本当は色々語る前にまず読んでもらいましょう、と言いたいところなのですが、あとがきの方に今後の展開についてのアンケートの説明をするので、ここで少しだけ解説という名の言い訳をさせてもらいます。
以前tipsの更新の際にも話しましたが、大きな問題が原作キャラの再現です。今回の話で登場するキャラの口調や性格が圧倒的に曖昧な認識で自信がない。というのと、佐倉んぼが物語の都合上めっちゃ饒舌になってしまった。この二点が作者としてはものすごく困っておりました。なのでそこのところ、大目に見てもらえると嬉しいです。
まあ残りはあとがきに回して、とっとと本編入りましょうかね。
空調の恩恵を受けない特別棟は、夏の到来を待たずして客を拒まんとする熱気で包まれていた。
「あっつい……」
思わず苦痛が漏れる。こういう時に誰もいない空間で声が零れてしまうのは、ボクだけではあるまい。
今まで授業のために数回移動したことはあるが、その程度でこの暑さに慣れろなどとは無理な話だ。
夏服でも売っていたりしないのだろうか。あ、ポイントないや。そもそも今の時期でこれだと、二か月もすれば服装如きでどうにかなる話ではなくなるかもしれない。
授業以外では放課後の部活動でしか使われることのない特別教室。今日は活動する団体はないらしく閑散としていた。
むんむんとした世界に一人隔絶されてしまった感覚が膨れていく。まるで生き地獄の登竜門を潜り抜けた気分だ。
階段を上り、踊り場で徐に足を止めて窓を覗く。壁一面に張られており解放感はあるものの、格子状に区切られているため一層閉じ込められているかのようなパラドックス的錯覚に陥る。
――いつまでそうしているつもりだ?
ガラスに映る影がそう問いかけてくる。
――怯えたところで何も変わらない。過ちから逃れられたとして、それは成長したと言えるのか?
冷酷に事実を突き付けてくる幻影に、言い返す言葉はなかった。
――そうやって心を脆くしたままだったから、あの時も間違えたんだろ?
――何も変わっていない……どこまでも『無関心』である自分に、何も思うことはないのか?
――本当に今のままで、『後悔』しないのか?
まるで自画像のように、それでいて別人のような雰囲気を纏う、ボクと同じ外見の『それ』が糾弾する。
葛藤、なのだろうか。しかし、安直にそう考えるには少し違和感がある。過去の亡霊、怨嗟の声か? いや、もっと身近にあるようなものの気がする。
その正体にはどこか、懐かしい感覚が――
「あの……」
意識が朦朧としていたせいで全く気配に気づかなかった。反射的に後ろを振り向くと、二人の少女の姿が目に映る。片方はよく見知った人物だった。
「愛理じゃないかあ。どうしたんだい? こんなところに」
今までの思考を即座に打ち切り、
どうも彼女とは人気のない場所で遭遇してしまうようだ。その方が彼女も会話がしやすいだろうから困りはしないのだが、そういう点ではどこか似た習性を感じてしまう。
「五月に入ったから、そろそろ校内のフォトスポットを探索してみようかなと思って……」
流汗滂沱の苦手な彼女のことだ。高校の内装に慣れるまではあまりうろつく気概を持てなかったのだろう。今日ここを訪れたのも、まずは人の往来が少ない場所をと考えてのことだったのかもしれない。
「そいつあ邪魔したなあ。どうぞ、心行くまで楽しんでおくれ」
前回と同じシチュエーション。今回は彼女の付き添いの時間も奪ってしまうので、早々退散した方がよさそうだ。
しかし、愛理はボクを呼び止めた。
「い、いえ、大丈夫ですよ?」
「でも――」
「浅川君は、見守ってくれる人だと思うから……」
恥ずかしがりながらもそう言い切った愛理に頬が緩む。
彼女が信頼してくれている通り、ボクは言われればいくらでも黙っていられるし、人様の行為を面白がって指を差すようなド畜生ではない。本人がそう言ってくれるのなら、強引にこの場を去る理由はなかった。
「そりゃそうだけど、そっちの子の迷惑にはならないかい?」
一つ気になったのが、初対面の少女がボクに懐疑的になってしまわないか、ということだ。すぐに敵意をむき出しにする子が愛理の友人になれるとは思っていないが、少なくとも見知らぬ異性を前にすれば委縮はしてしまうだろう。
「私は気にしませんよ。浅川恭介君、でしたよね?」
