アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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二章本格的にスタート。オリ主の精神が限界。誰か助けてあげて。

ズバリ今の彼の心情を表すのに最も適しているのは、この言葉ですかね。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
(『スパイダーマン』ベン・パーカー)

こんな感じで、ちょくちょく格言引っ張てこようかな。完全に気分任せです。


ディスコード

 視界に炎が灯る。

 瞬く間に景色を紅く彩り、そこが自分の過ちを象徴する場所であることを理解した。

 当時と寸分の差もない。目の前には、脈動を失ったまま重りに圧迫される少年と、それを焦点の合わない目で見つめてへたり込む少年がいた。

 どこからともなく聞こえてくる、耳に障るような高笑い。この惨状を作り出した悪魔のものだろうか。いや、それはないだろう。悪魔は、こんなにも悲痛に満ちた叫びをあげない。

 暑苦しい煌めきの戯れ(カーニヴァル)から視線を落とし、揺らめく影をぼんやりと眺める。

 嗚呼、安寧だ。この黒衣(くろご)に身を潜めれば、楽になれるのだろうか。

 自然と足が前に出る。烈火の渦に興味はない。足元の無限に閉ざされた闇を追って、吸い込まれるように進んでいく。薄汚れた空気が行く手を阻むが、お構いなしに進んでいく。何に塞がれようと、元の場所に還り留まることを恐れて進んでいく。

 解放の近づく足音に胸が高鳴り、自然と笑みが零れる。安堵と焦りが混在し、歩みを速める。

 どれくらい進んだのだろう。汗をぬぐい、再び軽やかな足取りで棒になりかけた足を動かし――

 

 肩と脚を、掴まれた。

 

 奪われかけていた意識が引き戻される。振り向くと、屍の腕が伸び、抜け殻は既に立ち上がっていた。困惑と恐怖に苛まれ見回すと、景色は初めから微塵も変化していない。辿って来た道は全て、幻想だった。

 

 ――どうして、逃げるの?

 ――そっちじゃ、ないよ?

 

 声も出なかった。いや、出せなかった。驚いたからではない。()()()()()()()。触れられた部位から燃やされ崩れ落ち、抵抗することも体勢を直すことも叶わず、刹那の内に目線が地に堕ちる。頭の半分だけが、無惨に転がる。

 そうだった、誰も逃がしてはくれない。自力で払い落すこともできない。敵わないと知っていても、死力を尽くし踊らされるようにして藻掻かなければならないのだ。

 諦めようと目を閉じかけた時、二つの他に人影があることに気付く。唯一感覚の残っている眼球だけを必死に回すと、やがてその正体が映る。

 

 ――きよ、たか?

 

 彼は本来ここにいるべき存在ではない。時間も場所も、何一つ噛み合わない異物だ。どうしてここに。

 止めろ、見るな、見下ろすな。哀れな僕を、醜い僕を、そんな黒い目で覗くんじゃない!

 必死の懇願も虚しく、状況は更に加速する。彼の背後に影が増えた。鈴音、椎名、櫛田、まだ出てくる、健、沖谷、愛理……。

 今まで触れ合った人たちが、虚ろな眼差しでこちらを射抜く。

 一瞬の恐怖の後、生気を吸われる感覚が駆け巡り、昇天する魂に最大の快楽を覚える。

 下界から聞こえる彼彼女らの嘲笑は、もはや交響曲(シンフォニー)にさえ感じる。釣られて自分も笑みを作った。口もえくぼも持たぬ故、目尻に皺が寄るばかりだった。

 見上げると、遠い昔に親しみ慣れた輪郭たちが出迎えた。

 天下五剣たる顔ぶれに、破顔したまま固まる。この上ない快楽から抜け出せず、制裁も救済も全てを委ねたくなる。

 五人の中の一人が前に出る。そっと自分を包み込む手の平が、酷く暖かく感じ……

 

 あっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアヅイアヅイアヅイアヅイアヅ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が、開いていた。

 指で顔をなぞると、笑っていた。この高校に来て三度目の自然な笑顔。しかしそれは、至極怠惰な気色悪い生命感の表象(アルカイックスマイル)

 焦げるような体温を感じ、急いで洗面所へ駆け込み水を出す。

 満遍なく浴びる。手、腕、肩、首、顔、頭、浴びて、浴びて、浴びる。

 ――ああ、足りない。まだ熱い。

 服を脱ぎ捨て浴室に飛び込む。水温ノズルを雑に回してから、全身に冷水を巡らせる。

 罪悪感が、後悔が、未練が洗い落とされる感覚。しかし同時に、期待や羨望までもを犠牲にしてしまっているような気がした。

 真面に体も拭かず部屋へ戻ると、四半時経過していた。

 いつもの貧しい朝食を済ませると手持無沙汰になり、ベッドに伏す。二度寝はしない。今日は意識を失う度に魘され疲れてしまうに違いない。あまりに早い起床だったため、登校まで一時間程ある。

 脳裏から離れない景色に思いを馳せる。地獄のような箱の中にいたのにも関わらず、最後には何とも形容し難い幸福感に満たされていた。

 こちらの核までを焼き殺し我が物にせんとする、狂気に近い欲望。覚えのある情熱に辟易する一方、甘美なる誘惑に屈しようとする自分がいる。

 思い浮かべるのは、呪縛のように感情を向けてくる、吸い込まれるような瞳。底抜けた穴のように純粋すぎる空っぽな瞳。

 恐怖の対象であるはずのそれに、何故か慈愛と安穏を覚え、強張っていた精神が解けていく。

 結局、汚れてしまった過去から抜け出すことなど無理なのだろうか。思わず顔を覆い、呻く。喚く。呪う。

 顔面に漂っているのは、明確な気色と湿った曲線。

 間違いなく、あの夢の中での自分は、官能的な快感の奴隷だった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 眩しい日差しに目を細める。

 空は心を写すだとか、心は天気に感化されるだとか良く言うが、やはり迷信だったようだ。

 お日様こんにちは。その灼熱でボクの心を焦がし尽くしておくれよ。

 

「何か珍しいものでも見えたのか?」

「願い事してた」

「朝からか。風情に欠けるな」

 

 (すさ)んだ心など露知らず。我が盟友、綾小路清隆は今日も変わらずダル絡みをしてくる。こういう他愛もないやり取りですら、今のボクにとっては精神安定剤だ。

 

「そういうのは普通、月に向かってするんじゃないか?」

「仮初の光を我が物顔で大盤振る舞いしているやつなんて信用できん」

「そんな浅はかなことを言って、神様に見放されても知らないぞ」

「生憎ボクは無神論者だ」

「じゃあ何に願っていたんだ……」

 

 平常運転のボクの返しに、清隆は深い溜息を吐く。別にいいじゃないか。オカルトに縋る程落ちぶれてはいないというだけだ。

 

「君も何か願ってみるといい。五月に入って、なかなか太陽も調子づき始めている」

「オレは――今はいいかな。願い事なんて七夕にもクリスマスにもできる。生憎現実を憂うので精一杯だ」

「どっちも夜が真骨頂じゃない。まあ気持ちはわかるけどさ」

 

 祝い事は多い方が良いとは言うし、ボクもどちらかと言うと賛成派だが、必ずしもというわけではない。特別感が薄れてしまうという言い分も理解できる。

 クリスマスとお正月なんかは代表例だろう。ネオンマシマシな街並みが乙だと耽っている内に、何時の間にか落ち着いた和服や鏡餅が流行るのだ。人類がエキセントリックを極めていく過程には、こういう柔軟さというか、気まぐれさのようなものが関わっているのかもしれない。

