「昨日、最終選別が行われた。その結果を聞いた時、私はとても驚いて、同時に懐かしい気持ちになったんだ。どうしてだか分かるかい? 義勇」
「……いえ」
春の木洩れ日が差し込む室内にて、向かい合うは鬼殺隊の最高責任者と、その中核たる柱。産屋敷耀哉と冨岡義勇。凪を思わせる静寂が何度も場を包み込んだ。
素っ気なく聞こえる返答も彼ならばただただ愛おしい。義勇へと軽く微笑みを返すと、自らも平坦な口調で本題を伝える。
「君の時と殆ど同じ事が起きたからだよ。試験を受けた者全員が生き残り、最終選別を突破した。たった一人の尽力によってね」
「……!」
「まさに錆兎の再臨。しかも今回の当事者である彼は生き残った。……素晴らしいね、今年もまた溢れんばかりの才能を持った子供が増えた。喜ばしい事だ」
流石の義勇も僅かにではあるが瞳を見開き、大いに驚いた。胸の内に去来するのは錆兎の勇姿と、悔やみ続けた無為な日々。自らの罪が陰りとなって顔に現れる。
それを見越していたかのように、産屋敷耀哉は落ち着くよう声を掛ける。その声音は一時的にではあるが、義勇に平静を齎した。
「本題はここからなんだ。その件の人物というのが、前に義勇から報告を受けた少年だった。無惨に家族を殺され、妹を鬼に変えられた炭売りの少年」
「炭治郎が、ですか? ……しかし、炭治郎を我が師である鱗滝左近次に紹介したのは3ヶ月前です。何かの間違いという事は……」
「あまねが直接藤襲山で確認した。大器だったそうだよ。──もし彼の妹を殺していれば我々とは袂を分つしかなかっただろう。お手柄だね義勇」
何故3ヶ月の鍛錬のみで最終選別を受けているのか、それが分からない。どのような日々を過ごせばその短時間で錆兎の域に達する事ができるのだろうか。そもそも師は止めなかったのか?
一番に考えられる仮説としては、あの日の邂逅時で既に炭治郎の強さは完成されていた、というもの。これが最も合点いくと思う。鬼舞辻無惨と遭遇し、生き残るだけの力があれば錆兎以上の芸当ができてしまうかもしれない。
「多分、義勇の考えと私の考えは同じだ。炭治郎は膠着する現況の突破口になり得る可能性を秘めた存在、鬼舞辻の対応を見ても明らかだ。分かるだろう?」
「同意します」
思い返すは炭治郎と出会ったあの日。兄妹と別れた後、義勇は其処からほど近い場所で鬼と戦闘になっていた。それも2体の鬼だ。
実力的には義勇の方が大きく上回っており危なげもなく勝利したのだが、しこりを残した形での勝利だった。その鬼達の特殊性は産屋敷耀哉も注目していた。
まず一番に、鬼達がそれぞれ血鬼術を使用した事。次に徒党を組むどころか連携を取っていた事。最後に炭治郎の殺害が目的であると口走っていた事。
十中八九、無惨からの刺客だろう。普段徒党を組まない──否、組めない鬼が血鬼術を駆使して同時に襲ってくるなどあり得ない事態だ。それも雪雲が空を覆っていたとはいえ、日が昇っている状態なのに。
「無惨にとって、炭治郎はよほど邪魔なんだろうね。近頃各地で鬼による被害が増加傾向にあるのも炭治郎の一件と完全に無関係とは言い切れない。無惨は自らの足取りを悟らせまいと慌てふためている事だろう」
「では……私は」
「鬼殺隊として活動していれば自ずと信頼は築き上げられていくだろうけど、それでも納得できない子は出てくるよね。少なくとも、炭治郎と禰豆子の事はまだ他の柱達には報告できない。だからもしも信頼の完成を待たず、途中で禰豆子の存在が露見した時には、炭治郎を庇ってあげて欲しい」
鬼の助命を願う鬼殺隊の最高責任者など、後にも先にも自分だけかもしれないと、心の内で自嘲が込み上げる。結果によっては先祖や命を散らした者達に顔向けできない事態に陥る事だって考えられるのだから。
禰豆子の存在はそれだけ不確定要素を多く孕んでいた。
だがそれでも利が損を上回ると判断した。炭治郎は勿論のこと禰豆子だって特別だ。鬼らしからぬ特徴を持つ彼女は恐らく無惨の制御が効かない存在。彼奴にとって想定外の一撃となり得る持駒は一つでも多いに越した事はない。