ボクの懸念に反して、少女は物怖じせずにそう言った。
「浅川君。この人がみーちゃんです」
「なるほど。――よろしくなあ王。名前、憶えてくれてたんだなあ」
「佐倉さんが何度か話してくれたんです。優しい人だって聞いています」
「い、言わないでよぉみーちゃん……恥ずかしいから」
彼女がみーちゃんか。心がいないが、予定が合わなかったのだろう。
微笑まし気な表情をする王と取り乱している愛理を眺めていると、こういう一般女子高生らしい関係性を見るのは初めてだなという感慨が湧き上がる。ボクと交友関係を持つ人たちはクセが強すぎると改めて認識した。
「浅川君はどうしてこんなところに?」
落ち着きを取り戻した愛理が問う。こんなところに事情も無く足を運ぶのは、確かに不自然だ。
「気分転換かなあ。こっちの方でゆっくりくつろいだことはなかったからさあ」
「そうですか。でも……こんなに暑いと、くつろぐのも大変そうですね」
「あっはは、大変だったらくつろぐとは言えないなあ」
もう少しすれば梅雨に入る。居心地の悪さはより酷いものになることだろう。人通りが少ないわけだ。
ボクらは二階のベンチに並んで腰を下ろす。面積が広くないため、前とは違い間隔は握り拳分くらいだ。
「そういえばボクは、二人の出会いを知らないなあ。良ければ聞かせてもらえるかい?」
「えっと……五月に入ってすぐです。小テストのこととか、色々……」
上手く伝えるのに苦労しているようだが、恐らく王の小テストの点数が高かったことを最初のきっかけにしたのだろう。他人の長所から話を切り出すのは、コミュニケーションの手段としては適している。尤も、愛理が狙ってそうしたわけではないのは想像に難くない。
王が続きを継ぐ。
「それから段々話す回数が増えていって、よく私の出身のことについても教えてあげたりしているんです」
「ほう! チャイニーズカルチャー、ボクも興味があるよ」
いくら知識として仕入れていたとしても、やはり百聞は一見に如かず。現地人の体験談には奥深さや説得力がある。一番興味があるのはヨーロッパ――中でもアイスランドだが、ボクの海外旅行経験はたったの一度しかないしあまり関心のない国だった。ただ、日本の外の話となると何だか壮大な感じがして、興味をそそられる。
「よかったら、今度浅川君もみーちゃんに教えてもらったらどうですか?」
「いいのかい?」
「勿論いいですよ。私、日本で異性の友達は少ないから、その……仲良くしてくれると、嬉しいです」
とても今の彼女はそんな風に見えないが、目を合わせて話していられるのは愛理がボクのことを良く語ってくれていたからかもしれない。
「なら、機会があればぜひ同席させてもらうとしよう。また三人で愉快な一時を楽しみたいものだね」
ボクの肯定的な返しに二人は嬉しそうに頷いた。
あくまで本心を述べた。しかし、ここでもやはり、ボクは他人を騙すようなマネをしてしまっている。
愛理は勿論、初対面にも関わらず好意的に接してくれる王に対しても、申し訳ない気持ちになる。
耐えられず、ボクは愛理に別の話を振った。
「撮影が目的じゃなかったのかい? ボクは適当にのんびりしているからさあ」
「あっ、そうだった。――それじゃあ、みーちゃん」
「うん。前みたいに近くにいるよ」
「……ありがとう」
安心したように笑って、愛理は立ち上がりカメラを携えて辺りを廻り始めた。
人一人分空いた距離を埋めないままにして、ボクはなおも同じ場所に居座る王に話しかけた。
「いつもこんな感じ?」
「はい。あまりくっつき過ぎちゃうと、怒りはしないだろうけど、さすがにやりづらいと思うから」
愛理の趣味を尊重してのことだったようだ。彼女に善き理解者ができたのだと内心喜ぶ。
「ありがとなあ。愛理と仲良くしてくれて。心配していたんだ」
「それ程でもないですよ。寧ろ私がお礼を言いたいくらいです。――浅川君にも」
「ボク?」
「出会ってすぐの頃、佐倉さんに聞いたことがあるんです。何で話しかけてくれたのかって」
王は柔和な眼差しを愛理に向けたまま語る。そこには、彼女のことを心の底から友達だと信頼している気持ちが表れていた。
「そしたら、浅川君が勇気をくれたからだって答えたんです。浅川君が寄り添ってくれたから、少しでも変わろうと思えたって」
「……へー、彼女がそんなことを」
