転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
パチリと目を開くとなにやら自分はベッドに寝かされているようだった。あれ、生きてる?ウマ娘のアニメの再放送を見てたら今年*1のジャパンカップはすごいらしくて初めての競馬観戦を楽しみにしていたのだけれど、見る前にまさか事故にあってしまうとは不運だった。けどこうして生きているなら頑張っていこう。はたして今日は何日だろう。ジャパンカップ終わっちゃったんなら残念だな。
「眼を覚ましたのね……良かった」
そんな事を考えていたら病室に女の人が入って来る。あれ、何でこの人はコスプレしてるんだろうか?馬耳が生えてるし尻尾もあるし。綺麗だから似合ってるけど。えっ何言ってるんだって?あっなんか耳の位置に耳が無いや。
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1988年 月 日
どうやら私はウマ娘になっているらしい。そしてここはアメリカらしい。英語はどういうわけかこの身体が覚えてたので理解出来た。しかし記憶が無いといっても不思議には思われなかったのはこの状況が影響してるのだろう。どうやら私は事故にあったらしい。割と酷い感じの事故だったらしく精神防御の為に記憶を失ったかもしれないとの事だった。不幸だったが記憶とかめんどくさい問題を問い詰められない事は助かった。
ウマ娘になったのだから走りたいしレースに出たいのもそうだがどうやらこの身体が走り出したいのか寝ているだけではフラストレーションの溜まりが半端ない。でも馬をモデルにしているならそれもそうかと納得できる。
それとこの身体はウマ娘特有の結構綺麗な容姿をしてる。サイトでみたなんかコーヒーカップを持っていたウマ娘に容姿はすごく似てるけど少々貧相……慎ましい胸部装甲と自分で鏡を見ても怖いと思う眼光が特徴的だった。激烈に悪い目付きのせいで印象はけっこうマイナスだ。そして表情が動かない。マジで仏頂面しか出来ない。ドクターは辛い事があって笑えなくなっちゃったんだねって言ってた。
1988年 月 日
無事なんとか回復して復学出来た。どうやらすでに私はアメリカの学園の生徒だったらしい。だけどどういうわけか誰も私に声をかけてはくれないし私が現れるとモーゼのように人なみが割れる。何で?私の身体のウマ娘ちゃんはボッチだったのだろうか?少々思う所があるがなんとか友達が出来ないだろうか?そう思ったが話してみてムリだと悟った。そもそも目付きが怖すぎて滅多に人が周りに来ない。サングラスとかも考えたが余計に怖くなってしまった。マフィアかなにかだったのだろうか。それと事故の後遺症か少々立ち姿は不恰好だった。
1989年4月10日
ケンタッキーダービーに出走が決まった……えっ嘘?と思うがどうやらマジらしい。この身体はとんでもなく優秀だったみたいでサンタアニタダービーで2着に11バ身も離していたらしい。大怪我から復帰してこれってスゴすぎるでしょ。これはもしや三冠ウマ娘も狙えるのでは?そういうとトレーナーは若干引いていた。なんで?
1989年5月6日
貴女のような粗暴で傲慢なウマ娘には負けませんわ。そうチャーチルダウンに着くなり言われた。少々超距離移動で苛立っており彼女に対してうっかり口を開いてしまったのが失敗だった。自分が何を口走ったのかは覚えていないがひどく良くない事を言ったのだろう。謝罪をしたいところだがこの口は謝罪の言葉なんて紡ぐはずもなく火に油どころかニトロを注ぐだろう事請け負いなので黙るしかない。レース場の状態も非常に悪く、スタート直後で少しよろけて他の子とぶつかるアクシデントがあったけどさっきの子には一バ身半離して勝った。さっきの子は覚えときなさいと悔しそうにしてた。ところでセクレタリアトの再来って何だろうか?生憎自分はウマ娘しか見てなかったからアメリカ競馬はもちろん日本の競馬もほとんどわからない。でもきっとすごいウマ娘なんだろうと思う。
1989年5月20日
米国三冠、二冠目のプリークネスステークスに出場する為ピムリコレース場にやって来た。少々コンディション調整がうまく行かずマスコミの取材も多くついまた口を開いてしまったのであることあること書かれてると思うと顔を覆いたくなる。そのせいもあってか私よりあの子の方が人気を集める事になった。レースの方はなんとか勝てたが本当に危なかった。レース中つい手が出そうになったがなんとか制して僅かな差で私が二冠ウマ娘になった。約10年ぶりの三冠ウマ娘*2誕生か?と色めきたっていた。私が頑張ればこの身体も報われるだろうか?
