フレーゲル男爵転生   作:大同亭鎮北斎

5 / 10
西苑にて

帝国暦四八六年六月二〇日 新無憂宮西苑グリューネワルト伯爵夫人邸

 

 サンルームで、ベッドの上に横たわったままで客を迎えている。大腿に傷を負い、一時は立ち上がることもできなかったアンネローゼ様がからからと笑う。お顔はまだ少し青白い。その姿を私はやや下から眺めることしかできない。医師からは、このまま治癒が進めばリハビリを開始、いずれは車椅子への移乗が可能となるだろうと言われている。しかし、それ以上は保証できないとのことだ。

 ラインハルト様の覇道をお支えできないことがもどかしい。いつまでこんな状態が続くのだろうか。それとも……予備役編入、という文字が脳内にちらつく。

「おや大佐、どこか痛まれるか?」

「あらあらジーク、どうしたの? 先生をお呼びしましょうか?」

「いえ、大丈夫です。アンネローゼ様」

 すると、見舞い客として訪れた中将がアンネローゼ様を伺いながら問いかける。

「あぁ、その。本当にお邪魔ではないか?」

「ええ、フレーゲル男爵、お気になさらず。私は妹ができたようで嬉しく思っております」

「ほらにいさま、言ったじゃろう。わらわが着いてくる方が断然喜ばれると」

 美少女が断然じゃよ断然、と連呼していた。

「エリザベート、エリザベート。仮にも見舞いに来ている者の物言いではないよ、それは」

 いーっ、と彼女は口元をゆがめる。可憐な彼女は帝位継承権第二位、エリザベート様である。その性質は彼女の父に似て些か我儘にして尊大であるが、母に似た見眼麗しさにより臣民からも人気である。キルヒアイスもこの一月交流を持つようになり、世の令嬢のうちで二番目に美しいと思っていた。一番目は言うまでもない。

「さぁ、エリザベートさま。ポテトのパンケーキをいただきましょう。お口に合うといいのだけれど」

「アンネローゼの作る甘味はどれもみな口に合う。いやぁ楽しみじゃの! あにうえはゆるりとご同僚と話されるがよかろう」

「エリザベート」

「ふん」

 窘める従兄に鼻を鳴らし、彼女は片足を引きずるアンネローゼ様の背後を踊るようについていった。

「大佐、すまないな」

「いえ中将閣下。何度もお見舞いいただき恐縮です」

 フレーゲル男爵中将は、ラインハルト様を救った御仁である。以前は「典型的門閥貴族」としてラインハルト様の軽蔑の対象であったが、三か月前に爆弾テロで怪我を負って以降、めきめきと頭角を現している。

 先だってはアンネローゼ様に迫る危機を警告していた。かつて緩やかながら敵対していた相手であり、罠を疑って護衛は断っていたが、それでも襲撃が起きた後、元帥府から自ら警備兵を率いて駆けつけてくれた。多勢に無勢で敗れかけていたところであったため命を救った形だ。

「私が手当てをしたから、どうにも気になってしまってな。君たちにとってはしつこく感じておるやもしれぬが」

「滅相もございません」

 本来ならば軍病院に収容されるところであったが「伯爵夫人を守って負傷されたのだから、陛下もお許しになるはずだ」と男爵が主張し、宮廷内で医官から治療を受けることと相成ったのである。下半身が不随となったため、男性機能が失われており、それもこの件については有利に働いた。以来なし崩し的にここで療養生活を送っている。時折「療養中の滞在を認めた」という当の皇帝陛下がぬらりと扉の隙間から覗き込んでいることもあったが、つとめて気にしないようにしている。

「そうかね? 加えてエリザベートだ。伯爵夫人にやけに懐いている。伯父上には『新無憂宮西苑の習わしを知りたいので』と言っているようだが……あれは甘えられる相手を見つけて嬉しがっているのだ」

 伯父上は甘すぎるのだ全く、と腕をくんで唸っている。あのブラウンシュバイク公爵が「甘すぎる」とは斬新な意見だと思えた。

「アンネローゼさまも妹ができたようだと喜んでおいでですよ」

「それはよかった。いや、というのも今回はエリザベートのことで頼みがあるのだ」

「おや、なんでしょう?」

 サンルームの外、夏の気配を漂わせ始めた庭園を見やる。彼の目はしかし、その遥か彼方、宇宙空間を見るような遠い目であった。

「ミューゼル大将から聞き及んでいるであろうが、私は辺境の防衛戦に出征する。その間、エリザベートが公爵家家臣とともに訪問するやもしれぬが、どうぞ迎えていただけないだろうか」

 ラインハルト様からは聞いていなかった(どうにも、最近ラインハルト様は怪我の負い目からかお姿を見せない。残念なことである)が、コルヴィッツ氏との世間話で話題には上っていた。氏のことは当初「アンネローゼ様を拐った男」と思っていたが、なんのことはない、職務に忠実な男であり、アンネローゼ様に執事として忠誠を尽くす姿は立派なものであった。

「私は居候の身ですから判断すべき立場にはありませんが、きっとアンネローゼさまは諸手を挙げることでしょう」

 なにせ、数少ない友人の一人たるヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナ様を喪ったのだ。アンネローゼ様は時折表情に翳りが差している。エリザベート様のような陽性の気質を持つ友人を得られれば、多少なりとも気分は上向こう。今一人の友人、シャフハウゼン子爵夫人も頻繁に訪れ、エリザベート様とも良好な仲を築いている。

「感謝する。いや、彼女はああいった性格であろう? 伯父上より兄代わりを仰せ付けられた私としても手を焼いて……」

 ガシャーン、と階下からモノの壊れる音がした。

「おぉ……エリザベート」

 中将が頭を抱えた。

 

 キルヒアイス大佐は北門門外事件(通称グリューネワルト伯爵夫人襲撃事件)にて下半身不随の重症を負ってからの約一年半を、新無憂宮西苑で過ごした。義手・義足の技術が発達した当時においても、頚髄損傷は如何ともし難く、彼の前線勤務は生涯にわたり絶望的と目されていた。

 実際、軍務省では数度にわたり彼の予備役編入の事前審査が行われていた。それでも彼が現役軍人の座にとどまり続けていたのは、当時の複雑に絡み合った宮廷・政治事情による要請であったといえる。

 この件に関与したのはエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、ブラウンシュバイク元帥、そして皇帝フリードリヒ四世とそうそうたる陣容であり、彼らは各々思惑は違いつつも「キルヒアイス大佐を現役に留めるべし」と幕僚総監クラーゼン元帥に求めていた。近年公開されたクラーゼン元帥の日記には、慨嘆混じりに彼らの陳情(ないしは圧力)が綴られており、当時の軍内部の政治的状況を読み取ることができる。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。