PERSONA5:The・Determination   作:Ganko

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嵐の前

四茶の駅から地上へ出たと同時に振り始めた雨から逃げるようにして、私はルブランへと駆け込んだ。濡れ鼠になった私を苦笑いで出迎えた惣治郎は、手に持っていたふかふかのタオルを投げてよこしてくれた。

 

礼を言い髪を拭きながら二階へと足早に上ると、本来なら憩いの場であるその空間は一時的に生徒指導室のような空気に満ちていた。

 

「ごめんなさいね。突然呼び出して」

 

部屋には、真、雨宮、モルガナ、そして私の四人。双葉は上手く真の目をすり抜けることが出来たようだ。…そして、どういう経緯かは知らないけれど、私もここに呼び出されたということは、真は私がここで生活していることを知ったということになる。大方雨宮から直接聞きだしたんだとは思うけど。

 

「色々とあなた達には聞きたいことがあるのだけど、今日は本題だけ話すわね」

 

私がソファに座ると同時に、同じく姿勢よく椅子に座った真が話し始める。

 

「鴨志田先生の件についてよ。もちろん覚えているわよね?」

 

「…ああ」

 

雨宮がチラリと私を見て、短く答える。

 

「それなら、貼り紙があった日のことも覚えてる?」

 

「多少は」

 

「そう。わたしはね、あの貼り紙を実際に貼った人を探しているの。心当たりはないかしら」

 

さながら、尋問のような口調と鋭い目つきで雨宮を問い詰める真。だが、雨宮は特に狼狽える素振りも見せず、かぶりをふる。流れるように私へも視線が向けられるが、無言で否定。

 

「率直に言うと、わたしは雨宮君があの件に関わっていると思っているの」

 

「どうして?」

 

「あなたと鴨志田先生との間には少なからず因縁があったはずだし、それに、同じく鴨志田先生の被害に遭っていた生徒とも、転校したばかりにもかかわらずあなたは交流を深めていた」

 

「竜司と杏のことを言っているのなら、ふたりはただの友達だ」

 

「その二人だけじゃないわ。喜多川祐介もよ」

 

真の口からその名前が出たのには多少驚いたが、私はいつまでたっても決定的な証拠のようなものが出てこないことに違和感を覚えていた。記憶では、坂本が街中で口を滑らせた内容を録音し、動かぬ証拠として怪盗団に突きつけてくるはず。

 

もし証拠を握っているのならさっさと提示してしまえばいい。それをしないということはつまり。

 

「鴨志田先生の時とよく似た状況で、斑目一流斎は罪を自白した。そしてあなた達は、その斑目の弟子だった喜多川祐介とも交流がある」

 

「たまたまだ。確かにそういう共通点はあっても、それとあの予告をしたっていうのを結び付けるのは、少し無理があるんじゃ」

 

雨宮の反論に、あまり突かれたくない部分だったのか真は少し苦い顔をした。

 

でも、真ならそんな反論が来ることぐらい予測済みのはず。それでも真の反応が芳しくないところを見るに、れっきとした証拠はないが賭けで突撃してきたのかもしれない。

 

真らしくないとは思わず、むしろこの無鉄砲なところも真らしさと言えると、私は思っている。

 

明晰な頭脳をもって緻密な計算を組み立て、確実な成功を手にする…そんなイメージを持たれがちなこの生徒会長は、実のところかなりの行動派かつ、突拍子もないことを平然とやってのける豪胆さも持ち合わせている。

 

でも今回ばかりは彼女も相当追い詰められているようで。

 

「鴨志田先生の時も斑目のときも、あなた達は妙な部分で繋がりがある。時期も重なっているし、いくら証拠がなくても疑われるのは当然と思わない?」

 

「疑うこと自体は構わない。だが、俺たちは関係ないとしか答えられない。…それだけだ」

 

「…関係ない、ね」

 

「そもそも、何故会長がそんなことを調べてる?こんな風に、直々に話を聞いて回ってまですることか?」

 

「それは…もちろん、生徒会長として学校で起きた事件を整理するためよ。あんなお騒がせな事の真相が謎のままじゃ、他の生徒にも余計な混乱が生じてしまうわ」

 

真面目なこった、とモルガナが茶化す。

 

とはいえ、このままでは話は堂々巡りを抜け出せそうにない。雨宮もそう判断したのか、話を切り上げ真を帰そうとするが、当の本人はまだ粘る気らしい。

 

「これ以上追及されるとまずいことでもあるのかしら?」

 

「そう言う訳じゃない。でもこんなの時間の無駄だろう」

 

「そうでもないわ。それに、わたしが聞きたいことはまだ残っているもの」

 

そう言って真は立ち上がり、雨宮が普段使用している作業机へと近づいていく。

 

それを見てモルガナが焦ったように机に飛び乗るが、既に遅い。

 

「普段、ここで何をしているの?」

 

相変わらず、真の言葉の端々には揺るぎない自信のようなものが感じ取れた。絶対に大丈夫、そう尋問される側が思っていても、そういった態度で向かわれると思わぬぼろを出しやすいもの。

 

おそらくは真にとってもシミュレーション外だったはずのこの展開において、優位なのは追われる側の雨宮ではない。

 

「勉強したり、趣味でモデルガンを弄ったり」

 

「モデルガン?どこにあるの?」

 

上手く躱したな…と内心で感心しつつ、作業机の上に置かれたドライバーやレンチの類を持ち上げる真を観察する。

 

雨宮はしぶしぶといった風を装い、普段使っている武器のレプリカを収納…もとい隠しているダンボール箱を、棚の上から下ろした。

 

「これだ。一応、取り扱いには気を付けてくれ」

 

「ええ。分かってるわ」

 

気を使っているふうに受け取られても良いし、マニアなんだなと思わせてもいい。さりげなく、触りすぎるなと伝えながら、雨宮は真の追跡をどうにかかわそうと言葉巧みに立ち回っている。…で、私はそれを面白がりながらただソファに座って眺めている。

 

「え…?」

 

箱を開けた真は一瞬驚愕し雨宮の顔を見るが、雨宮は気に留めずに見たいなら見ろと手で示す。

 

「これ…本物じゃないわよね?」

 

「そんなわけない」

 

おそるおそる、箱の中から一丁の拳銃…のモデルガンを取り出した真は、まじまじとそれを眺め始めた。真がそういうのも無理はなく、それは雨宮が岩井から直接の取引で手に入れた特別カスタムされた代物。

 

箱の中身に本当にモデルガンが入っているのを見て少し落胆したように見えた真だけど、今は少し目が輝いているように…見えなくもない。内心ちょっとテンション上がってるのかも知れない。

 

しかし、あの新島真がそんなことで本分を忘れるわけはない。一通り銃を確認したのち、今度は作業机の脇に掛けてあった布袋を確認しようと振り向いた。

 

…が、既にその袋は一匹の黒猫と共に元あった場所から姿を消していた。

 

「あら?」

 

「どうかしたか」

 

「…いえ。ここにさっきまで袋が提げてあったと思うんだけど」

 

「そんなものあったか?」

 

協力を仰ぐような目をした雨宮がこちらに話題を振ってきたので、「さぁ?」とだけ答えてやる。別にどう転んでも構わないから、私は中立の審判係である。

 

ちなみに、あの袋には異世界で使う用の煙幕やキーピックなんかがごろごろしていた。さすがに使用用途を説明できないし、追及されたら言い逃れはできなかったかもしれない。

 

けれどとにかく、この場所にあった非日常を感じさせる要因はこれでほとんどなくなった。

 

真はそれからもしばらく部屋の物色していたが、揺さぶれるようなものを見つけることはできなかったらしい。

 

