翌日、○○区の廃校前にて。
「大きい……」
「下ネタっすか?」
「あたしの指をあんたの口にぶち込もうか。上下どっちがご所望だ?」
目的地に着いて早々この会話。
雨宮がカンチョーの手を作ったのを見て、風見は顔を青ざめさせる。言わなければいいのに。
「と、とっとと中に入りましょう」
「あいよ」
逃げるようにして校門を跨ぐ風見に続く。
――恭介君たちの母校、か。
建物は北館、南館、体育館の三つであり、北館が南館と体育館を結ぶ中継地となっている。北館と南館を結ぶ連絡通路は二階に東西一つずつある。
「前来た時も思ったけど、あたしらの頃よりもずっと充実してんのね、今時の学校は」
「それもあるっすけど、その中でもここは良い方だったんだと思いますよ。進学実績とかもなかなかだったらしいですし」
確かに、と雨宮は思った。浅川は勿論、彼がつるんでいた友人たちも文武両道社交的で、そのことを知った当時は彼女も大変感心したものだ。若干一名憎たらしい態度をするクソガキが混ざっていた気もするが。
加えて、何も優秀だったのは彼らだけではなかったというのも聞いていた。総合的には彼らに劣るものの、素行が悪い生徒は極めて少なく、かと言って単に従順なだけにはならずに率先して正しく動ける集団だったと。
設備だけでなく生徒の質も、裏で煙草や酒やらが横行していた荒くれ者蔓延る自分たちの時代から、よくもここまで向上したものだ。雨宮は感心半分、嘆き半分な気持ちになった。
南館の昇降口から入り、まずは一階を廻る。
「こっちは、特に取り挙げるものはなかったわね」
「そうっすね。因みに、一階は第一、第二理科室、木工室、給食室っす」
木工室か。そういえば授業中にノコギリを振り回している輩がいたな、なんて物騒なことを平然と思い出しながら、雨宮は二階へと上がる。
「えーっと、ここは一年教室と、図書室ね。って広っ! 中学校でこんなデカい図書室もあんのねぇ。もはや図書館じゃない」
「え、まあちょっちデカいっすけど、こんくらいのは普通にありそうっすよ」
年の差は勿論、田舎と都会で育ちの差も甚だしかった二人の感想はまるで異なっていた。実際平均と比べて少し大きい程度のため、今回は雨宮の方が認識がズレていた。彼女の場合はズレている方が平常運転とも言えるのだが。
引き寄せられるように中へ入るが、当然どの棚も一冊として本は入っていなかった。
「フジは何か読むの?」
「そうっすねぇ、SFとか哲学とかオカルト系とか、現実から少し離れた内容のは結構好きっすよ」
「あー、わっかるわー。あんた現実に飽き飽きして見切りつけてそうだもん」
「そこまでじゃないっすよ……まあでも、現実離れした友人は多かったっすよ。おかげで大学生活はスリル満点でした。命からがらな時もあったっすけど」
「……ふーん」
「なーにおかしなことを」という言葉は、風見の神妙な表情を見て引っ込んだ。彼の打たれ強さを僅かながら認めている雨宮は、きっと自分と出会う前にも色々あったのだろうと割り切ることにした。仕事の付き合いで無理に過去の詮索をする必要もない。
「ほんじゃ、も一個上に行きますか」
「え、なんでっすか? 事件があったのは北館っすよ? こっちの三階に用はないんじゃ……」
「気になったことがあるって言ったっしょ。ちょっちそれを見に行くの」
火事が起きたのは風見の言う通り北館の三階であり、当時捜査の目が注がれていたのも北館であった。事件を紐解く上で重要性は低いと思われるが、雨宮はそのままスタスタと西階段を上っていく。
「一体何を知りたいんすか?」
「大したことじゃないんだけどね。『教室の配置』だけパパッと確認すんの」
「配置? 何でそんなことを……」
矢継ぎ早に質問を重ねる風見に対し、雨宮は呆れたような溜息を吐いて足を止める。
「あのなー、昨日から思ってたんだけど、何処にとか何をとか何でとか、わかんなきゃ聞くってのは見習いまでにしんさい。少しは自分で考えて自分で予想を立ててみい」
「それはきちいっすよ。先輩は自分の破天荒さをわかってないんすよ」
