「連絡先を交換しましょう」
彼女の色を垣間見た後も会話を重ね、帰り道も後半に差し掛かったところで、椎名が問いかけた。
横目で表情を窺うが、初更の夕日が眩し過ぎてすぐに目線を戻してしまう。マッタク、君は下界を上手く照らしてこそ芸術的価値が生まれるものを。視界で一番に輝いてしまっては鬱陶しいだけじゃないか。画にならんな。
「藪から棒だなあ。断る理由はないけど」
彼女なりな一歩だったのだろう。どこか安堵した表情に変わった。どこぞの鈴っ子とは違って僕は堅物ではないのだが……距離のあるやつだとでも思われていたのだろうか。短時間とはいえそれなりにお近づきになれたつもりでいた故に合点いかんな。
「やり方はわかる?」
「いえ。教えてくれますか?」
「オーキードーキー」
二つ返事で了承し、お互いに端末を取り出して肩を寄せ合う。この距離は……イマドキの思春期男子ならドキドキするに違いない。何だか悔しいが、今の僕はその領域にいないようだ。僕の『シシュンキ』は疾うに過ぎ去ってしまったのだろうか。
椎名の場合は……やはりまだ来ていないのだろう。将来読書が恋人だなんて言い出さないように陰ながら祈っておこう。せめて本は友達程度であってくれよ。
よしなし事を思いながらレクチャーしていると、途端に彼女の指が止まる。何故だ? 今の言葉が声に出ていたわけでもないし、出ていたとしても気にするような質ではないと思っていたが。
「どうかした?」
「その、このお二人は、浅川君が図書館で言っていた友達ですよね?」
椎名は僕の端末の画面を指す。そこには連絡帳が映っていて、『清隆』と『鈴音』の名前が登録されている。
「ん、そうだけど」
「……下の名前で呼ぶんですか?」
……あれ? 何だかメンターが痙攣しているぞ。
「い、いやほら、僕は面倒くさがり屋でさあ。他人のことは楽な呼び方をしていきたいんだよ」
咄嗟に真実で弁明するも、この状況では簡単に信じてくれないようだ。椎名の目が細くなる。
「普通そんなところにまでこだわりを持ちますか?」
「滅茶苦茶持つ。実際『椎名』と『ひより』だと『椎名』の方が呼びやすいだろう? 何なら清隆と鈴音に証言させてもいい。初対面の時から堂々と口にしていた言葉だ」
少し補足を加えたものの……クソ、何故か発言する度に自分の言葉が薄っぺらくなってきている気がする。彼女は相変わらず頬を膨らませている。
どこで間違えたっていうんだ。やはり連絡帳の画面さえ見せなければ……いや、元を辿れば彼女のためを思って連絡先交換の云々を教えてやろうとしたのが始まりだ。余計な善意は見せるものではなかったか。
「こういうのは受け取り手がどう思うかですよ」
「寛容になれ。読書と同じだよ。読解力を働かせるんだ」
「作者の文章力が不足していれば、読解以前の問題です。浅川君の考えが理解し難いと思うのは、私だけじゃないと思いますよ。友達のお二人も難しい顔をしていたんじゃないですか?」
うぐっ、彼女の趣味に沿った返しをしたつもりが、逆に丸め込まれてしまいそうだ。確かに清隆も鈴音も微妙な表情をしていた。これは不利な土俵に上がってしまったかもしれない。
「えっとー、あー、隠れた名作ってあるじゃない? 奇怪な偉人と似て僕の感性は凡人に理解し難くてさあ」
「自分で言ってる内はどうしようもないですよ。浅川君は私にとっては記念すべき高校一人目の友達なんです。せめて平等に扱って欲しいなと」
まさかのダブルパンチ。感情にまで訴えてくるとは。そうまでして僕に下の名前で呼んでもらいたいのか。確かに状況を考えれば無理もないと言えるが。
「さあ、呼んでみてください。『ひより』って」
「う、うーん……」
「さあさあ」
偉くせがんでくるね、なんで? 呼称に親しみを込めた経験がないせいで、今まで感じたことのないような恥ずかしさが込み上げてくる。苗字が『高円寺』とかなら簡単に『ひより』呼びができたのに。
「ひ、ひよ、ひ、よ……」
何とか頑張って呼んでみようとするが、椎名が期待の眼差しを向け始めたおかげで言いにくさが倍増する。心なしか瞳に眩しいひし形が見えるような。勘弁してくれよ、胃がもたない。ドキドキが止まらないじゃないか。焦りの意味で。
……よ、よし、ここまでお膳立てされてしまえば応えてやるしかあるまい。心して聞くがいいさ。僕渾身の特別待遇を!
