フレーゲル男爵転生   作:大同亭鎮北斎

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一〇月一〇日事件

帝国暦四八七年一〇月一〇日 帝都オーディン中枢地区

 

 その日、帝都にはやや早い冬が訪れていた。前日から極地で発達した高気圧は帝都周辺での低気圧を招き、寒風と雪雲は冬将軍の指揮のもと新無憂宮へと突撃を敢行していた。雪はしんしんと帝都に降り注ぎ、黒と灰色に彩られた都市は白く染められていた。

 最初に事態に気づいたのは未明に参内した国務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵であった。勝手知ったる内裏であり、また国務の機密を扱うわけであるから護衛や警護もつかず、平素の如く参内し本日皇帝に仰ぐべき事柄を確認しようとした(とはいってもその大半は「よきにはからえ」と丸投げされるのであるが)老人は、薔薇の中に倒れた皇帝を見て「陛下!」と鋭く叫びながら駆け寄り、まずその顔を興奮で赤く、続いて衝撃で青くした。

 死んでいる!

 医学に造詣が深くないリヒテンラーデにも、白く冷えたフリードリヒ四世の躰はその活動を停止していることがわかった。急ぎ宮廷医オレンブルク医学博士を呼び、死亡を確認してもらわねばならない。その後全土へと崩御を伝え、国葬を経て服喪の期間を……と、そこまで考えて、次期皇帝の擁立へと考えが及ばざるをえなかった。候補となる皇孫は三人。亡き皇太子とメイドの間に生まれたエルウィン・ヨーゼフ、枢密院議長ブラウンシュバイク公爵元帥の娘エリザベート、皇帝顧問官リッテンハイム侯爵予備役大将の娘サビーネ。

 ローエングラム伯爵を元帥に上らせ、自派閥で囲っていたエルウィン・ヨーゼフを至尊の座へ戴くことが、当初リヒテンラーデ閥の思惑であった。しかし、皇帝の死が早すぎたのである。あと半年あれば、ローエングラム元帥府とブラウンシュバイク元帥府を嚙み合わせることができたものを! 動員計画をちらつかせるブラウンシュバイク公爵がこちらを排除しようとしていることは自明であり、パートナーには相応しからざることは疑いがない。

 リッテンハイム侯爵との協力……それしか選択肢はないだろう。彼も自領に多くの私兵を抱え、仮にも帝国軍予備役大将の身である。ブラウンシュバイク元帥府には敵わずとも、彼とシュタインホフら軍官僚をおさえれば、ローエングラムの孺子が方面軍を引きつれて帝都へ帰還するまでの時間を稼ぐことはできるだろう。女帝サビーネにはのちに従弟エルウィン・ヨーゼフと婚姻を結ばせ、帝国を盤石とする。

 そのためには、時間が必要だ。

 皇帝の死体を再び見下ろす。長らく仕えたお方である。ここにこうしておくには忍びないが……椅子にかかっていた豪華な刺繍の毛布を、皇帝にかける。暫し皇帝崩御の報は遅らせ、リッテンハイムと協力体制を速やかに締結、そののちローエングラムに命を送る。

 そこまでは、御辛抱下され。彼は脳内で皇帝へ呼びかけた。

 

 リッテンハイム侯爵オーディン邸の主の部屋に、深夜に光が灯った。それを伝える電波が、この一週間不夜城と化しているブラウンシュバイク元帥府に飛ぶ。

 

 大路で黒の軍服が列をなす。彼らは純白の雪景色を踏み荒らしながら、国務省ビルディングへと向かっていた。警備兵から誰何の声が飛んだが、両眼の義眼を光らせた大佐から「国務省に爆発物が仕掛けられたとの情報があった。ブラウンシュバイク元帥府が政府の要請により立入調査を行う」と告げられ、危険を理由に遠ざけられてしまう。ブラウンシュバイク元帥府といえば爆破テロ対策に力をいれており(その成り立ちからして納得できることだ)装甲車からは爆発物対策装備の擲弾兵たちが飛び出しており、どうやら事実であるようだと判断した警備兵たちは用意された兵員輸送バスに無防備にも乗り込み、提供されたホットコーヒーを飲んで暖をとっていた。早朝に出勤した(或いは残業していた)熱心な官僚たちも、優雅とはいえないまでも体の温まるティータイムに興じることとなった。

