転生したら米国二冠ウマ娘だったけどコーチの依頼が無くて極東に行ったら名コーチになって教え子に囲まれてます(仮) 作:罠ビー
明日は世紀のジャパンカップを楽しみましょう。私の本命はコントレイルです。
1990年11月25日
ジャパンカップは残念ながらオグリキャップが勝つことはなかった。一着はオーストラリアのウマ娘*1で二着がアメリカのウマ娘*2だった。風の噂だが少々過激なファンレターが届くような事態になっているらしい。それをうけてではないだろうがオグリキャップのトゥインクルシリーズ引退とドリームシリーズへの昇格が発表された。
1990年11月29日
オグリキャップ引退のショックは大きいらしく指導してる娘達も話題にあげていた。少ないながらも交流のあった私も何か激励をしようと筆をとろうとしたが連日のように届くファンレターに苦笑いしてる様をみていたのでそれはやめた。今日の講習会の際に一声かけておいた。米国二冠ウマ娘からのお言葉だ。ありがたがれ。
1990年12月1日
ドリームシリーズの花形選手であり選手会長のシンボリルドルフがサイアーとしてもっとも目をかけているジュニアの選手がデビューを迎えるということで学園内でも話題になっていた……というかシンボリルドルフが話題にしていた。予想通りトウカイテイオーの事だったが……アニメのトウカイテイオーはもっと幼くなかっただろうか?フジキセキより先にデビューしていたとは意外だった。デビュー戦は圧勝したらしい。これでオグリキャップが抜けても来年度のトゥインクルシリーズはスター不在ということにはならなそうである。
そういえばリアルシャダイが言っていたがトウカイテイオーと同じクラスにサイアーとして面倒を見てた中でかなり期待できるウマ娘がいたらしい。そちらも期待するとしよう。
1990年12月3日
サイアー助手としての仕事は順調だ。といっても教師のように教壇に立つわけでもなく、昼下がりから夕方までくらいの時間ウマ娘を指導する。少々形は違えど学童保育みたいなイメージで相違ないだろう。そのためけっこう内容はサイアーにゆだねられる部分が大きい。根をつめて真面目な事ばかりしていてもまだC組の娘達などとても幼いので疲れてしまう。そのため遊びやレクリエーションを通してウマ娘特有の高い身体能力にアプローチしていくことになる。といってもマンネリ化をしないというようにしていきたい。
1990年12月10日
リアルシャダイを訪ねるとすごく上機嫌な様子だった。どうやらサイアーをした今年のジュニアA組のウマ娘がG1を取ったらしい。口を開くと余計な事を言ってしまいそうなので拍手をしておいた。すると上機嫌のまま来年A組に上がる娘の中でもかなり期待できるウマ娘がいるらしい。初めて指導に参加した時を思い返すとおそらくどの娘だか見当はつくが近いうちにあるジュニアクラスの合同レースでわかるとのことだったので楽しみにしたい。
1990年12月14日
そろそろ私も向き合わないといけない問題がある。このままでは私は目付きの悪い無口な怖い人である。とてもこれからサイアー……あえてヒト娘にも分かりやすくいうと学童の先生を目指すにあたってこのままでいいのであろうか。フジキセキやダンスパートナー等私の担当の娘達は全肯定してくれるだろうが現状リアルシャダイの担当の娘達には怖がられてばかりだ。というわけで一念発起してイメチェンを狙っていきたい。
どうしたらいいだろうか?という旨を打ち明けてみたが反応は芳しくなかった。あまり悩みは共有できそうになかった。ただ一人ちっこい鹿毛のウマ娘、トニービンだけが親身になってくれた。いい奴だ。
1990年12月18日
トニービンに誘われるままに可愛いものを着飾ってみようよとフリフリな服を着せられてこれからシャレオツなカフェででも私の悩みを聞いてくれるのかと思っていたらなにやら人集りができており、なんの騒ぎだろうと手を引かれればあれよあれよと人集りの中心に連れてこられる。嫌な予感がして逃げ出そうとするとトニービンは笑顔で可愛いサンデーちゃんを見て貰おうとのたまいその場で簡易ライブが始まってしまった。
いくら騙されたといえど仮にもトップウマ娘。まず着ないフリフリな服に恥ずかしながらしっかりと踊りきってから罵声を浴びせようと口を開くがそれはトニービンに塞がれる。
とりあえずゲラ笑いをしていた一つ年上のアメリカ生まれの黒鹿毛のウマ娘はトニービンと共謀して同じ目にあわせた。無認可でゲリラライブをした事を学園の職員に怒られた。一騒ぎが終わってからトニービンを締め上げようとしたがキラキラした顔で楽しかったでしょ?と言われたらそんな気は失せたのでグーの一発ですませた。