「人を脳筋みたいに言うな! そんな難しいこと言ってるわけじゃねえっての。どうせ質問するなら『答え』じゃなくて『考察の正誤』を聞けって言ってんだよ。ゆとりが過ぎるわ」
「へいへい」と生返事をする風見だが、正論だと認めたのかそれ以上尋ねようとはせず、考える素振りを始めた。
三階は二年教室。事件そのものとの関連は薄いとはいえ、当時恭介たちが過ごしていた場所だった。
雨宮たちは上り切った目の前に見える教室へ入る。
「2-5、ってことは、
持参してきた資料をペラペラと捲りながら風見は答える。
「はい。この放火事件での唯一の死亡者、
浅川慎介。
恭介の双子の弟であり、小中学校ともに度々恭介たちと一緒に行動する姿が目撃されていた。
他のグループとの交流にも問題を抱えている様子はなく、教師からは恭介たちに近しく優秀だと評価されていたようだ。
「恭介君たち、かなり参ってましたからね。学年の中でも一際仲の良さが知られていたみたいですし、仲間の一人を失ったショックは相当なものだったと思いますよ」
「あのクソガキでさえ心を傷めてたからねぇ。余程結束の固いコミュニティだったんだろう。にしても……」
雨宮は風見の補足を適当に流し、廊下の反対側を見通す。4、3、2、1とクラスが続いている。
「向こうの端、一組が恭介君のクラスで、一個手前の二組が静ちゃんと純君のクラスか」
風見は無言で肯定した。可笑しいところは何もない。片側から順に組の数字が大きくなっていくのは当然のことだ。
「……」
この配置に気になるところがあったのだと言う。説教された通りに考えてはいるものの、イマイチピンとこない彼は雨宮の次の言葉を待つ。
「…………
「逆?」
「ん、後で言う」
疑問に解を見出せてない時に話を焦らすのは彼女の癖だ。まだ思考中なのだと察した風見は、眉間に皺を寄せて下へ降りる雨宮に黙って付いていく。
「とりま、現場の方に向かって行くよ」
二人は西連絡通路を通って北館へ向かう。事件の影響で黒焦げになった床や壁が視界の中で目立ち始め、やがてところどころ崩壊した部分も見えてくる。まるで未解決な闇が濃度を深め手厚い歓迎を施しているようだ。
そのまま職員室を横切り近くの階段を上る。右手の扉から部屋に入ると、広がる惨状から発せられる重い空気が二人を支配した。
「調理室、学校の火元の定番ナンバーツーね」
西端に位置する調理室が、今回の放火事件の発生源だった。因みに、雨宮の中でナンバーワンは理科室である。
ただ、発火の原因はコンロの火が点いた状況でガス管に強い衝撃が加わるという少々珍しいものだった。恐らく硬い金属か何かが使われたのだろうが、物は判明していない。
「確か、ここら辺で屋根の下敷きになったのよね、慎介君」
そう言って彼女は、一つのコンロのすぐ手前を指差す。
「そうっす。台上の様子やコンロが点いていた状況から、料理中に誰かに背後から襲われたのではないかと考えられてます」
そう、これが決定的に「放火事件」と認定されるに至った原因だ。
ガス管の破損だけなら、何かしらの意図しないミスや事故という可能性も否定できなかったが、慎介は仰向けに倒れ顔面に屋根を受けたにも関わらず、後頭部に明らかに人為的と取れる傷跡が見つかったのだ。つまり、一連の悲劇は誰かの悪意によって引き起こされた可能性が高いということ。
――どうして、料理なんて……。
一般児童が私情で調理室で料理をするなんて余程のことだ。考えられるのは……。
「『バレンタイン』、か……」
事件発生日は奇しくも二月中旬。雨宮が特別な事情として考えられるのはそれくらいだった。
日本では女子から男子へチョコを送る日として定着しているバレンタインだが、米国などでは男子が女子へ愛の告白をしたり互いにプレゼントを渡し合う日という認識が強い。博識な彼がそれを知らなかったとは考えにくく、可能性としては十分成り立つ。
そして、他にも判然としない疑問があった。
「明らかに
「そこは鑑識の方も引っ掛かってたみたいっすね。一応こじ付けの見解は纏めたみたいっすけど」
慎介が倒れていたのは発火したガス管のすぐ側。この位置だとモロで爆発を浴び、遺体の損壊はもっと酷くなっていたはずだ。
