アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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いやホント、こうするしかなかったんすよ…。
今まで本作の人間関係に入れ込んでくれていた読者には、少々心苦しい回が続くかもしれません。



狂原

7月9日 午後4時2分

河川敷

 

 

 

 一度の架電では恭介は出なかった。

 今日中に応答してもらわなければ困るので、少し時間を置いてからかけ直したところ、コール終盤で出てくれた。

 

「今大丈夫か?」

「え? あー……うん、さっきちょうど暇になったとこ」

「――鈴音の件か」

「まあね」

 

「それはすまなかった」頼んだ身で申し訳ないが、こちらの用件も見過ごせない。「今のうちに伝えとかなきゃいけないことがあってな」

 

「今のうちに?」

「佐倉のことだ」

「…………なるほどね」

「やはり感づいていたんだな。あいつが抱えている問題を」

「マジか」

「え」

「知ってる体を装ってみたけど、どうやらかなり深刻みたいだね」

 

 電話越しであることに感謝しろ。でなければお前の顔面は今鼻血塗れだ。

 

「僕が知っているのは、彼女がグラビアアイドルをやっていることと、何かしらの事情があってそれを辞めたことくらいだよ。思うに、その事情が関係しているのかな」

「そういうことだ」

 

 オレは佐倉がストーカー被害に遭っていることと、明日ケリをつけようとしていることを恭介に話した。

 

「あ、明日!?」

「上手くいくかどうか、正直信じ切れない。オレは明日審議だから、あいつと一番関わりのあるお前に頼みたい」

 

 と言うより、オレ以外の異性で心当たりが彼しかない。

 依頼を切り出された恭介はバツが悪そうに「あぁ……」と惑いを零す。

 

「それって何時ごろ?」

「多分放課後入って間もなくだと思うが」

「ですよねぇ……実は、こっちの方は解決の目処が立ってんのよ」

「――! 本当か?」

「おう、後は念のため確認しておきたいことを確認するだけだ」

 

 それはあからさまに朗報だ。手がかりがほとんどない中二日でそこまで――こちらの事件への関与といい、最近の恭介はやたら裏で重労働だな。オレも負けてはいられない。

 でもそうか、そうなると、恭介も明日は……。

 

「マズいな……」

「……清隆、愛理から何か注文があったわけじゃないんだよな?」

「あ、ああ、なかった」

「なら……わかった。彼女の件は、こっちに任せてくれ」

「いいのか?」

 

 直前の会話の流れを鑑みれば、やはり難しいと思うのだが。

 

「大丈夫さあ。一番確実で、一番あの子のためになる方法がある」

 

 

 

 

 

 

7月10日 午後5時38分

ケヤキモール

 

 

 

 人でごった返す街並みの中、佐倉は敵と対峙していた。

 

「雫ちゃんからDMが送られてきた時はびっくりしたよ。会いたいだなんて――僕の手紙、ちゃんと読んでくれてたんだね」

「……知ってますよね。雫は、もう辞めました」

「も、勿論知っているよ。あ、もももしかして、僕の想いに応えるためだったりするのかな」

「違いますっ」

 

 下手なことを言って刺激したり、勢いに乗せてしまったりしてはいけない。しかし、今はその呼び方をされるのがとてつもなく不快だった。

 佐倉が取った選択は大まかに言えば正面突破。真っ向から戦い、終わらせる。それこそが自分の証明に繋がると信じている。

 

「……とりあえず座りましょう」

「そうしたいのは山々なんだけど。ほ、ほら、生徒と職員が話していると、変に浮いちゃうよね? だから人目の付かないところに行こうよ」

「――! 駄目です。絶対ここにしてください。じゃないとすぐ帰ります」

「わ、わかったよ」

 

 さすがの佐倉も無鉄砲というわけではない。具体的なイメージは湧かないが、ストーカーが暴走しやすいことは何となくわかる。その時周りに人がいなければ非常に危険だ。王と井の頭と、浅川と過ごす時の安心感が、思わぬところで佐倉を深慮にした。

 適当なベンチに腰を下ろす。

 

「そ、それで、話って何、かな……?」

「はっきり言わせてもらいます」

 

 先手必勝。まずは簡潔に、言いたいことをぶつける。全てはそこからだ。

 

「今後私には、一切関わらないでください」

「え……え?」

「私の後を付いてくるのも、こっそり写真を撮ったり覗いたりするのも、全部やめてください」

 