「本人の前では、卒倒しちゃうだろうからとても言えないんですけどね」王の言葉を傍耳に、ボクも彼女に倣い愛理の方を見る。僅かに口角を上げて、カメラに表示されているであろう写真を見つめていた。
思いの外彼女はボクに信を置いてくれていたようだ。校舎で他人と話す姿を見なかったし、彼女にとってボクはそれなりに大きな存在だったのかもしれない。
「あの時の佐倉さんの顔、見せてあげたかったなあ」
「そんなにいいものだったかあ」
「正直、人のことを嬉々として語る子だとは思っていませんでした――『自分』のことも含めて。だから、浅川君のことを話す表情を初めて見た時は、少し驚いちゃったんですよね」
普段の愛理は、周囲に蔓延る『他人』という存在に対してあまりに閉鎖的だ。殊、打算や建前を潜めて近づく連中は、顔色を窺うことに慣れ極まっている彼女にとっては敬遠すべき対象の典型例と言っていい。
そして愛理自身も、心中で波打つ海の底に、何か――その正体をボクは知らないが――を押し隠しているという事実を自覚し悩んでいた。そんな彼女が人そのものに苦手意識を抱くのは、全く大層なことではない。
「私たちが友達になれたのは、元を辿れば浅川君のおかげなんです」
「大袈裟だよ。結局は愛理が踏み出した一歩だ。そしてその勇気に応えたのはキミだ。キミらはなるべくしてなった、お互いで完結する友達どうしってわけだ」
だとしても、なのだ。ボクの言葉をたとえ受け止めていたとしても、それでも彼女が尻込みしてしまうのなら、王に話しかけることはなかった。王ももし心を閉ざしていたり、他の友人に満足していたりしたら、愛理の気持ちに存分に応えてやることはできなかった。二人の関係の行く末に、ボクの言動が挟み込まれる余地など微塵もない。
「そんなことは、ないと思います」しかし、次に飛んできたのは、ボクの否定を打ち消す言葉だった。
「佐倉さんの気持ち、少しわかるんです。私、中学生になってすぐこっちに来たんですけど、すごく心細かったし、話しかけようと思っても何となく怖くなって遠慮しちゃったり……」
日本人でも転校先で上手くコミュニケーションが取れないという話は多かれ少なかれある。その跨ぐ仲立ちが国境ともなれば、心的疲労は決して小さいものではないはずだ。彼女の不安、完全な理解はできなくとも、合点はいく。
彼女は彼女なりに、愛理に共感できる部分を見出していた。それが彼女自身の性格によるものか、将又愛理の友達としての善良な矜持によるものなのかはわからない。
「そういう時って、何かしらのきっかけがあるかどうかで大きく変わるんだろうなと思います。浅川君は、私たちが友達になる『きっかけ』になってくれた人……私たちを繋いでくれた浅川君が、無関係だなんてことは絶対にないと思います」
気が付くと、王はついさっきまで愛理に向けていた目をこちらに移していた。一瞬たじろぐが、真剣かつ柔らかな瞳を
「どうか、否定しないであげてください。謙遜なんかで、佐倉さんの思いを裏切らないであげて欲しいんです」
ボクの中でチリチリと呼び起こされる熱。それは、外から差し込む
過去の残骸がひっそりと顔を覗かせ、目の前の少女の言葉から背けるなと痛い程に訴えてくる。
「まだ浅川君のことはよく知らないけど……それでも私は、佐倉さんの信じる浅川君はきっと善い人なんだと信じています」
――だから、ありがとう。
今まで何度か聞いてきた。この高校で初めて言ってくれたのは清隆だったということは、なおも良く覚えている。確か次は椎名だったはずだ。
だけど、そのどれとも違う。彼女の感謝の言葉は、ゆっくりと染みわたるような感覚があった。
決して一方的ではなく、それでいて譲る気はないと言わんばかりの明確な信念じみた感情の提示。絶妙な配分で思いが乗せられた真っ直ぐな言葉は、恐らくボクが最も受け入れやすく、最も突き崩されやすい類のものだ。
それは、まさしくボクが好きだった人と同じ性質を持っていたから、なのだろうか。
「……まあ、キミがそう言ってくれるなら、こんな老いぼれでもあの子の助けになれたのかなと嬉しく思えるよ」
意味があった、とまでは言わない。
ただ、目の前の少女の言葉が、その天真なる微笑みが、どうしてかボクの中でストンと落ちる音がした。
