「炭治郎さんって本当に凄い人ですね」
「え? そんな、どうしたの急に」
縁側で日光を浴びつつ千寿郎と共に休憩していた時、不意にそんな事を言われた。
自分のことを凄い奴だなんてちっとも思ってない炭治郎にとって、それは寝耳に水の話であった。首を傾げながら続きを促す。
「兄の稽古はとても厳しい事で有名らしくて、今のところ最後まで修行を完遂できたのは甘露寺さんくらいです。なのに炭治郎さんは一言も弱音を吐かずに凄い勢いで鍛錬を積まれています。とても凄い事ですよ」
「それは杏寿郎さんの教えが良いからだよ。俺は何も凄くなんかないさ」
確かに、杏寿郎による扱きは前世で経験した柱稽古に全く劣らないほど苛烈だった。
ひたすら打ち込み稽古を続けるだけなのだが、その相手となる杏寿郎が全力の熱意で応じてくれるものだから、自然と此方も力んでしまい常に全身全霊を以って竹刀を振るうよう誘導されてしまう。
しかも体力の限界を超えても、杏寿郎からの熱い叱咤激励に身体は否応無しに動く。彼の想いに応えたいと奮起してしまうのだ。そして修行後には心が燃え尽きて、動けなくなってしまうんだとか。
「千寿郎君の方こそ毎日煉獄さんと稽古してるじゃないか。とっても凄い事だよ!」
「いえ……私こそもっと頑張らなければならない立場なのです。でも分かってるんです、兄は私の心が折れない程度に指導を緩めてくれている」
ほんの少し、千寿郎の声が震える。悲しみと焦り、そして諦めの匂いがした。
「兄は父からの指導を殆ど受ける事なく、歴代炎柱の方々が残した指南書を読み込み、炎の呼吸を極めました。……私は、そんな優れた兄から幾ら訓導を受けても、才能が開花する事はありません」
「──」
「非常に情けない限りですが、生まれ持った素質に抗う事はできません。そういう意味も含めて炭治郎さんは凄い方です。本当に」
炭治郎は拳を握り締める。
励ましてあげたい、千寿郎に剣の道を諦めて欲しくない。それが正直な気持ち。
だが彼に才能がない事は炭治郎自身よく分かっていた。既に二年後の彼の姿を知っているから。そんな彼に剣の道を勧めていいのか。これから延々と苦しみ続ける事が分かっているのに、そんな残酷な未来を歩ませていいのか。
何か千寿郎の為にしてあげられないか。杏寿郎を死なせないのは既に決定事項である。それに加えて、何か千寿郎を喜ばせる方法はないものか。
「……正しいと思う道を進んで欲しい。己を決めるのは千寿郎君のお父さんでも、杏寿郎さんでもない。千寿郎君自身だから」
結局、前回と同じ文言しか言えなかった。
それでも千寿郎は曖昧に微笑み、ただただ炭治郎に頭を下げるのみだった。
休憩時間が終わり、稽古場に杏寿郎が戻ってくる。鎹鴉からの伝達を父である槇寿郎に伝えに行っていた間の休憩だった。
冷たく遇らわれた筈だ。炭治郎が此処にやって来た時だって大いに揉めたものだ。未だ面と向かって顔を合わせて居ないが、炭治郎の居ない所で杏寿郎や千寿郎に暴言を喚き散らしたのは容易に想像が付く。
内心では父の堕落した様に深い失望を覚えているだろう。だが、杏寿郎はそんな様子をおくびにも出さず、いつもの溌剌とした様子で炭治郎と千寿郎に訓練の再開を告げた。
竹刀を振るいなんとか杏寿郎に喰らいつく。
今は敢えて水の呼吸を使わず(杏寿郎の希望もあって)ヒノカミ神楽での行動を心掛けていた。それもいつもの軽やかに宙を舞うような流麗な剣戟ではなく、炎の呼吸のように足を止めて強烈な一撃を繰り出すことを意識して。
今の炭治郎の身体といえど、その力は巨石を切り裂く程度には優に到達していた。しかし、杏寿郎はそれをあっさりと跳ね返していく。
踏み込みが他の流派に比べてしっかりしている為、相手の攻撃を受けるという点で優れている。少なくとも、今の炭治郎では突破する見込みが無いほどに。
「うむ! いい動きだ! 次はもう少し腰を捻って、尚且つ体幹が崩れないよう意識しながら攻撃してみるといい! 更に鋭くなる!」