「分かりました。この件は師の鱗滝にも伝えて、我々2人の名で一筆
「勿論。ただね、水柱はキミだよ義勇。水の使い手でキミが柱である事に不満を持つ者は誰も居ない。それだけの実績と信頼があるんだ」
「しかしそれも炭治郎が私を超えればいいだけの事です。錆兎と同等の働きをした炭治郎ならば容易いでしょう。是非、次期水柱は炭治郎に」
困ったものだ、と。笑顔の裏で義勇の悪癖について思案する。それこそ竈門一家襲撃の少し前に半ば無理やりに近い形で柱に就任させたのだが、それ以来事あるごとに水柱の辞退を申し出るようになってしまった。
今の情勢下で水柱を不在にさせるのはまず無理だ。しかも義勇は若く、歴代最高に近い水の呼吸の使い手である。彼以上の適任はいない。
それに──。
「炭治郎は水の呼吸じゃなくて、専ら父親から受け継いだ新種の呼吸を使っているそうだよ。つい最近では杏寿郎に師事して炎の呼吸を練習してたみたいだし、何にせよ水柱になるのは難しいんじゃないかな」
「え?」
「うん」
*◆*
最終選別から10日経ち、その間炭治郎は鱗滝の元でゆっくり身体を休めていた。筋肉疲労の酷さに歩くことすらままならない状態だった。呼吸を何度も切り替えながら昼夜を問わず駆けずり回ったツケである事は言うまでも無く、鱗滝も今回ばかりは炭治郎に休養を命じる始末。
何度倒れそうになっても強靭な意志で踏み止まり、刀が折れたら負傷者から新しい刀を借りて、兎に角戦い続けた一週間だった。
最終選別後、藤の花の下に集まった参加者達から口々にお礼を言われた。「ありがとう、いつかキミのような剣士になりたい」と言ってくれる者まで居て、こそばゆさを感じたものだ。
勿論いい事ばかりではなく、最終選別に生き残っても心に深い傷を負ってしまい怯えた様子で帰路に着く者、剣士を諦めて"隠"としての活動を誓う者など様々だった。そんな彼らの痛々しい姿を見た炭治郎は、声を掛ける事しかできない。「キミの分まで頑張る。キミの想いを背負って俺は戦うよ」と。
自らの無力さに打ちひしがれている者達には酷な言葉だったかもしれない。だが鬼を倒し、人々を救いたいと願う気持ちは皆一緒な筈だ。
鬼舞辻無惨は自分が倒す、だからどうか安心して欲しいと。そんな想いを込めての言葉だった。
と、縁側でぼんやりしていた炭治郎の傍に鱗滝が腰を下ろす。未だに眠り続ける禰豆子の様子を時折窺いながら、空いた時間には炭治郎と様々な事柄の情報共有に努めている。炭治郎の気分が落ち込み過ぎないように気を遣ってくれてるのかもしれない。
「どうした炭治郎。考え事か?」
「いえ、最終選別を思い返してました。誰も死なせなかったけど、みんな進んだ道はバラバラだった。俺の刃は果たして彼等にとって真の意味での救いとなったのだろうかなんて、ふと思ったりするんです」
「お前が居なければ同期の殆どが死んでいた……それだけが事実だ」
返答が早い。
「隊士となった者、辞退した者の全員がこの後も平穏無事に生き残るのは難しいだろう。我等の世界は突然の死に溢れている。今回の結果は先延ばしに過ぎないのかもしれない。それでも、失われていた筈の可能性を繋げることができたのだ。我が弟子としてそれ以上に誇らしい事などそうそうあるまい」
炭治郎の行動理念に通じるものがある。むしろ鱗滝はそれを見越してこんな言葉を掛けてくれたのかもしれない。嬉しい気持ちになると同時に、脳裏にひとりの少女の顔が浮かび上がった。
アオイは……元の世界では最後まで後方支援に努め、後悔を募らせたままであるが無事に鬼の居ない世を迎えるに至った。だが今回は如何だろうか。
『貴方のおかげで生き残る事ができました。ありがとうございます。……本来ならば私には隊士たる資格はありません。実力も気構えも不十分である事を痛感した次第です。でも──貴方が刀を拾ってくれたから、本当に大切なモノは喪わずに済みました』
別れる時、彼女はそんな事をはにかみながら言っていた。その時は特に考えもせず「うん! 頑張れ!」と激励のつもりで答えたのだが、よくよく考えるとあれで良かったのか? とも思える。
