アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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意外と短くまとまりそうで、幕間にそこまでかからないかも。ただ、けっこう内容詰まってます。
今回もまた、オリ主の掘り下げ回です。彼の能力について触れていきます。


幕間―箱庭―
両想いの二人


 六月も中旬に入ろうという頃。

 視界の上部が塞がれたまま、浅川はとうに飽きてしまった道を通っていた。

 

「三日連続か……」

 

 次太陽を拝むのはいつになるのだろうか。湿度の本調子はもう少し後の時期だと思っていたのだが。

 寮のロビーで鍵を受け取りエレベーター――は誰かが使っているようなので階段を上る。

 自分の部屋が見えると、扉の前に小さな人影が確認できた。

 

「……誰から聞いた?」

「わかっているでしょうに」

 

 冷めた目で見下ろすと、相手は動じることなく笑みを浮かべる。

 

「いやー何のことかさっぱりだぜ。まあ入んな、可愛い子ちゃんがまた一人我が家にお見えになるなんて運が良いぜ」

「思ってもないことを口にするのはお辛いでしょう。肩の力を抜いてくださいな」

 

 一応取り繕ってみたが、やはりもう通用しないようだ。大仰な態度を切り止め嘆息を吐く。

 

「ならそもそも帰って欲しいんだけど」 

「あら、友達が遊びに来たというに、冷たいお方」

「……君にだけ特別だよ」

「それはそれは、嬉しいですね」

 

 どうせ無視したところで帰りはしない。風邪をひかれても困るので渋ることなく中へ入れた。

 

「貧民が出せるもてなしは無いぞ」

「それも聞いています。水でけっこうですよ」

「ストーカーかよ……」

「人聞きの悪い」

 

 一度も入ったことないはずの部屋の事情を把握しているなど、それくらいの不審者だろう。

 

「それで? 一体何の用だい。お嬢さん」

「年下扱いのおつもりですか?」

「おや、てっきり迷子がやってきたのだと思っていたよ」

 

 肩をすくめて煽ってやると、案の定不機嫌になった。冷ややかな笑みを浮かべているが、この距離で向こうにできる仕返しはない。

 置かれたカップを上品に啜る彼女の隣には、見覚えのあるボードが添えられていた。

 

「どうしてそれを?」

「再戦が用件ですからね。私たちが互いを知る際には、これが最も効率的でしょう」

「自分で言っといて悲しくならない?」

 

 媒介がないと自分たちは真面なコミュニケーションができない。そう認めるらしい。噛み合わない関係では話が弾まないというわけだ。

 

「まあ、いいけどさ……」

「安心してください、今回はフェアに行こうと思います」

「フェア?」

「今日はもう一つ盤面を持ってきているのですよ」

 

 確かによく見ると、チェス盤の他にもう一つ茶色の板が目立っている。

 

「将棋か」

「約束は守る主義ですので」

 

 折角ならちゃんとした立体的な将棋盤が良かったが……簡易版で妥協してあげよう。

 前回とは違いこれといった挨拶もなく流れるようにゲームが始まる。まずはチェスからだ。

 

「テスト、お疲れ様でした。退学にはならなかったようですね」

「それが何と一悶着あってさあ。危なかったのよ」

「仔細をお聞かせいただいても?」

「いいけどその前に、よもや君の仕業ということはないよね?」

「愚問ですね。私にそんなことをする理由はありませんよ」

 

 彼女の言いたいことは何となくだがわかる。返事はせずに駒を移動させる。

 

「実は、ポイントで点数を落とされてしまってね」

「なるほど、しかしそう簡単に行くものですか? 腐っても学年二位のあなたを赤点にまで追い込めるとは――」

「まあ、ちょっとした『遊び』の賜物だろうね。君もプレイヤーでは?」

「さあどうでしょう。少なくとも愉快な娯楽とだけ言っておきます」

 

