トレーナーになりたい。
プロのポケモントレーナーになりたい。
捕まえて。
育てて。
戦わせて。
競わせて。
狩って、飼って、買って、勝って。
『強さ』だけで価値を証明できる単純明快な存在になりたい。
将来のことについて延々と悩んでしまう生き方なんてまっぴらだ。
部屋の中のベッドの上で答えの出ないまま鬱々と過ごす日々は沢山だ。
大空を漂うスバメのように。
海を漂うメノクラゲのように。
水面を歩くアメタマのように。
草原を走り回るポチエナのように。
何も考えず、ただ、自由になりたい。
☆
無機質でチープな店内BGMは、棚に陳列された商品を安く感じさせる効果があると言う。
フィールドワーク出発を翌日に控えた真夜中に「そういえばアレがなかったんだ」という博士の一言を受けて、ボクと博士は共にコトキタウンのフレンドリィショップへと足を伸ばしていた。
「博士、『あなぬけのヒモ』は人数分あれば充分ですか」
「いや、なるべく節約したいし、2個で。足りない分は現地調達か、ジグザグマに拾って貰おう」
しっかりと準備したつもりでも出発直前になってから忘れ物に気づく愚行から、人類は避けて通れない運命なのだろうか。
「わかりました。その分ボールは多めに買っておきましょうか」
「うーん、出発前にあまり予算は使いたくないが……カイナに着く前にボールを切らすよりはマシかぁ」
博士は陳列されたアイテムと今回の予算が入った財布を交互に見比べて唸っている。
それなりの大きさの街ならある程度のアイテムは揃っているものの、何せホウエンは田舎――いや、自然に囲まれた地方だ。
特に最初の目的地であるムロタウンはショップもない孤島で、サーファーと石マニアをメインターゲットとした宿泊業でなんとか経済を回しているド田舎――失礼、観光地らしい。
「ううん……いや、しかし、もうちょっと安く済む方法があれば」
「博士、まとめて買えばプレミアボールも付いてくるし、そっちの方がオトクですよ」
「ルビーくん、キミはショップ店員の才能もあるのかい」
「まさか、生きる知恵ですよ」
過疎化が進むホウエンの中でも群を抜いて住民が減りつつあるその町で、まともな物資が手に入ることを期待する方が難しい。
他にも買い忘れたものがないかポケナビを片手に持ち物のリストアップをしていると、
「あれ?」
ポケナビのメールボックスに一件の新着メールが届いていた。
「博士」
「ん?」
「ツツジさんからメッセージです。『休暇前の引継ぎ業務が終わらないので、本日研究所へは寄れません』ですって」
「うーむ。仕方あるまい。『明日はトウカの外れの船小屋に集合!おやつは300円まで!』って送っといてくれ」
「承知しました」
リストアップを中断しルビーはメッセージの作成に取り掛かる。
先程のオダマキ博士からの伝言をそのまま打ち込み、少し悩んでから『おやつは300円まで!』を削除した後で手を止めた。
「博士、他に伝えておくことは?」
「他ぁ? うーん……あっ、そうだ、あれがあった」
オダマキ博士は愛用のウエストポーチを開き、そこに仕舞われていた3つのモンスターボールの状態を確認する。
「えーっと……よし。ルビー君! メールに『各自に1匹ずつポケモンを渡すから手持ちに空きを作っておいて』と追記してくれ」
「わかりました」
書きかけだったメールの続きにカーソルを合わせ、博士に言われたままのメッセージを一言一句違わずポチポチポチと打ち込み、
「……………………『各自に?』」
無視できない違和感を前に手が止まった。
「すみません博士。ひとつお尋ねしたいのですが」
「うーん? なんだい。バナナはおやつに含まれないよ?」
「南国特有の果実の話はしていません。先程のツツジさんへのメッセージですが」
「うん」
「『各自に1匹ずつポケモンを渡す』というのは、先程ポーチの中に見えた3つのボールの中身のことですか?」
「さすが我が助手。ご明察だよ」
外国のエンタメ映画でも観たのだろうか、やたらとカッコつけた芝居で返事がくる。
「ちなみにそれは『3匹とも配る』という意味ですか?」
「うん」
「メンバーは博士を除くと、ボク、ツツジさん、カブさんの3名ですが」
「そりゃそうだよ、そうしないと数が合わないからね」
外国のコメディアンみたいにワザとらしく肩をすくめる博士。
深夜に中年男性のノリに付き合わなければいけないのはパワハラに近い。いや、紛うことなきパワハラである。
