アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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先日投稿した回、実はまだ載せるつもりじゃなかったんですよね。まあ本文出来上がってたから妥協したんですけど。てなわけで、ここで久しぶりの挨拶をさせてもらいます。

簡潔に言えば、実家に帰省してまったりしていたら数週間経ってたわってオチですね。
最近のビッグエピソードと言うと、シンエヴァ見に行ったことですかね。宇多田さんのあの歌はもう涙腺キラーですよ。今でも聞くたびに「ああ、エヴァ終わっちまったんだな」ってウルウルしちゃう。


プログレッシブ

 今日からゴールデンウィークの連休がスタート。テクマクマヤコンの呪文を唱えてお洒落な変身を飾り、愉快痛快な五日間を過ごそうかしら!

 なんて乙女チックな空想を描く心の広さを持っているボクでもなく……、

 

「なあ、浅川」

 

 朝の河川敷。太陽の頭だけが僅かに覗かせる薄明るさと、未だ肌を軽く突き刺す薄ら寒さの中で、健がボクの名前を呼んだ。

 

「何?」

「お前、何かあったのか? その、あんま元気ないっつうか」

 

 彼の素朴な疑問に、ボクは虚ろな瞳のまま答える。「目覚めが悪かったんだよ」

 

「あ? 意外だな。浅川もそういう時があんのか」

「然程珍しいわけじゃないと思うけど。でも、今日もこうして動いていれば、きっと本調子に戻るさあ」

 

 「そういうもんか」流れるような会話と共に、ボクらは各々体をほぐす。すぐ近くでは、清隆と沖谷が同じように雑談をしつつストレッチに取り組んでいる。

 先月の中頃、水泳の授業が始まる日に起こった賭け事事件。そこでの一件から縁が生まれたボクら四人は、よく朝のトレーニングを共にする仲になっていた。

 健と沖谷の早起きの習慣づけやボクらの体力づくりが目的で始まったものだが、段々と型にはまってきたようで、ボクと清隆で二人の部屋に出迎えると元気そうな挨拶と共に顔を見せてくれるようになってきた。継続は力なり。シンプルだが的を射ている言葉だ。

 多くの生徒が現を抜かして惰眠を貪ったりアミューズメントに勤しんだりしている中、ボクらは今日も変わらず爽やかな汗を輝かせるという素晴らしき青春を送っている。

 

「今日のメニューは?」

「五月に入ったし、少しキツくしてみようかって思ってる。だから体調聞いたんだよ。ぶっ倒れちゃマズイからな」

「なーるほど。お気遣いどうも」

 

 「あいよ」とだけ言って、清隆たちの方へ向かって行く健を眺めて、ボクは一つ溜息を吐いた。

 目覚めが悪かったのは嘘ではない。しかしその原因は寝不足であり、寝付けなかったのは昨日の図書館での椎名との会話があったからだ。

 彼女ははぐらかしていたが、あれは恐らく何かを仄めかしている発言だ。ボクのやり方と言うのだからきっと間違いない。本来そこまでこだわっている方法ではないのだがな。

 届かない高さの本、か。何かを追いかけていた? 目指していたものがあったとか……彼女の願い? うーん、本のこと以外で彼女が望むようなこと……。それに確か、諦めようにも諦められないとも。あ、今は尚更難しいとも言っていたな。今更、ということはクラス抗争か? でも、椎名とそれを結び付けてみても……。

 ――ああ、クソ。集中できない。

 最近ずっとこんな調子だ。思考しようにも頭の中で浮かぶ考えや情報がとても処理できる量じゃない。ノイズのように絡まって、頭痛がする。

 そんなこんなで、昨日は何とか寝付くのにかなり時間をかけてしまった。

 突然「浅川」と呼ばれて俯いていた顔を上げると、健が他の二人を引き連れて立っていた。

 

「とりあえずまずは、いつも通りランニングからだ」

 

 

 

 

 先程は『未だ肌を軽く突き刺す薄ら寒さ』と言ったが、一応四月と比べて随分と日の出も早くなったし、じわじわと温かさも増してきてはいる。そのため、程よく顔面に当たる風が更に心地良さを与えるようになる。

