現代の勇者は性欲が強かった! そんな彼が打倒魔王を達成するまでの愉快な一部始終をお送りします。

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勇者はオナニーがしづらい

 プロローグ。

 片腕を失おうとも、剣は片手で握ることが出来る。しかし剣を握るだけでは、それで埋まってしまった一本の腕だけでは、彼は幸せを手にすることが出来ないのだ……。

 

 

 

 

 

 

 いわゆる現代と呼ばれる時代。コロナウイルスに苛まれる世界(我々がよく知り、そして住んでいる世界のことです)とは別の世界線にある日本にて、古めかしくも魔王が現れ、世界征服を企んでいた。

 魔王は膨大な数の魔物や、ありがちな幹部とか四天王とかそういうあれを従えながら、着実に勢力を拡大していった。けれどもそんなお約束の展開が現代に成立するのなら、人間サイドに都合のいいお約束もまた当然のように現れる。

 その人が月に行こうとした場合を覗いて「○○の社長」が単に「社長」と呼ばれるように、そのお約束の化身は単に「勇者」と呼ばれていた。

 たぶんおそらくきっとおおよそは誰よりも強く、わりとそれなりに人並みに優しく、世間の女性たちが及第点を与える程度には顔も良い彼は、やはりそれらしく数人の仲間を引き連れて、打倒魔王の旅を続けていた。勇者一行の移動手段は主に公共交通機関や徒歩である。一応全員免許は持っているけれど、誰も車は持っていない。

 どちらかといえば健全な善人である勇者は、その上で魔王を討ち倒さんとしているのだから、普通なら聖人として語られるべき存在であるはずだ。……が、彼には一つだけ欠点がある。それはパーティーを組んで旅をする彼にとっては致命的な欠点だった。

 その勇者は性欲が強い。オナニーは一日最低三回、毎日すると決まっていた。パーティーの男女比は二対二だった。

「勇者さん……!」

 彼が死にかけたのは、ある戦いの中でのことだった。

 魔王の手先、魔王軍幹部のうちの一人「ドウドゥルド・ドゥドゥル・ドル」の爆発魔法が勇者を直撃したのだ。仮に防御魔法が間に合っていなければ間違いなく即死であろう致命的な被弾に、敵の攻撃へ反応し切れなかった勇者の仲間たちは悲鳴を上げる。

 昭和の火薬の量をやりすぎた特撮の後みたいな爆煙が次第に晴れていくと、その中から勇者のシルエットが姿を現す。彼は無事だった。防御魔法が間に合ったのだ。痛みに耐える悲痛な表情を浮かべながらも、しっかりとした足取りでそこに立っている。

 しかしドウドゥルド・ドゥドゥル・ドル(長いので以下ドルと呼ぶ)の爆発魔法には、勇者の防御魔法をもってしても防ぎ切ることの出来ないすさまじい威力があったのだろう。……勇者は右腕を失っていた。彼の片腕は跡形もなく消し飛び、肩の付け根からは赤黒い血がぼたぼたと垂れ落ちている。

 それは一行が今までの冒険で見たことのないほどの、初めての深刻なダメージだった。……しかし、それでも勇者の心はまだ折れない。

「よくも……」

 勇者の悲痛な表情は、みるみるうちに憤怒の色へと変わっていった。

「よくも俺の利き腕をおおおおお!!!! 許さん!!!!!!!」

 右利きの彼は、迷わず左手で剣(特例的に銃刀法の対象外)を拾い握り直して、全集中的な気合いで全魔力をその刃に乗せた……!

「うおおおおおおおおッ!!!!!! アンダースロウ斬!!」

 その技名の通りアンダースローで振られた剣から、刀身よりも巨大な魔力の斬撃が飛び出す! それは勇者が子どもの頃、遠く離れた両親の実家へ帰省する際によく見た、高速道路の反対車線でばかりビュンビュン走る車よりも速いスピードでドルの体へたどり着き、憎きそれを綺麗に真っ二つにした。