 ストーカーや盗撮といった言葉は使わない。恐らく相手は自分の行為の悪徳さを自覚していない。慎重に言葉を選ぶ。

 

「な、何で……どうして、どうして僕のことを避けるかな? 僕は君のことが大切だから、いっぱい写真に収めているのに。ほら! 見てよこれ」

「――っ、こ、これ……」

「肌身離さず持ち歩いてるんだ。だって僕らは、いつも心で繋がり合ってるんだからね」

 

 写真は、そんなことのために撮るものじゃないのに……。

 鼻息荒く、得意気に盗撮写真を見せつけてくる名前も知らない男に、趣味を穢された気分になる。言い様の無い嫌悪感。

 

「そ、それが迷惑だって言ってるんです。私はそんなこと望んでませんっ」

「う、嘘だ。だって雫ちゃん、何度も手紙のやり取りをしてくれたし、僕のために頑張ってブログを更新してくれてたじゃないか」

「……違います」

「僕は君のファンなんだ。同じ学校に来てくれたのも、こうして直接巡り会えたのも、きっと運命だよ」

「…………違います」

「僕らは運命の糸で繋がっているんだ。だから――」

「違います!」

 

 抑えられなかった感情が語気を強める。周囲の通りすがりがちらちらと視線を寄こすが、まだ軽い口論だと思われているようだ。

 佐倉にしては珍しく、敵意のある目で真っ直ぐストーカーを睨んだ。

 ――だが、それが良くなかった。

 

「…………何で、そんな眼をするんだ」

「え――」

「何で!」

 

 狂気に塗れた人間がどれだけ常人の理解を超える暴挙に出るのか、佐倉はわかっていなかった。

 自分の体裁など露ほども気にせず、身勝手な行動に走るケダモノが存在することを。

 

「っ、い、痛ッ!」

「そんな風に僕を見るな! こんなに君のことを愛している僕を、まるでモンスターみたいに――!」

 

 こちらのことを全く考えていない力加減で、手を握られる。

 

「は、離してください」

「そ、そうだ。僕の愛がホンモノだってこと、今から教えてあげるよ」

「いい加減に――」

「そうすればきっと、雫ちゃんだって僕のことを」

「やめてっ!」

 

 何とかして振り解き、反射的に距離を取る。いよいよ通行人が異変を感じ、立ち止まりざわざわと波風を立て始めた。

 

「どうして逃げるんだ!」

「きゃっ――」

 

 大股で接近し掴みかかる手を避ける。が、足がもつれて体勢を崩してしまう。

 

「ひっ」

 

 恐ろしい瞳が嬉々としてこちらを見下ろしている。まただ、また鳥肌の立つ邪悪な表情。

 

「い、イヤ……」

 

 恐怖に支配され、身体が言うことを聞かない。

 大勢が遠巻きに眺めることしかできない中、動けない佐倉の下に一歩ずつ、男は近づいてくる。

 

「あ……あぁ……」

 

 間違いだった。綾小路の言う通りだった。

 自分には荷が重すぎたのだ。こんな得体の知れない怪物を独りでどうにかするなんて、土台無理な話だった。

 絶望的な状況に、佐倉の思考は徐々に一つに収束していく。

 誰か……誰か――。

 

「助けて……!」

 

 どこに届くともしれない叫び。にわかに少年の影が、閉じた瞼の裏に映る。

 彼なら、もしかしたら……。一瞬、願いの形が揺れた。

 しかしそれも虚しく、魔の手が佐倉の身体に触れる。

 ――かに思われた。

 

「おっと」

 

 緊張感の無い呑気な声が、確かに鼓膜に届いた。

 

「え――?」

 

 もしかして、浅川君――?

 そっと目を開けると、飛び込んできたのは誰かにぶつかられバランスを崩す男の姿。

 そして、

 

「危ないじゃない。ちゃんと前見て歩きなさいよ」

 

 見覚えのない女の子だ。

 整った顔つきに、特徴的なサイドテール。どことなくクールな雰囲気を放つ少女――堀北を少し緩めたような。

 

「な、何だお前は!」

「何だって、ただの通りすがりだけど」

 

 そう言って徐に取り出したのは、何と先程男が突き付けてきたはずの写真だった。

 

「うわっ、キモい……これは相当ね。あんた、同情するわ」

「え、えっと、どうも……」

 

