き合い方のことよ」
「あぁん? あー……っと、なるほどな」
「絶対わかってないでしょう」
「わ、わかってるって。バスケと同じだろ?」
えぇ……まあ、バスケ一筋を貫く須藤君の場合は、的外れでもないのかしら。
はぁ、一々突っ込むのも面倒くさい。
「それでいいわ」
「ちょ、おい、そんな無下にしなくてもいいじゃねぇか堀北先生」
「先生言わない」
「へ、へいっ」
返事は「はい」でしょう。私がいいと言っているのだか大人しく引き下がりなさい。
くだらないやり取りに励んでいる間も、龍園劇場は進んでいた。
「この学校は実力で生徒を測る。俺はそう聞いたぜ。ちょっとばかし早く産まれただけで、ふんぞり返られても困るんだがな」
「大層自信があるようだな、龍園」
「そりゃそうだろ。どの学年にだって好敵手と雑魚は混合してる。一年のやつらはすぐに鼻を明かせるが、二年、三年にも目を向けるのも当然のことだ」
「足元を掬われる
「誰かに品定めしてもらうための器なんざ願い下げだ。それに、掬われたことすらないと思えるほど、俺の足がやわく見えているとは心外だ。今の俺は、生徒会長にだって通用する。そう確信しているぜ」
「あははははは! …………………………は?」
またしても視線が私に集中する。
ただ一人爆笑した私に。
「ほ、堀北さん……?」
「ち、違っ――い、今のは笑うところではないの……?」
平田君と須藤君に至っては病人でも見るような杞憂顔。ホントに待ってほしい。高円寺君に比べればそこまで大した奇行でもなかったはずだ。
おかしい、顔が熱くなる。
「にゃはは……堀北さんなりに場を明るくしようとしたんだよね?」
「そんなわけっ。考えてもみなさい、無人島で『やってくれたな綾小路!』なんて言っていた男が、兄さんに勝てると豪語したのよ? それって、もうっ、……おかしいでしょうっ」
必死に弁明すると、明後日の角度から庇っていた一之瀬さんに加えて、沈黙に溶け込んでいた葛城君と神崎君まで肩を震わせ始めた。
とうの龍園君は、特に不機嫌になるわけでもなく面白そうにこちらを覗いている。
「クク、人の煽り方は坂柳にも劣らねぇな」
「そ……そう。最高の煽り文句ね」
「あ、私がディスられるんですねこれ。びっくりしました」
「お前が
「高く買っているのね」
「自分より認められているのが不満か?」
もう取り合わなかった。こっちが聞きたいことは聞けたから。それ以上は無駄でしかない。
不良男の発言には、フクザツな気持ちになったけれども。
そんな私を知ってか知らずか、兄さんは再び彼に声をかけた。
「龍園翔。俺は、お前の在り方を否定するつもりはない」
「あ?」
「好敵手を、高め合う相手を求めるのは合理的な思考だ。学校側も、お前の姿勢に異議を唱えることはないだろう」
「そうかい」容認の意を表され龍園君は鼻を鳴らし、橘先輩は動揺を見せる。
しかし、兄さんの言葉は終わらなかった。
「つまり、全て想定内ということだ」
「……何だと?」
「確かにこの学校は実力主義だ。しかしそれは、現実の社会で発揮するためのものに過ぎない」
話の雲行きが変わった。全員がそう悟り目の色を変える。
それほどまでに、兄さんの語ることには重みが顕れていた。
「龍園、お前は本当に、自分のやり方が一般社会で認められると思うか?」
「……さぁな」
「言っておくが、否定や非難の意図はない。これは誰にでも当てはまることだ。愉悦のために駒を増やす、上昇よりも和同を重視する、己を諦め全を投げ出す。そのやり方が、効力をもたらすこともあるだろう。だがきっと、この先誰もが直面するはずだ――」
その双眸は、確かに私たち後輩を射抜いていた。
「自分は、果たして正しいのだろうか」
「……」
「正しさとは、何なのだろうか」
「……」
「人それぞれに正解がある。そう答えるのは簡単だ。しかし俺から言わせてみればそれこそ綺麗事であり、甘えだ。この学校を戦い抜く中で、その思考に着地した者に先はない」
一つに縛られるな。正解は一つじゃない。浅慮を恐れればその考えに至る者は少なくない。
兄さんは、それを金言とはしていないようだった。
「学校は自らの理念に反し、明らかに現実社会を逸脱した寛容を見せている。その意味を、我々は考え続ける必要がある。この箱庭でお前たちが送る『青春』は、その回答時間だ」
「最後の答え合わせは卒業のとき。ということですか……」
葛城君がつぶやく。
自分が正しいことを証明するのではない。自分が正しいのかを自分で見つける。確かにそっちのほうが案外難しいのかもしれない。
なにせ私は、自分探しが苦手なのだから。
会長の小さな演説の発端となった龍園君も、不快感を露わにするだけで言い返すことはしなかった。
「話を戻そう。学年を超えての試験は、入学して間もない今は用意されていない」
「ハッ――今は、か」
「だが、望み通りの展開になるかは保証できない。それは誰にもわからないことだ」
場にいる全員が理解する。生徒会長といえど、試験の内容まで覗くことはできないと。
そこで、初めて私はこの円卓で前のめりになった。
「では、行われる試験は全て、先生方の採択で決まるということですか?」
「その通りだ」
「……試験内容を、プライベートポイントで買うことはできますか?」
全体の緊張感が高まる。返答によっては、これはとても大きな意味を持つことになる。
「特別試験は、あくまで平等でなくてはならない。総合的な実力を測るためにも、支給額に格差があるプライベートポイントが試験の前提に直結するのはあり得ないことだ」
確かに、Aクラスがあまりに有利になってしまうわね。
「不可能とは言わないが、割に合わない額を払うことになるだろう。“法外”と言えるほどのな」