 勝てないと諦めているゲームの退屈さに思わず欠伸が零れる。「真面目に抗って下さい」と叱られたが、手応えを感じないせいで向こうも面白くないのだろう。以前のチェスで浅川をつまらないと称した所以も、恐らくそこにある。

 

「そう仰るあなたは、どうやら活用していないようですね」

「さすがにポイントを見ていたか」

「何か事情がおありで?」

 

 先月の上旬に端末を渡したことを思い出す。

 目の前の戦局にうーんと唸りながら、浅川は答える。

 

「悪いことはダメ、絶対。当たり前のことだろう」

「この期に及んで優等生の振りですか」

「実際優等生でしょ、僕」

「もし百歩、いえ、万歩譲ってあなたが優等生だとしても、失笑ものですね。ここにおいてその考えはいつか致命的な失敗を招きますよ」

「それでも、だよ」

 

 到底理解できない言い分だったようで首を傾げているが、わかってもらおうだなどとは思っていない。実際取引材料を手早く調達する手段があるのにそれを利用しないのは大損だとは承知の上だ。

 しかし、譲れないものがある。今までの努力――雨宮に教え込まれた精神は正義と呼ぶにはあまりに泥臭いが、賭博に身を落とし込む程廃れたものでもない。

 故に、彼は馬鹿げた道理に抗うのである。自分のポリシーに従って。

 

「愚かですね。また一つ、あなたの気に入らない部分が見つかりました」

「そりゃ残念、愛想を尽かしてどっかに消えてくれないかな?」

「使えるものは使う。至って単純な理屈のはずですが」

「あっはは、そうかもね。……なら、悪に浸かった蛇がのどかに散歩する羊に負けた時、一体どれだけ惨めな気持ちになるんだろうねえ」

「……あなた、意外に良い性格をしていらっしゃるのですね」

「前の一件でご存じかと思っていたけど?」

 

 こちらが彼女を出し抜いたことは既に認めているはずだ。態々ここへ足を運んできたということはそれ相応の何かがあったからであり、その確認が暫く経過した後であることを踏まえれば、彼女が自分の演技に気付いたのは神室の報告によるものだと推察できる。何だかんだで騙すことはできていたようだ。

 

「ふん、一つの能力だけで自惚れる滑稽な単細胞では、ありませんでしたものね」

「うむ、何たって灰色の脳細胞だからね」

「あなたにぴったりな表現ですね。その鼻につく態度とか、特に」

「僕より一級品な鼻付きが身近にいるんだけど」

「あなた以上の? ご冗談を」

「君をリトルガールと呼ぶのを絶対に止めないと断言できるやつでもかい?」

 

 彼女の額に青筋が浮かぶ。この少女、頭脳の割に意外と沸点が低い。高円寺にいともたやすくあしらわれそうだ。

 ハハハ! とふてぶてしい高笑いが頭の中で鳴り響いていると、坂柳は控えめに咳払いをし――纏う空気を変化させる。

 どうやら、やられっぱなしは余程気が済まないらしい。

 

「少なくとも、あなたのような小癪な()()をする人ではないでしょう」

「そりゃす()()え」

「Aクラスの()()に首を突っ込むとは思っていませんでしたよ」

「そりゃ()()()()()

 

 衝動に駆られて飛び出た小言をなかったことにされ悲しみに暮れるが、それすらもシカトして坂柳は言い放った。

 

「あなたでしょう。()()()()()()()()()()()()()()

 

 当然証拠などない。そういうように動いたのだから。

 にも関わらずよくもここまで確信を持って言い当てられるものだと感心する。

 

「訳がわからないなあ。敵のクラスに武器を与えるなんて、損しかないだろう」

「内部の対立が加速する。その意味を理解できないあなたではないでしょう。あなたは葛城派に功績を上げさせることで私たちの台頭を防ごうとしている。違いますか?」

「あら、確かに利益はあったみたいだ!」

 

