テスト当日。
いつものメンバーが早くから教室に集まり、最後の確認に励んでいた。
「みんな大丈夫そうだね」
「当ったり前よ。昨日の夜まで追い込みかけてたんだから」
「おかげで寝落ち寝坊なんて下手こくことにはならなかったぜ」
前日の夜は再び男子だけで集結し各教科復習をしていた。英語の途中で健が船を漕ぎ始めた時は心底やってよかったと安心したものだ。こっぴどく
やがてクラスメイトは全員揃い、定刻通りに茶柱さんが入ってくる。
「欠席者は――いないようだな。さて、お前ら不良品にとって最初の関門がやってきたわけだが、自信の程はどうだ?」
「問題ありません、僕らは真剣に努力を重ねてきました。このクラスから退学者は絶対に出ません」
真っ向から答える平田だけではない。例外なく全員が肝の据わった表情をしている。見違えるような凛々しさだ。
「ほう、大した自信だな。いいだろう。もしお前らがこの中間テストと来月の期末テストで一人も退学者を出さなかった暁には、夏休みにはバカンスへ連れて行ってやる」
「ば、バカンス、ですか……?」
「ああ、優美な大海原に浮かぶ島で、夢のような生活を送らせてやろう」
思ってもみなかった餌に、生徒たちは目を輝かせる。特に男子は、どこか邪な光まで垣間見えた。
枷が外れた池が、狼煙のように声を張り上げる。
「おいお前ら、気合入れて行くぞおぉ!」
「うおおおおおぉぉぉ!」
耳を劈く喧騒に思わず顔を顰める。Aクラスの教室まで届いてそうだな。
そんな団結からは離れた隅っこで、僕はいつもの二人に話を振る。
「バカンスだってさあ。何が待ってるんだろうなあ」
「海水浴とかして、のんびりくつろいでみたいものだな」
「どうかしらね。あの先生の言うことよ? 額縁通りに受け取ってもいいものかしらね」
「夢がないなあ」
「悪夢なら待っているかもしれないわね」
なるほど、その可能性は考えていなかった。だが大海やら島やらと言われると神秘的というか、非日常的なイメージがあって心が疼く。今は楽しみにしておこう。
教室中に放たれたプレッシャーに、茶柱さんは一歩退いて慄いている。
自然と教え子たちが収まるのを待ち、彼女はしかつめらしい表情をつくった。
「覚悟は決まっているようだな。…………」
不意に言葉に詰まる。何を語るか迷っているような様子に、一同困惑に近い疑惑の目を向けた。
暫くして、彼女は顔を上げた。
「…………進学してから早二か月。各々様々な苦労があったと思う。Sシステムのことやテスト範囲の変更などは勿論、底辺という扱いに並々ならぬ苦悩を強いられることもあっただろう。そして今、退学のかかった大一番が始まるわけだ」
その目には、らしくもない色が宿っていた。
「私は、お前たちがこの壁を誰一人欠けることなく越えることを望んでいる。健闘を祈っているぞ」
バカンスという報酬を提示された先刻と打って変わり、やってきたのは静寂。
今まで散々自分たちをこけ下ろし冷たい態度を取ってきた担任が、遠回しに「信じている」と言ってくれたのだ。
その絶大なる効果は、堀北兄妹の例からも明らかだった。
「さ、佐枝ちゃんセンセー! やってやりますよ」
「先生、あたしたち頑張るから、期待しててください!」
今度の表情と返事はとても温かく誠実なものだ。クラスの雰囲気は最高潮。これで本当に、あとは本番で己の持てるポテンシャルを発揮できるかに懸かっている。
問題用紙が最後の一人、清隆にまで行き渡り、運命を告げるチャイムが鳴った。
「始め」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
数日後、教室の雰囲気はXデーと同じただよらぬものとなっていた。
例の如く、平田が代表して茶柱さんに問いかける。
「先生、今日ですよね? 中間テストの結果発表は」
「よく覚えているな。やけに表情が堅いのはそのせいか」
彼女は室内を見回す。気怠げな表情から感情は判断できない。
「まあいい。喜べ、今から発表する。放課後だと諸々の手続きで忙しくなってしまうからな」
「手続き、ですか……? それはどういう……」
「そう慌てるな」会話をよそに、彼女は大きな紙を五枚、黒板に張り付ける。
