やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜   作:発光ダイオード

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千葉県のマスコットキャラクターであるチーバくん。

真っ赤な体につぶらな瞳の犬をモチーフとしたキャラクターで、横から見ると千葉県の形をしている。耳は南の銚子市付近、黒い鼻は北の野田市付近、足のつま先は館山市付近に相当する。舌が西の浦安市付近に相当するため、チーバくんは常に舌を出している。

一色がピンを立てたのは、チーバくんのちょうどおへその辺り……神奈川県から東京湾を横断して千葉県へ至る高速道路「東京湾アクアライン」の袂である、木更津市の一区画だった。

(Googleマップ or Google検索→ 35.367158, 139.936786 )

 

「ここは…木更津千束台ね」

 

口許に手を当てて、雪ノ下はぽつりと呟いた。

 

「千束台?」

 

「知ってるのか?」

 

小町と折木が雪ノ下を見ると、雪ノ下はタブレットに手を伸ばし、

 

「少し前からうちの会社で都市計画事業を進めている地域よ。だいたいこのエリアね」

 

と言って、地図の範囲を指で広げた。

 

「へえ、すごいですね」

 

一色は素直に感心する。

 

「ここ数年でけっこう発展してきてると思ってたが、雪ノ下のとこたっだのか」

 

さすが千葉県でも有数の建設会社だけあって、なかなか手広くやっているようだ。

 

「前の業者が撤退して区画整理が停滞していた所を、うちが一括で業務代行できるように組合と委託契約を結んだの」

 

雪ノ下はストローに口を付け、軽く喉を湿らすと、紙パックを机の上に戻した。

 

「20年以上の話になるのだけれど、当時アクアライン開通に合わせて木更津市の都市計画事業が推進されていたの。けれどなかなか思うように進まなくて、10年くらい前には事業進捗率約7割の段階で前業務代行業者が撤退してしまった。以降は新しい代行業者も決まらず、作業は停滞したままだったの」

 

なるほど。そして暗礁に乗り上げてた所に名乗りを上げて出たのが、雪ノ下の会社だったってことか。

 

「なんで前の会社は撤退しちゃったんですかね?」

 

「確かに。木更津なんて場所も良さそうなのに」

 

小町と一色は揃って首を傾げた。

 

「そのよさが悪かったんだよ」

 

俺がそう言うと、折木は地図に顔を向けたまま視線だけこっちに寄越す。

 

「どういうことだ?」

 

「アクアラインの開通で木更津市は東京湾対岸の川崎市と数十分の距離で結ばれた。それにより都内まで1時間以上掛かっていた移動時間は大幅に短縮される事になった。当然、木更津が京浜のベッドタウンとなることが期待されたんだが、当時のアクアラインの通行料は今よりもかなり割高だったんだ」

 

そこまで話した所で、折木ははっと打たれたように顔を上げた。

 

「……なるほど。そういうことか」

 

「ちょっとセンパイ、ひとりで分かってないで教えてくださいよ」

 

一色は折木の袖を引っ張る。

 

「いくら便利でも交通料が高かったら誰も利用したいと思わないだろう。恐らくそれが原因で、人が木更津から京浜地区へ流れて行ったんだ」

 

「そういうことよ。木更津が首都圏のベッドタウンになるという行政の思惑は外れて、ゴルフ場などのレジャー地区への投資は対岸の京浜に集中することになったわ。更に悪いことに、休日の買い物客も京浜地区へ流出して、木更津駅前の商店街の衰退を招くという皮肉な結果にもなったわ」

 

「ストロー効果ってやつだな」

 

話を聞いていた小町は、腕を組んでうんうんと頷いた。

 

「なるほど。つまり木更津の資源は根こそぎ京浜に吸い上げられちゃったって訳ですね」

 

いや、さすがにそこまで酷くはないはず……たぶん。

 

「そういえば何かの記事で、昔はゴーストタウンなんて呼ばれてたって書いてあったな」

 

折木が思い出したように言うと、一色はごくりと生唾を呑んだ。

 

「ゴーストタウン……」

 

「確かに昔はそう呼ばれてたかもしれないわね。けれど木更津の地価が下がったことやアクアラインの通行料金が値下げされたことで、徐々に京浜地区から木更津市に人が移り出す事になるの。それによってショッピングモールなどの大型商業施設やニュータウンの整備が進んだ住宅地の需要が高まっていったのよ」

 

雪ノ下の口調は、心なしか軽やかに聞こえた。

 

