PERSONA5:The・Determination 作:Ganko
始動
眠目をこすりながら今日も今日とて、すし詰めになりに電車へと突入しなければならない。しかも最近はまだ5月だというのに既に初夏の気配を感じさせるほど気温が高い。
ただ立っているだけでも消耗するのが分かっているから、ホームで電車の到着を待つ間は基本的に憂鬱でしかない。
たまたま一緒になった杏と坂本とも一緒に今日は行くことになったが、二人は別の意味で憂鬱そうな表情を浮かべていた。いやまぁ、坂本のほうは大あくびをしているだけだったけど。
「お?珍しくリュージが眠そうだな。徹夜でもしたのか?」
「俺だって徹夜ぐらいするっつの」
「まさか!?ホントにリュージが徹夜したのか!?」
モルガナは驚いていたが何のことは無い。詳しく聞けば、今日まで続いていた“中間試験”に嫌気が差し、久しぶりにゲームを起動したところハマってしまい、気付けば朝になっていたというだけの話であった。もし本当に徹夜で勉強していたとしたらきっとその日は何か良くないことが起きる。だからこれでいい。
ちなみに杏の方は、勉強の合間に部屋の片づけをはじめたら止まらなくなってしまった、とのこと。
「どっちも典型的な現実逃避の形だな…」
「うっせ。俺より脳みそちいせぇくせにっ」
「大きいだけで中身スカスカなリュージに言われてもなー」
「てめこのクソ猫!」
「もう、朝から大きい声ださないでよ…」
普段どおりのじゃれ合いを横目に、私は周囲の人ごみに意識を向けていた。知識通りであれば、このへんに
「…」
「どうかしたか?」
ぐるりと一周見回していると、遠目から見ても明らかにぎらぎらした目つきの男と目が合った。人ごみで紛れてよく見えないけど、あれは多分喜多川で間違いないだろう。なんで私を見てるんだあいつ。
引っ張り出してもよかったがここは人の多い駅のホーム。周囲の迷惑になるのは避けたいので、ひとまずは泳がせておくことにした。
「ねぇ綺羅」
「なに」
「あの人、なんかずっとこっち見てない?」
「見てるね」
「なんでそんな冷静なのよ!」
実は杏も気付いていたらしく、電車が到着し場が混沌としだしたタイミングで私にそう聞いてきた。適当にたしなめつつ、降りた先の駅でまだいるようならひっ捕らえて問い詰めようということで納得した。
降車が済み、前に並んでいた私たちは入り口から奥の方へと乗り込む。相変わらず座席は一つも空いておらず、外よりも人口密度が高いせいで蒸す。端的に言って最悪な環境だけど、毎日繰り返していればこれにもいつか慣れるんだろうか。
前に持ってきたリュックを抱きかかえながら窓際にもたれかかり、外の景色を眺めていると、前に立つ杏がこちらをじっと見つめてきているのに気付いた。
別にいくら見てくれようが一向にかまわないのだけど、それはそれとしてやはり気になってしまう。私よりほんの少し高い位置に頭のある杏は見返した私の視線にたじろぎ、照れ臭そうに苦笑した。
「なに?」
「いやぁ綺羅の目を見るのに理由なんていらないよー」
もしその行為がクセになってるんだとしたら即刻治した方がいいと思う。人の顔面を無意識のうちにガン見する癖なんて絶対ろくなことにならない。
「なんか不思議な感じがするんだよねぇ」
そう言って、また杏は私の目を覗き込んでくる。
私の瞳は、父親譲りの“赤色”だ。それもかなり、鮮やかな赤。赤色の混じった…とかではなく、純粋な赤。見事なまでに父親の色を受け継いだ証だ。私としてはそれも誇りには思っていたけど、今はもう家族だった人たちの話をする気にはなれなかった。今度は目を閉じて、目的地に着くまでの間完全にその思考を頭から締め出した。
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駅から地上に出て約数歩、相変わらずついてきた件の男にいきなり向き直り、杏は文句を言ってやろうと息を吸った。
が、そこに立っていたのが想像とは全く違う人物だったのに対し言葉を失ってしまっている。対する男も何か言われるのかと身構えた結果何も言われないのを見て、困ったように首をかしげていた。
