3章の献立は
労働過多のオリ主、テンパる綾小路、またしても何も知らない堀北
の3本を予定しています。更新したあらすじを含め、もしかしたら急遽予定を変更するかもしれないのであしからず。
視界を光が包む。
不意を突く眩しさに、思わず目をすぼめ手のひらをかざした。慣れてくると、それが天井に設置された電気であることに気づく。
マホガニーの天井。見たことのない、白くない空だ。
先程から香ばしい匂いが鼻腔をくすぐっている。興味をそそられ、むくりと体を起こす。
生存権に関わる代物以外で部屋に置いてあるのは本くらいだ。むつかしいものから軽快な文調のコメディまで多種多様。読んだことがあるようなないような――よく覚えていない。
徐に扉を開け廊下に出ると、下に伸びる階段が見えた。なにやらそちらから物音や話し声が聞こえる。匂いの元もそこだろうか。
スタ、スタ、スタ。一歩ずつ慎重に下る。段々とはっきり耳に届く声は、聞き覚えがあった。
やがて一つの扉の前にたどり着く。警戒気味に開けてみると、
「おお、遅かったじゃねえか」
大柄な体型の少年が言う。彼は――須藤だ。
「いつも通りじゃない。パッとしない寝起き顔も」
そう辛辣な一言を挨拶代わりにするのは鈴音。
二人共同じ食卓の席に着き、並んで朝食を食べていた。
――ああ、そうだった。
ボヤケていた記憶を取り戻し、二人に倣い向かいの席に座る。
間もなく目の前に、小さく切り分けられた肉が用意された。
「おはよう、綾小路君」
「おはよう、櫛田」
エプロン姿の彼女は櫛田。
そしてオレは、――オレの名前は、綾小路清隆。
オレたち四人は一つ屋根の下、ずっと一緒に暮らしている。
「三人共、今日はどれくらいで帰ってくる?」
「俺は部活があるから遅くなるぜ」
「あなたに答える義理なんてないわ。プライベートだもの」
「そんなに冷たいこと言わなくてもいいじゃない堀北さん」
いつも通りのやり取りだ。ありきたりの日常なのだから、何も感じなくて当然のこと。
今度はオレに話が向く。「綾小路君は?」
「あー、えーっと、特にないから、早いんじゃないか?」
「煮えきらないね」
「あまり計画的じゃないんだ。鈴音と違って」
「どうせ計画をたてられるほどの用件がないだけよ。あなたの場合」
「酷いな。オレだって頑張ればクラスから引っ張りだこに」
「今の境遇に嘆いている時点で可能性はゼロよ」
「はいはい喧嘩しないで。二人共ホントに仲が良いんだから」
「ちょっと、これのどこが仲良しなのよ」
「今のは誰が見たってそう思うだろうよ」
途中櫛田も朝食を齧り始め、四人の団欒の一時。
「――そうだ。今日も来るんでしょ? 坂柳さん」
「ああ、迎えに来てくれる」
「ふふ、綾小路君にも春が来たんだね」
「別に、ただの幼馴染だ」
「ホントかよ。だいぶ仲睦まじげだったと思うがな」
「こんな男のどこに魅力を感じるのか、甚だ疑問ね」
「堀北さん、綾小路君のこと大好きだもんね」
「違うわ」
食事が一段落したところで、櫛田がもう一度オレの名前を呼ぶ。
「ごめん綾小路君。悪いけど冷蔵庫から飲み物出してもらえる?」
「わかった」素直に従い席を立つ。
数メートル離れたところにある冷蔵庫へ向かう。家の中でも一際大きく、目立っていた。
扉を開けると中に入っていたのは――――首だ。人の生首。
真っ白な箱の中にぎっしり敷き詰められ、力無く開いた目をこちらに向けて乱雑に並べられている。
続いて扉の裏面に配置されているボトルに目をやる。黒がかった赤の液体。櫛田が言っていたのはきっとこれだ。
さっと取り出し、届けに行こうとした――その時だ。
踵を返した背後から強い力で引っ張られ、冷蔵庫の中に引きずり込まれる。
何だ、何が――。
次にハッとしたとき、オレは白い空間に閉じ込められていた。
ここは、冷蔵庫の中?
