転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
ちょっと中途半端かもしれません。夏シーズンはあと1話だと思います。
1995年7月6日
アメリカから帰国すれば再び生徒達との日常が始まる。スーパーレースの興奮はまだ燻ってはいるがそれとこれとは話が別だ。そろそろ来月の合宿の準備を始めなければいけない。昨年は北海道で職場体験を含めてだったがああいうのは1回当たればいいだろうから3年に1回くらいでいいだろう。
さすがにアメリカ合宿は現実的ではないしな。今年は例年通りでいいだろうか?
ああ、あとはアイツにも声をかけておくか。あいつのためになるかはわからないが何事も経験だと私は思う。
1995年7月19日
今年のジュニア路線で注目されている生徒のロイヤルタッチはこの時点でもなかなかトレーナーを決めていなかった。ウイニングチケットの妹で注目度も高く、声がかかってないということはないだろうから心配はしていないが。
滝トレーナーと同期の海老谷トレーナーの所で主にトレーニングしているが正式な契約には至っていないようだし。それとなしに聞いてみると昨年のムードトレーナーのような短期トレーナーの指導を志望しているようだ。
1995年8月7日
今年も合宿が始まった。今年特別ゲストとして連れてきたのはフジキセキである。当然東条トレーナーの許可は取っている。
助手として使うという魂胆も無くはないが流石に自分が楽する為だけに教え子に手伝いをさせるほどではない。今年の新入生達の事である。というのもダイタクリーヴァ達はおそらくフジがベストサイアーだろう。
フジがダイタクリーヴァ達と接触することがフジのためになるだろうか?キングヘイローに合ったダンシングブレ―ヴのように新たな契機になるかもしれないし、私のようにプレイヤーとしての自分を一度捨ててしまうかもしれない。
1995年8月8日
フジはダイタクリーヴァ達と出会っても私の目には何か影響を受けたような気がしなかった。フジ自身はまだ怪我が癒えていないのでゆっくりと私が指定した生徒達の様子を見ている。一方で生徒たちの方はフジの指導を熱心に受けている。
私の生徒達の方は編入してきたスぺや4人娘にもノートをつけてもらう。スぺはどちらかというと感性タイプであるのと、あまり言語化が得意なタイプではないため苦戦気味のような様子を感じる。仲のいい先輩のスズカはスぺ以上にごり押しタイプであり、リョテイは得意だが思ったよりシビアだ。
一応フィードバックをしているが、あまり考えるのが得意ではないスぺは私の言葉に同意はしてくれるが響いてる感じはなかなかない。まあ素直だから頑張っているのだが。
話は変わるがマイルのサプライズレースでタイキに負けた。留学生といえ教え子に負けるのは初めてだ。ハンデがあり、私にマイルが若干短いのを含めてもこの時期でこれだけ走れる。飛び抜けた才覚だ。
1995年8月9日
さて今年のサプライズレース最終日だ。今年はスズカが中心になるだろう事は目に見えている。そのため今回は私も玉砕覚悟で戦うことにした。
2000mのレースであるが私はハンデかつ驚かせるために1ハロン後ろからスタートする。今回は真っ先に前に出ていきペースメイクを試みるスズカにへばりついていく。スズカは私に気づいてるかどうかはわからないが前を譲らないという意志からかペースを上げていく。俗にいうかかった所で足を一旦緩める。
集団の先頭の位置に1ハロンかけて戻ってきたところで再び緩く速度を上げていく。すると集団も私によってかかり始める。4のハロン棒を過ぎてしばらく、スパートをかけようとしだすタイミングで足が沈黙する。
残念ながら私も例外ではない。私のメインはインターミドルであり、こんなレース展開でキツくないはずが無い。しかしベルモントの12ハロンも走れた私ならギリギリ抜け出せる。そんな調節を大人気なくもした。
かかって足の上がったスズカをかわす。これを機に小細工をしろとは言わないが小細工について学んでくれと思う。後ろからはリョテイが追い上げてくる。ステイヤータイプのリョテイはこの消耗戦では優位に働く。ただ賢しんで後ろに位置を取りすぎだ。散々に私が邪魔をしたスズカは捉えられるが私は前を譲らない。
ぜえはあと今回もゴール後みっともなくへばった姿を晒した私にスッとフジは肩を貸すと私を連れて行った。すまんねフジ。
1995年8月15日
今年の夏のドリームトロフィーは戦前から色々と物議を醸していた。芝のトッププレイヤーであるマルゼンスキーのサマードリームトロフィーダートへの出走である。
ダートはシリーズのレースこそオグリキャップやハイセイコーのようなローカル上がりの選手が出てくる事もあるがドリームトロフィーはダートウマ娘のみが出ているのが不文律としてあった。さらにドバイトーナメント出場を希望しての参戦、ある種踏み台のような扱いもその流れに拍車をかけた。