この男は喜多川祐介。ゲームなら、次に仲間になるキャラクターだ。高身長かつ細身で、ありていにいってしまえば顔も美形。黙っていればモデル級とよく揶揄されている。
「そこのお二方、ぜひ俺の絵のモデルになってくれ!」
「…え?」
黙っていればと枕詞がつくのは、東京の街のど真ん中で、人目も気にせずこんなことを叫べる男だからである。私はミュージカル俳優のようなポーズを決めた喜多川に近寄り、一言「いいよ」とだけ答えた。
「えーーー!?」
「恩に着る!ではさっそくアトリエまで案内しよう。なに、電車賃に関しては心配いらない。ちょうどすぐそこまで先生の車が」
「ちょ、ちょっと待てって!」
パッと顔を明るくした喜多川とぼーっと突っ立つ私の間に、大袈裟な身振りで坂本が間に割り入ってきた。
「こんな怪しい奴の勧誘にあっさり乗りすぎだろ!あと、お前そもそも誰よ?駅からずっとつけてきてたよな」
問い詰められた喜多川は特に悪びれる素振りも見せず、ただ淡々と、さっきまでの歓喜の表情がウソかのような無表情で坂本に向き直った。
「つけていたつもりはない。ただ、彼女の持つ魅力に惹かれ、気付いたらここまできてしまっていただけだ」
「つけてんじゃねーかっ!」
「俺はストーカーではないっ!」
「誰もそうは言ってねーよっ!」
「む。そうか。すまない、早とちりだったようだ」
「や、つけてたのはホントなんだよな…」
「結果的にはそう言えるかもな」
「…オイ、こんなやつだぞ?いいのか?」
呆れ顔の坂本がこっちを振り向いて私に聞いてきた。無論、こうでなくてはむしろ困る。
「確かに、少し礼節を欠いていたな。許してほしい。俺は喜多川祐介。斑目一流斎の弟子だ」
「斑目って、あのマダラメ?」
喜多川から出た名前に、杏が聞き覚えのあるような反応をして雨宮が聞く。
「知ってるのか?」
「うん。この前情熱帝国で見たよ。『稀代の天才画家、斑目一流斎』って」
「マダラメ…」
モルガナが復唱するように名前をつぶやくのと同時に、私たちが立ち止まっていた歩道の脇に一台の車が止まって、開いた窓から一人の老人が朗らかに笑いながら顔を出した。この爺が喜多川の師匠であり、次のターゲットになる男でもある。
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この日、モルガナの提案によって、怪盗団は渋谷の駅前に集合していた。
目的は“大衆のパレス”…通称メメントスの探索のためだ。
パレスに入るために使う謎のアプリ、イセカイナビを使用して渋谷の駅前から入ることができる。メメントスは東京の地下鉄内部に存在しているからだ。
詳しい説明はここでは省くけど、とにかく小さな歪みが集まって形成された総合的な認知世界であるということだけ知っていれば問題はない。
もちろんここにはシャドウもいる。時には、他の人間より少し強い歪みを持つ人間のシャドウなんかもいる。そういう奴を説得して現実へと返すことで、その人間の改心も可能だ。
そして当たり前だが、認知世界内でまともな列車が運行している訳はない。でも内部はかなり広く平坦だから、移動には“車”を使う。
「ニャータリーエンジン、全開だ!」
「飛ばすぞ」
「いや、安全運転でおねがい」
モナが変身して車になるので移動は楽ちんだ。ネコは変身して車になるという認知が、何故かこの世には広く浸透しているのが原因らしい。
運転席に座るジョーカーは後部席のパンサーの制止をものともせずエンジン全開でぶっ飛ばし始めた。当然いきなりだったので後ろに座ってた二人は豪快に背中から叩きつけられていたが、幸いこの車のシートはネコ産なのでかなりふかふかで安全だ。
とにかく、車によって機動力を得た私たちは、ここへ来る前に怪盗お願いチャンネルの掲示板で見つけたとある悩みの種を解決するため、歪みの強い場所を探し始めた。
「あ、そういえば綺羅のコードネームってまだ決めてなかったよね?」
ゴロゴロと揺れる車内で、ふとパンサーがそんなことを言い出した。そういえばそんな話もあったな。
「この格好のモチーフって…」
