転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
アクエリアス杯はついにフェブラリーステークス条件ですね。日々因子周回に忙しい所だと思います。あまり無理はせずにウマ娘に取り組んでいきましょう。
テイオーの骨折が判明してから幾日か経った。すでに宝塚記念は回避することを協会には伝えている。先生の見立てでは何とかすれば秋シーズンに復帰は可能だという事。⋯⋯しかし復帰する理由も特にはない。トィンクルシリーズ規格の勝負服は本格化を促す作用があるが本格化後だとどちらかと言うと枷になる、とまでは言わないがトィンクル規格で走り続ける妙味が薄い。それにテイオーはすでにトゥインクルシリーズでは十分の実績を積み上げておりマイナーシリーズではなくドリームシリーズに昇格できるだろう。来夏までゆっくりとリハビリと調整に努めることができる。
「トレーナー、ボクはトゥインクルシリーズへの復帰を目指すよ。少なくともマックイーンがこっちで走っている間は、昇格する気はないよ」
病室のベッドの上で当の本人はそう言っている。テイオーのその言葉に俺は驚いた。テイオーはジャパンカップで復調の気配を見せていたが有馬記念はモチベーションが低下していてしかも目の前でサンエイサンキューの事故を目撃してしまった。完全に気持ちが折れてしまったかもしれないと思ったがそういえばその時俺が話しかけるとテイオーは事故の動揺は隠しきれてはいなかったが有馬記念の前よりはむしろモチベーションを向上させていた。
「マックイーンが、今のお前の走る理由か」
「もちろんそれだけじゃないよ。マックイーンに勝ちたい。負けたくないって思いはある。だけどあの時パーマーに言われてわかったんだ。マックイーンならここで逃げないって、勝者の振る舞いをするって。ボクは走り以外でもマックイーンに負けたくないんだ」
俺が話しかける前にパーマーと何か話していたのは知っていた。アイツもまたマックイーンとは関係があるウマ娘だ。その彼女の言葉がテイオーにいい影響を与えたんだろう。ならそのモチベーションに沿わせた方がいいだろう。ダービーの後とは違ってムリな話と言うわけでもない。
「わーったよ。無理しない範囲で年内復帰を目指すぞ。目標はジャパンカップか有馬記念だ。気合い入れていくぞ」
「ありがと、トレーナー」
しょうがねえ。ウマ娘の希望に極力応える、その上で掛かりすぎている時は制してやるのがトレーナーだ。無茶はしないように、その上で決戦の場を整えてやるために努力すっか。
◆◆◆◆◆◆
1993年6月13日
宝塚記念はトウカイテイオーとメジロマックイーンのチームスピカの両雄が再びぶつかり合うのかと期待されたがテイオーの骨折で生憎それは叶わなかった。
1番人気はグランプリに縁はないが間違いなくトゥインクルシリーズ最強ウマ娘の一角メジロマックイーン。2番人気は昨年の覇者メジロパーマーのメジロ2人で人気を分けあっていた。三番人気はスプリンターながらも参戦してきたニシノフラワー。前走安田記念からの参戦になるカノープスのイクノディクタスなどグランプリの名に恥じない豪華な顔ぶれがそろっていた。昨年と一昨年の二冠ウマ娘、トウカイテイオーとミホノブルボンとの対決も見たかったのは確かだがそれはドリームシリーズの楽しみにしようと思う。
パーマーが逃げてニシノフラワーが2番手で追走。好位にマックイーンがつけるという形でレースは展開していたが馬場の状態が芳しくなく多くのウマ娘は外を回る走りをしていた。距離ロスがあろうと自分のレースをしたマックイーンが一着で力を見せつけたが最後方から一気に末脚勝負にかけたイクノディクタスが2着、荒れている内ラチを進んで距離の有利をとったオースミロッチ*1が3着と結構個々人の戦略が出たテクニカルなレースであった。こういうレースは教材として良さそうだ。
1993年7月22日
夏休みの前。いつも通り夏合宿の予定を生徒達に伝えたて教室を出たところでマルゼンスキーに捕まった。旅行に行きましょうとマルゼンスキーに提案されて私は彼女の愛車のカウンタックにのせられて一晩中ドライブに付き合わされた。
1993年7月23日
昨日は死ぬかと思った。東名高速、圏央道、東北自動車道……そしてマルゼンスキーいわくオニューのトンネル、青函トンネル*2を通り抜けて北の大地に私とマルゼンスキーはいた。絶対飛行機で良かったよな?そんな私の非難気味の目線を奴は無視しやがる。