「…どうしても認めないのね?あなた達が犯人だと」

 

「認めるも何も、違う。それ以外に言えることは無い」

 

「そう。…分かったわ」

 

小さく聞こえないように吐かれたため息とともに、真は踵を返して階段を下りようとする。その背中からは、さっきまでの自信は少しも感じ取れないばかりか、ちらりと見えた横顔からは焦燥しか感じなかった。

 

階段を下り惣治郎に軽く会釈すると、扉へ手をかける。

 

「おじゃましました。また来ますね」

 

平面上は平気そうにそう言い残した真は、通学鞄から折り畳み傘を取り出して、雨の降る外へと出ていった。

 

それからしばらくはいつ忘れ物を取りに戻られてもいいように気を張り続けていたが、数分して双葉が家からやってきたのを皮切りに雨宮とモルガナは肩を落とす。

 

「お前ら、なんか会長さんに目付けられるようなことしたのか?」

 

脱力しルブランのソファに体を預ける雨宮とモルガナを見て、惣治郎が訝しげに聞いてきたので私が答える。

 

「別に。学校でも怪盗騒ぎがあったから、聞き込みしてるみたい」

 

「ならいいけどな」

 

ところで…、と惣治郎が続ける。

 

「双葉、お前…どうしたんだ?」

 

「なにが?」

 

雨宮の席を挟んで隣のソファに寝っ転がっている双葉を見て、惣治郎は心底不思議そうに目をぱちぱちさせていた。

 

「なにがって、お前…。つい昨日まで家に引きこもってただろ。それがなんで急に…」

 

「悪いか?」

 

「いや……」

 

普段は私や雨宮に対して厳格な態度でいる惣治郎だが、やっぱり双葉の前だとタジタジである。惣治郎からすれば、長年外出すらままならなかった人間がいきなり家を出ていて、しかも他人と普通に話しているのだから驚いて当然ではある。

 

「子どもの成長は早いもんなんだよ、惣治郎」

 

「お前いつから俺の事を惣治郎って…いや、まぁいいか…」

 

困ったように頭を掻きながら、いつもの定位置であるカウンターの裏へ戻る惣治郎。

 

よく分からないといった風でも、やっぱりどこか嬉しそうに見えた。惣治郎にとっては、きっと自分より大切に思っている存在の双葉が、少なくとも今までよりは明るく、元気な姿を見せてくれているのだから。

 

「なぁ蓮、連絡先もらってもいいか?」

 

「かまわない」

 

…だからこそ、全国の娘を持つ親よろしく、その交友関係には案の定敏感なようで。

 

「お、おい双葉。そんな簡単に知らない男と連絡先交換するもんじゃ…」

 

「知らないわけじゃない。それに、綺羅の友達なら大丈夫だ」

 

「…今回だけだからな。積極的に活動することは止めねぇが、くれぐれも気を付けるんだぞ。お前は色々とブランクがあるんだから…」

 

「あー!もう、分かってるって!そもそも、わたしだってそんな急に変われないってば!」

 

双葉はそう言うが、惣治郎からすれば既に十分すぎるほど“急”な変化な訳で、喜びもあれむしろ心配になる気持ちは私にも分からないでもない。

 

…それに、急な心変わりであることは紛れもない事実だし。

 

双葉のパレスが特殊なこともあって、今回は双葉に対して“予告状”を渡していない。

 

おそらく惣治郎に私たちが怪盗であることが知れることは無いだろうけど、本当にそれでいいのかは私には分からない。どこかのタイミングで明かした方が、惣治郎にも迷惑がかからないかも。

 

そのあたりは、後々雨宮と相談すればいいか。

 

「だから、これからはここにいるメンバーで対人訓練していくから。よろしく」

 

「お、おう…。お前がいいならいいけどな」

 

「もちろんそうじろうにも手伝ってもらうからな!皿洗いぐらいならできると思うし」

 

「店に立つつもりか?」

 

雨宮の問いに、双葉は強く頷く。

 

「…いままで散々迷惑かけたし、挽回していかないとな」

 

小さなつぶやきではあったものの、その言葉には確かに決意が宿っていた。そこに多少の憎しみが混ざっていたとしても、それはとても立派な決意である。自らの足で歩くという決意は、誰もが当たり前に感じている分難しいことでもある。

 

照れ隠し代わりに、双葉は隣にちょこんと座るモルガナの頭をくしゃくしゃにして猫パンチの報復を喰らっている。

 

そんなほほえましい光景から惣治郎は目を逸らし、眼鏡を外して目元を拭っていた。

 

おやおや。

 

「おやおや」

 

しまった。心の声が漏れてしまった。

 

「しまった。心の声が漏れ…」

 

二やついた顔で覗き込む私を煩わしそうに振り払った後、惣治郎は一つの紙切れと一緒にタオルを顔面に投げて寄こしてきた。

 

もちろん余裕で回避したその後ろには雨宮が居て、勢いを失ったタオルはそのままポスりと腕の中におさまる。タオルにくるまれた紙にはこう書いてあった。

 

・にんじん

・たまご

・たまねぎ

・牛肉

・チョコレート

 

「買ってこい。おつかいだクソガキ」

 

…酷い言われようだ。ちょっと茶目っ気を出しただけじゃないか。

 

「そのチョコはお前用でいいから」

 

「行ってきます」

 

気に食わない私の顔を見て、惣治郎は吐き捨てるようにそう言った。それならば話は変わってくる。

 

惣治郎からお金を受け取った私は、似つかわしくない甘酸っぱい空気の漂うルブランを勢いよく飛び出した。

 

 

翌日…6月16日 木曜日 放課後

 

今日の日直がホームルームの終了を告げ、教室内は下校する生徒や部活へ向かう生徒でごちゃ混ぜになる。

 

それまで寝ていた私は眠目をこすりながらも、忘れずにいた約束のため今日も図書室へと向かう。

 

あくびを噛み殺して廊下を歩いていると、昨日お世話になったばかりの生徒会長様の姿が目に入った。ずいぶんと疲労し切った様子が何となく気になり、行く先を見届けていると、真は校長室の扉をノックしてその中へ入っていった。

 

「はろー!妻木さん!…って、今日は忘れてないよね?」

 

ぼーっと眺めていた私の後ろから、秋山が無礼極まりないセリフと共に現れた。これから私は昨日に引き続き、彼女との勉強会に放課後の時間を費やすつもりだ。

 

「忘れてないよ。行こうか」

 

 

図書室の丸テーブルに並んで腰かけ、ペンを片手にノートと向き合う秋山玲央の横顔をまじまじと見つめる。その表情は真剣そのもので、目標を達成するために努力している雰囲気は感じられる。

 

その目に、余裕はひとかけらも映っていない。姉と同じ大学に行くという目的の割には、少し度が過ぎる真剣さのようにも思えてしまう。私は、秋山と姉の関係を少しも知らないんだから当然のことなのかもしれないけど。

 

自分と、自分の両親との関係を、大半の人間が知らないように。

 

「…あの」

 

「なに?」

 

「そんなに凝視されてると集中できないって」

 

それにしても、やっぱり見れば見るほど秋山は不思議な存在だ。私みたいな人間とかかわりを持つような要素は、これっぽっちもなさそうなのに。

 

「気にしないで」

 

「無理だって」

 

外面的にも内面的にも、彼女に目立つ要素は一つとしてない。

 

それに、と私は初めて秋山と会った日の記憶を無理やり脳の底から引っ張り出す。

 

雨宮に教えられた通り確かに、私と秋山が初めて言葉を交わしたのは試験結果が発表された日の事。私のテストの点数を見て、教えを乞いに来たんだった。

 