 詰まる所、彼女の語っている推測は全て正しい。

 浅川は一之瀬と密会した際にAクラスの状況と葛城派の存在を知った。坂柳の力量を警戒していた彼は、葛城とコンタクトを取り武器を渡すことで権力抗争の戦力を補充させたのだ。

 ――実際会ってみても、とても康平が有栖を上回れるとは思えなかったしな。

 差し詰め彼は、葛城派の後見人とも言えよう。これからも機を計らい、Aクラス内に収まるいざこざであれば陰ながら葛城をアシストする腹積もりだ。その方が坂柳一強になるよりかは対策がしやすくなる。

 綾小路が先日把握できていなかったデータの一つが、Aクラスの実情というわけだ。

 

「でも、普通に考えてその葛城とか言うやつが自力で解を導きだしたってなりそうだけど」

「彼には無理ですよ。勉強会に明け暮れていたのに前日になって突然持ち出してきましたから。綾小路君も候補でしたが、彼は残念ながら積極的に顔を広めようとはしませんからね。半ば消去法です」

「へえ、君が合点いくならそれでいいんじゃない?」

「強いて言えば、一体どんな話術で堅物な彼を口説いたのかは興味がありますが」

 

 彼女もこちらを追求できる材料がないと自覚しているのだろう。強く問い詰めてくることはなかった。単に興味がないだけかもしれない。

 思いの外粘れているのか弄ばれているのか、もう少し決着まで時間がかかりそうだ。一区切りついた話の中から新たなトピックを捻出する。

 

「清隆の名前、出して良かったのかい?」

「どうせ知っているのでしょう? 私があの時端末を落としてしまった理由は」

「確信を持てたのは真澄のおかげだけどね」

「奇遇ですね。あなたのカモフラージュに確信を持ったのも真澄さんのおかげです」

「君が気に入る理由が身に沁みたよ」

「ええ、そうでしょう」

 

 この場にいないにも関わらず二人に意気投合して揶揄われる彼女は不憫以外の何物でもない。今頃くしゃみに苦しんでいることだろう。

 一時の和みを挟み本題に戻る。

 

「あなたは綾小路君のことをどう思いますか?」

「聞いて驚くなよ、親友さ!」

 

 自信満々、誇らしい笑顔で言い切った。

 その途端に純粋な表情と言葉に、意外にも坂柳は意表を突かれたようだ。

 

「そ、そうですか。しかし私が言いたいのはそういうことではなく――」

「すごいやつだと思うよ、うん」

「……具体的な答えが欲しいですね」

 

 じれったそうにする彼女を見てさすがに憐れに感じた浅川は、大人しく真面目な回答をすることにした。

 

「今の彼はとても冷たい、哀しい少年、かな。でも志や目標、願い――彼の意思は眩しいくらいに綺麗だよ」

「……それは、あなたが与えたものではないのですか?」

「どうだろうね。いずれにせよ彼は決断した。自分自身に抗うことを選んだんだ」

 

 そう語る浅川の表情は、綾小路に思いを馳せているものだった。

 黙って彼を見つめていた坂柳は、水を一口含む。

 

「……かつての彼には、そんな人間らしいものはありませんでした」

「ふーん。君は水を飲む所作も上品なんだね」

「未来予測的な思考はできても、それはあくまで状況や他人の行動パターンの分析の域を出ない。今より先を見据える心――自身に向けた願望がああも強い形で現出するようになったのは、間違いなくここへ来て変わったものがあったからです」

 

 今回も、彼女が何を考えているか測りかねた。しかしそれは、冷笑やポーカーフェイスで隠匿されたものではなく、自分の中で思いつめているから。そんな風に思えた。

 

「君はどうして、清隆にそこまで執着するんだ? 彼の何を知っている?」

「彼は、そう、私にとって幼馴染のようなものです。唯一の」

「……そっか」

「納得していただけるのですね」

「これ以上踏み込むのは、きっと間違いだ」

 

