ゴールデンウィークを終え五月も二週目に突入、その半ばのこと。僕はようやく浅川君とコンタクトを取る時間を作ることができた。
というのも、夜の僅かな時間で無理矢理通話させてもらっただけなのだけど……。
結果として、やはり予想通り彼は本気で0点を取ったわけではないらしい。最初は是が非でも退学者を出したくないと焦ってしまったが、杞憂だったようで安心した。
ただ、学力が今一つであるのは本当なようで、その点は今後を考えると少し心配だ。堀北さんの勉強会には参加しないそうだから、せめて僕がこまめに面倒を見た方がいいかもしれない。
「――それでさ、って平田君聞いてる?」
「え? ええと、ごめん。佐藤さんと篠原さんのことだっけ」
「違うよそれは二つ前。珍しいね、考え事?」
こう言っては何だけど、軽井沢さんは周りから思われているよりは周囲に気を向けられる人だ。事情を知っているからかもしれないけど、繊細な部分があるのはこれまでのやり取りでわかっている。
別に隠さなきゃいけないことでもないし、言ってもいいかな。
僕は浅川君とのことについて軽井沢さんに打ち明けた。
「ふーん。平田君、最近何かと浅川君のこと気に掛けてるよね。あと綾小路君」
「そう、かな」
言われてみれば、そんな気がしなくもない。
「クラスのリーダーって、やっぱり大変?」
「でも、望んでやっていることだから」
「……そっか。まあそれで私も助けられてるんだし、ありがとね」
僕らの関係を、クラスメイトはどう思っているのだろう。やはり歪なものに見えてしまっているだろうか。鋭い人なら既に、あるいはもう少し経てば察してしまうかもしれない。
みんなを取り持つ役割を担うことが多いくせに、一人の女子に偏るような行為をする矛盾。櫛田さんが調停者としての働きを幾分か果たしてくれていなかったら、もっと厳しいことになっていただろうな。
「…………いいよ、平田君」
「え?」
「私に使ってる時間、浅川君に割いてもらってもいいよ」
驚きの発言だった。この関係は軽井沢さん自身を守るためのものであるはずなのに、彼女の方からそんなことを打診してくるとは。
「この前聞いちゃったの。0点を取った浅川君が一番の落ちこぼれだとか、クラスポイントが0なのはアイツのせいだとか。挙句には女っぽい見た目していてダサいなんて言ってる人もいて……それって何かもう、ただの悪口じゃん? まるで――虐めみたい」
「……」
ちょうどSシステムのことが明かされ、退学まで仄めかされたことでみんなピリピリしている。責任転嫁の矛先を無意識に求めてしまっている生徒や学力至上主義の生徒からは、恰好の生贄だったのだろう。僕は軽井沢さんの言う程の陰口は聞いたことがないけれど、男子以上に女子がそういう不満を人知れず零していてもおかしくはない。
なるほど、どうりで軽井沢さんが突拍子も無いことを言い出したわけだ。
「本当にいいの?」
「だ、だって、ここまで知って放置してたら私も同類になっちゃうじゃん……」
難しい顔でそう語っているであろう軽井沢さんに、どことなく違和感を覚える。
確かに彼女は「気付ける」人間だ。でも、そこから何かを実行するのかというと、少なくとも全く接点のない浅川君に対しては否であるはずだ。
要は自分が害を被らなければいい。そこに異常に拘ったからこそこの『偽物』の関係を作るにまで至ったわけなのだ。
一体何がいつ、そこまで軽井沢さんの同情を誘ったのだろう――。
……真偽はわからないけど、こうして軽井沢さんから許可が下りたことだし。お言葉に甘えてもう少し彼と関わることにしよう。そう気概を持つことにした。
「……懲りないね、君も」
「嫌だったらやめるよ?」
「ズルいなー」
それから数日というもの、何とか時間を見つけては浅川君とコンスタントに連絡を取り続けた。帰宅後すぐという時もあれば、前のように夜遅くになってしまうこともあったが、浅川君は気が進まないような態度を取りながらも毎度応じてくれた。
「調子はどう?」
「あっはは、やっぱこれからの社会を考えるのならと思ってね。最近は情報技術の勉強に明け暮れているよ」
「え、必修科目の方は?」
「それも勿論取り組んでるけどね。ただ、自分の趣味は疎かにしたくないから」
趣味か。僕にとってのサッカーのようなものなのかもしれない。蓋しこの学校や今の自分の立場上、気分転換という側面が色濃くなっている。