「感心したぞ。小テストと比べて一回りも二回りも点数が伸びている。満点も数人いるな」
彼女の言う通り、各紙の上方に記載された名前の横には100の数字が堂々と記されている。
「おっし!」
健が感極まってガッツポーズをするのも確認できた。池と春樹もだが、総じて三十点前後上昇している。
「どうすか先生! 俺たちだって、やればできるんですよ」
「ああ、素晴らしい大健闘だった」
乾いた拍手をする彼女の顔は――物悲気だった。
「――だが、『退学者』は免れなかったようだな」
その致命的な一言に、明々としていた喧騒が一気に冷める。
平田が冷や汗を滲ませながら、どっと重くなった口を開いた。
「ど、どういうことですか……?」
それは、決定的な回答だった。
「言葉の通りだ。本人がその意味を最も理解しているはずだが? なあ――――――
瞬間、視線が一斉に僕へと集まる。
「う、嘘だろ……? 何で、浅川が……」
「何かの間違いっすよね? アイツは俺らに勉強を教えてくれてたんすよ!」
健たちから擁護が飛ぶが、当然受け入れられるはずもない。
「さあな。体調が悪かったのか、解答欄がズレていたか、いくらでも『まさか』は考えられる。いずれにせよこの点数表が全てを物語っているぞ」
点数表。そこに記されている各教科の平均点は国語が84.5、数学が82.6、英語が79、理科が82.2、社会が81。
それに対し僕の点数は国語が90、数学が94、英語が38、理科が87、社会が90だ。
「赤点の算出方法、薄々気づいていた者もいるだろうが説明しよう。平均点を二分の一にし小数第一位を四捨五入した値だ。英語の平均点が79、二分の一をすれば39.5、それを四捨五入した40点未満が赤点ということになる。つまり浅川は二点、英語の点数が足りないことになるな」
「そんな……」
「言っておくが、採点ミスは一切存在しない。真っ当な救済措置も存在しない。ルールは絶対的なものだ、諦めろ」
淡々と言い切り、彼女は踵を返す。
「浅川は放課後、退学の手続きをしてもらう。これでホームルームは終了だ。各自授業の準備をしておくように」
生徒のみになった教室には、誰がどう見ても明らかな暗雲が漂っている。
意外だ。僕が赤点を取ったことにそこまでショックを受けてくれるなんて。
「……どうして、何も言わないの?」
ようやく、声が掛かった。
振り向くと鈴音と目が合う。他のクラスメイトとは違い、絶望的というより懐疑的な眼差しだった。
「いや、正直僕も心の整理ができてなくてね」
「どういうこと? 私はてっきり、赤点のボーダーを少しでも下げるためにわざと点数を落としたと思っていたのに……」
「さあ、どうだろうねぇ」
「今はそんな悠長な戯言を吐く猶予はないでしょう……!」
キッと鋭い視線を向けられるが、僕はこの態度を崩すつもりはない。
否、貫くしかない。
なぜなら僕は、
それは恐らく、真後ろの少年も同じはず。
「…………もういいわ」
鈴音は徐に立ち上がる。
「どこへ行くんだ?」
「決まってるでしょう、先生のところよ」
「無駄だ、と言われたはずだが」
「大丈夫、秘策があるから」
そう言うなり、そそくさと廊下へ出て行ってしまった。
「恭介、ちょっといいか?」
僕を恭介と呼ぶのは彼しかいない。
清隆の方を向くと、難しい顔をしていた。
「トイレ、付いてきてくれ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
茶柱の後を追い掛けると、たどり着いた場所は屋上だった。
彼女は堀北の姿を認めるもお構いなしに――ここを選んだのは最低限の配慮のつもりだろうか――煙草を取り出す。
「どうした、間もなく授業が始まると言ったはずだぞ? それとも、みすみすマイナス評価を重ねに来たか?」
慣れた手つきで火をつけ、酷く冷たい目で見下ろしてくる。
しかし、臆することなく口を開いた。
「先生、一つだけ質問をしてもよろしいでしょうか」
「質問?」自分の突拍子のない発言に、茶柱は背を向けフェンスを眺めながら反応する。
「今の日本は――社会は、平等だと思いますか?」
