アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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さて、今回はオリ主が立ち直るお膳立て+彼の掘り下げという中身てんこ盛りな回です。情報過多で疲れちゃうかもしれません。自分は疲れました。

前回の反動でクソ長いです。気長にお付き合いください。

「いい教師は迷うものです。本当に自分はベストの答えを教えているのか、内心は散々迷いながら……生徒の前では毅然として教えなくてはいけない。決して迷いを悟られぬよう、堂々とね。だからこそカッコいいんです。先生っていう職業は」
(『暗殺教室』殺せんせー)


ノスタルジア

「おじゃまパジャマサイコジャマ―」

 

 艶やかな声で紡がれたセリフが、穏やかな室内で反響する。

 新たに部屋に現れた人影は、二つだ。

 

「ここにユニコーンはいないっすよ」

 

 今度は二人目が声を発した。

 「半年経ちゃお台場にできるよ」二人はそのまま能天気なやり取りを開始した。

 ここで割り込むのは当然――仲介者だ。

 

「遠路はるばるご苦労様です。雨宮刑事、風見刑事」

 

 坂柳理事長に名前を呼ばれ二人は同時に彼の方を向く。片割れはあからさまに顔を顰めズカズカと奥へ進んでいく。

 バン、と、両手で思いっきり机の表面を叩いた。

 

「ホ・ン・ト・に、はるばるお越しですなー。でも知ってます? これ実は()()()なんすよ、二回目」

 

 二本指を立てて彼女は詰め寄るが、理事長はどこ吹く風で受け流す。

 

「仕方がない、としか言えませんね。我が校は外部との隔離には大変厳格ですから。寧ろこうして賓客扱いで入校できているあなた方が例外なんですよ?」

 

 「ハッ!」彼女は吐き捨て、部屋中に響き渡るように舌打ちする。

 「行儀悪いなあ」と、相棒の彼も苦笑いを隠せていないご様子だ。

 

「それで、持ってきてくれましたか?」

「あったぼーよ。でなきゃ二週間も空けてここになんか来るもんですか。ったく、あの時の警備員、よくもネチネチと戯言並べて追い返してくれたなぁ……」

 

 ひとしきり独り言(という名の呪詛)を唱え終えると、彼女は何やらスーツのポケットから一枚の紙を取り出し、理事長へ突き付けた。

 

「ちゃんと段階は踏んだよ。まどろっこしくて面倒くせぇ手続きは全部済ませました」

 

 相手の無愛想な態度を気にもせず、書類に書かれている内容に眼を通した理事長は満足げに頷いた。「確かに確認しました」

 

「そんじゃ早速、二人は預からせてもらいますんで」

「どちらにお連れするおつもりで?」

「防音は最低限されてないと困りますね。何せ機密案件ですから」

「わかりました。でしたら生徒指導室をお使いください。生徒に聞けばわかると思いますので」

「ご協力感謝致しまーす」

 

 一連のやり取りを終え、女性はこちらに呼び掛けた。

 

「浅川恭介君、高円寺六助君。二人にはこれから事情徴収及び経過観察をさせてもらいます。生徒指導室に場所を移すので案内してください」

 

 畏まった形式的な声音。普段の彼女とのギャップには毎度面食らってしまう。

 ボクと六助は立ち上がり、流れるように理事長室を後にする。どうやら茶柱さんと坂柳理事長はまだ話すことがあるらしく、閉じた扉の向こうですぐに話し声が聞こえてきた。

 数分程して、つい先週訪れたばかりの生徒指導室に足を踏み入れる。

 またしても乱暴な手つきで、女はガタンと扉を閉めた。

 数秒の沈黙――そして、

 

「ひっさしぶりだねぇあんたたち。元気してたかー?」

 

 親戚のお節介なおばさんのようにニシシと笑い、子供二人の頭をぐりぐりと撫でまわした。

 

「お久しぶりです、先生!」

「先生言うな、教師じゃないんだよあたしは」

 

 いいじゃないの。敬意を込めて呼んでいるのだから。

 ボクは先人として心から尊敬している人にしか「先生」とは呼ばない。雨宮さんはボクの人生の中で唯一先生と呼ぶに相応しい人だ。

 

「ごきげんよう、ディテクティブレディー。見ない内に額の皺が増えたのではないかね?」

「ぶん殴るよ赤ん坊が。あと名前で呼べってんだよクソガキ。雨宮由貴って名前を忘れるほどてめぇの脳味噌はちゃちなんか?」

 

 鬼の形相で握り拳をつくる先生を見て、さしもの六助も「これはすまなかったよ、雨宮刑事」と軽く謝罪をする。

 そう、あの六助が頭を下げ、あまつさえ呼称を訂正させられてしまうほどに、この人はおっかない部分があるのだ。現に彼は一度、彼女の鉄拳制裁を喰らい涙目になった経験がある。

 ただ、同時にノリがいいだけあって、こうして揶揄い合いをすることはやめられないというわけだ。

 ……ね、親戚のおばさんみたいでしょ?