「あなた、自分で思ってる以上に目力あるからね?見られてる側はとても気が散るからね?」

 

「…」

 

「なんで目逸らさないのよ…」

 

思い返してみても、やっぱり始まりはなんの変哲もない出来事だった。当たり前なのかもしれないけど…。

 

それに、そう。私が昨日秋山の存在を覚えていなかったのも、出会いが地味だったことが原因ともいえる。…こういうとやや語弊があるような気がするが、私は“自分の目標”を達成するため、怪盗としての日々を過ごしている。つまり、それに関連しないことに興味はさほど湧かないのである。秋山の名前を完全に忘れ去ってしまっていた程度には。

 

「いいから手動かして」

 

「わ、わかったけど…」

 

二度目の出会いの事も思い出した。私が一人で夕食を摂っているときに、突然現れて今回のような勉強を教える機会を約束したんだった。これもまた、やっぱりなんてことないきっかけだ。本当に、彼女はこの世界のことになんて関わっちゃいない。いてもいなくてもいいモブ。

 

それなのに私は、彼女の願いを聞く選択をした。ここで得たつながりなんて、どうせ一年後には無くなってるのに。

 

本当に、無駄な時間だ。

 

残された時間は、そう多くないのに…どうしてこんなにも、彼女に気を逸らされているんだ?

 

と、そんなことを考えていたその時、図書室の扉が静かに開かれ、廊下側からとある人物が顔を見せた。

 

件の、新島真である。

 

別に目立った行動もしていないのに、図書室の中の生徒が一斉に姿勢を正し場の空気はピリッとした刺々しいものに変わる。が、秋山は大してそれには動じず、一瞥をくれただけで再びノートに向き直った。集中したいだけかもしれないが、案外物怖じはしないタイプなのかも。

 

「ねぇ妻木さん。ここなんだけど…」

 

秋山の質問に私が答えている間に、真は私たちが座るテーブルとは違う、別の丸テーブルに腰かけて勉強セットを取り出した。色々面倒を押し付けられているはずだろうに、それでも勉強はしないといけないんだな。

 

「あ、というか、今日聞こうと思ってたんだけどさ」

 

「うん?」

 

「妻木さんが使ってたノートとかって、ある?昔のでもいいんだけど」

 

「ない」

 

「え…」

 

「いや、ノートは使ってたけど。もう捨てちゃった」

 

「えー勿体ない…!まぁ、無いものは仕方ないか」

 

嘘はついてない。もう二度と行けない場所に置いてきてしまったんだから、捨てたようなものだろう。

 

「それよりここ、間違ってる。隣の問題に引っ張られてるんじゃない?」

 

「あ、ホントだ…」

 

「またケアレスミス。集中」

 

「う、うん。分かった。だったら、ちょっと視線は逸らしてくれない?」

 

「駄目。これも集中力鍛える練習と思って」

 

「えー…?」

 

文句を垂れつつもすぐに勉強に向かい合う秋山。やる気は充分だけど、どうしても集中し切れていない。私の視線なんかよりも、もっと他に彼女の気を逸らす何かがある。そんな気がした。

 

ひとしきり勉強を終えた秋山はほんの少し休憩を挟み、また短時間集中し勉強を始める…を繰り返し、かれこれ一時間。図書室に居る顔ぶれは私たちが入ってきたときとほとんど変わらない。

 

当然真もその中にいて、なにやら真剣に一冊の分厚い本を読みふけっている。妙にページをめくるのが早いように思うが。

 

「あのさ、妻木さん」

 

「今やってる問題に関係することなら聞いてあげる」

 

「…じゃあ後にする」

 

「今日の目標までは集中して」

 

「はい…」

 

 

閉校時間30分前である18時を目前に、机とノートに引っ付きっぱなしだった秋山はようやくペンを置いて姿勢を崩した。

 

「お疲れ様」

 

「うん…!今日は、一人でやるよりちゃんと集中してできた気がするよー」

 

「そう?結構気が散ってたと思うけど」

 

「ま、まぁいつもはそれだけ身が入ってなかったってことで…」

 

そう言って頬をかきながら苦笑しつつ、秋山は改めて礼を言ってきた。と言っても、私はただ横に居て聞かれたことに答えてただけ。別に私じゃなくたっていいことだ。

 

「私居る意味ある?」

 

「もちろんあるよ!…なんか、はじめてこんなにやる気が出てるっていうか、そんな感じがしてて」

 

「…はじめて?」

 

その言葉に引っかかった私は思わず聞き返してしまった。てっきりずっと前からこうして大学を目指して勉強していたものと思っていたのだけど。

 

「いや、それは合ってるよ?ただ、こんなに勉強に身が入ってることが、初めてってだけで」

 

今以上に身が入ってなかったならかなりの重症なのだけど。

 

とはいえ、少し気になった私は荷物をまとめた秋山と一緒に学校を出て、下校路を並んで歩きながらさっきの話について聞いてみることにした。

 

ちなみに、背後からさっきまでと同じ本を開いて顔を隠したままの真が付いてきていることはあえて泳がせる。

 

「秋山はいつから、お姉さんの大学に入りたいって思ったの?」

 

「うーんと、それが目標になったのは、お姉ちゃんが大学に入ってからだね。だから二年前ぐらい」

 

気まずそうに笑う秋山は指先を行き場なさそうに弄りながら、私の目を見て続けて言った。

 

「妻木さんもなんとなく気付いてたでしょ?あたしが、今までロクに勉強してこなかったことなんてさ」

 

「そう思ってたわけじゃないけど、中途半端だなとは思ってたよ」

 

「…あはは。確かに、中途半端だよね」

 

今日も秋山の勉強に付き合って、私はよく分かった。彼女の地頭は非常に優秀であると。

 

でも、だからこそよく分からない。秋山玲央の試験結果はものの見事に平均ラインぴったし。私の知る秋山のスペックと明らかに吊り合わない。

 

矛盾した情報があるのなら、そのうちのどちらかは間違った情報である可能性が高い。そして、この二つの情報の内信用度が高いのは、直接この目で見た“普段の”秋山のほうだ。

 

「待って」

 

口を開きかけた私を、秋山が手を出して制する。

 

「分かっていても言わないで。これは妻木さんとあたしにとって必要な会話じゃないよ」

 

ふっと一段トーンを落とした声で静かに、しかし力強く発せられた秋山のその言葉の意味は今の時点では分かりっこない。

 

「嫌」

 

口角が上がるのを感じつつ、ほぼ脊髄反射で否定してみると、秋山は少し吹き出してこう続けた。

 

「性格がいいのか悪いのか、わかんないね。妻木さんって」

 

「良くはないよね」

 

「おおかた妻木さんの想像通りだとは思う。けど、答え合わせは期末の後でいいかな。あたし、次の試験では絶対いい成績出すから」

 

秋山が何を隠そうとしているのかは分からないし、どんな心境なのかもわかっていない。

 

ひとつだけ確かに言えることは、これまでの試験では秋山は実力を出していなかったらしいということ。そこにどんな意味があるのかまでは、まだ教えてくれそうにない。

 

「そう。なら楽しみにしてる」

 

「そうして。…ところで、さ」

 

「なに?」

 

「さっき図書室で聞こうとしたんだけど」

 

秋山は、妙にきらきらした目で私を見てこう続けた。

 

「妻木さんはさ、卒業したらどうするつもり?」

 

「何も考えてない」

 

「それって…目標がないから?」

 

秋山にそう聞かれ、私は少し考える素振りを見せた。目標がない、というのはある意味で的を射ていて、もう私には勉強する意味もなければ将来の夢も無い。秋山の様に、現実世界で打ち込めるようなものは、今の私には無い。

