やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜 作:発光ダイオード
「落武者か……。確かに請西藩の侍だってんなら、まったくあり得ない話じゃないかもな」
地図に目を落としながらそう言うと、折木の不思議そうな声が聞こえる。
「そうなのか?」
「おいおい……冗談で言ってるんだろ?」
思わず凍りつく。
「陣屋っていわば県庁みたいなものだよな。戦場でもあるまいし、落武者なんて出るのか?」
俺は目を覆い、ふるふると首を横に振った。
「何言ってんだ折木。請西藩っつったら、藩主自ら脱藩して新政府と戦ったじゃねぇか」
「……それは人生において必須知識なのか?」
折木は不服そうに眉根を寄せると、声を小さくして言った。
「千葉県民なら、当然だろ」
ちなみに、藩主である林家は、大政奉還以降唯一華族になれなかった一族でもある。
基本俺はサブカル以外の事に、福部ほどの興味も雪ノ下ほどの知識も持ち合わせていない。けれどこと千葉に関して言えば、長年住み続けている事もあり愛着も一入で、それなりに詳しいという自負もある。
まあ、仮にそうでなくても、千葉に住んでいる人間なら請西藩の名前くらいは聞いたことがあるはずなんだか……。そう思いながら周りを見ると、一色と小町はきょとんとしていた。
「いや、知りませんってば」
「わたしも知らなーい」
なん…だと……。こいつら、千葉県民としての自覚はあるのか?
三人の千葉愛の無さに恐れ慄きながら、恐る恐る雪ノ下の顔色を窺う。
「わたしは知っているけれど……」
雪ノ下は澄ました顔で当然のように言ってから、
「千葉に住んでる人全員が知ってるかと言われると、ちょっと同意しかねるわね」
と素っ気なく付け加えた。
「ていうか、こういう話にならないように先輩たちに訊いてるんですから、なんとかして欲しいですっ」
身振り手振りを付けて、一色はうろたえてみせる。
「んなこと言ってもな……」
さすがに相手幽霊じゃどうしようもない。
それこそ十文字の実家の荒楠神社のような、由緒正しい神社に頼んでお祓いでもしてもらわないと……いや、待て。
「工事の前にお祓いみたいなことはやらないのか?」
普通はこれから始まる工事の安全や、悪いことが起きないように厄払いの儀式をすると聞いたことがある。確か、鎮魂祭とかなんとか……。
「うちの会社だと、工事の着工前には必ず地鎮祭を行なっているわ」
そうだ、地鎮祭だ。
「神職をお招きして工事の無事を祈って頂いているし、他にも解体工事前には魂抜きの儀式も行っているわ。
記録を見たわけじゃないから確かなことは言えないけれど、うちがやる以上、例外はない筈よ」
「まあ、それで幽霊が納得するかは、また別の話ですね」
横で小町が重々しく頷いた。
ぐらりとよろめく様に、一色は折木を見る。
「センパイはどうです?幽霊……居ると思いますか?」
「居る訳ないだろう、そんなの」
きっぱりと否定する折木。
「ですよねーっ」
極めて明るい素振りで笑ったが、その声は空元気にも聞こえた。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花ってやつかしら」
「ロマンがないですね、折木先輩は」
幽霊にロマンが必要だろうか。
雪ノ下と小町に茶々を入れられ……いや、雪ノ下は違うか。折木は首を摩りながら椅子に深くもたれかかり、天井を眺める。
「幽霊なんて、どれも枯れ尾花だろう」
「折木君らしいわね」
くすりと笑う雪ノ下の隣で、小町は腕を組んで難しい顔をする。
「じゃあ、何で同じ場所で同じ様な事故が何度も起こるんですか?」
それには誰も答えない。
俺たちの顔を見回してから、小町は言葉を続ける。
「車を調べてもなんともなかったのは、心霊スポットから離れたからって事じゃないですかね?」
確かに。その場を離れれば異常がなくなるというのも、実に霊的現象らしい。まさか本当に落武者の仕業だなんて思ってる訳じゃないが、かと言ってそれに代わる答えも、すぐには思い付かない。
天井を向いていた折木の視線が降りてくる。少し考え、ちらりと雪ノ下に視線を合わせた。
「雪ノ下。この辺りの事、もう少し詳しく聞かせてくれるか?」
雪ノ下は「そうねえ……」と言って口許に手を当てる。言葉を整理するような間の後、ゆっくと口を開いて語り出す。
「千束台というくらいだから、周りの平地よりも一段高い位置にあるわね。ええ。丘陵地の先端に位置する大型の分譲地よ。市街地から東京湾までを一望できるわ。