 

「ミルキーさんも、お久しぶりです」

 

 ボクは次に、先生の背後に控えていた青年にも声を掛ける。

 「ミルキーボーイ。相変わらず紳士としての身だしなみがなってないねえ」六助もまた彼なりの挨拶をする。

 

「二人共久しぶりっすねえ。あ、念のため確認しますけど、僕の名前も一応憶えているっすよね?」

「……やだなあミルキーさん。お世話になったミルキーさんの名前を忘れるわけないじゃないですかあ。ねえミルキーさん」

「相手の名が記憶するに値するかは私が決めることだよ」

「え、嘘でしょ……? せめて先輩みたいにフジって呼んでくださいよ」

「今更でしょう」

「僕はママの味じゃないんすよ!」

 

 ミルキーさんにはこれくらいの扱いがちょうどいい。ボクら三人の共通理解だ。

 再会の喜びを共有したところで、先生は大仰に手を鳴らした。

 

「ま、かるーく場を和ませたところで――と、そうだ。恭介君、ちょっと」

「……? なんですか――」

 

 何かを思い出したように名前を呼ばれ、反応する。

 ――いや、しようとした。

 しかしそれより先に腕を掴まれ、制服の左袖を捲り上げられた。

 

「ふーん……おっけ、センキュー」

 

 暫く凝視した後、彼女は急に興味を失ったようにボクを解放した。

 

「痛てて……あ、あのー先生、診るなら診るってちゃんと言ってくださいよ……」

「はあ? どうせあんた渋るでしょうが。無駄な時間をかけないってのはいかにも効率的だねぇ」

「別に、すぐ見せましたよ。()()()()()()()()()()()んですから」

 

 「ならいいのよ。なら」大して悪びれもせず、先生はどさりと椅子に腰を下ろした。彼女に倣い、ボクらも着席し机を囲う。

 

「それで? 藪から棒に押しかけて、一体何用で会いにきたのかな?」

 

 意外にも、話を切り出したのは六助の方だった。

 まあ彼の心境を踏まえれば、ある意味当然と言えるかもしれない。

 刑事二人はすぐさま神妙な面持ち――スイッチを切り替えた時の仕事顔だ――になって語り始めた。

 

「まずは、事実だけを話す」

 

 しんと静まり返った室内で、先生の凛とした声だけが木霊する。

 

「練馬区のある一軒家で、四月の頭――あなたたちが入学したすぐ後に、一人の未成年による殺傷事件が発生した」

 

 練馬区の一軒家?

 確かにボクらの住まいも母校も練馬にある。しかしそこで起こった事件にボクらが関わっているとはとても思えない。まして入学後なのだとしたら尚更だ。

 あの日の放火事件と、何か関連でもあるのだろうか。

 次の言葉を待っていると、告げられたのは予想だにしない事実だった。

 

「殺害されたのは――浅川文哉さんとその妻、理恵さんよ」

 

 晴天の霹靂。

 何を言っているのか、理解するのに数秒かかった。

 どうして、そんなことが……?

 一体、何があった……?

 心臓の音が大きくなる。それはこれから起こるであろう、過去を掘り起こす波乱の前触れだった。

 

「父さんと母さんが、死んだ…………?」

 

 

 

 

 静寂が満ちる。

 しかしそれは、先刻まであった緊張感とは別のものだった。もっと過酷な、驚愕とも言える空気。

 

「……当時の、状況は?」

 

 呼吸を何とか整え、先生に尋ねる。彼女はこちらの表情を真っ直ぐに捉えながら、答えを返す。

 

「現場は二人の別荘と推定。つまり、恭介君たちが元々住んでいたのとは別の家だよ。どちらも刃物による刺し傷が原因の失血性ショック。凶器に使われたのは家屋の窓ガラスであることから、衝動的な犯行だったと見られている」

 

 「そして」と、そこで途端に彼女は口元を歪ませた。生業人としての彼女は基本そんな風にならないはずなのだが、余程言いにくいことらしい。

 

「遺体の状況は――原型から少し変化していた。何度も何度も、体の至る所を刺されたみたい」

 

 ……なるほど。

 

「恨み、ですか」

「一番考えられるのが、それね」

 

 両親が犯人を家の中へ招き――この時点で、ある程度交流のあった相手であろうことは想像がつく――その後のやり取りで犯人の中で急激に憎悪が膨らみ、事件は起こった――。

 ……()()()()()

 

「御託はいいよ、雨宮刑事」

 

 突然六助が口を開く。その表情には少々じれったさが浮き出ていた。

 

「私と彼を呼んだということは、本題はもっと先にあるのだろう? 身内の無念な姿について延々と聞かせても、本当に知りたいことを吐かせる口を重くしてしまうだけだ」

 

 言っていることはかなり残酷だが、合理的という意味では六助の意見は正しいものだった。

 無理もない。呼び出しを受けて顔を出してみれば、今のところ全く自身に関係のない殺人事件の話をされているのだから。

 先生はムッとした顔になるも、溜息を吐くことで落ち着きを取り戻し、再び話を始める。

 

「実はね、今回の事件にはもう一人被害者がいるの――さっき殺傷事件って言ったっしょ? その人物の名前は……『新塚純』」

「なっ……純、だって? 純が、ボクの両親の家で、襲われた……?」

 

 ボクはここで、ようやく冷静さを保つことができなくなった。

 訳が分からない。どうして純は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を訪れ、誰かに傷害を負わされなければならない?

