百年後、人間はもしかしたらマスクの裏側に秘められた素顔に、性的興奮を覚えるようになっているのかも。
江戸時代にはおっぱいが性的価値を持たなかったらしいし、まぁ、こんな未来も有り得るかなって思った。
コロナ禍の今だからこそ人類にはエロが必要だと思う。
西暦20XX年、世界は新型ウィルスによって歴史的パンデミックに包まれた。
ウィルスは未曾有の被害を各国で出し続け、都心部など人が密集する地帯を中心に、おびただしい数の感染者を生む。
緊急事態宣言発令。
オリンピック延期。
かつてない危機的状況により、人々はそれまでの生活様式とは一転。
在宅勤務の主流化。オンライン授業。外出の際には何処へ行ってもアルコール消毒や検温と。
新たなる世界でのライフスタイルを確立することになる。
パラダイムシフト。
世界は一つのウィルスによって変えられた。
人類はその衛生観念を丸ごと一新され、他人と会う時にはマスクをつけるのが当然となった。
マスクをつけなければバスにも乗れず電車にも乗れない。
公共の場にマスク無しで立ち入ろうとすれば、お帰り願われるのはもはや当たり前だ。
条例や法律によって、人々はマスク着用の義務を背負う。
……それから百余年。
かつて彼のウィルスによってあまりにも唐突に命を落とさざるを得なかった僕は、気がつけば未来に転生していた。
すなわち、人がマスクをつけているのが当然の世界。
素顔を晒すのは、それこそ家族やごく親しい間柄の相手だけという……。
言うなれば、顔の下半分。
鼻や口といった部位が、乳首や股間にも等しい
食事会という文化は廃絶され、食堂やご飯所にかつての姿は一切なく、すべてが完全個別制。
家だろうが何だろうが、無菌室みたいなカプセルルームで一人黙々と栄養摂取するのは最低限のマナー。
水泳の際は軽量化された専用の酸素マスクが必須だし、文字通り、よほどの必要に迫られでもしない限り人はマスクを外せない。
それ以外は、もはや完全にシャットダウン。
お風呂に入っているか一人で食事を摂っている時、あるいはセックスをする時を除いて。
人は! マスクを! 決して外さない!
否、外しちゃいけない! なぜならそれが常識だから!
進歩した医療技術により、もはや世界にかつてほどの危機は無くなっていても。
常識として定着してしまった固定観念。
“マスクツケナイノ ムリ ハズカシイ!”
により、人は素顔を性的なモノとして見るようになっていたからだ。
古来より人は秘められたモノ、覆われ、隠されたモノに好奇の視線を止められない。
有名人の私生活。隣人の赤裸々な過去。
直接的で即物的な範囲に絞れば、スカートの内側や下着の奥といった、人が常日頃みだりに表へと出さないところをこそ人は暴きたいと欲求している。
チラリズムなんて言葉が生まれたのは、果たしてもう何年昔のことなのやら。
だから、その……なんだ。
これはいわゆる、人々がマスクをつけるのがあまりにも当たり前になり、そのせいで常識が一新されてしまった新世界での日常風景。
老若男女、誰しもがマスクをパンツと同等に認識している時代での出来事であり。
前世の記憶を持つ僕以外の人間にとっては、なんらおかしくない至極真面目なお話なのだと。
……そう、理解した上でこの先を読み進めてもらいたい。
でないと、自分が知る常識とのギャップから、いろいろ呆気に取られることはまず間違いないと思うので。
◇
言うまでもないが、人は鼻と口が無ければ呼吸ができない。
というか、人間に備わっている五感の内、嗅覚と味覚。
この二つもの大事な感覚を、人は鼻と口を使うことで捉えている。
目や耳、視覚や聴覚も顔。
正確には頭部に位置しているわけで、触覚を除いたほとんどの感覚器官が、一箇所に集中している。いや、頭部にも触覚はあるけれど。
しかし、触覚は全身にある。肌だけでなく口の中や胃の中にも。
部分部分で感度に差はあるが。
触覚は一箇所に集中しているわけではない。
広く深く、普いている。
