「……キス、してみん?」
親友だと思っていた彼女から、突然されたキスの提案。
友達ならしないような行為も普通にするが、男女の関係ではない。
彼女とは友達なのか?それとも恋人なのか?
そんな自分たちの関係は何なのかと悩む男女のお話。




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親友からキスしたいと迫られた結果

「とりあえずビール」

 苦笑するマスターを尻目に、いつものように声を出して注文して、置かれた水を一口飲む。ほどなく来たビールで喉を潤してからようやく落ち着いた。

 ここは、俺たちが常連としているお洒落なバーだ。

 今、俺は親友と会っている。この恒例行事は高校を卒業してから続いていた。二十を超えてからはお酒を酌み交わす仲にもなった。

 俺と彼女は広島で生まれ育ち、別々の大学に進学した間柄だ。俺は上京し、彼女は広島に残った。

 いい年頃の男女が年数回こうして会って、それが続いていると言ったら、そのまま付き合っちゃえよと思うだろう。

 でも、俺と彼女はそんな関係じゃない。

「ああいうのは、ホントにいけんと思うんよー」

 赤ら顔になった加奈は興奮冷めやらぬといった表情。彼女のグラスには琥珀色の液体がなみなみと注がれている。年代物のウイスキーだ。

「そういうのは陰湿だよね」

 加奈の言葉に、俺は相槌を打つ。

「じゃろ。何したわけでもないのに、悪口言いたい放題!何様のつもりじゃ!」

「確かに、陰であざ笑うのは、ねぇ」

 加奈が愚痴っているのは、彼女が所属するサークルにいるあるメンバーについて、女子連中が陰口を叩いている事についてだ。

「そういう子を人として見とらん。ムカつくわ!」

 加奈は俺の昔馴染みだ。幼稚園の頃からずっと付き合いがある親友で、昔からとても正義感が強い。悪いことをしたわけでも無い相手を叩く人間にはとても敏感だ。

「でも、そういう手合いは言って変わるものじゃないだろうね」

 キョドってるとかであざ笑うのはおかしいと言っても、聞くような連中なら最初から陰口を叩かない。陰口を叩くのが、ある意味彼女らのコミュニケーションの基本なのだろう。

「あたしもそこが分からんわけじゃない。けど、やっぱおかしいと思うんよ」

 そのメンバーと彼女はさして親しいわけでもない。なのに、真剣に怒ることが出来る彼女は本当にいい奴だと思う。

「いっそのこと、もうサークルは抜けたら?」

「そしたら、あの子の事見捨てて行ったみたいで寝覚め悪いやん」

 長年の親友がこうして心を痛めるのはあまり見てたくない。

「でも、言っても変わらなかったんでしょ?」

「別に分かってはいるんよ」

 気がついたら、ワインを頼んでいたらしく、がぶがぶ飲んでいる。

「まあ、愚痴でよかったらいつでも聞くから」

「ありがとな。和樹にはいつも愚痴を聞いてもろうて」

「いい加減付き合いも長いからね」

 俺は標準語と切り替えられるけど、彼女は広島弁で通している。

「そろそろ、出よか」

「いくら払えばいい?」

 俺が財布に手を伸ばそうとする手を彼女が触れて制止する。

「ええよ。ここは、あたしの奢り」

「いやいやいや、ここのバー行くと加奈の奢りになってるでしょ」

「愚痴聞いてもらってるんやから、それくらいはせんとな」

 加奈は手で豊満な胸を叩いて歯を見せながら笑う。

「そうだね。ありがとう」

「そうそう。あたしに任せんしゃい!」

 こういう時に、意地でも奢るのだと彼女は頑固になり、不機嫌になる可能性すらある。

 お代を払ってもらっていると、俺はバーのマスターに耳打ちされる。

「いい仕事してますねぇ」

 マスターに会釈して店を出た。てか、俺は骨董品か?

 

 

「はー、ええ夜やー」

「けどこの夜になっても蒸し暑いのは参るね」

 車や路面電車が行き交うネオンが輝く繁華街を二人して歩く。

「和樹、暖めてー」

 ふざけた声で、横合いから抱きついてくる。

「はいはい。酔っぱらい、酔っぱらい」

「あたしは酔っ払っとらんよ?」

「酔っぱらいはそう言うんだよ」

 昔から、彼女は事あるごとにスキンシップを取ってくる。

 でも、俺は未だにその意図を図りかねていた。

 好意があるのは確実。大学で会った友達なら、気があると思っていただろう。

 でも、彼女にとってのそれは友情の延長線上なのかもしれない。

「ほんと、加奈は仕方ないんだから」

 そう言いながら、俺はそっと彼女の髪に触れて優しく撫でる。

「なんじゃ和樹、また子ども扱いなん?」

「そういうわけじゃないよ。癖だよ」

 俺たちの関係はあまりにも居心地が良すぎる。けど、俺自身、未だに彼女への想いがよく分からない。

 間違いなく俺は男で彼女は女。

 俺は彼女を女として意識して、こうしている。だが、彼女は俺を男と意識して、こうしているのだろうか。

「なあ、和樹。今日、そっち泊まってええ?」

「明日の講義は?」

「午後からじゃけぇ、大丈夫じゃ」

「分かった。じゃ、行こうか」

 飲んだ夜に、こうして俺の実家に彼女が泊まりに来るのもいつものこと。いちいち、緊張することもない。

 もっと彼女の態度が普段と変わっていれば違ったのかもしれないが。

 

 

「お邪魔しまーす」

「加奈ちゃん、適当にくつろいでね」

 俺の母親は慣れたもんで、当たり前のように加奈を招き入れる。けど、頼むから俺に向かってにやりと笑うのはやめてくれ。ぞわぞわするから。

 家に入るなり、加奈は俺が住んでいた時の部屋に直行し、大の字になって寝る。

「いやー、飲みすぎたわー」

 その穏やかな様子にうちの母親を思い浮かべる。柔和な表情に豊満な胸、肉付きの良い身体。母性的と言ってもいいかもしれない。

 ……マザコンかよ、俺?