 それらしいことを言ったが、本当は少し違う。苦い過去が過り、目の前にある一線を越えることを反射的に恐れてしまった。それだけだった。

 誤魔化すように、彼は止まりかけていた話を繋ぐ。

 

「君こそあいつをどういう風に思ってるんだ?」

「彼は天才ですよ。常人には届かない境地にいる。しかしそれは作られたものであり、偽りです」

「偽り?」

「元々持ち合わせていたものではない、ということですよ」

 

「ああ」気になるワードに眉を顰めたが、期待していた返答ではなかったためすぐに乗り出していた身を引っ込めた。「そういうこと」

 

「才能とは、一種のギフトです。生まれた瞬間から脳の原型は定まり、血が変容することはない」

「まさか、神からの贈り物だなんて言うつもりかい?」

「偶像の真偽は然程重要ではありません。それとも、共感できませんでしたか?」

 

 浅川は暫くチェスそっちのけで首をうならせる。

 自分のことにも纏わる、重大な問いだ。

 

「…………半分、かな」

「半分? 随分と煮え切らない返事ですね」

「なら、イエスでもノーでもないって感じ」

 

 頭を整理し終えた彼は、クイーンを動かしながら持論を述べる。

 

「始点は君と一緒だよ。大抵の能力は遺伝子によって偏りが生まれる。ただ、その後身を置く環境によって得られるものを否定するのも、また違う気がする」

「誤差の範囲では?」

「なら遺伝子も誤差だろうね。あんなにもちっこい成分だぞ?」

「頓智に逃げないでください。物理的な話ではありませんよ」

「冗談さ。じゃあ逆ならどうだい?」

 

「逆、ですか?」首を傾げる彼女に頷く。

 

「もしも、君が信じて止まない()()()()()()()()()()()()()()()、それを君は本物と呼ぶのかい?」

「――!」

 

 思考の穴を突かれたようだ。一瞬固まったが、すぐに息を吹き返す。

 

「クローンや遺伝子組み換えの類ですか」

「遠かれ近かれ、将来人間に適用されることがないとも言い切れないだろう。クローンは既に現実的なものになりつつあるとも聞くからね」

「……その観点は、失念していました」

 

 一概にあり得ないと否定しない彼女の見識の広さ。生命のデータ改ざんという非常識的な行為に何食わぬ顔で向き合う彼女は、やはり高校生離れしている。

 

「だから僕は、たとえ清隆が後天的な才覚の持ち主だったとしても、それを偽物だと咎めるマネはしないよ。偽物と言えるのは、そういう根底から偽られている存在だ」

 

 浅川の結論を坂柳は無言のまま吟味していた。

 やがて、何かに気付いたように顔を上げる。

 

「それは……あなたのことですか?」

「あっははー」

 

 矛先が不意に浅川に突き付けられた、その時だった。

 

「――とりあえず、チェックメイトです」

「続きはCMの後!」

 

 いつの間にやら訪れた呆気ない敗北。あの日からとりわけチェスの学習に励んだわけでもないため、当然の結果だ。

 そのまま坂柳は、将棋盤を広げる。

 

「さて、あなたが言ったのですから、加減は無しでお願いしますよ」

「うぇ、面倒くさ……」

 

 興が乗らない。嫌いな人と二人きりでゲームをして上機嫌になる人など、まして子供にはいないのが常。

 しかめっ面が余程気に入ったのか、坂柳は悪戯な笑みを浮かべて準備をする。

 嗚呼、気に入らない。ただ自分の愉悦を完成させるためだけに、いくらでも他人を蹴落としていいと考えているような、残酷な赤子の如き無邪気な欲望は、最も忌み嫌うものの一つだ。

 それさえも彼女はわかっているのだろう。だからこうして完璧なお膳立てを施している。

 ……仕方ない。

 