 上半身のみとなって吹き飛んだドルが断末魔の叫びを上げる。

「こ、このドウドゥルド・ドゥドゥル・ドル様が、こんなところでええええええええ」

 息絶えたドルは灰となって風に散っていった。彼ほどの魔力を持った灰ならば、きっとそのへんで良い肥料になっていることだろう。

 いずれ征服する予定の地を出来るだけ壊したくない魔王と、自分たちの住む世界を出来るだけ壊されたくない人間たちの利害が一致して、勇者たちの戦いは基本的に、見渡す限りの畑か田んぼが続くような片田舎の中でもさらに人がいないような場所で行われているのであった。だから戦地へ赴く時はレンタカーを使う。

「勇者さん! 大丈夫ですか!?」

 戦いの決着を見届けた仲間たちが勇者に駆け寄る。自分たちの判断が遅かったせいで勇者に取り返しのつかない怪我を負わせてしまったとか、大体そんなような感じのことを三人の仲間たちが口々に詫びたけれど、勇者はもちろん彼らを責めたりしなかった。

「安いもんさ、腕の一本くらい!(シャンクスの声真似)」

 彼の物真似は微妙に似ていたので全員に伝わったが、誰も笑えなかった。ちなみに彼らが今いる県に海はない。

 

 

 

 

 

 

 激闘を終えた日のその後。適当なキャンプ場を無料で使わせてもらって、勇者一行はテントを建て泊まりの準備をしていた。

 バーベキュー用の食材はここへ来る前に東京で買い揃えていたが、こっちへ来てから寄った道の駅でもなんかテンションが乗ったのでアホほど買い込んだ。彼らにとってあらゆる物は無料だが、その費用は実際のところ国が負担している。もっと言うと、国民の血税が、今日はじねんじょに変わった。

「かんぱーい!」

 勇者と三人の仲間たちは思い思いのジュースで祝杯を上げる。未成年が一人もいない勇者一行のバーベキューに酒が出ないのは、明日からも打倒魔王の旅を続けなければいけないせいだった。コンディションについて念には念を押しているのである。……だからパーティーメンバー全員が魔王のことを地味に恨んでいる。逆に言うと彼らにさほど不幸な過去はなかった。

 勇者と魔王の戦いが始まる少し前のこと。日本に来てハンターハンターを読んだことで核兵器にビビり散らかしている魔王は、人間サイドがやばすぎる兵器の使用を禁止すると約束すれば、こちらも十八時~十時の間は人間に危害を加えないと約束する……という取り決めを持ち込んできた。そしてそれが成立したので、勇者たちはその点気兼ねなく祝杯を上げることが出来ている。

 炭火の明かりがメンバーを照らす中、僧侶ちゃん(パーティー参加時の本人の希望にて本名伏せ)が感慨深げに呟く。彼女は地声がアニメ声だった。前職は動画配信者である。

「いやぁそれにしても、これで魔王軍幹部も残すところあと一人ですねぇ」

 それを受けて魔術師ちゃん(僧侶ちゃんに合わせて本名非公開)が、使い捨てのプラスチックカップでファンタオレンジを飲みながら言う。

「早かったような短かったような……。あと一人倒して、それから魔王に勝てば、私たちの旅も終わりなのね」

 感傷に浸るような魔術師ちゃんに勇者が言う。

「楽しい旅だったな」

 彼の腕は、すでに魔法による治療が済んでいた。しかし魔力によって受けた傷は厄介であり、失った腕をそっくりそのまま元に戻すことまでは叶わなかった。勇者は隻腕になったのだ。

 だから一瞬、「楽しい旅」という言葉にその場の時が凍りつく。誰もが視界にそれを収めず、しかし確かに勇者の右肩を見ていた。

「楽しかったっすよ、本当」

 にかっと笑った武闘家くん(あだ名)が思い切って言った。そしてそれをきっかけに、

「キャンプも出来たしな!」

 と、勇者が冗談めかしてそう言うので、一気に場は和やかな雰囲気を取り戻した。

 武闘家くんはパーティーのムードメーカーである。どのくらいムードをメイキングしているのかというと、彼は「どうせタダなんだからいいところに泊まりたい」という女子陣に対して巧みなプレゼン術を駆使しキャンプを勧め、しぶしぶ「一回くらいなら……」と納得させたあと、彼女らをキャンプの虜にしたほどの男なのだ。伊達じゃない。そして彼の前職は誰も知らない。