……はぁ、仕方ない。これだけはやりたくなかったけど。
「うん? どうしたんだ我が助手。急に僕の手を握ったりして。すまないがワイフがいる身でね、そういうお誘いならご遠慮願いたい」
「おかしいですよね、調査隊にトレーナーは2人しかいないはずですが」
「いや、合ってるよ。カブ先輩と、ツツジ君と、」
「はい」
「ルビー君」
「……博士?」
「ぎゃあああああああああああああ痛い痛い人体の指はその方向に曲がらないよルビー君!?」
「店内で騒ぐのは止めましょう、博士。ご迷惑ですよ」
「はぁはぁ……キミ、時々ウチのママみたいな目をするよね……」
「博士の奥様には鍛えて頂いてますから」
直伝のワザの効果がそこそこあったことを確認し、パッと博士の手を開放する。
「お忘れでしたらもう一度言いますね。ボクは研究職を志望する立場なので、ピカチュウ以外のポケモンを飼育するつもりはありません。
なので、研究目的の一時的なお世話ならともかく、トレーナーとして『てもち』に加えることは難しいです、と」
「ああ、それはウチの研究所に来た時に何度も聞いたよ」
「だったら、なんで」
「事前に伝えてなかったのは謝る。でも、これも調査の一環なんだ」
「……詳しく聞きましょうか」
☆
時刻は深夜ゼロ時をとうに過ぎたころ。トレーナーズスクールの職員室ではスタンドライトが机を照らし、2つの人影が壁に映っていた。
「まぁ、ルビーさんからメールが! わたくしとしたことが、デスクワーク中とはいえ返信が遅れるだなんて!」
彼女は締まりのない笑顔でメールを開き、そして、
「……『各自に1匹ずつポケモンを渡すから手持ちに空きを作っておいて』ですって?
あンのサンダルオヤジッ、限られた手持ち枠で旅パーティを組む大変さを知らないんですのォ!?」
バクーダの如く大噴火した。
「ツツジさんツツジさん、素が出てる、素が。それに仕事中なんだから返信遅れてもしかたないでしょ」
「仕方なくありませんわッ! いいですかカブ様、深夜のメールはそれだけで恋のテンションがハネ上がり冷静さを失うもの。
そのスキに情熱的なメールの一本でも送ればこうかはばつぐん! 『ぜったいれいど』に負けず劣らずの一撃必殺なんですわよ!」
「『ぜったいれいど』なのに情熱的なのかい?」
「いいんですのよ細かいことは! そのうちハゲますわよ!」
「うん、そうなんだよ。厄介なことに最近白髪も目立って来てね。ぼくも若くないからなぁ」
「流れるようなオヤジあるあるトークはやめてくださいまして!?」
フィールドワークの予定は最長80日間。教師とジムリーダーを兼務する彼女にとって、それだけの日数を不在にするのは並大抵のことではない。
地方は違えどぼくもジムの長を務めたことがあるが、毎日山のような事務作業に追われていた覚えがある。
彼女がいきなりフィールドワークに同行すると言い出したときは大丈夫かと勝手に心配していたが、案の定「カブ様。お暇でしたらお茶でも飲みにいらっしゃいませんか」という誘い文句で連れ出され、膨大な量の書類仕事をお茶とミルクレープ2個で手伝わされて今に至るのだった。
「まぁ冗談はさておき、手持ちに空き、か……。
ぼくは元々ホウエンを回りながら捕獲していくつもりだったからいいとして、ツツジくん、キミはどうするつもりだい」
「どうするもこうするも、ノズパス、ゴローン、イワークの主力3匹と移動用のプテラ、オムナイトの2匹は確定。
それとは別にタマゴから孵ったばかりのポケモンを1匹育成用で連れていくつもりでしたから、消去法でこの子を置いていくしかありませんわ」
そう言ってヒョイ、と1個のボールを掲げる。
置いて行かれる運命も相まってか、どことなく寂し気に光って見えた。
「なるほど、ホウエンを回る調査のついでに新しい戦力を鍛えようってことか。流石ジムリーダーだ、そうでなくちゃ」
「素直に誉め言葉と受け取っておきますわよ。
ま、博士が下さるポケモンを育てていけばいい話ですから」
ほほほ、と高飛車な口調のままポンポンと手際よく書類にスタンプを押していく。
高々と積み重なっていた書類の山も残り数枚となっていた。
10代半ばにして教師兼ジムリーダーともなればアンチのような連中が湧いてもおかしくないのだろうが、なるほど、彼女はこうやって色々なものを実力や結果、時には人柄で納得させて来たのだろう。
「そうだ、カブ様。この子、代わりに育ててみます?」