 

「気持ちいいね」

 

 隣を走る沖谷がそう声を発した。走りながら発声するのは呼吸が乱れるので控えたいところだが、無愛想な態度を取るのも気が引けたので短い言葉で返すことにした。「そうだなあ」

 

「僕、今まで特別運動が好きだなんて思ったことはなかったんだけど、こうやって四人で走るようになってから少しずつ楽しさをわかってきたのかなって、偶に思うんだ」

「確かに、これを独りでやるとなれば、日に日に退屈になっていって続かないかもしれないな」

 

 清隆が相槌を打つ。

 いくら朝早く起きることができたとしても、半日以上の授業日程よりも前の時間帯から運動で汗水垂らすという習慣は、一朝一夕の努力では身に付けにくい。それを朝が苦手なのにも関わらず何とか日々罷り成っていた健は、案外凄いやつなのかもしれない。学生の本分と俗に言われる学業を怠っているのは、何とも合点いかん話ではあるが。

 ああ、そうそう、健と言えば、

 

「彼、何となくわかってはいたけどやっぱ速いよなあ」

「一年の中では間違いなく最速レベルだろうな」

 

 どの口が、と内心思ったが、遥か前方を行く健を傍目に無言の肯定をする。したのだが……、

 

「二人だって、だいぶ速く走れていたと思うよ? 初日の時は、本当にびっくりしちゃった」

 

 沖谷の言葉に僕らは苦笑するしかなかった。

 彼が言っているのは初日の徒競走トレーニングのことだろう。 あれ程必死に走ったのはいつぶりだろうか。中学初期の体力テスト以来かな。

 

「やっぱああいう一対一の形式だと燃えるからなあ」

「前も言ってたけど、それだけであんなに速く走れるものなのかなあ」

「短距離型なだけだ。スタミナがないから、ランニングはこれくらいでないと持たないんだよ」

 

 とまあこんな感じで言い訳している。初めは健も沖谷も半信半疑だったようだが、それからというものボクらは『適度』な走りを楽しく続けていたため、段々と気にしなくなっていった。所詮そんなものだ。一々他人の潜在能力について根掘り葉掘り知ろうとなんてしないのが普通だろう。

 

「何だか羨ましいなあ。二人共凄く仲良しだから」

「おお、そう見えるかい? 嬉しいねえ」

「いつも一緒にいるって感じだよね。前から知り合いだったりするの?」

「いや、高校が初対面なはずだ」

 

 確かに、きっかけがシンパシーだったこともあって息の合う場面はまあまああったような気がする。高校からの縁の割には。

 

「親友ってやつ?」

「シンユウ? あー、親友って言うのかなあ」

「違うの?」

「あまり考えたことなかったな。一番頻繁に話しているのは恭介で間違いないが」

 

 こうして四人で集まるようになる前から、毎日のように一緒に登校していたくらいだ。交わす言葉が多くなるのは必然だろう。ただ、『親友』という表現を他人に当てたことはこれまでなかった。

 ……そうだ。ボクには、友達はいたんだ。完璧な健康管理をしてくれる『親』という存在も、どうしようもなく愛しい兄弟も、いたにはいた。だけどその人たちが誰かの代わりになることは決してない。

 唯一無二の存在を自分の意思で判断するのは思いの外難しいものだ。家族は生まれた瞬間に決められてしまっているが、選択の権利があったらあったでそれも結局は悩ましく感じてしまう。

 清隆はボクの『シンユウ』なのだろうか? そもそも、友達と親友の境界線は? 気が小さいにも程があるような思案かもしれないが、気になったものを気にしないようにするのはそう簡単ではない。

 

「僕もそういう気の置けない存在が欲しいなあ」

「なかなかできないもんだよなあ。だからこそ『かけがえのない』って思えるんだろうけど」

 

 見た目も中身も大分控え目な印象の強い彼のことだ。同調圧力にも弱く我を見せることに難儀を感じているのもあって、余計にそんな存在を渇望しているのだろう。

 