 

頷いて肯定すると、秋山は何故か嬉しそうに笑った。

 

「そっかそっかー」

 

「…なに?」

 

「ううん。なんでもない。とにかく、明日からも勉強頑張るから、妻木さんも付き合ってね!」

 

つい、昨日までは。

 

彼女と過ごす時間に価値を見いだせていなかった。私にとって日常の時間なんてものはもう必要ないものだったから。今更、知らない人間と交友を深めたところで意味なんてないから。

 

まして、彼女は特別な存在でもなんでもない。どこにでもいる普通の学生だ。いよいよもって、私が秋山玲央という人間と時間を過ごすことの価値はない。

 

でも。

 

だからこそ、なのかもしれないな。

 

こんなどうでもいい日常をくれるからこそ、彼女は私と関わる運命に巻き込まれたのかもしれない。これが今までの私に足りなかったものだと教えるために。

 

「…余計なお世話だな」

 

心底鬱陶しい。どうせ、神様を気取った不遜な輩は今も私たちの事を見ているはずだ。そして、その中にはこの世界をつくった張本人だって。

 

「妻木さん?」

 

「…なんでもない」

 

「そう?ならいいんだけど」

 

…喉が渇いた。彼女といると余計にしゃべらされる気がする。

 

そんな気を知ってか知らずか、秋山も喉が渇いたと言いだして自動販売機の前で立ち止まって、何故かこっちを見てニヤリと笑った。

 

「なに」

 

「妻木さんは喉乾いてないの?」

 

「どちらかと言えば乾いてる」

 

「でしょうねぇ」

 

ウンウンと憎たらし気に頷く秋山。一体何を考えているのか…。

 

「じゃあさ、指相撲で負けたほうが二人分のジュース奢るってことでどう?」

 

「なんで?」

 

「そんな純粋に聞き返さないでよ…」

 

ちょっと面白そうなので結局乗ってやることにした。実を言うと、指相撲なんてやる相手がいなかったからほぼ初めての体験。

 

手を差し出して対戦の意があることを示し、秋山の手と絡み合わせる。

 

「どういうルール?」

 

「相手の指を抑え込んで、十秒間キープ出来たほうの勝ちっ」

 

「おっけー」

 

秋山の方から挑んできたということは、さぞこの勝負には自信があるんだろう。でも、こんな小さな勝負でも負けたくないのが私だ。本気で勝ちにいかせてもらおう。

 

「いくよー?よーい、スタート!」

 

 

その後、手に入れた戦利品を手に秋山と駅で別れた私は、一度渋谷のセントラル街へと引き返して、私たちの事をずっと監視していた人物を裏路地で呼び出した。

 

「いつまでつけてる気?」

 

街灯の光が差し込む薄暗い道の真ん中でそう聞くと、曲がり角の奥から意外にすんなりと真が姿を現した。

 

「…気付いてたのね。あなた、やっぱり…」

 

そう言いながら髪をかき上げる仕草をしてみせる真。

 

“今はまだ”ただの学生かもしれないけど、それでも合気道の心得を持っているからか、隙の無い堂々としたその雰囲気は、それだけでかなりの威圧感がある。

 

「私をなんだと疑ってるの?」

 

「それを探るためにこうしてつけさせてもらっていたんだけど、残念ながら今日のあなたはただの学生にしか見えなかったわ」

 

ため息交じりにそう答えて肩をすくめる真。学校で見た時も思ったけど、随分と憔悴しきっている様子だ。昨日もかなりの強硬手段だったし、方々からプレッシャーがかかって焦っているのは間違いない。

 

わたしの記憶の通りなのであれば、今真は生徒会長としての義務や自身の責任感を良いように解釈され、怪盗や渋谷で起きている詐欺事件なんかの関係ない事柄まで調査を命じられている頃のはず。

 

「真。ちょっと話さない?」

 

「…え?」

 

「立ち話もなんだし、そこのビックバンバーガーにでも」

 

私の誘いに、真は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、結局は黙ってついてきた。

 

裏路地からすぐそこの某ハンバーガーチェーン店に入り、特に注文もせず適当な席に座る。

 

「どういうつもりかしら」

 

「別になにか考えているわけじゃないよ。純粋に、話がしたくなっただけ。随分思い詰めた顔してるから」

 

「そんなことは…」

 

「相談できる人とかいないの?」

 

「…」

 

真は言葉に詰まり目を逸らす。唯一の肉親とも、そういった話はしていなかったんだろう。

 

「私でよければ聞くけど」

 

当然ながら真は怪訝そうな目をこちらへ向けてきた。それでも執拗に裏はないと説くと、仕方なくといった表情でうなずいてくれた。

 

「…分かったわ。でも、これはただの私の独り言。他言も無用で」

 

「うん」

 

一瞬考えた後、鋭く相手を委縮させるようにそう言い放った後、真はひとつ大きなため息をついた。

 

「実はね、校長から例の貼り紙の件について調べろって指示が出てるの。確かに校内で起きた事件ではあるけど、そんなの一生徒である私が一人でやるようなことかしら?手がかりもなければ証拠もない。そんな状態でどうしろっていうのよ…」

 

「それで雨宮達を探ることにしたの?」

 

「現状最も可能性がありそうなのは彼と、その友人たちってところだし。あの予告状を見るに、犯人は複数である可能性が高かったから。しかも、雨宮君たちは鴨志田と少なからず因縁があって、その事件の後、彼らは頻繁に会うようになっている」

 

「なるほど」

 

「でも逆に言えば根拠はそれだけ。あの予告をやったのが彼らだって証拠は何一つないわ」

 

「分かりませんって校長に言えば?」

 

「…言ったわよ。でも、駄目だった」

 

「どうして?」

 

「…」

 

「“お姉さん”が関係してる?」

 

「え…」

 

そう言うと、今まで伏し目がちだった真が目を真ん丸に見開いて、疑問の詰まった目で私を見てきた。

 

「どうして…?」

 

「どうしてだろうね。でも、今は気にせずに吐き出しちゃってよ。さっきよりは顔色よくなってるし」

 

「…あなた、本当に何者なの?今日だって私の尾行に気付いたり、普段の立ち姿も隙が無いし」

 

「真が全部悩みを打ち明けてくれたら、教えてあげる」

 

「本当ね?」

 

「もちろん」

 

長話を予見した私たちはソフトドリンクを注文し、そして今まで本人以外は知る由も無かった真の胸の内を聞くことにした。

 

まず前提として、真の姉は若くして検事として活躍しているエリートだ。一度ルブランにも来たことがある、新島冴が、その人だ。

 

真によく似た美人で若さに見合わない経歴の持ち主と、世間的にもある程度有名だったりする。

 

そしてそんな冴の妹である真も、姉に劣らず成績優秀で現役生徒会長。周囲の期待に応えたい一心で普段から相応の振る舞いを見せてきたが、そのおかげでどんどん周りの期待もヒートアップしていった。

 

校内では堅物で真面目な生徒会長としてのイメージが定着しているけど、実際はそんなことはない。血の通った人間なんだ。

 

「あの人に頼めばなんとかしてくれる…そう思ってくれるのは嬉しいけど、度が過ぎた期待は迷惑でしかないのよ」

 

真が優秀すぎたがゆえに、ついには校長から学校外の問題まで解決しろとの命が下った。それも、ひとつだけじゃなくって…。

 

「頼まれることって、他にはなにかあるの?」

 

「ちょうど今あるわよ。渋谷で起きてる詐欺事件の原因を調べろってね」

 