だから今回の話では一旦除外する。
五分の四。
つまり、人間は極論、八割方顔面由来の生き物だと言ってしまっていい。
分かっている。
もちろん、人が生きるのには胴体。もっと言えば内蔵、筋肉、脊髄など。
重要なパーツはいくらでもあるし、それらが無ければ当然、生命活動を続けることは難しい。
いや、ハッキリ言って無理だと断言できる。
だから、人がその八割方を、顔でのみ生き続けているというような極端な言説を挙げれば、大多数が否やを掲げて押しかけてくることは重々承知している。
ゆえにこそ、事前に極論と前置いてもいるわけで。
しかし、しかしだ。
そういった物理的な問題。
生命活動を維持するのに必要な構造的な話ではなく、あくまで人が何を起因にしてその生を歩み行くのか。
人生という単語は、人の生と書いてジンセイと読むわけだけども。
では、その生の字に込められた意味とは何かを考えた時。
やはり、人が外部からの刺激、情報、己を取り巻く周辺環境に左右されて毎日を過ごしている生き物であることを考慮すると。
それらを受信し感じ取る能力(器官)は、畢竟、一人の人間そのものと言えなくもない。
少なくとも、僕個人の意見としてはそう思うわけだ。言ってる意味、分かる?
人間は顔だ。
っと、こんな言い方をすると別の意味を含んでいるように聞こえてくるが、まぁどちらの意味として受け取ってもらったところで僕個人としての意見は変わらない。
断じて。
この思いは決して曲がらないし覆らない。強く主張する。声をあげて高らかに。
なぜなら、この世は不平等だから。
同じ服を着ても顔のいい人間とそうでない人間とで、周囲の受け取る印象が様変わりするように。
人間は顔だ。
見た目が百パーセントの生き物だ。内面などどうでもいい。
よく歳を取れば皆シワクチャになって同じだと言うけれど、シワクチャにだって綺麗かそうでないかの違いは絶対にある。僕はできるだけ美しく年老いたい。
だから、不細工は生まれた直後、オギャアと泣いたその瞬間から、その後の人生を多大なるハンデを抱えて生きていかなければならないことが決定している。
DV彼氏と聞いて想像するのは、大抵イケメンだ。
メンヘラ彼女と聞いて想像するのも、大抵カワイイ。
一方、童貞や地味子は高確率で人畜無害だ。
自分に自信がなく、幼少期から自己肯定感を鍛えられずに育った不細工どもは、その成長過程で如何にすれば自分が社会から排斥されないかを学んでいく。
逆を言えば、どのように振る舞えば自らが大衆に受け入れられるのかを。
彼ないし彼女たちは語るだろう。
キモデブハゲが内面までクソだったら、いったい誰がそいつを愛してくれるのか、と。
愛に飢えている悲しき怪物たち。
なんだか可哀想すぎて涙が出てきた。
なので話を戻そう。
つまり、だ。
人間は五感によって外部からの刺激を受信している。
一般的に綺麗なものを見れば人の心は安らぐし、周りから褒めそやされれば自尊心はかなり満たされる。美味しいものを食べるのは素直に幸せだろう。トイレに芳香剤を置くのは、その方が気持ちがいいからだ。
そして、人間は良くも悪くも環境に染まる生き物でもある。この辺はスタンフォード監獄実験など、調べればいくらでも証拠が出てくるだろう。
であれば。
五分の四。人間を構成する八割の感覚器官。その内のさらに半分。
嗅覚と味覚を司る鼻と口をマスクで覆い、日頃から四六時中マスクとともにある生活を続けるのは、有り体に言ってかなりの変化を生じさせるだろう。
それはすでに冒頭でも述べた通りであり、まぁ、なんだ。納得できないこともない。
だが、だからといって人間やはり食事の際にはマスクを外さざるを得ないし、歯磨きだって必要だ。
夏場になれば水分補給は必須で、こまめにマスクを外す必要がある。
パンツだってずっと同じのをつけてるわけにはいかない。マスクも同じだ。
それに、マスクをつけるのは心情的に若干ながら閉塞感を覚えるし、外している時の開放感は言わずもがな。
となると、どうだろう?
