帝国暦四八七年四月一二日 ブラウンシュバイク元帥府
「この計画は……卿らは近くこれが必要となると見ているのか」
「は。確かな筋より得た情報をもとに確信しております」
確かな筋、とは「原作知識」であるとは言わない。気が触れたと思われるだけである。第一にしてすでに世界は大きく解離している。双璧の不在でキルヒアイスが脱落し、パエッタ提督が英雄に……雪だるま式に拡大する誤差により、参考にできることは限られてしまっているのだ。
それでも、例えばカストロプ公爵の死と嫡男の反乱は変わらなかった。シュムーデ提督らの敗北はミッターマイヤーを鎮圧に出撃させたことで存在しなくなり、マクシミリアンはその軍才を発揮するまでもなく星系を漂うデブリとなったが。
即ち自然死事故死などは時期が変わらないということである。であるならば、今上陛下は一〇月中旬に、死者の館へと居館を移すこととなろう。
「しかし、これは……」
伯父上、ブラウンシュバイク公爵元帥が揺らす書類は「近衛司令部反乱時鎮圧計画書」である。虚飾を廃した言い方を用いるならば、新無憂宮ならびに中央官庁街の制圧計画書であり、更に直截な表現を用いた場合は「クーデター計画書」であった。
無論、軍務省も国務省制圧計画をオプションとしては用意しており、内務省も軍務省に対する社会秩序維持局による要人暗殺作戦を用意している。どころか、治安・武力組織のうち帝都に本拠をおくものはお互いに対するすべての制圧計画を用意しており、タフネゴシエーションではその存在がほのめかされることもあった。
そういったわけで、この書類も元帥府発足から研究されてきた計画書であるが、これに基づく動員準備を行うとなれば話は別である。警戒を受けるのはもとより、なにより資金がバカにならぬ。
だがこれは必要なのだ。リヒテンラーデ・リッテンハイム両侯爵とラインハルトへの対策として。そういったわけで、立案者のシュトライト少将、フェルナー大佐らと共に元帥執務室で直訴しているのである。
「間違いがあっては取り返しがつかぬぞ」
「覚悟の上です。しかし義弟たるリッテンハイム殿ならばいざ知らず、リヒテンラーデが全権を掌握することあれば、一門のみならず、エリザベート様までが死を賜ることとなるでしょう」
それを避けるためには先手を打つしかないことを匂わせる。説明はできないが、実際そうなったわけだ。
「リッテンハイムとなら手も結べよう」
「やつらと同じ旗は仰げますまい。ともに擁立せんとしているのは女系です」
ブラウンシュバイク王朝が立つか、リッテンハイム王朝が立つか。原作では両者が牽制しあううちにゴールデンバウムが延命し、そしてローエングラム王朝が銀河を統べるに至った。そうはさせない。むろんローエングラム朝は臣民には公平で公正な支配者であろうが、その宇宙にブラウンシュバイク家やフレーゲル家の居場所はないのである。帝国の権力の空白期を作らぬには、皇帝の死後直ちに全権を掌握する必要があった。リヒテンラーデに主導権をとらせるな、という話である。
「で、あろうな……このような決断を迫られるとは」
視線が左上を見る。思い出しているのはアマーリエ様との結婚か、フリードリヒの即位か。はたまた祖先が爵位を得るに至った故事か。
「公、黙認という形も可能です。さすれば万が一の場合、若様も無関係として、我ら臣のみが責めを負いましょう」
アンスバッハが言うと、伯父上は目を閉じ深呼吸をする。そしてゆっくり口を開いた。
「……ブラウンシュバイク一門の当主たるわしが、無能の謗りは甘んじようとも怯懦の烙印を捺されるわけにはいかぬ。ゆえに」
やはりだめか、と思う。ならばいっそエリザベートをつれ、開拓移民船にでも逃げ込むかとやや捨て鉢ぎみに考えを巡らせ始めたところで。
「わしの責任でことを起こす」
なんと。
「再びこのような博打に興じることとなろうとはな……!」
伯父上の目に、炎が見えた。
驚きつつ思い起こせば、彼は先の継承権争いでリヒャルト皇太子とクレメンツ皇子のどちらにもつかず、勘当された放蕩息子たるフリードリヒ四世へと忠誠を誓ったのである。ここ一番での大博打にはむしろ一日の長があるといってよい。いやはやなんとも。
「ヨアヒム、わしは娘に……いや、エリザベート姫殿下に銀河帝国を献上するぞ!」
フリードリヒ四世の平穏な治世の間は惰眠を貪っていた、眠れる獅子が目覚めようとしていた。
「フェルナー大佐、こちらが紹介したいという人物か」
「は。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐であります。お目通りがかないましたこと、光栄に存じます」
ぎらり、と両の義眼が光る。彼の両眼は先天的に光を映さず、生まれてより義眼生活を余儀なくされている。おそらくは、人物を推し量るためにわざと光らせているのだろう。
