アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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「人間だけが神を持つ。今を超える力、可能性という名の内なる神を。
 ――恐れるな。信じろ。自分の中の可能性を。信じて、力を尽くせば、道は自ずと拓ける。
 為すべきと思ったことを、為せ」
(『機動戦士ガンダムUC』カーディアス・ビスト)



カーテンコール

 ケヤキモールの一角。大盛況という程でもなければ、閑古鳥が鳴くわけでもない、平凡な賑わいを見せる店内。

 僕らは各々の皿に自由に料理を取り分けていた。

 

「これが、バイキング……‼」

「バイキングは初めて?」

「ひ、平田、これ全部、好きなだけ取っていいんだよな?」

「そうだよ」

「よし、たらふく食べるぞ恭介」

「モチのロンよ!」

 

 平田の温かい目に見守られながら、両手に添えた二枚の皿一杯に彩りを盛り付けていく。

 

「そ、そんなに食べられる……?」

 

 沖谷の引き気味な問いに勢いよく頷くと「最初もあれだけ取ってたのに……」と嘆きが返ってくる。合点いかん。

 初めて来てみたが、いいものだな、バイキング。どれだけ食っても金額が変わらないとは。清隆でさえ心なしか一挙一動に元気を感じる。

 席に着き一目散に食にがっつくと、平田は極めて穏やかに声を掛ける。

 

「お疲れ様、浅川君、綾小路君」

「おふはへー」

「飲み込んでから喋りなよ……」

 

 今日ばかりは許してくれ。でなきゃこの店を出るまで真面に会話ができなくなる。

 

「須藤君たちの勉強、堀北さんだけじゃなくて二人の頑張りもあったって聞いてるよ」

「大したことはしてないさあ。やれることをやっただけ。――これもーらい」

「あ、おい! ……ああ。一番の功労者は鈴音、そしてあいつらを集めてくれた櫛田の功績も大きいことに変わりはない」

「そんなことないよ。僕じゃ彼らと歩み寄ることさえまだできてないんだ。君たちはそんな僕より余程貢献してくれていたと思う」

「平田、そのポテサラもらっていい?」

「自分で取りに行けばいいんじゃないかな」

 

 そう冷たいこと言うなって。時間がもったいないんだよ。

 平田も誉め上手なものだ。僕らが否定できない事実だけを語ってくる。純粋な感謝を抱いているのだろうし、素直に受け取っておくのが吉だな。

 

「ありがと。でも君だって、大勢を率いて勉強会を成功させたんだろう? 立派なリーダーシップじゃないかあ」

「どう、だろうね。みんなの協力があったから乗り越えられただけだよ」

「そういうところが、お前が慕われる所以なんだろうな」

 

 照れくさそうにする平田。すると沖谷も会話に混ざる。

 

「二人共凄かったんだよ、平田君。教えるのがとても上手で、浅川君なんてとんでもない音響かせてたんだから」

「へえ、やっぱり思ったとお――え、音?」

「ホームラン間違いなしなスイングだったよな」

「スイング……?」

「ちょーっと殴るだけで可愛い声出しちゃうんだもん。虐めたくなってしまうのも仕方ないね」

「……僕、何だか予想外の不安に駆られたよ」

 

 どうして怯えているんだ? おかげで彼らは従順かつ情熱的に取り組んでくれたというのに、合点いかん。

 それからは入学直後のこと、五月初めのことなど、何てことの無い思い出話が繰り出され、巡り巡って過去問の話になった。

 

「気付くべきだったよ。確かに小テストにはとても解けないような問題が出てた。その時点で正攻法以外の道は示唆されていたんだね」

「あれは鈴音が鋭かっただけだと思うけどな。普通それで過去問が鍵だなんて発想には辿りつかないだろう」

 

 清隆が相槌を打つと、平田は何やら難しい顔になった。

 

「……ねえ、やっぱり、過去問は堀北さんだけで生まれた策じゃ……君たちの言葉あってのものだったんじゃないかな」

「そんなことはないぞ」「まあそうだなあ」

「え?」

「え?」

 

