転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
サンエイサンキューについて話題に出しています。デリケートな話題を扱っているので拒否感がある可能性もありますので注意。
1993年12月19日
年末の電撃戦。スプリンターズステークスを勝利したのはサクラバクシンオーだった。ヤマニンゼファーとニシノフラワーを抑えての戴冠だった。以前よりその瞬発力は折り紙つきと言われるもここまで十全に力を発揮する舞台には恵まれず今年はなんと4戦しか走っていない。適正外のレースにも出走せざるをえなかった昨年覇者のニシノフラワーもそうだがスプリントのレース数が少ないのだ。
そんな環境を切り開くべく一足先にドリームシリーズに乗り込んだダイイチルビーとダイタクヘリオスは秋のデビュー戦を勝ち上がっていた。11月の第二戦で二人揃って短距離の王、ニホンピロウイナーに果敢に挑み跳ね返されてたが。少なくともその日のベストレースにスプリント戦が上がったのはその日が初めてだと思う。
うちの生徒はまだ電撃戦志望はあまりいない。素質ならマジックキス*1辺りはありそうだけど。
1993年12月24日
今年のクリスマスは、昨年生徒達と過ごせなかったし、こうやって過ごすのはたぶん最後になる筈のフジ達と思い出を作ろうと思う。まあ別に何か特別な事をするわけではないが、教室で買ってきたケーキとチキンやお菓子を広げて楽しんだ。
そしてサプライズゲストでこっちに来てもらってたスペをみんなと顔合わせを行った。こういうイベントの時の方が緊張しないだろうし。お母さんも農閑期のため同伴してもらった。
スペは同級生もだがひとつ上のスズカやリョテイに可愛がられていた。スズカが後輩と積極的にコミュニケーションを取るのは稀だ。あの二人は相性がいいのかもしれない。
1993年12月26日
天才はいた。
私がその日の勝者に抱いた事を言葉にするならこうだろう。レースとしてトウカイテイオーが最もポテンシャルを発揮したのはダービーまたはジャパンカップだと私は思う。怪我をする毎に走りに違和感が出て、それを修正しながら走り、大舞台でのレースは久々という条件で彼女の走りは研ぎ澄まされていたとは言えないだろう。だから天才の走りではなかったというのが私の見解だ。
その走りはターフの帝王然としたものではなく、それでいておそらく来年の主役になるであろうビワハヤヒデに真っ向から破って見せたのだ。ウマ娘のレースは純粋な走行能力を精神、執念の力が上回る事があると感じている。まさにそのようなレースだったのではないかと思う。
この1レースを終えてG1勝利数をライバル、メジロマックイーンに並べたターフの帝王はトゥインクルシリーズに別れを告げてドリームシリーズへと進む。まるでひとつの時代の終わりのようなシーンだった。
◆◆◆◆
今でも一年前のレースを思い出す事はある。マックイーンの強さを証明するために走ったジャパンカップを終えて、走る理由を見失いながら走ったグランプリ。
あの事故は罰だったのかもしれない。……そう表現をすると語弊があるという事は分かっている。ただボクの目の前で倒れた彼女の姿を直視した事はその時の僕にはどんな叱責の言葉よりも強く心に残った。明らかに崩れた体勢で、明らかに痛めた脚で、それでも速度は落とすまいと地を踏みしめ、顔を歪め数歩進んだ彼女の熱量が。当時のひどく空虚な走りをしていたボクに恐怖を抱かせた。
優勝したパーマーは気丈に振る舞っていた。インタビューに答えて、ライブもこなして、後方のウマ娘を気遣っていた。その時ボクは怯えた目をしていただろう。パーマーは走れなかった娘達、ゴール出来なかった娘、お客さん、そして自分の為に事故の衝撃が包む暮れの中山の空気を変えようとパフォーマンスをし、空気を変えてみせた。
『ヘリオスにカッコ悪いとこ見せられないし。マックイーンならこう振る舞うかなって』
パーマーはその日そう言っていた。
マックイーン。僕らが走ってるトゥインクルシリーズの中心は間違いなくマックイーンだった。名門で培った所作、圧倒的な実力、自分の立場に対する責任と意識。トゥインクルシリーズの顔と言えるのは彼女だった。ボクには意識が欠けていた。ジャパンカップの時は一時的に取り戻したけどそれはマックイーンの存在があったからだ。
だからボクは君に並びたい。だけど君と同じ路は行かない。ボクはボクの路を往く。あの日の弱いボクは置いてきた。ボクはマックイーンみたく強い責任感はない。走れなかった娘と言われても実感が湧かない。だからボクはボクの為に走る。エゴでもいい我が儘でもいい。
