同日 午後5時21分
???の部屋
「発見した」
短い朗報を聞き、安堵の息が漏れる。
しかしそれも束の間。浅川は慌てて思考を切り替え、即座に窓を覗く。
もし予想通りならば――。
「……! いたっ」
直下に見えた人影、五点着地を取りそのまま裏の雑木林に逃げ込んだ。
「――っ」
最短ルートはこの窓から飛び降りることだが、ここは十階だ。普通ならエレベーターか階段を使う。
だがそれでは、確実に相手を見失ってしまう。
「……やるしかない」
迷う時間は少なかった。
浅川は躊躇いなく窓枠から乗り出し壁を正面に垂直落下。各階の窓枠に指を掛け、勢いを適度に和らげながら降りていく。
「っし」
じんわりと痛む十指を労う。
地面に着いた頃にはかなり対象は遠のいてしまったが、幹の間に何とか姿は捉えている。当然全速力で追跡だ。
「待てっ!」
聞くわけないとわかってはいるが、思わず怒声が飛び出る。
距離の問題だけでなく、ちゃっかり扮装――監視カメラに映っていた姿――をしているため細部が確認できない。測れるのは背丈くらいだ。
……段々と、離されていく。こちらは落下に体力を使っているせいで尚更持たない。
さらに、
「なっ――!」
足元に違和感を感じ、咄嗟に後方へ跳躍。若干脚に負担が掛かったが息災だ。
態勢を整え前を見ると、木にセットされていた網がにわかに土を掬い上げていた。これまた、古典的な罠だ。
ただしそれは後になって気付いたことで、当の浅川は間髪入れず再び走り出す。同じ轍を恐れ、少々迂回した。
その結果だろうか。そうしなくとも、いずれこうなっていたかもしれない。
やっと木々の地帯を抜け細道に出た時には、もう人の姿は見えなくなっていた。
「……クソッ」
気に入らない結末に舌打ちが零れる。
相手の用意周到さったらなかった。まさか自分が追われる可能性まで想定していたとは。あの罠がその証拠だ。何より、先行したが向こうだとはいえ、まんまと望ましい追跡ルートに導かれていたのが腹立たしい。
「――浅川君」
ほんの少し冷静さが戻ると、通話が繋ぎっぱなしだったことに気付く。
「大丈夫かい? 怪我は?」
「特には。……犯人を追っていました。けど逃げられた」
「そう、か。それは残念だ。でもとりあえず、怪我がないなら戻ってきてもらってもいいかな? 今は堀北さんが無事に見つかったことを喜ぶことにしよう」
「……そうですね」
現状と、これからを憂い、どうしても気分が下がる。
「それと――――少し聞きたいこともあるからね」
「…………ええ、僕もです」
さあ、まだまだ気は抜けないぞ。
―――――――――――――――――――――――――
同日 午後5時25分
生徒会室
しんと静まり返る室内。
その原因が、オレの発言であることは明らかだった。
「……それは、お前の抵抗はここまでだ、という認識でいいのか?」
「Dクラスには、提出できる証拠品はありません」
平田と須藤、Cクラスの三人までもがどよめいている。
「そうか。ならこれ以上の議論の余地はない。現時点における生徒会の判決を――」
「待ってください」
生徒会長を見る。彼も、オレを見た。意図を察し、わずかに口角を上げるのが垣間見える。
――誰が、いつ、終わりだと言った?