「……随分と飛躍した話だな、お前らしくもない。その問いに意味があるのか?」
「極めて重要なことです。答えてください」
手元の筒を吸い、白い息を吐く。
「私の見解を語るとすれば、当然平等ではない。残酷なまでにな」
「……ええ、そうでしょう。――単純に考えるなら」
「何?」含みのある返しに、茶柱は振り向いた。
「しかし、ならば人は何故平等を願うのでしょう? 何故遠く儚いものを、理想とし続けるのでしょう?」
「哲学は専門外だ。語るならよそで――」
「欲です、先生」
ここはもう、相手の声を遮った彼女の独壇場だ。
「なりたいものや手に入れたいものがあるから、人は決まって誰かと自分を比べ、そうありたいと願ってしまう。そんな人々の薫陶こそが平等なのです。見せかけではない本当の平等から、私たちは目を背けてしまっているだけなのかもしれません」
静かに、孤高に進軍する。
「人間は不幸にも考える生き物です。だから誰にでも望みがある。希求と原動力は、平等に存在する。その理屈を突き付ける相手がルールであり社会だと、私は思います」
「……何が言いたい?」
待っていたと言わんばかりに、鈴音は一つ深呼吸をし、言った。
「私のポイントで、テストの点数と取引をお願いします」
一見通るはずのない、非現実的な提案。
それに対し高らかに笑う彼女の表情は、嘲りより感心に傾いているように見えた。
「面白いことを言うな、堀北。二人の入れ知恵か?」
「いいえ、私の策です」
「ふっ、まあそうだろうな」
にわかに首を傾げる。一体茶柱は何を判断材料にして自分が独力で答えを編み出したと考えたのだろう。こういう悪知恵はあの二人の方が働くと思っている堀北としては甚だ疑問だった。
結局、その偏見もとい二人への理解度が今の彼女たらしめている要因であることに、彼女自身は気づけなかった。
「影響を受けたということか。やはりお前たち三人は……」
暗にそれを理解していた茶柱はもう一度、形を持たない煙を吐く。
「まさか金で点数を操作しようとはな」
「いいから答えてください。できるのか、できないのか」
「前例はない。だがお前の言う通り、今回の中間テストに限っては可能だ」
「――! じゃあ」
「その前に」
見えた孔明に手を伸ばそうとしたその時、不意に茶柱が遮る。
そして――空気の変わる音がした。
「疑問に思うことはないか?」
「……どういう、ことですか?」
「浅川恭介、英語38点。このシンプルな事実に、お前は何も感じないと?」
含みを持たせた言葉に、首を横に振ることができない。
内心気付いていた。状況の打開を最優先にしていたため目を瞑っていたが、納得のいかない部分が多すぎる。
真っ向からの指摘を受け、さすがに意識せざるを得ない。
取引は可能、その言質は既に取れた。今は彼女に素直に従おう。
「……私は初め、彼がわざと点数を下げたのだと思っていました」
「赤点候補の連中のためか。特に須藤は、例の英語に関して相当苦戦していたようだからな」
前日の詰め込みでも眠気に襲われるほど、なかなか上達しなかったという話は浅川と綾小路から聞いていた。しかし結果的に、彼は試練を乗り越えた。
「ただ、それでは中途半端なんですよ」
「というと?」
「英語以外の科目は軒並み上位に食い込んでいました。そして、これは私の勘ですが……彼はそれすらも手抜きだった」
入試の成績を信じるなら、過去問という武器もある中彼が満点を取ることなど造作もなかったはずだ。
「自分の点数を加減することも可能な浅川君が、たった一教科だけ致命的な点数を取った。あまりに不自然です」
「つまり?」
「そこには理由があったはずです。彼自身とは関係のない、何か別の要因が……」
そこまで言った時だった。
不意に茶柱は口角を上げる。
よく気が付いた、そう言わんばかりに。
「お前の言う通りだ、堀北」
それで確信する。やはり自分に知らされていない大きな情報が隠れている。そしてそれは、浅川や綾小路すら把握していない。
「まずは、そうだな……浅川の
「何があった?」
歩みを止めず、清隆は問いかける。
「野暮なことを聞くなって。僕は何も知らないよ」
