「鋼鐵塚さん、この世界でも変わらなかったなー。相変わらず色々と凄い人だったけど、やっぱりあの人が打ってくれた日輪刀は手に馴染むような気がする。いつかまた刀鍛冶の里に行こうな禰豆子」
「むー」
「そういえば煉獄さんと甘露寺さんから返信が来たんだ。二人とも書面いっぱいに褒めてくれて嬉しかったなー。義勇さんからはやっぱり返信無かったけど」
「むう?」
「早くみんなに禰豆子の事も紹介してあげたいなあ。兄ちゃん頑張るから、もう少し待っててくれよ禰豆子」
数日前までの陰鬱な気分はどこへやら、炭治郎は明朗快活に軽快な足取りで街道をひた進んでいた。途中何度も笑いながら背負った箱へ言葉を掛ける。明確なそれが返ってくる訳では無いが、禰豆子の存在を感じるだけで炭治郎は満足なのだ。
初任務へ発つ直前だった。数ヶ月眠り込んでいた禰豆子が突然目を覚ました。
眠る禰豆子を戦いの場には連れて行けないと、鱗滝の元に預ける予定だったので、炭治郎の喜びは大きかった。やはり禰豆子とはずっと一緒がいい。
とはいえ、一応の返事はあるものの、本当に炭治郎の言葉の意味が分かっているのかは少し不安だ。自分と同じく『前回』の記憶があるのかもしれないと思い、なるべく未来の事を話そうとしているのだがどうにも曖昧である。
だけどまあ、今はこれでいいと思う。
禰豆子と一緒にいれるだけで幸せだから。
さらにもう一つ、炭治郎にとって良い方向に好転した事がある。というのも、鎹鴉より告げられた初任務の場所が運の良い事に浅草だったからだ。
詳しい内容については語られなかったが、どうやら鬼の関与が疑われる事件が相次いでいるようだった。次の死人が出る前に急げとのこと。
そういう訳で、鬼殺隊としての最初の出だしは順風満帆といっても差し支えない良い滑り出しと言えよう。
ただ、炭治郎は手放しでは喜べない。
(運が良いって考え方は良く無いよな。任務があるという事はその地で鬼の被害が起きている事に他ならない。それを己の理由で喜ぶのは恥ずべきだ)
そうだ、全てが良い事ばかりじゃない。
浅草といえば鬼舞辻無惨が人間に擬態して暮らしていた場所である。そんな場所で奴や配下の鬼が安易に騒動を起こす訳がない。
しかし今回は"それ"が起こった可能性がある。
これの意味する事の重要性は何となく解るのだが、その内容を断定するには至らない。例えば何らかの理由で珠世達の存在が無惨に露見し、彼等を燻し出す為の行動なのであれば、早急に阻止しなくては。
「禰豆子、浅草に着いても暫く箱の中に隠れていてくれ。万が一にでも無惨に目撃されるわけにはいかない。今回は鬼の調査と珠世さん達との合流が最優先だ」
「む……」
通常なら数日掛かる道のりも"常中"を再会得した炭治郎の体力であれば数刻程度で十分だった。日が沈む頃には閑散とした畦道から都市部に入り、そして浅草へと到着する事ができた。
紫色の夜空に爛々三日月が浮かぶ。
連なる山々のような聳立つ家屋には、まるで巨大な妖怪に取り囲まれているような、そんな錯覚を覚える。窓から溢れる鋭利な光が闇を切り裂き、擬似的な昼を演出していた。
やはり何度訪れても慣れないものだ。都会のあまりの眩さにモンゲーするしかしない。
ただ、炭治郎の鼻と脳裏を駆け巡る直感は、前回の浅草にはなかった『狂気』を感じ取っていた。群衆に紛れて漂ってくる恐ろしい匂いに眉を顰める。
(何かがおかしい。鬼舞辻の他に複数の鬼の匂い……そこまではまだ分かる。だけど……道行く人々の中に紛れ込んでいる特定の人達。何食わぬ顔で今も表通りを闊歩している彼等が、今は何故か恐ろしい……!)