 六助もこの情報に眉をピクリと反応させている。それ程までに大きなニュースだったのだ。

 しかし、悲報の発表会はまだまだ始まったばかりだったようだ。次に与えられた情報は、ボクらに更なる衝撃を与えるものだった。

 

「そして、浅川夫妻を殺害し、純君に怪我を負わせた容疑者は……」

 

 聞いてはいけない。ような気がした。

 だが逃げ場はない。たとえ耳を塞ごうとも、物音一つ立たないこの部屋では意味のないことだ。

 だから、ボクはそのあまりに悲しい事実を、ただ耳に入れることしかできなかった。

 

「容疑者は――――――『深山静』ちゃんよ」

「……………………は?」

 

 ボクと六助の、呆然として漏れ出た声が重なる。

 誰、だって? 誰が、人を殺したと言った?

 

「う、そだ。そんな…………静が、人殺し……?」

 

 信じられなかった。認められなかった。

 あの人が、そんな人道から悖る行為をするなんて。

 ボクが()()()()()()()()が、『善人』ではなくなったなんて、到底受け入れられなかった。

 

「…………証拠は、あるのかね?」

 

 どうやら六助は、二人が縁起でもない冗談を放つ人間ではないと理性が辛うじて説き伏せてくれたようだ。

 

「証拠も何も、現行犯よ。通報を受けて駆け付けた警察が現場で凶器を握りしめ錯乱している容疑者の身柄を確保。あの子は、哂っていたんだと……」

「……っ、何故、また……!」

 

 既に彼も、いつもの堂々たる態度ではいられなくなっていた。苦虫を噛み潰したような表情で、彼は拳を固く握る。

 今回も自分がいない間に事が起こった。そのことを酷く悲しんでいるのだろう。

 ミルキーさんが説明を継ぐ。

 

「逮捕後、何度か取り調べを行っているみたいですけど、静ちゃんはまるで口を利かないみたいです」

 

 「ただ」と彼は続ける。

 

「一度だけ、たった一度だけ、『悪魔に憑りつかれた気分だった』と」

「悪魔……?」

「居合わせたやつら揃って頭にハテナだってさ。隠語、ってわけでもないだろうし、何かしらの比喩って考えるのが妥当だね」

 

 確かにあの人には変わり者な部分はあったが、それは周りを笑顔にできる愛嬌の範囲に留まっていたはずだ。不気味で宙ぶらりんなセリフを言う少女ではない。やはり何かがおかしい。

 …………そうだ。

 あの日から、何かが狂ってしまったんだ。

 

「……ボクのせい、かもしれません」

 

 三人の視線がこちらに注がられる。一瞬怖気づいたが、それでも言葉を紡ぐ。

 

「ボクがあの日、間違えなかったら……」

「恭介、何を知っている?」

 

 柄にもなく差し迫った態度で、六助が問い詰める。

 

「六助……」

「何故隠そうとするんだい? 解明に繋がるヒントを得ているのであれば、ここで明かせばいい」

 

 わかっている。ボクだけが知っている、現在(いま)過去(あの日)を結び付ける手がかりは、本来共有して然るべきだ。

 だけど……そうもいかない『理由』がある。

 

「……言うと、不利になるのか?」

「……!」

「君自身が何か良くない事情を抱えているというのかい? 君は一体、あの日何をしたんだ?」

「……っ、それは……」

「答えてくれ恭介。私はただ、知りたいだけなのだよ」

 

 縋るような目。こんな彼を見るのは初めてだった。

 すると、彼に感化されるように先生も声を発する。

 

「実はね恭介君。今日の事情徴収の半分は、彼が知りたいことについてなの」

「え?」

「被害者があなたの両親と当時の友人。容疑者も同じグループの友人。疑わない方がおかしい。この事件は、あの悲劇の続きかもしれない。クソガキ(コイツ)を一緒に呼んだのは、あくまで真実を聞く権利があると思ったからよ」

 

 冷徹な瞳が、ボクを射抜く。誤魔化しは許さない。そう言われている気がした。

 

「あなたは二年前の事件について嘘の証言をした。そうでしょ?」

「……バレていましたか」

「その様子だと、可能性としては考えていたみたいだね」

「寧ろそれくらいなものだと思っていました。ふたを開ければとんでもないことを知ってしまいましたけど」

 

 そう、予感はしていた。完璧な嘘を吐くにしては、あの時は明らかに時間が足りなかった。周りの人間の行動すら正確に把握できていなかったのに、矛盾なく証言することなど不可能に近かった。

 ただ、それでも……それでも知られたくないことだったから。

 

「当該事件に直接的な関連を見込めないあなたに聞きたいのは、二年前のあの日、本当は何があったのか。それがきっと、この謎を解く鍵になる」

 

 力の籠った目で懇願される。彼女の言っていることは、きっと間違っていない。

 だけど……それでもボクは――。

 

「…………白い髪と、青色の目」

「……! 恭介君、それは――」

「やっぱり、調べはついているみたいですね」

 

 恐らく矛盾が生じていたとすればこの情報だろうと思っていた。反応を見る限り当たりだったみたいだ。

 

「あの日、ボクは会っていたんです。図書館に入る直前の慎介とその女の子に」

 

 ボクがこのことを隠していたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。しかしそれが水泡に帰した今、もはやここで嘘を吐く意味はない。

 

「彼女と面識は?」

「……いえ、特には。ただ、慎介とはだいぶ距離があるように見えたから、恋仲とかではないんだろうなと――あいつにもクラスに友達ができたんだと喜んだ程度でした」

「そこは確かに、他の生徒と証言が一致していますね」

 