思わず突っ込みそうになったが、その通り。その詐欺事件は学生が良くターゲットにされているため学校の問題だとして、何故か真がその事件を調べているらしい。

 

「私は探偵でも何でも屋でもないわよ…」

 

今までが完璧だった分、ここで折れれば周囲からの評価は必要以上に下がるだろう。そのことと姉の評価を引き合いに出されて、真もやらずにはいられない状況になっているらしい。

 

誰が見ても分かる通り、これは校長の怠慢が原因である。そこにも少なからず原因はあるんだけど…。

 

「正直どうすればいいのかさっぱり。怪盗の正体も詐欺の実態も、どこからどうすればいいのか…」

 

「確かに真一人が負うには大きすぎる問題だしね。期待が重荷になるのも分かるよ」

 

「あなたもそうなの?確かに成績は優秀だけど…」

 

「そう見えない?」

 

「ええ…正直」

 

そう思われても仕方ない。実際私は自らへの期待を重荷に感じることは今まで少なかったから。

 

なぜなら、私は真ほど多くの人間から期待を背負ったことは無いし、全ての人間の期待に応えようともしていない。あくまで自分がしたい事を、自分のしたいようにしているだけ。

 

「真は沢山の人に囲まれた場所に居るから、その分かかる期待も大きい。しかも対等な位置に居るんじゃなくて、みんな自分の下か上からしか物を言ってこないから、相談できる人間も居ない…ってことかな」

 

「そうかもしれないわね」

 

「私はそんなに背負うものが多くない。縛るものも無い。だから、息苦しさも無いよ」

 

「…羨ましいわ」

 

来た。

 

「だったら、怪盗団にお願いしてみたら」

 

「え?」

 

「だって、怪盗団ってそういう困ってる人を助けてるし」

 

「…」

 

「言ってみたらどう?」

 

「言うって何を、どこで?」

 

「自由になりたいならそう言えばいい。助けてほしいならそう言えばいいよ」

 

真の目を真っすぐ見据える。瞳は揺れているけれど、彼女の心の中でも何かが揺れ動いているのは間違いない。もう一押しだ。

 

「怪盗にお願いすれば楽になるかもしれないよ。詐欺グループだってなんとかしてくれるかもしれない」

 

「…」

 

「いつまでもそうやって、我慢して優等生を演じていくつもりなら、止めはしないけど」

 

「我慢…ね。得意分野よ、それは」

 

「今までは、それでやり通せてきたんだもんね」

 

「でも…確かにあなたや…それに怪盗団みたいに自由な人に憧れてるのも事実」

 

「うん」

 

「こんな心も…怪盗は盗めるのかしらね」

 

「できるよ」

 

「ふふ…やけに自信満々に言うのね。まるであなた自身が怪盗みたい」

 

おかしそうに真は笑うと、飲んでいた飲み物のコップを静かにテーブルに置いて…。

 

「そうね…私はずっと我慢をしてきた人間だった。周りの期待に応えようと必死で、自由とは程遠い生き方をしてきたわ」

 

腕を組み、私の目をキッと睨みつける。

 

「だからと言う訳じゃないけれど、私は見極めてみたくなったわ。あなたの言うような生き方が、どんなものなのか」

 

「…で?」

 

「怪盗団の正義をこの目で見てみたい。…あなたに依頼すれば通るのかしら?」

 

姉譲りの眼力光線を真正面から受けながら、私は真の言葉を肯定した。

 

真だって心のどこかではいつか抜け出したいと願っていたはず。そのチャンスが目の前にあれば、彼女は可能性にかけることを選ぶ気がした。

 

聞きたいことが聞けた私は立ち上がり、自分が頼んだ飲み物分の代金を真に渡した。

 

「近いうち、また話そう。とりあえず一日は待ってて」

 

「ええ。…分かったわ」

 

「…後悔してる?」

 

「いえ…それより自分のことが不思議なの。どうしてあなたにこんなことを話す気になったのかが分からないわ」

 

「それは、そのうち分かるよ」

 

そう言い残して手を揺らし、私は先にビックバンバーガーを後にした。

 

 

6月17日 金曜日

 

Ren:おはよう

Futaba:そしてごきげんよう

An:え、なになに?まさか双葉ちゃんも加入?

Ren:その通り

Futaba:よろしくたのむ

Yusuke:信頼できるのか?

Ren:大丈夫だ。俺とモルガナと綺羅が保証する

Ruuji:じゃあ問題ねーな!

Yusuke:分かった。その三人が賛成なら止めはしない。よろしく、双葉

An:よろしくね!

Futaba:色々と迷惑かけるかもだが、お手柔らかに頼んます

Ren:まぁあんまり気構えないで、普通に接してくれればいい

Ryuji:あ、ってことはまた歓迎会の流れか?

Ren:それもあるから、今日みんなで集まれるか?

An:わたしはOK!

Yusuke:問題ない

Ryuji:もち、いけるぜ!

Ren:それじゃ、今日の放課後ルブラン集合で

 

 

放課後

 

雨宮の招集によりルブランの屋根裏部屋に集まった怪盗団。梅雨真っただ中ということもあって外は今日も雨模様。雨宮がリサイクルショップで入手してきた超旧型のオンボロ乾燥機が必死に働いてくれてはいるが、どうあがいてもこの部屋は季節の影響をもろに受ける。故にじめじめ感は否めない。

 

でも、この場の雰囲気はさほどじめついてはいなかった。

 

改めて、全員で双葉の前で自己紹介を済まし、持ち込んだ菓子を食べながら和気藹々と雑談していた。双葉もすぐに杏たちと打ち解け、たまにテンションのたかがどこかに

吹っ飛んでしまうことはあっても、問題なくコミュニケーションはとれていた。

 

「なんか安心したわ。もっと変人かと思ってたけど、普通に話せんだな!」

 

「それはこっちの台詞だ。思ったよりいい奴らでよかった。正直、こうして会う前までは綺羅と蓮に通訳してもらおうかとか思ってたぐらいだからなー」

 

「そんなこと考えてたのか…」

 

雨宮が呆れたような苦笑している隣で、双葉は明るく笑う。

 

「でも、みんなわたしのために体を張ってくれてたのを目の前で見てたから、勇気出た。…あらためて、ありがとな。みんな」

 

面と向かって言われると恥ずかしいのか、坂本なんかは、照れ臭そうに笑って鼻の下をこすっていた。

 

そんな中黙々とじゃがりこを吸い込み続ける喜多川が急に口を開いた。

 

「時に、ひとつ聞きたいことがあるのだが」

 

「聞きたいこと?」

 

「次に会うときに聞こうと思っていたんだが…結局、双葉の母親は事故死ではなかったということでいいのか?パレスの中での話だけだと、まだ分からないところも多くてな」

 

「あー、それな…」

 

双葉は少し言いづらそうに体を縮こまらせたあと、顔を上げて一つ一つ自分の口で説明していった。

 

「世間的には、お母さんは自殺って処理で終わってる。でもそれは、お母さんの研究を奪おうとした奴らのせいでそうなっただけで、実際は違う…だから、事故でもなくて、本当はただの他殺なはずなんだ」

 

「マジかよ…てか、双葉の母ちゃんの研究って…」

 

「認知訶学な。りゅーじに説明してもよくわからないだろうからそこの話は省くけど…」

 

「てめこのっ」

 

「少なからず、あの世界にも関係する研究だったはず。それできっと、誰かにとってその研究成果が価値のあるものだった。だから、奪おうとする奴が現れた」

 

「それで身寄りがなくなって、今はマスターと住んでるんだね…」

 

「うん。だから、わたしが怪盗団に入ったのも、そいつを改心させてやりたいって思いが強かったからなんだ…。すごく、自分勝手な動機だけど…」

 