「最後の審判の前に、少しだけ時間をいただけませんか。一つだけ見てもらいたい証拠品があります」
「時間だと? 先程は提出できる証拠品はないと言っていたが」
「それはあなた方裁定者に対する言葉です」
これは審議という空間では意味のなさない攻め手だ。だから、それとは無縁の時間を作る必要がある。
「俺たちの干渉を挟まず、誰かにそれを提示したいと?」
「はい。それで、この事件は必ず終わると約束します」
固唾をのんで答えを待つ。
瞬きも忘れていたことに気づいたところで、ようやく訪れた。
「……わかった。ただし」
「ただし?」
「
一度だけ……か。
「十分過ぎる猶予です。ありがとうございます」
問題ない。必要な手番は一手だ。
「では、Dクラス。お前たちに一度だけ、我々以外の人間に証拠の提示の権利を与える」
さあ、一週間を超える長い戦いも、ついに終着点だ。
また一つ――今回は予期せぬ舞台だったが――フィナーレに辿り着く。
「――石崎」
「……!」
「小宮、近藤。お前たちに見てもらいたいデータがあるんだ」
もはや誰もが予感していたはずだ。ここまできて、この三人以外に攻撃対象はあり得ない。
オレは自分の席を離れ、Cクラスの方へ向かう。
坂上先生にも見えないように気をつけつつ、三人に端末の画面を見せた。
それを見た、彼らの反応は、
「な…………に……っ!」
期待通りだ。
予定調和だった最後の切り札。それは、
本来なら偽名で素性を隠すことなど造作もないはずだが、この学校の最たる特色、Sシステムによって、支払いは全て学生証カードを通じたポイントで行われる。強制的に疑いようのない足跡が刻まれるということだ。
まさか胡散臭いだの面倒だのと非難されていたものが、こんなところで味方になるとは。つくづく、運命というものは恐ろしい。
「ここがお前たちの怪我が捏造された場所。そうだろう?」
「……っ、だ、だったらどうして、それを生徒会長に見せない……?」
「質問しているのはこっちだ。どうなんだ?」
「…………さあな。クラスで騒ぎたかっただけだろ」
あくまで認めない気のようだ。想定内ではあるが、そもそもコイツの是非などどうでもいい。オレが『知っている』という事実を認識してさえもらえれば、それで。
「まあいい。お前がどう答えようと、オレはこの答えに確信を持っている。――オレがこれを提出しなかったのは、お前たちを助けるためだよ」
「な、なん、だと……?」
これにはDクラス側にも戸惑いが見られた。表面的には不可思議に聞こえるか。茶柱先生は興味深げに耳を傾けている。あの様子では、まだ真意は察していないようだ。
「どういう、ことだ……」
「仮に捏造の場所が立証されたとしよう。そうしたらオレは、次に『本当にそれだけだったのか』を追究する」
「……」
「この審議が、まだお前たちがCクラス全体で策を巡らせたことは証明されていないからこそ、拮抗していることは理解しているな?」
審議において、今は石崎たち三人と須藤、柴田の個人的な揉め事という扱いになっている。故に、須藤の方が重い処罰を課せられるというのが大まかな結論となってしまっている。
「もし、他に関係者がいたら? そしてそれが悪意を持ったCクラス全体だと明るみになったら? この均衡は当然崩れる。お前たちは甚大な被害を受けることになるぞ」
「だから、助けよう、って……?」
オレははっきりと頷いた。
「は、ハッタリだ! お前がそんなことまで知っているわけが……」
「それを吟味できる猶予は残されていない。お前たちの目的は須藤を陥れることだったはずだ。お前の独断で選択を誤れば、致命的な事実が立証され、処罰の重さは逆転する。結果的にCクラスの方がより重いペナルティを背負い、その責任は全てお前に回る。――お前の『王』が、黙ってないぞ?」
「――っ!」
Cクラスの独裁政治、利用させてもらう。徹底的に石崎の精神を追い詰めるんだ。
「負けが込むのは目に見えている。何を渋る必要があるんだ」
「……っ、嘘だ。あの部屋でどんなことが起きてたかなんて、お前に知りようがない」
どうやらまだ認めたくないらしい。こればかりは見上げた根性、いや、忠誠心だ。
しかしオレたちは、それさえも捻じ伏せる理屈を用意している。
「少年が、一人」
「え……」
「入ってきたろう。確か、お前たちが失敗を報告してすぐだったな?」
「ま、待て。何で……」
「そしてCクラスは龍園の指示でそいつを――」
「ヤメロォ!」
ダンッ! と、大きな物音が反響する。呼吸を荒げ肩を震わせる石崎が、動揺を露わに机を叩いた。
「……答えを、聞かせてもらおうか」
「……」
「……」
「…………どう、すればいい」
「どう、とは?」
「どうすれば、俺たちは助かる……」
オレは、誰にも悟られることなく静かに笑った。
ふてぶてしさなどない。ただ美酒に酔いしれる無邪気な子供の如く、嗤った。
――勝った。
「お前たちの立つ瀬がなくなる要因は、陥れた相手よりも大きな損失を被ることだ。それを帳消しにすればいい」
「なんだって……?」
「全部なかったことにするんだよ。これはお前たちだけが持っている『権利』だ」