 ミルキーさんが手元の資料とにらめっこしながら反応する。

 

「それ以前に、件の少女について尋ねてもほとんどがよく知らないの一点張り。理由は簡単です。彼女はそもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 淡々と真実を言い当てられる。警察の捜査能力がこれほどとは、恐れ入った。

 

「――先天性白皮症、その少女は『アルビノ』だった」

 

 アルビノとはまさに、先程からボクらが話題にしている少女の特徴がそのうちの一つとして当てはまる個体だ。

 アルビノは一般の人と比べてメラニンの色素が顕著に不足している。そのため遮光性が不十分となり紫外線への耐性が極めて低くなる。

 だから――夏場は特に――外出すらも困難になる人は決して少なくないのだ。

 

「あなたのことだから、薄々気づいていたんでしょ?」

 

 ボクは無言のまま俯いているが、先生はそれを肯定と見なしたようだ。

 

「それで、恭介君は彼女が怪しいと思ってるの?」

「それは……いいえ、違います」

 

 「え?」ボクの否定に、彼女は目を丸くする。「じゃあ、一体……」

 

「実は当時、純も静も、当然六助も知らなかっただろうけど、慎介は『虐め』に遭っていたんです」

「虐め?」

「はい。あの学校は全体的に優秀な生徒が多いって話なのは知っていますよね?」

 

 刑事二人は素直に頷いた。

 

「だからこそ、なんです。だからこそ、そういう悪趣味なことをするやつらも狡猾で、残虐で、巧いやり方をするんです」

「つまり、慎介君が殺されたのは、クソ野郎共(ソイツら)の行き過ぎた行為によるもの、と?」

「かも、しれません。現場ごと燃やしたのも、それに内包されるものだとしたら――」

「撲殺の後に燃やされたことと、辻褄は合う、か……」

 

 ボクの証言一つひとつを、先生は念入りに吟味していく。

 そして、彼女は――

 

「解せないねぇ」

 

 なおも納得しなかった。

 

「と言うと?」

「確かに今の証言自体に不審な点は見当たらない。そもそも欠けている情報が多い事件だから仕方ない部分もあるけど、矛盾は解消された。でも恭介君、だったらどうして、あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の?」

 

 ……全く、この人はどこまでも抜け目がない。だからこそ至極尊敬しているわけなのだけど。

 ただ、返す答えは何てことの無いものだ。

 

「…………あまり言いたくないことだったんですけど、実はボク、()()()()()()()()()()んです」

「覚えて、ない……? それって、事件当時のこと? それとも……」

「『ほとんど』、ですよ」

 

 一同唖然とする。

 これは嘘偽りない真実だ。ボクは本当に、あの日のことはおろか()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まるで、「記憶の彼方」なんて場所が実在して、自分の脳を飛び出て行ってしまったように、ごっそりと。そこにはきっと、宝物であるはずの思い出だってたくさん含まれているはずだ。

 もう今更、それを哀しむこともないのだが。

 

「ボクには二つの恐怖がありました。一つは最後に慎介を見た人間である故の重要参考人としての恐怖。そしてもう一つが、最も現場付近まで居合わせた有力な証人としての恐怖です」

 

 わからないからと言ってぼかした証言をしたり、それこそ「覚えてない」なんて間抜けなことを正直に話せば、自分が犯人であることを隠していると疑われてしまう。

 あるいは、もし最後の頼みの綱に成り得る証人である自分が記憶がないなんてことがわかれば、いよいよ()()()()()()()()()()()がなくなってしまう。それは強制的に事件が闇に葬り去られることと同意義なのだ。

 そんなことにはなってほしくない。その旨を、彼女に伝えた。

 

「……わかった。あなたの証言、覚えておく」

 

 どうやらようやく、ボクの証言を認めてくれたようだ。

 

「クソガ――六助君、何かまだ聞きたいことはある?」

 

 先生は話の矛を六助に向けた。

 

「……言っただろう。非常に残念なことに、私が把握している情報はこの耳を以て得たもののみだ。今の状況で私が追加で新たな情報を求めることは不可能と言って差し支えないねえ」

 

 元の調子を取り戻しつつあった六助はそう答える。それは暗にお手上げだと言っている風にも聞こえた。

 それから暫く、先生は目を閉じ思考の海へとダイブした。どんな状況だろうと、彼女が頭の中を整理する時は決まってこうなる。

 やがて彼女は目を開いた。

 

「ヨッシャ、仕事終ーわり」

 

 つい数秒前とは打って変わり、能天気な声が届く。

 

「え、えっと、終わり、ですか?」

「ん、おう。今回の話を基にまたもうちょい捜査してみる。進展がありゃまた来るよ」

 

 気付けば重苦しい雰囲気は霧散していた。一見強引な切り替え方だが、巻き込まれている本人からすれば何とも自然なことで、ありがたかった。

 前にもこんな風に、救われたことがあったっけ。

 案外そういう、いっそ振り回すくらいの姿勢の方が、ボクとは相性が良いのかもしれない。

 

「あんたたちの方から、他に何か話しておきたいことはない?」

「愚問だね。私を誰だと思っているんだい?」

「クソガキ」

「ハッハッハ! 清々しい程に辛辣だねえ」

 