ついさっきまでの出来事を顧みるとそれが最も納得できる。一体どうしてこんなことに……。
「ねえ」
不意にすぐ後ろから声が掛かる。全く気配に気が付かなかった。
反射的に振り向くと人影が見えた。精々人だと認識できる程度の情報しかなく、モヤがかかっていてシルエットしか確認できない。決して自分が寝惚けているからではない。
「元気にしてた?」
感情の乗らない声でそう聞かれた。オレと、似ている。
「綺麗なものは見えた? 他人の声は聞こえた? 良い匂いはした? 美味しいものは食べた?」
ただでさえ近かった間合いが少しずつ狭められ、一歩分にまで縮む。
「色んなものに、触れた?」
「お前は…………誰だ?」
問うと、返答はすぐだった。
「誰でもない。何者でもない。私は、僕は、俺は、だあれ?」
その影は静かにオレを指す。
「だあれ?」
「…………オレは」
難なく答えられるはずの問いだ。でも、聞かれているのはそういうことではないような気がして、言葉に詰まってしまう。
どんな私情があろうと、今までのオレはここが全てだった。そんなオレが全く別の環境で育ったとして、過去に価値があったと言えるのか。
今変わろうとしているオレとかつてのオレ、どちらも否定せずにいられるのだろうか。
目的に支配された憐れな船と、自分は似た状況なのかもしれない。
葛藤に陥ると、徐々に視界が覚束なくなっていく。意識も遠くなっていく。
沈黙の間際、微かに残っていた思考が、相手の最後の言葉を何とか認識する。
「大丈夫。だって人の情緒は――」
頭の中にこびり付く言葉。
精神の奥底で、ずっと反芻されている言葉だった。
「――――じくん。――のこうじくん。綾小路君」
優しい声に意識が覚醒する。
ゆっくりと瞼を開けると、先程とは違い見慣れた景色が出迎えた。どうやら寝てしまっていたらしい。
壁にもたれて座る自分をトントンと起こしてくれたのは、目の前にいる少女だ。
「
「そのままではあまり体が休まりませんよ。お互いそろそろ自室に戻りましょう」
「ああ……」時計を見ると、既に22時を回っていた。「そうだな」
「気に入ってもらえましたか? それ」
彼女の視線を辿り、自分がこうして眠りにつく直前に何をしていたのかを思い出す。
手元に握っている新刊。ささやかな葛藤や問題を経てある家族が結束を深めていく、温かい物語だ。
さっきの夢、もしやこれの影響だろうか。少々曖昧になっているが、そんな気がする。
「椎名はこんな時間までずっと?」
「はい。キリが良くなったので、帰る前に一言掛けておこうと思いまして」
三時間ほど前に自分がここへ来た時、椎名は既に本を読んで寛いでいたはずだ。途中休憩や雑談を挟んだとはいえ、さすがは本の虫。恐ろしい集中力だ。
「恭介は?」
問うと彼女はベッドを指差す。
丁寧に布団を被り、静かに寝息をたてる姿が確認できた。
「九時ごろにはこの有様です。『自由に過ごしてくれたまえよ』とのことでした」
「相変わらず早いな。それに無防備だ」
「ちょっと心配になるほどですね」
自分の部屋なのに本人が真っ先に熟睡を始めて身内は放置なんてマネ、普通はしない。多分。
おまけにオレたち全員に合鍵を進めてきたほどだ。「態々僕の許可を挟むのも面倒くさい」という理由らしい。
「ありがとな、歓迎してくれて」
「浅川君が信頼している時点で、悪い人ではないと思っていましたから。神室さんと神崎君も同じ理由だと思います」
最近のことについて改めて礼を述べる。連絡帳に他クラスの名前が登録されることの感動たるや。七月を前にして喜ぶべきビッグイベントだ。
やがて荷物をまとめた椎名が玄関へと向かう。
「綾小路君は泊まるんですか?」
「いや、やめておくよ。そういう椎名は?」
「さすがにまだ恥ずかしいので……神室さんと神崎君も一緒にお泊まり会という形でしたら面白そうですが」
恋愛に疎い椎名――数回の会話で何となく察した――でも男女二人きりで同じ部屋に寝るという行為に思うところはあるようだ。決して浅川を信じていないというわけではないのだろう。
その点恭介の方が不安かもしれない。何せこの部屋で夜を明かしてもらって構わないと最初に言ったのは彼自身なのだから。
椎名の発言からもわかる通り、やはり四人には心許せるほどの絆があるらしい。
「ではまた。次は……」
「悪いな。不定期だ」
「わかりました。いつかを楽しみにしていますね」
