ホウエン地方で進路に迷う就活生の話   作:久我山 平地

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プロローグ ~outro~

「ポケモンと言うかわいらしい呼称ですが、『ポケットに入って持ち運べるモンスター』なんです、モンスター、怪物。そんなポケモンがいる草むらへ無防備に出歩くなんて自殺行為ですわよ」

 

「ああ、ごめんね――いや、ありがとう。確かにきみの言う通りだ」

 

先程の悲鳴を聞きつけて急いで駆けつけてみると、そこには中年の男性が野生のジグザグマに襲われている光景が広がっていたのが数分前。

 

緊急事態とみなし、手持ちのイシツブテで追い払ったのち、その男性に厳重注意を行っているのが現在、という運び。

 

「おじ様、失礼ながらトレーナー免許は?」

 

「ああ、免許は――失効中なんだ」

 

気まずそうに視線を外す中年男性。白髪が少し目立ってきて草臥れた様子の彼は、バッグから古いタイプの免許証を取り出す。

 

「こちらに来るのは十数年ぶりでね。長い休みが取れたんで、観光に来たんだ。うっかりホウエンの免許の更新を忘れたままだったもんだから、ついでに手続きをしようと街に向かってたんだけど、ちょっと懐かしくなって寄り道を――」

 

「それであれば尚更です。誤って草むらに入って野生ポケモンの強襲を受ける事故が多発していますし、それを防ぐための免許、及びポケモンの所持が法で認められているのですよ?」

 

「――いや、本当にきみの言う通りだ。全面的にぼくの過失だよ」

 

彼はそのピンと伸ばした背筋のまま、ほぼ直角ともいえるお辞儀をする。

 

「それでも、何かあってからでは遅いんです」

 

情に流されるな、年上だからって狼狽えるな。これは命に係わる問題だ。

 

「『ホウエンの』免許を失効中ということは、他の地方の免許は所持しているのでしょう?

ケガをする前に、お持ちのポケモンで対応することくらいなさったらどうですか」

 

「……うん、それも選択肢としては考えたよ。でも、」

 

少し言葉を詰まらせて、彼は

 

「つまらないプライドと、世間体が気になってしまった」

 

「あんなに情けない声で助けを呼んでおいて?」

 

「……返す言葉もないよ」

 

筋の通った背筋が少し曲がったように見えた。

 

「ツツジさん、そのくらいで」

 

ルビーさんがわたくしの袖の裾を摘まんでそれ以上の迫撃を止めんとする。

腕を掴むでも肩を抱きとめるでもなく、袖を摘まむというのが絶妙に乙女心のツボをつつく。かわいい、やばい、にやけそう。

 

「……いいでしょう。では、貴方をミシロへ送り届けた後、彼をトウカシティまで送り届けます」

 

トウカにもジムがあり、免許関連の事務手続きは可能だ。

長は不在がちだが、彼の門下生が恙無く対応してくれるだろう。

 

「ん? きみたち、ミシロの人間なのかい?」

 

「彼はミシロの研究所で勉学に励む者です。わたくしはその送迎――もとい護衛です」

 

「ミシロの研究所とは、オダマキくんの?」

 

「ええ、お知り合いですか?」

 

活力のない彼の眼に、少しだけ灯がともった様に見えた。

 

「ああ、古い知り合いでね。そうか、きみはオダマキくんのところで学んでいるのか」

 

中年男性の視線はわたくしではなく隣のルビーさんへと移る。

 

「は、はい」

 

「若いのにたいしたもんだ。――ああいや、今のは失言だね。取り下げる。気を悪くしたらごめん」

 

年齢の割に威厳がなく、対等かつフレンドリーに接してくる彼に少し警戒したのか、ルビーさんがわたくしの袖を掴む力が僅かに強くなる。そのまま腕ごと掴んでくださってもいいのに。なんなら腕を組んでいただいてもいいのに。

 

「もしよろしければ、このままミシロへご同行されますか? このまま無防備に草むらでお待たせするわけにもいきませんし」

 

「いいのかい? すまないね、こんなおっちょこちょいのおじさんのために」

 

いいえ、その方がルビーさんと密着できるチャンスが増えそうだからです。

 

「では、すまないが早く向かおう。ぼくが言えた義理じゃないが、先程追い払ったジグザグマが群れを率いて戻ってくる可能性もある」

 

「そうですわね。行きましょうか」

 

トウカの森とは打って変わってわたくしがリードしながら進む。

歩み出してから「あれ、ひょっとして今また手をつなぐチャンス逃した?」という邪念が過ぎ去っていった。

いや、手をつなぐなら二人きりに限る。なんでこんなオジサンに邪魔されなければいけないのか。

 

「あの、おじさん。お名前は?」

 

数分一緒に歩くだけの関係の中年に名前を聞く意味はあるのか、と思ったが、その数分でも「良い人」の彼はそうしてしまうのだろう。すき。

 

「ボクはルビーと言います。この人はジムリーダーのツツジさん」

 

「ほう、その若さでジムリー……すまないね、他意はないんだ。歳を取ると若いというだけで凄く価値があるように見えてしまってね」

 

謙虚なのか、或いは愚かなのか。

実年齢ではわたくしたちの親と同じかそれ以上だろうに、彼は分不相応な柔らかさを兼ね備えている。

ああ――そうか、思い出した。

 

「ああ、ぼくが名乗る番だったね、ぼくは――」

 

いつしか、ニュースで目にしたことがある。

遠い国の、海に囲まれた島国で活躍する、ホウエン出身のトレーナーの逸話を。

そう、確か名前は――

 

「――ぼくはカブ。今はしがない、マイナーリーグのトレーナーさ」

 


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