 「そういうとこだっての!」我慢できずに飛び出た先生の足蹴りを、六助はいとも容易く回避する。座っている姿勢からあの豪速の攻撃を難なく躱すのだから、身体能力は相変わらず凄まじい。

 

「用が済んだのなら、私はそろそろ退席させてもらうよ。今日は麗しいレディーたちを待たせてここにいるからねぇ」

「レディーだぁ? どうせ子供のままごとでしょうが。ませてんじゃないよ全く」

「君が何と言おうが、女性との待ち合わせに遅れるなど紳士としては三流にも劣る。また来るのであれば、態々名残惜しさを感じる必要もないだろう? 続報を期待しているよ」

 

 「それでは、オ・ルボワール。諸君」と別れの挨拶だけを残して、彼は一目散に去って行った。

 

「はぁあ。折角このあたしが来てやったってのに、薄情なんだから」

「ま、まあ彼なりな激励だったと思いますよ」

「えー、あれのどこが」

「六助は余程のことでないと、他人に期待しない人間なので」

 

 「ほうほう」ボクの見解を聞き、先生はほんの少し上機嫌になって納得する。「なーるへそ」

 

「それじゃあそろそろ、ボクも失礼しますね。また会える時を楽しみにしています」

 

 どうやら本当に事情徴収は終わりのようなので、六助と同様に来るべき再会の時を願って席を立とうとする。

 しかしそれを呼び止めたのは、ミルキーさんだった。「ああ、ちょちょっ、待ってください恭介君」

 

「ん、まだ何かありましたか?」

「いえ、事情徴収はもう終わりっす。先輩も満足のいく収穫だったみたいなんで。ただ――」

 

 彼の移る視線に合わせてボクも視界をスクロールする。

 強く優しい瞳と、焦点が合った。

 

「バーカチンが。経過観察は終わってないっての」

 

 彼女はミルキーさんが引き留めることまで、織り込み済みだったようだ。

 

クソガキ(アイツ)はどうせ悠々自適に暮らしてるだろうからねぇ。自分で自分を豊かにできるやつぁ何だかんだで羨ましいもんだよ」

 

 去り際の台詞からもわかる通り、六助は周囲から見られる自分というのを全く度外視した生活を送っている。それ故日常において窮屈さを感じることもないのだろう。「この小さな箱庭は私にとって狭すぎる」なんて言い出したら別かもしれないが。

 更に言えば、彼の素行を目の当たりにした生徒が白い目をすることも、きっと二人は察しているはずだ。

 

「ただねえ、あんたはそうもいかないってことも重々承知しているつもりだよ」

「……別に何も、悩んでいることなんてありませんよ」

「Sシステム、なかなかに面倒くせぇ仕様だろう?」

 

 「え」予想外の言葉を浴びる。「知っていたんですか?」

 

「この学校の特徴を言ってみなさいよ」

「それは、若者の育成に力を入れた政府直営の……あ、そうか」

「全容はともかく相当だりぃ代物だってのは把握済みさ」

 

 考えてみれば当たり前のことだ。運営している集団の一人がその施設に関する情報を入手できないわけがない。理事長が特例の処置で二人を通してくれたのも、裏にはそういう事情がんでいたのかもしれない。

 

「だから、あの時止めたんですね?」

「あんたにここは向いていない。特に、まだ立ち直り切れていないあんたじゃ、ね」

 

 寧ろこちらが本来の目的だったんだとまで思える程、彼女の表情は真剣だった。

 

「それでも何とかやっていけてますよ。友達だってできました」

「そんなのどこの学校だろうが大して変わんないってば。あたしが言いたいのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだよ」

 

 核心を突くような発言に、ボクは押し黙ってしまう。完全に図星だ。

 追い打ちをかけるように、ミルキーさんも話に加わる。

 

「恭介君、独りで呑みこむことばかりが強さじゃないっすよ。それはこれまで、散々思い知って来たことっすよね?」

 

 彼の言う通りだ。

 放火事件の直後、どれだけ静と純、そして六助の存在のありがたさを痛感したか。リハビリの際、どれだけこの二人の支えに助けられたことか。

 ……そうだ。ボクはちゃんとわかっていたじゃないか。

 そう思った途端、ふと固く閉ざしていたはずの口が緩んだ。

 

「…………努力は、してきました。この学校に入るために、ボクはどんなことでもやってきた。文字通り、血反吐を吐いてでも……。その日々を乗り越えられたのは、間違いなく先生たちのおかげです」

「ああそうさ。あんたは確かに頑張ったよ。それは他でもないこのあたしが保証する。でも――心は弱くなったままだった。そう言いたいわけ?」

 

 「はい」ボクは力なく頷いた。

 

「いざ進学してみれば、待っていたのは実力なんて曖昧な格付けで差別される訳ありスクールライフだった。本当、わけわかりませんよ……」

「……そうだね、ここの方針にはあたしも思うところがある。だから最初は反対した」

 

 覚えている。大抵こちらの意思を尊重してくれていた彼女が急に頑として譲ろうとしなかった時は、とても驚いたものだ。

 

「だけどね恭介君、別にそれは責任でもなきゃ義務でもない。我関せずと下を向くやつらはごまんといる」

 

 意外にも彼女は、後ろ向きな姿勢に対して真っ向から否定しなかった。

 

「……はい。ボクは怖かったんです。あの日から、見えない重圧がのしかかるようになった。ボクは知らず識らずの内に大きな何かを賭けてしまっているんじゃないかって、そう思う度に動けなくなった」

