フレーゲル男爵転生   作:大同亭鎮北斎

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北門門外事件

帝国暦四八六年四月五日 リンベルク・シュトラーゼ地区クーリヒ家

 

『ええ、グリューネワルト夫人はご健勝であらせられるわ』

 ヴェストパーレ男爵夫人がTV電話越しにアンネローゼの無事を確言する。昨今ベーネミュンデ侯爵夫人が宮廷内でアンネローゼに害意を抱いているという噂が広がっている。無論根も葉もないことである可能性も皆無とはいえないが、数度にわたりラインハルト自身の暗殺をもくろんだベーネミュンデ夫人のことである、事実である可能性は高かろうと金髪と赤毛は見積もっていた。

 そのため、こうして時折姉の宮中における友人へと安全を確認しているのだ。なにせ、美貌を使って成り上がり、弟を出世させて傾国を為さんとしている妖婦と誤解されている(その実、ラインハルトの野望を鑑みれば全くの誤解とは言えないのではあるが、少なくとも本人にその意思はない)アンネローゼである。宮中に味方といえるのは烈女ヴェストパーレ男爵夫人、善良なシャフハウゼン子爵夫人、そして執事たるコルヴィッツとその妻程度のものであった。過去に軍内に送り込まれた暗殺者と異なり、宮廷内とあっては直接守ることもできないのが、ラインハルトにとってはもどかしいことであった。

 一安心したところで、男爵夫人は話題を転じる。

『ご存じ? 例の討伐軍は既にクロプシュトックを降したそうよ』

「ほう。あの寄せ集めの艦隊で、ですか。少し意外ですね」

 ラインハルトは閑職に置かれ、軍務省への出勤も義務付けられていない怪しげな地位にある。階級を駆け上がるごとき出世速度であり、同世代の知己もないことが情報収集を容易ならざるものとしていた。

 正規軍と貴族私兵による臨時編成の大部隊となれば、その実質は烏合の衆であること疑いなく、相応の覚悟で私兵を訓練し傭兵を揃えたうえで反乱を起こしたであろうクロプシュトック軍に敗北することはないにせよ苦戦程度は必至であると考えていた。半月程度は鎮圧に要するであろうとの見立てであったが。

『司令官のブラウンシュバイク公が命令系統の順守を厳命して、甥御の参謀長が正規軍の戦闘技術顧問の指導を忠実に実行させているそうね。伯父の威光を笠に着てるって、若手貴族たちにはたいそう不評なようだけれど』

「フレーゲル参謀長が」

 あの男、公爵の威を借る狐であるとはいっても、どうやら優秀な者の指導助言の類を受け入れるという、門閥貴族相応の器量は備えているようである。ただ暴走するだけの馬鹿ではなかったか。

『なんでも、命令違反で略奪暴行を働いた一門の貴族士官を射殺したとかいう話よ。「公爵閣下の命に背く一門衆など害毒にしかならぬ」って。仇討ちをしようとした貴族将校も出て最終的には戦闘技術顧問の返り討ちにあったそうだわ』

「おくわしいですね」

 愁眉が吊り上がった。これは醜聞に類する情報である。

『メックリンガー少将が教えてくれたのよ。以前の捜査協力の縁でブラウンシュバイク閥からのお声が掛かっているんですって』

「よろしいのですか、私などに教えてくださって」

『貴方にも伝えてほしい、とのことよ。いずれ縁あればよしなに、と』

 メックリンガー少将は先だっての爆破事件の際に准将としてブラウンシュバイク邸警備担当であった男である。その際に被害者の一人であったラインハルトと面識を得ていた。これは彼にとって「グリューネワルト伯爵夫人の弟」であるところのミューゼル大将の庇護下に入ることで、事件での責を負わされることを避けられるであろうという打算を含めたものであったが、その実フレーゲル男爵が「犯人特定の重要情報を上げた」メックリンガーを伯父の前で絶賛したため、かえって声望が高まり、討伐軍にも少将として分艦隊の指揮権を得ることとなっていた。この情報を知らせたのは、保身に利用しようとしたことへの彼なりの贖罪であった。

 

 通話を終え、ラインハルトは暫し黙考していたが、やがて入室したキルヒアイスに男爵夫人との会話を告げた。今回得られた情報は、彼にとっては瞠目を禁じ得ない内容が含まれており、親友にして腹心である赤毛の好青年と共有しておく必要性を感じたのである。