「ひ、ひよ……ひより(日和)が良いよなあ今日は!」
……あっはは。
僕の滑稽な失敗に椎名はがっくりと肩を落とす。僕もしょげる。ごめん無理……僕の方が日和ってしまった。根性無しと罵ってくれてもいい。そもそも出来上がっちゃってんのよ。呼ぶのが恥ずかしい空気ってやつが。
「そういう君こそ、僕のことを苗字で呼んでいるじゃない」
「私ですか? 私は浅川君と違って誰にでも等しく苗字呼びですから」
「自分から言うのもおかしいが、君の友達は今のところ僕だけなんだろう? だったら他の人と区別してくれたって良いでしょうよ」
君が『恭介』と呼んでくれるのなら、僕も勇気を出せそうだ。卑怯だという自覚はあるが、向こうから頼んできた案件なのだからある程度は妥協していただきたい。
どうやら椎名にとってはそれなりに魅力的な提案だったようで、結構本気で考え込んでいた。
「……もう少し時期を置いてからで」
「だろう? そういうもんさあ。果報は寝て待ってなさい」
「むう……」
どうやらぐうの音は出ずともむうの音は出たようだ。正論に言い返すことはできないだろう。
とは言え、気落ちしたままの友人と残りの帰路を共にするのは忍びない。何か代案はないだろうか。
……そういえば、彼女の態度にずっと気になっていたことがあったな。
「じゃあ、タメ口にしてみるのはどうだ?」
「タメ口、ですか?」
「ああ、いつまで経っても敬語だったから、律儀過ぎないかと思ってたんだよ」
親しくなっても『です』や『ます』を付けて返されるのは少々合点いかん。男子は勿論のこと、鈴音も櫛田も初対面から堅苦しい口調ではなかったし、僕の性格上、もう少し砕けてくれた方が接しやすい。
しかし、僕の提案も虚しく椎名は首を横に振る。
「尚更難しいですね。既に染み付いてしまったものですし」
「無理かあ。なら今は様子見だなあ」
「浅川君は初日から他の友達を下の名前で呼んでいるみたいですけどね」
根に持ち過ぎだろう。いっそうそっぽを向かれてしまった。
呼び方とはそこまで大きな意味を持つものなのだろうか。アイデンティティーや存在観念としての重要性はあるのだろうが、人との交わりに意味を求めるのはお門違いな気がする。
「そう拗ねるでない。苗字だろうが名前だろうが、僕は君をめんこい友人だと思っているよ」
「意外ですね。浅川君が他人の容姿を褒める人だとは思いませんでした」
「不必要にはしないなあ。でも余計な取り繕いもしない主義でね。本当に綺麗だと思ったときにはちゃんと言う。花は咲き誇っている時にこそ美しさを語るべきだとは思わないかい?」
何も喜ばせようってつもりで言葉にするわけではない。どちらかと言うと自分の心で噛み締めるという意図が強い。態々自分の感性を何でもかんでも隠すことはないだろう。
「そうでしょうか。幼げなつぼみや枯れる暮れにも美は見出せると思いますが」
「皆無とは言わない。でもそれは取るに足らない美しさだ。全て列挙して等価値にまとめてしまったら、花が種から始まり、満開になり、やがて地に還るという顛末に芸術的な意味が失われてしまう。だから、つぼみはどこまでいっても未完成で、枯れるとは確かに衰えるということなんだよ」
こうやって形而上的で哲学的な話にも興味示してくれるのは彼女の善い所だろう。思わず勢いづいて自分だけがペラペラと喋ってしまいそうだ。こうも聞き上手なのに友達ができないなんて、この世は図らずも理不尽だ。
「それは……それだと、少し悲しくはありませんか?」
「案外人の世だってそんなものさ。働き盛りな世代が躍進して、僕らは事ある毎に『これだから若い子は』と呆れられ、年配者は『上げ膳据え膳の年金暴食者』と貶される。渡る世間はいつだって辛いものだ」
「芸術に現実を持ち込むのはナンセンスでは?」
「写実主義だよ。美を語るだけでなく、不美を美しく語ることもできるのが人の真価だ。さっきの花の話もそういうことさ」
僕の持論に椎名はふむふむと頷く。芸術云々は高校で習う内容だったはずだから、こういう話は珍しかっただろう。
しかし、彼女はしばらくしてハッとした表情になる。お、やるじゃないか。僕の誤魔化しに対応できるなんて。
「って、話をそらさないでくださいよ」
「逸らしたのは君だぞ? おかしな皮肉をぶつけてくるから」
「浅川君が私をめんこいだなんて言うから悪いんです」
「えー、僕?」
君が余計な皮肉を発さなければ僕が弁明することもなかったろうに。こういうときは男の方が大人しく引き下がるべきだと聞いたことはあるが、生憎男だからとか女だからとか決めつけるのは好きじゃない。
