アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

85 / 129
アンケートの状況にびっくり。正直上二つと一番下に票が偏ると思ってました。GW明けらへんにはアンケート締め切るつもりなんでよろしくです。


延潮

「頭を、撫でてほしい」

 

 高めな少年の声。

 その願いに応じて、寝そべる彼の頭の上に、そっと手が乗せられる。気持ちよさそうに目を閉じる姿は、あどけない。

 

「ありがとう」

「……」

 

 ふわりとした印象を与える髪を垂らす少女は、瞳を震わせて少年の顔を見つめている。

 

「……どうしたの?」

 

 不意を突く指摘に、瞳孔が揺れる。

 

「……いえ。今日まで、色々な変化があったなと思いまして」

「……そっか」

「あなたと出会ったのが大きかったのでしょうね。他の人との関係も、あなたのおかげで始まりました」

 

 そんなことは、と言おうとしたが、なまじ間違っていないことに気づき、少年は下手な謙遜はしなかった。

 

「幸せ?」

「……ずっと独りだったもしもよりは、きっと」

 

 短い沈黙が流れる。

 

「……ねえ、一ついい?」

「はい」

「その、できたら、抱きしめて欲しい――」

「……いいですよ」

 

 体勢が変わり、少女は優しく少年を包む。

 

「…………あったかい」

「……変わったのは、周りだけではありませんね」

 

 心音に混じって、柔らかな声が少年の耳に届く。

 

「最初の頃は、こんなことはしませんでした」

「イヤ?」

「……そういうわけでは。でも、少なくとも私からあなたへの印象は変わりましたし、あなたも恐らく、私を見る目が変わったのだと思います」

「……そうかもね」

 

 その通りだった。でなければ、少年はこんな無垢な要望も姿も、彼女に晒せない。

 

「…………あの、私からも一つ、いいですか?」

「なに?」

「あなたには今、私がどんな風に見えていますか?」

「それは……」

 

 刹那、少しだけ距離が開き、少年の頬を温かな両手が覆う。

 そのまま顔を持ち上げられ、少女と目があった。

 顔は、よく見えなかった。表情も、よくわからない。

 

「私は、――ですよ?」

 

 ダレカ、ヨクワカラナカッタ。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

「一年B組の、神崎隆二です」

 

 乱入者はそう名乗った。想定外の事態にこちらも向かいも唖然とするばかりだ。

 唯一、生徒会長だけは狼狽えずに応じる。

 

「ふん……神崎、この審議に議論の余地があると言ったな」

「か、会長。良いのですか?」

「本来であれば、裁判中の勝手な行動や発言は退廷対象だ。しかし生憎、ここは一学校の敷地に過ぎない。柔軟な対応を取るべきだ」

「……わかりました」

 

 御託を聞くくらいはしてやろう。そう言っているようにも聞こえる。

 

「神崎、説明しろ」

 

「はい」神崎は傍らの少年を指す。「彼はこの事件のもう一人の関係者、いや、被害者です」

 

「柴田颯って言います」

 

 小宮たち程ではないが、痛ましい包帯を巻いた生徒が言う。

 柴田、という名前は最近何度か耳にした。確かに以前平田が言っていた。怪我を負ったと。

 

「なぜ今まで名乗り出なかった?」

「須藤君と似た事情です。俺もサッカー部での活動に余計な支障をきたしたくなかったから――あと、告げ口したって知られたら何かされるかもって怖かったんです」

「では、今になって名乗り出たのはなぜだ?」

「今日が審議だという話は聞いていました。俺と同じように被害を受けた人がいるならと、勇気を振り絞ろうと思った次第です」

 

 取り合うべきか、そうしないべきかを計っているようだ。

 Bクラスが善良なクラスだと周知されている故か、やがて頷いた。

 

「いいだろう。当時何があったか、証言を許可する」

「ありがとうございます」

 

 これは、大変なことになってきたな。

 紛れもない助け舟。あのままでは間違いなく、裁定は下っていた。

 しかし何故、今になって? Bクラスは真っ向から協力を拒否したというのに、まるで盛大な演出のようだ……。

 ……まさか、な。

 

「部活が終わって帰ろうとした時でした。特別棟の方で物音がして、そっちに向かったんです。――するとCクラスの三人がちょうど出てきて、鉢合わせになりました。――『ちょっとツラ貸せ』って物凄い剣幕で言われて、胸倉を掴まれた時は怖くて思わず抵抗しました。――結局何発か殴る蹴るされて、その後はケヤキモールの方へ向かっていきました」

