やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜   作:発光ダイオード

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小学生の頃、俺は文句を言わない子供だった。他の子に比べて内気というわけではなかったが、聞き分けがいいと思われていたのだろう。そのせいか、周りからは色々と頼みごとを任された。

クラスメイトに頼まれ、花壇の水やり当番を代わったことがあった。林間学校の時、1リットルもある重たいドレッシングを持ってくるように言われたこともあった。男子全員で遊んでいたキックベースで窓ガラスを割ったとき、代表として俺が校長先生に謝りに行くよう担任に指導されたことだってあった。

それ自体は別によかった。一つ一つは大した手間じゃない。引き受けて損したとか、みんなばかり楽をしてとか、そういうことを考えた訳ではない。

 

ただ、ある出来事をきっかけに、自分は便利に使われていたんだ、と気付いてしまった。

クラスメイトが困ってるんだ。自分は特に用事があるわけでもない。少しくらいは人助けしてもいいじゃないか。

……という気持ちにつけ込まれたんだ。

 

思い出す。

あの頃、俺は自分の発見を黙っているのが辛くて、姉貴に話した。

 

―――お互い様だから手助けしようと思っても、相手もお互い様だと思ってくれるとは限らない。感謝して欲しかった訳じゃない。ただ、馬鹿にされるとは思っていなかった。

ぼくはもう、授業が終わったら学校には残らない。人といれば何かを頼まれることになる。それはきっと、ぼくが何も言わずに引き受けるだけの、馬鹿だと思われているからなんだ。馬鹿だって構わない。ただ、つけ込まれるのだけは嫌だ。もちろん、どうしようもないときはなんでもやるよ。文句も言わない。でもそうでなかったら、本当は他の人がやらなきゃいけないことで、ぼくがやらなきゃいけないことじゃなかったら、もうやらない。絶対に。

 

姉貴はひととおり話を聞くと、俺の頭に手を置いて言ったものだ。

 

―――そう。あんたは不器用なくせに、器用になりたいのね。あんたは馬鹿なくせに変なところで頭がいいから、嫌な気づき方をしちゃったね。いいよ。止めない。それでいいんじゃない。あんたの言ってることは間違ってないと思うよ。

 

それからなんだったかな。姉貴はもう少し何か言っていた思うけど。そう、確か、こうだった。

 

―――あんたはこれから、長い休日に入るのね。そうするといい。休みなさい。大丈夫、あんたが、休んでいるうちに心の底から変わってしまわなければ……。

 

 

「……パイ。センパイっ!」

 

らしくもなく、物思いに耽っていたらしい。一色が俺を呼んでいることに気づかなかった。

 

「センパイ……わたしの話、聞いてました?」

 

覗き込むようにこっちを見てくるが、じっとりとした目はあからさまに「どうせ聞いてませんでしたよね」と語っていた。

そんな目で睨まなくてもいいじゃないか。そう思ったが、実際その通りだったので言い返す言葉もなく、

 

「……いや、聞いてなかった」

 

と言うと、一色はムッとした表情で唇を尖らせた。

 

「だから、原因は車じゃなくて道路にあったんですよっ。きっと。

道路に窪みがあって、そこにタイヤがはまっちゃったとか。強力な接着剤が落ちててそれを踏んじゃったとか……」

 

その突飛な発想を聞いて、俺は自分たちが今何をしていたかを思い出した。

そうだった。みんなで比企谷の推理の穴を指摘したあと、俺たちはふたたび事故の原因を考えながら、思いついたことを話し合っていたんだ。俺も多分こうじゃないかという推測は立っていたが、頭の中で整理しているうちに他所ごとを考えていたらしい。

しかし、今にして小学生の頃を思い出すなんて……。

 

「止まったとき何か感じたか?窪みにはまったんなら、揺れとか衝撃とかあっただろ」

 

比企谷は頬杖を突きながら、気怠そうに一色に訊く。

さっきまでは割と真面目に考えているようだったが、雪ノ下たちから散々ダメ出しされたせいか随分やる気のない顔になっていた。目なんて死んだ魚の様に腐って……いや、それは元からか。

 

「いえ……。特になにも感じなかったです……」

 

「車が動かなくなるほどの強力な接着剤なんて存在するかしら?仮にあったとしても、タイヤに痕跡が残るでしょうし、業者の人も気付くんじゃないかしら?それに、同じ様な事故が何度も起こっているのよね?そんなに頻繁に接着剤が落ちてたら、流石にわかる気がするのだけれど……」

