4th Report「105番水道」
『なみのり』という技がある。
水の流れ、潮の満ち引きを見極めて海の上を自由に進むだけの技――ではない。
実際には、波そのものを意図的に操る秘伝の技。
水タイプのポケモンなら一律に扱えるわけではなく、人を乗せて運ぶ程に使いこなすには、トレーナーにも相応の腕が求められる。
繊細な技量が不出来を決める、シンプルで有るが故に難易度の高い技である。
「だからかなァ、素人が水ポケモンで海に出ちゃう事故が相次ぐのは」
今月で既に何度目かの救難信号に叩き起こされ、思わず不機嫌な愚痴が零れる。
事務所の時計の針は13時を指しており、窓から見える大海は絶好のサーフィン日和だった。
本当なら、今夜は満月の下で古い友人とビッグウェーブでもキメようかと思っていたが、この分だと予定はキャンセルだろう。
寝起きの意識を無線の音声に切り替え、出動の準備に取り掛かる。
「あー、こちらトウキ、こちらトウキ。場所は? ――105番水道の離れ小島? ボートに4人も? 観光客か、そりゃ大変だ、3分で着く」
ウエットスーツのジッパーを締め、枕元に置いてあったモンスターボールを掴んだ。
回復は終えてある。問題ない。
「ヘイ、ハリテヤマ。レスキュー、OK? GO!」
荒事に慣れた相棒を呼び出し、グリップの効いたゴム素材のスニーカーで玄関の土を勢いよく蹴る。
チラシで口が溢れたポストにはポケモン協会からの封筒が差し込まれていたが、生憎今見ている暇はない。
天候は快晴、波はやや大きいが海は荒れていない。
昼前だと言うのに町には人の気配がなく、慌ただしい様子はなかった。
こういう時に野次馬がいないのは助かるが、ジムリーダーとしては町の将来が心配にならないでもない。
「こちらトウキ、こちらトウキ。要救助者のGPSは生きてる? ってことはポケナビは水没してないな。
4人とも陸地にいる? ボートが浅瀬に座礁しただけ?」
水難事故の際、救出の優先度が高いのは溺れている人やポケモン。
特に炎タイプのポケモンには、ヒトカゲのように火が消えてしまうと命に直結する種も珍しくない。
逆にそれほど大した事故でなくとも、荒事に慣れていないポケモンがパニックになって被害が拡大するパターンも多い。
どんなに急いでも現場に着くまでの時間は一定。
だからこそ正確な情報が救助の成否に直結する。
これが、ジムリーダー兼水難救助隊隊長。
トウキの仕事の流儀である。
☆
「――で、どんな観光客が事故に遭ってるのかと思いきや、まさか顔見知りだったとは。ねぇ、カナズミのジムリーダーさん?」
「だからわたくしはオムナイト1匹で4人乗りのボートを引っ張るのはムリだと言ったんですわ!」
「博士、やっぱり予算をケチらず素直にエンジン付きの船を借りておけば……」
「め、面目ない……」
ムロと本島を結ぶ105番水道。
浅瀬に乗り上げたボードと、3人の男女、そして1匹のオムナイトを発見した。
この辺りはレベルの低い野生ポケモンばかりだが、メノクラゲが異常に多く生息し、並みのポケモンなら道中の連戦で体力を消耗して力尽きてしまう。
この連中をボートに乗せて運んできたであろうオムナイトは、既にヘロヘロになって浜辺で倒れていた。
ハリテヤマに指示を出し、手分けして周囲の安全確認を進める。
「あー、オタクら。責任の擦り付け合いは後にしてくれ。
救難信号では4名と言ってたが、あと一人はどこにいる?」
岩使いの堅物女教師、変わり者と名高いポケモン博士、そして恐らくその助手。
どう数えても3人しかいない。
様子を見る限り溺れているようなことはないが、周辺にいないのは確かだ。
「ああ、カブ先輩なら」
「『年長者のぼくがなんとかしなくちゃ』って」
「全力であちらの方に泳いで行かれましたわ」
「あちら……?」
嫌な予感しかしないが、3人が指す方向へと恐る恐る顔を向ける。
そこは、ムロとは真反対に位置する、また別の離れ小島。
そして、その浜辺に親指ほどの大きさで見える、上半身裸の中年男性が、
『おおおおおおおおおおい! 助けてくれぇええええええええ!』
赤いシャツを木の棒に巻き付けて、全力でバタバタと振り回していた。
☆
「えーとォ、まずは大人2人に。アンタらがしっかりしないでどォすんだよ。反省しな」
「「すみません……」」
本部に救助完了の一報を送り、救助用のボートでムロまで運ぶ最中。
連中の目的と事故の経緯を聴取していたが「まぁよくもこんな杜撰な計画で動けるもんだ」と呆れるしかなかった。
