「ここが……三階ね」
「あづい」
「須藤君はこの位置に立っていて」
「アヅイ」
「相手はこちら側に並んでいた」
「アーヅイ」
「聞いてる?」
「あっつい」
顔面にペットボトルが飛んできた。
直撃。
「帰らすわよ」
「オレ要らないだろ!」
「視点が一つであっては見落としの危険があるわ」
その通りだけども。
特別棟三階。まるで蒸し風呂だ。
その端、窓際に呼び出された須藤が立ち、囲うようにCクラスの生徒が並んでいた。向かいの角が佐倉たちの隠れていた場所。
「状況だけで言えばおかしい箇所はない、と思う」
「同感だ。証言どうしに矛盾もなかったしな」
そもそも殺人事件でもなければ検挙される事件でもない。現場の保存具合も当時そのままというわけにはいかないだろう。
オレは無言のまま、須藤が背にしていた窓に寄る。
「何をたそがれているの?」
「何となく?」
「あなたの頭も黄昏時ね」
何て清々しい返しだ。
暫く眺めていると、平田が合流する。
「どうだった?」
「バスケ部に行ってきたよ。須藤君が努力家だったことはせめてもの救いだね」
あらましを聞くと、どうやら須藤の部活への取り組みは模範的と呼べるものだったらしく、彼の印象を良くするにはうってつけな材料になりそうだ。元は大した見込みのないものだったため、思わぬ僥倖だろう。
「綾小路君も、やっぱり気になってたんだ」
「え、なんのことだ?」
急に話を振られあたふたする。本当に何のことだかわかっていない。
「佐倉さんは風景を撮るために来たって言っていたけど、写真の好きな彼女があの時間帯にここを選ぶのは違和感がある」
「理由は?」鈴音が問う。
「動画でもわかる通り、事件当時は夕日が眩しく逆光が酷かった。しかも、窓から外を撮ると反射の影響もあっていいものは撮りにくい」
「技量でカバーするんじゃないのか?」
素人のオレたちにはわからない良さがあるのかもしれない。
「……そうだね、言いたいことはわかるよ。何を言っても可能性に過ぎない。でも、動画を撮っていたことも含めて拭えない裏を感じる」
随分と浮かない表情だ。教室では、きっと努めて見せないのだろう。
「そっちは何か、進展あった?」
「いいえ、特には」「ああ」
「は?」自分とは真逆の回答に、鈴音が顔を顰める。
「須藤は部活には真摯だったんだよな。なら、用具の手入れも念入りだった話も聞いているか?」
「言ってたね」
「Cクラスの二人は?」
「たるみ気味、とは言っていたよ」
「わかった」オレは壁のある箇所を指差した。「ここを擦ってみてくれ」
「ここ? ……あ! これは……」
「……少しベタついてる?」
二人共気づいてくれたようだ。
「クリーナーワックスによるものだと思う」
ボールの手入れに使われるものだ。これは、この壁に須藤が手を付けたことを示している。
「でも、それがどう繫がってくるんだい?」
「Cクラスの主張はこうだ。『自分たちは須藤に一方的に殴られた』」
「なるほど。一方的なら、ここに跡が残るのは不自然ね」
壁に手を付ける体勢になれば、相手側に背を向け、更に追い込まれる状況にならざるを得ない。抵抗しなかった相手にそうはならないはずだ。
「それと」
「ちょっと待ちなさい。まだあるの?」
「ああ、悪いか?」
「……先に言いなさいよ」
鈴音が思考する時間だと思って控えていたのだが、悪手だったか。
「今度は佐倉たちの方だ」
何かと疑われている方にも触れていく。
「階段は一つだけじゃない。須藤たちが喧嘩したのと反対、佐倉ちが隠れていたいた側にもある」
「……やはり行動が不自然なのね」
逃げ道はすぐそばだったのだ。猛暑で冷静な判断が難しいことも踏まえると、じっとするより一刻も早く離れようとするのが小心者の心理と言える。
「佐倉さんたちから、もっと詳しい話を聞く方法はないのかな」
「難しいだろうな。可能性があるとすれば、誰かが一人でいるところを上手く説得しに行くとかだが……」
その材料がない。恭介ならどうにかなったかもしれないが、生憎彼も向こう側だ。
「明日は普段特別棟で活動してる人たちに話を聞いてみようと思うんだけど、堀北さんたちは?」
「…………二つ、考えがあるわ」
「わかった。いい結果を得られたら、報告してほしい」
そう言って階段を降りようとする平田だったが、途中何かに気づいたように振り返る。
「そういえば、あまり事件に関係ないことかもしれないんだけど、どこかでサッカーのスパイクを見かけなかった?」
「スパイク?」
「柴田君が困ってるんだ。先週までは普通に使っていたはずなんだけど」
「見てないわ」
「そっか……柴田君、前の部活のあと怪我をしちゃったらしくて、余計落ち込んでるんだ。もし見つけたら教えてもらえるかな」
今度こそ彼の姿を見届けた後、
「オレたちも行くか?」
「……まだ、少し」