如何にマスクをつけるのが常識となった世界とて、やはり人がマスクを外す瞬間というのは絶対にある。
なんなら、日常のふとした瞬間に見ちゃいけないものを見ちゃう瞬間ってのは、幸か不幸か時折りあって。
学校帰りの女子高生のスカートが強風で盛大にめくれてしまった時とか、実際に目の当たりにすると、ただただ気まずくなるだけでも無条件で罪の意識を植え付けられる。
まぁ、要は何が言いたいのかというと。
「ぁ……ああ、ぁあぁああ……!
み、見た? 見たよねいま! ねぇ、ゼッタイ見たよね……!?」
こちらにその気はまったく無かったのに、まるで裸でも見られたかのようなリアクションをするクラスメートの女子高生。
顔を真っ赤に染めて、目尻には涙なんかも滲ませる。
恥ずかしくて耐えられない。
けれど同時に、同じくらいの怒りがワナワナと湧き上がって。
そんな、見るからに年頃の女の子らしい感情を覗かせる相手と、放課後二人っきり。
人気の失せた教室。
最終下校時刻の迫った夕暮れ。
ああ、それはなんて青春ラブコメっぽい一枚絵だろう。
けれど現実は、マスクを外した女子とそれを目撃した僕という、なんだ? よく分からん。とにかく、何の発展性も感じられない状況下。
念のため、もう一度だけ言わせてもらうが、僕の方にやましい気持ちは一切湧いていない。
平常平静。泰然自若もいいところ。
当たり前だ。僕からすれば単にクラスの女子がマスクを外しているだけなのだから。
物珍しくあっても性的興奮は抱かない。
なのに、目の前の彼女からすれば僕は着替えを覗いたにも等しい極悪人。
責めるならばせめてパンツのひとつでも見せてもらいたいところだが、それをすれば本当に言い逃れができなくなる。なんてことだ。僕は冤罪被害者の気持ちをこの瞬間真に理解した。チクショウ、やってもいない悪事で罪を背負わされるとは、こんな世界間違ってる!
なお、僕の主観上でメリットがなかっただけで、世間的には十分ギルティな模様。おのれ異状性癖の進化人類。人間の顔面に欲情する異常者ども……!
僕はそこでフッ、と顔を両手で覆った。無論、貞操を守ろうとしたわけではない。
さて。
「あ、あぅ、あわわ……お、おまえ! どっ、どどどうするの? こここ、これ、もうせっ! 責任! とっ、取るしか……!」
とはいえ、この状況。
どうにかしなければ普通に僕の学生生活が終わりかねない。
目の前の女子はたしか、クラスでもイケイケな感じのグループに所属しているイケイケ女子。
リーダー的存在で常日頃から多数の取り巻きを抱えているギャル(死語)。
名前は覚えてないけど、対応を誤れば僕のような箸にも棒にもかからないフツメン地味ーズはあっさり潰されるだろう。
きっとキモイとか死ねとかめちゃくちゃ陰口を叩かれる。そんなのは耐えられない……
(というか)
この子はいったい、どうして放課後の教室でマスクを外していたのだろうか。
人気の失せた茜色の教室で、僕のように宿題を取りに戻って来たというようにも見えない。
まさか……痴女なのか?
僕的にはまったくそうは見えないが、今の時代で女性が外でマスクを外しているのは、はしたないどころの話じゃなかったはず。
つまり、露出狂?
普段は晒せない素顔を秘密裏に解放することに、イケナイ悦びを覚えちゃった?