「少ない予算でフィールドワーク? をする苦労はお察しします。
けど、それは事故対策のカネをケチっていい話じゃないでしょうよ。
ここらはメノクラゲくらいしか出ないけど、それでも『どく』が人に回ったら大ごとなんスからね」
ムロにポケモンセンターはあるものの、人間の治療は本島に行かないと出来ない。
今日は海が穏やかだからまだいいものの、雨が降れば一気に様変わりする。
ポケモン博士だかなんだか知らないが、組織をまとめる人間がしっかりしないとチームそのものを危険に陥れかねない。
「ほんで、カブさんって、あのカブさんかよォ。俺すげぇテレビで観てた、ガキの頃」
「はは、それは嬉しいな」
「褒めてねェよ。スゲェ人だと思ってた分失望がデケェ。当時の憧れ返してくれや」
少し晴れかけたカブの顔が一瞬で曇る。
年上の意見は強い力を持つのだから、この二人には心底反省して貰わないといけない。
事故に遭ったとき、被害者が取るべき行動は『原則待機』だ。
サバイバルのプロであっても、単独行動は危険極まりない。
良かれと思っての行動が、最悪の状況を招くこともある。
たまに水着を着用したトレーナーが海で修行をしているが、アレは水ポケモンを所有しているエキスパートだから成せる技だ。
「ほんで、オメェも止めるときは止めろや、何のために先公やってんだよ」
「わたくしは何度も止めましたわ、でも――」
「結果的に止められなかったら同じなんだよ、ボォケ」
まだ15歳、されど15歳。
この社会では、10歳になれば『成人』とされる。
無論、肉体や精神的にはまだまだクソガキであるが、法律上は大人として扱われる。
ましてやジムリーダー兼教師ともなれば、公僕に仕える存在だ。
立場云々は知ったこっちゃない。オムナイトのトレーナーは紛れもなくこの女なのだから。
しかしまぁ、この女なら最後まで反対して自分の意見を貫き通すと思っていたが――
「すみません、ボクがもっと強く反対出来ていれば……」
「あァ?」
ずっと大人しくしていた助手クンが口を開く。
「調査隊の予算管理を担当していたのはボクです。
予算を気にして安いボートを推す博士と、リスクを取って反対したツツジさん。中立のカブさん。
天候が穏やかなのと、ここ周辺に強いポケモンが出ないことを考慮して、予算を優先しようと言い出したのはボクです」
「あァん? するとなんだ、このチームの意見はキミがまとめてるっていうのか」
半ば呆れ、半ば驚きから出た言葉だった。
名の知れた人物が揃うこのパーティの中では、最も立場の弱い人物だと思っていたから。
見た目は10代後半、いや、顔立ちからするともう少し若い。
この4人で唯一名前の分からない、タダの助手だと思っていた少年が、本当に組織の核なのだろうか。
「いえ、そういうわけではなく、今回はボクの意見が結果的に後押ししてしまったってだけで」
「オイオイオイ、そーゆーのをまとめ役っつーんだよ」
そうでなければ、この堅物女教師が自分の意見を曲げてまでポケモンに指示するとは考えにくい。
とすれば、彼のことを余程信頼しているか、彼に対して変な下心があるかのどちらかだろう。
「予算を気にして、と言ってたな。じゃあボウズ、質問がある。
その予算ってのは、どんな金だ?」
「……? 国やポケモン協会、それと役所からの助成金や学会からの年間予算。それと企業からの――」
「わかった、OK。要するに『仕事に使う金』ってことだろ?」
こうもスラスラと淀みなく答えられるというのは逆に面白くない。
彼が予算管理をしている、というのにウソはなさそうだ。それなら――
「それなら、今俺がアンタらを救助するのに使ったのも『仕事に使う金』なんだよ」
彼はもう少し、社会とはなんなのかを学ぶ必要がある。
「金は無尽蔵じゃねぇ。だから節約する。それは大した心がけだ。俺は金勘定が苦手だから、素直にスゲェと思う。
だからこそ、使いどころを間違えるな。金を払うということは、使った分何かと引き換えるってこった」
自分で言いながら説教臭いな、と思う。
それでも、命の危険があったかもしれない今こそ説教しないといけない。
「常にポケモンの体力を全快にするための、自宅用の回復セット。
常に救助に向かえるようにするための、水陸両用のウエットスーツ。
俺が海に近い事務所に住んでるのも、素早く海に出られるようにするため」
後ろ二つはいつでもサーフィン出来るように、という目的も兼ねているが、それは今言わなくていい。
「安物買いの銭失いって知ってっか?