鑑識はこれを「襲撃によって慎介が倒れた後に、犯人が何らかの証拠隠滅のために火災を起こしたため、床にあった彼の体は損傷軽微となった」と結論づけたが、あまり納得がいかない。
まず、証拠隠滅というのが頂けないのだ。そもそも調理室を燃やすという大掛かりな行動でないと隠せない物が思い浮かばない。大層な物でなければコンロの火でも消すことはできるだろうし、持ったまま外に出てどこかでこっそり捨てることもできたはずだ。
加えて、低位置にあったとして、万が一火を浴びなかったとしても熱は少なからず浴びるため、遺体の形から服の状態まであれ程保たれているのはやはり不自然だった。
となると、この矛盾を解消する単純な答えは『二つ』。
爆発した瞬間に、
あるいは、
証拠はないため検証はできないが、雨宮はこのどちらかの方が可能性は高いと考えていた。
ただ、そうなると別の問題が発生する。
――襲撃は失敗したのか?
二つの可能性が当たっていたとすると、爆発の起きたタイミングではまだ慎介に抵抗の余地があった可能性が高い。前者は勿論、犯人と二人きりの状況で微動だにしない彼を爆発から何かが守る奇跡が起こるとは思えないため、後者に関しても慎介が行動可能だったと大いに考えられる。それなら何故、すぐに部屋の外へ逃げなかったのか。
犯人が出入口を塞いでいたのだとしても、すると今度は慎介の遺体の位置と辻褄が合わない。
――第三者の存在は……いや、現場には当時恭介君がいた。
第三者が移動させた可能性も考えたが、弟を助けに駆け付けた恭介に目撃されてしまうはずだ。恭介本人が移したとしても理由がない上、
正味、ここは手詰まり。いくら推理を巡らせても、手がかりも証拠もほとんど残っていないため情報が足りなすぎる。満足のいく答えを出すのは困難だった。
「比較的保存状態だった去年でも犯人すら捕まらなかったんです。事件解決は困難を極めるでしょう」
「そりゃわかってるよ。おかげで動機も有耶無耶なんだから」
実質未解決事件であるため、全てどうとでも結論づけられてしまう。先の雑に感じる鑑識の見解も、それが原因だろう。一縷の望みである恭介も、犯人の姿を見ることは叶わなかったと言う。
とは言え、当初の目的は疑問の確認。胸の中の渦巻きは加速するが、何とか飲み込み次の論点へ移ることにした。
「次は生徒会室ね」
「生徒会室? 生徒会室って、ちょうど反対の端っすよね?」
「ええ。事件発生当時、恭介君がいたって証言していた場所、確認するよ」
恭介は二年次の後期に生徒会役員に選出されていた。当日も事務作業を済ませようと、個人的に生徒会室を利用していたらしい。
息の詰まるような空間から抜け出し、漆喰の白色が多めに残っている東端の部屋へ移動する。これまで渡り歩いたどの部屋よりも窮屈で、密会に向いていそうな雰囲気がある。
今度は一体どんな疑問を追究するのだろうと風見は雨宮を注視するが、彼女はサラッと流し見するのみに留まり、すぐに廊下へ出て部屋と階段、そして先程までいた調理室を繰り返し見比べ始めた。
そもそも全ての部屋が既にもぬけの殻となっているため、収穫はほとんど得られないとは思っていたものの、これには少し拍子抜け――しかけたのだが、彼女の様子を眺めている内に、彼はその意図に気付く。
――ここでもまた配置の確認か。
もぬけの殻、というのは彼女も理解しているはずだ。その上で「確認」と称してこの廃校を訪れたのだから、強ち今日一番の目的はこれだったのだろう。
十分観察し終えたのか、雨宮は顎に手を当ててしばし固まったまま考える。
数分の沈黙の後、久しぶりに、彼女ははっきりと口を利いた。
「一度当時の流れを追ってみっか。ついでにあんたにも説明してやる」
―――――――――――――――――――――――――
「まず、証人の恭介君の行動から振り返るよ」
2-1の教室に戻り、雨宮は風見に解説を始めた。
「彼は生徒会関連の作業のために、職員室で鍵を受け取ってから生徒会室へ向かった」
彼女の言葉に伴い、二人は教室を出て階段を下り、図書館を通ってすぐの西連絡通路の奥を見通す。