 躊躇いなく正直に答えると、何故か誤魔化そうとした清隆と声が重なった。

 彼と、そして沖谷がそれぞれ驚愕の表情を見せる。

 

「そうだったの!?」

「言っちゃうのか」

「あれ、駄目だったっけ?」

「い、いや、うーん。平田になら別にいいが」

 

 ガヤガヤとやり取りしている間にも、平田は真面目腐った顔で話を続ける。

 

「やっぱりそうだったんだね。言って良かったのかい?」

「他には絶対に打ち明けないって約束してくれればね。君のリーダーとしての責任感と、人の懇願に耳を傾けてくれる人徳さを見込んでのことだから」

「……うん、わかった。約束するよ」

 

 中でも一番明かしたくない相手は鈴音と櫛田だ。鈴音には僕らのスタンスがバレない方が都合がいいし、櫛田は来るべき時まであまり尻尾を見せるべきではない。

 平田ならきっと大丈夫だろう。少々人を信じやすい癖があるが、裏を返せばそれだけ人を裏切る行動を嫌うということだ。ここまで律儀に頼み込めば、固く口を閉ざしてくれる。

 

「あ、あの、僕もいるんだけど……」

「沖谷はー、なあ?」

「大丈夫だろう」

「え、何その反応」

 

 沖谷も平田と同じく簡単に口を割りそうにないし、一度隠したことについて咎めるやつでもない。現に彼は今も戸惑うばかりでとやかく言ってこない。健や池らと偉い違いだ。

 

「そうか、じゃあ尚更頭が上がらないよ。君たちがいなかったら、Dクラスはいよいよ本当に絶体絶命だったわけだ」

「あくまでダメ押しだっただけだろう。お前たちの努力だけでもきっと事足りたさ」

「…………いや、そんなことない」

 

 珍しく、後ろ向きで弱々しい返事だった。茶柱さんに堂々と退学者は出ないと啖呵を切った少年とは思えない。

 

「きっと、かなり危険な状態だったんだ。須藤君たちは勿論、その次に赤点の可能性を含んでいた人たちも、下手したら……」

「平田君……?」

「テスト範囲の変更だって、浅川君が他クラスから情報を得たから何とか対応が間に合った。それがなかったら、絶望的な結果に……」

 

 その表情を見るに、ずっと気にしていたことだったようだ。

 教室では決して見せない、ただの一人の少年の等身大(本音)が、露わになっている。

 

「僕の力だけじゃ、この試練は乗り越えようが……」

「平田」

 

 しかし、それではいけない。

 僕の強い呼びかけに、平田は我に還り顔を上げる。

 

「君はさ、リーダーの最大の特長は何だと思う?」

「え? そ、それは……」

 

 急な質問に窮してしまう彼だが、答えは至ってシンプルだ。

 

「かっこいい、だよ」

「え……」

「君が過去問をみんなに配って演説する姿、なかなか様になっていたぜ。あの時のみんなの君を見る目は、確かに君を慕っているものだった」

 

 ナポレオン、と僕は称した。多少の皮肉も混ぜてはいるが、仲間から絶大な支持を得ているというのもまた事実だ。

 

「リーダーは色んなものを背負わなきゃいけないと思いがちだ。故にリーダーたるのかもしれないけど、何もそこまで多くを任される必要はない。一番求められるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()力だ」

「みんなが、自分を……?」

「細かいところは任せなよ。君の目が届かないところがあるのは百も承知、だから仲間が必要なんだ」

 

 軽く肩をポンと叩く。

 

「思い上がるなよ、平田。君は望んだかどうかに関係なく、既にDクラスのリーダーだ。そして君は、その役目を確かに全うした。それ以上なんてありはしない」

 

 喧騒に紛れて、僕は優しく宥めた。

 

「ありがとう、お疲れ様」

 

 彼は呆然と僕を見つめ返した後、顔を背け俯いた。

 

「…………そ、っか。うん、そう、だね。ごめんよ、浅川君」

「君には散々気に掛けてもらったんだ。慰めくらいはね」

 

