転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
95年夏から秋シーズンに向けてです。クラシック終盤戦からダーク達ジュニアのデビューなど進んで行けたらなと思います。
2章はティアラ路線の話でしたね。ダートの話といい狙ってないのですがタイミング良いっすね。
1995年8月27日
パートナーの海外遠征初戦、ノネット賞が行われた。フランスのティアラ路線の大レース、ヴェルメイユ賞のステップレースのGⅢだ。日本のウマ娘としてはシリウスシンボリ以来の約10年ぶりの欧州への挑戦である。
4人という少人数戦は日本だとあまり行われないため勝手が違う。地力が問われるという言い方をすると多人数レースを低く見てるようだが、波が立ちにくいというのは事実であろう。
その少ない中で注目はフランスの1000ギニーを勝ちオークスをクビ差の2着になったマティアラ*1だ。本番ヴェルメイユ賞でも間違いなくライバルになるウマ娘だ。
レースはいつもより上手く飛び出したパートナーが最初のコーナーを他の子が比較的外目を回る中内沿いを選択した。そのまま2番手を走り続けるが4人だからバグンにはならない。
逃げたウマ娘を早めに仕掛けてかわすと、直線1番手に立つが後ろから3番手、4番手のウマ娘が突っ込んで来て横一線でのゴールになった。判定は時間がかかっており、日本のウマ娘としては30年以上ぶりの海外重賞制覇が期待されたがハナ差でその勝利を逃してしまった。しかしハナ差まで欧州のG1ウィナーを追い詰めたのだ。本番のヴェルメイユ賞が楽しみである。
1995年9月2日
函館のメイクデビュー。うちの生徒の注目株で一番最初にデビューを迎えたのはイシノだった。トレーナーを決めたのもイシノが早かった。ライバルより先んじたいという思いもあるのかもしれない。けっこう自分の武器を認識してそうだしな。
レースは1000m66秒のとんでもないスロー展開を好位3番手で追走し直線を抜け出すお手本通りのレースで勝利し、見事に人気に応え次のステップに歩みを進めた。志比トレーナーとも二人三脚でうまくやっているようでよかった。
1995年9月10日
夏休み明け、皐月賞ウマ娘のジェニュインが選択したのはクラシック級限定競争ではなくシニア混合、中山レース場でのマイル戦、京王杯オータムハンデだった。
クラシック級での挑戦だが1番人気の評価をジェニュインは受けていた。結果としてはBNW世代のドージマムテキ*2の2着という充分収穫のある結果だと思われる。
ところでこの時期多くのクラシック級ウマ娘は菊花賞に向けてスタミナを鍛えるはずだ。しかしよりスピードが重視される距離短縮でのマイル戦とおおよそ菊花賞に向かうウマ娘のローテではない。
秋の本命は自ずと絞られて来る。普通より早くシニア級の一線級相手に戦う事になる。パートナーといいチャレンジャーな奴が多い。
1995年9月11日
海の向こうではパートナーの欧州挑戦の本番を迎えていた。フランスの伝統的ティアラ級G1ヴェルメイユ賞。ロンシャンの2400mとかの凱旋門賞と同条件であり、ティアラ路線から凱旋門賞を目指す場合は有力なステップレースでもある。
ノネット賞の好走を受けてかパートナーはなんと1番人気に支持されていた。しかし雨が降った後の、欧州の重馬場というのは勝手が違う。
いつも通り控えたレースを選択するもノネット賞とは違い少ないながらも10人とそれなりの人数が居てはなかなかウチが開く事はない。地元フランスのウマ娘も人気を極東から来たウマ娘に譲った手前、順位まで譲ってしまってはという意地もあっただろう。
結果は地元のオークスウマ娘、カーリング*3が後続に1馬身差をつけて快勝。パートナーも6着と順位こそ低いが2番手集団と差のないレースをしており健闘と呼べるのではないだろうか?なんて言葉は慰めにもなりはしないだろう。
1995年9月17日
ダービーウマ娘、ツヨシの復帰戦はクラシック級の菊花賞へ向けての登竜門、神戸新聞杯だった。
ダービーウマ娘として1番人気に支持されたツヨシは中団内側やや控えめの位置を取ったがそのままでは進路が詰まると思ったのかバックストレートで果敢に動き外から捲りかけようと動いていた。淀の坂を外回りで回ってしまうが仕掛けた形だ。
4コーナーをまわり先頭に居たのはBTが期待を寄せる天才少女、マヤノトップガンだ。しかし外を回ったとてツヨシは3番手に上がってきており足も溜めているツヨシが末脚を爆発させればいいレースになると思われていた。
しかし直線で脚色が鈍り結果は5着。外回しでレースをしたとして最後に垂れてしまったのは今後菊花賞を見据える上ではレース運びに懸念があるだろう。先頭争いはタニノクリエイト*4がマヤノトップガンを外目からクビの差で差し切り決着した。