「オーベルシュタイン大佐、義眼の調子が悪いようだね。私も神経系の工学者に知人がいてな、よければ紹介しようかね?」
「……さすが大将。よくお気づきで」
機先を制されたオーベルシュタインが眉をつり上げる。その表情の意味するところが「驚き」か「警戒」かは判然としない。
「生来の疾患です。ルドルフ大帝の御代であれば『劣悪遺伝子排除法』で処分対象だったでしょう」
「なるほど、あれは悪法であるからな。次代の陛下は廃法とする労を厭わぬであろう」
「参謀長閣下」
「よいのだフェルナー。彼はわかって来ている」
「……」
「…………」
ルドルフ大帝への批判と、次代の陛下への言及。意味するところをわかったか、黙するオーベルシュタインをじっと見る。彼はやや困惑しているようにも見えた。
「そのためにこそ、この元帥府に参ったのであろう」
「は。やはりブラウンシュバイク家はお立ちになりますか」
「その必要があればな。密告するかね? さすればリヒテンラーデは卿を買うであろう」
「ご冗談を。朽ちた樹は取り除く必要がありましょう」
オーベルシュタインのまとう雰囲気が変わる。覚悟を決めたと見るべきだろう。彼の目標は黄金樹の伐採であり、どうやら我々ブラウンシュバイク一門は樵としての実力を彼に見込まれたようだ。ことが大逆に属するゆえ一蓮托生となるが、彼は簒奪の意思と行動をこちらが示す限り、裏切りはしないだろう。
「うむ。卿はミュッケンベルガー元帥の幕僚であったな?」
「は。イゼルローン要塞駐留艦隊司令部幕僚として転出を任ぜられております」
「近く元帥府への転属を命じられるよう、手配することを約束しよう。フェルナー大佐の同輩として切磋琢磨してくれ」
「ありがとうございます」
「それと……近く叛徒の攻勢があるだろう。要塞の弱点は、私が思うに要塞・艦隊両司令官の不和である」
「参謀長閣下は軍務省に編成の変更を注進したのだ。政治力学の観点から容れられんかったがな」
フェルナーが補足する。電子の視線を向けられ、肩を竦めた。帝国の歪みの発露のひとつである。このような醜態でなお国土を喪失していないのは、ひとえにイゼルローン要塞のハードウェアとしての優越性によるところであろう。原作通りならヤンの第一三艦隊の餌食となるが、第二艦隊は健在、その司令官はアーメド中将である。しかしその部下にはヤンとラップがおり、原作よりも危険にすら思える。
「ともかく、ゼークト大将には軽挙妄動を慎んでいただくように。コップが割れるようなことがあれば」
「中身をかき混ぜることもできませぬからな」
義眼が光った。
五月一九日、アーメド中将率いる自由惑星同盟宇宙軍第二艦隊は詭計を案じイゼルローン要塞に陸戦隊を突入させることに成功した。それは艦隊陸戦隊内の貴族出身亡命者を活用したもので、艦隊に追われた巡洋艦を装ったものであった。要塞駐留艦隊が迎撃に出陣するのと入れ替わりに怪我を負い要塞に逃げ込んだ艦長(の役回りを演じた陸戦隊員)は特命を盾に要塞司令官との面会を要求し、司令部へと搬送される。しかし、出撃反対を唱え艦隊司令部から連絡将校として要塞に残された(厄介払いに押し付けられた、と要塞側は考えていた)オーベルシュタイン大佐が形式に則った身分照会を主張。結果として司令部への彼らの突入は避けられる。
要塞奪取こそ果たせなかったものの、司令室近傍での戦闘が発生し、その余波で要塞主砲トールハンマーの発射管制が一時不可能となったことは同盟に有利に働いた。要塞砲射程へと後退し、一息ついた帝国軍はそのまま突進した第二艦隊に食い破られ壊滅の憂き目に会う。ゼークト大将もこの際に旗艦と運命を共にした。いよいよ入城かと意気込んだ同盟軍であったが、作戦要綱にあった要塞との通信が確立できず、第二艦隊は要塞奪取失敗を悟り撤退する。司令部は戦略的には無意味な戦いとなったと歯噛みした。
されど第七次イゼルローン攻防戦は、結果として同盟第二艦隊は陸戦隊内の決死隊を喪うのみで、要塞駐留艦隊を壊滅、要塞砲を一時使用不可能とした。これは長きにわたる同盟の攻城戦への研究が結実したものであり、もはや要塞の不落神話は過去のものとなったとみられた。アーメド中将は英雄としての名声を不動のものとし、年内の大将昇進が確実視された。近くロボス・シトレ両元帥が勇退、その後任にパエッタ大将とグリーンヒル大将が充てられることは周知の事実であり、その際には宇宙艦隊総参謀長の座につくであろうとの噂が多数派を占め、それは国防委員会の方針と矛盾するものではなかった。計画立案者ヤン参謀長は、再建中の第六艦隊司令官へと転出が内定。艦艇が定数を満たすまで暫定的に少将階級に留まり国防委員・戦史編纂室顧問となった。