高い船を借りるってことは、安全を買うってことなんだよ。
素人目には無駄に思える出費でもな」
本来なら年長者が負うべき責任を、彼にぶつけている自覚はある。
それでも、ここにいる4人は全員"大人"だ。
少なくとも、またムロを出る日に同じ間違いをされたら悲しいから。
「まァ、知らなかったんなら今回ので勉強して貰えればいいからよ。次から気を付けてくれや」
……だがしかし、船着き場を管理しているハズのハギ老人が、何故こんな無鉄砲な連中に船を貸したのか、微かな疑問が残る。
近いうちに様子を見に行った方がよさそうだ。
そうこう話しているウチにムロの島影が見えてきた。
この分だと、連中は今夜の寝床までいちいち揉めるに違いない。
見ている分には面白いが、寝覚めが悪いのでフォローを入れておこう。
――このガキにも少し興味がある。
「オウ、堅物女教師」
「その言い方やめて下さらない、下品ですわ」
今のワードから下品なものを連想するヤツは十中八九ムッツリだと思うが、それは今言わなくていい。
「同じジムリーダーのよしみだ。アンタらの宿、紹介してやるよ」
「ふぅん、気が利くのね。海の見える温泉なんかあれば最高なのだけど」
「何言ってんだよ。ムロの宿は大概海が見えるし温泉付きだぞ」
「あら、そうなの。その割りには、ムロの温泉ってあまり聞かないわね」
「そりゃフエンほど名湯ってわけじゃねぇが。
隠れた名物ってやつよ、メシも美味いしな」
数少ない資源をフル活用し、ムロは観光業でギリギリ成り立っている。
町の連中は集会所でくだらない流行語の話ばかりしているが、時には真面目に町の行く末も語ることもある。
どうやって観光客を呼ぼうか、どうやって移住者を増やそうか。
田舎特有の硬い頭を振り絞って、出来ることを精一杯頑張っている。
これも、ひとつの『生きる』ってことだろう。
「あ、あの」
「ん? どうしたボウズ。安心しろよ、安くて良い宿だぞ。釣り人のオッちゃんが経営しててな、」
「あ、いえ、そちらもありがたいんですが、別件でして」
「別件だァ?」
素っ頓狂な声が出てしまう。
まさかコイツ、あの説教の後で何か要求しようってんじゃねェだろうな。
最近のガキはどうなってやがんだ、面の皮が厚すぎる。
「はい、あ、あの。お兄さん、ジムリーダーなんですか」
「ん? ああ。そうだが」
そういえば名乗っていなかった。
俺が彼の名前を知らないのだから、彼も俺の名前を知らなくても無理はない。
まして、バトルに縁の薄い研究者の助手であれば、こんな離島のジムリーダーなんて馴染みのない存在だろう。
「俺は、ムロジムリーダーのトウキ。そこのメスガキとは昔からのジムリーダー仲間だ」
「メスガキって言わないで下さらない!? イヤらしいですわ!」
「メスガキからヤラシイもんを想像すんのは流石にムッツリだろ!」
言わなきゃいいのはわかってても言わずにいられなかった。
なんでコイツは昔から自ら墓穴に飛び込んで来るのか。
「すみません、トウキさん。お願いがあるんですが」
少年はメスガキ発言をスルーしてくれた。
グッジョブだ。
「僕たち、ムロタウンには生態調査をしに来たんです。
ポケモン協会への届け出は済ませているのですが、ムロ近辺や『いしのどうくつ』を案内して下さる方を探してて……」
「俺に、その役目をしろって?」
少年が縦に頷く。
海沿いや浜辺はともかく、『いしのどうくつ』は野生ポケモン保護のため立ち入り禁止となっている。
だから、協会からの特別な許可が降りた者にしか立ち入ることは出来ない。
その辺りの管理や承認権限の一部をジムリーダーが担っている。
「あ~、そういえば協会からそんな手紙が来てたような……」
ポストに入っていた協会からの封筒の存在を思い出した。
ジムリーダーは、いわば公務員である。
ポケモンリーグの上層部にあたるポケモン協会の傘下に属し、ポケモンバトルのみならず町や文化の発展のために尽力することが義務付けられている。
こういった理系の連中の補佐もその一環だ。
だが、ジムリーダーが調査の案内までしなくてはならない、という決まりはない。
慣例では、現地の住民が案内や護衛を
……あくまで『慣例』というのは、不文律でしかない。田舎特有の、憲法より強い規則だが。
「調査って『いしのどうくつ』の最深部までか?」
「そうです。夜目が利かないとまともに探検できない、と聞いています。
現地のジムリーダーさんが付いてきてくださるなら、一番"安全"ですし」
――マジか、コイツ?