俯きながら、しりすぼみになる声をなんとか絞り出した双葉の肩を、坂本がポンと優しく叩いた。

 

「そんなことねぇよ。そいつのことを許せねえって思ってるのは、お前だけじゃねぇからな」

 

だろ?とでも言いたげな顔でみんなの顔を見回す坂本。もちろん、それを否定する意見が出ることは無かった。

 

それを見て双葉も安心したようで、気の抜けたように笑っていた。

 

ひとしきり打ち解けた後で、話題は次へと移る。雨宮が口火を切り、全員その言葉に耳を傾ける。

 

「それじゃ、次のターゲットについてだけど」

 

「斑目の時よりも大物…が狙いだったな」

 

「祐介の言う通りだ。妻木さん」

 

雨宮はこちらを見て話題を振ってきた。昨夜、この話を雨宮に持ちかけたのは私であることから説明を担う。

 

「実は、最近渋谷でとある詐欺事件が横行してる。その大元を狙うのはどうかな」

 

「確か、その詐欺事件って、学生がよくターゲットにされてるんだったな?」

 

モルガナの問いに首を縦に振って肯定し、話を続ける。

 

「その詐欺グループの元締めの事は警察も追ってるらしいけど、未だに尻尾は掴めていないらしい」

 

「なるほどな。ケーサツも手を焼いてる獲物を改心させるってことだな」

 

「たしかに、それは斑目の時よりも大事になりそう!」

 

「そうなれば、ワガハイ達の行いもより多くの人間に伝えられる」

 

「ふむ…美しい筋書きだ。だが、実際問題警察が捜査して逮捕できないような奴を、どう特定する?名前が分からなければ手を出せないぞ」

 

「ふっふっふ…」

 

喜多川の当然の疑問に対して、私と雨宮の間に座る双葉が怪しく笑みを浮かべる。

 

「早速わたしの出番のようだな!」

 

「というわけ。そいつの情報は双葉に調べてもらうことにする」

 

詐欺グループの元締め…金城の改心に対しては異論は出ず、あっさりと全会一致。まずは双葉の情報収集に期待し金城の名前を特定してもらう。それから先はイセカイナビの検索機能でどうとでもなる。

 

「それじゃ、次の作戦は双葉の報告待ちってことだね!」

 

「うん。それと、もう一つその関連で話しておきたいことがあるんだけど…」

 

こっちは、まだ雨宮にも話していないこと。

 

昨日の、新島真との出来事だ。

 

「秀尽の生徒会長…新島真が怪盗団について調べてる」

 

喜多川以外はまぁ大方予想の範疇だったようでさほど驚いてはいなかった。これまでも何度か校内で出会うたび、坂本や雨宮達にも警戒した素振りで接してきていたらしい。

 

「んで、その会長サンがターゲットの話とどう関係すんだよ」

 

「それが、会長は例の詐欺事件のことも追ってるらしいんだよね」

 

「はぁ?なんで会長がんなこと…」

 

「…学生がターゲットだから、か?」

 

「うん」

 

雨宮の答えはそれなりに的を射ていた。正確には、学生がターゲットの犯罪が自分の学校の生徒にまで及ぶ可能性があるため校長が何とかすべきところを、何故か会長が生徒代表としての責任という名目で無理やり背負わされてるだけなんだけど。

 

「会長さんも大変なんだね。自分の意思でやってるわけじゃないんだ」

 

「そう。だからさ、ちょっと二人で話してみたんだよね。実際のところ、どう思ってるんだろうって思って。そしたら会長も、本当はもっと自由に生きたいって」

 

そう言った時、坂本と杏はあからさまに意外そうな顔をして固まった。おそらく秀尽生のほとんどが同じようなリアクションを返すことだろう。校内で見せる厳格な雰囲気だけが、真の本質では無いんだ。

 

そんな真の心を引き上げるために、またもや怪盗団は一肌脱いでみることにした。

 

「真に、私たちの正義を見せてみない?次のターゲットは真も追っていた相手になるんだし、ちょうどいいと思うんだけど」

 

「正義を示すって、まさかまた向こうに連れていくととかって話か?」

 

「察しがいいね。坂本の分際で」

 

「てめこの二人そろってバカにしやがって…!」

 

「大丈夫なのか?そんな安易に素性を明かすような真似をして…」

 

喜多川の心配は最もだけど、ここは私を信じてもらうしかない。間違いなく成功することがわかっている以上、ここで私が引け腰になるわけにはいかない。

 

どうにかこうにか皆を説得しようとしたとき、意外にもあっさりとリーダーである雨宮からの許可が下りた。私からすれば正直予想通りではあったんだけど、妙にあっさり過ぎた気はした。

 

気のせいって可能性の方が高いけど、やっぱり少し気になる。ここのところ、私の雨宮に対するごく細かく小さな疑問は積もるばかりだ。アルセーヌを手放さないことも、言葉の端々にこもる読み取れ切れない謎の意志も…。

 

 

 

6月18日 土曜日 昼休み…

 

この日、私は杏と二人で中庭のベンチに座り互いの昼食を頬張っていた。私が食べているのはもちろん惣治郎の…ではなく、今日は自分で作った弁当だ。そして、杏が食べているのも、同じく私が作ったものである。

 

どうせ特に意味は無いんだろうけど、ふと私が料理ができると言った時、「今度作ってきて」としつこくせがんできたので今日は作ってあげた。…といっても、ソーセージと野菜のシンプルなソテーとポテトサラダ、それに伝家のカレーでアレンジしたきんぴらごぼうを詰め込んだだけ。

 

そんな何の捻りも無い弁当を、杏は絶賛しながら笑顔で食べ進めていく。まぁ、美味しいのは当然である。

 

そう思いつつ自分でも一口。

 

「綺羅って料理までできちゃうんだねー。本当にできないことなんて一つもないんじゃない?」

 

「そんなことないよ」

 

「えー?じゃあ例えば何が苦手なのよー」

 

「…」

 

苦手…そう聞いてぱっと思いついたものは、多分この質問の答えとしては相応しくないものだったけど、これ以外にすぐ思いつくものが無かったので反射で正直に答えてしまった。

 

「辛いものとか」

 

「味?でも、そっか。辛いの駄目なんだ」

 

「…スパイスとかの刺激は大丈夫なんだけど」

 

「ふーん。なんかかわいいこと聞いちゃった」

 

「言わなきゃよかった」

 

からかってくる杏から視線を逸らしたその時、偶然実習棟から中庭通路に出てきた秋山玲央と目が合う。

 

気付いた秋山から元気に手を振ってくるので、一応小さく手を振り返してやる。

 

「あれって、秋山さんだよね?この前勉強教えてもらいに来てた」

 

「そう」

 

「おーい!こっちおいでよー」

 

急に立ち上がって何を言いだすかと思えば、遠くにいる秋山を呼びだした杏。秋山も秋山で、小脇にノートやら筆記用具を抱えたままうきうきした様子で近づいてくる。…昼休みなのに、勉強でもしていたんだろうか。

 

「やっほー、二人とも!お昼ごはん中でしょ?大丈夫?」

 

「いいのいいの。というか、呼んどいてなんだけど、秋山さんこそ大丈夫だった?お昼はどうしたの?」

 

「それが、今日は何も持ってきてなくて…。仕方ないから自習してたんだ」

 

「わ、真面目」

 

「まぁ、これも妻木さんのおかげだけどね」

 

照れ臭そうに言う秋山の視線は少しづつ落ちていき、やがて私の手元の弁当箱に行きついた。

 

「…食べる?」

 

「いいの!?」

 

