やはり俺たちの高校生活は灰色である。〜とまってはいられない〜   作:発光ダイオード

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どうせ出し忘れたプリントを持って行くついでだったので、雪ノ下から部室の鍵を受け取った俺はひとりぽつぽつと職員室へ向かう。

平塚先生は俺が鍵を返しに来たことに驚いていたが、訳を話すと呆れているような微笑んでいるような、左右非対称の顔で肩を竦めながら笑った。それから少し雑談をしたあと鍵を返却し、担当教諭にプリントを提出して職員室を後にする。

ここまで約15分程度。

 

校舎を出ると、日が暮れていた。空は茜色からうっすらと紫色に変わりかけていて、生徒もほとんど居なくなった校舎は、昼間の騒がしさを忘れてしまうような寂寥感に包まれていた。

部活動を終えた生徒がまばらに下校していく中で、校門の前に比企谷の姿を見つけた。自転車に手を掛け、地面に視線を漂わせながらひとり佇んでいる。

 

「雪ノ下でも待ってるのか?」

 

近づいて尋ねると、比企谷は視線だけこっちに寄越す。

 

「……実家に行く用があるらしいから、先に帰ったよ」

 

てっきり一緒に帰ってるものだと思っていた。

考えてみれば里志と伊原だって、毎回ふたりで下校してるわけじゃないし、付き合ってると言っても案外そういうものなのかもしれない。と、なると妹……いや、帰る家が同じだからってわざわざ兄妹で一緒に下校するだろうか?

 

「小町も観たいテレビがあるからって、さっさと帰ってったよ。それに一色もな」

 

心を読まれたのかと内心どきりとするが、顔に出さずに訊く。

 

「なら、なにしてるんだ?」

 

ひょっとして俺を待っていたのか?

しかし、自転車通学の比企谷が徒歩通学の俺を待つ意味はないし、そもそも別に待ち合わせをした覚えもない。

 

「別に。自転車取ってきたら、たまたまお前が来ただけだよ」

 

「……さいですか」

 

それにしては、ずっと校門の前に居たように見えたけれど。

この捻くれ者を問い詰めてやりたい気もあるが、生憎もう日も暮れている。諸々を考慮して、俺は身体を校門の外に向ける。

 

「帰らないのか?」

 

「……いや、帰る」

 

歯切れ悪く応えた比企谷は自転車を引きながら隣を歩く。

俺と比企谷の帰り道は方向が違う。校門を出たところで、じゃあと別れようとすると、不意に訊かれた。

 

「なあ……」

 

「ん?」

 

背を向けかけていたのを振り返る。

ほんの少し、比企谷は俯いているようだった。

 

「一つ、聞いていいか?」

 

「どうぞ」

 

「……なんで今日に限って謎解きしようと思ったんだ?」

 

そうか。こいつはずっとそれが聞きたかったのか。

俺は思わず苦笑いする。

 

「俺が自発的に推理をするのは、そんなに奇妙か」

 

冗談めかして言ってみるが、比企谷はにこりともしなかった。

 

「ああ、そうだな。お前らしくはないな」

 

「……まあ確かに、いつもは『やらなくてもいいことならやらない』からな」

 

「いや……、そういうことじゃなくってだな」

 

俺の掲げるモットーは、あっさり退けられてしまった。不思議そうというより、どこか探るように、比企谷は続けた。

 

「別に謎を解く責任はなかっただろ。やらなきゃいけないことでもなかったし、今日は千反田だって居なかった。解らないっつっても、誰もなにも言わなかったはずだ。なのに、なんで答えを見つけようとしたんだ?」

 

比企谷の疑問も最もだ。常であれば、俺は推理をしようなどと思わなかっただろう。今日の俺は、随分とこう……、アクティブだった。そう……、なんといえばいいのだろう。自分でわかっているのと他人に説明するのでは、根本的に違うのだ。

しばらくの無言の後、俺は言葉を選びながら話し出した。

 

「いい加減、休むのにも飽きたからな」

 

「……?」

 

「千反田ときたら、エネルギー効率が悪い事この上ない。雪ノ下なんて、部長職の他に家業のことまで。他の奴らだって……よく疲れないもんだ」

 

由比ヶ浜は居るだけで周りにエネルギーを振りまいて、見てるこっちが疲れる。伊原は漫研を辞めてからも、ずっと漫画を描き続け雑誌に投稿している。里志も一色も比企谷妹も、自分たちの興味の発露に出し惜しみがない。それに……

 

「無駄の多いやり方してるよ。特にお前は」

 

「他の奴らはそうかもしれないが、俺は違うぞ」

 