「キルヒアイス。あのフレーゲルめがどうしたことか、突然道義心と謙虚さを身に着けたようだぞ。いったいどのような情報の錯綜あってそのような評判が立つに至ったのか」

「満更誤報ではないやもしれません」

「ほう? お前まであいつめを評価するか」

 顎に手を当て、ラインハルトが続きを促す。

「クロプシュトック事件の際ですが、ラインハルトさまを発見する少し前に、現場で彼と行き会いました」

「初耳だな」

「ええ。私の方も忘れていたのです……そこでフレーゲル男爵は煙の中へ進まんとする私に警告を与え、その方向には誰もいないことを知らせてくださいました」

「あいつが?」

 視線が左上に向く。ラインハルトの明晰な記憶をもってしても、あのブラウンシュバイクの甥御からおおよそ好意に分類されうる言動を受けた覚えは一切ない。いかなる変節であろう。まさか伯爵位継承が内定したから自分を「同じ門閥貴族」として扱いだしたわけでもあるまい。もしそうであるならば、いっそ滑稽なことではあるが……

「その内容は事実でありましたし、ブラウンシュバイク公の名を呼びながらではありますが、犠牲者たちひとりひとりの生存を確認しておりました」

「フレーゲルめは頭でも打ったのか……」

「あぁ、確かに頭を打って流血しておいででしたね。思い返せば、立派なお姿でした。呼び止められ睨んでしまったこと、そしてラインハルトさまだけを探していたこと、今となっては恥ずかしいことです」

 この親友は掃き溜めにも美を見出す性質であるから、やや表現が過剰となっている疑いはあるが、それでもあの場において彼がその貴顕の血にふさわしい行動をとっていたことは間違いないことのようである。驚天動地だ!

「危機にあってその真価を発揮する性質の人間がいる。もしやあの男はそういう類の者であったのだろうか……」

「であるのかもしれません。もし今回顧問の助言を容れたのが事実であり、また果断に一門衆を処罰したことに偽りがないのであれば、この度の危機で彼は覚醒されたのでしょう」

「となれば今回参加した顧問や正規軍人からの忠誠を得られたやもしれぬ」

 優秀な人材が現れたのは歓迎すべきことであるはずだが、その出自からいえば自らの目指す覇道とは相容れぬ者であることは残念だった。しかも今回の討伐行でブラウンシュバイク公爵が元帥へと階級を進めれば、帝国軍内部にブラウンシュバイク元帥府という一大勢力が誕生することとなる。無視するには強大が過ぎる。

「退屈していたわけだし、やつめが闘い甲斐のある男へと脱皮を遂げたのであれば、望むところだ」

 それでもラインハルトにとっては、倒すべき相手が増えた、という程度のことにすぎなかった。少なくともこの時には。

 

 四月中旬には戦後処理を終え、官吏らに占領地を引き渡して討伐軍はオーディンへ帰還。ブラウンシュバイク公爵はフリードリヒ四世から元帥杖を授与され、ブラウンシュバイク元帥府をひらく。参謀長にフレーゲル男爵中将、提督にミッターマイヤー中将、ロイエンタール中将らを抱える大派閥の誕生であった。

 式典の後、フレーゲル参謀長がミューゼル大将と立ち話を交わしていたことを、幾人かの貴族が驚きをもち日記に書き残している。記述にいわく、フレーゲル中将はミューゼル大将にその姉グリューネワルト伯爵夫人に迫る危機を警告し、護衛を派遣することを提案し、丁寧に辞退されていたとのことであり、これを親切心によるものとするか脅迫ととるかは歴史家の間でも判断の別れるところである。

 いずれであるにせよ、五月一七日に懸念は現実となる。新無憂宮北門門外にて車列が襲撃をうけ、ヴェストパーレ男爵夫人が死亡。キルヒアイス大佐とグリューネワルト伯爵夫人が重症を負う。駆けつけたブラウンシュバイク元帥府警備兵により下手人は射殺。すぐさま明るみに出た黒幕たるベーネミュンデ侯爵夫人は翌一八日に死を賜ったが、被害は大きいものであった。特に当事者の一人、ラインハルト・フォン・ミューゼル騎士大将にとっては。


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