「その後ずっと同じ部屋で小一時間程作業をしていた。そして十八時前後になって唐突に爆発音が響いてきた」
パソコンに意識を囚われていただけでなく焦燥感に駆られたのも相まって、爆発の際に三階に人通りがあったかどうかはわからなかったと言う。ただ、既に部活動や会議の時間に入っており、事件発生当時の生徒たちはパニック状態にあったと思われるため、犯行の目撃についてはあまり期待はできなかっただろう。
「慎介君が料理していることは本人から直接聞いていたため、慌てて彼は調理室の方へ向かった」
生徒会室も調理室も、大して壁や扉は厚くなかった。少なくとも同じ階の部屋から出た音であることは判断できただろう。
「既に火は満遍なく回っており、倒れていた慎介君を見つけて駆け寄るも、寸前で屋根が崩れ落ちて巻き込まれ、右脇腹に深い傷を負った」
彼女たちが知る由もないが、彼はその見るに堪えない傷跡を同級生に見られないように水泳の授業を見学している。病院へ見舞いに行った時に二人も見せてもらったが、くっきりとした火傷の跡には目を見開いたものだ。
「意識が遠のく中、せめて自分の命だけでも守ろうとできるだけ火元から離れ、職員室前まで転げ落ちたところで伸びてしまった」
一区切りついたところで、彼女は西端に移り再び三階へ上り始めた。
「事件当日に何か気づいたことや知っていることはないか聞いた際、恭介君は、慎介君が何やら思いつめた表情をすることが多くなっていたことくらいしかわからないと証言していた。けど……」
着いた先は――――2-5だった。
「
雨宮の確信めいた発言に、風見は思わず首を傾げる。
「おかしい? どうしてっすか」
「これは、学校に残っていた数人の生徒に話を聞いてわかったことなんだけど」
次は慎介の軌跡をなぞるのだと言わんばかりに、彼女は再び廊下に出て二階へ戻る。
「恭介君が教室へ向かうのとほぼ同時刻、慎介君は図書室を訪れていたの。しかも、『白い髪に青色の目をした女の子』と二人で」
「白い髪に青色の目の、女の子……? なんだか妖艶な外見っすね」
高校生なら兎も角、中学校で髪の染色やカラコンが許されるのだろうか。少なくとも、この学校でそこまで自由度が高かったという情報は出ていなかったはず。
となれば、風見が
――これは、今度調べる必要があるっすね。
「にしても、慎介君も隅に置けないっすねぇ。逢引っすか?」
「それはわかんない。それとなく恭介君や友人たちに聞いてみても心当たりはなさそうだったし。ただ、当番だった図書委員曰く彼はその子と一定の距離を置いて接していて、あまりカップルのようには見えなかったそうよ」
親交の深い人間に対しても隠し事があるのは不思議というわけではないが、二人きりの状況を見た第三者ですらそう言うのだから、少なくとも慎介がその少女に恋愛感情を抱いていたとは断言できそうになかった。
「その後三十分も経たずに慎介君だけが出て行った。女の方も間もなく荷物を持って下校したみたいだけど」
「なるほど。でも、それの何がおかしいんすか? 別に兄弟一緒にいたわけでもないっすから、恭介君が知らなくても無理はないと思いますけど」
まして先の話から、恭介が慎介と件の少女との交流を把握していた可能性は低い。予想していなかったという話で済む気もする。
しかし、雨宮は躊躇わずに首を振った。
「同時刻って言ったっしょ。恭介君は職員室に向かい、慎介君は図書室へ向かった。そして思い出すべきなのは、2-1が東端で2-5と職員室が西端、図書室は二つの連絡通路に挟まれている、というこの配置。本来なら二人はエンカウントするはずなんだよ」
「……あ、確かに」
そう、恭介は西連絡通路を通り、慎介は横切らなければならない。何か事情でもなければ、態々これよりも大きく遠回りになるような別道は往かないだろう。
「いやでも、そうとも限らなくないっすか? 恭介君が東連絡通路を使った場合、二人が遭遇しない可能性はありますよ」
「残念。良いとこ突くけど、生憎証言があんのよ。資料見てみ。その時間帯、担任の先生が西連絡通路のど真ん中で教室の戸締りを恭介君に頼んでいる。彼は間違いなく、西連絡通路を通って職員室へ向かった」