人はその温かさをもって冷たい哀しみを引き寄せるのだとわかっていても、血脈にジンワリと浸透していく心地良さを、久しぶりに思い出す。
最後に感じたのは、いつだったろうか。
「やっぱり、浅川君は善い人です」
「ボクが、かい?」
「はい。まるで、助けたいと願っていたかのような言い回しだったから」
「……いやあ、どうだろうねえ」
真に善人と呼べる存在を――崇めるべき存在を知っているボクとしては、素直に頷きたくないことだった。しかし、そんなことを知る由もなく、感覚的なもので漫然とそう思っているであろう彼女に対して、違うとは言えなかった。
暗に指摘された優しさを、否定することができなかった。
「これからも、愛理と宜しくしてやっておくれ。不安な時に寄り添ってやれるのは、キミだから」
「浅川君は?」
「彼女が立っているのはキミの隣であり、ボクの前だ。今のボクは、ただ後ろから見守ってやることしかできない。それを寄り添うとは言えないよ」
ボクはもはや、傍観者に過ぎない。観測者にすら値しない、愛理の成長をぼんやりと眺めていたに等しい臆病者だ。
愛理は、ボクなんかよりもずっと強かだった。
すると今度は、ふふっと密かに笑う声が届いた。
「何か可笑しなことを言ったかい?」
「本当だって思ったんです。何だか浅川君、佐倉さんのおじいちゃんみたい」
思わぬ一言にすかさず真意を問う。「そう?」
「だって、おじいちゃんおばあちゃんが孫に寄り添うっていうのはちょっと違くないですか? 親より少し身を引いたところから優しさを送っているような距離が、まさに今の浅川君だなって」
彼女の答えに目を丸くしたのは、自分の老いぼれ発言が初めて肯定されたから、ではない。正確にはそれも無きにしも非ずだが、一番の理由はすぐに納得し共感した自分自身だ。
他人である彼女の言葉に、こんなにも容易く動かされるのは何故だろう。
最初は過去の面影を重ねたからだと思っていた。でもそれは間違いだったのかもしれない。
「……ボクのこれは、弱さではないと。君はそう言いたいのかい?」
「そ、それはわからないです……。浅川君が自分のことを老いぼれって言っていたから、何となく思っただけで……」
当然彼女はボクと初対面だ。だから、ボクがどういう人間なのかというのは自らの尺度のみで語ることしかできない。そんな彼女を前にして、ボクが旧知の誰かを想起する道理など、あるわけがないのだ。
正体は――寧ろ逆だ。
以前沖谷との会話で触れたように、家族、友人、師弟など、関係性は様々だが、選べるものと選べないものが存在する。
『唯一無二の存在を自分の意思で判断するのは思いの外難しいものだ。家族は生まれた瞬間に決められてしまっているが、選択の権利があったらあったでそれも結局は悩ましく感じてしまう』
そして、それぞれの立場には曖昧ながらも役割や意義が与えられている。その様相はちょうど王が挙げた両親と祖父母の違いからも感じ取れる。
同じようにして「他人」にも何かしらの価値を求めるとするなら――それは「客観」に他ならない。
もし王と同じ言葉を清隆や椎名が放ったとして、ボクは素直に受け取れなかったはずだ。どうしても自分に対する特別な感情を予感してしまって、それが事実なのか判別できなかったかもしれない。
他人である彼女だったから、鵜呑みにしてもいいと思えた。取り繕いのない周りから見たボクがそれなのだと僅かでも認めることができた。
『岡目八目』。ボクはこの学校で、「他人と会話をする」という行為があまりに足りていなかった。親しい者たちと、親しくなるのが早すぎたのだ。
それを悟ることができるくらい、王との会話は刺激的で、実りのあるものだった。
「…………ありがとう」
「え?」
「そんな風に言ってもらえたのは、初めてだったから」
「そう、ですか……? 浅川君のことを同じように想っている人はたくさんいると思いますけど……綾小路君、とか?」
「何はともあれ、だよ。お礼を言ってくれたお礼みたいなものさあ」
もしかしたら、王の言う通り清隆たちも贔屓目無しにそう思ってくれていたのかもしれない。ただ、事実ボクがきっかけを自覚した相手が彼女であることに変わりはない。何となくで貰ったもののお返しは、何となくで施して然るべきだ。
一時の和やかな沈黙を挟み、当たり心地の悪い温風に肌が慣れてきたタイミングで、王が口を開いた。