1989年6月10日
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■■■■■■■■■■■■(乱雑な字とスラング)
1989年6月11日
一日経って落ち着いた。三冠ウマ娘になってこの身体の持ち主に報いる事は出来なかった事は残念だった。それにもっとうまくやれたはず。少なくともここまで完敗といった内容にはならなかったはず。彼女、イージーゴアをなめていたのかもしれない。試合後しっかりと指摘されてしまった。負けっぱなしはこの身体も私も好きではないのでブリーダーズカップで決着をつける事になった。
1989年11月4日
ステップレースで一回負けてしまったがブリーダーズカップは際どい勝負だったもののなんとか勝利出来た。これで今年はイージーゴアに追い付かれる事もなく勝ち越しに成功したことになる。件のお嬢様は悔しそうに歯噛みをしていたがそれでも結果を受け入れてあっさりとした様子で健闘を讃えた。プリークネスステークスの時の自分を思うと恥ずかしくなる。相変わらず謝罪の言葉は口に出来なかったので日記を書く前に思いをしたためて彼女の手に届くようにしておいた。そしてイージーゴアは一足先にNRL*3に向かうらしい。通常の日程をこなすには勝負服の力も足りず足の方も良くないらしい。勝ち越してやるんだからと意気込んでいた。
1990年7月31日
私のNRL昇格が出来なかった。あの約束のあと何レースか走ったがいまいち結果を残せず、トゥインクルシリーズの勝負服では力が発揮できなくなった頃だった。NRL昇格は記者投票で決まるのだが私の容姿……不恰好な立ち姿や悪過ぎる目付きでアイドルとしての仕事が望めない事、私のカレッジリーグ*4での言動等が淑女的に相応しくないとして今年の選考に漏れる事になった。クレーミングを走ればいずれ昇格も望めるだろうが気に食わない……私の成績ではかなり大きなハンデを背負わされるのは目に見えている。■■■■■■■■■■■■■■……これ以上この事を書くのはよそうと思う。
1990年10月15日
久々に客が来た。最初はコーチをしてほしいというジュニアクラスの子達が来ていたが最近はめっきりだったのだが。来客にアルコールで回らない頭を無理矢理起こして出ると東洋人の男がいた。いわく私を日本のトレセン学園にコーチとして招きたいらしい。こんな落ちぶれたウマ娘にご苦労な事だと思い、追い返そうとしたが男が連れてきたウマ娘が目に入った。ボーイッシュで艶やかな青鹿毛、まるでジゴロのような人好きのする笑み……フジキセキじゃん。
『サンデーサイレンス、NRL選考に落選。ドーピング疑惑が原因か?』
昨年の二冠ウマ娘サンデーサイレンスが今年のNRL昇格選考に落選したことをアメリカウマ娘協会が発表した。今年もカレッジリーグに出場していたウマ娘だが昨年の成績でのNRL内定はならなかった。成績は文句のない成績の為同氏に昨今浮上しているドーピング疑惑が影響したのではないかと推測される。協会の理事は「NRLに出場するのにまだ相応しくないと判断したまで」と話している
サンデーサイレンスさん
この作品の主人公。リアルチートサイアー……になっちゃった普通の女の子。普通の女の子の為数々のキ○ガイエピソードを持つもとネタさん程気性が荒くは無いが口を開くとスラングに変換される素敵言語機能とそれによる失言の阻止の為に無口である事、そして悪過ぎる目付きにより結局誤解されがち。容姿は勝負服絵マンハッタンカフェさんをベースにエアシャカールの目付きをくっつけた感じ。立ち姿が内股なのがコンプレックス。
イージーゴアさん
サンデーさんのライバルで名家のお嬢様。まるでスポコンのようにサンデーさんに向かっていきスラングで捲し立てられようと最後に仲良くなった聖人。先にドリームシリーズに昇格するが約束は今のところ果たされなさそうな模様