 

 一息に証言を終えると、場に沈黙が訪れる。

 破ったのは、石崎だ。

 

「ちょ、ちょっと待て! 何だよそれ」

「どうかしましたか?」

「あっ……し、柴田君が言っていることは大嘘です。俺らは彼に暴力どころか、会ってすらいませんっ」

 

 酷く取り乱した様子。一体どういう意味を含む焦りなのだろうか。

 生徒会長は毅然と考えを述べる。

 

「嘘か真か、それはこれから判断することだ」

「けど――」

「条件はお前達と同じ。柴田は一目瞭然の怪我をしており、お前達を告発している。少なくとも無視すべきものではない」

 

 冷静沈着に真っ当なことを言われ、彼らは黙るしかない。これ以上反抗しても印象を悪くするだけだと判断したのだろう。

 会長は柴田に話を振る。 

 

「つまり、須藤との喧嘩のあと、彼らはお前と遭遇し腹いせに暴力を振るったと?」

「その通りです」

「……なるほど」

 

 僅かな思案の後、会長はこちらを向いた。

 

「被告側、尋問を要請する」

「え?」

「どうやら二人の言い条は、須藤を庇い原告側を咎めるもののようだ。つまり、そちら側の証人ということになる」

 

 そういう風に捉えることも、できるか。

 

「前もって伝えておくが、俺はまだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「と言うと?」

「今回の暴力事件とは別件として片付けるべき議題である可能性も考慮している、とういうことだ」

 

 確かに今の証言だけでは、須藤の件との関連性は確認できない。ただの情で彼を庇っているに過ぎないと結論づけても、寧ろ自然だ。

 

「この審議が新たな展開を見せるか、将又さっきの展開に逆戻りするかは、お前達の采配にかかっている」

「……わかりました。尋問をお願いします」

 

 鈴音が緊張の面持ちで承認する。が、動揺を抑えられていない。

 やむを得ないか。オレが口を開く機会は多くなりそうだな。

 

「――物音がした、と言いましたが、どんな音でしたか?」

「ドン、という鈍い音でした。空耳かとも思いましたが、もし人でも倒れていたら大事だと考え直して向かいました」

「鈍い音……? 間違いありませんか?」

「はい、間違いありません」

 

 鈴音がオレと目を合わせてくる。

 いやいや、オレに縋ってきても困る。不思議なことではあるが。

 

「……当時、暴力沙汰ではありませんが、もう一つ事件がありました。特別棟に面した建物のガラスが割られるというものです。改めてお聞きしますが、柴田君が聞いたのはガラスの割れる音ではなかったんですね?」

「勿論です。それを聞き間違えることはさすがにないと思います」

 

 疑問はある。だが今は今回の事件との関連性を見出すのが先だ。

 今度はオレが質問する。

 

「――Cクラスの三人と鉢合わせになった。その時の三人はどんな様子でしたか?」

「息が上がっていて汗をかいてました。あと――記憶違いでなければ、()()()()()()()()()()()()()()と思います」

「え、どういうことですか?」

「その傷は須藤君とのやり取りを終え、俺に暴力を振るった後のものだと考えられる、ということです」

「なっ……!」

 

 再び目に見える激震が、相手側に走る。

 

「柴田は須藤君が訴えられたと知った時、すぐにCクラスの連中が嵌めたと思ったそうです。須藤君はあくまで必死に抵抗しただけに過ぎず、彼らが軽い怪我を大仰に偽装したと。俺個人としても、Bクラス全体がCクラスから度々嫌がらせを受けていたため、あり得ない話ではないと思います」

 

 今回の問答は相手への心象を大きく下げるものだった。しかし、こう、……都合が良いとは思えなくもない。

 まあいずれにせよ、求められているものは得られなかったわけだけど。

 

「――柴田君は抵抗したんですね。それはどのあたりですか?」

「特別棟を出たあたりです。物音の原因を探し始めた時でしたから」

「抵抗の内容は? 具体的にお願いします」

「こちらが手を出したら負けだと思って、掴みかかった手を振り払ったり藻掻いたりしただけです。そしたら囲まれて、リンチに掛けられたんです」

 