「オレ、魔王倒したらやっぱ山買いますわ」

「えぇ〜? 武闘家くんってそんなにお金持ちだったっけぇ」

「稼ぐんすよ! 魔王倒した後って、なんか次の目標が欲しくなりそうな感じするでしょ?」

「目標か……。俺勇者なのに、なんで魔王倒した後遊んで暮らせないんだろ?」

「今遊んで暮らしてるからじゃないっすか?」

「一理ある」

「勇者さんこの前海の方行った時、わけわかんないサイズのタコ買ってたもんね。絶対自腹じゃ買わないでしょあんなの」

「あれは美味かった!」

「わたしはああいうぬるぬる系ニガテぇ〜」

「食ってる時はぬるぬるしないだろ! ていうかめっちゃ食ってただろ!」

 勇者パーティーが結成されてから現在二年目。死闘を切り抜けたからか、全員のコミュ力が高かったからか、とにかく今この四人はとても仲が良い。そして三人目の幹部を倒した今日も、いつもと同じように仲間たちとの楽しい夜が更けていった。そしていつも通りなら適当なところで宴を切り上げて、勇者一行は早めの眠りにつくのである。

 ……けれども、今回は日付が変わるような深夜になっても、炭の炎がまだ燃え続けていた。眠る時は火を消すことがキャンプ場のマナーであるし、それをうっかり忘れる一行ではない。

 つまり、勇者がまだ起きていたのである。

「くそ……どぅるどぅるどぅるどぅる気持ち悪い名前しやがって……あいつ……」

 ぼそぼそと独り言を呟く勇者。彼は右手を失ったことに、密かなショックを受けていた。

 するとある時、二つ建てたテントのうちの片方から魔術師ちゃんが出てきて、彼の隣に座った。勇者は人の気配を察知してすでに独り言を控えている。

「……眠れないの?」

「ちょっとな……」

 パチパチと鳴る炎が二人を照らす。……ところで、これはひょっとすると今まったく関係ない話かもしれないが、それはそうと勇者パーティーにはある鉄の掟があった。

 打倒魔王に向けた掟その一、パーティー内での恋愛禁止。その掟がある理由は、良好な人間関係を保つため。

「私でよければ話とか聞くけど」

「それはありがたい。ありがたい……けど、あんまり人に話せるようなことじゃないんだ。悪い」

「ふーん……」

 炎を見ていた魔術師ちゃんがチラと勇者の顔を見ると、一瞬だけ目が合ったあと、彼がものすごい速度で目を逸らすところが見えた。

「話変わるんだけどさ」

「おう」

「勇者さんってさ、私たちに隠し事してるよね」

「隠し事? それは……例えば僧侶ちゃんが名前を伏せたがっていることみたいな、そういう物のことか? そりゃ、俺にもそういうことくらいは」

「勇者さんはバレてないと思ってるんだろうけど、本当はみんな気付いてるんだよ?」

 突然、風が吹きすさび、燻ったような焚き火から火の粉が飛ぶ。頭上に伸びた高い木の枝たちがガサガサと音を立てて揺れて、次第にそれが収まると、二人を包む母なる自然らしい静寂が戻ってくる。その静寂の中には、かすかに虫の鳴き声もあった。

「気付いてるって? 俺は気付かれて困ることなんか」

「勇者さん一日に何回もオナニーしてるでしょ」

 魔術師ちゃんは、悪意があってそれを口にしたわけではない。だから勇者さんの背後にその一瞬で、サスペンスドラマみたいな崖際の幻影を感じた時は心を痛めた。

「……………………あと少しだろ」

「え?」

「あと少しで旅は終わる。……悪いけど、その話はなかったことにしてくれないか」

「そうして欲しいならそうするけど」

 クーラーボックスの中からカルピスのボトルを取り出しながら、魔術師ちゃんが言う。

「私なら、利き手がなくなって困ってる勇者さんを助けられるかもしれないって、そう思ったんだ。……思わなかったことにした方がいい?」

 武闘家くんと僧侶ちゃんはぐっすり眠ってしまった。残る二人は、夜の静かな森の中でほとんど二人きり……。そんな状況で、魔術師ちゃんが勇者の顔を覗き込みながらそう言った。

