やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜 作:発光ダイオード
部活も一年続けていると、知らず知らずのうちに習慣というか決まり事のようなものが出来上がっていたりする。放課後部室の鍵を取りに行くのは雪ノ下だったり、紅茶を淹れるのは千反田だったり。他にも、普段誰がどの辺りに座るのかなんてことも、自然と決まってくる。特に俺や雪ノ下、折木や千反田は部活以外の活動もやる事もないので、放課後退屈を感じれば部室へ赴き、それぞれ暇を潰していた。高いコミュニケーション能力から、放課後の用事に事欠かない由比ヶ浜。奉仕古典部の他に、総務委員や手芸部と三足の草鞋を履く福部。図書委員の傍ら、漫画を描いて出版社へ投稿する伊原。部室に居る時間がこの三人よりも長い分、自分の座る場所に対して、それなりのこだわりがあったかもしれない。
俺は部室の後ろに積まれた勉強机を背にするように、長机の廊下側の端に座る。隣の席に折木も腰掛け、いつも通り長机を囲むようにしてそれぞれが席に着いた。
それから江ノ島旅行へ行った一色の土産話や小町の高校生活についての話など、女子たちが楽しそうにお喋りしている様子をぼんやりと眺める。本当は小説でも読みたい気分だったが、お土産やジュースを頂く以上最低限興味を示しておかなければ、最悪何も貰えないなんて事になりかねない。
取り止めのない会話に耳を傾けながら、俺は貰った紙パックを手に取る。側面に付いたストローを引っこ抜いて挿し口に突き刺す。ひと口吸い込むと、ストローの隙間から空気が漏れてズズッと音が鳴った。紙パックを机の上に戻す。
机の中央には、蓋の開いた角缶が置かれている。中には小分け包装されたサブレが敷き詰められていて、包装紙には中身が分かるように小窓処理された電車のイラストが描かれていた。バターとココアとチーズの三種類の味があるようで、俺はその中からバター味を選んで手に取った。
包装を開くと、フレッシュバターと砂糖の甘い香りが鼻先を擽る。角缶や包装もそうだったが、サブレ自体も江ノ電の形をしていた。ひと口齧ると、バターのコクや塩気が口の中に広がっていく。
「……で、そこのお店はしらす丼が有名らしいんですけど、頼んでみたらすっごく美味しかったんですよ」
江ノ島での事を話していた一色は、その時のことを思い出したのか頬に手を当てて顔をほころばせる。
「小町も前に家族で行きましたけど、確かにあれは絶品でした」
小町は腕を組んで二、三度頷いた。
「そうだっけ?全然覚えてないな」
去年は小町が高校受験だったので旅行なんて行ってる場合じゃなかった。行ったとすれば一昨年以前の話になるが、いかんせん記憶が定かではなく江ノ島に行った覚えが全くない。
「あんなに美味しいのに、先輩忘れちゃったんですかっ?」
信じられないとでも言いたげな表情で、一色は俺を見た。
と言うか、そもそもここ数年家族でどこかに行った記憶がない。けれどそんな事を言えば、比企谷八幡は忘れっぽい男というレッテルを貼られてしまうだろう。それはあまりよろしくない。
「いいか、一色。この世には〝男子三日会わざれば刮目して見よ〟って言葉がある」
「はあ……」
今度は〝またなんかおかしな事を言い出した〟という表情で、一色は俺を見る。
「人は短い時間で成長しているものだから、三日も会わなければ注意してしっかり見なさい。ということだ」
そう要約しながら、折木は角缶に手を伸ばす。
「比企谷君の腐った魚のような目はずっと変わらないけれどね」
「で、それがどうかしたんですか?」
すまし顔で揶揄する雪ノ下の隣で、一色は興味無さげに椅子にもたれ掛かった。
「三日でよく見ないと判らないほど成長するんだから、一ヶ月も経てばそれはもう別人のように成長してるだろう。だとすれば、去年より前の俺なんてほぼ他人と言ってもいい。しらす丼の味を覚えてなくても当然だ。だって他人なんだもん」
極めて朗々と語ったが、雪ノ下と一色は冷ややかさと憐みの混じった様な視線を俺に向ける。
「……これ、雪乃先輩の彼氏ですよ?」
「…………そうね」
ふたりは揃って深いため息を吐いた。なんだか急に、惨めな気持ちが湧いてきたぞ。心の侘しさを埋めたくなって小町を見ると、小町はそれに気づいて優しく微笑む。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「小町……」
俺に天使が舞い降りた。どんなに侮蔑の目を向けられようとも、俺と小町の絆は誰にも引き裂けないのだ。まったく、妹は最高だぜ。
「お兄ちゃん行ってないもん。そりゃ覚えてなくて当たり前だよ」
え?