炭治郎がこれまで嗅いだ事のない種類の匂いだ。多幸感のみを心に宿し、一つの目的のために行動している。目からは正気が失われていた。
何らかの血鬼術を受け、操られている可能性は十二分にある。ひとまず珠世と愈史郎の捜索は保留とし、浅草に渦巻く『狂気』の調査を開始した。
すれ違う全員を具に確認して、裏に潜んでいるかもしれない鬼の影を追う。
またその途中、数人の鬼殺隊士を見かけた。どうやら今回の一件は共同任務の扱いであるらしく、それなりの人数がこの地に集結しているようだ。全員が全員釈然としない表情で右往左往している様だった。中には隊士同士で言い争ってる者達も居て、混乱の様相を呈している。
と、炭治郎はその中に見覚えのある顔を見つけた。
「こんばんは! 最終選抜の時に知り合った竈門炭治郎です。えっと、貴方も同じ任務なんですね」
「おっ、炭治郎じゃねェか。お前も浅草に来てたのか!」
「はい。ただ状況が呑み込めなくて……」
「あの右往左往してる奴らはほっとけ。それよりさっさと鎹鴉に次の任務を打診しておいた方がいいぜ。浅草での任務はもうほぼ終わってる」
「そうなんですか?」
"
まずここに居る隊士達の殆どは別任務で鬼を追っていた者達らしく、目的の鬼が一斉に浅草へと逃げ込んだ為にこうして一堂に会する事となったそうだ。その際に自分の追っていた鬼と誤認して他の隊士が追っていた鬼を斬ったりしてしまう事が頻発してしまい、指揮系統がグチャグチャになってしまってるらしい。かくいう先輩(仮)もその一人であったとか。
まあそんな異常事態ではあったものの、逃げ込んだ鬼は全て討伐されたようだ。そして未だに多数の隊士が浅草に留まっているのは、追加で与えられた別件の任務によるものだという。
余計に頭がこんがらがってしまった。
「隊は殆ど錯綜状態だが、取り敢えず俺はそこそこの鬼を倒したから撤収するぜ」
「え? だけど追加の任務が──」
「『夜な夜な往来で自決する者が後を絶たない。原因を調査しろ』って内容だろ? 労力や難易度から換算しても
「……もし仮に鬼が関わっていなくても、俺はそんな異常事態を見過ごせない」
鬼殺隊の理念からは些か外れているとはいえ、先輩(仮)の言い分も全くの的外れというわけではないだろう。あくまで今回の任務は『鬼の関与が疑われるので調査せよ』というもの。空回りになる可能性は十分ある。
でも最善を尽くすのなら避けては通れない道だ。どんな行動が如何なる結果になろうとも、なるべく後悔の無い選択肢を選ぶのが肝要。前世の時だって、遠回りが一番の正しい近道だった経験など枚挙にいとまがない。
「キミがどういった理由で鬼殺隊に居るのかは知らないけど、その姿勢は隊士として相応しくないと思う! 高邁な理想とまではいかなくてもさあ! もっとこう……人助けは積極的にした方が!」
「へえ言ってくれるじゃねェか、勇ましいもんだ。悪りぃが誰も彼もがお前みたいに自己犠牲の精神で頑張れるわけじゃないんでな。利益優先の俺は遠慮させて貰うぜ」
「むぅ……!」
説得失敗!
炭治郎の制止もどこ吹く風と、先輩(仮)は群衆の中に消えてしまった。価値観が違い過ぎて取り付く島もない。
不死川兄弟や伊之助など、最悪の初対面となってしまった者達とも最後には確かな友情を築く事ができた炭治郎だが、先輩(仮)に関してはどう接したものか悩んでしまう。
無理に仲良くする必要は無いと言ってしまえばそれまでだが、折角の同期なのだからなるべく蟠りの無いようにしたいものだ。
というか、また名前を聞き忘れた。
「仕方ない、他の人達と一緒に調査しよう。……あっ、あそこに集まってるな」
人工的な灯りで照らされている街の中なら鬼殺隊の黒い隊服もよく映える。合流を急ぐ炭治郎だったが、その最中に気付いた。
人の流れがおかしい。
集まっていた隊士達もその方向に引っ張られている。
「何があったんですか? みんな固まって」
「件の自決だよ。今日は集団で、しかも大通りのど真ん中でやるらしい! 止めに入ろうにも野次馬が邪魔で……!」
隊士の一人が慌てた様子で手短に状況を教えてくれた。その言葉通り、群衆の中からは「あいつら早く止めろ!」などの叫び声が聞こえる。警官も到着しているみたいだったが、手出しができないようだ。
そして何より、群衆の中央。狂乱する人々からは鬼の匂いがした。今回の件、やはり何らかの形で鬼が関わっているのは間違いなさそうだ。