 宇宙港では鳶色の髪の大佐が、道路と鉄道を封鎖した。その名目は「荒天につき、皇帝特命を受けたブラウンシュバイク元帥府艦艇の連絡シャトルの発着を優先させるため」であり、実際にブラウンシュバイク私兵艦隊がヴァルハラ星系に大量にジャンプアウトする姿をレーダーで確認した職員たちは、疑念を抱くことなくその命に従った。帝国においてはありふれた「トラブル」であり、文句を言う旅行者などは存在しなかった。

 その他の官衙や貴族邸宅でも、ブラウンシュバイク元帥府所属の隊が突然現れ、封鎖・制圧・隔離などを遂行した。軍や政府の高官たちも、テロ対策としての保護を名目に武装した元帥府兵が周囲を固めた。元帥にして公爵、皇帝の娘婿――そして偉大なる英雄。ブラウンシュバイク元帥とその兵を疑うものはおらず、或いは疑っても銃を向ける勇気のあるものはおらず、なんら抵抗を受けることはなかったのである。遠巻きに包囲するに留められたのはリヒテンラーデ侯爵邸、リッテンハイム侯爵邸、装甲擲弾兵司令部、そしてオフレッサー上級大将邸のみであった。

 

 記録によると、新無憂宮の大門をブラウンシュバイク元帥、フレーゲル大将らが通過したのは午前六時四五分のことであった。オットー・フォン・ブラウンシュバイクに「皇帝陛下に急ぎ奏上すべきことあり」と言われ、その面会を断れる近衛兵はいなかった。司令官モルト中将からして、階級も位階も、そして皇帝の信も自分より上であるブラウンシュバイクに接するには十全な配慮を要したのであるから、貴族将校が中心の近衛などは言うに及ばずであろう。

 彼らは譜代家臣と帯剣した将官二名(のちに、ミッターマイヤー大将とロイエンタール中将であると明らかになる。フレーゲル大将が「オフレッサーを除けばオリオン腕最強の戦士たち」だと主張し同行が命じられた)で周囲を固め、新無憂宮内部を内裏に向かい突進のごときスピードで歩いていたとされる。いよいよ皇帝の居館の扉に手をかけんとしたブラウンシュバイクに待ったをかけたのは、やせぎすの老人、リヒテンラーデ侯爵であった。

「公爵、御用とあれば私がうかがおう。陛下は未だお休みであられる」

「ふむ……陛下をお休みにならせた、というわけだな?」

 リヒテンラーデは眉をひそめる。それでもたじろがないのは、帝国政府に長きにわたり君臨したこの老人の胆力によるものであった。

「ならせた……? なにか勘違いがあるようじゃが、陛下はお眠りなのだ。起きられれば謁見を行うよう手配する故、まずは一旦……」

「ヨアヒム」

「は。伯父上。間違いないかと」

 数拍にも満たぬほど、ブラウンシュバイクは瞑目した。そして眼を見開く。

「ど、どうされた公爵」

 今度ばかりは、さしものリヒテンラーデも怯みを見せた。

「リヒテンラーデ侯爵、陛下へ奏上すべきこととは他でもない」

 けげんな表情をする。ここにはブラウンシュバイク一派のほか、事実を知らず追ってきた近衛もいる。叩き起こされ、やや髪の乱れた近衛司令官モルト中将も問答の間にようやっと到着していた。

 カツン、と元帥杖が石畳を叩いた。そしてうなりを上げ、リヒテンラーデ侯爵の眼前に突きつけられる。

「卿へ畏れ多くも陛下弑逆の疑いがかけられている。わしは皇帝陛下より先だってその捜査を命じられ、ここへ報告すべく参内しておるのだ」

「そ、そのようなこと」

「そう。あり得ぬことだ。卿は陛下第一の忠臣。そうであるからこそ、秘密裏にわしが調査を命じられた……ヨアヒム」

「は」

 フレーゲル男爵大将が一枚の紙を筒から取り出す。その内容は確かに公爵の言と矛盾しないものであり、アルコール依存により震える手で記されたと思しき皇帝のサインと――

「玉璽が」

 その真正を示していた。自分たちが素通りさせていた国務尚書がそのような疑いをかけられていたと知り、青ざめた近衛兵たちがサーベルへと手をかける。ミッターマイヤー、ロイエンタール両将は、さりげなく体をフレーゲル男爵の前へと差し込んだ。