 そういえばと、先の清隆の言葉に戻る。彼の言う現実とは、交友関係のことに他ならない。ぬらりくらりで容認しかけていたが、ボクらは純粋にコミュニティが狭すぎる。

 何だかんだでもう一か月。にも関わらず、充実していると胸を張るにはあまりに心もとない顔の狭さだ。他のクラスメイトはボクらより少々先を行っていることだろう。櫛田に至っては、案の定他クラスまで勢力を拡大しつつあるらしい。無理矢理にでも混ぜてもらいたい。

 そしてボクらが共通で抱えている問題は、それだけではない。

 

「同情されても、むしろ困ってしまうな」

「ごめんなあ。君たちにはできるだけ誠実でいたかったのよ」

「わかっている。だから今日もこうして隣を歩いているんだ」

 

 ボクは昨日、真っ向から鈴音の要請を拒絶した。救いだったのは、清隆は離れなかったこと。 彼の聡明さ故の部分もあるが、お互いの顔の狭さも味方したところが大きいように思う。

 だが、鈴音に関しては話が別だ。

 そもそもあの堅物様にそんな温情が宿っているとは考え難い。軟化していた態度も、昨日の一件で恐らく逆戻りしてしまったことだろう。仲直り、などとと言って前のように気安く近づこうとすれば、余計に神経を逆撫ですることになってしまうかもしれない。

 最初はボクが二人を繋ぎとめようと動いていたつもりだったんだが、いつの間にか清隆と立場が逆転してしまったようだ。

 

「ボク、スズネトトモダチデイタイ」

 

 突然項垂れ始めたボクに清隆はオロオロしだす。

 

「ま、まあアイツもそこら辺は割り切ってくれるんじゃないか?」

「うーん……嫌悪や冷酷さにおいて、彼女が公私混同を避けたことが一度でもあったかい?」

 

 どんな場面であっても――茶柱さんの前でもそうだった――ボクらに嫌味や溜息を隠さなかった彼女のことだ。げんなりせずにはいられない。

 

「否定はしない。おまけにお前、あの時はかなり鬼気迫った表情だったからな」

「あっはは、つい感情的になっちゃって」

 

 思わず前髪を弄る。あの状況であの言動は不味かったかもしれないが、だってしょうがないじゃないか。

 たとえ意思が定まっていなくても、表向きではきっぱりと答えておきたかったんだから。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 長い沈黙だった。

 永遠とも感じられる時間、ボクと鈴音は互いの瞳を見つめることで、魂の交信を図った。

 それは突然の終わりを迎える。ボクが堪らず視線を下ろしてしまったからだ。

 

「……理由を聞かせてもらえないかしら」

 

 張り詰めた緊張感の中、彼女は問いかけた。

 

「戦いなんだろう? ウジウジと迷っている人間なんて足手まといになるって」

「それはあなたが決めることじゃない。他人が評価することよ」

「なら尚更だ。学校からは不良品という扱いらしいぜ?」

「Dクラス全員同じ立場じゃない。少なくとも、その中では優秀な方でしょう。あなたは」

 

 鈴音はあくまで合理的に説き伏せる。否定するつもりはない。幹事を張るとなると、ボクはあの集団において少しは適正がある方だろう。

 ただし、感情がそれを許さない。キミほど簡単に割り切れる人間ばかりではないことをわかって欲しいものだ。

 それに、理由は他にもある。

 

「平田は、クラスのためを思って旗振り役を買って出た」

 

 鈴音は視線を鋭くする。清隆は、ボクが拒絶の言葉を発してから黙って目を瞑ったままだ。既にボクの考えを理解しているのだろう。

 

「櫛田は、みんなに慕われたい一心で、クラスのマドンナへと上り詰めた。そして鈴音、キミは誰かに憧れて、こうしてAクラスに執着している。そうだろう?」

「……そうね」

 

 彼女は努めて冷静に肯定した。

 