 

 赤の他人を背負うという不気味さに、めっぽう敏感になってしまった。ボクが鈴音たちと一緒に協力することができない理由はそれだ。

 

他人(ひと)のために行動する勇気は、養うことができなかった」

「……これはあたしの勘だけど、あんたをそうせたのは、あの事件から続く悔恨かい?」

 

 この期に及んで取り繕うつもりはなかった。ボクは素直に肯定する。真実を語る気にはなれないが、募る思いを吐き出すことに、もう躊躇いはなかった。

 

「ボクには、呪いがあるんです」

「呪い?」

「ボクが望むより先に、相手の方からやってくる。最初は喜んで関わるけど、段々と距離感が見えなくなる。わからない内に、取り返しのつかない過ちを犯してしまう」

 

 思えば昔からそうだ。

 この学校でも、清隆に話しかけられて、初めての友達ができた。椎名との会話も、読書をするボクに彼女が興味を示したときからだ。

 話しやすい人だった。居心地がよかった。だから『絆』を深めようとした。

 でも、結局生まれたのは『傷』だ。線引きがつかなくなって、自分の像が曖昧になって、『な無し』となってしまったボクには随分とお似合いだ。

 

「ボクは、自分の持っているものにすら踊らされて他人を傷つける、憐れで愚かな『親指姫』だ」

 

 最もしっくりくる自己表現が、これだった。

 沈黙が流れる。

 十数秒ほど経ち、ようやく先生が立ち上がった。彼女の様子を見たミルキーさんが小さく溜息を吐く。

 先生はゆっくりとこちらに近づき、そっとボクの肩に手を置いて――

 

「甘ったれんなこのバカタレがあああぁぁぁっ!」

 

 全身全霊を以て体をふっ飛ばした。

 瞬く間に壁に激突し背中に激痛が走る。ボクは体勢を立て直すことも忘れ、ただ呆然と先生の方を見た。「な、何を……」

 

「親指姫だぁ? なぁに女々しいこと言ってんだ!」

 

 起き上がらせまいと、彼女はボクの胸倉を掴み馬乗りの状態になる。

 

「自分は悲劇のヒロインだってか? だから怖いです動けないですすみません? ただ大事なもん見えなくなっちまってるだけの表六玉が、いっちょ前な例えしようとすんじゃないよ!」

 

 耳を劈く怒声を眼前からぶつけられる。あまりに距離が近いせいで、数滴唾も浴びたような気がする。

 

「ヒロインだって戦えんだ。間違えたなら、傷ついたなら、今度こそって気概くらい見せんかい!」

「……っ、だ、だからそれが怖いんだって――」

「いるんだろ! あんたの周りに」

 

 反論しようとする言葉が止まる。先生の迫真の表情に気圧されたからではない。理解が追いつかず、次の言葉を待つことしかできなかったのだ。

 

「逃げ腰になっていたあんたを葛藤って形で繋ぎ止めてくれた、大事な友達がいるんだろ!」

「……!」

 

 ハッとした。瞬間的に、独りの少女の姿が浮かぶ。

 

「あんたはいつだってそうだ。いや、あの事件からなのかもしれない。あんたは他人を気遣うフリしているだけで、()()()()()()()()()()()んだ。だから優しい言葉もかけられるし、わかったつもりになっていられる」

 

 容赦のない言葉はボクの心を抉り、棲みこむ癌を浮き彫りにしていく。

 

「その根底にある問題は――自分さ。あんたは誰よりも()()()()()()()()()()()()と思ってる。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが、あんたの恐怖の正体だよ」

 

 今のボクにとって、核にすらなっている、自分自身の真の本質。

 それを言い当てられ、ボクはもう、込み上げてくるものを抑えられなかった。

 

「臆病になりなさんな。あんたが怯えているより、ずっと世界はあんたに親切だよ。数えてみな。んなみっともない(ナリ)してるあんたにも、寄り添ってくれる物好きはたくさんいるさ」

 

 次に脳裏を過ったのは、生粋の読書家と写真家、そしてまだ会って間もない他人だった少女の姿だ。

 閉ざしていた心が、ゆっくりと開いていく。

 

「…………あなたに、今のボクの何がわかるんですか」

 

 抵抗するように、嫌味ったらしい質問が口から出る。

 その裏には、先生ならこの難儀な問いかけにも答えてくれるかもしれない。という手放しの期待があったように思う。

 

「知らないよ。そんなもん」

 

 しかし返って来たのは、あまりに冷たい回答だった。

 

「何で…………あなたが教えてくれなかったら、一体誰が……!」

「だから言ってんだろ? それを教えてくれるのは、今あんたのことを見ているやつだ」

 

 ボクの懇願をばっさりと切り捨て、彼女は啓示にも似た助言をする。

 

「本当の意味で罪を許せるのは自分だけさ。一緒に幸せを探してくれるやつらのこと、もちっと信じてみたらどうなんだい?」

 

 厳しくも、優しい響きのある叱責だった。

 この学校に来てから関わって来た全ての人たちが、瞼の裏に映る。

 皆どこか欠けていて、だけど確かな温もりがあった。

 偽物なボクとは違う、本物の温かさ。

 そうだ。皆初めから、真心でボクに接してくれていた……。

 