「ああ。どう考えてもジョーカーだな」
二人は後部座席から身を乗り出して、助手席に座る私の格好を覗き込んでくる。
まぁ誰が見ても分かる通り、確かに私の怪盗服のモチーフはジョーカーその人である。ただ私はそれをすぐには肯定せず、たまたま似ているだけということにした。
今は誰も気が付いていないようだったけど、私は一応ジョーカー達と会う前に力を覚醒したことになってる。なのに反逆のイメージがジョーカーのものというのも、少しおかしな話になってしまう。
「ジョーカー…切り札でしょー?それに似た言葉ってなんだろ」
「そういや、綺羅の力ってかなりえぐかったよな?カモシダんときしか見てねぇけど、すげぇ迫力だったのは覚えてるわ」
「切り札…必殺…?奥の手…」
そんなこんなと悩んでいるうちに、モルガナが強い歪みの発生源を嗅ぎ当てて目的地にたどり着いた。この話はあとですることにして、今はひとまず目の前のシャドウに集中する。
そのシャドウの見てくれは一見どこにでもいるような成人男性だけど、目はシャドウ特有の金色に光っていて、なおかつ漏れ出る負のオーラは誰の目にも明らかだった。
彼の名は“ナカノマツ シンジ”。
掲示板にわざわざ名前まで書きこまれてしまっているストーカー男だ。すでに別れたパートナーにしつこく粘着しているらしく、職場にまでおしかけたりしているそうだ。パンサーは女の敵ということで即改心に賛同していた。
私としては男女うんぬんの関係よりも、そもそも社会人として人の迷惑になる行為を働く輩というだけで止める理由としては充分な気がする。
ジョーカーが彼の前に立つと、ナカノマツのシャドウはゆっくりと顔を上げ、私たちを視認した。
「なんだ、おまえら」
「ストーカーしてるっていうのはあんたね?」
「ストーカー?僕が?」
「タレコミがあったんだよ。ご丁寧に名前までさらされてあったぜ?ナカノマツさんよ」
「あの、女…!!余計なことしやがってっ!!」
大人しそうな外見とは裏腹に、急に思い出したかのように顔を醜く歪ませ声も荒げ始めるナカノマツ。どうやらこいつで間違いはないようだ。
「あの女は俺の物だ!俺がなにしたってお前らに関係ないだろ!?」
「そもそもあんたの物なんかじゃないし、人に迷惑かけてるんだから止められて当然でしょ!」
「うるさいうるさいうるさいっ!俺だって散々物扱いされてきたんだ!」
「自分がやられたからって、人にしていい理由にはなんねえだろ!」
「俺より悪い奴はたくさんいるだろ!?そうだ、あの男…俺を散々物扱いした、マダラメはいいのかよっ!?」
口論の中で、ナカノマツのシャドウはそんな言葉を口走った。一瞬みんなは顔を見合わせるが、その隙をついてシャドウは人の形を捨てて異形へと変化した。
「来るぞオマエラ!構えろ!」
変異したと同時に、アルセーヌの扱うような赤黒いエネルギーを纏いながら正面に立つジョーカーに殴りかかってきた。が、それはあっさり躱されて代わりにアルセーヌの蹴りをカウンターで喰らうことになる。
後ろ向きにゴロゴロと転がりながら壁に激突し、追撃の呪怨を浴びる。
「…む」
「物理には強いらしいな。魔法で攻めるぞ!」
派手な音がしたが、どうやらそこまでのダメージでは無かったらしい。
それならばと立ち上がる前に各々のペルソナの持つ属性攻撃で一斉に攻め立てる。その中で、スカルのキッドが放った電撃が一番効果が出た。派手に転び、感電して上手く立ち上がれずにいる。
その後の顛末は察しの通り。倒れた相手への総攻撃で、ナカノマツを黙らせることに成功した。その間、私はのんびり見てるだけだったけど。
パンサーは倒れ込むナカノマツに対してぐっと押しより、力強く説教を垂れている。ナカノマツも反省したようで、さっきまでの威勢は消え失せ、すっかりしょんぼりしてしまっている。
「す、すまなかった…。僕は一体なんてことを…」
「分かればいい」
「もう彼女には関わらない。約束するよ…。ただ、もう一つ…君たちが本当に正義の怪盗だというのなら、改心させてほしい奴がいる…」
「聞いておこう」
「
「分かった。覚えておく」