「では、陛下へご報告させていただく。御免!」

「ま、待て!」

 裏返った声で侯爵が言う。近衛兵の目が剣呑なものへと変わった。

「なにかな侯爵」

「陛下は、陛下は先ほど息を引き取られた。わしはそれを知らせるつもりで……」

「おや――近衛諸君、閣下は何時参内されたのかな?」

「三時間前であります。元帥」

 もはや逡巡は不要、とばかりに近衛達が滑らかに動き、侯爵を後ろ手にとらえる。サーベルを抜こうとする兵を、フレーゲル大将が制した。

「謀議に加わったものを見極めねばならぬ。尋問は元帥府で行いたいが、よいか」

「は……陛下の思し召しとあれば」

 侯爵は歯を食いしばり……そして項垂れた。数十年政府を支配した妖怪は、あっけなくその命脈を絶たれる。現場に居合わせた近衛兵ノイマン中尉の証言によればフレーゲル男爵はその時小声で「面妖なと思いビームを一閃すると、ぎゃっと声が響き古狸が倒れていた」と呟いていたとされるが、その言葉の意味は定かではない。

 

 一〇月一〇日事件、通称「新無憂宮の変」と呼ばれる事件は皇帝暗殺事件である。フリードリヒ四世帝は健康を崩し病臥していたが、その皇帝を側近中の側近と目された国務尚書リヒテンラーデ侯爵が弑した。犯行動機は皇位継承をめぐるものであったとされる。

 同年年始ごろ、皇帝は病床へ娘婿オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵を招いた。帝位継承権二位となるエリザベート姫を皇太孫とすることを伝えたのだという。リヒテンラーデ侯爵とリッテンハイム侯爵にもこれを伝えたため、手を携えて帝国を守るように、とのことであったと公爵は語る。

 しかしそれは裏切られた。リヒテンラーデとリッテンハイムは帝国の全権を掌握すべく、勤王家のローエングラム上級大将をイゼルローンに遠ざけ、シュタインホフ統帥本部総長と共謀して皇帝を立太孫前に排除することを計画。皇帝も察知しブラウンシュバイク公爵へと捜査を命じたが、一歩及ばず暗殺が成功してしまう。

 事態に気づいたブラウンシュバイク公爵は帝都を封鎖。シュタインホフ派部隊の蜂起を未然に阻止して都内の治安を維持したうえで、新無憂宮へ突入。皇帝の遺体を盾にとったリヒテンラーデを拘束したのであった。皇帝の骸を目にしたブラウンシュバイク公爵は「義父上の信頼に応えられなかった、かくなる上はヴァルハラへお供致す」と近衛のサーベルを引き抜いて自らの頸へ当て泣き崩れ、近衛たちに一時拘束されたとされる。その大袈裟さに演技であるともされるが、多くの史書で「ゴールデンバウム最後の忠義もの」と公爵が評されるゆえんだ。

 同日正午には全チャンネルで皇帝の崩御とエリザベート女帝の即位が宣言。臨時宰相となったブラウンシュバイク公爵は「恩赦」の形をとり同盟に対する全戦線での攻勢中止を命じた。一日後にこの放送に応じる形で同盟も攻勢を停止。百年ぶりに両勢力間での砲火が途絶えることとなる。また、公爵は行政改革として「ご一新」を発表。「劣悪遺伝子排除法」の廃法などが並んだ。文字通りそれは一新であり、「混乱のなかで紛失された」玉璽の更新とならび、ブラウンシュバイク王朝への移行を示すものであった。

 かくして帝国暦四八七年一〇月一〇日は、ゴールデンバウム王朝最後の日――そしてブラウンシュバイク王朝最初の日となった。


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