 そんな彼女は、昔から、男子からの告白が後を絶たなかった。特に気弱な男子からが多かった。

 けれど、その全てを彼女はお断りしていた。

「はい、水」

 氷の入ったコップにミネラルウォーターを注いで手渡す。

「ありがと。和樹は気が利くなー」

「まあ、もう慣れたよ」

 率直な感謝が少し照れくさくて、そう誤魔化す。

「ほんとに、感謝しとるんよ?」

 今度は、少し真剣な言葉。

「お互い様だよ。子どもの頃、加奈が助けてくれたのは、今でも忘れてないから」

 彼女と仲良くなったきっかけは単純。

 当時、俺はいじめにあっていた。そこを、彼女が正義感を発揮して俺を助けてくれたのだ。

 もっとも、それ以来いじめっ子の態度がコロっと変わったのには戸惑ったが。

 彼女のように誰かを助けられるように。あれ以来、ずっとそう思っている。

「もし、あの頃の事、ずっと気にしとるんじゃったら……」

「そんなわけないでしょ」

 彼女の言葉の意味が嫌でも分かってしまうから、少し悩む。

「あたしは、和樹にお返し出来てる気がせんわ」

 ぽつりとつぶやく加奈。彼女は、受けた恩を返したいと素朴に思うところがある。

「俺も友達少ない方だから、助かってるよ」

 東京の大学での友達は確かにいるが、果たして、本音を語り合えているだろうか。

「そんなの、全然釣りおうとらんよ」

「釣り合いとか考える仲じゃないでしょ」

「まあな」

「……なあ、和樹。一つ聞きたいことがあるんじゃけど」

「なんだ?」

「あたしは、和樹の事どう思うとるんじゃろう」

 その声はどこか苦しそうだった。

「それは、加奈が一番よく知ってるんじゃないの?」

「わからんから聞いとるの」

 少し子ども染みた言い方をする。

「友達、じゃないの?」

「勿論それもあるよ。でも……」

「でも?」

「肌同士触れていたいのは友達だからなん?」

 気がついたら、後ろから抱きしめられていた。豊満な胸の膨らみ、柔らかな身体、伝わる体温。

 身体が熱くなってくる。

「ただの友達だとならんじゃろ!」

 気がつくと、俺は方言交じりで話していた。

「じゃろ?男として好いとるんは間違いないんよ」

 告白に等しい言葉。ただ、驚きはなかった。薄々、感じていた事だったからだ。

「加奈はどうなりたいんだ?」

 よかった、標準語に戻っている。

「和樹はどうなりたいん?あたしと」

「質問に質問で返すな」

 しばしの沈黙が部屋を支配する。

「……どうだろう。今が居心地いいし」

「そんなどっちつかずな事言うなぁ、いけず」

「……でも、俺から望むのも違う気がする」

「それ、あたしも同じなんよ」

 部屋の時計の音が規則正しく響いてくる。

「……思いついたんやけど、キス、してみん?」

 コップに入っている氷の落ちる音がした。

「は?何てこと言ってるんだ」

「キスしたら、恋人になれるんじゃない?」

「それはさすがに、順番が逆だろ」

「順番なんかどうでもええじゃろ。嫌なん?」

 分かる。分かるけど。それを言われると困る。

「……分かった」

 俺は意を決して加奈の前に向き直る。彼女は何故か笑顔だった。

「全然緊張してないのな」

「でも、ずっとしたいと思うとったんよ」

「いつも抱きついてるみたいにやれば良かっただろ」

「アホ。さすがに、そこの分別くらいはついとるわ」

 言いつつ、やっぱり彼女は嬉しそうだった。

「ん……」

 加奈が目を閉じて、唇を突き出してくる。

 可愛いな、と心から思う。

 俺も自然と顔を近づける。

「あっ……」

 二つの瞳の先と。

「あ……」

 二つの瞳の先が。

 ぶつかって、そのまま結ばれた。

「はぁ……」

 唇を離した加奈は相変わらず笑顔。でも、火照ったような表情。

「何、夢見心地みたいな表情してるんだよ」

「……気持ち良かったもん。和樹は違ったん?」

「まあ、少しは気持ち良かった、かな」

 素直に認めるのが癪で、誤魔化す。

「素直に認めてもええじゃん」

 加奈は頬を膨らましてむくれる。けれどそんな顔も可愛らしい。

「俺自身、正直戸惑っている」

 いくら肌同士触れ合わせても、避けて来たこと。それが、こんなにも心を動かすなんて。そして、俺はおでこに手のひらを当てる。

「じゃったら、恋人同士でええんじゃない?」

「これで友達だったら、どんだけだよって話だし」

「そういう理屈っぽい事やなくて」

「ちょっと照れくさかっただけだっつうの!」

 言い合った後、お互い笑い合う。

「それやったら……改めて、よろしくな、和樹」

「おう。こちらこそ、加奈」

 そう言って、握り拳を突き合わせる。そして、お互いニヤリと笑う。

 親友であり、恋人でもある。それが俺たちのしっくり来る形かもしれない。

 

 今夜は心地良い熱帯夜だ。




いかがだったでしょうか。


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