自分の介入の影響でアオイが挫けず無理をしてしまい、鬼に殺されてしまう未来だってあり得るだろう。そんな事になってしまえば伊之助に顔向けができない。
改めて、この世界における竈門炭治郎の存在は諸刃の剣なのだと認識した。初めから薄々勘付いてはいたのだが、それを強く意識してしまうと一挙手一投足に迷いが生じてしまうと思ったから。
やはり自分で全てを抱え込んでしまうのかと。苦心し俯いてしまう炭治郎に対して、鱗滝から言える事は何も無い。
鱗滝もまた悩ましげに息を吐くと、炭治郎の頭に手を乗せる。
「何にせよ此度の件でお前と彼等の間にできた繋がりはいずれ有益なものとなろう。同期は兎に角大切にする事だ」
「……はい」
その言葉を最後に、鱗滝は居間に戻った。
善逸、伊之助、カナヲ、玄弥……。今もなお自分の同期といえばこの4人であると炭治郎は思っている。生死を最も共にした彼等は鬼殺隊の中でも特にかけがえの無い、それこそ親友と呼ぶに相応しい者達だった。
だがその一方で今世での同期はどうかと言うと、本来なら先輩として敬うべき者達である為、完全な同期として見る事ができるか心配だったりする。それになんだかんだ癖の強い者も何人か居て、自分とまともに取り合ってくれない者もちらほら。
特に鱗滝と善逸を自分と関連付けて罵倒していたあの男……確か名前は
最終選別終了後に折角の同期なんだから仲直りをしておこうと話し掛けに行ったのだが、選別前よりもさらに苛烈な敵意を以って応じてきた。理不尽である。
これからの安否が心配なアオイ。
自分へ敵意を抱きながら突っかかってくる獪岳。
何故か先輩扱いを強要してくる変な人。
もう色々だ。
ただでさえ悩み事が多いのに、同期の数だけまた新しい悩みが生まれてしまった現状に、やはり炭治郎は頭を抱えてしまうのだった。
考え過ぎて耳の穴から溶けた脳味噌が流れ出てきそうだ。
(もう俺一人じゃ整理が付けられない……! 誰か頭が良くて、今の状況を包み隠さず
そもそも前世、今世通して炭治郎が作戦立案に携わった事は一度もない。現場指揮ぐらいならまだできそうであるが、それとはまた別次元の話だ。
やはり自分には大筋の方向性を定めてくれる人が必要なんだと、切に痛感している。
炭治郎の現状を含めて何でも相談できる者が居るとすれば、この世界では貴重な存在となろう。認めたくない弱さではあるが、ただ単に孤軍奮闘し続けるのが寂しいといった想いもあるのかもしれない。
故に炭治郎の頭に一つの選択肢が色濃く浮上する。
鬼殺隊の面々と情報共有できればそれに越した事はないが、信じてくれなければそこで全てが終わってしまう。鱗滝とてそうだ。柔軟な視点で物事を吟味できるお館様ならもしかしたら、なんて考えも浮かんだがそもそも一般隊士の身では彼に会う事は難しいだろう。
ならば珠世と愈史郎ならどうだろうか? 彼等もまた幾つか考えられる障壁はあるが、それが一番現実的な案であると炭治郎は判断した。情報共有という点でもそうだが、あの二人と対無惨の共同戦線を張るのは必須であり、その時期が早ければ早いほど鬼殺隊へ優位に働くことは間違いない。それに禰豆子を診てもらう事も今後を踏まえれば大切な事だ。
前世でもあんなに頼りになる人達だったのだ。同期云々の悩みは兎も角として、頼れる助言者にもなってくれるだろう。
考えは固まった。やはり珠世、愈史郎との合流は最優先に行うべきだ。
そろそろ鋼鐵塚が日輪刀を持って来てくれる頃だろうし、その後には鎹鴉から初任務が言い渡される筈。それを鑑みると、機会は任務と任務の間に存在する限られた空白時間か、浅草で任務を行う時くらいか。
なんにせよ目指すは浅草だ。それが最善策なのかは分からないが、自分が考え出せるのはせいぜいこの程度。ならば、それを信じて進み続けるしかない。
「義勇さんってみんなと一緒にいる時は物静かなのに、お館様と2人きりだといっぱい喋るんですね!笑」
「やめなよ」
ちなみに変な人が自分を先輩扱いするよう強要してくるのにはちょっとした訳があります。
大した理由ではないです(予告)