さて広大な北海道の敷地。特に道南部に私達は来ていた。そこにはウマ娘達がたくさん働いている施設があった。URA直轄の私有地であるウマ娘北部農場。半年用務員をして競争ウマ娘として大成できなかったウマ娘達の第二の人生というモノを間近で見てきたのだ。彼女達は用務員の彼女達と同じなのだろう。おそらくマルゼンスキーはセカンドキャリアについて私に見せたかったのだろう。用意が良く体験の予約を先にいれてやがった。
……勉強になった。マルゼンスキーが以前教えていた生徒もいたようで接し方とか競争との折り合いのつけ方とか。全員が全員競争の世界で大成出切るわけはない。サイアーとして大変なのはここからよ、と暗に言われてるように感じた。
1993年7月24日
体験2日目。農場では主に人参やその他植物の栽培や牛や鶏などの家畜の飼育がおこなわれていた。ここで生産された食料がトレセン学園の食糧事情に大きく貢献しているらしい。特に人参はかなりの量を生産しており、ウマ娘用に品種改良されたものらしい。学園で食べている感想だが非常に甘く糖度が高めなのが特徴だ。⋯⋯以前はそこまで人参が大好き、と言うわけでもなかったが今は完全に好物になっている。以前科学誌で見たウマムスコンドリアというやつのせいなのだろうか。
作業体験を続けていると見学に来ていた一人のジュニア級であろうウマ娘が目に入った。そしてそのウマ娘に私とマルゼンスキーがともにシンパシーを感じた。ソフトクリームを美味しそうに頬張る見覚えのあるウマ娘。非常に高い、フジ達と比べても遜色のない才能を持ったウマ娘だ。それはそうだろう。あのスペシャルウィークなのだから。
追記:年齢を聞いたらお前今年トレセン入学じゃねぇか!!名刺を渡して後日伺うことを告げる。来年編入出来そうなら来年からトレセン学園に編入してほしいが難しそうなら何回か指導に行こう。
1993年7月25日
体験最終日。マルゼンスキーによる社会科見学も終了になる。これ生徒に見せた方がいいんじゃないだろうか?もちろんそれ以前に教職として今まで知らなかったのも問題ではあるが。そう言うとサンデーちゃんはまじめに参加してなかったのねと茶化された。どうやら謹慎中の所作や言動で競争を主としないウマ娘について疎いことを見抜かれていたらしい。流石の慧眼である。
追記:帰りも長距離ドライブに付き合わされた。仮にもスター選手なんだから無茶な運転はやめてくれ。
1993年7月26日
ハヤカワに編入について聞いてみた。編入試験が必要ではあるけれど可能らしい。だけれど編入試験はジュニアB組に上がるタイミングで行うらしくスペシャルウィークの場合再来年の編入になるらしい。あれだけシンパシーを感じたので彼女は私の教え子だろう。今年の新入生に感じた物足りなさはスぺを加えると何となくしっくりくるような気がする。合宿後はスぺの指導をするために夏休みが開けるまで北海道だろうか。合宿に呼ぶのもいいかもしれないがまだ私と打ち解けていないことからそれを行うのは来年以降の方がいいだろう。
1993年8月4日
今年も夏合宿の始まりだ。フジたちと過ごす夏合宿は今年で最後だ。フジたちは来年からトレーナーの指導を受けてトゥインクルシリーズデビューをする。早ければ来年の今頃にはメイクデビューに立つ娘も出てくることだろう。そう思うと別れ⋯⋯と言うと大げさではあるが一つの区切りが近づいてきているんだなと嫌がおうにも感じさせられる。そう思うと思い出でも残したいなという気持ちも出てくるがフジたちはこれからレースという戦場で競争ウマ娘を続けるという狭い門を目標に走り出すのだ。もちろんドリームシリーズだけが走りを続ける場所ではないのではあるが。今私がしないといけない事を然りと全うしないのはフジ達に失礼だ。⋯⋯ただでさえ半年もいなかったんだから。
お母ちゃん「お帰りスペ。キャンプどうだった?」
スペ「おがぁぢゃん、私、ごどしからトレセン学園がよえたって言われだー」
お母ちゃん「え"!?」
スペシャルウィークさん
アニメ一期主役。ベストサイアーの結晶、日本総大将。サンデーサイレンス初期の傑作の一人。諸事情で合流はシャカール世代と一緒に学園に来ます。おのぼりさん属性を残したかったんですすいません。スペスズは少なくともスズカさんがトゥインクルシリーズを走り出す前から当作品では存在する設定になります。
ウマ娘北部農場
URA運営の農場。北海道道南に位置する北の農場(直球)。生産牧場の敷地が本作品では畜産農場となっている設定。ウマ娘の就職先の一つでトレセン学園や各種URA施設で使われる食物を生産している。特に人参には力をいれており広大な人参畑が広がっている。