「大丈夫、なのかな?」
「うーん、五分五分?」
「本当に、困った時はいつでも声をかけてほしい。連絡先もわかっているんだし」
「いやー申し訳ないって」
「でも――」
「うちのクラスで一番負荷がかかってるのは君だろう」
勉強については、ずっとこんな調子だった。自信がないと言っては一人で頑張るの一点張り。二言目にはこちらを気遣っているという理由で、そう言われてしまっては僕も無理に干渉し辛い。
「君もよく頑張るよなー。あんな惨状を束ねようだなんて、余程の決心でもなきゃ思わないよ」
「でも、誰かがやらないと」
「誰かが……うん、そうだね。だから凄いんだよ」
「え?」
「僕も苦手なことだからさ。本当は得意でなきゃいけないんだけど」
隣の芝は青い、ということなのかな。少し遠回しな言い方な気もするけど。
「何かあるのかい? 君がそんなことをする理由でも」
思わず言葉に詰まってしまう。もちろんある。僕が自己を刷新してまで今の立場にいる、そのきっかけとなるつまらない過去が。
でも、やはり軽々と打ち明ける勇気は……
「ま、いいさー。答えたくなかったら」
「浅川君……」
「君は偉い! 君は凄い! 今はそれだけわかっていれば十分さー」
気を、遣わせちゃったかな。
小さな罪悪感を覚えていると、次の言葉に目を剥いた。
「ここでは、ゆっくりしてくれればいい」
人気者とか、クラスのリーダーとか、そういうものを一切挟まない。ただの僕自身に向けられた優しさに感じた。
「なんで……」
「うちのクラスを引っ張って気疲れしないわけがない。僕は君にお疲れ様を、君は僕に愚痴を零す。それで少しでも、君の心は軽くなるんじゃないかな。まぁ相手は所詮1点を取る頭もない木偶の坊だけど、だからこそこれくらいはね」
何となく、綾小路君と堀北さんがこの人と関わり続ける理由がわかったような気がする。特に堀北さんが、他の生徒と違い浅川君を突き放さない理由。
浅川君は、二人がほんの少し足りないと思っているものを、持っているのかもしれない。
感情移入という、たったそれだけのことを。
そしてそれだけのことに詰まっている大きな意味を、二人はこの少年から知ったのだろう。
「…………あはは、嫌嫌やっているつもりはないけど、そうだね。二人だけの時は、ちょっと肩の力は抜こうかな」
「うむ、いつでもこの老いぼれに相談しなさい」
元々は、僕が浅川君の面倒を見るつもりだったんだけどな。
こうして僕と浅川君の関係が少しだけ変わった翌日。浅川君は電話に出なかった。
更にその翌日、僕は彼の圧倒的な変化を知る。
「堀北さんの勉強会に入る?」
「やっぱりこのままじゃ不安だと思ってね。最近少しずつ伸びてきた自覚があったし、期待しといてよ」
あんなにも頑なに独学を貫いていた彼の掌返しに違和感はあるものの、嘘というのはあり得ないだろうし、素直に喜ばしい変化と受け取っておくことにした。
加えて、堀北さんと綾小路君とも情報共有を行ったらしい。「謙虚過ぎだって怒られちまったぜ」と苦笑いしていた。どうやら須藤君たち三人への教師役が出来る程度には学力があったようだ。
良かった、これならいよいよ、退学者を出すことなく試験を終えられるかもしれない。
「じゃあもう心配は要らない感じかな」
「ああ、高得点間違いなし!」
元来の穏やかさに加え、今日はやたら調子が高い。もしかして、何かきっかけでもあったのかな。
「ありがとなー、今まで散々気に掛けてくれて」
「……ううん、気にしないで。これでもう、この電話を繰り返す理由もなくなったね。堀北さんならきっと、浅川君を助けられる」
感謝に返した言葉が、何故か少し詰まってしまった。
「…………そうだな。この時間は、僕が大丈夫になるためだけに繰り返してたんだから」
「――うん、遅い時間に邪魔しちゃうのも忍びないと思っていたし」
打つ相槌は本心のつもりだ。特に言葉を選ばず、クラスのリーダーとして――。
「あっはは、そうなんだけどさ。実はお願いがあって」
「お願い?」
「僕も最近疲れ気味で、ゆっくり他人と雑談する時間が欲しいんだ。君との時間はそれに打ってつけだった、だから」
「それって……」
「何も会話に理由は要らない。そうだろう?」
浅川君の突拍子もない提案は、僕にとっても喜ばしいものだった。
彼も少しは僕に心を開いてくれたのかな。
「浅川君さえ良いなら、ぜひそうしようか」