大技は論外だと知り、面々の空気が和らぎかけたところで、「一つ、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「堀北さんの質問を聞いていて思ったんです。特別試験は先生方の領分。ということは、“特別でない試験”はその限りではないのですか?」
Dクラスの面々だけでなく、他クラスも召喚されたメンバーの多くが首を傾げる。しかしあの坂柳さんの質問だ。意図を勘繰る者は少なくなかった。
「遠回りな問いかけに聞こえるな。何が望みだ?」
「会長は、私たちの実情を知りたいとおっしゃいました。しかし……実のところ、私たち自身、互いに腰を据えてお話する機会がなかったのです」
「も、もしかして」橘書記が表情を明るくして言う。「レクリエーションのようなものをやってみたい、ということでしょうか」
「はい。“生徒のみで試験を模した催しを執り行う”。私たちを測りたい会長方、他クラスを探りたい私たち。双方に利があると見えます」
はっきりした物言いに反応は分かれた。
確かに表面的には、後ろめたいことをあっけらかんと発信してみせた彼女に苦笑したくなる。しかし、彼女の底知れなさを感じ取っている者たちは、さらなる裏を予感した。
そして、その裏を看破した者は、ここにはいないようだ。
「ふん……俺たちには何の損もない。口車に乗ってやろう」
「ワガママを聞いてくださりありがとうございます。お詫びに内容はそちらの采配に任せますよ」
「おい、勝手に話を」
「いいと思うよ、葛城君」御そうとする声を一之瀬さんが遮った。「生徒会に任せるのが、一番平等だよ」
「……そういうことを言いたいわけではないのだがな」
溜息。身近に道化がいると難儀よね、わかるわ。
“特別でない試験”の概要はこうだ。
各クラスで行動し、船内に隠された「兄さんのハンカチ」を探し出す。
宝探しに必要な手がかりは、宝を隠した橘書記から渡される。
封をされていて、他クラスの分の中身を盗み見ることは叶わない。
優しそうな彼女らしい、シンプルな試験だ。
内容を把握した一同。そんな中乱暴に机をはたいた男――龍園君の開口一番は、
「くだらねえ」
「なんでさ、クラスの垣根を越えて宝探しなんて楽しそうじゃん!」
やはり一之瀬さんと彼は対極な考え方を持っている。これからも何度も同じ弁舌が繰り返されていくのだろうと思うと、部外者の身でも溜息が出る。
「ふふ、不良を気取るにしても、少しお子さまが過ぎますよ。龍園君」
「ハッ、一番見た目がお子ちゃまなてめえが言うか?」
「我儘に駄々をこねるのではなく、目の前の”おもちゃ”をどう楽しむか。それを考えるのもまた一興です」
「都合の悪いことは聞き流すのね、彼女も」
「うちの者がすまない……いや本当に」
「坂柳さん、子供扱いされちゃうこともあるんだね」
「でも可愛いよねっ、おもちゃ遊びも好きみたいだし」
苦笑する平田君に軽井沢さんが相槌を打つ。すごい皮肉――いや、どうやら彼女、坂柳さんが本気でつみきや人形と戯れていると思っているようだ。あ、坂柳さんがすごく怖い目で睨んでいる。才人も無神経には形無しね。
「勝者には、少額だがプライベートポイントを送ろう」
「へえ……余程その茶番を楽しみてえらしいな」
学校側が用意していることではないから、兄さんの懐から引き出されるようだ。
内心私も龍園君と同じ意見だったので、若干モチベーションが上がった。
が、それはそれ、これはこれだ。
「報酬がなければやる気にならないなんて、将来苦労しそうな男ね」
「ハッ、テメェが言えた義理かよ。その顔に書いてあるぜ、面倒くせえってな」
否定はしない。現にさっきも心の中で面倒くさいと発した。まあ、坂柳さんと須藤君に対してだけど。
ただ、それを他人に指摘されると図星を突かれた気分になる。
腑抜けた顔の男たちが浮かんだ。
「やりたいかどうかとやるかどうかは別の話よ。私はあなたのように空気の読めないことはしない」
「長い物に巻かれるってわけか?」
言い返そうとして、少し詰まった。本音だけど清々しくはない言葉だから。
でも、弁舌で負け戦はしない主義だ。
「人は、他人と無関係ではいられない生き物よ――」
私は龍園君と向かい合った。理解でもなく睨み合いですらない、ただお互いが納得するための時間。
それは、横から崩された。
「談笑に水を差したくはないが、そろそろ始めたい。準備が必要になるからな」
「……申し訳ありません。生徒会長」
目線を蛇から逸らすことなく、私は応えた。
橘先輩が戻るまで、幾ばくかかかるはずだ。それまではもう、何も言うまい。
やはり来るべきではなかった。胃の中がむしゃくしゃして、気分が悪い。
それに、まだ疲れている。
番外編時系列投票ver2
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一章後、二章前
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二章後、夏休み前
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夏休み中、無人島前
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船上試験後、4.5巻前
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4.5巻後、夏休み中
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夏休み後