嬉しい言葉を残し、彼女は帰っていった。
ふっと一息つき、恭介の方を見る。
椎名ひより。神崎隆二。神室真澄。
三人との交流は、彼の提案で先日から始まった。
頻繁に恭介の部屋に集結する三人。そこに図々しく割り込もうとまでは思っていなかったが、全員快く受け入れてくれた。――いや、神室の場合はただ関心がなかっただけのうような気もする。
とはいえ自分は新参者。さっき椎名にも言ったが、気が向いた時にお邪魔させてもらうくらいで十分だ。引け目とかではなく、純粋にそう思っている。
いずれにせよこの三ヶ月間、人間関係についてはありがたいことに恭介に何度も助けられている。。
鈴音。櫛田。須藤。沖谷。平田。あと池と山内。彼の存在がなければその全員と今ほど良好な関係を築けたか怪しい。
坂柳に至っては、彼女が恭介と遭遇していなければオレたちが互いを認識するのは極端に遅れていただろう。
こうして友達づくりの意欲を維持できているのも、そういう成功体験が後押ししてくれているからだ。やればできる、安直だが捨てきれない言葉かもしれない。
――さて、そんな状況整理に近い己への近況報告を済ませたのだが、まだ体を動かす気になれない。
頭の中で引っ掛かる二つの疑問。生まれたのは、ついさっき。
不思議な夢を見た。まるで三人と家族であるかのような、現実以上に心の距離が近い関係。
それはまだいい。歪だがオレがあいつらを想っている故だと思えば頷ける。
だが、最後に見たものは何だったのか。
何かを忘れているような気がする。全てに無頓着だった自分がこうも意識した相手。
……駄目だ。自分がしてきたことは思い出せても、自分の周りのことは当時の人格のせいで全く記憶に残っていない。非常に気になるが、今は諦めるしかなさそうだ。
そしてもう一つ。一つ目より遥かに明確で強い違和感――。
オレは彼の顔を、もう一度よく見る。
――どうしてあの家に、恭介はいなかったのだろう。
本能。――家が燃えているときには、昼食も忘れてしまうものだ。ーたしかに。しかし家が燃えてしまったら灰の上でまた食べ始めるのだ。
Der Instinkt. ―― Wenn das Haus brennt, vergisst man sogar das Mittagsessen. ―― Ja: aber man holt es auf der Asche nach.
フリードリヒ・ニーチェ
『善悪の彼岸』
それに、何より今気掛かりなのは……
コイツの鼻ちょうちん、一体どんな仕組みなんだ。
―――――――――――――――――――――――――
正直舐めていた、と言わざるを得ない。
いつも以上に気怠げな姿勢で道を歩く。滴る汗は、拭っても拭っても止まらないのでとっくに放置している。
こんな暑さは聞いていない。いくら心身を鍛えようが気象に慣れる体をつくるのは難しいものだ。
出発前に携えたミネラルウォーターを勢いよく飲む。あぁ、めっちゃ美味しい。紛うことなきベストドリンク。世界最後の日にあなたは何を飲みますかと聞かれたら水ですと答えよう。
猛暑の中自分の手に握られたオアシスに感涙を流していると、珍しい人物とエンカウントした。
「外村?」
「やや、これは綾小路殿」
彼とちゃんと話したことはほとんどないが、癖が強すぎて時々何を言っているのかわからないという印象はある。オレに殿を付けるのは生涯後にも先にもコイツだけだろう。
「今日は随分と早いじゃないか。どうしたんだ?」
「あっ! あ、いや別に、何もいかがわしいことなどありませぬぞ?」
「……」
触れるべきだろうが。触れないべきだろうか。
……まあ、彼には特別な用事があるということだけわかればいいだろう。
「そうか。早起きもたまには悪くないだろう?」
「そ、そうでござるな――」
「おっはようごっざいまーーすっ!」
突然後ろから元気な挨拶が発せられる。
「おはよう、恭介」
「あれ? 君は確かー、秀雄じゃないかあ」
「あ、ああ浅川殿。ご機嫌うるわしゅう」
動揺のあまり一層不思議な言葉遣いになっている。どうにも不自然だ。いや、いつも不自然な気もするけど。
「どうしたんだい、こんな早くから」
「オレも聞いたんだが、歯切れが悪くてな」
「べ、勉強でござるよ! この前のテスト、あまりいい結果ではなかった故」
確かに、赤点候補ではなかったものの外村の点数は全教科中の下といったところだった。
しかし――ならばなぜ隠す必要が?