 あまりにフランクに話を振られたものだから、胸の動悸も忘れ間抜けな返しをしてしまう。

 

「い、何時の間に……」

「あんたがよそ見してただけでしょ。ダメよ、こっそり何かしようって時は、もっと周りの目に気を付けなきゃ」

 

 少女は写真をひらひらと仰ぎながら余裕の態度で話す。

 本当にそれだけだっただろうか。目を瞑っていてわからなかったが、恐らく少女は男とぶつかったタイミングであれを盗んだはずだ。それ以外に接触した瞬間はない。つまりはスリのテクニックになると思うのだが……。

 

「これを警察に突き出せば、逮捕まっしぐらね」

「それに触るな! それは僕と雫ちゃんの愛の――」

「結晶、とでも言うつもり? 冗談でしょ、こんなのれっきとした犯罪の証拠。それをご丁寧に持ち歩いてるんだから、本当バカね」

 

 焦りと怒りで逆上した犯罪者が、ついに矛先を変える。

 

「何、やる気?」

「そいつを返せぇ!」

 

 闇雲に突進しようとする男に対し、少女は避ける素振りを見せない。このままでは怪我を――。

 次の瞬間――佐倉の危惧は、またしてもあっさり裏切られた。

 

「おい」

 

 殴り掛かる男の拳を受け止めたのは、少女の横に現れた、これまた落ち着いた風貌の少年だった。

 彼は俊敏な動作で、体格とは裏腹な強い力で男を押さえつける。

 

「だから言ったでしょ。悪いことをする時は、周りに気を付けなくちゃダメだって」

 

 その様子を覗き込む少女が、煽るように言う。

 

「は、放せっ!」

「無駄だ、じきに警察が来る。監視カメラからこの場に居合わせた通行人まで、ありとあらゆる証人が揃い踏みだ。――お前はもう終わりだぞ」

 

 一方少年は憎むような目で冷たく男に言い放つ。正義感の強い人なのだろうか。無関心に近い少女とは対照的だ。

 すると、

 

「恰好付けてるとこ悪いけど、もっと余裕を持って割り込めなかったの?」

「酷いな」

 

 前触れなく始まるやり取りには、やはり緊張感が皆無。

 

「別にいいだろ無事だったんだし。そもそもお前余裕そうだったじゃないか」

「いやいやすごく怖かったから。早く来てよってビビッてたから」

「それを言ったら俺だって。だいぶ勇気を振り絞ったんだが?」

「ダッサ」

「は?」

 

 因みにこの会話の間にも、勿論少年が男を取り押さえたままである。

 

「そういえばお前、どうやってその写真盗った?」

「何よ、悪い?」

「初めてやったとは思えないしなやかさだったぞ。手つきがいいと言うより、手癖が悪い感じだった」

「あんたが不器用なだけでしょ」

「……そういうことにしておこう」

 

 あの空間に、入ってもいいのだろうか?

 助けてもらった身分で何も言わないのも失礼だ。黙っているより、とりあえずお礼の一言くらい述べるべきだと判断した。

 

「あ、あの……ありがとう、ございました」

「ん? ああ、怪我はないか?」

「はい、大丈夫です」

「それは良かった。…………」

「…………」

「……」

 

 え、なんだろう、この空気。

 やはり誤ったか。不自然な沈黙に、向こうも気まずそうにしている。

 我慢できなくなった少年は、相棒に助けを乞うようだ。

 

「お、お前も彼女くらい礼儀正しくなったらどうだ?」

「あんたの会話下手のツケをこっちに回さないでよ」

「お前もそう変わらないだろう」

「本当のこと言われてムキになってる」

「はぁ……もういい」

 

 この場にはとても似合わない、痴話喧嘩とも見紛う応酬だ。

 

「…………ありがとう」

「え、何だって?」

「絶対聞こえてたでしょ。これで満足?」

「わ、わかったよ。わかったからあんま怒るなって」

 

 ……やっぱり私、邪魔かな。

 こっそり後ずさりフェードアウトを試みる。

 

「えっと、確か佐倉だったっけ」

 

 失敗した。

 若干無愛想、と言うより不器用そうに、少女の方が声を掛けてくる。

 

「ど、どうして私の名前……初対面、ですよね?」

「あー……まあ、事情があってね。私たちはあんたの友達から頼まれてここに来たの」

「友達……?」

 