 それは、まったくの偶然だった。それは喉の調子とか元々の声質とかそういった様々な要素から生まれた偶然だったが、しかしその時の魔術師ちゃんの声音は、蠱惑的という言葉が似合うような物となっていた。

 結果その一言によって、さっきとは真逆に、勇者の中でだけ一瞬時が止まる。

 だから一方で魔術師ちゃんは、過去何度か見たことのあるような、そういった男の表情を目の当たりにした。空き巣に入られた自宅を見た時のような、宝くじの当たりを確認したら億が当たっていた時のような、顔も声も知らないインターネット上の知り合いが実は顔見知りの関係だったことに気付いた時のような……そんな顔。

 だから彼女は慌てて、釘を刺した。

「あ、悪いけど、変な意味じゃないから」

「え、あ、あぁ、分かってる。そりゃあな」

 勇者は早口になった!(テキスト表示風)

 その後、魔術師ちゃんの提案によって明日の予定が決まり、勇者は火の始末をしてから眠ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 読者の人々が知っている世界よりも、勇者たちの住んでいる世界では様々な物が発達している。そしてそれは例えば義手の技術がそうであった。

 知り合いに完璧な義手を作れる人がいる。昨晩魔術師ちゃんからそう言われたことで、勇者とその仲間たちはその義手技師のもとへ向かうことになった。特に魔王と戦うに当たって腕はあった方がいいし、勇者も人間なのでQOLは大切だし、今ならその最新技術で作られた義手さえ無料で手に入るようだったから。

 車で数時間走ってからようやく、如何にも……といったような、病院に似て真っ白い大きな建物に一行は到着する。

「研究所感すごいねぇ」

「確かに、絵に描いたようっすね」

「研究所感すげぇな」

「研究所感すごいんだよね、言い忘れてたけど」

 ともかく四人はその中へと足を踏み入れる。「勇者パーティー」というグループにしては珍しく、魔術師ちゃんが先頭を歩いた。

「待ってたよー!」

 長い廊下の奥から、背の高い一人の女性が早足で駆け寄って来る。

「!?」

 勇者はその女性を見て驚きにたじろぐ。なぜなら、白衣を着たその女性の胸が、映画「君の名は。」の予告映像で物議を醸した時並に揺れていたからだ……!

「いやー、(その)d……魔術師ちゃん久しぶり! そっちの彼が例の?」

「そう、勇者さん」

「初めましてー勇者さん! いやーお目にかかれて光栄光栄」

 彼女は勇者の左手を握ってぶんぶんと激しい握手をしてから、そのまま彼を引きずり「じゃああとは任せてー」と別室へ消えていった。勇者はバラエティ番組なら「どういう顔?」とツッコまれるような表情で固まったまま連れて行かれた。

「……え? オレたちはどうするんすか? これ」

「こういうのはカウンセリングから始まるのよ、ほら普通なら、もっとショック受けていてもおかしくない人を相手にするわけだから。幸い勇者さんはあんな感じだけど」

「へぇ〜、なるほどぉ〜」

「終わるまでの間、私たちでも退治出来そうな魔物と戦いましょ。危なくなったら魔法でここに帰るってことで」

「了解!」

「りょ〜かい!」

 ……というわけで、勇者は何か研究所感がすごい施設に取り残されたのだった。

 仲間三人がデイリークエストみたいな正義を執行している最中、魔術師ちゃんの言う通り、勇者はカウンセリングを受けていた。が、それは精神療法としての意味ではなく、義手を作る上での方針等を決めるための物だ。もちろん勇者に必要なのもそちらの方だった。

「一応、戦闘特化の物も作れるんだけどさ。やっぱり日常生活のことも考えたいよね」

 回そうと思えばくるくる回る椅子の上に足を組んで座りながら、例の白衣の女性が言う。

「あ、あぁ、そうですね、日常生活のことも……」

 勇者の頭の中に浮かんだ「日常生活」とは、いわゆる変な意味の方だった。

 彼は昨日、魔術師ちゃんのわざとやっているとしか思えない言い回しで勘違いさせられたり、自分が巧みに隠していると思っていた秘密が仲間たち全員に知られていたことを悟ったり、とにかく性的なニュアンスの漂う話題にメンタルを揺さぶられすぎたのだ。

