帝国暦四八六年一〇月一二日 新無憂宮国務尚書執務室
「先だって超光速通信で報告のあった通り、叛徒どもは後方遮断を恐れティアマトから撤退。ブラウンシュバイク元帥府軍はヴァンフリート・アスターテ・ダゴン・ティアマトを長駆偵察してきた形となったそうじゃな。一兵も失わず、敵を退けたことは確かな戦略眼を裏付けておる」
執務室の主が苦々しい口調で言う。事実上の帝国宰相と見なされる国務尚書リヒテンラーデ侯爵は、軍内で勢力を拡大するブラウンシュバイク閥を不愉快に思っていた。
本来、軍を支配する帯剣貴族・帝国政府を運営する法衣貴族・地方を統治する領地貴族は互いに牽制しあい腐敗を避けるために独立していた。しかしながら度重なる軍の敗北により帯剣貴族が発言権とその実数を低下させ、ついに第二次ティアマト会戦「軍務省にとって涙すべき四〇分間」で残ったほとんどもヴァルハラへ旅立ってしまった。いまや、帯剣貴族で軍高官の席に座るのは宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥と幕僚総監クラーゼン元帥程度であり、軍務尚書エーレンベルク元帥は門閥貴族の、統帥本部総長シュタインホフ元帥は政府系の息がかかった存在である。
そこにきて、ブラウンシュバイク元帥の誕生とその功績である。リヒテンラーデとしては、シュタインホフと軍内勢力図の行く末について協議する必要が生じてしまった。いまだ後継を指名せぬままで皇帝の健康不安が浮上した以上、直接干戈を交えぬにしても五年以内の後継者争いは必至。軍事力は発言権の背景となる。
「統帥本部総長、忌憚なき意見を聞きたい。軍の政治的現状は貴官の目から見てどのようなものか」
「国務尚書閣下。軍内部は単純に派閥では割り切れぬ戦友同士の信頼関係などもあり、一概に断言することは難しいですが……現在のところ法衣貴族の勢力は弱体と判断せざるを得ません」
「軍務省官僚は法衣貴族が多数派を占めているではないか」
「実戦派の将校はほぼ領地貴族系と帯剣貴族系が独占。両者は戦場で友好関係を築いております。翻って我々官僚団は後方にあります。結束の面で劣ると言えましょう」
「ふむ」
いかな万事に知悉すると評判高い国務尚書であろうとも、こと軍事には疎いと言わざるをえなかった。シュタインホフがそう言うのであれば、そうなのであろうと判断するしかない。
「一朝ことあり、やつばらめが蜂起することあれば」
「はっはっは、面白いことをおっしゃりますな」
思わず顔をしかめる。なにも笑い話をしているわけではない。ブラウンシュバイク公爵とその甥が軍内で支持を拡大しているのは明白な事実。皇帝陛下が崩御し跡目争いが始まれば旗艦「ベルリン」の砲口が政庁へ向けられること、十分ありうることではないか。
「あぁ失礼。いや、そのようなことがあれば、小官はエリザベート姫殿下の下へはせ参じ、慈悲を請うしかないでしょうな」
「それほど状況が悪いと申すか……」
色を失い、悲嘆混じりに言葉を吐き出す。
「軍務省勤務の軍人の大半は、事務官です。閣下も事務官がいくらいたところで、装甲擲弾兵と戦えるとは思いませんでしょう」
幸い装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将は特定派閥に属さず、強いていうなれば「政治を軍に持ち込ませぬ」を信条に掲げる帯剣貴族らに近しい人物である。理由なく門閥に下ることもなかろうが、かといって「なまっちろい」軍官僚たちと共に行動するとは思えない男であった。
「なるほど、状況は分かった。何か打開策はあろうか」
「ふむ、ミューゼル大将を法衣貴族に取り込むことはできませなんだか。彼の姉の執事はコルヴィッツ騎士爵でしょう。帯剣貴族とも領地貴族とも距離を置いております。療養中の副官も平民出身で、御しやすいでしょう」
そう思えばこそ、幕僚総監ごときに借りを作ったのである。
「やつめをブラウンシュバイク元帥の対抗馬へとして育てようというのだな」
「ええ。幸い戦闘に突入しませんでしたため、軍費にはいささかの余裕がございます」
その余裕を作ったのがブラウンシュバイク元帥府であることは、いささか皮肉なことであったが。
「では、年明け頃ローエングラム伯爵家継承と同時に出兵させ、戦果をあげさせよう。どこぞ、手頃な出兵先はあるか」