「もう何も出てこないと思うぞ。気持ちはわかるが」
「……っ、そう、ね」
正攻法な『調査』ではここで頭打ちと見るべきだ。
正攻法ではない方法ならあるにはある。現場を見回して思い至りはしたが、鈴音に仄めかすのはまだ後でいい。
それに、あまり使いたくない。
嫌な予感がする。――ほんの微かな違和感。
その思考は即座に打ち切ることとなり、下校を始める鈴音に付いていく。
「二つ、と言っていたな」
鈴音の次の行動、興味はあったので、間を繋ぎつつ訊く。
「ええ、一つは捜査の続き。特別棟の周りに手がかりが残っているかも」
事件自体は特別棟で完結しているが、当事者の動きはそうではない。寧ろ路端の方が誰の目にも触れていない何かが転がっている可能性がある。
「そして…………Bクラスにも話を聞きに行くわ」
「Bクラス?」
「折角一之瀬さんと面識があるんだもの。望みは薄くとも、試さない理由はないわ」
Cクラスが獰猛なのと同様Bクラスが善良であることは周知の事実。相手が相手だし、協力的な姿勢を取ってくれる見込みはありそうだ。
特別棟を出ると、最近見た顔が現れる。
「どぉおおわぁ!」
「――! あなたは」
「外村?」
彼も帰宅部だったはすだ。どうしてこの時間にこんなところに?
「さ、散策でござるよ」
「……流行ってるのかしら」
そんな話、聞いたことない。
挙動不審に体を揺らす外村。
「散歩の割には落ち着きがないな」
「わ、わくわくしてるだけでありまするぞ。わっくわくのウッキウキでござる」
大袈裟にステップしてみせる。
「……まあいいわ。念のため聞くけど、この前の金曜日に何か目撃していないかしら」
「えっ、………………ナニモシラナイデゴザル」
……。
…………何?
「お前、何か知ってるのか?」
「し、しし知らないでござる。拙者、その時間に敷地内になんていなかったでござる!」
嘘だ。顔に書いてあるくらいにわかりやすい。
明後日の方を向き、笛の音がしない口笛を吹いている。
「どうして話せないんだ?」
「だから拙者は! そ、その……申し訳ないでござる」
一転し、しおれた表情になった。
「こればかりは勘弁してほしい、一生に一度のお願いというやつでござる」
「何をそこまで――」
「ちなみに一度きりとは限らないですぞ」
拷問して吐かせるのもありかもしれない。と思ってしまった自分にほとほと呆れてしまう。
「……わかった。今は須藤の事件のことについては聞かない」
「あなた、勝手なことを言わないでちょうだい」
「無理だ鈴音。多分ここで外村の口を割らせることは叶わない」
しかし代わりに、二つだけ。
「もし本当に切羽詰まったら、お前に頼る以外なくなったら、待ってられないからな」
「…………わかったでござる」
「それと、先週とは関係ないことだが、落とし物を見てないか?」
「お、おおおとおとお落とし物ですと!?」
忙しなく驚愕する外村。今後落ち着いている彼と会話をする機会はあるのだろうか。
「もしかして、お前も落とし物か?」
「いやいや何を申そう! 拙者、所有物は全て宝物のように厳重な保管をしますからして! ほら、この通り、端末もごついカバーとフィルムでがんじがらめでござる!」
血走った目で、改造の領域にまで踏み込んだ機械を見せつけてくる。さすが機械オタクだ。
「……ところで、お二方に聞きたいのですが、前の金曜にどこかで気になるものでも落ちてなかったでござるか?」
「……落とし物まで流行ってるのかしら」
そんな話、聞いたことない。
やはり落とし物だったようだ。しかも事件当日。彼が当時敷地内にいた可能性は非常に高い。
「特徴を言ってくれないとな」
「いえいえ、心当たりが無いなら無問題。一目で『ああ、絶対あれのことだ』とわかる代物であります故」
「それでは」とそそくさと去っていく。ドロン、だったか。
「……どっと疲れたわ」
「お疲れ」
「彼、苦手なタイプよ」
「お前の場合はちょっと多過ぎだけどな」
ただ、嵐のような存在だったことは否定しない。
「そういえば、アレ」
オレはあることを思い出し、右後方を指す。
「窓が割られているわね」
「野球部の事故だったらしいぞ」
恭介から聞いた情報をそのまま伝える。鈴音は興味なさげだ。
「いいのか?」
「とても関連性があるとは思えないけど」
「何でもいいと言ったのはお前だろう。特別棟に面しているし割れたのも事件当日らしいから、一応見ておいたらどうだ?」
一理あると判断したのか、眉を寄せながら歩いていく。
「見たところ硝子の破片も片付けられているようだし、何か残っているとは思えないわ」
「……そうか」
まあ、自然な結果だ。
「――あら?」
突然鈴音が訝しげな声をあげ、壁面に手を当てる。
「ここ、少し削れてる」
「ん? 本当だな」
彼女の言うとおり、不自然な傷跡がある。まるで引っかかれたような。今までこんなものあったか?