 

雪ノ下はいつもの調子で訊くが、その口調は若干詰問気味に聞こえる。もちろん雪ノ下にそのつもりはないだろうが、それを分かっていても一色は思わず身を強張らせる。

 

「えっと…それはですね……」

 

一色の応えは歯切れ悪い。

 

「なら道路の窪みも気付かない方がおかしいな。タイヤが嵌まるほどデカいんだろ?」

 

「もういいですってば!わたしが間違ってましたっ」

 

ふたりのプレッシャーに耐えかねたのか、一色は身じろいでうんざりと肩を落とした。

比企谷と雪ノ下……理屈や正論で殴りつけてくる辺りがよく似ている。付き合う前からそうだったが、付き合いはじめてからは増して息が合っている気がする。

 

比企谷妹がぽつりと呟く。

 

「こうなると、いよいよ幽霊の仕業ってことに……」

 

「…………」

 

「……あまり一色をからかうなよ」

 

「いやだなあ、折木先輩。そんなんじゃないですよ」

 

「それにしちゃ楽しそうだな」

 

「わたしこういう話、結構好きなんです」

 

さいで。

 

「一色さん。大丈夫?」

 

「……はい」

 

「つーかお前……こういう時こそあざとさ発揮するんじゃないの?」

 

「……できるならやってますってば。でも、この手の話はどうしてもダメなんです……」

 

どうやら一色は幽霊の類が苦手なようだ。顔がみるみる窶れてみえる。というか、比企谷の妹はさっきからわざと言っているんだろうか。

 

「安心しろ一色。車が止まったのは幽霊でも、落武者のせいでもない」

 

俺がそう言うと、一色の目に生気が宿る。

 

「ほんとですかっ?」

 

「ああ、多分な」

 

沈んでいた一色の顔がぱっと明るくなる。

 

「じゃあ、なんでですか?」

 

比企谷妹も真っ直ぐにこっちを見る。

 

「それは……」

 

「それは………?」

 

言葉を溜めると、ふたりは食い入るように寄ってくる。雪ノ下も顔には出さないが僅かに身を乗り出す。

呼吸を整えるように、ゆっくりと息を吐く。

 

 

 

「……ガソリンが足りなくなったからだ」

 

「…………」

 

意味がうまく伝わらなかったのか三人ともきょとんとしたが、次第に表情は胡乱げなものに変わっていく。

 

「話を聞いてなかったのかしら折木君。一色さんは最初、ガソリンは入ってるって言ったのよ」

 

雪ノ下は背もたれに身体を預けると、わざとらしく肩を落として見せる。

 

「正確には『まだ入ってる』と言ったんだ」

 

雪ノ下の柳眉がぴくりと動く。思わず動きが凍りつくが、構わずに言葉を続ける。

 

「一色。ひょっとして、車のガソリンはほとんど無かったんじゃないのか?」

 

少し考えたあと、一色は人差し指を口許に当てて首を傾げた。

 

「確かに残り少なかったですけど、給油ランプは点いてませんでしたよ?」

 

「だが、ガソリンが残ってたとしても車が止まる事はある」

 

「はあ……」

 

「ちょっとよくわかんないです」

 

訝しむ一色たちの視線を感じながら、俺は自分の紙パックを手に取った。中はまだ随分と残っている。こいつを今すぐ飲みきるのはちょっとキツそうだ。そう思って、長机の上をさっと見渡す。

 

「それ残ってるか?ちょっと貸してくれ」

 

配られた紙パックのうち、比企谷の手元にあったものを指差すと、比企谷は怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「間接キスとか、そういう趣味?」

 

「……本気で言ってるのか?」

 

「冗談だよ。けど、もう空だぞ」

 

表情を緩めると、比企谷は紙パックを俺の方へ寄せた。手に持ってみると軽い。確かに中は入っていないようだった。

 

「もう少し残ってる方がよかったんだがな」

 

そう呟くと一色が俺の袖を引っ張って、

 

「これならどうですか?」

 

と言って紙パックを渡してくる。振ってみると、ちゃぽちゃぽと軽い音がした。

ん。丁度いい残り具合。

 

「助かる」

 

一色の口許がにやりと笑う。

 

「わたしのは飲んでも構わないですよ?」

 

「悪いがこれから使うんだ」

 