なにか間違ったことを言われたと、さも憤慨とばかりに比企谷は悪態をつく。

まあ、自分じゃ気づかないだろうな。俺もずっとそう思っていたし。

 

「でもな、隣の芝生は青く見えるもんだ」

 

もっと上手い表現があるような気がしたが、うまく言葉が出てこない。

仕方なく、俺は言葉を続ける。

 

「最近のお前を見てると、たまに落ち着かなくなる。俺は落ち着きたいんだ。だが、それでも俺はなにをすればいいのか判らない」

 

「…………」

 

「だから取り敢えず、その……なんだ、自主的に推理でもしてみて、なにか変わるのか確かめたかったのさ」

 

比企谷と最初に出会ったとき、俺はこいつの事をおおよそ褒めるべきところがひとつもないような奴だと思っていた。

常に斜に構えて物事を偏見的に見るようなところだったり。他人の言葉の裏を読む癖があるところだったり……。それに己の信条に正直なところなど、どことなく自分と似た雰囲気を感じていた。だから、比企谷の「他人に頼らないが故の自己犠牲」というやり方も、中学の頃に似たようなことをした経験のある俺からすれば、まったく解らない話ではなかった。

それは、普通に見れば非難されるようなやり方だ。雪ノ下や由比ヶ浜も当然良く思っていなかったようだが、そのことを打ち明けもせず、ただ本当の気持ちをひた隠しにして、現状維持を選んでいた。

 

高校生活が終われば、必然的に今の関係は終わりを告げる。答えを出そうが出すまいが、いつかは変わらなければいけないのだ。

なにを選ぶのが正しいのか……。今の俺たちは知りうる術を持たない。それこそ、将来大人になって、初めて解ることもあるだろう。そしてどんな選択をしたとしても、きっと「あのとき、ああしていたらどうだっただろう……」という何かしらの未練が残るだろう。

だからこそ本物の所在は有耶無耶にされ、答えは先延ばしされていくんだろうと思っていた。

 

けれど、比企谷は悩みながらも、ひとつの答えを出した。それは全員が望むような答えではなかったかもしれないが、彼らの言う本物に限りなく近いものだったと思う。

 

今までずっと同じだと思っていた奴が前に進んでいく。その姿に少し動揺しながらも、不覚にもカッコいいと思ってしまった。

そして胸の中でなにかが燻り始め、自分もいつまでも立ち止まってるわけにはいかない。

そう思わされた。

 

 

「なにか言えよ」

 

黙っていられるのがもどかしくてせっついてみるが、比企谷からはなかなか言葉が出てこない。

ようやく出てきた言葉は一言だけ。

 

「……意味わからん」

 

せっかく頑張って話してみたのに、感想がそれか。思わず溜息混じりの笑みが溢れる。

俺が笑うのを見て、比企谷も、笑った。

 

不意に、比企谷が制服のポケットからスマホを取り出した。どうやらメッセージを受信したようで、比企谷は画面を見ながら顔をしかめる。

 

「どうかしたのか?」

 

「……これから雪ノ下の実家に行くことになった」

 

メッセージの相手は雪ノ下のようだった。

 

「なんでまた」

 

「雪ノ下の母親から呼び出しがあったらしい……」

 

雪ノ下の母親とは数回会ったことがあるが、姉貴や雪ノ下陽乃とはまた違った恐ろしさのある人物だ。常に柳眉を逆立てた印象のある烈婦で、味方であれば頼もしいが、敵対すれば厄介なことこの上ない。

 

「大変だな、お前も」

 

「もう諦めてるよ」

 

口ではそう言いつつ、比企谷の表情は柔らかかった。

 

「……そうか。それじゃあな」

 

「ああ、また明日な」

 

比企谷は自転車に跨ると、重たげなペダルを力強く漕いでいく。その背中を見ながら、ああと思う。

比企谷は雪ノ下と出会ったとき、どうして勝負を受けようとしたのか。どうして自己犠牲を払ってまで勝とうとしたのか。それが不思議だった。本当に嫌なら、逃げ出したって、投げ出したってよかった筈だ。だけど、そうしなかった理由……。

今ならわかる。

それは、難しいことじゃなくて……、すごく、単純な理由だ……。

 

風が強く吹いた。髪の毛が目に掛かったので無造作に手櫛をかける。

不意に、思い出した。あの時の姉貴が、人の頭をぐしゃぐしゃと搔きまわしながら付け加えた言葉を。

 

―――きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから。

 

夕闇に消えて行く比企谷の背中を見送る。自転車通学とはいえ、今から雪ノ下の家に向かえば、比企谷が家に帰り着く頃には完全に夜だろう。

帰り道ふと見上げる。

湾岸の工業地帯には、ぽつぽつと灯りがともり始めていた。


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