それはすなわち、恭介が慎介の交友関係を把握していようとなかろうと、必ず西階段か図書室前で遭遇ことを意味する。彼の証言と食い違っているのだ。
「もし2-1と2-5の配置が逆だったら、慎介君は西連絡通路を横切らずに図書館へ入れるから、すれ違わなくても問題なかったんだけどね」
「なるほど。だから『逆ならわかる』ってことっすか」
心に引っ掛かっていたものが解消され、風見はポンと右拳を左手の平に打つ。
しかし、雨宮の方はと言うと、未だ難しい顔のままで歩みを止めない。
「そして」
「まだあるんすか?」
「こっちが本命。さっきのはタイミングのズレだとか、女連れだったから弟だと思わなかったとかで言い訳できるけど、これは決定的」
二人は西連絡通路を歩き、中間より少し北館側に寄った辺りで足を止めた。
「ここら辺で、重要な手掛かりが見つかったんだよな?」
「えーと待ってください……あ、ありました。
風見の言葉に、今回は頷いた。
事件後の念入りな捜査の末、見つかった物品はこの一つだけで、かつ恭介の学ランのボタンが事件当日に紛失していたことから、これが恭介の物である可能性は非常に高いという結論になったのだ。
「イエス。んでもって、それは恐らく
「え、え? 何でっすか。恭介君の証言だと、十七時過ぎからは事件が起きるまでずっと生徒会室にいて、その後は事件に巻き込まれて動けなかったんすよ。事件後の二階とは無縁じゃないっすか。普通なら慎介君とすれ違った十七時くらいに落としたって考えません?」
彼の反論に雨宮は目を細め、少し口調を強めて返す。
「あんた、気付いてないの? あんたがどういう気か知んないけど、今あたしは恭介君の証言に疑って掛かってんのよ。恭介君が生徒会室に小一時間も籠っていた、この証言は『虚偽』だよ」
雨宮は自分の考察に私情は挟まない。例え自分が慈しみを持って寄り添ってきた相手であっても、そこに疑惑があれば迷わず追究する。証言が矛盾しているのなら、その真偽を吟味するべきだ。
「そもそもボタンが取れるなんてこと、それなりな力が加わらない限り起こり得ない。それに、さっき引き合いに出した担任の証言に恭介君の学ランのボタンが取れていたなんて内容はなかった。勿論、職員室で恭介君に気付いた先生たちについても同様よ。このことから、恭介君がボタンを十七時頃に落としたとは考えにくい」
「それじゃあ、どうして事件後?」
「唯一西連絡通路でボタンが取れる程の衝撃を与える可能性があった時間帯がそこだからだよ」
要領を得なかった風見は黙って続きを聞く。その様子を見て雨宮は、偶には彼に考えさせてみようという先輩心――と言う名の悪戯心――が湧いてきた。
「当時は運の悪いことに、校舎外への避難が滅法しにくい状態だった。これでわかる?」
「避難がしにくい? えーっと…………あ、そうか!」
資料を何枚か漁り、いくらか睨めっこした彼はやっと答えにたどり着いた。本来は馬鹿じゃないんだからもっと自分でやってみればいいのに。褒めているのか貶しているのかわからない感想を、雨宮は抱いた。
「北館の裏口玄関は十七時半以降締め切られていた。しかも当時は小雨が降っていて、文化部だけでなく多くの運動部も教室でミーティングを行っていた。その最中に職員室のすぐ真上で爆発が起きたとなれば、教師たちまで冷静さを欠き、大量の人数が無秩序に南館の階段になだれ込む。そうして生まれた大きな波が、ボタンの落ちた原因、てことっすね」
「グッジョブ」
風見の分析に、雨宮は親指を立てる。合格点を満たす答えだろう。
「……あれ、でもそれだとおかしくないですか?」
「ん、ん? 何でい、言ってみんさい」
これは合格点から満点まで伸びるかもしれんぞと彼女は期待する。
「南館になだれ込むってことは、当たり前だけど北から南に流れるってことっすよね。ボタンが取れる程の衝撃なら、恐らく波に逆らったということになる。つまり南から北へ…………まさか、生徒会室に籠ってなかったって、恭介君は……」
「だっはっは、だいせいかーい」