「浅川のことだ」少年が捕捉する。「俺たちもあいつの友人でな。GPSを頼りに尾けさせてもらったんだが……その、不快に思われていたなら、申し訳なかった」

 

「い、いえ! 寧ろ助けていただいて、ありがとうございます」

 

 気付かなかった。悪意がなかったために男の邪気に紛れていたというのもあるだろうが、恐らく尾行の手腕に長けているのだろう。ある意味恐ろしいことだが、今の佐倉にはそこまで考えが及ばなかった。

 

「……そっか、浅川君が」

 

 その名前を聞き、また少し落ち着きが戻る。

 異性で最も仲の深い少年。受けた思い遣りの積み重ねは、目の怖くなかった綾小路以上に浅川のことを慕わせた。

 でも――。

 

「そっか……」

 

 一つだけ、自分で驚いてしまう程冷静な理性が、悟る。

 今まで接してきた通りの彼なら、この場に友人を向かわせる選択を取るとは思えなかった。その違和感と向き合って初めて、彼女はずっと前から抱いていた別の違和感の正体に気付き、自分が本当は彼をどう思っているのかをはっきりと理解する。

 これからどう思っていくのかも――。

 

「……」

 

 私は、彼が………………苦手なんだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同日 午後5時40分

浅川の部屋

 

 

 

 扉を開けると、ベッドに腰を下ろす椎名の姿があった。――浅川の部屋には備え付けの一つしか椅子が無い。彼女に限らず、皆自由に過ごす上で頻繁にそこに座るため、特別やましい意味がないのは共通理解だ。

 

「椎名……」

「お待ちしていました、浅川君」

 

 気のせいか、しおらしい態度の椎名に、浅川は更なる戦慄に苛まれる。

 いつも通り彼女の横に――は行かず、デスクに手を置き立ったまま話す。

 

「どうしたの?」

「あなたのことです。薄々気づいているのでは?」

「……勿体ぶることもないだろ」

 

 愁眉のまま、椎名は語り始める。

 

「……あなたは、相当無茶をしましたね」

「友達のためともなればこれくらい。無事に鈴音は見つか」

「堀北さんのことではありません」

 

 わかっている。けれでも誤魔化さなければならなかった。例えバレバレだとわかっていても。

 誤魔化さなければ、僕らは……。

 

「もう隠す意味はないはずです。根拠がなくとも、私自身が確信してしまっているんですから」

「……っ」

 

 その通りだった。彼女の言葉が、彼女の推測が正しいであろうことを裏付けていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 決定的な一言だった。

 

「どうして、そう思った」

「きっかけは話題の暴力事件が発生してすぐです。渦中にあった須藤君とあなたは友達だったにも関わらず、あなたはあの事件に関与する素振りを見せませんでした」

「……それで?」

「当時もう一つ、私にとって大きな変化がありました。あれから浅川君は、今までの我慢が嘘のように、私と図書館で会ってくれるようになりましたよね」

 

 本当、綾小路といい、賢い友人はこれだから困る。

 

「取引、したんですよね? 恐らく何等かの証拠を掴んでいたのでしょう、あなたはそれを伏せる代わりに私の自由を要求したんです。途中から神崎君が動き出したのはもしかして、浅川君の策ですか?」

「……ああ」

 

 ぐうの音も出ない。やはり探偵役に相応しいのは彼女なのではないだろうか。

 

「そうだとしたら、更にある事実が浮かびます。浅川君が私に吐いた嘘についてです」

 

 間髪入れず、椎名は責め立てるように次の段階を踏む。

 

「今の私のように、浅川君が推理ショーを披露してくれたことがありましたよね?」

「そうだね、楽しかった」

「ええ、ほぼ全て正解だったこともあり、非常に印象的な思い出でした。しかしあの推理は一つだけ間違っていた。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()んです。私が負い目を感じないために」

 

 こうなってしまっては、かえって椎名を卑屈にしてしまう。彼女の鋭さを甘く見ていた自分を、酷く後悔した。

 

「私を呼び出した相手、本当は誰だったと思いますか?」

「…………先生ではない。特別重大な配布物もなかったし、君が教室に置いていくような荷物に心当たりも無い。茶道部という可能性もあるが、それなら間違っていたと教えて問題なかった。つまり、僕が気付いていないなら都合がいいから君が明かさなかった相手になる」

 