「乗りかかった船だ。無抵抗に振り落とされるのも癪だし付き合うよ」

「そう来なくては。操舵手がいなければ宛てのない航路。私は意味のないことを好みません」

 

 変に後腐れを残すのも恐い。一度本気になった方が楽そうだ。

 思考時間は各ターン三分以内、という取り決めになった。

 浅川は姿勢を正し、正座で彼女と向かい合う。

 

「お願いします」

 

 対局開始後、すぐさま坂柳が口を開く。

 

「あなたの演技力は、確かに異常です。あの自然さはどこにでも転がっている才能ではない」

「珍しく素直に褒めるね」

「一番それらしい表現と言えば、メソッド演技でしょうか」

 

 メソッド演技法。米国発祥の技術であり、役柄の内面に焦点を当て、劇中の感情や状況に応じたリアリティの高い表現をするというもの。その最大の特徴は、対象となる役柄の異様なまでのリサーチ、そして自己の内面すら掘り下げることで成す感情の疑似的な追体験。

 しかし、と彼女は自分の案を否定する、

 

「あなたの場合は、ある意味それさえも凌駕する。どのようなものであっても――イメージさえ内在していれば瞬間的に人柄を切り替えることができる」

 

 浅川は当然、役者が熟しているような分析などしていない。更にこの演技法の代償として、精神的負担の蓄積による私生活への甚大な影響のリスクがあるのだが、浅川にその兆候は全くと言っていいほど見られない。本職の人間でさえトラウマの掘り出しによる情緒不安定化や薬物・アルコール依存を抱えてしまうケースがあるというのにだ。

 

「明らかに歪んでいます。一体何があなたにそれを可能とさせたのですか?」

「回答の義務が僕にあるとでも?」

「今更本末転倒なことを言わないでください」

 

 嘆息を吐きながらも――勝手がわかっている種目であるため盤面に思考を巡らせ飛車を動かす。

 なおも全てを白状することが憚れた。というより面倒であった彼は、無愛想に回答を示す。

 

「ドラマツルギー、って知ってるかい?」

「アーヴィング・ゴッフマンが持ち出した観察法ですね」

「よくぞご存じで」

 

 どうしてこんなことまで知っているのかやらと呆れつつ頷いた。

 ドラマツルギーを極めて簡潔に語るとすれば、人間の社会的・文化的な存在観念を演劇で喩えるというものだ。

 

「その土台となっているシンボリック相互作用論では、対象の分析において三つの前提を定義している。――一つ目は、人間はある事柄が自分にとってどのような意味を持つのかによってそれを行動に移す。二つ目は、その事柄が持つ意味は、自身と相手との間にある社会的な相互作用によって発生する。三つ目は、その意味は相互作用の中で修正されることがある。というものだ」

 

 一つ目については、人の行いには大抵何等かの意味や目的が存在し、寧ろ理由に行動が引っ張られているというそう難しくない理屈だ。

 二つ目は一見難儀に見えるが、例えば一本の大木があったとして、それは焚火に使う燃料という対象になるかもしれないし、住居に設置される机や椅子といった対象になるかもしれない。将又撲殺の凶器という対象になるかもしれない。そんな具合に、ある事物の意味はそれ自体に備わっているのではなく、人間の「我思う故に」の精神によって付与されるという考え方である。

 三つ目に関しては、要は人間たちの相互の解釈によって、物の見方は幾度でも大きく変わり得るということだ。

 

「あなたはそれを自分だけで適確に用いることができる、そういうことですか?」

「結論を急ぐでないよ」

 

 こちらが相手の金を奪うと、歩を場に召喚することで玉将を守ってきた。一時撤退をし、布陣を固める。

 

「ドラマツルギーにおいて大事なのは、オーディエンスからのパフォーマンスの受容と、舞台という概念だ」

 

 重要な場面と踏んだらしく、ここで坂柳は長考に耽る。

 

「パフォーマンスは七つに分類されるんだけど、まあそれによってオーディエンス、つまりこうして対面している相手に自分の存在を認識してもらうんだ。あくまで相手から見た像のことだけどね」