「だからうちもスムーズに事業を進められるように一括で契約を結んで、急ピッチで都市計画事業を進めたの。その甲斐もあって、今では人口流入、地価上昇が好調な地域になって、関東でも指折りの住みやすい街に変わってきているわ」

 

卒業プロムの一件を終えてから、雪ノ下は家の仕事の話をよくするようになった。

ずっと母親や姉に気後れしていた雪ノ下だったが、あの日〝父親の仕事を継ぎたい〟という正直な気持ちを真っ向からふたりに伝えた。精一杯前に進もうとする雪ノ下の強い気持ちは、隣でそれを見ていた俺にもひしひしと伝わってきた。そしてそれは、雪ノ下の家族にも何かしらの影響を及ぼしたんだと思う。

実際に雪ノ下が仕事を継げるのかはわからないけれど、今の雪ノ下の目に迷いはなく、まっすぐ未来を見据えているようにみえた。

ただひとつ問題があるとすれば、その影響は俺にも及び、雪ノ下姉だけに止まらず雪ノ下母からも時折呼び出しを受ける様になったことだろうか……。

 

「アクアラインか……」

 

「何か気になることでもあるの?折木君」

 

小難しそうな顔をしたまま呟いた折木だったが、雪ノ下の声が聞こえなかったのか返事を返さない。しばらくタブレットを睨んで、やがて顔を上げたかと思うと、

 

「一色。ここで車が止まったって事は、アクアラインを使って帰ってきたって事でいいのか?」

 

と言って、一色を見る。

 

「そうですけど……なにか変ですか?」

 

訝しむ一色の表情は、心なしか不安気だった。

俺もタブレットを覗き込む。折木が弄ったのか、地図は江ノ島から千葉までの範囲に広がって表示されていた。

 

「……確かに妙だな」

 

「えっ?なにがですか?」

 

一色の声に不安の色が増す。

 

「お前の住んでる辺りなら、アクアラインを使うより東京方面から帰った方が近くないか?」

 

俺はアクアラインと東京方面の経路をそれぞれ指でなぞる。千葉市はチーバくんの首元辺りに位置している。京浜地区まで行くには南下しておへその辺りからアクアラインを渡るより、頭の方から向かった方が距離的にも時間的にも効率がいい。

顔を上げると、みんな黙ってこっちを見つめていた。俺のあまりにも的確な推理に、聞き惚れてしまったのだろうか?

……いや、どうも違うようだぞ。

 

「なんですかなんで私の家の場所知ってるんですかストーカーですか?お前のことなんでも知ってるぜみたいに言われてもさすがにちょっと怖いしキモいですし、そういうのはもっと深い関係になってからにして下さいごめんなさい」

 

一色は捲し立てる様に言うと、両腕を抱えてわざとらしく身震いをしてみせた。雪ノ下は蔑みの目を向けてくる。

 

「比企谷君……」

 

「い、いやっ……うちの高校の学区ならだいたいこの辺だろうって意味だ。別に一色の家を知ってる訳じゃねぇよっ」

 

慌てて弁明するが、雪ノ下はぷいとそっぽを向いてしまう。

 

「……どうだか」

 

ダメだ。全然信用されてない。

 

「いやあ、さすがいろは先輩。自分のフィールドに持ってくのが上手いですねっ」

 

「むっ」

 

「まあ、クズいお兄ちゃんにはあんまり通用しなかったみたいですけど」

 

「うっさい。お米ちゃん、うっさい」

 

「まさかとは思うけど、折木君も……」

 

一色と小町が騒ぐ傍ら、雪ノ下の疑惑の目は折木にも向けられる。

 

「馬鹿言え。比企谷と一緒にするな」

 

なんだとこのやろう。

 

「それで……なんでアクアラインを通ったんだ?」

 

少しだけ腹が立ったが、このままじゃ収集がつかなくなりそうだと思って、俺は強引に話を戻す。

一色は不服そうに唇を尖らせるが「まあ、いいですけど……」と言うと、おほんと咳払いをした。

 

「えっとですね。それは、帰りに海ほたるに寄ったからに決まってるじゃないですか」

 

「いや、知らねぇよ」

 

そんな当たり前みたいに言われても。

 

「本当はまっすぐ帰るつもりだったんですけど、お母さんと話してたらアクアラインに寄って帰ろうって盛り上がっちゃいまして。で、急遽帰り道を変更したわけです」

 

どうやら一色のこの性格は母親ゆずりらしい。会ったことはないが、妻と娘に振り回され辟易してるであろう一色の父親に幸あれ。

 