「と、とにかくっ! 拙者は失礼するでござる」
「おいおいそんなに冷たくせんでも――」
「ドロンッ!」
そう言うなりあわあわと彼は学校へと走り出す。途中電柱にバッグをぶつけ、鈍い音と共に「わぎゃあっ!」と叫び声をあげていた。
「何だって言うんだ……」
「あ! おい清隆、このままじゃまずい!」
「は?」
「一番手、あいつに取られる!」
「ああ、お前はずっと続けてるんだったな」
オレは目覚めが良い時や気が向いた時だけにしようと決めたのだが、恭介は相変わらずクラスで一番に登校しているらしい。あの日櫛田にしてやられたのが余程プライドに傷を与えたようで、こんな風にムキになることがあるほどだ。
「別に無理して急がなくてもいいだろう」
「あんたバカァ? トップをねらえ!」
昂ったまま彼は馬鹿みたいなスピードで駆け抜けていく。あっという間に抜かされた外村が再び奇声を発していた。
……やれやれ。
久しぶりに競走も悪くないだろう。今周囲にある目も外村以外にないようだ。
多めに水を補給し、恭介に追いつくべく少しばかり強めに前へ踏み込む。
須藤たちとのトレーニングは勿論今も続いているため、頬をはたく生温い風にもそろそろ慣れてきた。正直春先の頃の方が程よく冷たくて気持ちよかったが、これまた新鮮。
外村の三度目の大声を傍耳に、オレはワンツーフィニッシユのウイニングロードをのびのびと駆ける。
「どうして汗まみれなの……?」
鈴音が開口一番引き気味な声で言う。
「代謝がいいんだよ」
「大自然の恐ろしさを知った……」
「そっちはジャングルを彷徨ってきたみたいに満身創痍のようだけど」
恭介はその顔面と同じくキラキラ眩い表情で言ってのけたが、オレはそうもいかなかった。
体力の限界ではない。運動を怠っているわけではないので身体能力に致命的な低下はないはずだ。
ただ、やはり暑さに敵わない。ここまでの疾走自体久しぶりだったのもあり、思わぬ痛手だ。
ペットボトルの蓋を開けるが中身は数滴。もう一本手にしておくべきだった。今は買いに行くのも面倒くさい。
「朝から汚いわね」
「男の勲章――って前にもこんなことあったな」
いい加減こいつも清々しい発汗を知るべきだ。今度恭介に頼んで無理にでも三人で運動をしてやろうか。
「おはよう堀北さん。綾小路君に、浅川君も」
次なる来訪者は櫛田。満面の笑みで手を振っている。
「おはようくし」
「おっはようごっざいまーーすっ!」
「……今日はやけに元気だな」
普段欠かさず挨拶をしているやつではあるが、端的に声がでかい。
「堀北さん、おはよう」
「……」
「挨拶は大事だよ? ほら、浅川君みたいにさ」
「…………はあ。おはよう、櫛田さん」
「うん!」
オレたちそっちのけで、鈴音と二人の世界に没頭し始めた。
――気が気ではないのだろう。
あの日、鈴音と櫛田が腹を割って話して以降、櫛田から鈴音への接触が極端に増えた。今まで半信半疑だった彼女の秘密の認識が事実だとわかったからに違いない。
所謂監視。やはりあの毒づいた言葉の数々は本心だったようだ。
それに対して何かを思うことは特にない。――特にないつもりなのだが…………やめておこう。誰かに明かすこともないし、自分でもあまり考えたくない。またしても本能が拒絶を訴えている。
とは言え、こちらへの疑いも健在だろう。寧ろ深まっているかもしれない。鈴音と特別仲が良いと認識されているオレと恭介が、彼女から何かを聞いている可能性は十分にある。オレが櫛田の立場だったら、気を許すことなど当然できない。
あくまでオレたちは素知らぬふりだ。彼女の深淵に触れるのは、まだ時じゃない。その下準備は慎重かつ着実に進める必要がある。第一歩として、