粘り気のある口調と乾いた拍手。されど普段の彼女を知る風見にはそれが素直な称賛であることがわかっていたので、純粋に喜ばしかった。
「恭介君は
「……何だか不気味っすね。慎介君のことといい、どうしてそんな嘘を吐いたんでしょう。実際僕たちが導き出した答えが何か重大な意味を持っているようには感じないっすけど」
風見の言う通りだった。確かに恭介が嘘を語った線は濃厚になったが、だから何だと反論されると強く言い返せないように思う。
しかし、雨宮にとって今の段階においてはこれで十分だった。
「言ったっしょ、疑問の確認だって。収穫は十分だよ。あんたなんか最初微塵も彼の証言疑ってなかったでしょ」
「それはまあ、はい」
ここでやれることは概ねやりきった。雨宮としては情報の整理ができた時点でノルマ達成だ。
「ここから先は、人から引き出すしかないみたいね」
「行くんすか? 恭介君のとこに」
「あたぼー、明日にでもね。恭介君だけじゃない。クソガキにも静ちゃんにも純君にも、みんなに聞く。――あたしのポリシーに従って」
ノルマクリアはしたものの、雨宮の中では新たな疑問が浮上していた。
――もうちょい情報があってもいい気がするんだがねえ。
現場は焼き切れてしまっているため証拠があがらないのは仕方のないことだが、浅川兄弟は事件の中心にかなり近しい人物だ。警察が本腰を入れて捜査すれば、もう少し詳細がわかっていてもおかしくない。
まるでパンドラを避けようとしているかのような態度に、妙なきな臭さを感じる。
しかしいずれにせよ、地道に情報収集を重ねる他ない。雨宮は潔く思考を打ち切り、「んあーつっかれたぁ」と大きく伸びをしながら昇降口へ向かい始めた。
「今度はどこに寄るんすか?」
「は? あー、んじゃあ寿司でも食い行っか」
「え、終わり?」
今まで散々振り回されてきたと思いきや帰りまで突然である。この調子に少しずつ慣れてきた自分にまでも呆れ始めている風見だった。
「今日は非番よ? 何で必要以上に堅っ苦しいマネし続けなきゃならんのさ。それにほら、喜べ、ゲン担ぎも込めて今日のは回んねぇぞ?」
「え、マジっすか。でも僕お金ないっすよ、なけなしっすよ」
「阿呆、あたしの奢りに決まっとろうが」
思いもよらぬ気前の良い一言に、風見は自分の耳を疑った。
「せ、先輩、どうしたんすか。急にそんな太っ腹になって」
「見合った報酬を寄越すのは当然でしょうが。最後のあんたの推理は、あたしん中じゃ満点だった。昨日逃したオールクリア達成よ。ダッツはまたの機会だが、優秀な後輩は贔屓しねぇとな」
「先輩、あなたって人は……いざとなったら僕が嫁にもらってあげますよ」
「尻に敷かれたいってか? ドM根性、上等だねぇ」
健康的な白い歯を見せ獰猛的に笑う雨宮を見て、風見は迂闊な発言を即刻全力で撤回するのだった。
次回で幕間は終了です。
オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)
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止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
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ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
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止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
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ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
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ムーリー(前後編以内でまとめて)