「――ボクらは違うのかい?」

「え?」

「ボクも清隆も、きっと健も、十分キミのことを良く思っているし、かなり気を許していると思うけどなあ。現に一か月ほぼ毎朝一緒に運動していたわけだし」

 

 拳で語り合う、なんて熱血漢ではないが、やはり体を使ったり苦難を共にしたり言葉以外で解り合う材料が多いことは、男子の特権のような気がする。早起き練習と体力づくりトレーニング、これだけでも続けているだけで最初のころよりかなりほぐれてきただろう。

 

「包隠は友情の成長を阻害する癌さ。少しずつでもボクらが絆を深められているのは、それだけ自分を曝け出せるようになっている証拠だよ。キミは既に、キミの望みを見つけられたんじゃないか?」

「そう、なのかな?」

「きっとそうさあ。な、清隆?」

 

 盟友の方を向くと、彼は穏やかな顔で沖谷の後ろ姿を見つめながら「そうだな」と応えた。

 気が付くとコースの終わりごろに差し掛かっており、呼吸を整えながらボクらを待っている健の姿が見える。今日は一段ハードなメニューにすると言っていたので、トレーニングはこの後も続くのだろう。

 

「沖谷。走るの、好きか?」

 

 ボクの問いに、彼はキョトンとした顔を見せた後、にこやかに答えた。

 

「うん、大好き!」

 

 その純粋な表情に、僕も思わず破顔する。

 相変わらず冷気を纏っている柔らかな風が、ほんの少し勢いを増す。長い髪が荒くたなびき視界を鬱陶しく遮る。

 掻き揚げると幾分か視界が明るくなり、三人の顔が良く見えた。最近の悪夢で見たのとは全く別の、晴れやかな表情。

 いい友人を、持ったものだ。

 ……それにしても――。

 喋りながら走るのって、めっちゃ辛いやん……。

 この後のトレーニングで筋肉が悲鳴を上げることになるのだった。

 

 

 

 健は部活、清隆は鈴音と落ち合う予定があったため、その後は沖谷と適当に辺りをぶらついていた。

 

「ポイントがあれば、カフェとかブティックとかもっと回れたかもしれないけど……」

「あっはは、贅沢を知った次には質素を知れってことだなあ。案外楽しめるぞー」

 

 そもそも前の一ヶ月が異常だったことを理解しておくべきだ。謙虚な面のある沖谷ならそう時間もかからずに今の環境にも適応できるだろう。

 

「やっぱり浅川君も、先月はたくさんポイントを使っちゃったの?」

「ん、いやあ、ゼロだ」

 

 事も無げに答える。

 

「え、ゼロ?」

「おう――あ。いや、ズィルォだぜえ」

「発音の問題じゃないよ……」

 

 ありゃ、違ったか。ボクのボケに一々突っ込んでくれる人材はなかなかいない。考えてみれば鈴音は既にスルースキルを身に付けているし、清隆は悪ノリしてしまうことがあるし、椎名はお得意の天然返しを発動してしまう。沖谷や健みたいな純粋な反応の方が珍しいって、これ如何に……。

 

「でも、それじゃ今も十万近く残っているんだね」

「いんやあ、それもズィルォだなあ」

「え、どうして!?」

 

 今度は本気で驚いた反応を見せる。表情も声音も忙しい少年だこと。

 ボクは困惑気味の沖谷に簡潔に成り行きを伝えた。

 

「……ちょっと前から思ってたんだけど、浅川君って不思議な人だよね」

「褒め言葉かい?」

「多分そう。普段フワフワしてて、突拍子もない言動をする時があるけど、しっかりとした優しさを持っているって感じもするから」

 

 それを聞いてふと、以前椎名に言われた言葉が脳裏を掠める。

 

『私は浅川君が優しいことを知っています』

 

 ボクが優しい、か。見る目がないよ、本当に。

 本当に、みんなして見る目がないんだから。

 

「ほら、他人に優しく出来る人は素敵じゃん? そういう芯は曲げたくなくてね」

 

 だけどボクは、微塵も思っていない言葉を返す。返さなくてはならない。自分から背負った鎖のせいで、演じなければならない。

 