炭治郎の行動は早かった。群衆が壁になっていると知るや否や、禰豆子に断りを入れて地面に箱を置くと、助走をつけて一気に跳躍。密集する人々を飛び越えて、渦中の現場へと降り立った。
中では白装束を着た数人の女性が短刀を持って周りを牽制しており、警官達は足踏みを余儀なくされている。故に膠着状態に陥っていたのか。
「な、なんだあの子供!? どっから現れた!?」
「……!?」
空から少年が降ってきた事で、場により一層の混乱が生まれる。自決を試みている女性達もそうだ。意識の空白が生まれていた。
その隙を突くように炭治郎は瞬く間に一団に接近、短刀をはたき落とす。反射的に女が掴み掛かろうとするも、それを受け流し手首を拘束。そして目線で警官へと合図を送り、無力化した事を知らせた。
数瞬遅れて気を取り直した警官が殺到し、残る女性達を取り押さえる。強い抵抗を見せるものの、力そのものは人並みだったようで簡単に鎮圧された。
暴れる女は、やはり半狂乱になりつつ警官の腕の中で踠き叫んでいた。正気は完全に失われている。
「離せええぇぇ!!! 私は此処で死ななきゃいけないんだああぁあッ!!!」
「いいから! 一度落ち着きなさい!」
「あ゛あ゛あ゛教祖様お許しく゛だ゛さい゛ぃ゛ぃ゛」
(……尋常じゃない。何があの人たちをあそこまで駆り立ててるんだ? 恐怖と絶望の匂いでいっぱいだ)
全てが理解できなかった。
人間の狂気とはここまで峻烈なものになるのかと驚愕したし、何より彼女達にここまでの事をさせられる鬼の残酷さに身震いした。
彼女らを動かしたのは恐らく無惨では無い。奴の匂いは浅草中に蔓延しているが、彼女らに付着する鬼の匂いは無惨とは別のものであり、尚且つかなり近い。
それもとびっきり醜悪で、強い鬼。
(十二鬼月──それも上弦。いるのか? 上弦が……この浅草に)
周りを囲む群衆へと意識を向ける。咄嗟の事だったが、自分に向けられている視線の中から身を引き裂くほど鋭利なものを感じた。
この群衆の中に……いや、更に向こう側。
血を思わせる深紅の瞳が闇の中から覗いていた。
「鬼舞辻……無惨……ッ!」
間違いなく奴だった。浅草に到着した直後から炭治郎の存在を認知していたのだろうか、高みの見物に興じているように見えた。
すぐさま斬り掛かりたい衝動に駆られるが、動けない。状況がこの上なく悪い。
一般人が多過ぎるし、無惨からは距離があるため接近しようにもすぐに逃げられてしまうだろう。やはり奴を仕留めるには実力者達による包囲網が必要だ。
故に、歯茎が爆ぜる程に強く噛み締め、仇敵を睨む事しか出来なかった。そんな炭治郎の姿を見て、無惨は嘲笑うように闇の中に溶けていく。怒り、憎しみ、そして何故か安堵の匂いを残して。
その後、警官からの事情聴取から逃れる為にそそくさとその場を後にした。鬼殺隊は非政府公認組織である為、ふとしたところで不便である。本来なら先ほどのような行動もなるべく控えるべきなのだろうが、動かずにはいられなかった。
そんな事情は兎も角として、同僚達からは随分と褒められた。「新人があのような活躍を見せたのだから自分達も負けていられない!」と息巻いてすらいて、やっぱり炭治郎はこそばゆい気持ちになるのだった。
事態の異常さを隊士全体が共有できたのもあって、鬼の関与を探る調査はもう暫く続けられる事になり、各自翌朝に集合する事を約束する。
炭治郎もまた追加の調査と、無惨の痕跡探しの為に単独行動を再開した。
「大変なことになったなー禰豆子。珠世さんの捜索はもう少し後になりそうだ。だからもう少し箱の中で我慢してくれ。ごめんな」
返答は無いが、箱の中からカリカリと木材を引っ掻く音がする。"肯定"の意が込められていると解釈した。
安心したらお腹が空いてきた。
ひとまず何処かで腹を満たそうかと頭巾を深く被り、人通りの少ない外れ道に入る。前回はうどんだったから今回は蕎麦でも食べようかな……なんて、そんな事を考えながら鼻を利かせた。
鱗滝や煉獄家で食べた料理が不味いという訳では無いのだが(むしろ美味)繁華街で漂う料理の匂いはそれとは別種の味わいがあるものだ。
辺りを物色するように何となしに匂いを嗅いだ。
瞬間、鼻腔を焼くような鋭い痛みが走る。鼻がもげたのかと錯覚するほどの衝撃。
あまりに突然の出来事だった。小さな悲鳴を上げて鼻を抑える。もげていない。
「おいおい困るぜ。ウチの祭事を邪魔しないでおくれよ」
鬼の匂い。禰豆子じゃない、妹のものとは限り無く遠くて、無惨にあまりにも近い。あまりに強烈で、まず一番に自分の嗅覚を疑った。これほど強烈なのに接近に気付かなかったのか?