 真実を隠蔽したのは浅川だけではなかった。互いに別の思いが混じり、結果的に頭を覗かせていた事実を掘り起こさなかっただけに過ぎなかった。

 

()()()()()()()()()だ。君をクラス抗争の戦力として一目置いていた統率者が、君が他クラスである僕と交流していることを知り接触した」

 

 これが、真相――。そもそも椎名が最大の興味を向ける本よりも優先する用件など、それくらい急を要するものであって然るべきだ。

 それほどまでに自分のことを大事に想ってくれていた――その事実に今は、嬉しさよりも心苦しさの方が勝る。

 

「図書館にいる時や一緒に帰っている時、Cクラスであろう生徒が見張っているのが度々気にかかっていた。そんな中だったんだ。だから僕は、()()()()()()()()()()で会うことを提案した」

「監視には私も気づいていました。今回の行動を見るに、あなたは雲隠れだけするつもりではなかった。Cクラスが暴力的だと知ったあなたは、どこかで生徒の非行を材料に私を自由にしてあげようと考えていたんですね」

 

 関係を絶ってしまえば一番『楽』だった。しかしそれは、浅川にとって一番『面倒な』手段だった。

 一度手を差し伸べた相手に対して責任を全うする。他人に誠実でありたかった。初めて会った時、寂しそうにしていた彼女を再び孤独へ還らすことを、浅川は善しとすることができなかった。

 その最中降りかかった、白波と神崎との邂逅。BクラスとCクラスのいざこざを知った彼は、まさしくこれは『使える』と思ったのだ。案の定、その通りになった。

 偶然だったのかと言うとそれは違う。浅川は神崎の証言から、Cクラスは監視カメラの管轄外で事を起こすことはわかっていた。だから当然「見回り」をしていた。ある時それで佐倉たちと遭遇したこともあったが、あれはあれで僥倖だった。

 

「君は結局、何が言いたいんだ? 仲間を売ったことへの説教?」

「……いえ、その点に関しては特に心配していません。あなたは自分と親しい者は裏切れない。須藤君のことを何らかの形で救おうとしたのはわかっています」

 

 相手の顔は見ない、見たくない。見たところで、意味もなく負の感情が膨れ上がるだけだとわかっていた。

 

「私は……あなたに傷ついて欲しくないんです」

「……別に傷なんて、」

「服、めくってみてください」

 

 浅川には元々見せたくない傷跡がある。過去に縛り付けるような重い烙印が――。それがなかったとしても、今の浅川は椎名の言うことは聞けなかったろう。

 

「……Cクラスから受けた暴力の跡が、残っているんですよね?」

「……軽くなるように微調整はした」

 

 例えば頬を殴られる際、自分から顔を動かすことで勢いを弱めたり、蹴られる際には脱力し、筋肉を傷めないようにしたりもした。

 それでも集団で多方から攻められれば、残るダメージもある。髪を引っ張られた時なんかは痛かった。

 

「君に気にしてほしくなかった。僕らとの時間を心から喜んでほしかったから……だから言わなかった」

「わかっています。…………でも、私の気持ちも少しは、考えてくれてもいいじゃないですか」

 

 椎名の、気持ち……? 

 

「もらってばかりなんです。あなたには感謝しても足りないほど多くをもらっています。けどそれであなた自身が傷つくことは望んでいなかった。私のためを想っているのなら、そんな哀しいことをして欲しくなかったんです」

 

 望んでいなかった。それは浅川が動いた意味を失う一言だ。

 彼女のためにしたことが、彼女のためになっていなかった。

 

「でもそうしなきゃ……! 君は……」

「話してくれても良かったじゃないですかっ」

「――!」

「あなたにとって私は、ただ守りたいだけの存在なんですか? あなたが一方的に私に与えて、私は受け取るだけ。その関係を、『友達』と言えるんですか?」

 

 言葉が、でない。

 否定すればいい。自分もたくさんもらっていると。紛れもない友達だと反論すれば……しかしその全てが、口から出る前に霧散する。

 

「あなたが何を考えているのか、時々わからなくなることがある。私が歩み寄ろうとする度に、あなたは段々と『冷たく』なっていく……。人が持つべき温かさが、伝わって来ないんです」

「僕が、人でなしだって……?」

「またそうやって悲観主義を……あなたはそうやって怖がっているんじゃないですか?」

 

 椎名は我慢できなくなったのか立ち上がり、こちらに近づいてくる。

 ……やめろ。

 