「それを巧みに操るところまでが、あなたの得意分野ということですか」

「そうだね。ただ、それだけでパフォーマンスは成功しない。思わぬアクシデントは勿論、オーディエンスの的確な推察もまた、失敗を招く原因となる。だから情報の漏洩を防ぐために役割が存在する」

「あなたで言うところの椎名さんがそれですね」

 

 あの日、椎名は浅川にとって「さくら」の役割を担っていた。一方神室は「密告者」の役割を担ったため、こうして坂柳に自分の演技が露見することとなった。他にもあらゆる方面に作用をもたらす役割が存在するが、いずれも裏舞台や表舞台でパフォーマーとオーディエンスの関係に変化を与えている。

 

「この理論が複雑に見えるようにできているのは、やはり相互作用の性質だろうね。演者と聴衆、二つの相対する意思が絡まり合うから混迷を極める」

 

 ゴッフマン本人も、度々人間は本性において気まぐれであると強調しており、本当にあるはずのものは当然に発見できないものとしている。

 重要なのは、人が役割の背後でどのような人間であるかについて、演じることを通じて生まれる意識に他ならない。つまりは、舞台の表と裏のことである。

 

「他者との対話の度にアイデンティティそのものを再構成し、アドリブを加え相手にいかにもそれらしい存在に見せる。あなたの才能の起源はそこにあり、舞台に立つ自分自身を俯瞰することで自律を保っている、ということですね」

「実に明白な要約、どうもありがとう」

 

 パフォーマンスの成功、それはすなわち演者が自分の見て欲しい姿を聴衆に見せることができていることを表す。それをハイクオリティに実現させているのが浅川の実態というわけだ。

 少なくとも表舞台での立ち回りを、彼は完全に理解している。故にパフォーマンスを誤ることはない。

 彼の異常さは、この社会的観察法(パースペクティブ)によるものなのである。

 

「――と、そろそろ終幕のようだね」

 

 拮抗を取り戻したかに見えた盤面であったが、ふと浅川がそう言った。

 

「これで、王手(チェックメイト)だ」

 

 躊躇う素振りもなく、英雄たる歩兵を一つのマスに配置する。

 

「これは……」

「非力な有象無象が敵将の首を狩る。んー、まさしくロマンチック」

「一時立て直したと思ったのですが」

 

 どうだろう、というのが正直な感想だ。坂柳がいかにしてゲームメイクをしていたかは不明だが、浅川としては大してピンチを感じる場面はなかった。得るべくして得た勝利と言えよう。

 

「な、言ったろう。将棋ならってさ」

「…………やはり、意図があっての台詞だったのですね」

 

 前回の別れ際の言葉、単に将棋なら経験があるというだけで発したわけではない。

 ついさっきまでは半信半疑だったようだが、浅川の中身のない言葉だけで確信を持ったようだ。

 

「君じゃ将棋で僕には勝てんよ。敵から味方に寝返る人間の対応は、僕の方が得意だろうからね」

 

 将棋は元々日本の外から伝来したものだが、今に至る過程で追加され、他のボードゲームでは一切存在していないルールがある。

 それは、取った相手側の駒を自分の駒として再び盤上に復帰させることができるというものだ。

 経緯は定かではないが、その特殊性について言及された場面がある。第二次世界大戦後、勝利国たちは「将棋はチェスと異なり、捕虜を自軍の兵として扱う虐待行為を容認する野蛮なゲーム」として日本に禁止を求めた。その際あがった反論が「寧ろチェスは捕虜を殺害するが、将棋では常に駒が生き適材適所という民主主義的思想を示している」というもの。これにより将棋は禁止を免れた。

 坂柳は少なくとも敵兵に情けをかけられる程緩慢な人間ではない。初めてチェスの加虐的なスタイルを目の当たりにした際、浅川はそう直感した。故に幾度となく敵と味方の入れ替わる攻防戦ならこちらに分があると踏んだのだ。