「………………『俺』は」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた。先生は黙ってこちらの表情を見守っている。

 

「…………俺、は……知らなかったんです。心を預けたことのない他人に、優しくされる感覚が、わからなかった。すごく不気味で、歪に見えて……まるで本当は、俺のことなんてどうでもいいと思っているように見えた……でもそれが、本当は綺麗なものだって、ずっと前から知っていたから、向き合うフリをしていたんだ…………」

 

 時折嗚咽を漏らしながら、ポロポロと言葉が零れ落ちる。

 頬を伝う湿度は、まだこの心が枯れていない証なのだろうか。

 

「絶対に応えなきゃいけないものじゃない。だけど、きっと応えた方が、ずっと安心できるんだ」

 

 それは、過去の亡霊と一緒に忘れ去ってしまっていたことだった。

 後悔や恐怖といった負の感情に流されて、いつの間にか見えなくなっていた、けれど確かに残っていたもの。

 

「ああ。皆、あんたが望む前に来たんじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ。ちゃんと向き合えば、相手も同じように応えてくれる。人は、他人と無関係には生きられないのさ」

 

 先生は徐にポケットからハンカチを取り出し、こちらに差し向ける。

 

「泣きべそが整っているやつなんかいないっての、だらしない」

「……先生の暴力が痛くて、つい」

 

 「お、威勢も戻って来たね」簡単に目元を拭い持ち主に返す。今生の別れのつもりはないので、そのまま貰い受けるようなことはしない。

 

「男のヒステリーなんてみっともないよ」

「さっきのセリフといい、明らかに男女差別発言ですよね、それ」

「区別だって。統計からして男性の方が力持ち、女性の方が手先が器用ってのはわかりきってんのよ」

「そのアンチテーゼの体現者が、何を仰いますやら」

「あたぼーよ。男は度胸、女は愛嬌、そしてあたしは最強つってね」

 

 人当たりのいい笑顔が、ボクの表情まで晴れやかにする。

 一連のやり取りをひっそりと見守っていたミルキーさんも、ようやく声を掛けてきた。

 

「まあ恭介君、あんまり気落ちし過ぎないようにするには、何か趣味を持っておくといいっすよ」

「趣味?」

「そうっす。『癒し』とも言うっすね」

 

 彼は携帯を取り出し、何やらネットのページを漁り始めた。

 

「漫画もよし、アニメもよし、最近なんかは僕、アイドルにもハマってたりするんすよー」

「は、はあ」

「ほらほら、このグループとか、見てくださいよ」

 

 押しつけがましくミルキーさんは画面を見せつけてくる。

 そこに映っていたのは、どうやら九人組の高校生アイドルグループのようだ。

 

「この子たちの大会優勝の裏には数多の苦難や試練がありまして、学校存続のために努力する姿はお涙ちょうだいなんすよねえ」

 

 「他にも色んなジャンルのアイドルがありましてですねえ」と、オタク特有の早口で捲し立てている。

 そんな彼の様子にらボクは感謝の念を抱く。彼は仕事柄か元々の性格か、自分の趣味を押し付けるマネはしない。今こうしてペラペラと口を回しているのは、ボクを元気づける意図があるのだろう。

 尤も、それがお見通しである時点で半分彼の魂胆は瓦解しているようなものなのだけど。

 

「さてと、経過観察はこれにて完了。恭介君、最後になるけど、何か思い出したこととかはない?」

 

 ミルキーさんの滑稽な姿を白い目で眺めていた先生が気を取り直して話を向ける。

 思い出したこと、か……。

 

「……じゃあ、一つだけ」

 

 あくまで流れ作業のつもりで、まさか本当にあるとは思っていなかったのだろう。二人は意外そうな顔で耳を澄ます。

 

「昔、父さんと母さんが二人で話しているのを聞いていた時に、机の上に雑多な書類が並べられていたんです」

 

 それが何だったか、実際に見たような気もするが、中身は思い出せない。

 

「確かその時、父さんは『知識は本からから得るものではなく、更にその奥に眠っている』と言っていたんです」

「それの、どこに気になる部分が?」

「そもそも、あの時父さんたちが漁っていたのは書類であって本ではありません。それに、うちには書斎なんてない。何か別の意味があるのかもしれません」

 

 「詳しくはわかりませんけど」と付け足すと、先生は吟味するように考え込んでいたがすぐに顔を上げた。

 

「わかった。さっきの証言に加えておく」

 

 気付けば三十分以上が経過していた。感覚的には随分とあっという間な問答だった。

 改めて終了の号令が先生の口から発され、ボクは今度こそ部屋を出て行く。

 

「――恭介君」

「何でしょう?」

「あんたがここへ進学するのに反対した時のこと、覚えてる?」

 

 「え、ええ」さっきも話題にあがったことだが、鮮明に記憶している。

 

「だけど最後には認めた。それはね、あんたにはちゃんとした『目的』があったからだよ」

「……」

「一応忘れてはいなかったみたいだね。これからもあの時の自分の言葉を、絶対に忘れないようにしなさいよ」

 

 「約束ね」と微笑む彼女にボクも頬が緩む。「はい」

 

「それじゃ、頑張ってね、恭介君」

「予定では夏休み前にはもう一度来る予定っすから、お楽しみっすよ」

「バカ、フジ、それサプライズにするはずだったでしょうが!」

「え、そうでしたっけ? あ、待って、先輩! お願いだから殴らないで!」

 