「そもそも、別に僕は話を逸らしたわけじゃないからなあ」
「どういうことですか?」
「僕らの関係は言わばつぼみ。そして君曰く下の名前呼びは友好の証だと来た。となればやはり、まだ機は熟していない。そうだろう?」
どうにかして言葉を紡いでいく。行き当たりばったりな発言だが、それを上手く紐で繋いでいくのは僕の十八番だ。
「いかにも浅川君らしいセリフですね。段々わかってきましたよ」
およ、嬉しいね。僕のノリをちゃんと理解してくれる人が身近にできるとは。やはり君は僕にとって貴重な存在だ。
と言っても、僕がそういう風に作為しているというのも否めない。堂に入れば、大抵のキャラは受け容れてもらえるようになるものさ。
「でも、だからこそ悲しいと思ったんです」
「何故だい?」
「私たちの関係も、いつかは枯れてしまうものなのでしょうか?」
小首を傾げ、彼女はそう呟いた。予想通りの返しだ。ここまで悩ましげな顔をされるのは想定外だったが、存外彼女は人間関係に敏感なのかもしれないな。
そろそろこの談義もフィナーレだ。何とか丸く収められそうかな。
「君は、『枯樹生華』という言葉を知っているかい?」
「いえ、聞き馴染みのない言葉です」
「困難の最中で突破口を見出すという意味や、転じて老人に生気が戻ることを表す。ちょっぴひご都合主義なオカルトさ」
突拍子もないことや可逆の事象は画にしにくい。だが、人類の浪漫として扱えば、それを描くことも一種の美学と成り得よう。
ただ、僕が言いたいのはそんなことではなく、
「でもね、これは元々別の例えの言葉だったんだ。それは文字の通り、枯れたはずの樹に再び花が咲くということ。人と人との繋がりは、何度枯れても元通りに直る可能性は残されている。あわよくば、今まで以上に綺麗で、優しいものになることも。形のないものは、だからこそ不可逆にはなり得ない」
椎名は黙って聞いている。僕が真面目な表情で語るのを見て、今の僕が本当を話していることを悟ったのだろう。
「そうして生まれた意味は、『最上の真心が相手へと届く』こと。絆というものは、長い時間をかけて深まっていくもの。それまではまだ、敢えてこの距離でいるべきだと僕は思うよ」
僕の思いを聞き遂げて、彼女は頬を緩ませる。彼女は頭が良いからな。僕の意図をわかってくれたようだ。
いつかはきっと、僕が躊躇わずに『ひより』と呼んだり、椎名が僕にタメ口で話せる日がくる。僕らなら、ぬらりくらりでそうなれる気がするんだ。
「……今回はしっかり締められましたね」
「人は学び、成長する生き物だからね」
僕は最後に、連絡帳に三人目の名前を登録する。
『椎名』、この二文字は他の二人の名前と同じ価値を持っている。これがもし別の文字に変わったら、それは大きな意味を持つはずだ。
椎名の連絡帳にも、『浅川』という表現で僕の番号が登録されている。
互いにそれを見つめ、ふっと微笑む。
再び歩き出してから横目で隣を窺うと、夕日は既に地平線に隠れ始め、彼女の顔が良く見えた。
……自然体、か。綺麗なもんだよ。
僕らの肩は、触れる距離ではないものの、さっきよりも幾分か近くなったような気がした。
オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)
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止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
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ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
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止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
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ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
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ムーリー(前後編以内でまとめて)