「うんうん。そこでなんだけど、勇者さんが普段よくすることってある? パソコン使うよーとかスポーツするよーとか、いろいろあるじゃない? それを教えてほしいんだよねー、私たちはそういう話をいろいろ踏まえて専用の腕を作るから」

「えっ、普段? 普段ですか……。普段ねぇ……」

 今の勇者は、油断すると目の前の女性の脚に視線が吸い寄せられる。やはりというか、質問の答えにはオナニーのことしか思い浮かばなかった。聞かれるタイミングが悪い。

「どんな物が欲しいとかは言葉に出来なくても色々試すし大丈夫だから、どんなことがしたいのかを教えて?」

「ど、どんなことって……」

「……?」

 何か言わなければ。勇者はそう焦ったが、しかし今後の日常生活がリアルにかかっているので、ここで出任せの適当なことを言うわけにもいかない。

 彼は探り探り、凍った地面を歩くような緊張感を持って話す。片方しかない手はろくろを回すように宙をさ迷った。

「……あのー、こう、ですね」

「うん」

「自分が普段どんなことしてたかって、改めて聞かれるとなんかこう、思い出せないんですよね。そりゃいくつかは思いつくけど、なんか忘れてることがある気がしちゃうっていうか」

「あー、うんうん。分かるよー。……ところで魔術師ちゃんから聞いたんだけど」

「あ……」

 魔術師ちゃん。その響きが聞こえた時、勇者は「終わった」と思った。そう、彼が自分の性欲の強さを隠していたのは、仲間たちから白い目で見られることを避けるためだけではない。全ての人から、白い目で見られることを避けるためだったのだ。

 暴かれた秘密という物は病のように伝染していく。勇者にとってその病は魔王よりも恐ろしい物なのである。

「失望しましたか」

 技師の女性が本題を口にする前に勇者が言う。なぜか逆に、彼女を責めるような強い語気で。褒められた物ではないが、それが蔑まれるにしては哀れで必死な、彼の自己防衛だった。

 けれどその語気はくにゃりと受け流される。

「ううん、全然? 男の人はそういうもんだよーみんな。話しづらいかなーと思ってそこは暗黙の了解にしようかと思ったんだけど、勇者さんとはオープンに話した方が良さそうだねー」

「……す、すみません」

「ううん、いいのいいの」

 勇者は、魔王を倒した自分が大衆から全肯定的に持て囃される時のことを想像した。羞恥心から始まった現実逃避である。だが彼の場合、それはいずれ自分の力で、本当の現実にしてしまえばいいだけの想像だった。

 しかしそれはそれとして、人には「ヤケになる」ということがある。そして勇者も人の子だ。魔王が現れるまでは新卒として会社に務めていたくらいの人の子だ。

「それじゃあとりあえず自慰行為が出来る程度の器用さは保証するとしてー」

「あ、いや、それは別に大丈夫かもですね」

「え?」

「利き手の方はあまり使わなかったんですよ。そっちはパソコンとかスマホとか操作するのに使うので」

「あ、なるほどー。じゃあその調子で普段していたことをいろいろ思い出してみて。あとこれから戦う敵の特徴とかも知ってれば言ってみてね。何か力になれるかも」

「あー、次の敵はたぶん精神攻撃の使い手で……」

 それからしばらくの間、勇者の急速に開けっぴろげになったカウンセリングが続いた。喉元過ぎればなんとやらというやつなのか、酔っ払ってくると酒の度数の高さを実感しづらくなってくるような感覚なのか、とにかく彼のオープンさは唐突にフルスロットルとなっていた。

 そしてそのおかげで、義手制作の方針は迅速に決定した。一方で勇者はなんだかものすごく疲れていた。まだ新たに手にする腕の見た目も知らないままなのに。

 義手制作はある程度のことを人の手で終えると、残りの作業は機械によって行われる。技師は普通その作業が終わるまでの間に別の仕事をするわけだが、今回はたまたま暇だったのか、彼女は勇者にこんなことを聞いた。