「だから安心していいよ。お兄ちゃんは昔からなにも変わってないから」
まさかのカミングアウト。家族で行ったとか言うから、当然俺も行ったものだと思っていた。確かにそれなら覚えていない事にも頷ける。けれど俺がいないのに家族で行ったとか……家族とは一体なんなのだろう。ていうか、俺は小町から何も成長していない兄だと思われていたらしい……。
惨状を呈し過ぎて項垂れる俺に、小町は明るい声でまあまあと笑う。
「なら、今度雪乃さんとふたりで行けばいいじゃん」
一瞬、部室の時が止まった。
雪ノ下と一緒に出掛けたことが無い訳ではないが、県外となると話は別だ。流石にちょっとそこの海浜公園までなんて軽いノリで行ける所じゃない。
雪ノ下は頬を赤く染めながら口をもごもごと動かすが、俺と目が合うと何も言わずに俯いてしまった。
暫く妙な沈黙が続いた。
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誰かの紙パックが、ズズッと音を立てた。
「あっ!そういえば先輩達に訊きたいことがあったんです」
そう声を上げたのは一色だった。なにか話題を探していた俺は、咄嗟に話に飛びつく。
「訊きたいこと?」
一色は角缶からサブレの入った包み紙をひとつ取り出す。
「実は、ちょっとおかしなことがあったんですよね」
「へえ、なにかしら……」
雪ノ下も気持ちを落ち着けた様で、ゆっくりと身体を机に寄せる。
一色は包み紙を机の上に置くと指先で電車を走らせて、
「旅行の帰りだったんですけど、走ってたらなんか急に車が止まっちゃって」
と言って、自分と雪ノ下の真ん中辺りで停める。
「高速でか?だとしたら結構危ないな」
「いえ、普通に下道を走ってた時です」
「故障かしら?」
「それか、ガス欠とかですかね?」
雪ノ下と小町がそう訊くと一色は、
「ガソリンはまだ入ってましたよ」
と言って、首を横に振った。
「それでレッカーを呼んだんですよ。20分くらいで業者の人が来て修理のために車を運んで行ってくれました。それでその後は代車で家まで帰ったんです。けど家に着いたら電話がかかってきて、エンジンは普通にかかったし、車にはどこも異常がなかったって言うんです」
「へえ、それは不思議ですね」
「翌日には車も帰ってきて。もちろんエンジンもちゃんとかかりました」
「まあ、多少おかしな話ではあるが……」
工業製品である以上、長年使っていれば故障や不具合は出てくる。何かの接触が悪くてエンジンが掛かりにくいこともあるはずだ。業者が確認して異常はなかったと言うのなら、車が走行する上での問題は見つからなかったのだろう。まあ、ディーラーなどで点検してもらうのがいいかもしれないが、それほど騒ぐ話じゃない。
そう言おうとしたら、一色は俺の言葉を遮るように、
「しかもですよっ。似たようなことが同じ場所で、何度も起こってるらしいんです」
と食い気味に言った。それから、神妙そうに眉根を寄せる。
「今月に入って6台……。これってなにかあると思いません?」
「……よくある話だろ」
「むっ」
一色は目を吊り上げて頬を膨らませた。
「お米ちゃんも気にならない?」
「そうですね。小町も結構気になります」
「でしょっ!」
小町の反応を見て強く頷くと、一色は身を乗り出すように折木の方へ首を回す。
「どうですかセンパイ」