 凸凹コンビは再び息のあった漫才を開始する。本当に相性の良いことだ。

 ……また、来てくれるのか。

 

「……ありがとうございました」

 

 その声は、二人の耳に届いただろうか。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「長話お疲れ様、とでも言っておこうか。アグリーボーイ」

 

 生徒指導室を出るや否や、聞き馴染んだ鼻に付く声が届く。

 

「六助!? キミ、何で……」

「私がいては君が本心を語らなくなる予感がしてね。舞台を下りて観客に徹させてもらったよ」

 

 彼が出て行く直前、妙にこちらへ視線を向けていたのは気のせいではなかったということか。

 

「彼女も言っていたが、まさか涙まで流すとはねぇ。女性の涙は美しいと言うが、男が流せばただの生き恥。君はまだまだ脆いようだ」

 

 やれやれと彼は肩を竦める。今までの一連の会話を聞いた上での感想がこれなのだから、随分と薄情なことだ。

 

「ボクは、辛い時にまで笑顔でいられる程強くはないよ」

「ほう、わかっているじゃないか」

 

 「え?」急に感心し始めた彼に豆鉄砲を喰らった顔をしていると、彼は懐から見覚えのある品を取り出した。

 

「…………キミも持っていたのか」

「我ながら女々しいと思うが、私には認めた友情を自ら穢すような趣味はないからねぇ」

 

 彼の持つ懐中時計は、10時10分で止まっていた。

 

「君にはこれが、どのように見える?」

「……キミも、止まったままなのか?」

 

 「まさか」ボクの予想は一蹴された。

 

「店頭や広告で目にする時計は概ねこの時刻に固定されている。理由は二つだ。一つはロゴが隠れないようにするため。そして二つ目は、『笑顔』だよ」

「笑顔……?」

「二つの針が左右対称の美しい笑顔をつくる。いつしか様式美となった、店員の粋な計らいさ」

 

 確かに、記憶の隅を掘り起こしてみると、当時これを買いに行った時には針がどれも同じ角度をしていたような気がする。

 そんな意味が、あったのか。

 

「それほどまでに大事なものなのさ。どんな苦境に立たされようとふてぶてしく笑うことのできる者は、強い」

 

 彼はボクの醜態を咎めつつも、暗に激励しようとしてくれているのかもしれない。本心は見えないが、そう信じることにした。

 

「ならキミは、今日の悲報に対しても涙を零さずにいられるのかい?」

「…………恭介」

 

 そう、今回聞かされた内容は、正直まだ実感が湧かないほど、衝撃的で悲しいものだった。

 彼はそれでも、笑顔を見せ続けるとでも言うのだろうか。

 哀愁を漂わせながらも、彼は応える。

 

「一流の男が、涙を許されるのはどんな時かな?」

「え……そ、それは――」

()()()。そんな時は」

 

 彼は身を翻し、ボクの前から去って行く。

 

「自分にさえその綻びを悟らせない。そうすることで、人はようやく強くなれる」

 

 「私の持論さ」と言い残していった六助。

 彼は、本当に強い少年だ。

 ……でも、いくら強くても、友人の悲劇を悲しまずにいられるだろうか。

 本当に彼は、一滴の涙も流さずに、ボクの前から姿を消すことができていたのだろうか。

 その疑問が芽生えた時には、もう彼の姿は見えなくなっていた。

 




今回で滅茶苦茶オリ主の核心に触れたつもりです。ただ、事件や過去の謎については謎が深まるばかりですね。くれぐれも弁えておいて欲しいのが、『オリ主は必ずしも真実だけを語ってはいない』ということです。実は今回の話をよーく読んでいれば既に矛盾が見つかるんですよね。他にも偽証している部分はありますが。

解説したいことが二つ。一つは前回にも言いましたが、この二話は作者の中で一貫したテーマを設けています。それは「頼れる大人」の存在です。
この学校、まだまだ青い高校生に対して頼れる大人、導き手となる大人がさすがに少なすぎると思うんですよ(清隆のWR事情による保護は別問題)。自分たちだけで考え行動し結果を出すというのも、相応なものが身についてからなはず。それを分析し、助言する存在=メンター(mentor)が必要です。全て子供だけで解決できてしまうなら、それこそ大人は何のために子供の側に控えているのか、ということです。『教育者』なら尚更、ですね。

二つ目は、『セルフィ―』で触れたことです。オリ主の寄り添う態度は、実は戸惑いや罪悪感からくるものであって、結果的には自分のことがどうでもいい存在であり、それにより他人のことが見えなくなっていました。だからこそ、彼の視点(認識)では他のキャラの機微をなかなか描けなかったわけです。それらを補うためにtipsがあるということですね。
実はわかりにくいかもしれませんけど、これ『初色』での描写であった、相手の外見すら意識が向かなくなりがちな部分にも繋がっていたりします。

予定では次回で『アルゴリズム』に時系列が追い付くはずです。

オリ主の過去話について(どれになっても他の小話もやるよ)

  • 止まるんじゃねぞ(予定通り,10話超)
  • ちょっと立ち止まって(せめて10話以内)
  • 止まれ止まれ止まれ…!(オリだけ約5話)
  • ちょ待てよ(オリキャラだけ,3話)
  • ムーリー(前後編以内でまとめて)
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