「……わかってる。あまりに冷静だったものでな」
「君もそうじゃない」
表情や言動から見るに、どうやら一応の動揺はあるようだ。肝心な君にどうでもいいような反応をされたら、堪ったものではないよ。
「前日に約束していたはずだからな。オレたちは鈴音の一回り下の点数を取る手筈だった」
その意図は二つ。
一つは能力の高さを露見させないため。傍から見て異様な能力の上昇は目立つ。クラス対抗戦も考慮すると、僕らが何食わぬ顔で満点を量産するメリットはほとんどない。
そして二つ目は、鈴音の指導者としての立場に現実性を持たせるためだ。僕らの学力が元から鈴音以上であるというファクターは勉強会のメンバーすら把握していない。身体的なものならまだしも、勉学において教わる側が結果的に教える側より優秀になることは滅多にない。彼女のおかげでここまで成績が伸びた、そう示すのに最も適した位置が、「一回り下」という絶妙なラインだった。
だから、本当にあの時は混乱した。
「誤りはなかったんだよな」
「ああ。――僕は確かに、
「これは……」
一枚の紙を呆然と見つめる堀北を一瞥し、茶柱は説明する。
「これが採点時点での浅川の点数だ。捏造も改ざんもない」
受け取ったのは浅川の英語の回答用紙。点数欄には赤で86と記載されている。
それは言うまでもなく、浅川が優に赤点ラインを越えている証拠だった。
「英語は私の担当ではないが、答え方からしてお前の予想は間違っていないだろうな」
綾小路のオール50点事件と同じ理屈だ。高難度の和訳、読解問題を正解している一方単純な並べ替えや穴埋めの問題が空欄になっている。
「で、では何故、38点なんて嘘が……?」
「嘘、か。肯定も否定もしにくい表現だな」
はっきりしない発言に、すぐに堀北は思考を巡らせる。
「なるべくしてなった点数だと?」
「そういうことだ」
茶柱は管の先端を赤く点滅さる。
「そして――お前ならわかるはずだ。全ての真実が」
ゆっくりと、白い息を吐いた。
「――ポイントによって点数が下げられた、それしか考えられない」
「まあ、そうなるよなあ」
清隆の見解に同意する。
敷地内のものは何でも購入可能。ということは、学校のテストの点数も対象の一つと考えることはできなくはない。
しかし、それでは二つ問題が発生する。
「でも、そんな大量なポイントを持っているかね?」
「何かしらの方法があるんだろう。秘密裏に行われている賭けや取引……この学校は何でもアリが過ぎる」
点数を買うともなればそれ相応に高いポイントが必要になってくるはずだ。一点買うだけでもDクラスの生徒にとっては大きな負担となるに違いない。となれば合法的とは言えない手段で稼ぐ場所があるのかもしれない。
ここで重要なのが、現段階でその可能性にたどり着き実行した者がいるという事実だ。頭が切れる、というと煽て過ぎな表現な気もするが、柔軟性の高さは認めざるを得ない。
「だが……そんなことよりも重要な問題がある」
彼は一度足を止め、厳しい視線を向ける。
「そうだね、さすがに僕も、この事態が意味するとんでもない危険は理解しているよ」
僕らは同時に、その『結論』を口にした。
「
「まさか……誰かが浅川君を陥れようとした、ということですか?」
信じられない自分自身の答えに、無情にも茶柱は頷く。
「取引の内容はこうだ。『浅川恭介の赤点に最も近い科目の点数を、赤点の二点下まで落とす』」
わけがわからない、というのが正直な感想だ。なまじ優秀であるが故に頭では何とか理解が追い付いているものの絶句してしまう。
浅川恭介が狙われている……? 全く現実味のない事実だ。
「誰がやったんですか?」
「残念だがそれは言えない。本人からの口止めが入っている上、私自身事後報告だった。理事長本人が対応したらしい」
「り、理事長、ですか?」
どうして担任を取引相手にしなかったのだろう。その方が圧倒的に楽なはずだが。
しかし茶柱の推測を聞き、自分はあまりにも動揺してしまっていることを自覚する。
「どのクラスの人間か、知られないようにするためだろうな」
退学を企てる事情として真っ先に浮かぶのが恨みつらみ。一体どこの馬の骨が悪意を抱いているのか知れたらと思ったが、これはかなり悪い状況だ。