「まあ…海ほたるに寄ったのはいいとして、他にも気になる事がある」

 

折木は素っ気なく言うと、タブレットを机の中央に寄せた。

 

「普通アクアラインから千葉市方面に向かうなら、袖ヶ浦で高速を降りないか?」

 

「もしくは、木更津JCTで館山自動車道に乗り換えるかね」

 

雪ノ下も指で別の経路を示す。

 

「だが一色の車が止まったのはここ。高速道路よりも西側だ。袖ヶ浦で下道に降りたにしても、こんな場所を通る理由がない」

 

折木は車が止まった場所を人差し指でトントンと叩いた。

確かにここに行くには、千葉市方面と反対に進まなければいけない。わざわざここを通るなんて、あまりにも不自然だ。

 

「一色さん。どういう経路でここを通ったのかしら?」

 

「それはここをこう……」

 

一色は指で自分が通った経路をゆっくりと辿っていく。指はアクアラインから袖ヶ浦ICを越える。そして木更津JCTまで行くと何故が千葉市とは反対方面に進み、次の木更津南ICで高速を降りた。そして木更津駅方面へ北上し、事故現場へとたどり着く。

 

「……だいたいこんな感じです」

 

「なんでそんな方まで行っちゃっうの?」

 

思わず呆れ声が出る。

 

「それはお父さんが降りるところを間違えちゃって……」

 

一色ははにかみながら笑った。

大方娘と妻が一緒になってはしゃぐから、気を取られて乗り過ごしてしまったんだろう。

 

「車は何に乗ってたんだ?」

 

「普通にセダンですけど。それがなにか?」

 

「いや、ただ訊いただけだ」

 

「……」

 

それから俺たちは他にも気になった事をあれこれ訊いてみた。しかし、真相に繋がるような話ではなく、考えに詰まった部室はしばらく静寂に包まれた。

すると、じっと地図を見つめていた小町はぽつりと呟く。

 

「ひょっとして、曰く付きの場所だったんですかね……」

 

ぴくり、と一色の身体が強張った。

 

「まだ出来たばかりだろ。曰くも何もない」

 

「けど折木先輩も言ってたじゃないですか。ゴーストタウンって」

 

いや、ゴーストタウンって別にお化けが出る街じゃないからね。

 

「それにほら。ここにある霊園って、お墓のことですよね」

 

小町は食い下がりながら地図を指差す。目をしばたかせながら見ると、そこには木更津中央霊園と書かれていた。

霊園……そう声に出そうとしたとき、一色が甲高い悲鳴を上げる。

 

「ちょっとお米ちゃん。それ以上変なこと言わないでっ」

 

思わず身体がびくりと揺れる。

 

「落ち着け一色。墓地なんて日本中どこにでもある」

 

「日本中っ……」

 

折木は宥めるつもりで言ったみたいだが、一色は目に涙を浮かばせる。なんなら今にも卒倒しそうまである。

しかし、一色のこの慌てようといったら……。

 

「一色さん。なにか知ってるなら話してちょうだい」

 

狼狽える一色とは対照的に、雪ノ下の冷ややかな声で言う。

気が動転している相手に掛けるには似つかわしくない口調だが、雪ノ下は言葉を緩めるような奴じゃない。けれどその普段通りの冷静で揺るぎのない口調が、逆に今は一色の昂った感情を落ち着かせる。

一色は少しだけ躊躇らったが、ゆっくりと口を開く。

 

「実は……このあたりは幽霊が出るってレッカー業者の人が言ってたんです」

 

まじか……

 

「どうせなんかの見間違いだろ。よく言うじゃねえか。おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さって」

 

きっと、寝ぼけた人が見間違えたに違いない。うん。

 

「雪ノ下だってそんな非科学的なこと信じないだろ」

 

「そうね……。でも意外と、本当にいるかもしれないわね」

 

思っていた返答とは違う言葉に、恐る恐る、訊く。

 

「……どういうことだ?」

 

「工事中、作業員が幽霊を見たって報告がいくつかあったらしいわ」

 

「じゃあやっぱり……」

 

一色の血の気が引くのがわかった。

 

「それもただの幽霊じゃない……ほらここ」

 

雪ノ下は地図を指差す。

車が止まった場所のすぐ南。請西陣屋跡と記されている。陣屋……今で言う県庁のようなもので、江戸時代の幕藩体制における、藩庁が置かれた屋敷。つまり……

 

「出るのは、落武者の幽霊よ」

 

 

 

 


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