「……お前、名前は?」
「ボクですか?」
「お前以外のメンツの名前は知ってんだよ」
「そっか。ボクは、ルビーです」
白く健康的な笑顔がイヤにまぶしい。
このルビーとかいうガキ、よりによって救助された直後の状況で『安全』を盾に俺を誘うか?
これは中々どうして面の皮が……いや、この流れなら俺が断れねぇって見抜いてやがる。
コイツ、天然を装っているが、相当計算高い。
「ルビー、か。お前、いい性格してんなァ」
転んでもタダでは起きない。
なんとなく、ルビーがこのチームを陰でまとめていられる理由が分かった気がした。
――まさか、こうなることを予期して安いボードを選んだ?
……流石にそれは考えすぎか。
「いいぜ、やってやるよ。その代わり、それが終わったら付き合えよ」
「付き合えって、お酒ですか?」
「バァカ、ちげぇよ。サーフィンだよサーフィン。今夜は満月だからな」
「なみのり出来るポケモン、持ってないんですが……」
「気にしなさんな。俺のハリテヤマ貸してやんよ」
海鳴りの音がする、今夜は良い波が来るに違いない。
「おっと、忘れてた」
胸のポケットからポケナビを取り出す。
メールボックスを開くと、『アイツ』からメールが届いていた。
ちょうどいい。これも何かの縁だし、ルビーと引き合わせてみようか。
「なァ、その調査って、案内人に他のヤツも連れてっちゃダメなのか?」
「え、ああ、それはどうでしょう。博士?」
「ん? ああ」
相当反省していたのだろう。
オダマキ博士はボートの隅で小さくなっていた。
「野生ポケモンの分布や、洞窟に眠る『石』の調査も兼ねている。
我々は調査隊なので強いる権限はないが、あまり部外者を招かれるのは好ましくはない、かな」
「あ~、だりィな。つまり、探検や発掘のプロなら構わねぇってことか?」
「……? ああ。それなら大歓迎だが……?」
聞くが早いか、即メールを送る。
「トウキさん、誰をお誘いするんですか?」
「いや、ホントなら今日そいつとサーフィンしようかって話してたのよ。
で、面白そうだから予定変更。
アイツ、石マニアだから。
きっと大喜びして協力してくれるだろうよ」
「へぇ。石マニア、なんて方がいらっしゃるんですね」
「そりゃいるさ、ルビーくんも知ってるっしょ?」
「いいえ、残念ながら。でも、好きになれるものがあるって素敵ですよね」
「……?」
おかしい。
心の中で妙な違和感が残る。
不意にツツジの方を見やると、顔を横に向けて「こっちに話を振るな」とポーズを取っている。
おや、この分だと
「…………!」
パズルのピースがハマっていく。
俺の中に、ある一つの可能性が思い浮かんだ。
「時にルビーくんよ」
「ルビーでいいですよ」
「じゃあ、ルビー」
「はい」
「キミ、ツツジとどういう関係?」
ルビーの目がきょとん、と丸くなる。
その後ろで、ツツジの顔が真っ赤に染まる。
なるほど、ツツジめ、下心があるパターンの方か。
「どういう……ですか」
「オウ」
「ええと……そもそもボクはジョウトから留学してきているので、オダマキ博士の元で単位取得をしているのですが」
「へェ、じゃあ大学生か」
「はい。そこで、教職の単位をカナズミのスクールで取ってるんです」
「なるほど、じゃあツツジは」
「担当教諭――いえ、同僚……ではないか、もう教職取り終わったんだし」
うーん……、とやや沈黙が流れる。
この間、ボートの上では誰もがルビーの挙動に集中している。
「うーん……ありきたりですが、友人、というのが一番適切かもしれません」
「そっかそっか。りょーかい」
「でも、どうして急にそんなことを?」
「あー、いやいや、こっちの話だよ」
ポケナビが振動する。
『アイツ』からの返信が来たに違いない。
開いてみたらまさにその通りだった。
内容を確認し、満面の笑顔でルビーに首を向ける。
すると、視界の端からツツジが必死の形相でアイコンタクトを送って来た。『後生ですから、余計なことを言うんじゃねぇですわ』、と。
わかってますよ、センセー。
大丈夫大丈夫、ちゃんとアシストしてやるって。
「その石マニア、ダイゴってんだけど」
「ダイゴ、さんですか」
「オウ、デボンコーポレーションの御曹司で、イケメンで、自由人で――」
もうすぐムロの浜に着く。
今夜、波が荒れる気がした。
「――ツツジの