「勇者さんって風俗行ったことある?」

「えっ」

 聞き間違いかと思った勇者は、同じ質問を再度受けて「二回も言わせてしまった……」と謎の罪悪感を抱えることになる。

「い、行きませんけど、そんなの」

「だよねー」

「そりゃあ勇者ですからね! そこは最後の砦ですよ……」

 無論、勇者が風俗へ行くならば、その費用は彼ではなく国が支払うことになる。風俗という物自体が社会に根付いていることから察してしかるべきなのかもしれないが、そもそも性欲という物がもたらす様々な影響は良くも悪くも強大であり、打倒魔王のために良き仲間が必要不可欠な勇者にとってそれが大きな問題の一つであることは、偉い人たちも承知していることなのだ。

 だが彼は変に生真面目なところがあるので風俗には行かない。じねんじょやデカいタコは買うけど風俗には行かない。だって勇者だから。ドラクエの主人公が他人の家のタンスを開けても風俗には行かないことと同じなのである。

 けれども技師の女性はそういうことが言いたいわけではなかった。

「あー、いやいやそういうことじゃなくて」

「じゃなくて?」

「魔王討伐なんて責務を担っている勇者さんならその分貰う物貰ってるだろうし、風俗くらい行き放題なんだから、自慰が出来なくても性欲処理は支障ないんじゃないのかなーって思っただけ」

「……あー」

 それは、風俗には行かないと初めから決めていた勇者にとって、今の今まで頭の中になかった発想だった。

 しかし彼はすぐに我に帰る。ぶんぶんと首を横に振って、「その手があったか」みたいな顔をやめる。

「いや、いやいや行きませんよ」

「そう? 真面目なんだね」

 褒められたのだろうけど、なぜか勇者はまったく嬉しくなかった。

 と、そんな話をしているうちに義手が完成する。勇者が思ってる五倍くらい早かった。早速取り付けてみる。

「どう?」

「これは……完璧ですね」

「おお、よかったー」

「でも……」

「でも?」

 勇者の手に入れた義手。それは、四十九個の「あ」の中から一個の「お」を見つけようとするくらい目を凝らせば肩との繋ぎ目が目立ってしまうことが欠点で、その他のことは元々の腕とほとんど何も変わらなかった。

 脳波を受信することで指先まで思うがままに動かすことが出来る。触れた物の感触までばっちり伝わってくる。左手の方で触れて確認してみると、義手の感触自体も本物の腕と変わらなかった。

「こんなすごい物作れるなら、さっきのカウンセリング必要でした……?」

「えへ! 一応ね!」

 純情を弄ばれた勇者はいたく傷ついた。

 

 

 

 

 

 

 最後の魔王軍幹部、フヨン・フナン・フロンとの決戦が開幕したのは、義手の件から三ヶ月の月日が過ぎたあとのことだった。

 前回の幹部、なんとかかんとかドルは、バキみたいな筋肉を誇るくせに魔法まで絶大な威力の物を使えるというシンプルに強い相手だった。それに対して勇者一行の前に現れたフヨン以下略は、縁の細い眼鏡をかけた神経質そうなモヤシ体型の男の姿をしている。だがそれがかえって一行に一層の警戒心を与えた。

 作戦はいつも通りオーソドックスな物で行く。勇者と武闘家くんは前線に出て、サポート担当の女子陣二名は後方支援のため早くも魔法の詠唱を始めた。

「アンダースロウ斬!」

 牽制を兼ねて、出力を抑えた勇者の例の斬撃が敵へ向かって飛ぶ。しかしそれが相手に当たることはなかった。斬撃を飛ばした瞬間、フヨンはすでにその場にいなかったのである。

 消えた……というどころの話ではなかった。勇者が剣を振り抜き終えた時には、フヨンはすでに勇者の頭を掴んでいたのだ。

「(!? 速いッ!)」

 ただ者ではないだろうとは思っていたものの、その警戒のさらに上を行かれた勇者は、すぐにその敵の手を振りほどこうとする。同時に、武闘家くんの拳がすでにフヨンの側面を捉えようとしていた。

 ……が、その攻撃が実際に命中することはない。手が振りほどかれることもない。今度は敵が速くなったのではなく、勇者一行の全ての動きが、ほとんど停止しているようなレベルのスローモーションになってしまったのである。