 そう、これは些細な恩返しでもある。色々――本当に色々あったが、彼はその最中何度も電話で進捗を聞いてくれた。テストの点数自体に不安はなかったものの、彼の温かさを感じた身として、何も思わないわけにはいかなかった。

 

「不思議だね。君たちといると、何だか自然体でいられるような気がする」

「やっぱりクラスでは、無理をしているのか?」

「無理という程ではないけど、僕は別に、本来リーダーに向いている人間じゃないから」

「それでも君はなった。その責任は果たさないとね」

「うん、勿論だよ。任せて」

 

 膨れていた憑き物が落ちたように、清々しい顔をしている。今のところはこれで大丈夫だろう。また何かあれば、きっと相談してくれるはずだ。

 彼の心を、聞けたのだから。

 だから、彼が表情を隠す直前に見せた潤んだ瞳は、気のせいということにしておこう。

 平田は次に沖谷の方を見る。

 

「沖谷君、ごめんね。らしくないとこ見せちゃって」

「ううん。何て言うか、その、平田君も僕たちみたいに不安があったんだって安心したよ」

 

「あはは」少し照れくさそうに、彼は笑う。

 

「――よーししけた話はここまでだ。料理が冷めない内に食べまくるぞー!」

「バイキングなら出来立てもすぐきそうだが」

「平田も沖谷も、最近のストレスをここで全部帳消しにしようじゃないかあ」

「そうだね。折角の会食なんだ。とこたん楽しむよ」

「浅川君ほどは食べられないよぉ……」

 

 たった四人の慰労会、各々羽を伸ばし過ぎていく。

 新たに少年との思い出が、また一つできた。

 

 

 

 

 夜、僕らは鈴音を呼び昨日のように三人で過ごしていた。

 

「……やっと独りになれると思っていたのだけど」

「まあまあ、この面子で団欒することは暫くなかっただろう?」

 

 食卓の上にはいつしかのように手製の料理が並んでいる。隅に置かれたパック詰めの山菜が余計に悲壮感の塊に思えてきた。

 今回は料理大会ではない。三人で分担し一緒に作った。おかげで若干多めになってしまったが、今日は腹の調子がすこぶる良い。問題なく完食できるはずだ。

 味噌汁を啜り、彼女はふくれっ面で言う。

 

「それはそうだけど、頻繁にあなたたちの顔を見ても嬉しくなんかないわ」

「頻繁じゃなきゃいいのか?」

「……! あ、揚げ足取りはやめてもらえる?」

 

 清隆の素朴な疑問にあからさまに動転している。少なくとも彼女の場合、こうやって態々時間を共有している相手にそんな悪感情を抱くことはまずない。

 

「いやあ、よろしくするつもりがなかった頃がひどく懐かしく感じるよ」

「人付き合いをするメリットがあると考えを改めただけよ」

「いずれにせよ大きな変化だと思うぞ。今のお前の方が、話しやすいし楽しいからな」

「…………そう」

 

 乱暴にたくあんを口に入れる。慣れない感情なのか、ほんのり顔が赤くなっているようにも見える。

 

「君にはお礼も言っとかないとと思ってね。ありがとう。健を、みんなを助けてくれて」

「……言ったでしょう。私は、」

「すべきと思ったことをしただけ。と言うなら、オレたちもこっちの都合で感謝しているんだ。それを伝えることに間違いはないだろう?」

「っ、調子狂うわね」

 

 こうして可愛い反応も示すようになった。晴れて僕が期待した通りになったわけだ。清隆もそのことを覚えているのか、僕と目が合い表情を緩める。

 ……うん、今が丁度いい頃合いだろう。

 

「実はさ、鈴音、そんな君に僕らから渡したいものがあるんだ」

 

「え?」予想していなかった流れに、鈴音は更に動揺する。

 清隆は部屋の隅に置いてあった袋から、ある物を取り出した。

 それをさっと彼女の前に差し出す。

 