「自分が本当は持っているはずの温かさを、隠そうとしているんじゃないですか?」

 

 来るな……。

 

「他人から何かを受け取るのが怖いんですよね? だから歪んだ形でしか、私が精一杯返そうとしたものをやりすごせない」

 

 気づけばもう、寸前まで迫っていた。

 

「浅川君」

「…………やめてくれ」

 

 前より強い力で――願いの表れだった。

 

「あなたには、私がどう見えているんですか?」

 

 とても寂しそうな、相手の顔が見えた。

 

「私は、()()()()()ですよ」

 

 初めて会った時と、ほとんど変わらない表情だった。

 沈黙の中、浅川の深い呼吸だけが反響する。

 こうなってしまっては、残された道は一つしかない。

 

「…………僕は、()()()退()()()()()()()()()()んだ」

 

 開口一番、椎名が目を見開く。こればかりはわからなかったらしい。

 

「自主退学、ですか?」

「いや、赤点だ。辞める理由を求めていた」

 

 堀北たちと協力する決意を固めるより前、浅川は本当に諦めかけていた。教育から棄てられることを待っていた。

 椎名がどこまで察しているかはわからないが、ホワイトルームの設立も、元は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったのだ。

 

「その意思が変わったのは、色んな人の言葉があったからだ。勿論、君も含めて」

 

 佐倉と王から始まった。大人に本心と向き合わせてもらい、最後には椎名のおかげで志ざせた。

 あの時彼は、残るつもりではなかった場所に自分も入ることを決めた。

 

「あれからだ。君に対する感情が、歪み始めたのは」

 

 知らない感情だった。当然どう向き合えばいいのかなんてわからない。流されるまま、その歪みに溶け込んだ。

 今の椎名を見るに、それが間違いだったのだろう。

 

「僕は君を、友達以外の目で見るようになっていったんだ、多分。いつしか、ある記号でしか見れなくなって……それが君の言う冷たさだ」

 

 こちらが本能に身を委ねた時、決まって相手が誰かわからなくなった。異様な想像力が、椎名を認識できなくした。

 危機感はあった。しかし、どうしようもなかった。

 

「わからないんだ、君とどう関わればいいのか。初めて『家族』のように感じた君を、どう愛せばいいのかが」

「あなたは……」

 

 全く嬉しそうに見えないのは、浅川が言いたいことを曲がりなりにも理解している証拠だ。

 もう後に退けるとは思えなかった。いつまでもこの感覚は付き纏う。そう判断した浅川には、もはや『間違える』という選択肢しか残っていない。

 しかも、新たな別の危機が生まれた今となっては尚更だ。

 

「君は、椎名ひよりだ。僕の大切な――だから、僕は君といると幸せになれない」

「そんな、こと……」

「きっとこの幸せは不幸なんだ」

 

 次の瞬間、浅川は椎名の手を強引に掴む。

 

「――っ!」

 

 そのまま、ベッドにまで押し倒した。

 

「君は僕をどう思ってるの?」

「……、浅川、君」

「優しい人? 哀しい人? 好きな人? 嫌いな人? それとも」

「浅川君……!」

 

 今まで聞いたことのない掠れ声。その静止も聞かず、浅川は左手で椎名の両手を拘束する。藻掻こうとする脚も、彼女の股に自分の足を押し込むことで抑え込む。

 

「僕が君をそういう目で見たら、全うに愛したら――君はそれを受け入れられるの?」

「っ……」

 

 望んでいない、思ってすらいない。異常性を持つ言葉を並べていく。何一つ、自分何てものはなかった。

 正常なまま、異常を異常と理解した上で騙ることは、果たして異常なのだろうか。

 

「僕の愛し方を、きっと君は耐えられない」

 

 優しく、彼女の頬に右手を添える。暴走させる身体の中で唯一、本当を宿した手で――。

 目は逸らさない。傷つけている事実を焼き付けろ。これは天罰だ。大事なものを守るための代償だ。

 …………ごめん。

 嘘に塗れた狂気が、彼女を無造作に傷つけることを信じて。

 本当の自分は今、穢れを纏った悪魔を、冷めた瞳で眺めていた。

 




原作キャラにヘイトが向く内容は描けねえと思っていたら、オリ主には当然のように酷いことをさせていました。やっぱ虐めるなら自作のキャラですね。大事にしてないとかではありませんが、罪悪感なく業を背負わせられます。

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
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