誰がやったかわからない。それはDクラスの人間が根回しした可能性があることを意味しているのだ。
わざわざ回りくどい方法をしてまでクラスを隠したことから余程知られたくないことなのだと捉えると、その懸念はより現実味を帯びてくる。
所在も性別も悟らせない、正体不明な亡霊。本当に存在するのかも疑ってしまうような不気味さが、堀北の背筋にぞわりとした感覚を惹起させる。
「私が把握している情報は、これが全てだ」
「……ありがとう、ございます」
この教師はよくも飄々と煙草をふかしていられるものだ。しかし彼女がまだ何かを隠しているということはないだろう。わざわざ話の腰を折ってまでして自分から話題を持ちかけたのだ。
自分たちへの警告、堀北はそう捉えることにした。
「それで、取引には応じてくれるんですよね?」
「勿論だ。だがお前の手持ちで足りるかはわからんぞ?」
息を呑む。Dクラスの生徒は軒並み所持ポイントが低い。いくら浅川からの預金があったとしても点数を買うとなれば難しいかもしれない。
「一点につき十五万ポイントだ。それで手を打つ」
「……意地が悪いですね」
「なに、これもルールだ」
「まけてくれてもいいのでは? 担任なら」
「平等だろう? 贔屓はできない」
どうやら譲らないようだ。一点=十五万ポイント、全く足りない。
そもそも点数を買うという発想自体、裏口を使おうとしているようなものだ。ある程度覚悟はしていたが、あまりに想定を超えていた。
万事休すか、そう思われた時――。
「待ってください」
空気に溶けてしまいそうな、力のない声が鼓膜を揺らす。
「あ、綾小路君!? どうして……」
「用を足そうとしたら道に迷ってしまってな」
「……これは、ナンセンスよ」
頭が痛い。いつもそうだ、この少年たちは毎度毎度自分の思い通りにいかない奇天烈な行動で困らせてくる。最近は振り回されることも減っていったが。
なによりうんざりしてしまうのが……と考えたところで、茶柱が綾小路に訊く。
「何をしに来た。トイレならお前の教室と同じ階だぞ? 迷子の子猫はこれだから困る」
「あなたにはオレがそんなに可愛らしく見えているんですか、結構評価高かったり?」
「愚鈍な動物は好まなくてな、お生憎様だ」
「愛嬌も不便っすね」
こういう妙に胡散臭さを醸すアイロニカルな態度、元々彼自身具えていたように思えるが、最近は浅川の影響でより顕著なものになっている。
尤もその余波が自分にまで及んでいるということに、彼女は半信半疑になっているのだが。
「だが、嘘は方便と言う。本当の用件を言え」
「すみません、調子に乗りました。――オレも払いますよ、ポイントを」
「ほう、お前まで同じ考えか?」
「なんのことですか?」
真っ直ぐ、彼女は綾小路に問いかける。
「大事なポイントを払ってまでして『他人』を救う意味は本当にあるのか?」
「……オレは」
正論、なのだろう。人の根幹は利己主義。無償で、あるいは自分が損を抱えてまで他人に手を差し伸べる価値は果たしてあるのか。苦し気な目をする彼も、茶柱の言うことには合理性があると感じたはずだ。
しかし、
「オレは、まだ鈴音と同じものを信じ切ることはできません。でも、信じたいとは思っています。だからまだ、その可能性を切り捨てるわけにはいかないんです」
「非論理的だな」
「だから迷うんですよ、人は」
その目には、濁りがあった。安直には穢れと呼べない、己の闇と光が拮抗する瀬戸際で踊らされているような危ない心が垣間見え、堀北は冷や汗を浮かべる。
「……いいだろう、お前の意見はわかった。だがわかっているな? これでようやくお前たちが買えるようになるのは一点だけだ。あと一点、どうする?」
本題に戻り、再び堀北は渋面をつくる。このままでは浅川は退学になってしまう。ポイントで点数を買うという手段は既に手を尽くした。最悪平田や櫛田に泣きつくこともできるが、二人は引く手数多な交友関係のせいで聡明さと裏腹に消費が大きい。加えて、この場で打開策を講じることができなければ茶柱が時間切れを宣言する可能性もあった。
今度こそ、道は塞がれた……?