ツヨシは本質的にはステイヤーじゃないと思われる。一方で今日2着に来たマヤノトップガンの方が適性には勝るだろう。ダービーウマ娘としての意地を見せて欲しいところだ。
1995年10月1日
凱旋門賞で今年1つの伝説が産まれた。
その新星は2戦目でエプソムダービーを勝ち3戦目にシニア混合の最高峰の1つキングジョージを、4戦目に欧州最高峰の舞台凱旋門と4戦で欧州12ハロン戦を総なめしてみせたのだ。
この欧州12ハロン三冠はあの70年代の最強ウマ娘、今も欧州プレミアリーグトッププレイヤーのミルリーフしか達成していない偉大な記録だ。
その新星の名はラムタラ。『奇跡』のウマ娘と称された新たなスターだ。
1995年10月3日
ダンスパートナー、菊花賞参戦。
それは私にも青天の霹靂だった。生徒の事なのに……。欧州遠征から帰って来たパートナーと滝トレーナーが会見を開いて発表された内容は、ティアラ路線が整備されて以来非常に珍しい挑戦だ。
フジの事を引きずっているという彼女の言葉は若干耳が痛い。欧州挑戦といい、世間は奇抜な事をやってるというイメージだろう。しかし彼女には彼女の考えがあるのだろう。
……まあダンシングキイの娘だしエアダブリンのように長距離の方が向いているだろうという判断もあるのだろうが、フィリー級の挑戦者として彼女の選択に心を動かされる者もきっといるだろう。
◆◆◆◆◆◆
『アタシの次走は菊花賞よ』
ティアラを争った、同じ先生に学んだライバルは記者会見でそう言っていた。その映像を見た時、私は何も考えられなかった。
『ジェニュインは出ないらしいじゃない。タヤスツヨシは調子が良くない。そして何より』
出てくる名前はティアラを戦った私や地方のライデンリーダー、桜花賞ウマ娘ワンダーパヒュームの名前ではなく三冠路線のウマ娘達だ。樫の女王は既に私達を見ていない。
『いつまでもフジキセキの事をうだうだ言ってる空気がアタシは気に食わないのよ!!』
そして出た名前は私達のジュニア王者、フジキセキだ。私こそが最強だと言わんばかりに三冠路線のウマ娘達に覇を唱えた。
『いい、この時代の最強はアタシよ。アタシが樫と菊の冠を勝ち取って最強だと証明してやるわ』
……貴女に勝ちたいと思っていた私は結局視野が狭かったのかしら?いや、今までのティアラ路線の常識を破壊した貴女に勝ちたいと思った事に誇りを持つべきかしら?
「プライム、パートナーは中々凄いね」
「ジェニュイン、貴女も次は天皇賞でしょう?人の事言えないですわよ」
チームメイトでパートナーも名前を出したジェニュインが声をかけて来る。この子はこの子でクラシック級での天皇賞挑戦という新たな路を切り拓こうとしている。
「私は3000mが長いってのもあるけど、私が本物になるにはこの路だと思ったからね」
「なんで貴女たちはそんなに挑戦ができるんですの。春の貴女とは大違いですわ」
「うーん、挑戦しているつもりはないよ。今も言ったように菊花賞は長いし自分の路を選んだらまだ誰も歩いていなかったって感じだよ」
あっけらかんと答えるジェニュインに少し怖気づく。自分の路とは言え誰も歩かない路をひるまずに選べるだろうか?思えば昨年の年度末レースから私は地に足を付いた選択を選び続けている。彼女達のようになるには私も挑戦をしなければいけないのだろうか?
「プライムはプライムだと思うよ。地に足をついて、自分の走りを突き詰めるのも路だと思う。空を飛ぶには地に足がついていないと飛び立てないよ⋯⋯いや違うか。質実剛健を突き詰めるのもらしさだと思うよ」
ジェニュインの言葉を反芻する。私らしさ。
私はおそらく新しい挑戦をするのは気質的に、また運命的にその局面にいないのだろう。蛮勇や無謀を犯しては意味などない。ならばパートナーとは路が交わった時に私が磨いてきたものを叩きつけてやればいい。
我が最強だ。無敗の欧州三冠。これ以上無い結果だ。だが我を1番と称えるのに異があるのか?
アレッジド、ジェネラス、シャーガー
そして、ダンシングブレーヴ。
よろしい。ならば我が最強だと知らしめてやる。
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ダンスパートナー
ダンス三姉妹長女(次女)。そして女傑と女帝に挟まれ隠れてしまったティアラ路線の開拓者の一人。さらに欧州挑戦の足がかりの一人。彼女の戦場を問わない勇姿を見て、後のあのウマ娘に繋がっていく。
実際2章のティアラの俊英で出てきてもおかしくない格のウマ娘。
ラムタラ
『奇跡』のウマ娘。遂に登場。もうわかるよね、来年の展開。