 思考だけは通常と同じスピードで行える中、勇者は必死にこの状況を打破するための方法を模索した。

「(奴の力は、速度を操る力か……? 魔術師ちゃんもその手の魔法は使えたはずだが、これはレベルが違いすぎる。向こうの速さに追いつけないのなら、ここはゲームの置き技の要領で……)」

「(聞こえているよ)」

「(!?)」

 フヨンの声が勇者の脳内に直接響く。

「(私の能力は精神に作用する物だ。今私たちは、意識だけが精神と時の部屋にいるような状態となっている。だから全てがスローモーションに見えているのさ)」

「(魔王軍幹部がドラゴンボール読んでんのかよ……!)」

「(読んでいる。常識だからな。この世界をいずれ支配するにせよ常識は必要だ)」

「(くっ……鬼滅の最終回読んだ……?)」

「(なっ、馬鹿やろう貴様、ネタバレしたらぶち殺すぞ!?)」

 自分の頭を掴み優位に立ったフヨンの顔は、事実上のスローモーションとなった世界では現在、得意げな笑みを浮かべている。しかしその表情に反して、頭の中に流れ込んでくる声は漫画のネタバレに死ぬほど慌てていて、思わず勇者は今の状況を笑った。もちろんそれは頭の中だけのことで、勇者の体自体はほとんど動かないけれど。

「(ネタバレしなくても俺たちを殺しに来たんじゃないのか?)」

「(いいや違うさ。私は君と交渉しに来たんだ、勇者くん)」

「(なに?)」

「(幹部を三人も倒されて、こちらも焦っていてね。正直、私も君に勝てる自信がないんだ。私の取り柄はこの力と、あとは素早く動けることくらいで、君たちに致命傷を与える手段に欠けている。……そこで提案があるんだが、聞くかい?)」

「(……一応聞くが、ふざけたこと言ったら鬼滅のネタバレするからな)」

「(殺すぞクソボケ二度とその話をするな。……あー、それでだな、私は人の記憶を見ることも出来るのだが……君はずいぶん性欲が旺盛なようだな?)」

「(うわっ、頭の中で直接そんなこと言われるの気持ち悪っ)」

「(さてそんな勇者くんに、こんな提案があるのだが、どうだろう。……お仲間のあの美女を二人、私の能力を使って君の言うことを何でも聞く女にしてやってもいい)」

「(……なんだと?)」

「(そして君が我が魔王軍に寝返るのであれば、君の選んだ女を何人でもそうしてやろう。…………おお? 記憶の中のこれは、君はこの女性が好みなのかな。白衣を着た背の高い女性だ。いいじゃないか、この人を君の思い通りにすればいい。魔王軍に来れば待遇の良さも保証する。その上で君は、巨乳、くびれ、美脚、この世の全てをそこに置いてきたようなお宝を手にするのだ)」

「(おい、ちょっと待て。……………………本当か? その話は……)」

「(誓って本当だ。そもそもこの能力は精神その物で会話をする性質上、嘘をつくことが出来ない。それは君の方も同じだが……。さぁ、答えはどうする?)」

「(……………………)」

 実質的にほぼ全てが停止した世界。その中にいる勇者の口元が、ほんの少しだけにやりと歪んだように見えた。

 二人だけのプライバシーが保証された精神世界。そこで勇者は、はっきりと答えを出す。

「(お断りだな)」

「ぐっ!? ぐああああああ!?!?」

 義手から放たれた電流がフヨンを直撃した。咄嗟に身を引いた彼は勇者の頭から手を離してしまい、その特殊能力が解除される。

 さらに怯んだ彼に向かって武闘家くんの拳が炸裂した。

「ぐはっ」

「今だ!」

 敵が体勢を整える前に間髪入れず、まずは僧侶ちゃんの弱体化魔法が命中する。彼女は僧侶ちゃんを名乗っているが、得意分野は回復とかよりもなぜか妨害とかそっち系の方だった。

 そして僧侶ちゃんの弱体化魔法により得意の超スピードを満足に発揮出来なくなった敵に向かって、魔術師ちゃんの特大暗黒魔法が直撃する。彼女はなぜかそういう物騒な魔法ばかりが得意だった。