ボクの背中を追うなら追ってこい。夢とかエゴとか物語とか好きに託せ。それくらい引きずってゴールしてみせる。
ボクは無敵のテイオー様なんだから。
◆◆◆◆◆
未だにあの日の事を夢に見る。今からおよそ一年前。ティアラ路線から札幌記念を勝利した私は焦っていた。ティアラ路線はクラシック級を終えるとG1レースがなく、G1を取るにはコルトクラスとの混合戦を戦ってかなきゃいけない。シニアになればクラシック級の優遇措置がなくなって更に厳しいレースになる。
そう思って少しでも実績を稼ごうと焦っていた。だから無理矢理出走を決めたグランプリで、あの直線で私は……
結局あの後目覚めたら私はベットの上でした。一命はとりとめて、競争能力は私次第だと言われた。ウマ娘である以上走れない時間はただただ辛いモノだ。しかしそれ以上にもう一度走り出す事が怖かった。これが私次第ということなのだろう。走り出す事が怖い。だけれど本能は走る事を求めている。このギャップに狂いそうな日々だった。
同期のミホノブルボンさんやライスシャワーさん、あの日一緒に走ったメジロパーマーさんなどがお見舞いに来てくれた。それでも私はもう一度走り出す覚悟が持てなかった。
夏も終わり私と入れ替わるように入院してきたのがあの日一緒に走っていたトウカイテイオーさんだった。テイオーさんもあの日を一緒に走っていたウマ娘で、自分とは違いドリームシリーズにも文句無く進めるだろう本物のスターウマ娘。
『あっ君は……そっか、君もまだ入院していたんだね』
互いに偶々目があい、そして微妙な沈黙の後口を開いたのはテイオーさんでした。自分の事を覚えてた事に少し驚きながらもテイオーさんと会話を続けます。
『テイオーさんは骨折三回目でしたっけ。次はドリームシリーズですよね。応援してます』
『ボクはまだ上がらないよ。今年中はトゥインクルシリーズ。そして秋には復帰する』
言っている意味が判らなかった。だから失礼だけど聞き返してしまった。相手はドリームシリーズ昇格確定していて、これ以上トゥインクルシリーズを走る必要のないウマ娘だ。無理に今年中に調整する必要もないはずだ。ドリームシリーズなら来年まで時間をかけて調整できる。
『無理かもしれない。だけどボクはあの日の君に突き動かされたんだ。だから聞いていい?』
『君はあの日何の為に無理をおしてまで走ったのか』
私は答えられなかった。逸る気持ちが抑えきれず無茶なローテで出走をしたこと。ドリームシリーズ昇格を掴む事しか考えてなかった事を。この人の考えは全くわからない。だけどもしテイオーさんが何かの為に無理をしているなら止めないといけないとも感じた。
『……テイオーさん、無理をしようとしてるなら』
『無理はしようとしてないよ。だから止めなくても大丈夫。そしてきっかけをくれた君に言いたいんだ』
『ボクは無敵のテイオー様として君臨してから次に進むって』
『あっ、そうそう。12月26日開けといてね。それとライブ券はボクの奴を買うこと。いいね』
◆◆◆◆◆
厳重注意処分
1993年12月27日
以下のウマ娘にウイニングライブ中にレース参加者以外の生徒をライブステージに上げたとして厳重注意処分を与える。
トウカイテイオー
またその行いをほう助したとして以下のウマ娘も同様に厳重注意処分を与える。
ナイスネイチャ
メジロパーマー
ライスシャワー
レガシーワールド
レース参加者ではないもののライブステージに上がりウイニングライブに参加したとして以下のウマ娘に厳重注意処分を与える
サンエイサンキュー
URA トゥインクルシリーズ運営
トレセン学園理事長 秋川 如月
URAシリーズ選手会長 シンボリルドルフ
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「……それで皆様揃って掃除をさせられているのですわね」
「別に悪い事はしてないモンニ」
「少しは反省をしなさい」
「まあまあマックイーン。そんなに怒らないで」
「貴女もですわよパーマー」
サンエイサンキュー
今作では本人の焦りからローテ管理がおろそかになっていたという描き方をしています。ローテ管理に関してサンキューに非が少しでもある書き方をしている為不快に思われる方もいると思います。
章名追加。
覇道と花道:別の在り方を云った二人の時代
メイルストロム:強い潮流。輸入種牡馬による時代のうねり。