「攻撃を、更に鋭く」
「そうだ! そして技を高める近道は心を燃やす事だ! 竈門少年の心意気は素晴らしい! その調子で更なる高みを意識するんだ!」
育手として優れた手腕を持つ杏寿郎だが、彼をして炭治郎の発する非凡な才能には強く心を惹かれた。技の飲み込み具合が非常に良い、なにより炎の呼吸を扱う上で最も重視すべき点を炭治郎は既に身に付けている。
非常に感心する他なかった。
「そういえば! 千寿郎になにやら励ましの言葉を掛けてくれたそうじゃないか! 何を言ってくれたのかは知らんが礼を言わせてくれ!」
「い、いえそんな。俺は月並みな事しか……!」
「謙遜するな! 千寿郎の顔がいつもより晴れやかだったし、それに稽古にも熱が入っている! 君のおかげと言わずして何と言う! ありがとう!」
満面の笑みで礼を言いつつ、怒涛の打ち込み。流石の炭治郎もこれには反応するので精一杯で、攻撃に転ずる事ができなかった。
軟弱な身体で少しでも拮抗できているのは、長きに渡る死闘によって培われたセンスと、杏寿郎直伝の踏み込みによる受けのおかげだった。それらが無ければ炭治郎の身体は易々と稽古場の壁に叩きつけられていた事だろう。
「思えば千寿郎には苦労をかけている! 俺がもっと上手く教える事ができれば、あんな苦しみを抱く必要もなかっただろう! 自分が腹立たしい! 情け無しッ!!」
「むん! むんっ! それは、違うと思います煉獄さん! 千寿郎君は絶望していない。自分の事を腹立たしく思ってるようではありますけど、それでも! 太陽の如き
迫り来る竹刀を必死に押し返しつつ、炭治郎は叫ぶ。何故なら他ならぬ自分がそうだったからだ。死してなお煉獄杏寿郎の言葉は根強く炭治郎を突き動かす原動力となってくれた。
それに匂いがそうだった。千寿郎の不満は自分が不甲斐ない故のもの。杏寿郎に対しての悪感情などひとつもない。救われている筈なのだから。
「そうか! そう言ってくれるか! ありがとう竈門少年!」
所詮、杏寿郎が千寿郎にしてあげられるのは、断片的な父との記憶を再現する真似事に近い物だけ。それが果たして救いになっているのか、甚だ疑問だった。
杏寿郎は先代から教えを殆ど受けていない、ほぼ我流で習得した炎の呼吸である。記憶朧げなかつての父との思い出を何度も脳裏に浮かべながら、必死に努力した。
そんな杏寿郎の姿を見てきた千寿郎。劣等感が芽生えないはずない。
だから敢えて否定し続けた。自分と弟は違うのだと。
剣の道を極めるならそれで良し。もし諦めても、千寿郎の気立ての良さなら将来は絶対に立派な人間になれる。
自分には母が居た。
千寿郎には兄が居る。
母のような立派な人に遠く及ばなくとも、それでも弟の道導になれるのなら。
ふと、業火のように燃え盛っていた闘気がみるみる減衰し、杏寿郎の動きが止まる。あまりにも突然の事で炭治郎は勢い余って前のめりに転倒した。
(うぐっ!? イデデ……どうしたんだろう、煉獄さん)
「君と稽古して、そのヒノカミ神楽を見ていると、何故だか不思議な気分に陥りそうになる。強烈な才能を目の当たりにして、少し拗ねてしまいそうな、そんな気持ちだ」
そんな言葉とは裏腹に、晴れやかな笑顔のまま杏寿郎は深く頷いた。
「竈門少年。本来キミを指導する役目は俺の父である煉獄槇寿郎に依頼されたものだった。俺は代役だ。……今やかつての面影はなく、父は酒に入り浸る毎日。昔はああじゃなかった、とても熱い人だった」
炭治郎は兎も角として、杏寿郎は父の心が冷めてしまった正確な原因を知らない。母の死が父を狂わせてしまったのか、それとも歴代炎柱の手記に何か気に障る事が書かれていたのか。その両方かもしれない。
結局、槇寿郎の心が強くなかったに尽きるのだ。
「父の気持ちが少し分かったような気がするよ。代々煉獄家が継いできた誇り高き炎柱としての責務もそうだし、眩いばかりの才能を持った後進や偉大な先人達を前にして焦りに駆られてしまう事も恐らくあっただろう! 自分の成した全てが無意味に思えた事もあっただろう! 確かにこれは堪えるかもしれないな!」
