ドマイナーカプ。一夜の過ち永鰹です。
唐突であるが、人生において過ちを犯さない人間など存在するだろうか。
答えは無論、存在するはずがない。如何なる賢者、名君、聖人君子とて何かしらの失敗を犯している。人間は確かに地球上における霊長であるが、決して全能の力を持った神などではないのだから。
うん、まあ、何が言いたいかというとね?
「やばいやばいやばいやばいやばいやばい」
天音永遠は、日本においてトップモデルと称される美しい女性である。美貌とは一朝一夕で身に就くような単純な代物ではない。真なる美しさとは、日常の行動によって、少しずつ醸成されていくのだ。故に永遠の美貌に陰りがあることなど一日たりとて許されない。例え不意打ちでパパラッチに撮られてもポーズを決めることができると豪語する女傑はしかし、今ばかりはその言を撤回せざるを得なかった。
普段は血色の良い白磁のような肌は青白く染まりはて、腰ほどにまで垂らされた髪は幽鬼のごとく荒ぶっている。仮に今日が日常であれば、何の変哲もない清々しい朝であったのならば、こんな惨状はすぐさま修正されている。
だが、時には魔王と呼ばれることのある永遠であっても今ばかりは己の美貌に気を遣えるほどの余裕を持つことができなかった。
「……ふう──。落ち着け、落ち着くんだ私。さっきのはアレだよ。寝ぼけて見た幻覚に決まってる。だってこの私がまさかあんな外道となんて……」
目を覚ますためにパシリと両の頬を自らの手で強く叩き、焦燥に支配されていた感情を一度リセットした。そうして、現在進行形で余裕をもつことのできていない原因を今一度確かめようと洗面所から寝室へと移動する。
永遠は一人暮らしである。故に、家主である自分が起床した以上、ベッドに誰の影もあるはずがない。しかし、永遠の視界はばっちりとベッドに一人分の膨らみを捉えていた。
(……)
渋面の表情を浮かべ、眠っている相手が万が一にも起きてしまわないようにゆっくりとベッドに歩み寄る。
そして遂に膨らみの一歩手前の地点に到達した。掛け布団にくるまれた膨らみの大きさと微かに残っている昨夜の記憶から、起き抜けに見た顔が幻覚なんてものじゃなかったという確信を胸に抱く。
もう無理でしょ諦めて認めなよ、という雑念を彼方に追いやり、ベッドの膨らみの正体が同性の友人であることに一縷の望みをかけてそっと布団を剥ぎ取った。
永遠は、頬がピクリと引きつったことを自覚する。
そこには、十年来の親友である女性の姿はなく──すやすやと眠る可愛らしい顔立ちをした男性の姿があった。
その顔を、永遠は嫌というほどに知っている。ここ数年で知り合った友人であり宿敵であり同類である男──魚巨慧だ。彼は一糸も身にまとっておらず、産まれたままの姿をベッド上で晒していた。
これだけでも頭を壁に打ち付け、強制的に記憶を消去したいショック案件だというのに、より永遠の気を遠くさせるのは鼻を突く臭いと濡れたシーツの存在だ。
全裸の男性と独特な臭い、濡れたシーツ。起きた時は彼の横で永遠もあられもない姿を晒していたのだから、昨夜の記憶を疑う余地がなくなってしまった。
思わず目元を手で覆い、天井を見上げる。
「あー……ほんっとうにどうしようかなコレ」
ポツリと零れた呟きは誰の耳にも入ることなく、緩やかに振動を収めた。
▼▼▼
舞台は昨晩へと巻き戻る。
「というわけで、カッツォくん成人おめでとうー!」
「はいありがとう。……で、どういう魂胆なのさペンシルゴン。今度はどんな悪巧みしてるわけ?」
とある居酒屋の個室に二人の人影があった。
その内の1人であるペンシルゴンこと天音永遠は、輝かしいばかりの美貌にほほ笑みをたたえ、懐からおもむろに取り出したクラッカーを小粋に鳴らす。祝われた張本人であるカッツォこと魚巨慧はクラッカーの紙くずを頭から軽く払いながら疑わし気な視線を向けた。
「ちょっと私のコトを疑いすぎじゃないかな? 私は心から親友であるカッツォくんの誕生日を祝ってあげたくてだねえ」
「で、本音は?」
「カッツォくんが初めてのお酒に泥酔する姿とかスッゴイ面白そうじゃん???」
「オーケー、帰るわ」
流れるように慧が腰を上げた。永遠はそれを予期していたかのように、特に慌てることもなく言葉を続ける。