「ま、お金がなくても飯は食わなきゃなあ。いい頃合いだろう」

「そうだね。僕、友達と一緒に食べる予定があるから、そろそろ行かないと」

「およ、友人付き合い順調じゃないかあ。走っている時の話じゃないけど、キミの方こそ羨ましいよ」

「あはは。でも、遠慮し過ぎちゃうこともあって、やっぱり朝のメンバーが一番気が楽かも」

「そりゃあなんたって『トップ4』だからなあ」

 

 「それじゃあ、またね」大通りの交差点で、沖谷は足早に曲がって行った。

 いやー、独りですなー。

 そういえば、独りで外を出歩くのは初めてだな。時間の使い方がわからない。

 沖谷の言っていた通り、ポイントがなければ施設利用も真面にできない。かと言って寮に直帰するのも何だか勿体ない気がする。

 今の懐事情に適う、未開の地と言えば……。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 温かな日差しにウトウトしながら、ベンチに座り柵の向こうで延々と続く水平線を眺める。

 耳に淡々と響くカモメの鳴き声は、印象の薄い景色の一方で知覚にアクセントをもたらしている。

 蒼と白と、隅々に映る灰や茶の色だけで構成された単調な視界は、ここが如何に人をリラックスさせてくれる場所であるかを証明していた。

 

「……歳を取ってもこうしてたい」

 

 何となく呟いた小言は、当たり前ながら虚空の彼方へと吸い込まれていく。

 次に嗜むのは当たり障りのない思考だ。空と海、濃淡の異なる二つの蒼のどちらが好みかな。あそこを飛んでいるカモメたちは誰が一番高いところまで飛べるのかな。ベンチの高さはこれが最適なのかな。潮風で髪が傷まないかな。漫然と思い浮かべたり、深く考え耽ったりを繰り返す。

 それにも飽きたら、今度は目を閉じ、耳に意識を集中させてみる。

 波のざわめき、木々草花の囁き、柵の揺らめき、ボク自身の髪のたなびき、人の足音、無機質なシャッター音……。

 …………。

 シャッター音?

 

「ふぇ?」

 

 間抜けに開眼し周囲を見回すと、この空間では少し浮き目立つ桃色の髪をした少女、それもよく見慣れたシルエットが目に入った。

 

「愛理……?」

 

 彼女の手元には、先の機械音の発信源だったのであろう使い古されたカメラがあった。前々から話には聞いていたが、こうやって独りで繰り出して撮影している姿を見るのは初めてだ。

 アングルの調節を念入りに行いながら、ボクがついさっきまで意識を巡らしていた対象物たちに焦点を当てていく。その度に二、三度「カシャ、カシャ」という乾いた音が届く。

 すると突然彼女はキョロキョロと周囲を確認し、視界の裏に隠れてしまっているボクに気付かないまま眼鏡を――

 

「おーい、愛理」

「ほわああああああああああっ!」

(うお)っ!」

 

 一種の予感を覚え歩み寄りながら声を掛けると、耳を(つんざ)くような叫び声でカウンターパンチをもらった。

 びっくりした……普段の彼女からは想像できない声量だったぞ。

 

「悪い悪い、驚かせちゃったかあ」

「あ、浅川君。……いえ、ごめんなさい。私の方こそ、気付かなくて」

 

 未だ動揺を収められずアタフタと応じる愛理。

 

「謝ることじゃないよ。まあ落ち着きんさい。ほら、深呼吸」

 

 「は、はい」短く応えると、彼女は言われた通りに大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。一連の動作をボクはのんびりと待つ。チラッと上を見ると、心なしかカモメたちは慌ただしく宙を旋回しているように見えた。もしかしてあの子らも仰天したのか?