「これ……」

「お前には無理をさせてしまうこともあったからな。せめてこれで、一人の時間を楽に過ごしてくれ」

 

 呆然としたまま鈴音が受け取ったのは、アロマ加湿器だ。平田と沖谷との慰労会の後、ストリートに寄って買ったのだ。

 

「あ、あなたたち、ポイントを使って、こんなものを……?」

「お前じゃ散財だとか言って渋るだろう?」

「それに、僕らからの日頃の気持ちってところかなあ。良ければ愛用しておくれよ」

 

 半ば放心状態でプレゼントを眺める鈴音。その仰天振りからして、もしかしたらこういう経験は初めてだったのかもしれない。

 やがて、彼女は大事そうにそれを抱え、そして――

 

「ありがとう、綾小路君、浅川君」

 

 今度は僕と清隆が言葉を失う番だった。

 

「……」

「…………あ、あの、二人共?」

「…………」

「だ、黙ってないで、何か言いなさいよ」

 

 彼女の声とその後の沈黙で、僕らはようやく正気に戻った。

 

「……なあ、清隆」

「……ああ、オレも初めて見た」

「な、何よ。何なのよ」

 

 僕らが驚いたのは、彼女の言葉ではない。最近の様子を考えればもう大して狼狽えるようなことではないだろう。

 僕らがここまで無口――いや、感動してしまったのは、表情だ。

 

「最高な笑顔だったよ、鈴音」

「は?」

「お前、とんだ隠し玉を秘めていたんだな」

「……わけがわからないわ」

 

 あれを自覚無しにやってのけたと言うのか。恐るべし。例の本を参考にした結果というわけか。

 

「全く……早く食事に戻りましょう。冷めてしまうわ」

 

 隠すつもりもないらしく、彼女は露骨に話を打ち切り箸を持つ。

 

「そうだな。いいものも見れたし」

「あなたねえ……」

「一層美味しくいただけそうだなあ」

「少しは黙って食事をしなさいよ。…………ゴフッ!」

 

 誤魔化すように雑に唐揚げを頬張ると急にむせ始めた。見た目に反して一番動揺しているのは他でもない鈴音自身のようだ。

 背中をさする清隆に礼を述べる鈴音。その様子を微笑まし気に眺める。

 ……ああ、あの頃も、こんな風に出来たらな。

 相好を崩したまま、唐揚げを一つ丸ごと口に入れる。

 

「ゴフッ! ご、オッフェオッフ!」

「お、お前もか!?」

「あ、綾小路君、コホッ、私はいいから、浅川君のほ、っ、浅川君の方をお願い」

「……今度はちゃんと一口サイズで作ろうな」

 

 どうしても上手く締まらない、妙に慌ただしい夕飯だ。しかしこんな状況でも、やはり愉快だと浮かれる自分がいる。

 かつて渇望し最後まで手に入れられなかったもの。それが諦めた後になって近い形で実現しようとしているなど、皮肉な話だ。

 戻れない過去に思いを馳せながらも、確かに今ある空間を噛み締める。

 涙目になっているのは、きっと気管支が苦しいからだろう。

 

 

 

 鈴音が去った後、清隆と余韻に浸っていた。

 

「今日は一日一緒だったな」

「そうだね。久しぶりだったけど、楽しかったよ」

「ああ、オレもだ」

 

 悦に浸る僕らが飲んでいるのはワイン、ではなく当然水だ。何とも恰好がつかない。

 

「君と出会って二か月――二か月かあ」

「とてもそんな短さとは思えない、か?」

「君も同じだろう?」

「――まあな」

 

 無音の室内は、かえって互いの存在を実感させる。

 

「鈴音があんな風に笑うとは思ってもみなかったが、君もけっこう変わったよなあ」

「そうか?」

「ああ、良く笑うようになったと思うよ。あと、楽しそうな顔も増えた」

「………なら、良かった」

 

