鱗滝の下で基礎能力の向上、及び技術の矯正訓練が始まって数日後、鎹鴉の返信が到着する。
何だ何だと様子を窺う炭治郎を他所に、鱗滝は手紙の内容を確認し、暫くの沈黙を経て大いに頷いた。満足のいく結果だったようだ。
そして改めて、ヒノカミ神楽を修めるにあたっての方針が鱗滝より示される。
「いいか。儂はこの数日お前の舞うヒノカミ神楽の吟味に努めていた。その上で確証の得られた内容のみ伝える事にする」
「はい! ありがとうございます!」
「うむ。炭治郎、お前のヒノカミ神楽は水の呼吸に酷似している。つまる所、独自の呼吸に水の呼吸を巧く統合させた型、だったな」
「ええその通りです」
ここまでは既に鱗滝に話している。
補足すると、ヒノカミ神楽の原型となる日の呼吸と、現在炭治郎が舞っているヒノカミ神楽は厳密には様々な部分が異なっており、水の呼吸がベースとなっている為、いわば炭治郎が独自に編み出した型になる。
また最終決戦時に夢を介して縁壱からオリジナルの日の呼吸を伝授されているが、痣や透き通る世界に到達し切れていない現時点での炭治郎の身体能力では再現不可能であり、失伝に近い状態である。
「型の数は水の呼吸より二つ増えている事で手数が多くなっている。更に多角的な斬撃、防御面、回避行動の取り易さ、どれを以っても非常に完成されており申し分ない。また所々に各五流派の技に似通った部分が散見されるな」
消耗という点を除けば、非常に優れた呼吸と型である。また、応用・発展へ繋げ易そうな、一言で言えば柔軟な型だった。事実、炭治郎は雷の呼吸をベースとして『円舞一閃』を生み出している。
ここまでは良い点。
「問題点としてはやはり消耗。これは型の特性上仕方ない事ではあるが、体力の底上げで改善が見込める。さらに精進しろ」
「肝に銘じます!」
どれだけ剣の道を極めたとしても、身体作りを疎かにしていい理由にはならない。やはりこれからも、今と同じ水準の鍛錬を継続するしかあるまい。
そして次が本題。
「次に消耗の他に一つ──攻撃面に些か違和感がある。自覚しているか?」
「攻撃……」
指摘されるまで意識すらしていなかった。水の呼吸からヒノカミ神楽に切り替える事によって明らかに攻撃力は増していたし、相手を切断しきれない場面もあったがそれはいずれも上弦の鬼が相手である。
特別攻撃力に難があるとは考えていなかった。
「確かに水の呼吸に比べれば威力はある。生生流転以上の斬撃が繰り出せるのだから当然だ。しかし、他の分野での完成度に比べると、攻撃面は今ひとつと感じざるを得ない」
「それは……もしかして、俺のヒノカミ神楽には水の呼吸が色濃く残っているから、ということですか?」
「気付いたか。炭治郎」
水の呼吸は、それこそどんな形にもなれる水のように変幻自在な歩法が特徴であり、それによって如何なる敵にも対応できる受けの型。
しかし他の呼吸に比べると火力に難があるのは明白。それは水柱、並びに水の剣士達にとって、永遠の課題とも言える難点だった。
炭治郎の脳裏に蘇る上弦の参 猗窩座との戦い。
奴の腕一本斬り落とすのに炭治郎はヒノカミ神楽を使用していたにも拘らず四苦八苦していた。しかし心の師である煉獄杏寿郎は、次から次に猗窩座の腕を斬り飛ばして表面上互角に渡り合っていた。
決して水の呼吸が劣っている訳ではない。しかしその攻撃面の脆さがヒノカミ神楽にも如実に現れている結果となっている、と推測した。
黙り込んでしまう炭治郎。しかし鱗滝はいつものような厳粛な物言いではなく、優しい声音で炭治郎を諭した。
「案ずるな炭治郎。その為に儂は協力を仰いだのだ。水の呼吸で限界が生じるのであれば、他の呼吸に触れてみるのも一つの手だろう」
「あっ、鎹鴉に運ばせていた手紙はそういう事だったんですか! けど……」
水の呼吸以外の指導を受ける。つまり、他の育手に炭治郎を託すという事。
だがそれは鱗滝との一時的な別れを意味し、同時に禰豆子と離れ離れになる、という事でもある。
流石に他の育手が全員禰豆子を受け入れてくれるかと言うと、決してそうではない。禰豆子が安静に、確実に眠ることのできる場所は、鱗滝の下以外には存在しないのだ。
当然、鱗滝は炭治郎の想いを理解している。
「禰豆子の事なら案ずるな。お前が帰ってくるまで儂が面倒を見る。経過も小まめに鎹鴉経由でお前宛に届けよう」
