やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜 作:発光ダイオード
新年度が始まって早三週間。部活動による新入生勧誘にもようやく一区切りついて、学校内の雰囲気もだいぶ落ち着きを取り戻してきた。一年生も少しずつ高校生活に慣れてきたようで、放課後になれば校内のそこら中に有り余る活力が溢れていた。
その日、俺は部室に行くつもりはなかった。月末が近く財布の中身が寂しくて、菓子パンとマッ缶で昼食を済ませたら放課後になって腹が減ってきたのだ。間食はあまりしないたちだが、今日はさっさと帰って録画したアニメを見ながら何かつまみ食いでもしようかと思っていた。
ところが昇降口に向かおうとしたところ、なんだかうぇいうぇいと景気のいい女子の一団が廊下の幅いっぱいに広がっていて、牛の歩みのようにゆっくりとしか進まない。かきわけて追い抜こうとすれば、きっと彼女らは俺を睥睨し唾棄してくるに違いない。踵を返し、気がついたら渡り廊下にいて、ここまできたなら顔だけ出そうかと思い、部室に足を向ける。
渡り廊下の中央には円形に広がったくつろぎ広場がある。そこから中庭を眺めると、新たに部員を獲得した運動部や文化部の面々が部活動に勤しんでいる姿が見えた。エネルギー消費の大きい生き方に敬礼。
活気ある声を校舎に響かせながらランニングしている柔道部や、若葉が芽吹き始めた桜の木の下でハモリの練習をしているアカペラ部。その横ではレジャーシートを引いてピクニックをしている園芸部がいる。水鉄砲のAKを肩から下げた生徒に飲み物を勧められているのは、恐らく一年生だろう。遠慮気味な表情に若干の幼さを残しながら、真新しい大きめのブレザーに袖を通す姿から初々しさが伝わってくる。
見上げると、空はよく晴れていた。そういえば新入生歓迎会の日も、たしかこんな天気だった気がする。
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入学式翌週の月曜日。七限に新入生歓迎会が行われ、その後立て続けに部活動説明会が始まった。生徒会長である一色の挨拶と生徒会の説明が終わった後、総務委員長として壇上に上がった福部は、
「ここへ来る途中、中庭で茶道部が野点の準備をしているのを見かけました。ブルーシートの上に畳を敷いていたのですが、普通の畳ではなく正方形の畳……あれは半畳畳というやつです。
持ち運びに便利そうだなあと思いつつその様子を眺めていたんですが、シートの端から端まで半畳、ハンジョウ、はんじょう、繁盛……。これは茶道部に部員が沢山来るという兆しではないかと思います。どうも、総務委員長の福部です」
と総務委員にも奉仕古典部にも関係ない話を如才なく切り出した。適度なユーモアを交えた話は
これが意外にもウケて、淀みない喋りは五分以内でまとまった。ぱらぱらとまばらな拍手を受けて福部が退場すると、次に控えていた美化委員がどたどたと舞台へ掛け上がっていった。
翌火曜日。奉仕古典部のアピール。前日の壇上で舌を振るわせた福部と、もともと知名度のあった雪ノ下が一緒に壇上に上がったことで体育館には小さな騒めきが走った。それもどこ吹く風と淡々と説明する雪ノ下に福部が合いの手を入れ、余計な説明を付け加えようとする福部を雪ノ下が冷ややかにあしらう。
なんともコントのような掛け合いは前日以上にウケたようで、奉仕古典部の活動内容が的確に伝わったかといえばそうではなかった気もするが、その存在を知らしめることには成功した。
千反田や由比ヶ浜や伊原は、これは新入部員を期待できると喜び勇んでいた。
事実、入部希望者は来た。
しかしそれは一年生ではなく、何故か二年生ばかりだった。どうやら総務委員長である福部や雪ノ下が在籍していることや、活動の一環として生徒会の手伝いをしていることがその原因だったらしい。次期生徒会長及び生徒会役員の座を狙う者や、自分達が所属する部活の待遇を良くするために、学内の有力者と繋がりを持とうとする輩が集まって来たのだ。
当然、全員余す所なく、雪ノ下の鋭い眼光と切れ味抜群の口撃に一太刀にされ、おずおずと帰っていった。
ただ一人を除いて……。
「お兄ちゃん?」
不意に背中から声を掛けられる。聞き慣れた声に振り返ると、可愛い我が妹にして奉仕古典部唯一の新入部員が立っていた。
「なにしてんの?ぼーっとしちゃってさ」
小町はアーモンドのようなくるりとした瞳で俺の顔を覗き込む。
「いや、別になにも」
「ふーん?なんか面白いものでも見える?」
俺の視線を辿るように中庭に顔を向けると、小町はスカートを揺らしながら窓際へ寄っていく。