 どっかの単細胞とは大違いだ。オレと鈴音、茶柱先生までもが同じ方を見る。バツが悪そうに俯く姿が哀れだ。

 

「――ケヤキモールの方、と言うと、特別棟を出て《右》に曲がりますね」

「そうですね。多分、病院に向かったのだと思います」

「なるほど。――小宮君、あなたたちはすぐに病院に向かいましたか? 後から調べればすぐにわかるので、嘘偽りなくお願いします」

 

 念を押してから聞くと、返答はノーだった。

 

「ぼ、僕たちは、()()()()()()()()()()()()。荷物も、あったので」

 

 どうやら完全に描いていた筋書きからは外れてしまったようで、一語一句がぎこちない。

 それはそうと、またしても矛盾が発生した。

 

「寮……特別棟を出て《左》ですね」

 

 柴田の証言と真反対。困ったことにどちらも嘘をつく理由が思い当たらない。真実を断定する材料は見えていない。

 

「…………終わりか?」

 

 質問が途切れたことを察し、生徒会長が問う。

 

「わかっているな。現時点で、須藤の事件と直接的な関連は見込めない」

「し、しかし、柴田君は特別棟から出たばかりの小宮君たちと遭遇しています。これは関連性を示す――」

「そう言っている、だけに過ぎない話だ」

 

 鈴音が食らいつこうとするが、まるで効かない。こればかりは向こうの理屈の方が正しい。

 

「柴田と小宮たちには決して誤差や記憶違いには収まらない証言の齟齬がある。これは柴田が須藤を庇うために話を誇張、あるいは捏造したと一蹴できる」

「けどそれは……!」

「向こうも同じ、じゃないんだ鈴音。小宮たちが原告で柴田が証人、この違いは大きい」

 

 関連性が認められていない限り、柴田を今回の事件の被害者として対立させたことにはならない。被害者としての証拠能力を持つ証言は依然相手の方にある。

 万一柴田の怪我がCクラス三人によるものだとしても、時間や場所にある程度の継続性・連続性があることを証明しなければ、それらが偽りである可能性が残ってしまう。例えば、『須藤の事件から数時間後に寮の裏で柴田が被害を受けた』としても、さっきの証言はできてしまうのだ。

 つまり、

 

「物的な証拠が必要だ。一つでもいい、柴田の証言の正当性を示し、この事件との関連性を示す証拠品が」

「……っ、そんなの、あるわけないわ。私達はずっと須藤君の事件しか調査してこなかった。今更新しい事件に関わる証拠なんて……」

「……いや、案外そうとは限らないぞ」

「な、なんですって……?」

 

 そう、オレならわかる。オレなら知っている。

 鈴音や他のメンバーが十分に把握していない、オレだけが掴んでいる証拠品――。

 きっとそれが、新たな展開をもたらすはずだ。

 

「生徒会長。被告側には、柴田君を被害者とする事件と須藤の事件、二つの事件の関連性をはっきりと示す証拠品を提示する用意があります」

「……ほう、面白い」

 

 彼はこちらの頼みの綱を一蹴できると言った。――突きつけてやるんだ。文字通り、そんな妄言を『一蹴する(蹴り飛ばす)』証拠品を。

 

「ならば示してみせろ。お前の言う、決定的な証拠品を」

 

「それは――――――サッカーのスパイクです」

 

「スパイクだと?」会長は眉を顰める。「どういうことだ」

 

「事件後、巡回の教師が特別棟を確認したそうです。その際サッカーのスパイクが片方だけ落ちているのを発見しました。持ち主は当然、柴田君です」

 

 証人は勿論巡回していた本人だ。スパイクも柴田のもう一方のスパイクを確認すれば同種であるとわかる。

 

「特別棟を出たところとなると、それなりに人目につく場所です。隅の方ではあったそうですが、須藤や小宮君たちが気づかなかったはずがない。つまり柴田君のスパイクは、須藤たちのやり取りの後、日没までの間に落とされたたことになる。彼は確かに事件当時、特別棟の前まで行き、そして小宮君たちと出会ったのです」

 

 スパイクが脱げたのは抵抗したから。放置したのは錯乱していた当時では発見できなかったあるいは小宮らが戻ってくるのを恐れたため探す余裕がなかったと説明できる。

 

「いかがですか生徒会長。これで二つの事件を別物として審議するには、横暴が過ぎるでしょう」

 