オレは淡々と告げた。
「訴えを取り下げれば、最悪の結果は避けられる」
「取り、下げ……」
「安心しろ。オレたちから何か反撃しようとは考えていない。全て、この事件が起こる前に逆戻りするだけだ」
歯噛みし思案する石崎。無論わかっているのだろう、自分たちは負けたのだと。だが無駄なことだ。今の時点で、彼の頭の中には『取り下げ』こそが最適解だという思考が延々とこびり付いている。
「………………わかった」
力の抜けた声だった。
「俺たちは、今回の訴えを取り下げる」
決定的な一言が、全員の耳に届いた。
「――以上です。生徒会長」
水を打つ静けさは長らく続いた。怒涛の展開に場全体が置いてきぼりな感覚。
この雰囲気を破るのは、いつだってこの男だ。
「……改めて確認しよう。小宮、近藤、石崎、お前たちは今回の須藤への訴えを取り下げるのだな?」
「はい……」
「了解した」
眼鏡を押し上げ、生徒会長は柴田を見る。
「お前はどうする?」
「え?」
「あくまで取り消されたのは小宮たちの訴訟だ。お前が三人に暴行を受けたということのみを審議することは可能だが」
意地悪な質問だ。当然、目的が達成された柴田の返答はノーだ。
「元々訴えるつもりはなかったんで。向こうが嘘を引っ込めたのなら、とやかく言うつもりはありません。俺も訴えを取り下げます」
「……そうか」
厳格な面持ちのまま、生徒会長は一瞬考える素振りを見せた後、堂々たる口調で言った。
「本校の審議において大変稀な例ではあるが、元の原告側の意思は尊重しなければならないだろう。――須藤によるものと目された暴行事件、小宮ら三人によるものと目された暴行事件、どちらも原告側の訴え取り下げにより、本審議の全てを『無効』とする」
「以上だ」という合図とともに、空気が揺れた。
「つ、つまりどういうことだ?」
「須藤君には何も処罰が課せられなくなったってことだよ」
「え、じゃあ、俺はまたすぐにバスケをやれんのか?」
「それどころか、メンバーとして出ることにもプロの道を目指すことにも、一切支障がなくなったんだ」
「マジかよ。……良かった、本当に良かったぜ……」
大袈裟に喜ぶでもなく、感無量といった感じに、須藤は安堵する。
すると今度は、別の方向からオレに声が掛かる。
「一体、何をしたのですか……綾小路君」
「オレは須藤を信じて、最後まで抗っただけですよ、これはその結果。三人は自分たちの意思でこの選択を取ったんです」
相応の時間はちゃんと裁定者から賜った。その上で脅し文句は一切使っていない。規約の範囲で事実に触れたところ、向こうが自ら訴えを取り下げた、それだけだ。
「信じる、ですって? どう見ても彼は――」
「お言葉ですが、坂上先生。綾小路も須藤も、私が受け持つ生徒です。入学時点では兎も角、この短期間で彼らは大きく成長していると、私は感じています。――舐めてもらっては困る」
勝ち誇るものだと思っていたが……妙に真面目くさった表情で、茶柱先生は言い放った。どこまでが本心なのかは、定かではないな。
「本日は解散だ。話が済んだなら、速やかにこの場を去れ」
痺れを切らした生徒会長の鶴の一声で、ようやくみんな外へと動き始めた。
同日 午後5時32分
生徒会室前
「マジで助かったぜ、ありがとよ綾小路!」
緊張が解けて早速、爽やかな笑顔で須藤は謝辞を述べた。
「オレだけで勝ち取った勝利じゃないぞ。平田も、池も山内も、みんながいたから掴み取れた結末だ」
「わかってる。池と山内もありがとな。平田まで俺のために頑張ってくれて――今まで酷えこと言ったりして、悪かった」
「気にすんなよ。無事で何よりだって」
「こりゃ何かの形で恩返ししてもらわないとな!」
「良いんだ。本当におめでとう、須藤君」
もしかしたら仲間を立てるために言ったことだと思われているかもしれないが、オレは本当にこいつらに助けられた。独りでは決して、勝つことはできなかった。
オレだけでは、できないことがたくさんあった――。
沖谷と櫛田も輪に加わり、祝いを分かち合う会話に興じているのを、オレは遠巻きに眺めていた。
「綾小路」
「先生……?」
背後からの呼びかけに振り向くと、神妙な顔の茶柱先生だった。
「堀北が見つかった」
「――!」
「意識はあるようだが、私は至急そちらに向かう。お前にも知ってもらっておこうと思い連絡した次第だ」
そうか……お前もやったんだな、恭介。これで何とか、二つの事件は結果的に最高の形で幕を下ろせたようだ。
残りは、一つか……。
茶柱先生は数少ない事情を知る者の一人だ。担任たるもの、知らないわけにはいかなかったろう。
そんな彼女はそそくさと出て行こうとするが――途中で足を止めた。
「まだ何か?」
「……」
「……?」
「…………よくやったな」
え。
呆然としている間に、その姿は見えなくなった。
「……参ったな」
いい歳してデレるとか、どこ需要だよ……ソレ。
でも、悔しいような嬉しいような、悪くないと思う自分がいる。
きっと、あの人なりに思うところはちゃんとあったのだろう。だからこそ、今の言葉が出た。そう信じることにした。