「皆がみんな、掲げた志を糧に動いている。――でも、ボクにはないんだ。その役割を請け負う理由が、見つけられなかったんだ」

 

 正確には、見失ってしまった。いつしか両手から零れ落ち、記憶と感情の残骸に溶け込んでしまったそれは、かつて確かにあったものだ。だけど今のボクに、その整理はできそうにない。

 

「誰だってそういう時はあるわ。思い通りにいかなくて、途中で苦悩や葛藤に苛まれながら、それでもがむしゃらに進むのは、自然なことよ。あなたが言ったように、私たちは決して成熟した人間ではないのだから」

「感動的だな。覚えていてくれたのか」

「茶化さないで。こっちは真剣なのよ」

 

 煽っているように思われたらしい。嬉しくて薄笑いを浮かべただけだったのだが、焦ってピリピリしているようだ。

 あの言葉も、思えば自虐的なものだった。同じようになって欲しくなくて、訴えかけるようにそう言った。どうやら最初から、ボクは典型的な反面教師を勤めていたらしい。その甲斐はあったようだ。

 

「キミの言う通りだ。猪突猛進の精神は気難しい時期では大きな原動力となるだろう。……でもそれは、等身大の道のりならの話だ」

 

 冷たい声に変わったのを自覚する。変化を察した彼女は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに凛々しい顔に戻った。窓から差し込む黄金の光が、その厳格な佇まいに拍車をかけている。

 今の鈴音になら、問いかけることができるかもしれない。

 

「これから頭角を現していく先導者たちは、文字通りクラスのみんなの前に立ち、導いていかなければならない。それはつまり、他人の未来を背負うということだ。その責任の巨大さを、キミは本当に理解しているのか?」

「馬鹿にしないでちょうだい。生半可な覚悟で言っているわけではないわ。さっき先生と二人でしていた会話を聞いていたのでしょう? どんなに辛い道のりでも、私は――」

「その道のりを往く背後に、他人の姿は見えているのか?」

 

 鈴音の反論を遮るボクの問いが、無人の廊下でこだまする。

 一度質問した程度では、彼女がそう答えることなどわかっていた。だけど、それが結局は曖昧なものに過ぎないのだと、ボクは知っている。

 社会に出ればきっと良くある話だ。部下の横領で責任を問われる社長、選手が敗けてばかりいてメディアからバッシングを受ける監督、店員の不手際で客から直でクレームを浴びる店長。世の中、下に付く者たちの至らなさを上に立つ人間たちのせいだと咎められ、恨まれることなど茶飯事だ。

 少なくとも、ボクにそのリスクを負う覚悟はない。

 

「生き急いで、他人の未来を踏みにじってしまった時、その一人ひとりに、キミはどんな言葉を掛ける? 何をしてやれる?」

 

 今の今まで孤独を愛してきた彼女のことだ。他人という存在に対する配慮が欠如していることは明らかだった。ボクと清隆にはそれとなく向き合えるようになったものの、その本質はやはり変わってはいない。現に彼女は、こうして返答に窮してしまっている。

 

「未来……そこまで、大袈裟な話じゃ……」

「そんなことはない。ここでの生活から進路まで、たっぷりと今後の人生に響いてくる。青春に夢を持つ者から将来に思いを馳せる者まで、もれなくな」

 

 次第に表情を険しくする鈴音に罪悪感を覚える。だがこれは必要なことだ。ボクの本当を伝えるために。そして、彼女の心を聞くために。

 

「……なら、誰がやるっていうの?」

 

 ついに、彼女から感情が漏れ出た。

 

「誰かが、やらきゃならないの。私は、その誰かにならなければならない……Aクラスに上がって、認めてもらうためにはそれしかないのよ! あなたたちも先生も、私には足りないものがあると言ったわ。だけど、その事実を認めたとして、じゃあどうすればいいと言うの? 悔しいけど……今の私にはそれがわからなかった。それなのに他人だの責任だのと言われて、考える余裕なんて、あるわけ、ないじゃない……」