 最終確認を審判にする。

 彼は暫し思案を挟み、閉じていた目を徐ろに開けた。

 

「……俺の結論を述べよう。本来この学校で行われる審議に延長はない。何故なら、必要なだけの時間を想定して期日が定められているからだ」

「……」

「しかし。今回のような、全く別の、事前調査を想定できないような事例が新しく紐付けられた場合、その時点で裁定を下すには明らかに調査と議論が不足している。そう判断する」

 

 ……! ということは。

 

「十分な議論を経ないまま誤った処置をとるのは、名誉ある生徒会の箔に傷を与えることになる。それは我々とて望まないことだ。故に特例として――本審議は翌々の課業日、すなわち来週の月曜日まで延長することとする」

 

 決定的な一言が、告げられた。

 

「双方、相手の嘘若しくは自分の正当性を証明する用意をしておくように。以上」

 

 

 

「綾小路君!」

「堀北さん!」

 

 平田と櫛田がそれぞれ名前を呼びながら駆け寄ってくる。

 

「良かった、何とかなったみたいだね」

「辛うじてだけどな」

「でも凄いよ! 首の皮一枚繋がったね」

「あんな胃の痛くなるような思い、二度とごめんよ……」

 

 大いに共感する。しかもまた同じ感覚に陥らなければならないのかと思うと、億劫だ。

 

「やっぱり綾小路君に任せて正解だった」

「いいや、神崎の助太刀がなければ、完全に詰んでいた」

 

 確かにサッカースパイクの情報はDクラスでオレだけが把握していたものだった。審議の行き先を決定付けたとはいえ、そのきっかけを与えてくれたのはBクラスだと、誰の目にも明らかだったろう。

 

「あれは、僕も驚いたよ。急にやって来たと思ったら『今どうなってる?』って聞かれて、ピンチだって答えるなり部屋に飛び込んでいっちゃったんだから」

「そうだったのか」

 

 オレたちが通話を繋いでいなかったらどうなってしまっていたんだ……。

 

「大儀だったな」

 

 噂をすれば、か。

 

「神崎君……偶然だったとはいえ、君たちのおかげで助かった。ありがとう」

「あー、いや、実はな」

 

 平田の素直な謝辞に対し、神崎の歯切れは悪い。

 

「もっと前――綾小路たちが来た時には、この事件に首を突っ込むことは決めていたんだ」

「どういうこと? あの時ははっきり断ったじゃない」

 

 鈴音は要領を得ないようだ。

 

「断らなければならなかったんだろう」

「ああ。事前にクラスどうしで手を組んでいると、認識されるのは危険だった」

 

 やはりそれをわかっていての一連の行動だったか。

 

「……なんとなくだけど、わかったような気がするわ。柴田君の訴えが、私達の偽装だと思われないためね」

 

 例えば佐倉の情報提供が証言のみだった場合、その信憑性は大きく損なわれていたはずだ。なぜなら、同じクラスという須藤を庇う明白な理由が存在しているからだ。

 もしBクラスが表立って協調の姿勢を示していれば、こちらが用意した偽物の証人と見なされる危険があったわけだ。最初からではなくこの土壇場で名乗りあげたことも、その危険性を嵩増しさせていたことだろうしな。

 

「結果的に審議は延長になったわけだが、勝算はあるのか?」

「どうだろう。そっちの事件についてはまだわかっていないことも多いからな」

 

 振り出しとまではいかないが、一度捜査を洗い直しした方がいい。

 ……他にも、気になることがあるし。

 

「まだいたのか」

 

 遅れて、生徒会の二人が出てくる。

 五人の視線を浴びようとどこ吹く風だ。

 

「……綾小路、お前が表舞台に上がるとはな」

「え? いやちょっと――まあ、はい」

 

 わざとか。オレと彼が既知の仲であるということは、知られると少々面倒だ。現に平田や櫛田は目を見開いている。

 

「意外でしたか」

「勿論だ。故に何か隠し玉を潜めているかとも思っていたが……」

「まさか――」

「持ち主は、お前ではなかったようだな」

 

 …………何だって?