故に、どうしようもなく血潮が滾る。
自分と父は違う。
「だが俺は決して挫けない! そんなことで心の情熱は無くならない! 心の炎が消えることはない! 寧ろこの感情が愛おしく思える!」
父を残念に思う気持ちこそあれど、強く責める気は毛頭ない。心も身体も、人の強さは人によってまちまちであり、自分は偶々両方とも強い方だった、というだけの話。
ならば父の分まで自分が励めばいい。弟が剣以外の道を選べるよう自分が更に刃を振るえばいい。たったそれだけの事である。
「我々鬼殺隊には途方に暮れる時間など許されない! 前進あるのみだ! 純然たる天賦の才に少しでも近付けるよう、より一層鍛錬を積まねばならん! 共に技を高め合おう! 竈門少年!」
「──」
どうしてだろうか。
そんな杏寿郎が、炭治郎にはどうしようもないほどに強く、眩しく、そして
「死なないでくださいね。煉獄さん」
するりと溢れ出た言葉は、杏寿郎に対する同意でも、自分の才能に対する否定でもなく、彼の身を案じる言葉だった。
杏寿郎の信念の結末を知っていることも一因だろうが、それよりもただ単純に、死んでしまいそうだったから。彼の死の形がハッキリと見えてしまった気がしたから。
「急にどうした! 俺に死相でも見えたか?」
「あ、いえ! なんとなく……そんな感じがしただけで」
「そうか! それは不味いな! ではキミの予感通りにならないよう更に強くならねば!」
杏寿郎は快活に笑い飛ばすと再び竹刀を構える。稽古再開の合図だった。それに倣い、炭治郎もまた腕に溜まる疲労を無視して刀を振り上げる。
結局、自分の当てにならない予感を払拭する一番の近道は、他ならぬ自分が強くなる事なのだから。
その後、千寿郎が夕餉の支度を終えた事の報告を以って今日の稽古の終了を告げられる。
互いに正座の姿勢で向き合い、深く頭を下げる。
「今日も一日、ご指導ありがとうございました!」
「うむ! こちらこそ感謝だ! 君のヒノカミ神楽とやらのおかげで俺自身気付かされる事が多い! やはり呼吸というものは奥深いものだな! 日々精進しなければ!」
二言目には努力、精進、更なる高み。やはり杏寿郎は只管に前向きだ。
そんな彼を見ていると自分もまた明日への活力が湧いてくるような、そんな気がした。
「炎の呼吸の完全習得にはまだ程遠いがコツは掴めている! ただあまり極めすぎても竈門少年が一番使い慣れているだろう水の呼吸に支障が出るだろう! その程度が良い塩梅なのかもしれないな! 一先ずは"常中"を安定させる事を優先するのがいいと思う!」
「そうですね。炎の呼吸の一端に触れてから目に見えてヒノカミ神楽の威力が上がってきましたし、あとは煉獄さんの教え通りに身体に慣らしていければ問題ないと思います! 一月後の最終選別までにはなんとか物に出来れば」
「ふむ、そうか。一月後か! ……早いな!」
杏寿郎にしては珍しく、少しばかり逡巡した様子で腕を組み、思案を巡らせていた。しかし即断即決の男にはその時間すらも煩わしかったようで、勢いよく頷くと炭治郎へと問いかける。
心を見透かすような力強い視線に炭治郎も思わずたじろいだ。
「キミは何故そんなにも急いで進もうとする? それが悪い事であるとは断言しない。しかし急がば回れという言葉もある。進み続けなければならないのは当然だが、身に余る速さではいずれ足元が揺らぐ事も考えられる。自壊など以っての他だ!」
決して炭治郎を責めているわけではない。だが現状を手放しに推奨しているわけでもない、といったところか。
杏寿郎の言う事が正しいだろう。自覚はある。
でも、まだ足りない。
「今この瞬間も、罪の無い人たちが鬼に喰われている」
「その通りだ!」
「俺はそれがとても辛いんです。力があれば救えた人たちがむざむざと殺されるのを黙って見ているだけなんて、絶対に嫌だ」