1990年12月20日
思えばトニービンはけっこう前から私の事をみていたのだと思う。体躯はあまりいいとは言えないけれど中性的な容姿と相まって少年のようでイタリア由来の人懐っこさもあわせてけっこう人気が高い。私より少し年上だが年上感があまりない。本人に言うとつけあがりそうなので言わないがあれ以降周りのウマ娘に少し受け入れられた気がするので一昨日の件は感謝している。
1990年12月23日
素晴らしいレースだった。
1990年12月24日
クリスマスはトレセン学園でもクリスマスパーティーを行うらしい。チーム毎に行ったりもするらしいがジュニアクラスのウマ娘達はジュニアの教室を使ってささやかなパーティーを行っていた。私の担当してる娘達はまだジュニアC組にしかいないためC組の教室で過ごしていた。
何かプレゼントを渡した方がいいかと思ったが良いものが思いつかなかった為クリスマスカードをしたためてみんなに贈った。情けないサイアーですまない。しかし受け取ったみんなは喜んでくれた。私にはもったいない出来た娘達だ。
途中トニービンがゲリラライブの映像を流そうとする等トラブルもあったが概ね滞りなくパーティーも終わった。これから少しの間冬休みに入り一部を除いてジュニア組は親下に戻る事になる。ここ最近騒がしかったから少々寂しく思う事もある。
昨日は余韻に浸りたかった……いや、気持ちに整理がついていなかったから日記は少なめにさっさとベッドに入ってしまった。結論から言うと昨日中山レース場で開催された有馬記念で、トゥインクルシリーズ引退を表明していたオグリキャップが勝ち名乗りをあげた。
やや風情がないのは承知だがレースレベルが高かったとは言い難い。しかし観客が一つになり勝者のオグリキャップを称え、トゥインクルシリーズの花道を飾ったあのレース場のムードに私は酔ってしまっていた。
これは場酔いしたすえの戯言なのだが私があのベルモントステークスに勝っていたら私はオグリキャップのように祝福されただろうか?あの大団円を提供できていただろうか?……これ以上考えると夢に出てきそうだ。
叶わない夢を見ることは救いなのか報いなのか、聖夜のサンタクロースは答えてくれない。それもそうか……私はいい娘ではなかったな。
◆◆◆◆
「思イ上ガルナヨ SUPER STAR。オ前ハオ前ノ勝手ニ走ルンダ。ソノ走リノ意味ヲ付ケルノハオ前ジャネェ。Running your way」
ジャパンカップ後講習会のおりに英語混じりで片言な日本語でサンデーサイレンスにそう言われた。……あまり声を聴いた事はなかったがあれは彼女なりの気遣いだろうか?言ってる事はよくわからなかったが周りの事を気にするな。という事でよかっただろうか。確かに最近私は自分の走りが出来てるか、このままでいいのか分からなくなっていた。
トレーナーがファンレターを選別してるのは知っていたが脅迫じみた内容が届いている事は風の噂で耳にした。やや過剰さを感じる期待が私の心をナーバスにさせていた。もちろんそれは去年もあった事だがレースは好調だったしそれを重く感じる事はなかった。しかしこの秋シーズン、レースが不調になり出すと精神のバランスが崩れた気がした。
イナリやクリーク達には悟られないようにしてたが……まさか彼女にそう声をかけられるとはつゆにも思わなかった。
数日後私はまた学園内で彼女の姿を目撃した。その切れ長な印象とはミスマッチなフリフリの衣装を身に纏い
2年前にタマと走ったジャパンカップを走っていたトニービンと踊っていた。……たしかにこれは彼女のイメージではない。しかしそれを知ったものかと言わんばかりに堂々とした様子でライブをしていた。勝手にする。まさに我が道を行く生き方を見せられた気がする。
どこかで自分に求められる振る舞いのようなもので自分を縛っていたのかもしれない。去年はそれでも回ったがそこに綻びがでた、それだけの事なのかもしれない。
そう考えると少し気分が楽になった。私は私の走りをする。オグリキャップの一つの集大成として。
サンデー「お前の好きなように走れ」
オグリ 「好きなように走ったら勝った」
観客 「オグリ!!オグリ!!」
サンデー「私が三冠取ったらああなれたかな?」
トニービンさん
サンデーさんと同時代に活躍したサイアー。活躍期間こそ少なかったが瞬間最大風速は凄まじかった。ウマ娘的にはウイニングチケットとエアグルーヴの父。東京競馬場に強く府中のトニービンと言われた。この作品ではサンデーさんに絡む人。中性的でショタのように見える人。サンデーさんも目付きとお口わるわるクールウマ娘。ゲラ笑いしてた人と合わせると……