 短い言葉だったが、どこか含みを感じる。

 彼もまた、何かを望んでいる。それに近づいたことが嬉しいのだろう。

 ……僕は彼のことを今もまだよく知らない。きっと何か事情があるのだと割り切っているが、ここまで続いた仲だ。知りたい、と、密かに願ってしまうのも無理はないか。

 そう思った矢先、突然彼は口を開いた。

 

「――オレはな、恭介。オレは、自由な鳥になりたかったんだ」

「鳥?」

 

 僕の考えていることを読み取ったのだろうか。彼は遠い目をしながら語り始める。

 

「ここに入る前、オレは後先なんて考えてなかった。考える余裕なんてなかった。ただ、大空へ飛び出してみたかっただけだったんだ」

「……」

「だから初め――お前と握手を交わした時、その温かさに驚いた。お前だけじゃない、鈴音や櫛田、須藤や沖谷たちと出会って、飛び出した大空は想像もつかないほど澄んでいるのだと信じ始めていた」

 

「だけど」と続ける彼は寂しそうだった。

 

「決して、澄み切ってはいなかった」

 

 落胆。憧れていたものが期待と反していたことを知れば、誰だってその感情に行きつく。

 憧れは憧れのまま、そう言い聞かせてしまう人を憐れには思うまい。

 

「オレは本当に、何も知らない。一体何が普通なのか。オレ自身のことも――どうしてあの時お前に声を掛けなかったのか。どうしてあの時鈴音を引き留めたのか。どうして、苦しいという感覚がココに残っていたのか」

「……君は、」

「恭介、お前ならわかるのか?」

 

 まさしく迷子の子猫。自由であるはずなのに、その自由に振り回され戸惑うことしかできない。今彼の瞳は、小刻みに震えている。

 そんな彼に、僕は即答した。

 

「知らん」

「え……知らんって、今のは教えてくれる流れだったろう」

 

 無慈悲にも否定する。彼は肩透かしを食らっているようだが、至って真面目な回答だ。

 何故ならそれは、僕にも確かではないことなのだから。

 

「そんな簡単にわかるものじゃないんだ。僕も、自分のことさえわからなくなる時があるよ。大体他人に教えられるまで理解できているなら苦しくならないし、間違えない。喜怒哀楽、期待と不安、愛憎なんて歪んだものまであるのが感情だ。そこに畏怖を抱くのは知らないからで、知らないと思うのは輪郭を掴めないからだ」

 

 諭すような物言いを、彼は黙って聞いている。

 

「君は、空の穢れを知って哀しかったかい?」

「……ああ」

「でもね、僕からすれば、それは寧ろ幸せなことだと思うよ」

「幸せ、だと?」

 

 要領を得ない彼に頷く。

 彼は、自分を鳥だと言った。空に羽ばたいたばかりの雛鳥だと。

 だから、

 

「雲の一つでもなきゃ、僕らはすぐに迷子になってしまうよ」

「――! そう、か。そうだな。忘れていた。一面の青空は、不安をあおるだけだ」

 

 何かに納得するように呟く。彼の身近にいる、情緒を揺さぶる存在――鈴音ではない、恐らく櫛田との間に心当たりが過ったのだろう。

 

「物事は決して平面ではない。僕もつい最近、それを思い知ったばかりだ」

「お前も?」

「ああ。前に『夜』の話をしたの、覚えてる?」

 

 黙して肯定するのを確認して続ける。

 

「実はね、あの日まで僕は別の考えを持っていたんだ」

「……」

「夜は真実を照らす。だけど考えてもごらんよ。昼間は太陽なんて壮大な灯が地球を包んでくれるのに、渺茫な宇宙(そら)は真っ黒だ。海は日光の反射ありきな群青で、底まで沈めば三センチ先も見えなくなる。全て、この時間帯になれば地上で味わえる真実だ」

 

 そう言って僕は窓の外を見る。当然、世界は暗かった。

 

「何の光もなければ、全て黒に還る。真っ黒だ。それが真実だなんて、とても寂しいことだよ」

「でも、今は違う……」

 

 優美な星々を眺めながら、冷めたような、穏やかな顔をつくる。

 