「ぐっ!?!? う、うわあああああっ!?」

 暗黒に体のそこかしこを食いちぎられながらのたうち回るフヨンが、断末魔の代わりに疑問を叫ぶ。

「な、なぜだっ、どうやって攻撃した……!?」

「電気だよ。電気は人間よりずっと速く動くだろ? だからスローモーションの世界でもなんとか機能してくれたわけだ」

「くっ……あの女が作った義手か……しかしそんな機能があるとは記憶には少しも……」

「あぁ、俺もさっきまで忘れてた。そっちが来るまでに三ヶ月も経ったせいで」

「ば、馬鹿……な……」

「ドラゴンボールや鬼滅の刃もいいが、SPECを見なかったことを後悔するんだな……」

「な、何なのだそれは!? 人の死に際に興味を引くようなことを……くそおおおおおおおッ!!」

「…………」

 フヨン・フナン・フロンの体は跡形もなく消え去った。そしてまるで今は亡き彼に伝えるように、勇者が誰にも聞こえないようにその場で呟く。

「勇者が仲間を裏切るわけない。常識だ……常識……」

「勇者さ〜ん!」

 いぇーい! と僧侶ちゃんがハイタッチしてくる。そのノリで一行は全員揃って勝利を喜んだ。

 そしてその晩もまたキャンプが行われる。今回は澄んだ大きな川が近くを流れていたので、昼のうちに魚を釣っておいて夕方それを食べたりもした。四人で川釣りをした経験はもはや一度や二度では収まらないが、それでも今回も武闘家くんの目がキラキラしていた。

 夜になれば火を焚いて、眠る前に少し雑談をする。あとは魔王を倒したら本当に終わりだね、と哀愁の漂う話題を交えつつその日の会話も盛り上がり、月の光と焚き火の炎だけが四人を照らす中、誰からともなくテントに戻って就寝する。

 ……それが彼らのルーティーンなのだけれども、この日はまたいつまで経っても、焚いた炎が消えていなかった。

「……眠れないの?」

 三ヶ月前と同じように、勇者と一緒に魔術師ちゃんも起きていた。武闘家くんと僧侶ちゃんはそれぞれのテントで爆睡している。

「……なぁ、最後の幹部って、どう見えた?」

「どうって?」

「あいつ、俺の頭の中に直接語りかけてきてさ、話してる間、俺からは全てがスローモーションに見えてたんだ」

「あっ、そうだったんだ。私はただ距離を詰められたから電撃で反撃したのかと」

「やっぱりそう見えてたのか」

 炎の鳴る音に混じって、どこか頭上からフクロウの鳴き声が聞こえてくる。ホーホー……ホーホー……と、まるで、見ている者は常にいるのだぞと暗に主張しているように、その鳴き声はずっとそこにあった。

 炎の熱を受ける勇者の目の色は暗い。いつになく、暗黒のように。

「裏切りを提案されたんだ」

「え?」

「仲間の女を洗脳してお前の物にしてやるから、魔王軍に寝返れって」

「えぇ……そうなんだ」

「それで、…………俺は迷ったんだ」

「ええっ?」

「断ったけど、言い出せなかっただけなんだ、俺は。敵でも味方でも男でも女でも関係ない、言いづらいだろそんなこと。そうしたいってあいつに言いづらかった! それだけなんだよ……!」

 およそ勇者にはふさわしくない懺悔。それを彼は自分の中だけに押しとどめておくことが出来なかったらしい。

 そしてそれを受けて、勇者の仲間である彼女は、遠いのか近いのだか分からない昔に……ほんの二年前に勇者と知り合ったばかりの、暗黒魔法の使い手である魔術師ちゃんは……。

 彼女は、呆れたように笑ったのだった。

「はぁ……。そうなんだ、勇者さんは」

「…………」

「正直でよろしい。その正直さに免じて、聞かなかったことにしてあげる」

「……ごめん」

 その時の彼の気持ちがどんな物だったかは分からない。しかし確固たる事実として、この勇者は後に魔王を倒して世界を救うのだった。

 あとその後、武闘家くんと僧侶ちゃんが結婚する。

 


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