 

「そうだろう、神崎」

「――! …………俺には、何のことかわかりかねます」

「わからないな、何故この場で明かさない。本来それは愚策なはずだが……俺が知る由もない事情があるということか」

 

 短いやり取りの間に、神崎はあからさまな動揺を見せる。どうして図星をつけたのか理解できない、と言いたげだ。

 

「明後日がリミットだ。それまでに打開策を模索しておけ」

 

 そう言って、会長は去っていく。

 

「……今の含みのある言葉、どういう意味だろう」

 

 誰もが抱いた疑問を、平田が口にする。そして当然、それらの目は神崎に注がれる。

 

「…………やはり侮れないな、生徒会長は」

 

 ぼそりと呟き、神崎は踵を返す。

 

「折角猶予が伸びたんだ。どんな些細なことでも調べることをお勧めする。何が武器になるか、わからないからな」

 

 再び、Dクラスのメンバーだけが取り残された。

 

「神崎君、何か知ってるのかな?」

 

 櫛田が言うが、もうここにいる全員わかっているはずだ。あいつは何かを知っていて、それを隠している。

 ……いや、違うな。教えずに導こうとしている。

 柴田のことといい、この事件にはまだオレたちに見えてない側面があるのかもしれない。

 須藤と小宮たちの間で起きたCクラスの謀略、それ以外の何かが。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 一応調査に協力してくれた人たち、特に佐倉たち三人にはお礼を言っておこうということで、一先ず解散となった。

 ところがオレが会わなければならない佐倉は校舎のどこにもおらず、不可抗力として感受しGPSで追跡すると、彼女は既に寮へ向かっているようだ。

 これは帰りがてら用事を済ませられる。僥倖だ。

 いつもと同じ道を通り、ロビーまでたどり着く。すると、まだ佐倉の姿はそこにあった。

 あれ? オレが学校で確認した時の位置からして、とっくに部屋に戻っていると思ったのだけど。

 

「佐倉」

 

 何の気無しに、声をかけた。

 幸か不幸か、それは大きな意味を持つアクションだった。

 

「あっ……!」

 

 びくりと身体を跳ねさせる佐倉の腕から、バラバラと紙束が零れ落ちる。

 慌てて拾おうとすると、それらが何なのかがわかり、戦慄が走る。

 

「これは……」

 

 一枚の紙――写真を見る。

 制服姿の佐倉を、彼女の死角から写したスナップショット。

 

「……なあ佐倉、これ」

「あぁ……あ……」

 

 彼女にとってはとんでもない状況らしく、わなわなと唇を震わせ唖然としている。

 ……このまま逃げるように放置するのも、違うか。

 

「な、なあ、とりあえず、どっかで落ち着いて話さないか?」

 

 会話下手なりに絞ってだした一言だが、合格かどうかもわからない。

 オレの呼びかけにハッとし、佐倉は力なく頷いた。

 寮を出てすぐのベンチに座る。横に設置された自販機から、本人ご所望の緑茶を購入し渡す。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 その後は、ひたすら沈黙だ。どちらが破ってもぎこちなくなってしまうような、気まずい沈黙。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………あの、それで?」

「え?」

「何か話、あるんですよね?」

 

「あ、ああ」どうやら向こうは気まずさ以前の問題だったらしい。確かに声をかけたのはオレだ。普通ならオレから何か言い出すものだったかもしれない。「いいのか?」

 窺うように聞くと、どういうわけかクスリと笑われる。

 

「な、何がおかしいんだ」

「……いえ、ちょっとだけ、浅川君に似てるなと思って。仲良いですよね?」

 

 恐らく、恭介からオレのことを聞かされていたのだろう。でなければ、オレとばったり合うなり脱兎の如く逃げ出していたかもしれない。

 

「恭介もこんな感じだったのか」

「はい。最初の頃は基本、ほとんど話さずに待っていて、まるで自分は無害だよって伝えようとしているみたいで。――変ですよね。私、動物とかじゃないのに」

 

 いや、小動物のような警戒心を持っているとは思うが……ただ、恭介の対応は、いかにもあいつらしい。

 オレがしどろもどろになっている間を、じっと待っているのだと勘違いしたということか。何だか申し訳ない気持ちになる。

 

「……見ちゃいました、よね」

「……ああ。恭介はこのことを?」

「言ってないです。けど……多分、知ってるんじゃないかなと、思います」

 

 佐倉は遠くを見る。

 

「知っている? なら何かしら対応していても……」

「あの人は、余計なお節介が嫌いな人だから」

 

 そうだろうか。お節介とは思えない。

 なかなか差し迫っている問題だと感じたオレは、思い切って踏み込むことにした。

 

「あの写真は、雫が関係しているのか?」

「……! なんで……」

「悪いな。櫛田が教えてくれたんだ」

 

 いい気はしないかもしれないが、せめて経緯は正直に言おう。

 

「……多分」

「じゃあSNSの更新が途絶えたのも」

「い、いえ、それは違います。元々、やめるつもりだったんです。浅川君たちにも、伝えました」

 

 やめるつもりだった……?