怒りに身を震わせる。
鬼舞辻無惨と、自分に対しての激しい怒り。
「もっと早く強くならなければならないんです。俺より凄い人たちは今もずっと先で戦っている、俺は一秒でも早くそこに辿り着きたい。煉獄さんたちと一緒に戦いたい!」
「いい心掛けだ! ならば俺は止めはしない! 燃え上がる心を抑圧するなど炎柱としてあるまじき行為だからな! 生き急ぐ竈門少年を応援する事しかできんが! 是非とも頑張るといい!」
そう言い切ると杏寿郎は笑いながら、その場を後にした。何か探りをいれられるのでは無いかと心配していた炭治郎だったが、特にそういった話題に発展しなかった事にほっと胸を撫で下ろす。
嘘嫌いの炭治郎である。嘘はなるべく吐きたく無い。
「そうだ言い忘れていた!」
ひょっこり戻ってくる杏寿郎。慌てて居住まいを正す。
「明日から柱の任務で忙しくなる! 中々稽古を付けてやれなくなるが、千寿郎と共に頑張ってほしい! 炎の呼吸の指南書は好きに読んでくれて構わん!」
「あ、分かりました!」
「うむ! それと、父との対面はなるべく避けて欲しい。要らぬ諍いに竈門少年を巻き込みたくは無い。父には良く言ってあるが万が一がある。すまないがよろしく頼む!」
今度こそ杏寿郎が稽古場から出て行くのを見送る中、炭治郎は申し訳なさに口を縛りつつ、床へと視線を落とした。
板張りの床はよく磨かれていて、鏡のように炭治郎の顔を映し出している。ハの字に眉を寄せた情けない表情だった。
(そうだ煉獄さんは柱の身、毎日の激務の合間を縫って俺の為に……。槇寿郎さんの件でも酷く心労を掛けている筈だ。申し訳ない……!)
(やはり一癖も二癖もある少年だな。抱えている想いも並ならぬ物だ)
数多くの剣士を見定めてきた杏寿郎だが、炭治郎のような性質を持った人間は初めてだった。とても素直で頗る努力家、一つの目標に向けて突き進む強い意志を持っている。人間的にも非常に優れている。
だがあまりにも
剣を握った事がないのだろう素人の身体、長い年月と弛まぬ努力によって磨き上げられた熟練の剣技、純朴な心、複雑な思惑。
どんな生活を送ればあのような人間が出来上がるのか、見当すらつかない。アレが正しく天賦の才というものなのか。
それに炭治郎と初めて出会った時から今に至るまで、頭の片隅に何かが引っかかったような、そんな違和感を幾度と無く感じ取っていた。言葉に出すまでもない小さな違和感だが、それでも──まるで一度自分が指導を施したような、そんな錯覚を抱いていた。
奇妙な少年だ。
ひたむきな彼をどうしても助けたくなってしまう、そんな思いにさせる不思議な魅力を持った将来有望な鬼殺の剣士候補。
『死なないでくださいね。煉獄さん』
ほう、と軽く息を吐く。
返事をするわけにはいかなかった。到底約束できるようなものでは無いからだ。
悪鬼から民衆を守る為なら命を顧みないのが鬼殺隊員であり、況してや自分は柱である。死ぬ覚悟など、とうの昔にできている。
自分が命を投げ捨てなければならない場面が来るのなら、喜んで運命に従おう。他の柱だってそうだ。歴代の殉職した炎柱だってそうだった筈なのだ。
自分ではない誰かの為に死んでいけるような精神を持った素晴らしい人間たちのお陰で、今もこうして鬼殺隊は存続しているのだから。
決して死にたいわけじゃ無い。父より早く死ぬような親不孝者になりたく無いし、なにより千寿郎を残して逝くわけにはいくまい。
だがそれでも、自分の命と引き換えに誰かの尊い命を守れるのなら、喜んで差し出そう。
(すまないな。竈門少年)
それが自分の生まれ持った責務。
進むべき道なのだ。
未来だったり真実だったりを知っている影響で、炭治郎の言葉が若干歯切れの悪いものになってます。逆行からまだそれほど日が経っていないのも大きいですね
次回は最終選別。五感同期組の居ない中での試練です
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