「――そうだ。私のことは『みーちゃん』って呼んでください。友達からはそう呼んでもらっているので」
どうやらボクを友人と認めてくれるらしい。呼称は差し詰めその証といったところか。
離れた立場だったからこそ授かった恩恵があったため少し躊躇いはあるものの、人間関係は得てして流動性を具えているものだ。名残惜しいが、今後機会があればお茶会したいくらいの好意は抱いているこちらとしても、賛成すべき提案だろう。
しかし困った。主義に反する呼び方は容認しがたい。初対面で目の前の少女の肩を落とさせるのは合点いかんが、何かいい方法はないだろうか。
「……じゃあ、『みー』と呼ばせてもらうよ」
「みー?」
「ボク、楽な呼び名が好きだからさあ」
これなら苗字に引けを取らないコンパクトさ。彼女の要望にも上手く答えられる。
ボクが本心でそう言ったのだと察した王は嫌な顔せず応えた。
「いいですよ。これからよろしくお願いします」
「ん、よろしく。――ああ、こちらからも注文をさせてくれ。友達だと思ってくれるなら、愛理にしているように砕けた話し方に変えてくれるとありがたい」
「え、えっと――わかったよ。よろしくね、浅川君」
「うむ。よろしゅうよろしゅう」
ここで是と答えられるあたり、愛理よりは社交的なのだろう。心の壁が薄いとも言うべきか。
ボクと彼女の関係が形式的にも昇華した、ちょうど良いタイミングで、愛理がこちらに戻って来た。
「あれ? 二人共、何かあった……?」
「およ、どうしてそう思った?」
「何だか、さっきより楽しそうな顔をしてたから」
人の表情や仕草に敏感な彼女らしい回答だった。
「そうだなあ。キミはボクらの
「へ、私……?」
「善い人に出会えたんだね、佐倉さん」
「あ、ありが、とう……?」
オドオドしつつ謝礼を述べる愛理に、ボクらは一層微笑ましさを覚える。
「良い写真は撮れたかい?」
「まずまず、です。また今度、来てみようかなと思います」
「本当!? 見せて見せて」
少しだけ気持ちを昂らせて、王は愛理のすぐ隣に駆け寄りカメラの画面を覗き込む。愛理は身を引くことなく受け容れ、二人で一緒に閲覧し始めた。
きっと、日頃からこうして過ごしているのだろう。あの愛理があそこまで接近されることを嫌がらないことからも、本当に仲が良いのだということが伝わってくる。
嗚呼、彼女も『成長』したんだな。
この成長に、ボクが貢献しているのだと、みーは言った。
もしもその通りなのだとしたら、ボクは……。
「愛理」
二人のやり取りが一段落し、それではとこの場を立ち去ろうとする時機を見計らって、ボクは静かに声を掛けた。
目と目が合う。
「キミは、さ……どうして踏み出せたんだ?」
「どうして……?」
「同盟仲間として気になったと言うべきかな。単純な興味で……」
そこまで紡いで、ボクは口を止めた。
――嘘だ。
違う、そうじゃないだろ。強がるな。見栄を張るな。
幸か不幸か、彼女は目が鋭い。ならば、感情を偽ることに意味はない。
ボクはもう、これ以上自分の格を下げたくない。
六助も言っていた。『泰然自若』、それはきっと、浅川恭介の本質じゃない。相応しい言葉は……。
『本質はそう簡単には変わらないものなのだよ。今の君はかつてと正反対だ』
『君の本質はそこではない。もっと起源的なものだ』
「……ボクは、わからないから」
重い顔色を察した愛理は不安そうにしながらも据わった目で聞いていた。
「変わることだって怖いじゃないか。嫌な自分から逃げた先も、また好きになれない自分だったらって思うと、不安じゃないか」
その眼差しに耐えられず目を伏せてしまう自分は、今の彼女とはまるで対照的だ。
「心を開くことは義務でも何でもない。今まで通り殻にこもってやり過ごしていても、前に出した足を引っ込めても、自分さえ飲み込めれば文句を言う人なんていないはずだ。にも関わらず、どうして君は歩み寄れたんだ」
額を流れる汗を拭うことも忘れ、愛理の答えを待つ。
彼女は手に持ったカメラを大事そうに見つめ、優しく撫で始めた。
「……私は、写真が好きです。好きなものとか、綺麗なものとか、自分だけの思い出のアルバムに残すことがとても楽しくて……。でも――『自分』を撮ることだけは、どうしても苦手でした」
やはり印象通り、彼女が普段撮影していたのは景色や周囲の環境がほとんどだったようだ。