「光がなければ人は生きていけない。でもそれは、光さえあれば人は生きていけるということだ。僕らは恒久的に光を浴びている。そう思うと、人生が途端にロマンチックなものに見えてこない?」

 

『あの日』も、こうしていた。

 自分が初めてその機微に触れた、運命の起点。

 恐らく自分の情緒は、あの時大きな捻れを生んだんだ。それが巡り巡って心を嬲り、一度前を向くまでの軌跡を決定づけた。

 そして、かつて確かにあった希望を思い出せたから、僕は今こうして清隆と鈴音と足を並べている。

 自分の本質など、とうに関係ない。今更な話だ。

 かけがえのない『約束』がある限り、僕はロマンチストで在り続ける。

 それが僕だ。

 浅川恭介なんだ。

 

「何度も傷ついて、立ち直って、また転んですりむいて、それでも立ち上がる。自分の中の矛盾に、正々堂々抗うんだ」

「矛盾に、抗う……オレは、どうすれば抗える? どうすればたどり着ける?」

「清隆……」

 

 表情に影を落とす彼に、その弱さに同調する。

 いくら悲しもうと、彼は自分の見出した道理を否定することはできない。何故なら彼は、いつだって正しいから。

 知る必要のないことまで知れてしまうのは、やはり不幸でしかない。

 

「断言する。君の予測を超えるものは、この先も現れることはない。君の渇きを満たすものは永劫訪れない。そう遠くない内にそれを悟ることになるだろう」

「……っ」

「でもそれは、あくまで現れないというだけの話だ。転がっていない可能性は、自ら創造することができる」

 

 それでもなお光を求めるというのなら。抗い続けるというのなら。

 唯一残される希望は、自分の中にあるのだろう。

 それを信じているから、僕は彼に諭すのだ。

 

「清隆、()()()()()()()()()

「救う……?」

 

 深く頷いた。

 

「君にとって善悪の違いなどあってないようなものかもしれないが……その方が、きっと素敵だ」

 

 この際どうして君がそれ程の才能を持っているのか、今はまだ知れなくても構わない。だが、ただ一つだけ言える。

 人の叡智の賜物と言うのであれば、害するものであってはならない。

 持つ者として、持たざる者を救って見せろ。 

 

「何故だ? 何故、そう言い切れる」

「敏い君のことだ、既に気付いているんだろう?」

 

 僕はここで、決定的な『真理』を告げる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 清隆は再び唸るように歯噛みする。非凡な才覚を持つ彼にはよくわかっているはずだ。普通との差異を、嫌でも感じている。

 僕で言う最近の例は有栖かもしれない。なまじ知り合ってしまったが故に、互いの決裂を直感した。交わることがないと理解してしまった。

 過去にはそれで、究極的な矛盾をきたしてしまったことがあった。

 

「ならオレたちは、いつかはすれ違ってしまうのか? それは避けようのない必然だと……?」

「……自分は」

 

 深淵に迫る質問に、僕は秘めていた思いと共に応えた。

 

「自分は信じたいんだ。人はそれでも、解り合うことができるって。心の距離がなくなっても、受け入れることができるんだって」

「恭介……」

「僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この隔絶された新天地で、確信したい。

 あの幼気な理想は、やはり間違いではなかったのだと。

 あの日自分は、やはり間違えてしまったのだと。

 この学校を希望した理由――。

 一度は諦めかけた、かつて先生に語った目的だ。

 

「君が動くんだ。君が変えろ。そうして生まれる何かが、きっと――」

「きっと、青い鳥を呼び寄せる……」

 

 そっと、彼の手を握る。

 あの時とは逆だ。

 

「君は何も知らないと言ったね。一体何が幸せか。君の中に芽生えたものが何なのか。それは目に見えないものだ。だから――()()()()()()()()