最近ようやく見慣れてきたが、ブレザー姿の小町はどこか大人びて見えた。先月までセーラー服を着ていた妹の成長に少しウルッとくる。
「小町こそどした。こんなところで」
「わたし?わたしは部室行くんだけど。お兄ちゃんもでしょ?」
小町は当然のように言った。まあ、特別授業か部活のときくらいしか渡り廊下を通ることはないから簡単に推測できることではある。けれど、こうもあたり前のように言われるとむしろ行きたくなくなるのは何故だろうか……。
よし。やっぱ帰ろう。帰ってアニメの録画を見よう。
「いや、俺は…」
「ほらっ、早く行こうよ」
小町は問答無用に俺の手を取る。
「えっ。いや…ちょっと……」
そしてパタパタと小気味の良い足音を廊下に響かせながら、俺は小町に手を引かれて部室へと向かっていった。
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部室に入ると、長机の中央に寄ってなにか覗き込んでいた雪ノ下と折木、それに当然のように居る一色が揃ってこっちを向いた。雪ノ下が言う。
「狙いすましたように来たわね」
「なにが?」
それには、一色が答える。
「これからお菓子を食べるんですよ」
お菓子とな。なんたる暁光。途端に腹の虫が騒ぎ出す。
一瞬、雪ノ下から見透かしたような目を向けられた気がしたが、冷めた視線はすぐに後方へと抜けていく。
雪ノ下の表情が和らぐ。
「小町さんも居たのね」
「はいっ。比企谷小町、ただいま参りましたっ」
体育の授業で整列する時の基準者のようにまっすぐ手を上げて、小町は元気に言った。
「遠慮せずに入ってちょうだい」
「わあ、ありがとうございます。部長っ」
小町はぱたぱたと駆けて行くと、その勢いのままギュッと雪ノ下に抱きついた。雪ノ下の頬がほんのりと色づく。
「その……部長っていうの、やめてもらえないかしら」
抱きつかれたことじゃなく、まずはそっちなのね。
「じゃあなんて呼んだらいいですか?義姉ちゃん?」
雪ノ下は、さらに頬を赤らめる。
「別に、いつも通りでいいのだけれど」
小町は口を尖らせながら考える素振りを見せるが、やがて顔を上げるとにっこり微笑んだ。
「んー……。じゃあ、やっぱり義姉ちゃんと呼ばせてくださいっ」
「小町。あんまり雪ノ下をからかうんじゃないぞ」
見てるこっちが恥ずかしくなる。
思わず口を挟むと小町はあざとらしく舌を出して、
「雪乃さんの反応が可愛いからつい」
と笑った。続いて一色が割って入る。
「いや、お米ちゃんの義姉さんが雪乃先輩ってまだ決まった訳じゃないから。それにお米ちゃん、前はわたしにも義姉ちゃんって言ってたじゃん」
「お姉ちゃん(仮)ですよ。てか、いろは先輩ムッチャ拒否ってたじゃないですか」
「わたし昔のことには拘らないタイプなんで。大事なのは今なの。わかる?」
「うわっ、何言ってんだこの人」
胸許に手を当て得意げな顔をする一色を見て、小町は顔を引きつらせる。
「来て早々騒がしい奴らだな」
ふたりのやり取りを横目に眺めていた折木は、ふっと溜息をついた。
「おや、折木先輩。居たんですね」
「ずっとな」
小町は雪ノ下から離れて折木に身体を向ける。
「ほら。よく言うじゃないですか。女三人寄れば〝やかましい〟って」
「〝かしましい〟よ。というか、そこに私も入ってるの?」
「当たり前じゃないですかっ。仲間外れはよくないですからね」
自分も数に数えられていたことがショックだったらしく、雪ノ下は目に見えて肩を落とした。
「相変わらず元気だな、仮入部員は」
「その言い方やめてもらえませんかね。小町には小町って名前があるんです」
素っ気ない折木の言い方に、小町は不服そうに頬を膨らませる。
「まだ仮入部期間だろ」
雪ノ下が小町の両肩に手を添える。
「確かにそうだけれど、小町さんからは既に正式な入部届をもらったわ。だから彼女も、れっきとした部員よ」
「そうなのか?」
「ですです」
小町は得意げに鼻を鳴らした。
「……なら、比企谷妹」
「それじゃお兄ちゃんとカブるじゃないですか。普通に小町でいいですよ」
「おい折木、小町を呼び捨てなんて俺は許さんぞ」
小町を小町と呼べる男子は親を除けば俺だけだ。たとえ世界が……いや、小町が許しても、断じて俺は認めない。
「なんですか先輩。お米ちゃんのお父さん気取りですか?キモ過ぎなんですけど」
「いや、俺はただ兄としてだな…」
「比企谷君、気持ち悪いわ」
「お兄ちゃん…さすがにそれはちょっと引くわー」
女子たちから辛辣な言葉を浴びせかけられる。いや、そこまで変なことを言ったつもりはないのだが……えっ?言ってないよね?