「ひぇあ?」
不意を突かれて声が上ずってしまう。
「いいのかい? ああ、後で返すとか?」
「そんなケチくさいこと言いません、差し上げますわ。本日お手伝いして頂いたお礼です」
どうやら報酬はお茶とミルクレープだけではなかったらしい。
ポン、とモンスターボールが手に乗せられる。
「これは……ソルロック、かい?」
「ええ。比較的珍しい、性別不明の鉱物ポケモンですわ」
トクサネに住んでいる双子からいただいたんですの、と付け加える。
「岩、エスパーの複合タイプですが、育て方によっては炎タイプの技も覚えるとか。
カブ様ならどうお育てになります?」
ポケモンをどう育てるか。それはトレーナーとしての腕の見せ所に他ならない。
太陽のような見た目だが、その実エスパータイプでもあるという不可思議なポケモンを前に、ぼくの脳内にひとつの選択肢が浮かび上がる。
「ふぅむ……岩タイプの『がんせきふうじ』や『いわなだれ』で相手を削りつつ、『サイコキネシス』でトドメを刺すパターンがメインだろうか?
いや、物理より特殊攻撃の方が得意そうだから、炎ワザを覚えるなら『オーバーヒート』でガンガン攻めて――」
「――カブ様。それでは同じことの繰り返しですわ」
先程より幾分か低いトーンの声が、夜の静かな職員室に響く。
「以前、カブ様は仰いましたよね。そのやり方ではプロになれても、その先が通用しなかった、と」
いつの間にか、彼女の目の前の書類は全て片付けられていた。
「ソルロックは、現在発見されているポケモンでは2種しか存在しない『いわ・エスパー』の組み合わせです。
今仰ったような超攻撃型も、状態異常を誘う変化技も、どちらもトレーナー次第なんです」
トレーナー次第。いつか、若くしてチャンピオンになったトレーナーが良く言っていた覚えがある。
「差し上げます、と言いました。だから、アナタの思う通りに育ててください。とても冷静でなんでもできる、器用な子ですから」
ボールを握る手が自然と強くなる。赤く透き通ったモンスターボールの中を覗くと、ソルロックと目が合った気がした。
「ありがとう、ツツジくん。大切に育てるよ」
「いえ、お気になさらず。偉大なトレーナーに育てて貰えるなら、その子もきっと幸せですわ」
偉大な、という言葉が自分に似つかわしくないな、と考えて思わず苦笑いが零れる。
「とはいえ、これはちょっと貰いすぎのような……」
今日のぼくの働きと言えば、彼女が仕上げた書類をバインダーでファイリングしたり、低学年向けの宿題のドリルに丸付けしたり、床のゴミを掃いた程度だ。
深夜までかかったことを差し引いても、これでポケモン1匹をいただくのは忍びない。
せめてもう少し彼女のために奉仕しても
「じゃあ恋バナに付き合ってくださいませ」
迂闊な発言をした自分を呪いたい。
「こ、恋バナかぁ。オジサンには甘くて糖尿になっちゃいそうだよ」
「糖尿になりそうな方がミルクレープ完食なさいます? それも2個も」
「おいしくて、つい……」
ここらでは珍しいモーモーミルクをたっぷり使った極上の一品だった。
あ、いや、2品だった。
「まぁいいですわ。先程のルビーさんからのメール、『1匹分手持ちに空きを作る件』についてですけれども」
逃げられない。この子は『くろいまなざし』でも使えるのか。それかノズパスの『とおせんぼう』か。
「それなら、ソルロックをぼくが引き取るってことで今しがた解決したんじゃないのかい」
「いいえ、いいえ。本文には『各自に1匹ずつポケモンを渡すから手持ちに空きを作っておいて』というオダマキ博士の伝言があります。
この『各自に』という文句が気になるのです」
「と言うと?」
「わたくしとカブ様の二人なら『ふたりに』とする、ないしはシンプルに『1匹ずつ』とする方が自然です。
『各自に』というフレーズには『3人以上の』、つまり『ルビーさんにも』というニュアンスが読み取れるのです」
確かに、と言いかけて、それだとこの話が長引きそうだなと思って反論を口にする。
「それはいわゆる、言葉のアヤ、というやつじゃないか。深夜で頭が回っていないということも考えられる」
「いいえ、ルビーさんは国語の成績も『最優』の満点評価を取っているので、そういった言葉のミスは考えられません。絶対」
その成績評価を誰が担当したのかは聞かない方がいい気がしてきた。
「だとしても、ルビーくんがもう一匹ポケモンを持つとして、何が問題あるんだい?