でも、その割に責任とか割かし処女くさいワードを口にしているし、クソッ、よく分からない。
見たところ、特に喉が乾いてしょうがなかったという様子でもないから、ますます謎は深まるばかりだ。
時代の流れとともにマスクも進化し、今の世の中、紐が千切れるとかそういう可能性も限りなくゼロになっている。
何より、この子の机の上にはマスクが置かれている。壊れてない。ちゃんとしたマスクだ。
となると、やっぱり露出魔的な……
「────」
「え、ぇええ、なんでそんな真顔でガン見なんだよぉ」
思わずマジマジと視線を注いでしまった。
イケ子ちゃん(仮称)はタジタジと狼狽えている。
……どうでもいいが、普段勝気でクールな子がふとした瞬間に弱々しい姿を見せるのって、なんだか反則級に可愛く思えてくるから結構不思議だ。
彼女にするなら金髪巨乳と神に誓っている僕でも、思わずグラッとキテしまう。
ちなみに、イケ子ちゃんは黒髪ロングの貧乳モデル体型。ツリ目で身長も高い。僕のストライクゾーンからは三つくらいレーンが離れている。
(──って、あれ?)
と、そこで僕はあることに気がついた。
(この子、叫びもしなければ逃げもしない)
素顔=おっぱいや性器にも等しいこの世界で、如何にも異性からモテそうな女の子が、曲がりなりにも男に鼻と口を見られているというのに、キャアとも言わない。
赤面し、額にはうっすら汗を浮かべ、目尻からは涙が零れそうになってはいるが──んん?
僕は怪訝になりつつも、一歩おもむろにイケ子ちゃんへと近づいた。
そして言う。
「もしかして……興奮してる?」
「ッ!!? は、はぁ!? ななな、なに言ってんのか、よっ、よく分からないんですけどぉ!?」
見開かれる目。
ドモりながらもハッキリ発せられる否定の言葉。
僕は確信してさらに足を踏み込んだ。
互いの距離はもはや一メートルもない。手を伸ばせば余裕で捕まえられる。
女性からすれば、やや身の危険を覚えてもいい距離感だ。
だが、
「へぇ……じゃあ、なんでそんな、嬉しそうに笑ってるの?」
「──ふへっ?」
少女の顔は、明らかに劣情から来る悦びを露にしていた。
朱に染まった頬。紅潮したそれは、ともすれば恋する乙女のようと表現されるべきなのかもしれない。
しかし、吊り上がった口端。三日月のように弧を描いた綺麗な唇が、どうしようもなく欲望に歪んでいる。
なるほど。この世界の人間はマスクによって素顔を隠す生活に慣れ切ってしまった。
だから、本来ならマスクの下で隠せるはずの
僕はまたひとつ賢くなってしまったようだ。
「男に顔を見られて興奮しちゃった? こんな時間に一人学校に残って、普段みんながマスクをしてる場所で自分だけマスクを外す。ハジメテじゃあないでしょ?」
「……ッ、ち、違う」
「じゃあ、なんでまだマスクをつけないのかな」
「! そ、それは! おまえが、突然──」
「ハハハ。普通、誰かが来たら急いでマスクつけるよね?」
君たちは、だってそれが常識なんだから。僕にはまったく理解できないことだけど。
僕はつい鼻で笑ってイケ子ちゃんを見下ろした。何故だろう。相手が変態だと分かると、途端に自分の中から遠慮というものが消えていく。この際だから、少しからかってやろうか。
僕はイケ子ちゃんの耳元に顔を寄せると、そっと囁いた。
「僕のマスクの下も、見せてあげようか」
「───────────────────────────────────────────────────────────」
返ってきたのは数秒間の沈黙。
(我ながらキモすぎたか……?)
僕はふと我に返り、焦りながら様子を伺った。
「……い、いいの?」
イケ子ちゃんは鼻血を垂らしながら血走った目でこちらを見ていた。
続きは誰かが書いて。