見晴らし?そうね。キャッチコピーが「美晴らしの街」というだけあって、ロケーションはいいと思うわ。それから、木更津駅からも比較的近い位置にあるから、このエリアの新しい住宅地としても需要が高まっているわね。後は、そうね……南房総の豊かな自然を活かした、明るく健やかな暮らしを育む「丘の手ライフ」を念頭に開発を進めている、というところかしら。
どう?なにか分かる?」
雪ノ下の話を聞いていると、目を細くしてまじまじと地図を見ていた小町が、
「このグレーになってる所はなんですか?」
と言って、車の止まった位置より手前に300mm程伸びたグレーの直線を指差す。
「トンネルじゃないか?」
俺が答え、一色が頷く。
「たぶんそうです。トンネル通ったの覚えてますから。それで、トンネル出てすぐに止まっちゃったんです」
「正確にはアンダーパスだったはずよ」
「アンダーパス?」
小町はきょとんと首を傾げて、雪ノ下を見る。
「立体交差のうち、道路を掘り下げて交差する道路の下をくぐる形にしたもののことよ。
ちなみに、アンダーパスに対して、高架橋などを設置して越す形にした立体交差をオーバーパスというわ」
さすがユキペディアさん。解説と補足にも抜かりない。
「里志みたいな言い方だな」
何気なく言った折木の言葉に、雪ノ下は不服そうに顔をくしゃっとした。余計なことを言ったという表情で、折木は椅子に座り直す。
雪ノ下と福部……ふたりともどうしてそこまでと思うくらい、よく物を知っている。そして雪ノ下が色々なことを深く知っているのに対し、福部の知識は広く浅い。しかしその幅は雪ノ下よりも広く、逆にニッチ過ぎて知る必要があるのか疑う程、どうでもいい雑学まで知っている。あえて例えるなら、雪ノ下は碩学で、福部は博学といったところだろうか……。
「アンダーパスっつっても、トンネルだよな?」
上が道路だろうが山だろうが、下を掘り進める以上トンネルには違いない。
「まあ……そうね」
厳密には違う、とでも言いたげに雪ノ下は眉根を寄せるが、口を真っ直ぐにして言葉を呑み込んだ。
「トンネルの中の空気が薄くなってたってことはないか?」
周りを見ると、一色は首を右に傾げ、左に傾げ、それから言った。
「どういうことです?」
「車のエンジンを動かすには大量の空気がいる。なんらかの理由でトンネルの中の空気が薄くなって、車が動かなくなったんじゃないか?」
「それはあり得ないわ」
雪ノ下はぴしゃりと断言する。
「確かにトンネル内は密閉空間だけれど、空気を循環させるための巨大なファンがいくつも付いているの」
「その空調が壊れてたって可能性もあるだろ」
「まだ出来たばっかなのに?」
「そんな欠陥工事をするとでも思ってるのかしら?ずいぶん低く見られたものね」
冷ややかな口調とは裏腹に、雪ノ下の柳眉は逆立って見えた。
そうですよね。そんなわけないですよね。背筋に冷たい物を感じて、先程の折木よろしく佇まいを正す。
「でも、そしたらトンネルの中って排気ガスだらけってことですよね。やばくないですか?」
「なにか別の問題が起こりそうだな」
まあ確かに……。一色と折木の言うように、もしトンネルの中に排気ガスが充満していたとしたら、車が止まるだけじゃ済まないだろう。
「……じゃあ、気圧のせいってのはどうだ。元々他の場所より高い所にあるわけだし……それに、トンネルに入ったり出たりする時、耳がキーンてなるだろ。そういう気圧の変化がなにかしら影響して、車が動かなくなった」
「なにかしらってなによ、お兄ちゃん」
……。
「耳はそんなキーンってならなかった気がします」
…………。
「耳鳴りがするのは、車がトンネルに突入する際に発生する、空気の圧力波のせいよ。このトンネルはせいぜい300メートル程度だし、トンネルの中と外といってもそれ程違いはないはずよ。
仮に違ったとしても、車が走れなくなる程の気圧の変化なんてあり得ないわ」
……丁寧な解説と否定をどうも。
「ていうか、そもそも車が止まったのはトンネル抜けた後ですし、関係なくないですか?」
次々と迫り来る反論の最後に、一色は車の止まった場所をとんとんと指で叩いた。
浅く座り直し、腕を組んで地図を睨む。
頭をフル回転させ、こいつらを納得させる答えを探す。
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考えがまとまる。
俺の結論はこうだ。「もう俺の手には負えない」。
諦めの良いところは、俺の善いところでもある。
ひとつ息を吐くと、机の上の紙パックを手に取る。中は軽く、振るとちゃぽちゃぽと音がした。
ストローに口を付けると、少し吸っただけでズズズッと音が鳴った。
「お兄ちゃん……行儀悪い」