「名前、か」

「君は知識として色んな名前を知っているはずだ。まずは当てはめてみろ。それでズレを感じたのなら手直しして、納得できるまで追究しろ。心っていうのは、答えが用意されているものなんかじゃない。求める中で生まれ、変わっていくものなんだ。だから考え続けろ。たった一度できなかったからって諦めちゃいけない、それが当たり前なんだ。一朝一夕でたどり着くどころか遠のいてしまうから、何時まで経っても他人や自分を知ろうとすることをやめられない。―――綾小路清隆。『ク=セ=ジュ(君は何を知る)?』、だよ」

 

 独り善がり上等だ。自問自答を繰り返せ。そうして何かを思う(識る)度に、一つずつ間違わないようになるはずだ。

 

「…………わかった」

 

 暫し間を置いて、彼ははっきりと答えた。

 もう揺れはない。意思を固めた、真っ直ぐな目だった。

 

「オレも、信じてみるよ。オレが信じたいと、思ったものを」

 

 僕はただ微笑むだけだ。それだけで、十分だと思った。清隆もふっと表情を緩め、口角を上げる。

 大丈夫だよ、清隆。大丈夫。

 僕も、君という初めての親友ができたからこそ、今の自分になれたから。

 もしも全知全能な存在――すなわち『神』がいるのだとすれば。今の僕にとって、それは君のことなんだろうな。

 嗚呼、憐れな私のアンデルセン――。

 巣食う『悪魔』は、いつまで私を呪うのだろう。永劫だと言うのであれば一向に構わない。こうして絶えず滑稽なワルツを踊り続けよう。

 雌雄の意味を具える『親指姫』は、きっと何者にもなれる百面相だ。

 だから、君が僕と対等であることを望むなら、僕も君と対等な自分に成り代わろう。例え自分が、本来君らの足元にも及ばない存在だったとしても、それくらいなら朝飯前だ。

 この物語にはもう主人公はいない。既に、バッドエンドは終えてしまった。

 だけど、ここには僕と、そして君がいる。

 それだけで価値のある、最高の後日談になる気がするんだ。

 こうして幕を開けた、小さな箱庭で繰り広げられる大いなる冒険譚――。

 これは、僕らが互いを見つけるまでの、長い旅の物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひっそりと、影。

 誰にも悟られることなく、少年少女たちの住まう岳の峰にそびえ立つ。

 

「あっはは」

 

 嗤う。

 喜びも、悲しみも、怒りもない。

 平坦な音は、寂れた楽器よりも冷たかった。

 

「また繰り返すんだね。変わらないな、君は」

 

 闇に浮かぶ遠き魔都を眺め、そう呟く。

 

「そんな君だから、僕は好きで好きでたまらないんだ」

 

 唯一その影に実体を強調させる白い髪は、彼と対照的なのにも関わらず、同じように妖しい。

 

「君と僕となら、きっと幸せになれる。だから手始めにこうするよ」

 

 強く吹き荒れる風にさえ微動だにせず、ただ伸びた髪を揺らす。

 

「会える時が楽しみだね。――――浅川君」

 

 隠れた瞳が、青く光った。

 




いやー長かった。ようやく二章『親指姫のワルツ』完結です。お付き合いありがとうございました。tipsの更新もありますが、勿論幕間やら三章やらを優先するつもりです。
実は色々悩みどころがあって、体育祭までで話を一区切りつけて第一部完→亀更新で第二部、とするか不定期更新覚悟で一年生編の終わりまで区切りを付けないかでまず迷っています。前者にすると第一部でオリ主の因縁がほとんど解消されることになります。おまけにそれによって新キャラの介入具合にも変化が生じてしまうため三章も細かいプロットが出来上がっていない始末……。
もしかしたらtips、あるいは完全オリジナルの番外編に逃げたりするかもしれませんが、これからも首を長くして待っていてくださると嬉しいです。

次章・マッチ売りは灼熱を知らない


どこまでやる?

  • 船上試験&原作4.5巻分
  • 体育祭(ここまでの構想は概ねできてる)
  • ペーパーシャッフル
  • クリスマス(原作7.5巻分)
  • 混合合宿or一之瀬潰し
  • クラス内投票
  • 選抜種目試験~一年生編完結
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