その言葉を最後に、ジョーカー達に見送られながらシャドウは消えていった。後には何かを残していったようだが、それはジョーカーが報酬として頂いておくらしい。
そして静寂だけが残った場所で、三人と一匹はナカノマツの残した言葉について議論を重ねていた。マダラメなんて苗字はそう多くないし、聞いたことや見たことがあれば間違いなく記憶には残るだろう。しかしここにいるメンバーの誰一人として、その名前に心当たりはなかったようだ。
無論私は知っているが、別にここで教えなくたって後々明らかになること。余計な口出しはしないことにした。
「その話はあとだ。今は先に進もう」
と、話を切り上げたのはモナで、手慣れたように車の姿へ変身するとクラクションを連打して乗車を催促してきた。もちろん、ただのクラクションではなくネコっぽい音だった。
言われた通りに、さっきと同じ席順で車へ乗ったところで、ジョーカーが疑問を呈した。
「どこにいけばいい」
「下に向かってくれ。理由は後で話す」
モナの指示通り、ジョーカーは車を走らせる。一応アクセルなりブレーキなり操縦できる装置は一通りあるけど、どうやらモナ自身の意思で勝手に走ることも可能らしい。
ただ、その場合それなりに体力を使うらしく、本人曰く全力疾走し続けてるのとほぼ変わらないらしい。だからといってアクセルを踏まれることにより体力を消耗しないというのも原理は謎のままな気はする。
そんなことを考えながら座席の横を撫でさすっていると、スカルとパンサーはまた私のコードネームについて考えだした。しかし、どれもピンとこずああでもないこうでもないと、頭を悩ませていた。
他のメンバーは割と個性的な格好だったのもあって割とすぐ決まってたり、予め自分で用意してたりしたおかげで、ここまで悩むようなことにはならなかったんだけどなぁ。
「なんか、あんまり私服とスタイル変わらないよね」
後部座席から顔をのぞかせて、パンサーがそんなことを言う。
「楽だしいいよ」
楽だという意見にスカルは激しく同意した。このスタイルが主なのは昔からそうで、出かけるのに着ていく服をいちいち悩むのが面倒だったからというのと、個人的にスカートは似合わないと分かっているからでもある。学校の制服は致し方ないが。
「綺羅って線細いしパンツが似合うのは分かる。でも、スカートが似合わないことは無いと思うよ?」
「制服ですら似合ってないでしょ」
「んなことねぇと思うけどなぁ…って、なんの話だっけ?」
「…あれ?なんだったっけ?」
「ついたぞオマエラー」
話が脱線し始めた頃、そう時間もかからないうちに車は目的地へと到着した。そこは地下鉄のホームのような場所ではあるものの、メメントス特有の禍々しさが歪に混入しているせいで見慣れたような感覚には全くならなかった。
そして、そのホームからはさらに下に続くエスカレーターが伸びていた。動いてはいないけれど。
「やっぱり開いてるか」
「どういうことだ?」
「ワガハイは前にもここに来たことがある。だが、その時にはこの場所に道なんて無かった」
「じゃあどうして…」
「ここは大衆みんなの認知世界。おそらくだが、ワガハイ達がカモシダを改心させたことで、大衆へ怪盗団の存在が少し認知されたから、奥へ進めるようになってるん…だと思う」
「相変わらず肝心なとこふわっとしてんなぁ。でも、なるほどな。大物を改心させてけば、世直しもできるしモナの記憶を探すことにも繋がるってわけだな」
「そういうことだ」
モナは偉そうにふんぞり返り、スカルは納得したように頷く。
そもそも、モナは認知世界で目が覚めてからそれより以前の記憶を失っている。ただ、漠然と認知世界を調べれば自分のルーツを知ることに繋がると直感しているため、メメントスやパレスを単独で調査していたらしい。
私たちはそれに協力しながら、悪人を改心させていくことで世直しも図ろう…というのが、当面の目的になる。
「まぁ今日はここまで引き返そう。付き合わせて悪かったな」
「先へは行かないのか?」
「行ってもいいが、別に急ぐ必要はない。それに、なんだかさっきから嫌な気配がする」
「嫌な気配?」