「ままま、そう言わずにさ。これだって経験だよ。このお店、完全個室制で情報管理も万全だから芸能人御用達だし、今後の付き合いのこと考えたら悪くはないでしょ」
「……まあ、確かに」
半ば浮いていた腰を下ろす。いままでにも仕事の付き合いでこういった場に来たことこそあるが、実際に飲酒をした経験は皆無だ。プロゲーマーとなっていなければ未成年飲酒という暴挙に出た可能性もあるが、顔が広く知れ渡ってしまっている以上、迂闊に飲酒などできる筈もない。結局のところ、近年の若者としては比較的珍しいことに、20歳になる今日この日まで飲酒というものを経験したことがなかった。けれど、心底美味そうに酒を胃へと流し込んでいくプロゲーマー仲間達の姿を見てきた以上、興味がないと言えば嘘になる。
それに、永遠に連れてこられた居酒屋の雰囲気も中々に好ましいものだった。
なんとなく、偏見として居酒屋というものは仕事帰りの酔っ払ったサラリーマンや大学生がたむろしているものだというイメージがあったが、この店は大分様相が異なっている。以前GGC後の打ち上げで訪れた雑多な居酒屋とは異なって完全個室性らしく、居酒屋というには随分と静かな空気が漂っていた。
成程、静謐とした空間といい周囲の視線に気を配る必要性がないことと言い、芸能人御用達というのも頷ける。眼前で笑う魔王への警戒心よりも、未知への興味が勝り、慧は初の飲酒を楽しむことに決めた。
無論、永遠が慧を居酒屋に誘った理由はそれだけではない。とはいっても、気心の知れた間柄とパーッと飲んで溜まりにたまったストレスを思う存分に発散したいというだけの単純な理由であるが。
普段は親友である百を誘うのだが今日は生憎都合が合わず、丁度誕生日だと小耳にはさんだ慧を引っ張ってきた次第だ。
「それにほら、最初の酒は信用のできる人と飲めっていうじゃん」
「信用のできなさから言えば間違いなく俺の交友関係においてトップクラスなんだけどね」
「失礼すぎやしないかな? 実際問題シルヴィアちゃんと飲むよりはかなーりマシだと思うよ」
「一応自覚はあるんだ……というかシルヴィアよりはマシって?」
「いやほら、もしかしたら二度と日本の土を踏めなくなるかもしれないし」
「え、怖……シルヴィアとの飲酒に一体何があるっていうのさ」
「飲酒事態になにがあるというか、飲酒の後に問題があるというか……まあ、そうならないための経験ってことで。今日はお姉さんの奢りだよ。潰れるまでのむぞーっ!」
何かを勢いで誤魔化すかのように酒が注がれる。なみなみと注がれたカラフルな液体に鼻を近づけると、子どものころに嗅いだ発泡酒よりも幾分か飲みやすそうな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「いやー、初のお酒で超絶美女のお酌が経験できるとはカッツォくんは果報者だねえ」
「中身が子ども向けゲームの魔王が裸足で逃げだすような邪悪フィクサーでさえなければ最高だったろうね」
「ゲームのラスボスを凌駕するほどの魅力があるって? カッツォくんありがとう。知ってる」
「畜生魔王に1人で挑むのは無謀だぞサンラクゥ……!」
「アッハッハッハ、がっつりお酒飲むのに未成年連れてくるわけにもいかないでしょー? でもサンラクくんが成人したらまた連れてこようよ。あのクソゲー中毒者がリミッター解除されたらどうなるのか素直に見てみたい。痴態も嘲笑いたいし」
「うーわ何それ、最高に面白そうじゃん。アイツ今十七歳だっけ? 予定調節しておかなくちゃな。ああ、そういえばこの間ペンシルゴンにお勧めのゲーム見つけたんだった」
「え、何々どんなの?」
「
「うわあ凄い。一ミリも中身聞いてないのにどんなゲームなのか大体予想がついたよ」
「変態的なまでにリアルさを追求した人体を使って芸術品を創れるんだってさ。血で絵を描くもよし、臓物で彫刻を彩るもよし。その冒涜的なまでの作品は人に忌避の念を存分に刻み付けるそうだよ。あ、因みに使用する人体は服毒自殺した恋人の設定ね」
「んー? 私ひょっとして怒った方がいいパターンかなこれ」
「でも好きでしょこういうの」
「まあ好きだけど。あ、店員さん日本酒追加で! あとお刺身くださーい!」
──夜は更けていく。