いや、もしかしたら『最初』は違ったのかもしれない。
「人と触れ合うことも、人の目を見て話すことも、人が集まっているところで過ごすことさえ苦手でした。段々と色々なことが恐くなっていって、
人は必ずどこかで無理をする。自分という理を無くせば、ふと見回した時には既に映る世界が一変してしまっているものだ。これは、前に清隆に語った『解釈』と『喪失』の関係とも少し似ている。
愛理は完全に失ってはいないものの、『自分』で在り続けることの『意義』の認識が薄れてきていた。
「どうにかしたくて、私なりに工夫して、その場しのぎの『方法』は見つかりました。でもそれは、本当にその場しのぎに過ぎなくて、結局は、ただの逃げだったんだろうなと、思います」
彼女の言う『方法』がどういうものかはわからないが、それが彼女の中で合点がいっていなかったのは確からしい。
「それは……別に、悪いことではないんじゃないのか?」
「どう、なんだろう。私にははっきり答えられないことだけど……。ただ、みんなにとって当たり前な矛盾を、私は重く捉えてしまっているんだと思います。何となくだけど、浅川君も……」
「もしかして、『他人』……」
「きっと世界は綺麗なことばかりじゃないって、誰もが知っているんです。だけど、それでも心のどこかで綺麗な世界を望んでいる……。そんな真っ暗で寂しい世界の中で、人との繋がりを持たない私は、臆病になることでしか生きていけませんでした。他の方法なんて、考える余裕がありませんでした」
愛理は優しく微笑み、こちらに視線を戻した。
「そんな時だったんです。浅川君に出会ったのは」
ここでみーの話してくれたことが真実であることが、当人自らの告白によって明らかになった。しかし、ボクは未だに要領を得られていない。
「ボクが、キミに何をしたって言うんだ?」
「浅川君は、孤独でも大丈夫だって言い聞かせていた私に初めてちゃんと声を掛けてくれた人でした。必要以上に踏み込まず、私が心を開くのを待ってくれたのはよくわかっていたから、話しやすい人だなと思ったんです」
「だけどキミは、安易に他人の言葉に揺さぶられる子でもないだろう」
「そうかもしれません。だから、私が伏せていた目をもう一度起こすことができたのは、浅川君の言葉を聞いたからじゃなくて、
「ボクの、姿?」
「最初は半信半疑だったけど、浅川君は本当に私と同じだってことに気付いたんです。浅川君も、他人の前では偽りの仮面を被っているんですよね?」
「それは……」ドキリとした。まさかとは思っていたが、彼女もボクがありのままの自分で過ごしていないことを理解していた。
愛理については確証は持てていなかったが、清隆たちと同じ側だったようだ。
恐らく否定すれば、彼女はそれ以上を語らないだろう。しかし、きっと彼女はその瞬間のことを哀しく思うだろうし、再び塞ぎ込む原因にまで成り得る。何よりボクは、話の続きを聞きたかったので、素直に認めることにした。「その通りだ」
「それがわかった時、少し安心したんです。素顔のままじゃなくても、心を通わすことができるんだって。たとえ弱くても、藻掻いていて悪いことばかりじゃないんだって。――それはまるで、私にとって希望のようにも感じられたんです」
「それは――そうかもしれないけど……でも、とても辛いことだよ。そうも感じられるのなら、ボクが怯えているということにも気づいていたはずだ。他人の醜態を自信に還元できる程、キミの性根は周りに冷たくはないだろうに、どうして……」
「わかっています。わかっているんです。だけど、それだけで十分だったんです」
知らない内に決意を宿していた少女の瞳は、薄くとも真っ直ぐで、優しく――美しかった。
「私は、認めたかった。自分は変わることができる。そして、変わらないままでいるのは決して良くないことなんだって。それが正しいことだって、納得するための『きっかけ』が欲しかったんだと思います」
さっきみーも言っていた。大事なことのほとんどは『きっかけ』ありきで始まるものなのだと。
何もしてやれなかったつもりでいた。人混みで泣き喚く子供を気に掛けながらも声を掛けられない有象無象の如き歯がゆさ。
自分にはできない。きっとできない。でも何とかしてあげたい。どうしよう。わからない。恐い。怖い。コワイ。