 彼は敵に容赦をすることを躊躇わない。警戒の切り替えの迅速さも、特有の演技法によるものなのかもしれない。

 

「楽しかったかい?」

 

 終戦宣言の代わりに問いかける。

 彼女はいつしかのように微笑み、答えた。

 

「ええ、とても。あなたは?」

「聞かなくてもわかるだろう? くそ楽しかったよ」

 

 互いを嫌っていることに変わりはない。そんなものは共通理解だ。

 しかし、だからといって見向きもしないのは違う。嫌いという感情に理由があるのなら、それだけ互いを意識し関心を向けているということなのだから。

 浅川が坂柳を嫌うのは、彼女の行き過ぎた愉悦への願望と、その残虐さを敢えて隠しているという外道さから。

 そして、坂柳が浅川を嫌うのは――

 

「ようやく確信できました。どうしてここまで、あなたの存在が癇に障るのか」

「ほう、その心は?」

「あなたは理不尽な道理で私や綾小路君と同じところにまでたどり着けてしまう。それが気に食わない」

 

 ただの嫉妬とは違う。と浅川は判断した。

 故に問う。

 

「それの、何が悪い?」

「綾小路君は理解していましたよ。そして恐らくあなたも理解しているはずです。あなたは本来、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 決定的な一言だった。浅川はその宣告に動じることなく聞いている。

 

「あなたはどういうわけか自分の内面を作り変えることができる。それだけでも不気味ですが、最も不可解なのは元来より上位の領域に自分を持っていけることです」

「つまり?」

「あなたは秀才止まりの頭脳で天才と同等の思考を実現している。普通は識ることのできないものを識ってしまっている。分析不可能な矛盾です」

 

 今度は好きも嫌いもないただの研究心を宿した瞳で、覗き込まれる。

 

「『非凡を識る凡人』――差し詰めあなたは、暗黙の真理に反旗を翻す特異点(イレギュラー)といったところですね」

「はっはは、これはまた上手く言ってくれたな」

 

 適当な拍手をしてやるが、彼女は意にも介さない。

 

「あなたがいかにして自分の矛盾と闘うのか、興味がないとは言いません。善悪問わずに利用することを求める合理性、人の傷を許容できない共感性、その両方に振り切れている存在は、あなただけなのですから」

「へえ、そうかい。なら――今の状況が君にとってどれだけ危険かわかってる?」

「何を――」

 

 目を瞬かせる間もなかった。

 浅川はボードを跨ぎ、目の前の少女の首元に左腕を、左腕に右腕を押し当てる。

 次の瞬間、華奢な坂柳の体を浅川が上から拘束する構図になっていた。

 

「ぐっ……あな、たは」

「別人に成り代われる。それって、今みたいにどんな酷いことだってできちゃうってことだよ」

 

 彼の能力にはもう一つ重大な要素がある。

 『想像力』。技術に頼ることのない、天性によるもの。

 浅川は自分をパフォーマーとして全く別の人物に書き換えるのと同時に、相対する相手のイメージさえもコントロールができる。例えば、やろうと思えば坂柳を恋人のように扱うこともできるし、逆に恋人を殺された憎き敵として見ることもできる。現に今、浅川は坂柳に対する嫌悪を超えた憎悪を放っていた。

 元々足に不自由を抱える坂柳には、ジタバタと抵抗することさえままならない。

 彼女を見下ろす浅川の目は、明らかに殺意に満ちている。

 

「私が、本当に独りでここに来たとでも?」

「んなわけないでしょ。橋本と隼は待機してるだろうね。でも、それで十分だなんて思ってないよね?」

 

 一層、締め付ける力を強めた。

 

「二人がかりだから何だ。制圧して、結局君をどうとでもできる」

 