「それでね堀北さん――」
「おはよう櫛田ちゃんっ!」
仲睦まじげ(笑)な二人の少女に割り込んできたのは、中間テストで赤点候補筆頭だった三人と、沖谷だ。
「今日も最ッ高に可愛いぜ!」
「ふふ、ありがと」
いよいよ賑やかになってきた纏まりに、鈴音がわざとらしく溜息を吐く。
「勘弁してほしいものね……」
「そりゃねえぜ堀北。俺らは仲間だろ?」
「遺憾ながら、ね。馴れ馴れしくするつもりはないわ」
「あはは……。相変わらずなんだね、堀北さん」
須藤と沖谷が苦笑するが、奇遇なことにオレも似た思いだ。
「もう諦めて慣れる努力をしたらどうだ?」
「いやよ。まるで私が負けたみたいじゃない」
「何と闘ってるんだ……」
オレには理解しがたい「譲れないもの」があるようだ。さっきも櫛田に言葉の雨を浴びせられながら飄々と読書に耽っていた。
「――ホームルームを始める。早く席に着け」
定刻通り茶柱先生が入室し号令を発す。
今日もまた、日常が始まる。
とっくに得た知識を再び習う日常が――。
帰り道のことだ。
今日は人と会う約束があると言って別れた恭介を抜きに、鈴音と二人で歩いていた。
「こうしていると、何だかオレたちカッ」
「……」
「プヌードル買った時のこと思い出すよなぁ……」
怖すぎ。
「……そろそろ七月ね」
「湿り気が増えてきたな。今だって曇り空だ。ナイーブになる」
「そうね」
梅雨も無論初体験だ。事前に調べていた通り、ジメジメというオノマトペがしっくりくる高温多湿。これなら米屋も繁盛しそうだ。
だが、彼女が話したい内容はそれではないのだろう。
「ポイント、入るかしら」
「どうだろうな。入らなかったら、Dクラスの大半は今月中に無一文だ」
いくら節約してきた生徒でも、四か月支給がなければ貯金の底は尽きるはずだ。この暑さだと余計出費も膨れるだろうし。
ふとした違和感に宙を見上げると、数羽の群になっている鳥たちが飛んでいるのが見える。
――ん? 違う、違和感の正体はこれじゃない。背後の、音。
振り向くと、見慣れない飛翔体があった。
「あれは何だ?」
「ドローン……」
オレの動きに気付いた鈴音が同じ物を見て呟いた。
ドローン。俗には大衆が開放的な趣味として愛用する小型機を指すが、本来は無人航空機全般を表す名称だ。交通や農業に用いられるものから軍用まで、あらゆる種類が当てはまる。
それについては今はどうでもいい。俗に合わせた話ができる以上のことは必要ない。
「いいのか? 敷地内だぞ」
「さあ。許可を取った上での娯楽なのか無許可の放蕩なのか、興味ないわ」
「Dクラスのやつだったら最悪クラスポイントに響くかもしれない」
「ならどうするって言うの? どのみちあんなにも目立ってしまっては手遅れよ。それに」
「それに?」
「一年D組であれを手に入れられる経済力を持つ人に心当たりがないわ」
なるほど、一理ある。
少々気掛かりだが、追及する要素もないし態々鈴音との下校を放棄してまで見物しに行くほどの関心もない。
足を動かそうとすると、快活な声が届いた。
「あれ、堀北さんと、えーっと……」
「綾小路清隆だ。よろしく、一之瀬」
「うん、よろしく!」一之瀬帆波。Bクラスの実質リーダー。――いや、確かクラス独自の役職システムで委員長に任命されていたはずだ。ならば名目上もリーダーか。
恭介が過去問を提供した相手が彼女だ。どんな交渉が行われたのか興味があるが、生憎鈴音がいる。
「一緒に帰ってるんだ。もしかして、付き合ってたりする?」
「バッタリ遭遇した友人と無理に距離を取って帰ることもないだろう。目的地も同じことだしな」