ほぼ言い終わるのと同時に身を乗り出してくる秋山を押しのけ、予備の割り箸を取り出す。

 

「誰が作ったの?」

 

「綺羅だよっ。すっごい美味しいから食べてみて!」

 

「妻木さん、料理もできるんだ…。敗北感がヤバイ」

 

「別に普通だって」

 

「どれどれ…いただきます!」

 

そんなに注目して食べるほどでもないごくごく一般的な献立の弁当だというのに、嬉しそうに頬張る秋山を見ていると、少し懐かしい気持ちになった。そもそも、私が料理を学んだのも、勉強を頑張れたのだって…。

 

「…!!」

 

「ど、どしたの秋山さん?ベロでも噛んだ?」

 

ふと、そんな杏の声に意識は引き戻されて秋山の様子を見てみると、卵焼きを口に入れたまま驚いた顔で硬直していた。

 

「おいし!」

 

たかが卵焼きでそんな大げさな、と杏と二人で呆れていると、なんと秋山の目の端から涙がひとつ零れ落ちた。

 

慌てた杏が取り乱すものの、秋山はそれを手で制して笑って見せた。

 

「ごめん…何でもない!っていうのは嘘かも…。でもよく分かんないや。こんなにおいしい卵焼き初めて食べたっていうか…」

 

「大袈裟すぎる……」

 

「そうだけど、そうじゃないんだって!本当に…美味しいよ、これ」

 

「…ふーん」

 

「びっくりしたー…。でも、よかったじゃん綺羅。泣くほどおいしいってさ!」

 

少し前の自分なら、安っぽい言葉だと一蹴できただろう。でも、今の私は目の前で泣き笑いしている顔を見てなんと言葉をかけていいのか理解しかねていた。

 

胸をしめつけてくるようで苦しい。でも、不快ではない。

 

この感情は、何て言うんだっけ。

 

「…普段ろくなもの食べてないんじゃない」

 

「そんなことないよ…。でも、ごめん。びっくりさせちゃって」

 

「ああ、いいのいいの。綺羅はいつもこんなテンションだし、わたしも全然気にしてないし」

 

「ありがとう。高巻さん」

 

「杏でいいよ。友達の友達は友達でしょ!」

 

「そ、そう?いいのかな?妻木さん」

 

…なんで私に聞くんだ。

 

「良いと思うよ」

 

「ホント?じゃあこれからあたしのことも玲央って呼んでね!」

 

「もち!」

 

…そんなに繋がりの深くなかった二人が何故か盛り上がっている間、私は空いたままの小腹を埋めるために、弁当箱と一緒に持ってきていたナッツ入りのチョコを開封して食べ始めた。

 

「じゃ、じゃあ…妻木さんも、いいかな?」

 

「下の名前で呼ぶってこと?」

 

「う、うん。もしいいならそうしたいなって」

 

「別にいいよ。秋山の事もそう呼べっていうならそうする」

 

「い、いいの!?」

 

「別に減るもんじゃないし」

 

私は基本的に他人の事は苗字で呼ぶ癖がついているもので、別にそこに他意はなかった。頼まれて断る理由は無い。

 

「ありがと綺羅ちゃん!」

 

…ちゃん付けか。

 

「それより早く食べなよ。昼休み終わるよ?」

 

「え、でも…」

 

「いいから食べちゃってよ。私はもうお菓子食べだしちゃったし」

 

「綺羅ちゃん…!相変わらずのイケメンぶり…!」

 

「玲央、ここはお言葉に甘えておきな。綺羅は意外と頑固だから断っても退かないよ」

 

余計なお世話だ、杏。

 

杏の脇腹を小突きながらも、私たちは三人で昼休みを最後まで過ごした。ただくだらない話で盛り上がって、くだらない食事を楽しんで、まるで普通の高校生かのような、そんな凡庸な光景がそこにはあった。

 

そんな日常が、最近は私でも悪くないなと思えるようになってきた。どうせ残り短い時間、こうやって過ごしているのも悪くはないのかもしれない。

 

 

放課後…

 

「で、なんで私まで付き合わされてるのさ」

 

「何言ってんの?綺羅も一緒なのは当たり前じゃん。ね、玲央」

 

「そうだよ。どうせ他に予定もなかったでしょ」

 

玲央の言う通り、特にこれと言った予定は無かったものの、だからと言って杏と玲央の映画鑑賞に付き合わされる道理はまったくない。というか物言いが失礼。

 

私を通して知り合った二人は何故かとても反りが合うらしく、すっかり意気投合していた。今度、入院している親友である鈴井志帆にも紹介して“四人”でどこかへ遊びに行こう、なんて話までしていた。きっとその四人には私も含まれているんだろう。

 

「そうだけどさ。そもそも、これってどんな映画?それすら知らないまま連れてこられてるんだけど」

 

「今話題になってる恋愛小説の劇場版。わたしも玲央も気になってたやつなの」

 

「しかも主題歌が“久慈川りせ”なんだよー?絶対良作だって!」

 

「主題歌は内容に関係ないと思うけど…まぁ、そっか。恋愛映画なんだね」

 

まぁ女子三人で見に行くには無難なジャンルだろう。券を購入するための列に並びながら、今月の上映ラインナップを見てみても、この中から選ぶなら確かにこの映画だと納得できる。

 

もちろん個人的にこの映画に興味があるわけではないけれど、別にどんなジャンルでも楽しめるので問題ない。

 

それにしても、映画館か。久しく来ていなかったような気がするな。なんだか懐かしい。最後に来たのはいつだっけ。

 

「そう言えば、綺羅って趣味とかあるの?」

 

「いきなりなに」

 

「いや、映画とか見るのかなーってさ。放課後はよくマスターのとこでお手伝いしてるみたいだし、あんまり外で遊んでるとこ想像できないんだよねぇ」

 

「マスター?」

 

何気ない案の台詞に、玲央が疑問符を浮かべる。

 

「あぁ、そっか」

 

「色々あって、ある喫茶店のマスターのとこに居候してるんだよ。それで、店の手伝いもしてる」

 

「色々?」

 

「うん。色々」

 

言葉を濁しなんとなくでごまかしていると、自分たちの前の客がカウンターに呼ばれ、その後ろに居た私たちも隣のカウンターに通される。

 

三つ並んで空いているのが最前列の席しかなかったけど、別に憂うほどの事でもない。むしろ前のスペースが広くて足がくつろげるという利点もあるし、なによりスクリーンとの間に動くものも無い。私としてはむしろ好都合だ。

 

チケット片手にポップコーンや飲み物を購入して、目当ての劇場に辿り着いた。私たちの席はA列の15,16、17番。真ん中に私を挟む形で座る。

 

「杏ちゃん、いっぱい買ったね…トレイ溢れそうじゃん」

 

「つい、映画館に来るとこうなっちゃうんだよね…。売店にあるの、全部美味しそうに見えちゃってさ」

 

「あはは。分かるよー」

 

「二時間で食べきれるの?」

 

「それは余裕」

 

右隣に座る杏の席には、ポップコーンだけでなく、チュロス、スイートポテト、ドーナツ等々…とにかく大量の甘いものが鎮座していた。そんなに色々あって映画に集中できるのだろうか。

 

「モデルなのに大丈夫?体形維持とか…」

 

「そこは大丈夫!ちゃんと運動はしてるから!」

 

「流石だね!運動って、ジョギングとか?筋トレとかもしたりするの?」

 

「あーいや、そういうんじゃなくって、なんだろ…鞭を振るのには色んな筋肉を使うと言いますか…」

 

「ムチ!?」

 