グシャッ。
「――! 今の何?」
「す、すまん。破片を踏んだ」
足元を確認すると、透明で鋭利な欠片が刺さっていた。
……いや、待て、おかしい。この位置は――。
「綾小路君……?」
不意に後ろを見上げるオレの様子を咎める声がする。しかし――
…………まさか。
「……何でもない」
「何なのよ……お手上げね」
今は、無意味だ。
どうしたものか。背水にまで追い詰められなければ切れないカードばかりが揃っていく。
「……困ったな」
鈴音とは異なるであろう感情が、ぽつりと落ちた。
―――――――――――――――――――――――――
カツカツと、鋭利な鉛筆が紙を通して机を小突く音が響く。
三桁の数学の横に簡潔な説明――ステータスコードを纏めた表だ。
それをひとしきり書き終えた浅川は大きく伸びをする。
「んはぁー、休憩!」
「お疲れ様です」
傍らで読書に耽っていた椎名が顔をあげる。
「あとどれくらい残っているんですか?」
「ざっと三十ページくらいかな」
前々から使っていた分厚い教材も気づけばあと僅か。夏休みまでには終わらせられるだろう。
「最近ホントに疲れるなあ」
最近というが、浅川が行動した時間は大して長くはない。ただ、密度が濃かった。二度と経験したくないレベルだ。
須藤や綾小路たちには気の毒だが、優先順位というものがある。浅川にとって今最も大事であったのは、椎名のことだった。誰にも知られていないのは、当然知られたくないことで、知られるべきでもないことだから。
「例の事件のこともありますからね。うちのクラスがご迷惑おかけして、すみません」
「なかなか思い切ったことをするもんだよ、全く」
おかげで上手く事を進められたのだが。
椎名は事件の仔細を知らないらしい。彼女自身の洞察によって作為的なものを察しているようだ。
「浅川君は何かしらアクションを起こしているんですか?」
「んー、まあぼちぼち?」
半分真実で半分虚偽だ。浅川は既に一度Dクラスを不利にさせる行動を取っている。
しかし裏切るつもりは更々ない。だから別の種を蒔くことでリカバリーをした。
あとは綾小路が何とかするはずだ。こちらが散りばめた勝利への布石、彼なら余すことなく回収してくれることだろう。
その点、勝負は既についている。Dクラスは損失を被らないし、浅川は個人で利益を得る。万々歳だ。
ああ、この時間に眠気に誘われるのも珍しい。一つ欠伸をし、椎名を見る。
「少し休む」
「わかりました」
「……いい?」
「……構いませんよ」
短いやり取りのあと、浅川は右にくずおれる。
発されたのは、固い床に当たる鈍い音ではない。
ぽすっ、と、椎名の膝上に軽い衝撃。
「ありがとう」
もはや日課となりつつある行為だ。安らかに目を閉じ、心の鎮静に喜びを覚える。
椎名に優しく諭され、中間テストを乗り越えて以降、次第に浅川は彼女に不思議な感情を抱くようになった。
胸が異様に鼓動を早めるだとか、目を合わせられないとかはそう経たない内に収まった、恐らく戸惑いに近いものだったのだろう。
今胸中を支配するのは、安寧だ。
見守られ、包まれ、ただ和やかな時間が詰められた場所。それが今の彼にとっての椎名だった。それを認めてからというもの、躊躇うことなく甘えるようになった。
偶には自分に優しくなろう。そういう意図もあった。これが自分を慰めるための一石になるのだと期待して。
そっと、上から撫でられる。心地良い、彼女の手の感覚だ。嬉々として受け入れる。嫌なら嫌と、椎名なら言ってくれるはずだ。
今は何も考えたくない。彼女の中でゆっくりと眠っていたい。
幸せを守りたいと、願う君の。
相手の顔は、今日も見えない。
番外編第一弾(題はナイショ)
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六月下旬(1章~暴力事件)
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七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
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八月中旬(四.五巻前後)
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夏休み以降の時系列がいい
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やらない