「鱗滝さん……ごめんなさい何から何まで」
「気にしなくていい。師ならば、弟子の大成を一心に願うのが当然だ。……一月半後に最終選別が始まるから、それを修行の一区切りとする。それまでに技を極限まで磨くのだ。儂の方にも顔を出すようにな」
「はい……!」
ああ、やはりこの人が自分の師で良かった。炭治郎は深く頭を下げながら、何度目になるか分からない胸いっぱいの感謝を言葉として吐き出し続けた。
鱗滝はそれを聞いて、ただ相槌を打つように頷くだけだった。
数日後、髪を切り身嗜みを整えた炭治郎は狭霧山を下った。足取りはしっかりしていて、目と佇まいには活力が漲っている。修行の成果もあるだろうが、心理面での弾みが大きかった。
その理由は、昨夜鱗滝から伝えられた自分のこれからの師についてである。
炎柱 煉獄杏寿郎。
無限列車での激闘から炭治郎の体感として既に10年近く経過している。しかし、あの日の悔しさを片時たりとも忘れたことはない。
力の足りない自分を護るために彼は身を挺した。そして己の命と引き換えに炭治郎のみならず、二百数名の乗客を護り切った。
目の前で死なせてしまった。
だが杏寿郎から受け取った言葉と想いは、今も炭治郎の胸の中に生き続けていて、心を燃やし続けているのだ。
(煉獄さん……あの人が死ななければ、もっと悲しみのない世界になっていたかもしれない。俺なんかより生き残らなきゃいけない人だった)
当の本人がそれを聞けば、身を乗り出して否定するだろう。炭治郎とて杏寿郎に繋いでもらった命を無為にはしないと日々奮闘したものだ。
でもあんな場所で死んで良い人では無かったはずだ。絶対に。
そんな煉獄杏寿郎がわざわざ自分の指南役を引き受けてくれたのだ。気分が高揚しないはずがない。
鬼殺隊最強の一人から訓導を戴くことができる貴重な体験もそうだが、今のうちに関係を結ぶ事ができれば、杏寿郎との繋がりも自ずと深まるだろう。それが巡り巡って杏寿郎の死を回避する一因となるかもしれない。
(死なせない、絶対死なせてなるものか。煉獄さんには沢山助けてもらったんだ、今度は俺が助ける番だ!)
煉獄家は前の時間でも何回か訪れた事があるので、迷わずに一直線に辿り着けた。和風の屋敷をぐるりと囲む立派な塀。冬だというのに心なしか暖かな陽気すら感じる。
「流石に勝手に入るのはダメだもんな。どう呼べばいいものか……」
大声を出して気付いてもらうのも一つの手だが、それだと未だ燻っているのだろう元炎柱の煉獄槇寿郎を刺激しかねない。前回のように変に揉める事だけは避けたかった。
誰か居ないかと、門扉の陰からこそこそと中を伺う。
何処からか微か声は聞こえるものの、詳しい場所までは特定できない。どうやら煉獄家の面々は屋内に居るようだった。
さて、やはりこっそりと中に入らせてもらう他ないだろうか、と。炭治郎が足を一歩踏み出す──その直前だった。
肩を優しく叩かれた。
「えっと、どうしたのかな? 此処は煉獄さんっていう人の家なんだけど……」
「あ、いえ──」
「キミ、やっぱり見るからに困ってそう! なんでもお姉さんに相談してちょうだいね! 可哀想な子は放っておけないから!」
見知った顔だった。
特徴的な毛髪に、鈴を転がしたような愛らしい笑顔。いつも自分たちに対して優しさを持って接してくれた。その類稀なる戦闘能力で上弦の肆や無惨との戦いで自分の窮地を何度も救ってくれた。
蛇柱 伊黒小芭内とともに無惨消滅を最期に散り果て、その死に目を看取る事さえ叶わなかった恩人。
(甘露寺さん……まさか此処で会えるなんて)
「あれ? もしかして私のこと知ってる? お知り合いだったかしら」
「い、いえ初めましてです! 俺、竈門炭治郎っていいます。煉獄杏寿郎さんに用があってここに……」
「あら煉獄さんに!? あははごめんなさいね、ちょっと早とちりしちゃったみたい。煉獄さんに用ってことは、あなたもしかして鬼殺隊なの!?」
「まだです! 一月半後の最終選別に向けて日々修練を積んでいます! 煉獄さんにはその一環として稽古を付けてもらえる事になったので」
熱くなる目頭を意識しつつそう答えると、甘露寺は喜色を浮かべた。炭治郎の手を取り、ブンブン上下に振り回す。彼女の怪力に炭治郎の身体が大きく揺れる。