この事件に関係者は様々なコメントを出していたが基本的にはダートは下であるという認識が芝ウマ娘だけではなくダートウマ娘からも上がっている。
『マルゼンスキーが来んの?面白ーじゃん。ドバイ狙い、結構結構、アタシもドバイ行ってみてーし』
と侵略者マルゼンスキーに対していたく前向きな発言を残したのが世界を知るウマ娘、ロッキータイガーだ。もともと挑戦心が旺盛でジャパンカップにも参戦した、現在のダートを主戦とするウマ娘の中で実力上位の彼女の言葉が潮目を変えた。
呼応するように同じく世界を知る川崎の誇るヒロインロジータやマルゼンスキーと同年代のダートの重鎮ハツシバオーなどがマルゼンスキーの参戦に好意的なコメントを寄せた。
そんな戦前の喧々諤々な様相で迎えたため幸か不幸かドリームトロフィーではあまり注目されづらいダートがいつも以上に注目されている。
コースは東京ダートの1600という芝スタートのコースでマルゼンスキー優位とされる中、彼女が引いた枠番は大外である。これは逃げを得意とする彼女にとって幸運なのか不幸なのか。大外は元来逃げにとっては不利ではあるがダートにおいては砂をかぶりにくい、さらにこの東京1600コースにおいては芝を走る距離が延びるという利点もある。彼女が砂をかぶらずに先頭に立ち芝と同じように逃げられるかということがこのレースの一番の争点であった。
レースは大外からマルゼンスキーがハナを主張しに行くが内側から簡単にハナを取らせまいとハツシバオーが張っていく。外枠でダッシュがついたマルゼンスキーに、それでも簡単に内に入れる事はなく独走は許さない。
ダートコースでダッシュがまだつかないのかコーナーではハナをハツシバオーに僅差で譲る場面もあった。それでも少量の砂を被りながらもマルゼンスキーは前列で堪えながら4コーナーを回っていく。しかし砂での経験が薄いのは明白だった。
かぶる砂と2番手の追走で明らかにコース取りが悪い。それでも直線まで2番手を譲ら無かったのは流石か。直線を向いてハツシバオーは捉えるもさらに内、好位を追走していたロジータに前を取られる。そのまま1バシン離されての2着だった。
これをほぼ初挑戦の割によくやったとみるべきか、大口をたたいたのにと見るべきか。レース後は怏々の反応があった。私としてはよくやった部類だとは思う。マルゼンスキーもそのようでレース場ではマルゼンスキーが走った面々と握手をしていた。
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また姉さんと合宿に来る事になるとは思ってなかったなぁ。手伝えとややぶっきらぼうに話を持ってきた私の憧れに唖然としながらも二つ返事で返せばあれよあれよと月日は経って合宿の日だ。
私自身は傷が癒えてないのでアドバイザーとか助手みたいな立ち位置だ。スズカ達が最上級生で半分はもう知らない子たちだ。
その中で明らかに姉さんよりも私に共鳴する子たちがいた。真っ先に声をかけてきたのがダイタクリーヴァ。鹿毛で少しチャラい見た目の娘だった。
私を応援してると言ったキラキラした瞳に運命を感じた。才能も飛び抜けては無いがある。姉さんから見た私もこんなふうに見えたのだろうか?
「リーヴァ。君は私が憧れなのかい?」
「うん。先輩が見学会の時に見せてくれた走り、凄かったから。他のウマ娘を突き放す、私が見た中で一番強い走りでした」
なるほど。なんとなくちょっと意地悪をしたくなった。……いや、相応に惨めだが多分気にいらなかったんだろう。ダメな先輩だ。
「うん。でもその走りは今は出来ないんだ。出来るようになる保障もない」
「出来なくても、先輩ならワクワクさせる走りを生み出すと思います」
真っ直ぐな瞳でそう言われる。リーヴァもジェニュイン達も、私が志し半ばで折れてしまって戻らないとは微塵も思ってないみたいだ。
私がまた皆を沸かせる走りが出来ると信じて疑わない。私ならキセキを起こして見せるだろう。
私がそう演出してる所はある。白鳥は必死に足掻く足元を見せないものだから。一方でちょっとなんか気に食わないななんて感じているのは、ちょっと姉さんの悪い所がうつったたのかな?
海老谷トレーナー
この前変な歌がヒットしたレジェンドの同期のレジェンドがモデル。大外で激怒する人。エルちゃんはおハナさんに取られるがそれでも名ウマ娘が何人も出てくるあたりやっぱりレジェンド。
タイキシャトル
やっぱりマイルで走ったら勝つよ。ドリームトロフィーマイルの勢力図を塗り変える才覚だもの
砂のマルゼンスキー
ウマ娘でもダート適性があるし史実最終戦になった短距離Sはダートのスプリントとまあダートも走れる。がまあ芝メインのウマがいきなり圧勝するのもということなのでこれくらいに。
まだダートは芝の二軍という風潮の時代。ダートウマ娘達も自然とそういう考えなので侵略者マルゼンスキー。