 

 悲痛な叫びだった。一度たりとも外に溢れ出たことのないであろう彼女の言葉は、熱を増した空気の中に、淡く吸い込まれていった。

 何かに怯えるように、縋るように小刻みに揺れる瞳は、辛うじて張り続ける虚勢の裏に潜んだ、取り繕いのない本当の彼女の姿なのだと直感する。

 しかし、その事実はボクに一つの悲しみを与えた。

 期待があったわけではない。ただ、もしもたった一言、その呪文を彼女が唱えてくれたなら、定まっていたはずのボクの答えをひっくり返してくれたかもしれないと思っていたから。

 

「……誰か、だと?」

 

 愚かなことに、その自分勝手な落胆を、ボクは飲み込むことができなかった。

 

「その誰かになろうとすることに、一体何の意味がある? 何かを成し遂げたところで、得られるのは一時的な称賛や謝辞、後は自己満足くらいだ。逆に間違えれば、全部自分が悪いんだ……たとえ善意だったとしても。背伸びしたって、足攣って立てなくなるだけなんだよ」

 

 捲し立てるように、ボクは鈴音の本音と相反する本音をぶつける。

 

「自分のせいで何かを傷つけてしまうなら、初めから何もしない方がマシだ……! 人の傷みを知ることが、何よりもこの首を絞めることだから。みんなハナから諦めて、言うんだよ。誰かがいる、誰かが来てくれる、誰かがやってくれる、誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か……そうやってすぐ無意識に押し付けて目を逸らすくせに、損の一つもかきやしない! 割を食うのは、いつだってその誰かなんだ。何もしなかった大多数は、変わらず平凡な幸せの中にいる」

 

 そこまで発したところで、体中の熱の高まりに気付いた。何とか心を鎮ませて一息つき、握り拳の力をゆっくりと緩める。

 誰かを傷つけ、そして自分すらも傷つけてしまうと言うのなら……

 

「ボクも『大多数』(そっち側)が良い」

 

 最後に流れた沈黙は、この高校に来てから間違いなく、最も永いものだった。

 他の階の生徒たちの曇った騒めきも消え、茜色の空を飛び交うカラスたちの低音だけが響き渡る。普段よりずっと耳障りだった。

 鈴音は、ついに何も言い返さなかった。もう自分の言葉では、ボクを動かせないと悟ったのだろう。或いは、気力がなくなっただけかもしれない。隣にいる清隆は黙ったままそれを見つめている。

 もどかしさから逃げるようにして踵を返そうかと思い始めた時、彼女はやっと顔を上げた。怒りと悲しみの入り混じった表情。感情の整理が追い付いていないことは明白だった。

 

「そう、わかった」

 

 鈴音はボクよりも先に背を向けた。

 

「よく、わかったわ……」

 

 それだけ言い残して、彼女は脱力気味な足取りで階段へと向かって行った。降り始める頃には、もう元の姿勢に戻っていた。

 沈黙は帰ってこない。間髪入れずに清隆が発言する。

 

「あんな顔、見たことなかったな。かなり意外だった」

「同感。流石に悪いことしちゃったな」

 

 何だかんだで彼女も、清隆と同じくボクの協力を強く願っていたようだ。再び罪悪感が押し寄せてくる。

 しかし、彼女よりも謝らなければならない相手が今目の前にいる。

 

「ごめん。キミの希望に添えなくて」

「そう理解していた上で決めたんだろう。オレも、お前の意見を尊重しようと決めていたんだ。別に二度と会えないわけじゃないんだし、話そうと思えばいつでも話せるさ」

 

 それでもどこか残念そうな表情を覗かせる清隆は、鈴音が姿を消していった階段の方を見やる。

 

「とは言え、鈴音との約束はできるだけ破らないようにしないと、鬼の角が更に立ってしまわないか心配だ」

 