 

「にしても奇遇だなあ。てっきりこんな端の方にまで足を運ぶ人はいないと思っていたよ」

 

 暫し間を置いてから尋ねる。

 埋立地のようになっているこの高校の敷地は、外側まで行くと当然綺麗な水面を一望できる。ただ、大抵の学生は娯楽施設に入り浸るか部屋に籠るか、散歩であっても手前の公園辺りまでしか進まないため人気(ひとけ)がない。所謂穴場というやつだ。まさか愛理がそんなところにまで活動範囲を広げていたとは。

 

「えっと……休日は偶に来るんです。ホント偶に」

「へー、いいとこだなあここ。ボクは初めて来たんだけどのどかで落ち着く」

 

 図書館の閑散とした空気とはまた違う。あそこよりも穏やかさや温かさを感じるような場所。勿論室内か外かの差はあると思うが。

 「そうですね……」と小声で応える愛理は俯きがちにカメラをモジモジと触っている。何だか御守りみたいだ。

 

「目当てはそれ?」

「あ、はい。折角、いい天気だったから……」

 

 写真のことについて触れると、彼女はほんの少し明るさを滲ませた。初対面の時のお粗末な会話を思い返せば、何とかここまで進展できたといったところだな。

 愛理と会話するのは今回で四度目だ。二回目は初対面から数日後、三回目は五月に入る直前。ボクにとって「その他大勢」の枠組みに含まれない人間の中では、残念ながら一番量は少ないだろう。他クラスである椎名以上に。

 尤も、極度な口下手である彼女のことを思うと、別に会話の濃度が比較的低いというわけでもない。

 

「浅川君は、どうしてここに……?」

「それは――まあ座ってまったり話そうぜえ」

 

 立ち話も何なので、自分が座っていたベンチに再び腰を下ろす。愛理が委縮しないようにできるだけ端に移動し、彼女が心に余裕を持って座れるように誘導する。

 

「あの……大丈夫ですよ? そこまで気を遣わなくても……」

 

 あ、そうだった。一挙一動に敏感なんだった。普段の態度のせいで忘れがちだが、本当に鋭いな。

 

「なら良かった。念を押すようだけど、避けるなんて意図は全くなかったからなあ」

「い、いえ、元はと言えば、私がこんな性格なのがいけないんです……」

 

 おいおい、ちと卑屈になり過ぎやしないか? 心を開いてくれたと一瞬でも期待したボクの自惚れだったとでも言うのかい?

 ただそれこそ、更に元を辿るとボクらを引き合わせたのはそういう自己嫌悪じみた性質なのだろうけど。

 ようやく彼女はボクの隣に――それでも人一人分は間隔がある――腰を下ろした。すんごい背筋がピンと伸びている。間違いなく天使の羽付きランドセルを背負っていたな、これは。

 

「ボクらが初めて話した日にさ、健と沖谷と団欒していたの、見てたろう? あの時以来、よく一緒に朝トレする仲になったんだよ」

「じゃあ、今日も?」

「うん。でもみんなその後予定があったらしくて、ボッチの時間をどう消費しようかと思い、フラフラと導かれたってわけさあ」

 

 我ながら悲しいことだ。予めその事実を知っていれば、昼からの過ごし方に算段を付けられたかもしれないのに。寧ろ向こう見ずだったからこそこうして愛理と遭遇して話せたんだけども。

 

「何だか、意外ですね……須藤君、クラスでは孤立しているイメージだったのに」

「イメージどころか実際そうなんだろうよ。自分に合わない同調圧力が嫌いでスポーツは大好き。意外さの欠片もない。彼はただ、自分に正直なだけだ」

 

 言い換えると、たかがそれだけで腫れ物扱いされるようになってしまったということだ。トップ4のメンバーだけは彼の良き理解者でありたいものだ。将来的には、鈴音や平田辺りも。リーダー格においては健の方からも寛容になってもらう必要があるが。

 

「好きな運動を一緒に楽しんでいるから、浅川君たちには優しい……そういうことですか?」

「大雑把に言えばなあ。キミも、写真のことになると嬉しそうに語ってくれるじゃないかあ」

「えっ!? そ、そうでしたか……?」

「おうさあ。聞いてるこっちも愉快になるよ」

 

 ボクの肯定的な言葉に愛理は首を捻る。

 

「本当、ですか……? 迷惑だったり……」

「ほら、好意的に接すると相手も自分に好意的になるって言うだろう? そんな感じで、好きなこととか共感できることがあると、きっと自然に引き寄せられるんだ。それを素敵だと思うことはあれど、邪険に扱うことはないよ」