「おーう綾小路」
「池?」
「この後さ、みんなで祝勝会やろうって話が出たんだ。お前どうする? 浅川と堀北も誘ってさ」
彼の提案にみんなの方を見ると、各々優しい顔で返事を待っていた。
嗚呼、何だか温かい……まるであるべき家族のような……。
「わかった。勿論行くよ。恭介と鈴音にも聞いてみる」
「よしきた! じゃあ早速――」
「ああちょっと、悪い。オレは今から生徒会長に挨拶に行こうと思っていてな。合流するから、先に行っててくれ」
「この前も知り合いって感じだったよね? いつのまに仲良くなったの?」
「ある時巡り合わせで勉強を教えてもらう機会があって、それ以来会えば話すくらいの関係になったんだよ」
「ならしょうがないね。僕たちは先に行って待っていようか」
平田の号令でぞろぞろとDクラスの面々は退去していく。
ひとしきりその様を見届け、オレは振り向いた。
「随分と溶け込んでいるようだな」
「とびきりの青春を謳歌しています。羨ましいですか?」
「どうだろうな」
あれ、否定しないのか。
「見事な手腕だった、と言わせてもらおう」
「お褒めに預かり光栄です」
手腕、か。オレが披露したショーのことを言っているのか、あるいは、
「お前たちの信頼関係も、伊達ではないな」
「どういうことですか?」
「示し合わせなどせずともこの連携。正直、驚いた」
どうやら彼には、根拠のない確信があるようだ。
「お前たちは
本当のことを言うと、オレが認識している事実は大差ない。しかし、オレもまた同じ確信を抱いていた。
「ええ、その通りです。オレたちは『嘘』の事件を立証しました」
―――――――――――――――――――――――――
同日 午後5時33分
堀北鈴音の部屋
「鈴音!」
部屋に入るなり、顔色の悪くし寝そべる堀北の姿が視界に映る。
「……あさ、がわくんっ」
「無理に喋っちゃダメ。――食べて、元気が出る」
ポケットからチョコの小包を取り出し、中身を堀北の口に突っ込む。ゆっくりだが、咀嚼はしてくれているようだ。
「食事を摂ることはほとんどなかったそうだ。生命維持のために一度だけ、『お粥』を口にした程度」
「お粥を……発見時の状態は?」
「四肢は当然がんじがらめ。関節につっかえ棒を当てられていて、藻掻くこともままらなかったろうね。ガムテープと紙袋で、防音の室内から叫びが漏れることもなかった」
「体力を消耗して以降は更に抵抗の余地が、ってわけですね」
理事長は頷く。
「君が犯人を追跡している間に、病院と茶柱先生に連絡を入れておいた。茶柱先生は至急来るそうだ」
自分が着いた時には、既に必要な処置は施された後だったようだ。水分も、発見早々補給させたらしい。
「……なら、今僕らにできることはありませんね。待つだけだ」
「そうだね。――ただ、手持ち無沙汰にしているのも忍びない。一体如何にして君がこの『解決策』に至ったのか、説明してもらえるかい?」
予想通りの展開だ。嘘は……つくわけにはいかない。
代わりに、皮肉が零れる。
「何故既に『わかっている』はずのあなたに、説明する必要が?」
「何のことかな?」
「鈴音がもし致命的な状態になっていれば、あなたは……!」
「落ち着きなさい。浅川君」こちらが頭に血が上っていることを察してか、理事長は努めて穏やかな声音だ。「あくまで事実の確認のためだよ。だから、教えてほしい」
「……わかりました」
極論、拒否する明確な理由はない。
堀北の容態を、理事長と憂慮の目線で見つめつつ、浅川は解明の経緯を語り始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――
同日 午後5時34分
ケヤキモール
滔々と滾る血脈を感じながら、佐倉は歩く。
極度の緊張が押し寄せるが、大丈夫だと言い聞かせる。これは兼ねてより彼が教えてくれていたコツだった。
人混みの中であることが幸いし、何とか気持ちを落ち着かせられている。
そんな折、ついに見つけた。
「……っ」
思わず息を飲む。足が竦む。冷や汗が滲む。
でも……逃げちゃ、ダメ。
「あの……!」
邂逅の時だ。最後の事件が決着する。
敵は、酷く気味の悪い邪悪な笑顔で返事をした。
「やっと会えたね。雫ちゃん」
番外編第一弾(題はナイショ)
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六月下旬(1章~暴力事件)
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七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
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八月中旬(四.五巻前後)
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夏休み以降の時系列がいい
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やらない