折木を見ると、折木は無表情で俺を見つめた後、すっと視線を逸らした。
いや、お前はなんか言えよ。そういうのが地味に一番傷つくやつだよ。
視線の行方に困って目を彷徨わせると、机の上に置かれた紙袋が目に留まる。
何やら土産物の紙袋のようで、その横には中に入っていたであろう高さ5cmほどの角缶が置かれている。薄い黄色のパッケージには緑色の電車のイラストが描かれていた。
「……で、誰かどっか行ってきたのか?」
「春休みに家族で江ノ島まで行ってきました」
一色が元気よく手を挙げる。
「本当はみなさん居る時に持ってきたかったんですけど、まあ腐る物でもないですし別にいいですよね」
「なんだ、もう他の奴らは来ないのか?」
普段から部員全員が部室に揃うことは、どちらかと言えば珍しい。しかし放課後になってまだそれほど時間も経っていない。この後も誰かしらやってくると思っていたのだが、どうやら今日は違うらしい。
「由比ヶ浜さんは、三浦さんたちと駅前まで遊びに行くそうだから今日は来ないわ」
雪ノ下が応える。
そういえば帰り際、クラスで海老名がそんなことを言ってた気がする。
「千反田さんもクラスの用事で来られないそうよ。それと伊原さんも、締め切りが近いから今日は休むって言ってたわ」
「締め切り?」
小町が首を傾げる。
「漫画の締め切りだそうだ。里志もその手伝いで、今日は来ないぞ」
折木がそう言うと、一色はガッカリした様子で溜息をついた。
「福部先輩もいないのは想定外でした。せっかく面白いイベントの企画考えてたのに」
「一色さん。あまり福部君に頼りすぎるのもどうかと思うのだけれど……」
諭すように言う雪ノ下に一色は頭を振り、
「やだなあ。そんなんじゃありませんよ。ねえ、センパイ」
と言って、折木に同意を求める。
共に生徒会長と総務委員長ということもあり、一色と福部が一緒にいるところは校内でも度々見かけた。最初こそ一色の無茶振りの標的が俺から福部に変わったと喜んだりもしたが、実際にはそんな上手い話にはならなかった。
「里志は頼られてるというより、むしろ一緒になって騒いでるな」
「でしょ?」
昂然と胸を張る一色を見て、雪ノ下は額に手を当てて項垂れる。
「そういうことを言っているのではないのだけれど……」
以前一色がイベントを思いついた時も、福部は「踊るにはまだ笛の音が小さい」とかなんとか言って一色のやる気の火種に油を注いでいった。一色も一色で、福部の余計な入れ知恵をスポンジのように吸収し、結果その規模は倍以上に膨れ上がることになる。
まあ……おかげでイベント自体は大成功を収めた訳だが、そのせいで俺や折木がどれだけ苦労したかことか……。
「あっ、そうそう。雪乃先輩。今日はお茶淹れなくても大丈夫ですよ」
過去の苦労に思いを馳せていると、一色は紙袋の中から200mlの紙パックのジュースを取り出して長机の上に置いた。それからまた紙袋に手を突っ込んで、トントントンと、紙パックを次々と並べていく。
「どうしたんだコレ?」
「こないだ会議で用意したやつの余りです。もうすぐ賞味期限切れちゃいますし、捨てるのも勿体ないんで」
「こんなにいいんですか?」
「うん、全部持ってっていいよ」
「わあ、ありがとうございます。いろは先輩っ」
小町は屈託のない笑顔を浮かべて、一色に笑いかける。
「おたくの妹、こういう時だけ素直なの、マジでなんなんですかね」
それな。でも、それを俺に言われても困る。
「可愛いだろ?」
「……いや、マジで先輩キモいっていうか……超キモいです」