素っ気なく応える。俺の反応が面白くなかったようで、一色はつまらなそうに頬を膨らませた。少し落ち着いたんだろう。徐々にあざとさを取り戻してきたようだ。

一色はさて置き、俺は紙パックからストローを少しだけ引き抜く。それからストローの穴が高い位置に来るように、ゆっくりと紙パックを横に寝かせる。

 

「普通ガソリンが残っていれば車が止まる事はない。だが、この場所ならそれがあり得るんだ」

 

寝かせた紙パックを車に見立てて、少し横に走らせる。

 

「車が止まった場所のすぐ手前にはアンダーパス形式のトンネルがある。アンダーパスというくらいだから、下を潜り抜けるような構造になっていて、当然トンネルの中は地上よりも低い位置にある」

 

ちらりと雪ノ下を見ると、雪ノ下は見定めるような顔つきでこくりと頷いた。

里志のように朗々と語れたら、どれだけ気が楽だろうか……。しかし嘆いてばかりはいられない。そう自分を鼓舞して、俺は言葉を継ぐ。

 

「……つまりトンネルの手前は下り坂で、地下を通り、トンネルを抜ければまた地上に戻るために上り坂になる、ということだ。

ところで、車が動くには燃料タンクからガソリンをエンジンまで運ぶ必要があるわけだが、坂道で車が傾けば、当然燃料タンクも傾く」

 

寝かせた紙パックを掴んで、飲み口を下にしてさらに傾ける。そのままギュッと押すと、プシュッと空気の抜ける音が漏れた。

 

「たとえ中にジュースが残っていても、ストローの先に届かなければ出てこない。ガソリンだって、燃料タンクの燃料供給口に届かなければエンジンまで運ばれることはない」

 

「じゃあ車に異常がなくてエンジンも掛かったのは……」

 

「業者が点検した場所が平地でガソリンが燃料供給口に届いてたからだだろう」

 

まあ車が傾いていただけだからな。当たり前といえば当たり前だ。

 

「なんだあ、そういうことですか」

 

一色は胸のつかえが取れたように、ほっと表情を和らげる。

しかし隣の雪ノ下は口許に手を当てたまま表情を変えずに、矯めつ眇めつ地図を見つめる。

 

「……仮に車が動かなくなった原因が坂道だったとして、どうして同じような事故が頻繁に起こるのかしら?」

 

「あっ……」

 

そう。一色は忘れていたようだが、同じ場所で止まった車は他にも何台もあるのだ。

 

「確かにガス欠寸前の車ばかり通るなんて、都合が良過ぎるな」

 

比企谷も気づいて地図に視線を向ける。一色が様子を伺うようにこっちを見る。俺は、持っていた紙パックをぽんと立てた。

 

「それはこいつのせいだろう」

 

腕を伸ばして、東京湾アクアラインを指差す。

 

「アクアラインができたおかげで郊外に遠出する人が増えた。それに近くには高速道路の出入口もある。遠出をした車が帰りにここで降りて、千束台のトンネルを通る可能性は多いだろう」

 

そこまで説明すると、比企谷は「ああ」と唸った。

 

「確かに一色も旅行の帰りだったな」

 

「道を間違えたのも相待って、ガソリンの減りも予定より多かったでしょうしね」

 

「確かにそれっぽいです。当たりですよ、きっと」

 

雪ノ下も一色も口を揃えて言った。一方で比企谷妹は、

 

「じゃあお化けは?落武者は?」

 

と、まだ霊的現象の可能性を捨て切れないらしい。

 

「そんなもの……」

 

途中まで言いかけた言葉を飲み込む。

 

「まあ、今回の件とは関係ないだろう」

 

幽霊なんてどれも枯れ尾花だと思っているけれど、何度も主張するようなことでもない。なにせ今の科学じゃ否定も肯定もできないんだから。

 

「……そうですねえ」

 

まだ少しだけ名残惜しそうに、比企谷妹は肩を竦めた。

 

「いずれにせよ、取り敢えずはこれで解決ということでいいのかしら?」

 

「だな」

 

「ですね。原因も分かってすっきりしました」

 

そう言って一色は満足げに頷き、俺に笑いかけてくる。

 

「いやあ、なかなかの安楽椅子探偵でしたね」

 

そんなにたいした妙案を出したつもりはないが。まあ、みんなが納得したのならそれでいいだろう。

 

「さあ。問題も解けたところで、今日は帰りましょう。そろそろ最終下校時刻よ」

 

雪ノ下に言われて外を見る。

窓の向こうは、もう深い茜色に染まっていた。

 

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