今の鈴音を前に調子の良いことを言えるほど無神経ではない。彼女を憂え、即座にバッサリと否定する。
「仲が良いんだね。この前図書館でも一緒にいたし」
「……要らない縁に捕まってしまっただけよ。あまりそういうことを軽々しく口にされると不愉快だわ」
自分だけ無言なままなことに居たたまれなさを感じたのか、ここで鈴音が口を開く。心無い言葉だ。
「そういう一之瀬は一人なんだな。寧ろ囲まれて下校するくらいだと思ってたけど」
「部活がある人多いから。ずっとみんなでっていうのも疲れちゃうしね」
部活か。南東トリオ揃って無所属だったために失念していた。Bクラスはそういうところも含めて優等生のようだ。
「やってる人からすれば有意義なものなんだろうな」
「実績を残せば個別にポイントも支給されるみたいだからね」
「何ですって?」重要な発言に、突然鈴音が前のめりになる。
「にゃ? 先生から説明なかった?」
「あの人、また……」
懲りない担任だ。中間テストの範囲変更と同様、故意に情報を伏せていたのだろう。
理由は――オレと恭介とで共有していた茶柱先生の裏事情と照らせば答えは出る。個人のプライベートポイントよりもクラス全体の成績を優先してもらいたかったからだ。
「なら須藤あたりは期待できるかもしれないな」
「うちだと柴田君がすごいみたい。あ、平田君と同じサッカー部なんだけどね」
もしかしたら、各クラスある程度分野ごとに優れた生徒が配属されているのかもしれない。身体能力を活かすイベントの可能性は考慮済みだ。
「あいつを助けた意味、一つ形になったな」
「でなければ困るわ。タダ働きしたつもりはないもの」
至極無愛想ではあるが、彼女の言っていることはごもっともだ。恭介やオレはともかく、こいつに須藤を助ける感情的な理由はない。
「そういえば、浅川君はいないんだね」
「人と会う約束があるらしくてな」
「そうなんだ。――あ、もしかして、神崎君たちかな」
「何か心当たりがあるのか?」
「うん。まあ大したことじゃないけど」
それから短い雑談を挟み、一之瀬は帰路の先を往った。
「彼女のこと、どう思う?」
意外にも鈴音から話を振られた。
「可愛い、善良、人気者。実に簡潔なステータスだ」
容姿の善し悪しは生まれながらにして定まっているものだが、性格はそうもいかない。櫛田とは違い、一之瀬は心の底から人を想える少女といった印象だ。
……それを自分に課しているという意味では恭介に近い。
「そう。綾小路君は、ああいう人が好みなのね」
「ん、どうしてそうなる?」
「随分とべた褒めじゃない」
「そうか? ありきたりなことしか言えなかったつもりだが」
微妙に棘のある言い方だ。表情も心なしか曇っている。
「……嫉妬しているのか?」
「あり得ないわ」
…………ふーん。へー、そういうことね。
「――行くか」
「ちょっと待ちなさい。何、そのにやけ顔」
「別に。我らが姫は可愛らしくなったものだと思っただけだ」
「茶化さないで。その呼び方、気持ち悪いわ」
「はいはい」
「……あなた、普段無表情で正解よ。笑っていると更に気持ち悪いから」
今日も、オレたちの関係は良好だ。
さて、おやと思った方もいるでしょうが、本章の一人称担当は綾小路君です。メインで動くのは彼ですが、オリ主も同じくらいウヨウヨ動くため、展開の全てを明かさずミステリー色の強い章になると思います。最終的に全貌がわかるようがんばります。
番外編第一弾(題はナイショ)
-
六月下旬(1章~暴力事件)
-
七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
-
八月中旬(四.五巻前後)
-
夏休み以降の時系列がいい
-
やらない