「なら私は先輩! 私ね、ちょっと前まで
「そうなんですか!」
「隊士としてはまだまだひよっこだけど、煉獄さんの教えのおかげでなんとかやれてるわ! それにしても炭治郎君みたいな可愛らしい後輩ができるなんてとっても嬉しいわ! 互いに頑張りましょうね!」
「はい頑張ります!」
そんな元気の良いやり取りを暫く交わした後、甘露寺の案内で杏寿郎の下まで連れて行ってもらう事になった。
またその途中に身の上話をしていると「そんな歳で家族を殺されて、しかも鬼と戦うなんて可哀想!」と泣かれたりするハプニングがあったが、それ以外にはこれといった事はなく、板張りの部屋へと通された。
「──もっと足腰に力を込めるんだ千寿郎! 頑張れ! そんな踏み込みでは鬼の攻撃を受けられないぞ!」
「は、はい兄上!」
ちょうど兄弟で打ち込み稽古中だったようだ。
めげずに一生懸命に木刀を振るう千寿郎に、兄が応えるかのように何度も励ましの言葉を送る。心を奮わせている。
煉獄杏寿郎が生きている。
甘露寺蜜璃が生きている。
煉獄千寿郎が兄と懸命に暮らしている。
はらり、と。炭治郎の瞳から涙が溢れ出た。
それは決意を新たにした涙。
かつて在った過去と対面した炭治郎は、そのあまりの儚さに涙してしまったのだ。
自分の知っている二人はもう死んでいる。残された千寿郎は心に昏い影を落とし続けていた。彼等に訪れただろう輝く未来は存在しない筈だった。
でも此処ではまだそれは途絶えていない。
消えていった未来を自分の手で取り戻すことができる。
どうしたどうしたと、煉獄兄弟は稽古を中断して此方に歩み寄る。甘露寺はオロオロしながら兎に角炭治郎を励ましていた。
「どうしたのだ甘露寺! そこの少年は?」
「それが、煉獄さんに師事しに来たって言うから案内したんですよぉ。そしたら急に……。ごめんね炭治郎君、何か辛い事でも思い出させちゃったかな?」
「なるほど! この少年が!」
「すみません、お恥ずかしいところを……」
そう言いつつ涙を拭う。
炭治郎の家族が鬼の手によって惨殺された事を甘露寺は聞いていた。確か弟や妹たちもいた筈だ。仲睦まじい煉獄兄弟の姿を見て、かつての家族を思い出させてしまったのだろうと、涙の訳を解釈した。
一方で、状況が掴めない煉獄兄弟であるが、観察眼に優れた杏寿郎は涙に秘められた何かしらの想いを見逃さなかった。見逃せなかった。
「少年、咽び泣く事は何も恥ずかしくない! 想いの発露が心を更に強くするんだ! 我々とて、鬼と戦う日々の中で何度涙を流したことか!」
「そうだよ炭治郎君! 私だって初任務の時はいっぱい泣いちゃったから!」
なお杏寿郎が泣いた事は鬼殺の剣士になってから一度も無いのだが、それはあくまで杏寿郎の心が超人的なまでに成熟していたからだ。彼本人は涙を流す者の気持ちを十分に理解できていると信じている。
泣く事は恥ずかしくない。泣くなら思う存分に咽び泣けと、そう伝えたかった。
「煉獄、さん」
「涙を流しながらでもいい! 歯を喰いしばって進むんだ、少年! 悲しみに暮れていても時間はキミに寄り添ってはくれないのだから! その涙を如何活かすのかが肝要だろう!」
「はい……頑張り、ます」
うむ! と大きな声で頷き、先程の甘露寺同様に炭治郎の手を掴むと上下に振り回した。
やはり煉獄さんは凄い人だと思う。出会って数秒の自分にすら、こんなに心が奮い立つような言葉を掛けてくれるのだから。
こんな煉獄杏寿郎の姿こそ、炭治郎が長年追い求めてきた目標そのものだった。
「俺はキミを歓迎する! 共に強くなろう溝口少年!」
「違います竈門です! 竈門炭治郎!」
「おおそうか! そういえば名前を聞いてなかったな! いやはや済まなかった! よろしくな竈門少年!」
花が咲いたように煉獄邸に笑いが溢れた。
彼等が戦っている領域、遥かなる高み。今度こそ、それに手を掛けてみせる。
貴方の隣で今度こそ、刀を握ってみせる。
笑顔の裏で凄絶な決意を新たに固める炭治郎だった。
時系列としては煉獄外伝の下弦の弍戦闘後から少し経った時期です。なので煉獄さんはまだ新米の柱で、甘露寺さんは癸の一般平隊士。
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