「言い忘れてたが、メメントスには一体、とんでもなく強いシャドウがいる。そいつに出くわしたら終わりだと思った方がいいレベルのな」
「ちょっそれ一番大事なやつじゃん!」
「というわけで、さっさと帰るぞ!オマエラ!」
ボン、というふざけた効果音とともに煙が巻き起こり、謎の原理でモナ車が現れる。みんなそそくさとそれに乗り込み、来た道を引き返し始めた。
事情は完全には呑み込めずともひとまずは同意して乗車したパンサーやスカルも、時間が経つにつれて嫌な気配を感じ始めたようで、少し顔色を悪くしていた。
私はというと、その嫌な気配に違和感を感じていた。モナが危惧しているのは、メメントスに長時間滞在し続けると現れる『刈り取るもの』のことだろう。確かにあいつはゲームでも屈指の強さを誇る強敵だ。
そんな刈り取るものの特徴として、ボロボロで薄汚れたコートに鎖を巻き付けた姿がある。そのため、奴が近づけば鎖の擦れる音で気付くことができる。
今はまだ、そんな音はしない。なのに、じっとりと湿った嫌な気配だけが近づいてくるのが伝わってくる。
いつ何が起こってもいいように、身体の上に置いたナイフの柄を強く握りしめる。もしその時が来たら、皆を守るのは私の役目であり、義務でもある。
ゲームではこの段階でこんなハプニングは起きなかった。この変化は私がいることによってもたらされたものである可能性が高い。
「ねぇジョーカー、なんか後ろから」
「わかってる」
パンサーの声よりも先に
「駄目、止まって」
「なに?」
「前にもいる」
私が言うが早いか、速度を落とさないまま直角のコーナーを曲がった先で、私たちの眼前に巨大な銃口が突きつけられた。
ガラスの割れるような音と共に銃口から光が溢れ、ジョーカーは寸でのところでハンドルを切ってなんとか回避しようと試みた。
結果直撃は免れたものの、常識はずれな威力の衝撃波によってモナ車ごと私たちは一斉に広い線路上に投げ出される羽目になった。
「モナっ!?」
「ワガハイなら大丈夫だ!だが、これはまずいぞ…!」
「どうする!?逃げんのか!?」
各々ふらふらと立ち上がり、正面に立つそれを見据えたままじりじりと後退していく。今からモナに変身してもらって全力で逃げるのもいいが、背を向けた瞬間に取り返しのつかないことになりそうだ。
だがここでにらみ合っていてもどうしようもなく、さらには背後からもう一体近づいてきている。さっきまではしなかった、鎖の音を響かせて。
一歩間違えれば即ゲームオーバーになりかねない危険な状態だ。ゆらゆらと宙に浮かびながらこちらに近寄ってくるそれは、両手に長い銃身を湛えた銃を持ち、薄汚れた装束に鎖を身に着けている。頭は安っぽいホラー映画にでも出てきそうな、片目だけ空いた…もしくは破れた仮面をつけていて、その向こうから血走った狂気を感じさせる眼球が覗いていた。
紛れもなく、こいつは刈り取るもの。今のジョーカー達で、太刀打ちできる相手ではない。
睨み合いながら仕掛けるタイミングを見計らっていると、刈り取るものは意思を感じさせない緩慢な動きで、その銃口を真上に向け引き金を引こうとした。
「Chara!」
何をしようとしているのかは理解できなかったが、黙ってみていてもろくなことにはならなそうだった。
私はCharaを刈り取るものの頭上に召喚し、そのナイフを頭部目掛けて振り下ろした。
人間の何倍もある体躯を持つ刈り取るものに対して、私が召喚したもう一人の自分の姿はあまりにも小さく幼い。
それでも、わたしが突き刺したナイフは深々と頭部に突き刺さり、刈り取るものは動きを止めた。
Charaは別の世界の私そのものであり、ペルソナでは無い。魔法なんてものは扱えないし、これといって特別な能力も無い。
あるのは、魂に宿る決意の力だけ。
決意とは、意志の力。この世界では、その影響がより色濃く反映される。そしてわたしの決意は、並のそれとは比較にならない。その力を得ることになった経緯は、決して誇れるものじゃない。むしろ、血と泥に塗れた忌避すべき過去だ。
それでも、今はこの力を振るう。自分のためだけじゃなく、人のために使うのだと、言い訳して。