「ああ! 僕と君の、ナイショな関係だよ」
優に笑顔が想像できる声音だった。語弊を招きそうな言い方だけど、確かに僕にとって特別な時間になりそうな予感があった。
その後通話を切り、ふうと一息つく。
テストが心配という接点だけで始まったやりとりだったから、金輪際これといった関わりはなくなってしまうのかと落ち込む気持ちがあったが、意外にも浅川君のおかげでそうはならなかった。
残念なことにあまり仲の良い同性のクラスメイトも多くないから、彼の存在はかなりありがたくて……。
と、そこであることに気付く。
「あれ?」
ありがたい……。僕はどうして、何時の間に浅川君に感謝の念を抱いていたのだろう。
『僕が浅川君の面倒を見るつもりだったんだけどな』
『何故か少し詰まってしまった』
『僕にとっても喜ばしいものだった』
ああ、そうか。
僕も、彼との時間が好きだったんだ。だから名残惜しく感じて。
習慣化している内に、驚くほど親しく思うようになっていたらしい。きっと、彼が他の男子とは違ったからだ。
『だから凄いんだよ』
『ま、いいさー。答えたくなかったら』
『ここでは、ゆっくりしてくれればいい』
僕が『頑張って』この役割を担っていることを理解してくれた人はいなかった。
ありがとうだけじゃない。お疲れ様さえ、誰にも言ってもらっていなかった。
そのこと自体を嘆く気など元々なかった。そもそも僕が自ら選んだことだから。でも、それで労いの言葉に何も感じないわけではない。
彼の敏感さに、驚きと誤魔化せない喜びと、それに付き纏う疑念が芽生える。
人の善意・良心という観点で、浅川君は綾小路君と堀北さん以上に信じられる人だった。しかし、僕のことを察した上であんな風に言葉を掛けられるのは、正直おかしいと思ってしまった。
僕が「したい」と思っているのは嘘偽りない本心で、人前でもそれを全面的に醸し出していた自信もある。だからもし違和感を抱けたとして、無理に話題にしようとする人はいないはずなのだ。
にも関わらず、浅川君は踏み込んだ。決して誤りのない距離のまま僕と向き合った。その感性を手に入れるには、何かしらのきっかけが必要だったはずだ。
一体何が、彼をああも誠実にさせたのだろう。簡単で単純に見えて、その実様々な要素が交錯する難解な綾を解く……まさしく不思議な「能力」と呼べるものを、彼に与えたのは何なのか。あるいは誰なのか。
明確な答えを知ることは、決してないのだろう。でも……。
僕は人知れず、笑みを零しているのを自覚した。
クラスで見せる澄んだものではなく、仄暗い感情を押し付け隠した自分としてでもない。弱くて、それでも信じ合いたいと望む一人として。
僕は浅川君と、関わりたいと思ったんだ。
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そんな彼が退学という無慈悲な二文字を突き付けられた時は、背筋の凍る感覚がした。
英語だけ致命的な点数。僕は冷静さに欠けていた中、にわかに疑問に感じたことがあった。それは、ある日の電話中の些細な内容だ。
「浅川君は苦手な科目とかないのかい?」
「イマドキ」
「あはは……テストの科目だよ」
「うーん……特には……?」
言い淀む浅川君に、答えやすいように訊き方を変える。
「数学と英語はよく難しいって言われがちだけど、それはどう?」
「いや、僕の場合はせんせ――友達に帰国子女がいたから、英語は中学でちょっと嗜んでた。数学は元々苦手意識みたいのはなかったかなー」
具体的な回答を以て、英語は得意寄りだと聞いていた。
確かに茶柱先生の言う通り解答欄のズレって線もあるかもしれないけど、それにしては点数が高いようにも思う。
何か、想像もつかないような事情があったんじゃ……。
思考を巡らしている間にも、先生が退室する。堀北さんの勉強会に参加していたメンバーは勿論、他にも何人かがチラチラと――中には侮蔑や憐憫もあったが――浅川君に視線を寄こしている。
当の本人は、なぜか悠然と座ったままだ。全く動じていない。動揺を押し隠しているようにも見えない。
やがて、短いやり取りを終えた堀北さんが席を立ち教室を出る。――先生を追い掛けに行ったのだろうか。直談判は彼女らしい行動かも。
すると程なくして後を辿るように、浅川君と綾小路君が外に出た。
一体、何をしに……?