彼も免許は所持しているんだし、トレーナーの資格がないわけじゃないんだろう?」
彼が苦学生だということは端々の情報から察している。
仮に経済的な事情でこの先も飼育するのが難しいとしても、フィールドワークの調査期間中であれば飼育にかかるコストは研究予算の経費で下りるのだから、オダマキくんが護身用のポケモンを持たせるというなら何もおかしいことじゃない。
「カブ様は、御年を召して白髪だけでなく物忘れまでひどくなったのですか?
先日のミツルとの一件、覚えていらっしゃるでしょう」
ミツル、という単語で一昨日の状況を思い出す。
『サファイアは、センリさんに憧れてた。パパみたいなジムリーダーになりたいって、そう言ってた。だから、』
『だから師匠とサファイアさんは仲良くしてて欲しい、ですか?
甘いよ。プロを舐めるな』
ミツルくんの言い分は独り善がりで、偏見で、理不尽な敵意から来るものだった。
ルビーくんはそれを正面からは相手にしていなかったが、
――そうか、あの時、確か、彼は、
『――キミは、チャンピオンに、サファイアさんに手ほどきを受けても、トレーナーになりたいとは思わなかったの?』
『それは――』
彼は、その質問には、答えられなかったんだ。
「ルビーくんは、『ポケモントレーナー』という職業に、強いコンプレックスを抱いている?」
ツツジくんが頷く。
「おそらく。わたくしの直感ですが、もしかするとトレーナーという在り方そのものに何か、その、思うところがあるのかもしれません」
いま彼女は思うところ、と口にしたが、それは言葉を選んだ上でそう言っているのだとわかった。
ルビーくんは、チャンピオンのサファイアを憧れだ、と言っていた。
その一方で、親子としてのセンリとサファイアの現状を知って感情が荒れていた。
彼からすれば、トレーナーである彼女だからこそ憧れ、憧れの人が家族と上手くいっていないのも彼女がトレーナーであるがゆえに、なのだ。
内心、トレーナーという職そのものを快く思っていないかもしれない。
実は案外ひょっとして、純粋に羨ましいと思っていたり、ひそかに憧れているのかもしれない。
或いは、その両方が入り混じった、単純ではない感情かもしれない。
「ご本人のいない場所ですから、彼の生い立ちや価値観についてのこれ以上の憶測は避けます。でも、ルビーさんは、――」
彼女は押し黙った。
また、言葉を選んでいる。
先程までの饒舌さが影を潜めて、スクールの職員室には無言の時間が流れる。
トレーナーズスクールには、色んな子供が集まる。
無邪気にチャンピオンを夢見る子。
ポケモンと過ごすのが好きな子。
親に言われてなんとなく通っている子。
そんな彼、彼女たちを横目に、勇気や希望を持てない子。
10歳になったばかりの子供たちが、社会に出る前にここで学んでいく。
なんとなく、ツツジくんは、トレーナーとして何を言っていいのかわからないのではなく、教師としてどう言っていいのかわからないのだろうと思った。
だとすれば、
「ツツジくん、色々と思うことはあるかもしれないが、ぼくもルビーくんの居ないところであれこれ発言するのは好ましくない。だから、ここ何週間か彼と接しただけの部外者が、率直に思ったことを言うよ。彼は、ルビーくんは――」
だとすれば、こういう時に言葉を差し出すのは、年長者の役目だろう。
「――ルビーくんは、進路に迷っている」
彼の夢は研究者か、プロのトレーナーか、はたまた、あるいは――