 

 「そう、ですか。良かった……」おどおどしつつも、何だかんだでホッとしてくれたようだ。

 

「でも、そういえば浅川君って、あまり自分のことを話したがらないですよね……」

「あれ、そう?」

 

 記憶を辿ってみると、なるほど、確かにないな。自分から好んで話さないのと、元々機会がなかったのと、どちらもある。

 

「なら、この際一つ答えてやるよ。何を知りたい?」

「え? えっと、その……えー……」

 

 唐突な提案に再び愛理はどもってしまう。いくらでも待つさ。キミのそういうところは織り込み済みだからね。

 三十秒程考えあぐねてからようやく彼女はその重い口を開いた。

 

「…………好きな、こと」

「え?」

「す、好きなこと! って、何ですか……?」

 

 短いコミカルな沈黙。空間全体の雰囲気も相まって、余計シュールに感じられた。

 気まずさに耐えられなくなったのか、彼女は焦りの表情を浮かべ「あっ……えっと……」と手をワシャワシャさせ始める。

 まさか、これだけ溜めに溜めて絞り出した問いがそれとは。

 

「ぷっ、あっははははは! そんな質問でいいのかい?」

「お、可笑しな質問でしたか……?」

「い、いや、ぷふっ。全く、キミらしいよ。ふふっ」

 

 恥ずかしさで顔を真っ赤にする愛理を見て、更に笑い声が漏れる。流石にここまで矮小な人間は見たことがない。癒されるというか、心の洗われる感覚だ。

 彼女が羞恥心でノックダウンする前に、しかと回答をせねばな。

 

「そうだなあ。趣味って言うには名ばかりだけど――人と話すことかなあ」

「人と話すって……こういう時間のことですか……?」

「うん。身の上話から世間話、とりとめのない雑談まで」

「じゃあ浅川君は、本当は平田君や櫛田さんくらい、話せる友達が欲しかったりするんですか?」

 

 「違う」それについては断固反対だ。僕は人気者になりたいとか、話すこと自体に快楽を求めたり寂しさを紛らわしたいわけではない。

 

「僕はさ、マンツーマンで話すのが好きなんだ。誰とでもだなんて身の丈違いな欲深い願いじゃなくて、僕が気を許した人と、僕に寄り添ってくれた人と、時間を共有して楽しいと思える人と、互いのことを知っていきたい。自分の目の前にいるただ一人を大事に見つめて、心と関わりたいんだ。――そんな小さな願いなら、偶には叶ってくれそうだと思わないかい?」

 

 僕の真剣に紡ぐ言葉を、彼女は落ち着いた態度で聞き入っていた。

 

「わ、わからないです……でも、素敵な願いだなって、思います」

「はっはは、だろ?」

 

 いつもと比べて少し穏やかな表情を浮かべる愛理にほんの少し救われる。こちらが丁寧に語れば、やはりちゃんと向き合おうとしてくれる少女なのだ。

 不器用だという自覚はある。だからこそ、これくらい誠実に、そして慎重に向き合うべきなのだと思う。『先生』風に言うと、これが僕のポリシーなのだろう。

 

「さてと、じゃあお返しに、ボクからもキミに質問しよっかなあ」

「え、え? な、なんでしょうか……」

「身構えなさんなあ。近況報告みたいなもんさあ。最近の生活はどうだい? 良い友人と出会えた?」

 

 この質問は天啓の如く閃いた思いつきではない。度々気にかけていたことだ。

 三度目の邂逅の際に、今日のように愛理の趣味を聞いている流れで、面と向かって会話のできる友人が欲しいという悩みを聞いていた。確か、それならまずは同性からという結論で一時収まっていたはずだが。

 

「向こうがどう思っているかはわからないですけど……最近はみーちゃんや心ちゃんと話すことが多いです」

「え、なんて? み、みー、ちゃん?」

 

 少なくともクラスメイトで思い当たる名前は記憶にない。あだ名か何かか?