詮索したい気持ちは山々だったが、騒めきやまぬクラスを鎮める役割は僕にしか担えない。三人に考えがあったのだとして、それを理解できていない僕が追い付いても助力できそうにない。今はここが僕の居るべき場所だ。
……しかし、事態が収拾した時、僕はそのことをひどく後悔することとなった。
浅川君の退学取消し――。
採点ミスだったという
でも僕は――僕だけじゃない。ある程度慎重な人なら訝しく思ったはずだ。
「採点ミスはない」と言い切った茶柱先生の口調は、それが真実だと確信しているものだったし、学校側も箔に泥を塗らないよう退学の懸かっている試験の採点には細心の注意を払っているはずだ。採点確認の担当がいても不思議じゃないくらいに。
殊、この高度育成高等学校において、採点ミスなんてものはあり得るのだろうか。もし採点ミスではないとしたら、やはり本当なら浅川君は退学になっているはずだったという説が再び現実味を帯びてくる。
そう、三人が教室を出て行く段階までは。
過去問という盲点に気付くくらいだ。何かしら、退学そのものを覆す方法を見つけたのかもしれない。あれが堀北さんだけではなく二人の少年の知恵あっての解だとしたら尚更。
「おーい平田」
ハッと我に還る。
「どうしたんだい、返事がないぞー」
「……えっと、ごめん。ボーっとしてた」
「あっはは、無理もない。ついこの間まで気張り詰めてたんだからねー」
浅川君と通話している内に、いつの間にか思考の海に潜り過ぎてしまっていたらしい。
「――食事会、だったよね」
「そ。僕らは明日にでも行けるよ」
「僕もちょうど、明日は時間が作れそうだ。軽井沢さんたちにもゆっくりしたいって伝えてあるからね」
ありのまま答えると、クスリと笑うのが電話越しに聞こえた。
「な、何か変なこと言ったかな」
「いやね――僕らと過ごす時間を羽休めと捉えてくれているのが嬉しかっただけさ」
返答に、今度はこちらが苦笑する番だった。全く、この人は。
明日の食事会(テストなんて本来祝うほどのことじゃないと言うので、この呼称になった)には沖谷君も同席するそうだ。あまり話したことはないけど、見かけ通り温厚な態度で会話しているのを傍目に見たことはある。
――ちょっと、楽しみだな。
「じゃ、明日。楽しみにしてるから!」
「うん。僕も」
声が弾むのは恥ずかしいので慌てて抑えた。
バイキングだと聞いた時の浅川君は心底楽しそうだった。どうやら初体験らしい。勧めた甲斐があった。
……なんて。浮ついているのは僕も同じか。
初めてではない。ただ、男だけでのびのびと食事を共にするのは、確かこの学校に来て初めてだと思う。記憶が曖昧なのは、それだけ忙しない日々だったからだ。
こんなにも明日を純粋に待ちわびるのも、久しいなぁ。
その翌日。浅川君の美徳に再び感涙し、気を許せる仲が図らずもまた一人増えたのは別の話になるわけだけど。
怒涛だったテスト期間は、意外にも前向きな気持ちで幕を閉じることができたのだった。
二章後半で平田がオリ主の言葉でお涙ポロリした理由、三章の随所で平田がオリ主に肩入れしていた理由が主な補完です。じわじわとオリ主に入れ込むようになっていったわけですね、良心主義な平田君ならわりかし影響受けるかなと。(ぶっちゃけかなり後の話に繋がる伏線が入っていますが、そこに辿り着くのがいつかは途方もないので気にしない。)
第三話があるとしたら二章含む本編の要所の平田視点って感じになりそう。
どこまでやる?
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船上試験&原作4.5巻分
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体育祭(ここまでの構想は概ねできてる)
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ペーパーシャッフル
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クリスマス(原作7.5巻分)
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混合合宿or一之瀬潰し
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クラス内投票
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選抜種目試験~一年生編完結