どこから? 隣だ、すぐそば。
そいつは炭治郎の首に手を回し、耳元で囁いていた。
認識よりも先に身体が動いていたのだろう。日輪刀を引き抜き、その鬼の首が在るであろう場所へと一気に振り抜く。型も何もあったものじゃない、焦りと恐怖が生んだやぶれかぶれの一振り。
それは掠る事なく空を切り、代わりに目の前に実態となって現れる。
ビリビリと表皮を麻痺させる感覚、頭を巡る脳髄を焦がさんばかりの血液。
動きが速過ぎる。
炭治郎の肉眼では到底捉えきれない速度。
その鬼は余裕綽々といった様子で、炭治郎を眺めながらニヤついていた。二対の扇、頭から血を被ったような髪、闇夜を照らす煌びやかな目玉。そして、それに刻まれた『上弦』『弍』の文字。
激しい動揺が不規則な呼吸となって現れる。
カナヲや伊之助から掻い摘んで聞いた話と合致する。
「祭事……? 何を言ってるんだお前は」
「やあやあ初めまして、俺の名は童磨。とある宗教の教祖をやってる者さ。そして先ほど執り行われていたのはウチの重要な行事、我々が崇め奉る『
そんな事を和やかに語る。
聞いてもいない事までペラペラと喋り出す。
「──ただあんまり気持ちの良いものじゃないよねぇ、人前で腹を切って注目を浴びてもらうなんて。おかげで敬虔な信徒を何人も失ってしまった。『万世極楽教』の教義は救いだからねぇ。彼女達のような人間こそ、俺が食べてあげなきゃいけないのにねぇ。可哀想に」
一言一句理解できない。
鬼の発している言葉が、自分の発しているそれと同じ言語なのか疑いたくなる。
「それに、あの祭事を執り行う羽目になったのは全部全部君のせいなんだよ? あのお方を愚弄した耳飾りを付けた少年って君の事だろう? それが巡りに巡って、俺がこうして駆り出されたって話さ」
「……」
「万に一つでもあのお方に害が及ぶ恐れがあるなら、しっかりと対策をしなきゃいけないからなぁ。引っ越し準備中は大きな祭事でみんなの注目を集める事になったんだよねぇ。悪戯に信徒を死なせたくなかったけど、あのお方がお望みなら仕方あるまいよ」
情報を次々に開示する童磨。何か目論見がある訳ではなく、これから死にゆく哀れな少年への手向けのつもりだろうか。
なんにせよ癪に障る話だ。
今まで出会った鬼の中でも、あの鬼は無惨と双璧を為すほどに醜悪な悪鬼なのだと、冷え切った心は判断した。『上弦の弍』──紛れもない強敵。あの猗窩座以上の称号を持つ鬼。
勝ちの目は非常に薄い。それでも────
(逃がさないッ! この悪鬼の首を此処で叩き斬ってやる……!)
どんどん力が湧いてくるのだ。恐怖と焦燥に震えていた身体に熱が滾るのを感じる。
ふと、脳裏にしのぶの顔がよぎる。
骸を残す事すら許されなかった。髪の毛の一本に至るまで目の前の鬼に吸収されてしまったから。その事を語ったカナヲの顔は、今も覚えてる。
「へぇ、挑んでくるんだね! 実力差はハッキリ理解していると思ったんだけど……全く度し難い。だが俺はそんな君の無謀な決意を称えよう! 頑張ったら一太刀だけでも入れられるかもしれないよ」
奴の言葉に耳を貸すな。集中しろ。匂いで分かる、童磨の言葉には何の感情も含まれていない。ただ空虚なだけの戯言だ。
鬼を倒せばこれから食われる運命だった数十人の人が救われる。それが上弦ともなれば数百人、数千人。それに、それだけじゃない。
こいつを此処で倒せば、しのぶさんを救えるかもしれない。その希望と、雪辱を果たそうとする激情が炭治郎に力を与えてくれる。
(思い出せ……カナヲと伊之助が教えてくれた
鬼舞辻監督、まさかの童磨起用! 先発エース黒死牟と便利屋猗窩座はどうしたんでしょうかね?
なお距離的には吉原にいる鬼兄妹が一番近かったりするんですけど、一応念には念を入れて実力的に格上の童磨に今回の騒動を命令した模様。
へいへい! 鬼舞辻ビビってるゥ!