「アスターテなどはどうでしょう。先だってブラウンシュバイク元帥府が詳細な測量を行っておりますゆえ」
こうなってくるともはや喜劇であり、ブラウンシュバイク元帥府はミューゼル大将に立身出世の機会を与えるべく出征を行ったかのごとき様相を呈している。
「ふむ、よいじゃろう」
ともかく、なんとかミューゼルを今まで以上に立身出世させ、ブラウンシュバイクの対抗馬とせねばなるまい。もとより門閥を憎む孺子のことである。さすれば自然と敵対関係を育むであろう。この時、神ならざる国務尚書は、金髪の若者が法衣貴族も憎しみの対象としていることを完全に失念していた。
帝国歴四八七年二月、自由惑星同盟支配領域のアスターテ星系へ、銀河帝国軍ローエングラム伯爵大将率いる二万五千の艦艇がジャンプアウトした。その参謀長はあらゆる戦術に通じると名高いシュターデン中将。指揮下には猛将ビッテンフェルトを筆頭にケンプ、ワーレン、ルッツと帝国軍の少壮気鋭と名高い司令官が配されており、帝国のアスターテ制宙権確保にかける本気をうかがわせるものであった。
対する自由惑星同盟も、この地を押さえられてはいよいよ要塞どころではなくなると、議会の決裁を得て三個艦隊を防衛に出撃させる。ムーア提督の第六艦隊、パストーレ提督の第四艦隊、そしてパエッタ提督の第二艦隊であった。パエッタ中将の幕僚には、後に銀河に歴史家提督として名を馳せるヤン・ウェンリー准将と、その参謀長となるジャン・ロベール・ラップ少佐がいた。
ローエングラム艦隊は、包囲殲滅の危機に陥りつつあった。三方から同盟艦隊が迫るなか、ローエングラム大将は正面に展開する第四艦隊へ突撃、パストーレ中将は懸命に応戦し、艦列へ突入したビッテンフェルト分艦隊に艦載機隊を発艦させ打撃を与えるも、旗艦レオニダスへの被弾により気密が破れた外壁から吸い出され戦死。指揮系統の乱れにより第四艦隊も壊滅の憂き目にあう。
掃討戦もそこそこに、すぐさま進路を変更し第六艦隊後方への襲撃を試みたローエングラム艦隊であったが、その背後に第二艦隊が食らいつく。親友パストーレを喪い復讐に燃えるパエッタ中将の猛攻であった。
当初第四艦隊への合流を企図したパエッタ中将であったが、幕僚たるヤン准将に理から、ラップ少佐に情から説得を受けた参謀長アーメド少将が「二倍近い敵の奇襲を受けた第四艦隊は絶望的である」ことを訴え、涙を飲んで仇討ちのため第六艦隊との合流を目指していた。一歩及ばずローエングラム艦隊による奇襲は許したが、ローエングラム艦隊は包囲された形になり、かえって有利に働いていたと言える。
ローエングラム大将は引き際を悟り、第六艦隊の右翼を掠める形で突進。第二艦隊は味方との衝突を恐れ減速し、追撃を断念。第四及びに第六艦隊の生存者救出へと移った。
この戦いはいずれが勝者であるか判然としないものである。帝国は分艦隊規模の戦力喪失と引き換えに正規艦隊を消滅させ、しかしながら戦略目標を果たせなかった。同盟はアスターテの制圧を辛うじて避けたが、一個艦隊とその人員を喪失した。
それゆえにこそ、両者は勝利を喧伝し、それにふさわしい英雄を必要とした。帝国において白羽の矢を立てられたのは、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵。彼は大将から上級大将へ昇進の上「アスターテの英雄」として皇帝陛下より直々に勲章を賜った。
一方、同盟では複数人の英雄がメディアにより神輿の上へと乗せられた。パエッタファミリーと呼ばれる集団――第二艦隊司令部幕僚――である。ジャン・ロベール・ラップ中佐は結婚式に記者一個小隊の突撃を受け、アーメド・サンジャル中将が乱闘を演じる騒ぎとなった。エルファシル以来となる注目を浴びたヤン・ウェンリー少将は援護と称し記者たちへ放水銃を放ち(命中はしなかった)遅れて到着したフォード・パエッタ大将はその物々しさで以て乱痴気騒ぎを収束せしめたが、彼らに注がれる好奇の目はより一層増すばかりであった。
アーメド中将は第二艦隊司令官に昇格し、ヤン少将はその参謀長となった。ラップ中佐は作戦参謀としてその補佐に当たる。グリーンヒル大将は統合作戦本部次長兼宇宙艦隊総参謀長の二つの重責のうち後者をパエッタ大将へ明け渡した。パエッタ大将はマスコミからこう呼ばれる。「アスターテの英雄」と。