 

「は、はい。(ワン)さんです。王美雨(メイユイ)さん」

「ああ、合点いった」

 

 名前からも察せる通り、中国出身の少女だったはずだ。流暢な日本語だったため全くわからなかった。問題文が日本語のはずの小テストで高得点だったことも踏まえると、グローバルの方面に賢いのかもしれない。

 自己紹介でしどろもどろだった心もそうだが、小グループにイマイチ溶け込み切れていない女子どうしで惹かれ合ったのだろう。悪く言えばはみ出し者という分類に含まれてしまうが……きっかけなど些細なことだ。仲良くなれたのなら、それは素直に祝福すべきことだろう。

 ……あれ? でも彼女らの出会いって、何だかデジャヴが……。

 

「良かったなあ。これでキミも、一歩前進ってところじゃないか?」

「そう……?」

「そりゃそうだろう。お世辞にも他人慣れしているとは言えないキミが『仲良し』と認識するほど、信頼できる相手なんだろう?」

「それはまあ、確かに……敬語を取り払って話せるようにもなりましたし」

 

 そうだ、ボクと清隆の時と少し似ているんだ。友達つくれない同盟として始まった友好な関係だし、茶柱先生にも(誠に遺憾ながら)鈴音共々はみ出し者と認定されてしまった。すると、ボクと愛理がぬらりくらりで会話を続けていられるのも、そういう微妙なシンパシーが根底に潜んでいたからなのだろうか。

 それに、何よりも驚いたのが、

 

「タメ口で話せる仲なのかい!? 随分と上手くやれているじゃないか、すごいなあ」

 

 椎名の例があるから、愛理も敬語で話す姿勢が板についてしまっているのかと思っていたが、ボクの解釈違いだったようだ。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 ボクが思わず自分のことのように喜んでしまったからだろうか。愛理は照れくさそうにポツリと零した。

 だけど、一つだけ合点いかないのが……

 

「……あ、あのさ、愛理」

「はい?」

「ボクは……?」

「…………へ!?」

 

 異性だから、と言われてしまうなら頼みようもないのだが、初対面で少しは心通わせたつもりでいた身としては、親しい口調ができると知ってしまった以上やはり自分にもそうして欲しいと願ってしまう。

 

「えっと……が、頑張ってみま……みる、ね……」

「あ、あっはは。無理にとは言わないよ、キミのペースでいいから。ある程度距離感が近い方が話しやすいなって思っただけだしね」

 

 「頑張ってみる」と言ってくれたのだ。その意志だけでも、四月の半ばより十分成長しているだろう。

 

「よーっし。キミから吉報を受け取ることもできたことだし、そろそろお暇しますかねえ。楽しい一時だったよ」

「帰るんですか?」

「まあね。愛理は?」

「私は――もう少し、ここにいます……」

 

 そう儚げに呟き、彼女は数分前のボクと同じように、大人しい波の揺れる様をぼんやりと眺めた。

 

「そうか。撮影の邪魔もしちゃったからなあ、ごめんよ」

「い、いえ! そんなことは……」

 

 愛理はベンチから飛び上がりつつ必死に否定した。彼女の急なオーバーリアクションにもやっと慣れてきたかな。

 ふと、彼女は何かを思いだしたように「あっ」と声を漏らし、窺うようにボクに尋ねた。

 

「あの、浅川君……」

「ん?」

「もしかして、()()()()()……?」

 

 何かを恐れるように震える瞳に、ボクは戦慄を覚える。

 ……ここで、嘘を吐く必要はない。

 

「いや、見てないよ」

「そう、ですか……」

 

 一抹の不安を抱えながらも、彼女は一先ず胸を撫でおろす。

 そう、優しい嘘ですら、一つとしてボクは吐いていない。『決定的瞬間』を目の当たりにしたわけではないのだから。

 だけど――。

 愛理の中に、今の彼女ではない何者かを垣間見た時、ボクは一体彼女をどう見ればいいのか、どんな言葉をかけてやればいいのか。その答えはまだ、心の内で定まりそうになかった。

 




久しぶりの執筆でも相変わらず、間延びというか、ゆっくりテンポで進んでいきます。一応無駄話の回はなくどれも意味のある話になっているつもりなのであしからず。序章tipsもまだ描ききっていないですしね。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)

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