思えば犯人はこの状況を見越して『赤点より二点下まで下げさせた』のかもしれない。自分のポイントを無駄に消費せず、かつDクラスの人間が抗っても払えないギリギリのラインを読んで……。
本当に、隙がない。
初めは独りでどうにかしようと思った。決して独り善がりのつもりではない。綾小路と浅川に付き纏われ何かを与えられることがなくとも、成し遂げられるものがあると示す、言わば自立の証明をしたかったのだ。
しかし、その結果は失敗だった。
「これ以上なければ、私は失礼する。放課後のHRで、退学者に通達させてもらうぞ」
無慈悲な宣告。
能面のような顔と抑揚のない声のまま、茶柱は去ろうとする。
やはり裏技には大きな代償が伴う。点数を買う分には、落ちこぼれに課せられたハンデは厳しすぎたのだ。
――――そう、買う分には。
「待った!」
力強いアルトボイスが、開放的な屋上に轟いた。
三人の視線が、一点に集中する。
その中で最も大人びた容姿をする彼女が、名前を呼んだ。
「そろそろ授業だぞ。それとも、お前まで無力な子猫を気取るか? ―――浅川」
「僕は風見鶏です、茶柱さん」
僕はゆっくりと茶柱さんの前へ歩を進める。
「話は聞かせてもらいました。あなたとの取引で退学を回避する」
「ああ、だがその努力は今水泡に帰したところだ。残念だったな」
「いいえ、まだ終わっていません」
諦めを推奨する彼女に首を横に振る。それを認めるつもりがないから、僕は今ここに立っている。
退学なんて冗談じゃない。もう先日までとは違うのだ。やっと歩む道を見据えることができたのに、踏みしめることなく降りるなんてできるわけがない。
自分のもとに降りかかった火の粉くらい、自分の手で振り払ってみせる。
「改めて確認します。点数とポイントは一対十五万で取引ができる、そういうことでいいですね?」
「その通りだ。お前の所持ポイントは0だがな」
煽るような一言を無視し、僕は――
反応が、二つに割れる。
「何のつもりだ? 人の話を聞いていなかったのか――」
「あなたの方こそ何を言っているんですか? 早く払ってくださいよ、ポイントを」
ふてぶてしく笑う僕とは対照的に、女性陣の顔が驚愕に染まる。
「清隆の点数を、十五万ポイントで売らせてもらいます」
平均点が79、つまりDクラス全員の点数の合計は人数の40をかけて3160点。ここで誰かが一点売った場合、合計点3159で平均は78.9点となる。つまり赤点は39点未満、先程鈴音たちが持ち掛けた取引に重ねれば僕は退学にならない。
茶柱さんは動揺をすぐに押し隠し、言葉を返す。
「馬鹿を言うな。そんなことが許されると思っているのか?」
「自分で言ったはずですよ、点数とポイントの取引は可能だと。つまりは売買どちらもできるということです」
彼女があの時認めたのは僕らが点数を買うことだけではない。売ることだって当然取引だ。
「それならあれか、お前の理屈を知った生徒たちは皆点数を売り飛ばせるとでも言うつもりか? うちは破産まっしぐらだぞ」
「誤魔化さないでください。取引は今回に限った話だったはずです。それに、五十点も動かされたんですよ? たった一点が許されないはずないじゃないですか」
一矢報いる、とは言えないものの、誰かさんのおかげで今回のみに限られている取引にはほとんど制限がないことが知れた。僕の行為が物言いをくらう道理はない。
「全て、あなたが堂々と言い放ったことですよ。教師らしく、潔く応じてください」
多少の屁理屈は混じっているが、説得力はあり反論は難しい。
それを理解している茶柱さんは、やっと頷いた。
「……わかった、点を買ってやろう。綾小路、異論はないな?」
「よろしくお願いします」
彼は即答した。僕が清隆の端末を最初から持っていたのは二人で予め意思疎通を行っていたからだ。因みに僕だけ遅れて登場したのは他意のない演出に過ぎない。清隆からは「こんな時にまで……」と微妙な顔をされてしまったが、勝算がある状況なのだし許して欲しい。結果的になかなか様になっていただろう?