 珍しく口数の多い清隆だったが、その理由はボクにも理解できた。拙いが、彼なりの気配りのようだ。

 ただし、彼もボクも口下手なことに変わりはない。ロクに会話が引き伸ばされることもなく、恐れていた沈黙は訪れてしまった。

 

「……まあ、帰るか。そろそろ日も暮れる」

「……ああ、そうだな」

 

 短いやり取りを終え、ボクらはそそくさと帰路についた。

 夕日に彩られる視界が、やけに朱く感じた。

 その日ボクらの会話は、ここ最近で一番弾まなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「まずは出会い頭に謝ってみたらどうだ?」

 

 嘆きの表情を浮かべていると、盟友から提案される。

 

「そうは言っても、あの発言を撤回するつもりはないよ? 『何に対する謝罪なのかしら。平謝りなんて不愉快よ』、とか言われそう」

「あり得なくはないか。難儀なものだな」

 

 そう言いつつも無機質な表情を崩さない清隆だが、内心ボクの中で彼の評価はうなぎのぼりだ。いや、元々高かったんだけど。何より、ボクの事情をとやかく問い詰めないでいてくれるのはありがたかった。

 鈴音は今、ボクのことをどう思っているだろうか。やはり彼女の中では、既に解り合えない愚者リストに登録されてしまっただろうか。

 彼女は何としてもAクラスへ上がらなければならない事情がある。内容は概ね察しがついているが、クラスの雰囲気を見た彼女がアクションを起こそうとするのは当然な流れだろう。一方で、ボクにも事情があったから、柄にもなく語気を荒げてしまった。すれ違いは必然だったと思う。

 今なら確信を持って言える。本心を聞けたことは嬉しかったが、あのときボクが本当に聞きたかった言葉は別にあったのだ。

 押しつけがましいのは百も承知。しかし、その言葉こそが彼女自身が最も叫びたかった願いなのではないか。と思ってしまう。臆病なボクは、それを彼女の口から聞きたかっただけだ。

 あれ程苦しげだったのに。弱々しい目をしていたのに。表情で露わになっていたはずなのに。

 

 ―――どうして彼女は、ボクに助けを求めてくれなかったのだろう。

 

 そうこうしている内に校舎が見え始めた。

 不意に反対の方で言い争う声が聞こえる。振り返ると、校門を隔てて揉める大人たちの姿があった。一人は警備員で、残りの二人はスーツを着こなした男女のペアだ。あ、女が連れの男を殴っている。何やってんだ……。

 

「どのみち因果応報ってことだよなあ。根気強く頑張るしかないか」

「適度にアシストしてやろう。応援しているぞ」

 

 優しい友人の声援を胸に留める。彼の存在は貴重な心の支えだ。

 そんな彼のことについて前々から思っていたのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。綾小路、清隆……あやの、こうじ……うーん、よく思い出せない。そもそもこの一か月慌ただしかったおかげで、引っ掛かりを覚えたのもごく最近だ。勘違いかもしれないし、今後何かのきっかけで思い出せるかもしれないから、今は気にしてもしょうがないか。過去に出会っていたなんて運命的なドラマでもあれば面白いんだけど。

 不安は拭えないが、時間は不可逆に流れていくもの。まずは鈴音と話せないことには、和解の糸口は掴めない。

 

「にしても、さっきの声真似上手だったな。まさか女々しい声も出せたとは」

「……中性的って言え」

 

 今度髪でも切ろうかしら。




この章で一度オリ主吹っ切れます。序章いいとこなしの彼がやっと真面に主人公ムーブを見せてくれるのでお楽しみに。

ところで今回の話、実はオリ主はちょっとした病気にかかっているんですよね。ある程度博識な方なら知っている名前です。

試しに段落替えの間隔少し狭くしてみたんですけど、このままいって大丈夫ですかね?前くらいの方がよかったら全然応えるので、気軽に書いてください。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)
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