鞭と聞いて玲央の視線がだんだん上へと向いていき、心なしかほわんほわんと回想シーンにでも移行しそうな効果音が聞こえた気がした。

 

間違いなく何か勘違いを起こしているっぽいので、玲央の頭の上を手で振り払い現実へと引き戻す。

 

「多分、玲央が想像してるようなものじゃないよ」

 

「そ、そーそー。ただ、ヒールで踏みつけながら鞭を振るのに、体幹が必要ってだけで…」

 

「ヒールで、踏みつけながら…!?」

 

「…」

 

「モデルって、色々大変なんだね…。今度詳しく聞かせてください」

 

私のささやかなフォローは甲斐もなく、玲央の中にいらないイメージが定着した。

 

弁明の時間もなく広告が流れ出したため、私たちは揃ってスクリーンに向き直る。

 

…まぁ、とりあえず今は映画を楽しむとしよう。

 

 

映画のクライマックス…周囲の視線など気にせず、主人公がヒロインに想いを伝えて、ヒロインはそれに笑って応えた。社会の最底辺でくすぶっていた主人公でも、努力次第で世界は変えられる…なんとなく、怪盗団の理念に近しいものを感じる内容だった。

 

主題歌も楽しみにしていた玲央と一緒にエンドロールまで見終わって、私たちは劇場の外へと出た。

 

「はぁぁ…やっぱああいうのっていいよねぇぇ」

 

「分かるよ…杏ちゃん…。いいよねぇ」

 

銭湯帰りのオヤジ二名と並びながら、ふと杏の手元に視線を落とす。…あんなにたくさんあった軽食の類はキレイさっぱり無くなっていた。これで特に食事制限もせずエクササイズもせず体形が変わらないんだから、そりゃあ同業者からは煙たがられるってもんである。

 

「ああいうのが良いの?」

 

「綺羅はぐっと来ない?ああいう、真っ直ぐ愛を告白されるようなシチュ!」

 

「うーん」

 

グッと、か。来るかもしれないし来ないかもしれない。

 

「じゃあ綺羅ちゃんは、逆にどんな感じで告白されたい?」

 

「…うーん」

 

告白。自分がそんなことをされている光景はこれっぽっちも想像できないけど、もしそんな関係に誰かとなるとすれば…。

 

「…普通がいいかな」

 

「普通って?」

 

「なんか…映画みたいなロマンチックな展開じゃなくて、普段と変わらない感じのほうが」

 

と、そこまで言ったところでにやけ面の杏と目が合う。

 

「…」

 

「ふーん、そっかそっかーなるほどですねー」

 

「…何?」

 

なんだその顔は。この上なくウザい。そして謎に恥ずかしい。別に大したことは言ってないのに。

 

「ちなみにさ、それってどれぐらいの時間でとかどんな場所でとか、理想はある?あるなら是非とも…」

 

「知らないよそんなの」

 

というかそれを知ってどうする気なんだまったく。

 

だんだんウザ絡みが加速してきた二人を振り払って映画館を出ると、空は大分薄暗くなっていた。時刻にして午後六時過ぎ。帰るにはちょうどいい時間だ。

 

「え?何言ってんの?」

 

え?

 

「まだカラオケに行ってないじゃん」

 

え?

 

「いや、私は帰るけど」

 

「だーめ」

 

まずい。完全に若気の至りだ。こんなエネルギッシュな流れに巻き込まれたら元の私に帰って来れる気がしない。

 

「分かった!じゃあ好きなチョコ買ってあげるから!」

 

「綺羅ちゃん、チョコ好きなんだねっ?あたしも買ってあげる!」

 

「…!」

 

……。

 

「いや、帰る」

 

「ちょっと待って…!ね?さっきの話の続きをするだけでも…」

 

「もっとしない…!帰る…!」

 

駄々をこねる杏と玲央にしがみつかれながら、マナーモードにしていたスマホを元の設定に戻そうとポケットを探る。

 

暑苦しい環境下でなんとか取り出したスマホを起動すると、映画を見ている間の時間帯に双葉から怪盗団グループへメッセージが届いているのに気付いた。

 

杏もそれを見て「あ」と声を漏らすと、自分のスマホを取り出す。

 

「え、どうしたの?」

 

「ごめん。用事できた」

 

「あ、わたしも…」

 

「いや、杏は大丈夫。」

 

ここで二人とも急にいなくなったら、少し玲央が可哀そうだ。それに、“明日”に向けて体力を温存しておいたほうがいいのは、私たちよりもきっと“彼女”になるはずだから。

 

「玲央と一緒に行っておいでよ。私も今度は行くからさ」

 

「え、綺羅ちゃん本当に帰っちゃうの?」

 

「ごめんね。また今度行こう」

 

渋々納得した様子の玲央を杏に任せ、私は人ごみの中へと紛れメッセージを確認する。

 

その内容を見て、私は少し笑ってしまった。相変わらず仕事が早い。やっぱり双葉は怪盗団にとって心強いバックアップだ。初仕事としては十分すぎる。

 

Futaba:あーあーマイクテスマイクテス

Ryuji:いらねーだろ!チャットには!

Futaba:うむ。りゅーじは期待を裏切らないな!

Futaba:それはそれとして、業務連絡だ

Futaba:昨日話してた詐欺グループの元締め、特定したぞ

Ryuji:マジかよ!はやすぎね?

Futaba:天才ハッカーアリババにかかればこんなものよ!

Ryuji:ありばば?

Futaba:すまんこっちのはなしだ

Yusuke:それで、元締めの名前は?

Futaba:“金城潤矢”だ。名前のほかにも色々あるが…どうする?

 

ターゲットの名前は捉えた。あとは居場所を突き止めて追い詰めるのみ。ここまでの状況が揃えば、後はみんなの力だけでもなんとかしてくれるはず。

 

駅前公園を通り改札の前まで来たところで、真に明日の予定を空けておくようメッセージを送った。

 

ストーリーは順調に進行している。このままの調子でエンディングを迎えることが出来たら、きっと私の計画も上手くいっているはず。

 

今の世界が一体何度目なのかは分からないけど、ここはまだまだ道半ばだ。こんな場所でつまずいては居られない…。

 

「…」

 

懐に隠したナイフの刃を握る。

 

鉄の冷たさと鋭さが、私にとって何が一番大切なことなのかを思い出させてくれる。

 

私の正しい居場所はこんなに平和で穏やかな日々ではない。

 

「…」

 

『やぁ、君か。…無言電話かい?』

 

「明日から始まる。準備をしておいた方がいいよ」

 

『…分かった。ちなみに、次のターゲットの名前は何て言うんだい?』

 

「聞いてどうするの」

 

『どうもしないよ。ただ僕にも報告の義務はあってね』

 

「…カネシロジュンヤ。これが誰なのかはわかるでしょ」

 

『なるほどね。怪盗団も良いところに目をつける…確かに、警察組織も手を焼いている犯罪者が相手となると、社会への影響も大きそうだ』

 

「実際そういう狙いだよ。…放っておく、でいいんだね?」

 

『もちろん。僕の伝えた通りで頼むよ。怪盗団にはせいぜい活躍してもらって、消えるべき時に消えてもらうだけだ』

 

「分かった。それじゃあしばらくは様子見で…」

 

『ごめん、一つだけ聞いてもいいかな?そのカネシロの名前はどうやって調べたんだい?』

 

「リーダーの伝手だよ。知り合いに記者が居るらしくて、そこから」

 

『…そうか。ありがとう。助かったよ』

 

「用は終わり。切るよ」

 

通話を切ってひとつ息を吐く。

 

「…ふぅ」

 

さて、切り替えよう。

 

仕事の時間だ。

 

 


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