そうやってうずくまっていたつもりだったのに、どうやら、彼女に必要だったのはそんな大袈裟なものではなかったようだ。
触れると触れないの境界線。独りじゃないという、『疑わなくていい他人』の存在証明のみをしてくれる誰かがいる。たったそれだけで、愛理は強くなれた。
「じゃあ、どうして今だったんだ? 変わらなきゃって思うことや、変わるチャンスは今までに何度もあったはずなのに、よりにもよってボクと出会ったその機会を選んだ理由は……?」
「それは……偶々、です。多分……いや、ええと」
愛理は自信なさげに俯いたが、すぐに言葉を選び顔をあげた。
「私はやっぱり、ずっと怖かったものを少しだけ好きになれたのが大きいんだろうなって思います。でもそれは、きっと人によって違うだろうから……」
「ただ」と彼女は続ける。
「みんな、そんなものなんじゃないでしょうか。何度もやってくるきっかけには大なり小なりあるのかもしれないけど、その時その時で掴むかどうかは変わってしまうような気がします。だから、最後まで変われない人もいるんだと、思います」
全ては偶然。努力や研鑽が無駄に思えてしまう程、気まぐれに左右される結果が幾つも存在する。人が思っているよりずっと、決断は一時の環境や感情に作用されるのだ。受け入れるに堪えないことだが、その業を形にしているのは他でもないボクら自身。やり場のない苛立ちに支配されるのも無理はない。
だけど――だからこそ難しいのだろうな、生きるというのは。思い通りにいかないことばかりで、心を閉ざしてしまう者や投げ出してしまう者がいる。今の愛理を見れば、自ずとわかる。
理不尽な喜劇と悲劇の狭間で、人は醜くとも抗うということか。
偏に、自分自身を救済し得る唯一の拠り所を信じて……。
愛理がどうして勇気を出せたのか。いかにしてボクの存在を糧にしたのか。そのおおよそは既に掴めた。だからもう、知りたいことはあと一つだ。
思えば、そんなものに今まで一度も関心を持ったことがなかった。ボクがかつて間違えたのは、それが原因の一つだったのかもしれない。
「愛理は――僕と出会えて良かったのか?」
気遣いも誤魔化しも許さない。漂う空気と、自分の顔に張り付けた険しい表情で、その旨を送る。
愛理がそれを確かに受け取ったことを悟ったボクは、次に発せられる彼女の言葉を一字たりとも聞き逃さなかった。
「うん。浅川君のおかげで、諦めかけてたほんの小さな幸せに近づけたと思うから」
伏し目がち、オロオロしがち、ぎこちない言動や仕草をしがちな少女が初めて見せた、あまりに自然な表情は、その言葉を信じるに値する十分な根拠だった。
大きく鼓動していた心臓を落ち着かせ、目を閉じてそっと息を吐く。自覚していた以上に緊張していたようだ。
他者から見る自分の姿。聞き届けてしまえばあっという間だが、とても恐ろしく、心臓の鼓動音がはっきりと聞こえてしまうような体験だった。
だけど、今は大丈夫だ。今ならもう、ちょっとだけ信じられるから。
「――ありがとう。折角巡り会えた友達、大事にしなよ」
「うん。あ……その、浅川君も、友達がいいな、って……」
「……ああ、そうだね。僕らはとっくに友達だよ」
「……! よ、よろしくお願いします、浅川君」
「ん。よろしく、愛理」
何だか少し照れくさいようなやり取りを交わしていると、愛理の横で黙って見守ってくれていたみーがクスリと笑った。
「よかったね、浅川君。佐倉さんは、浅川君のことをもっと身近に感じてくれていたみたいだよ?」
「はっはは、何だか背中がむず痒くなるような話だなあ」
あまり馴染みのない感覚だ。他人への好意は包み隠さず伝える主義の自分にしては、らしくない。
しかし、悪くない。というのが正直な感想だ。
長らく引き留めてしまったことを詫びると、二人は構わないと笑いながら許してくれた。
また話そうという他愛もない約束も、改めて――。
去って行く二人の少女は、とても仲睦まじげで楽しそうだった。
再び閑古鳥が鳴き始めた棟内で、ボクは最初と同じように窓の外へ視線をやる。
傍から見れば痛々しいやつとでも思われるのかもしれない。だがそんなものは言わせておけばいい。ただ思案に耽りたいときにやる癖のようなものだ。今はいもしないが、周囲の冷たい視線もひそひそ声も気に留める道理はない。
自分と同じ顔をした、しかし
――どんな気分だ?