 心の中で高円寺と清隆なら、と呟く。あの二人には正面から立ち向かっても勝てないはずだ。

 暴行の証拠を僅かにも残さないよう、浅川は坂柳の衣服に指を触れることなく拳で額を小突く。

 

「本当に歯止めが利かなくなったら、何をするかわかんない。それこそここで、強引にエッチなことして弱みを握ることもできちゃうね」

 

 ぐいっと、彼は顔を近づける。

 

「――怖い?」

 

 冷たい声音は、常人であれば間違いなく震えあがってしまうことだろう。

 しかし坂柳は、この状況でも平静を保ったままだった。

 

「ふふ、全く。あなたは私をどうすることもしませんよ」

「何で?」

「あなたにはまだ、守ろうとしているものがあるからです」

 

 拘束されたまま、彼女は毅然として言う。

 

「そう易々と強硬に走るくらいなら、あなたは平生からあのような役柄には徹しません。より効率的な人間に成り代わっていたでしょう。それをしなかったのは、あなたの中に何かしらの一線が引かれているからに他ならない。絶対に越えまいと決めている一線が」

 

 確信を持って告げる坂柳と、力を抜かずに固まっている浅川の視線が交わる。

 沈黙を破ったのは、浅川だ。

 

「わかってるじゃないかあ」

 

 フッと、寸前までの緊迫した空気が嘘であったかのように、彼は元の腑抜けた見た目に戻っていた。

 坂柳を解放すると、彼女は埃を払うように制服を軽く叩き整える。

 

「そもそも君とそんな長く触れていたら、きっと蕁麻疹が出てしまうしねえ。折角だから揶揄ってみたんだけど、さすがにちょっとは驚いてくれたみたいだ」

「ふん……良かったのですか? あのような一面を明かしてしまって」

「嫌いな人に対して好感度なんて気にしないだろう。思わず素で過ごしちゃうってわけだなあ」

 

 飄々と語る浅川だが、果たしてさっきの彼が本当の姿だったのか、将又それもまた成り代わった一人に過ぎないのかは彼にしかわからない

 ただ、少なくとも今の浅川は坂柳の言う通り無為に自分を狂暴化させることはない。必要である場面で出し惜しみをする可能性さえある。

 何故なら、その意志は多くの人を想って生まれたものだからだ。最愛の兄弟、恩師、最近では親友もその理由に加わった。今の彼には、間違った道を退ける要素がたくさんある。

 故に、先の行動も容易に茶番と言ってのけた。

 

「素、ですか。私もつい熱くなってしまいますね。拒絶反応で」

 

 冗談半分に彼女も応じ、彼に言い放つ。

 

「私があなたに向ける感情は、綾小路君に向けるものとは正反対です。愛情、慈愛、情愛、愛憎、その全てを彼に抱いているのだとしたら、あなたに抱いているのは一点の曇りもない嫌悪のみ。綾小路君の言う通りでした。あなたもまた、私の特別だったようです」

 

 彼女は再び、チェス盤を広げる。

 

「もう少し、お付き合いいただけますか? 相容れない者どうしがどれだけ歩み寄ることができるのか、試してみましょう」

 

 その提案は、浅川にとって非常にそそるものだった。

 互いを知る程解り合えなくなる。環境が異常だろうが正常だろうが、その摂理は彼の中で不動のものだった。そしてそうではないことを証明するために、綾小路と手を取り合うことを望んだ。

 一方彼女からもたらされたのは、全く別の視点に移り発想を逆転させたものだ。すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことの証明。

 やはり彼女は、頭が良い。

 

「……いいねえ、乗った」

 

 珍しく、獰猛的に笑う。

 

もっと楽しもうか(レッツ・ダンス)!」

 

 平行線な二人は、これからも近づくことはない。

 しかし決して、離れることもないだろう。

 




ドラマツルギーの活用、+αの『一部』として自身の想像力。簡潔にはこれがオリ主の成り代わりの成分です。

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
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