 

「休業じゃなく、辞めるのか?」

 

 切なそうな表情で頷いた。

 恭介たち……王と井の頭にも雫のことは伝えていた。やめることも。それにも関わらずストーカーのことは話していない。このギャップはどこから……。

 

「どうしてだ」

「雫は、本当の私じゃありませんから。今まで作った虚像に身を逃してきたけど、それはもうやめます。ありのままの私で、他人と向き合わなきゃって、思ったんです」

「……そうか」

 

 なるほど、佐倉なりな成長の一歩のようだ。少なくとも、彼女にとっては。

 

「……佐倉の選んだことだ。長らく頑張ってきたことをやめることにはきっとそれ相応の勇気が必要だろうし、オレなんかがどうこう言う権利も資格もない。だから、尊重はする」

 

 今までのオレなら、それで終わりだ。無関心なオレには、佐倉の事情も問題もどうでもよくて、それを隠して当たり障りのないことだけを言って――。

 

「……だが、恭介は多分、お前の選択を悲しむと思うぞ」

「え…………?」

 

 佐倉がオレを見る。オレは、目線を応えなかった。

「お前は間違っている」とは言わない。佐倉の選択の重さは理解してあげられるし、実際それも新たな一歩にはなるだろう。

 これは恐らく、オレが解決できるものではない。一定以上の関係値が必要になってくるはずだ。精々疑問を植え付け、留まらせてやることしかできない。

 明らかに動揺する佐倉に、オレは質問を重ねる。

 

「ストーカーのことだけ話さなかったのは、あいつらに心配させないためか?」

「あ……はい」

「大丈夫なのか? 解決策とかは」

「……考えてはいます。そう遠くないうちに何とかするつもりです」

 

 静観を決め込むわけではないようだ。彼女がそう言うなら首を突っ込むのも野暮な気はするが……どうにも不安だ。どこか空回りを感じる、危なっかしさというか。

 

「……わかった、あまり無理はするなよ。助けが欲しかったら、できるだけ協力する」

「え、いいんですか?」

「当然だ、友達のよしみとしてな。あまり自分を低く見ても良いことないぞ」

 

 これは本心だ。前に須藤の友人である池と山内も助けようとしたのと同じ。もしかしたらきっかけとなって交流が広がるかも、という下心は無きにしもあらずだが、それは些細なことだ。

 

「ありがとう、ございます。あの、でしたら、私の方からも何かお礼をするべきなのかな……?」

「え? あー、えっと」

 

 思わぬご厚意。どうしたものか。

 

「…………じゃあ、もっとフランクに接してほしい」

「ふ、フランク?」

「敬語を取り払ってくれると嬉しい。無理にとは言わないが」

 

 椎名と違い敬語がデフォルトというわけでもなさそうだ。向こうが嫌ではないのなら、少しくらい親しくはなりたい。

 

「そ、それくらい勿論いいですよ! あ……いい、よ」

「……無理にとは」

「大丈夫! うん、全然大丈夫! 改めてよろしくね、綾小路君」

 

 まあ、そこまで言うならいいか。どちらかというと佐倉自身もそうしたいようだし。

 わたわたする佐倉に何となく可愛げを感じ、頬が緩む。

 

「こちらこそ、仲良くしてくれるとありがたい」

 

 オレは徐ろに席を立った。

 

「有耶無耶になってしまったが、今日はこの前の証言のお礼を言いたかったんだ。佐倉たちのおかげで、まだ抗戦の余地が残っている」

「そ、そっか。助けになれたなら、良かった」

 

 柔らかく微笑する彼女が抱える問題の行き先、気掛かりではあるがそうも言っていられない。須藤を助けることが優先だ。

 佐倉を救えるとしたら、やはり……。

 一抹の不安を抱きながら、オレは寮室へと帰った。

 

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。