開口一番曖昧な問いかけだった。
無機質な瞳にはどこか見覚えがある。どこで認識したものだったのかは、もう思い出せない。
君は、一体何なんだ…………?
――何、と言うと?
ボクは初め、君はボクを糾弾し追い詰める存在だと思っていた。あるいは深層心理、ボクの心のどこかに眠っている感情。でも、いつも違和感がついて回った。
ただ打ちのめそうとするわけではない――そう、まるで諭すような物言いは、君がボクの『純粋敵』ではないとうことを示唆しているような気がする。
君はボクに、何を求めている?
君は一体、何者なんだ……?
――それは……お前が一番よくわかっているはずだ。
なぜ? それは君が、ボクの一部だから?
――嫌でもわかるようになるさ。お前が逃げないでいるうちは。
……なら、今わかっていないのは、つまりそういうことかい?
――それを塗り替えるために、『俺』が
――お前の幸せなど知らん。今のお前に幸福を与えても、猿に札束をばらまくようなものだ。
――俺はあくまで、お前が求めているものの道標を示しているに過ぎない。
やはりそうだ。幾度となく胸中に響く雑音は、決してボクを殺すものではない。トラウマを抉りながら鞭をはたいて鼓舞するようなその態度は、一種のスパルタにも思える。
――俺がいることを忘れるな。どれほどの悲劇が起ころうと。この声が聞こえなくなった時、お前はもう救われない。
最後にそう吐き捨てて、ガラス越しにも伝わって来た不吉な感覚がふっと消えた。
今写っているのは、まさしく等身大の自分自身だ。
何とも情けない顔。こんなだらしない目、なりたくてなったわけではないのに。
もう少し、別の目をするつもりだったのに。
ここにいてももう何かが起こることはないだろう。
微塵の憂いも残さず、ボクは階段を下りて屋内を出て行こうとする。
ふと、先程の会話が脳裏を過った。
――どんな気分だ?
……。
…………そうだな。
『まだ浅川君のことはよく知らないけど……それでも私は、佐倉さんの信じる浅川君はきっと善い人なんだと信じています』
まだ、枷は残っているが。
諦めるつもりであった『それ』を、『保留』にしようとは思った。
『浅川君のおかげで、諦めかけてたほんの小さな幸せに近づけたと思うから』
まだ、自分を好きになるなど無茶な話だが。
ほんの少しだけ、信じてもいいのかなって、思えたよ。
どうだったでしょうか。まさかオリ主の『きっかけ』が彼女になるとは、意外だったでしょう。私もです。彼の心情を自然に書き連ねていたらいつの間にかこうなっていました。
因みに、どうしてこんなにも佐倉んぼがオリ主に心を開いているのか、疑問に思っている方がいるかもですが、それは二人のやり取りをほとんど描いていないことによる食い違いです。理由は二つあります。一つは、本作はあくまで「オリ主(語り手)の機微を描いている」のが本質だからです。もう一つは、すぐ後の回でお伝えします。もっと後には彼女の視点で補足もいれるのでお待ちくださいな。
あと、佐倉んぼの言葉、記憶にある方もいるのではないでしょうか。彼女の原作での独白を、今作では外に吐き出してもらいました。これもオリ主の影響、だと個人的に解釈しております。
他にここはどうなんだという質問があればなんなりと。恐らく描き切れてないだけな部分があるので。伏線として後に明かすつもりの内容は内緒にしますが。
さて、それではアンケートの話を(長くてごめんね)。実は三章から更にオリキャラが参戦する予定です。ただ今後の本作の方針によって介入のしかたや展開を変えるつもりです。
その方針はというと、ズバリ、『どこまでやるか』です。そろそろ決める時が来ました。
作者は船上試験までは概ね把握、体育祭とペーパーテストはまあまあうろ覚え、それ以降は大まかな出来事を知っているだけで細かい駆け引きはほとんど知らない(やるとしたらオリジナル過多になりそう。既に原作乖離が始まっているので)。という前提のもと、本作をどこまで見たいかお答えください。お察しかもしれませんが、けっこう大きな意味の持つアンケートです。
気が変わればさらに先を第二部と称してやる可能性が微レ存ですが、少なくとも展開は今回でほぼ決定します。
オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)
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止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
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ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
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止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
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ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
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ムーリー(前後編以内でまとめて)