日ごろから饒舌な口は酒が入ることにより一層滑らかになり、それが双方に満足感を与え、加速度的に飲酒のペースが上がっていく。
「にしても、初めてのくせにお酒強いね。きっと明日の朝は地獄を見ることになるよ」
「そういうペンシルゴンこそ顔赤くなってるじゃん。二日酔いのことを言ってるならそっちこそ危ないんじゃない?」
「いやいや私悪酔いしないタイプだし。魑魅魍魎蔓延る芸能界で鍛えあげた私の蟒蛇っぷりを舐めないことだね。ゲームならともかく、お酒に関してはカッツォくんよりも断然私が上だよ」
「……へえ、俺が負けず嫌いなの承知な上でそれ言う?」
「お、イイねぇ。賭けでもする?」
「乗った。じゃあ俺が勝ったら女装画像全削除で」
「吹っ掛けてくるねえ! じゃあ私が勝ったらコラボ企画で女装男装写真集」
「ぬ……ぐううっ! ……いいよ。ここを逃したら今後チャンスなんて無さそうだ」
「オッケー、賭け成立だね! いやあ、フリフリの服を着て目が死んだカッツォくんを隣で見れるなんて最高に楽しみだよ」
「覚悟することだね。今日の俺はシルヴィアと戦った時より強い……!」
「それはプロゲーマーとしてイイの?」
──夜は。
「……らすとおーだー? カッツォくんどうするー?」
「まだオレはまけてない……つづけるよ」
「んじゃー宅飲みでいっか! ここから私んち近いしお酒買っていこいこ」
「のぞむところさ……!」
──更けた。
▽▽▽
「何言ってんの私……? 正気?」
慧が目を覚まさないよう静かに寝室を後にした永遠は、酔い覚ましも兼ねて冷水のシャワーを浴びていた。身体を伝っていく冷水をぼんやりと眺めていると、昨晩の記憶が鮮明に思い出せた。
酒を多量に飲んでいたのだから正気であるはずがないのだが、生憎彼女に自らの思考の矛盾点を突く余裕は残されていない。
(いや、確かに昨日は鬱憤晴らしも兼ねての飲み会だったしいつも以上に飲みまくったけど……ええ……)
宅飲みへと移行した後のこともよく覚えている。
持ち寄った酒が尽きたあたりで“そういう”雰囲気になり、酒によって理性の箍から解放された二人はベッドの中へ入ってしまったのだ。
酔っ払った年若い男女二人での同衾、何かが起こるのもまあ当然と言えば当然なわけで……
「昨日の自分を人間爆弾にしてやりたい……!」
だが、いくら過去を悔やんでも現状は好転しない。考えるべきは、これからどうするのかということだ。
(何も覚えてない振りでもする? いやいや流石に無理があるでしょ。軽いノリで話すのも悪くはないけど……そういう人だと思われるのも癪だしねぇ)
あーでもない、こうでもないと唸りながら今後の方策をまとめる。
結局、真摯に話し合う以外の良策が考え付かなかった永遠は気分転換も兼ねて軽く外を歩くことにした。
(カッツォくんもそろそろ起きたかな……)
歩いて五分ほどの距離にあるコンビニで買ったモーニングコーヒーを飲みながら帰路につく。ここ最近はシルヴィアの無敗伝説に泥を付けた功績もあって、碌に休めていないと話していたが、流石に八時にもなれば目覚めていることだろう。
自宅に到着した永遠は、その足で寄り道することなく寝室へ向かう。
ドアノブに手を掛け、覚悟を決める様にスッと息を吸った。決意が揺るがぬうちにと意を決して扉を開いたその先には──いかにも『やらかしてしまった』と頭を抱える慧の姿が目に入った。
永遠は『起き抜けの私とそっくりだな』という感想を抱きつつ、気持ち大きめに音を鳴らしながら扉を閉める。
音を辿るように頭を上げ、こちらを見上げる姿勢となった慧の顔は形容しがたい風に引きつっていた。それだけではなく、昨夜の情事を思い出したのか、顔が赤く染まっている。言葉を探しているのだろう、慧は「えーっと……」と呟きつつ両手を虚空に彷徨わせた。
永遠はその情けない姿に嗜虐心を煽られつつも、苦笑しながら言葉を掛ける。
「話したいことも色々あるだろうけどさ、色々買ってきたからとりあえず朝食にしない?」
がさりと手元のビニール袋を掲げる。スポーツドリンクに二日酔いに効く栄養剤やサンドイッチ等が袋から顔を出した。慧は結局言葉が思いつかなかったのか、こくこくと従順に頷くだけにとどまった。
シャンフロアニメ化めでたいですね