「どうってなにが?」
折木は包み紙を破りサブレをひと口齧る。
「推理してみようって気になりませんかね?」
一色の口元が、にやりと笑った。
ココアの味が思いの外苦かったのか、折木の顔がくしゃりと歪んでいく。
「……ならん」
「えーっ、いいじゃないですか」
「気が進まん」
折木は一色から顔を背けるが、逸らした視線の先には小町が笑顔で待ち構えていた。
「わたしも折木先輩が推理するとこ見たいです」
小町は目を輝かせる。
「帰りに出し忘れたプリントを職員室に持ってかなきゃいけないんだ。余計な労力を消費する余裕はない」
「それは自業自得でしょう。せっかく新入部員が興味を持ってくれてるのだから、少しくらい期待に応えてあげてもいいんじゃない?」
「そうだぞ折木。他でもない小町の頼みだ」
呆れたように溜息をつく雪ノ下に同調すると、折木はこれ見よがしに口をへの字に曲げた。
「お前ら……、他人事だと思って好き勝手言って」
まぁ実際、他人事だからな……。しかしそうは言っても、恐らく折木はやらないだろう。
奉仕部と古典部が合併してからもうすぐ一年になる。これまでに折木は部活•部活外を含め何度か推理をし、俺もそれを近くで見てきた。千反田が信頼し、福部が期待し、伊原が認めるだけあって、確かにその発想というか推理力にはちょっとしたものがあった。実際、俺もその推理に助けられもした。しかしそれは部活としてやらなければいけない事だったからで、折木が自ら進んで推理を披露したことはほとんどない。例外といえば千反田の好奇心に迫られ仕方なくという事くらいで、それを除けばまさに省エネ男と呼ぶに相応しい立ち回りだった。
今回は別にやらなくてはいけない事じゃない。それに幸いというか生憎というか、今日は千反田も居ない。折木もこんな面倒事、進んでやらないだろう。
そう思っていた……が。
しばらく一色と小町に言い寄られていた折木は閉じていた目をゆっくりと開く。ちらりと俺を見ると、やがて大きな溜息を吐いた。
「そうだな……。少しやってみるか」
なんと。
「えっ?ほんとですか?」
一色は自分で頼んだくせに、折木の予想外の応えに声を上擦らせる。
「……」
「冗談ですってば。さすがセンパイ。期待してます」
にっこりと笑ってウィンクをする一色の声はあざとかったが、折木の腹積りは既に決まっていたようで落ち着いた様子で視線を返す。
「一色、車が止まったのはどんな場所だ?」
「あっ、それはですね……」
一色は背もたれに引っ掛けてあったカバンを机の上に置く。覗き込むようにカバンの中をまさぐると、徐にタブレット端末を取り出した。
「なに、お前。そんなもの学校に持って来てるの?」
「生徒会の備品ですよ」
そう言いながら暗証番号を押す。ロックを解除すると、慣れた様子で指をスワイプさせてタブレットを操作しだす。
「むちゃくちゃ私的利用してそうだな」
「なに言ってるんですか。生徒会長なんですから、どこでも仕事できるようにするのは当然ですっ」
一色は上目遣いにチラリと俺を見た後、再び画面に視線を落とす。
それから程なくして、タブレットを机の中央に置いた。机の中心に頭を突き合わせると、画面には地図アプリが開いて表示されていた。
「ここです。ちょうどここのトンネルを出たあたりで止まっちゃったんです」
一色はその一区画を指差し、車が止まったという場所にピンを立てた。