「ただし、払うポイントは五万だ」
「どうしてですか?」
「売買が同じポイントで行われるわけがないだろう。質屋と同じ、売るより買う方がかかるものだ」
今回仲立ちとなっているのはテストの点数。それを商品と置き換えるなら、本来学校側が提供しているものだ。確かに理屈は通っている。素直に了承した。
胸がざわついてしまったのだろうか。茶柱さんは最後の一服をしてから、煙草の火を消した。
「本校始まって以来、Dクラスが上に勝ち進んだことは一度もない。それでもお前たちは足掻くつもりか?」
「二人は兎も角、私は絶対にAクラスへ昇りつめます。そして、この小さな
「不良品、そう見放されているお前たちにも、活路が用意されていると?」
「お言葉ですが」
清隆も茶柱さんの問いに答える。
「不良品には不良品なりな成長のしかたがあります。欠けているものを突き付けられ、自分を見つめ直し改良を重ねる。そうすることで変わるものは確かにあると、オレは信じています」
「今のお前たちのように、か」
「……はい」
一連の問答に満足したようで、彼女はあくどく笑い空を仰ぐ。
「なら、楽しみにしようじゃないか。――担任として、な」
そう言って遠い目をする彼女。既に瞳の正体は知っていた。
何かを、懐かしんでいる――。
「授業は始まっている。いいか? お前たちとは進路相談をしていた。正当性のある遅刻でクラスポイントのことは心配しなくていい」
「早く行け」、そう促されるまま、僕らは階段を下りて行った。
その間――「恭介」
「ん?」
「心当たりはないのか? お前の退学を望む
ふむ、フィクサーか。言い得て妙だ、今後はそう呼ぶのがいいかもしれない。
「全く。思いもよらない強敵出現ってところだね」
「あと一歩で、本当に手遅れになっていたな」
僕は頷いた。
正攻法以外でポイントを稼ぐ手段を利用したと仮定すると、一つだけ問題が生じる。悪足掻きの許される『赤点の二点下』という条件だ。
本人に敢えてそうする理由は思い浮かばない。自然なのは別の要因の存在、すなわち「せざるを得なかった」という答えだ。
ポイントの動きは常に学校側に見張られている。急激な変動は何かしらの不正を疑われてしまうはずだ。恐らく監視の目を掻い潜れる程度に抑える制限が設けられているのだろう。社会と照らし合わせても、摘発されずにグレーな範囲で活動しようとするのは当然の発想。故にそこまで贅沢ができる程のポイントを蓄えることはできなかった。今回はその事情にからがら助けられたというわけだ。
しかしこれは、単なる問題の先延ばしにしかならない。
今後もクラス対抗戦に紛れて退学の懸かる試練が訪れるかもしれない。そうなった時、同じような危機を避けるのはやはり難しい。困ったものだ。
僕には二つ選択肢がある。一つはこのまま後手後手に回り防衛に徹すること。
そしてもう一つは、
この学校で希望を抱き続けると決めた今、そこから引き剝がそうとする侵略者が存在するなら戦うしかない。
「……清隆」
「どうした?」
「さっき君が言ってたことについてなんだけど」
「さっきの?」彼は僕の方を見るが、僕は目を合わせなかった。
でないと、喉まで出かかっている問いが引っ込んでしまいそうだった。
「『不良品も改良を重ねて優れていく』、本気で思っているか?」
「……何とも言えないな。ただ、そうだといいなと思う」
「……そっか、僕も同じ気持ちだよ」
努めて穏やかにそう言った。
本心だった。欠陥品とも呼ばれるそれは、何かが足りないから不良なのであって、それを埋めることができれば当然優良に変貌する。
清隆も、鈴音も、みんな平等にその権利が与えられている。
しかし、それならばと、僕の中には別の疑問が生まれた。
「……」
不良品が優良品に変われるとして――
贋作は、どうすれば真作になれるのだろう。
どこまでやる?
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船上試験&原作4.5巻分
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体育祭(ここまでの構想は概ねできてる)
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ペーパーシャッフル
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クリスマス(原作7.5巻分)
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混合合宿or一之瀬潰し
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クラス内投票
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選抜種目試験~一年生編完結