真っ赤に染まったナイフをCharaが引き抜き、刈り取るものは一撃で消滅した。この程度の敵でも、まだ一撃以上は耐えないか。
心底、忌々しい力だ。
「来い」
そうは思いつつも、こうやって外敵をねじ伏せる感覚だけは嫌いになれない。
Charaを自分の中へ呼び戻し、限界まで『決意』を高める。
薄暗い線路の奥、まだ比較的遠くにもう一体の刈り取るものがいる。恨みはないが、少し今の力でどこまでやれるかを試させてもらおう。
ジョーカーに比べれば、私のできることのバリエーションは非常に少ない。武器は自前のナイフ一本だし、それはペルソナとして呼び出すCharaの姿でも同じこと。
後は、こちらの世界へきて無意識のうちに習得した、『決意を形に変える』術。
認知世界の仕組みが作用しているのか、鴨志田のパレスでもそうしたように、「相手を傷つける」というイメージを練り決意を混ぜて刃とする。
全身の血が沸き立ち視界の隅まで朱く染まった頃、指を一度鳴らす。
すると、私の周囲に顕現した赤いナイフの形をしたそれらが一斉に狙った方向へと飛んでいく。
その一本一本が、致死の一撃だ。
風切り音とともに高速で飛来するナイフに対し、刈り取るものは今までの緩慢な動きがウソのような機敏さで銃口を向けて引き金を引いた。遠くからまたガラスの割れるような音が響き、刈り取るものの正面に半円状のバリアのようなものが張られた。このタイミングでそれを行ったということは、反射魔法の類だろう。
しかしその壁に触れたナイフは速度を落とすことなく、本体に向けて直進し続け、その体にいくつもの風穴を開けた。直後、破裂したように刈り取るものの身体は霧散し、後にはメメントスに吹く生ぬるい風の音だけが残った。
「すご…」
「なんとかなった…のか?」
「とっくにね」
呆然とするみんなの頬を叩き、今度こそ車へと変身したモナ車へと乗り込む。
発進してからしばらくは無言の時間が続いたが、時間が経つにつれて安心してきたのか徐々に口数は回復していった。確かにまだ覚醒して日も浅い内に刈り取るものを間近で見れば驚きもするだろう。
「にしても、ツマキの力もスゲーなぁ!ジョーカーと言いこいつといい、ワガハイやっぱ持ってるよなぁ~!」
「怪盗団のリーサルウェポンだな」
「あ、いいじゃんそれ!戦略のジョーカーと、実力行使のリーサル。これでどう?」
「それ褒めてる?」
「もちろん!スカルもいいと思わない?」
「りー猿…ってなんだ?」
「リーサルは致死、致命的な~とかって意味。でも映画とかの影響で、必殺の~とか、とどめの~とかって意味でも使われたりはするね」
「お~」
「…なにその気の抜けた相槌」
「まぁいいんじゃね?意味とかはよく分かんねぇケド、なんかぴったりな感じはするし!」
「殺傷武器の異名がぴったりなのは、どう反応すればいいの?」
「賞賛として受け取っておけ」
運転しながら、くつくつと笑いジョーカーがそんなことを言う。そんなに嬉しくないぞ、その賞賛。
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暇でしかなかった一週間の疲れを逃がすようにひとつ伸びをして、うなだれる杏とスマホを覗いている雨宮をなんとなく後ろから眺めている。
とてもテスト終わりの高校生らしい、色々な感情が入り乱れたオーラが出ていた。雨宮からはそこそこ自信に溢れたオーラ。そして杏からは。
「アン殿、少しくらい勉強ができなくたってワガハイ…」
「うっさい!別に勉強できないわけじゃないから!」
机に突っ伏していた杏はバッと頭を上げ、後ろにむかって鋭く指摘した。しかし周りから見れば、何も言ってない雨宮に対して急に杏がキレたみたいになってて一瞬いやに目立っておいでだった。だから学校では喋るなとモルガナにはあれほど言っておいたのに。
呆れつつ、私も一応杏にフォローは入れてみる。
「まぁ、赤点じゃなきゃみんな一緒でしょ」
「そ、そうだよね!」
「いや、一緒ではないと思うぞ…」
!
たわいもない会話を交わしていると、全員のスマホが一斉に震えた。見ると、怪盗団のグループチャットに坂本からの着信が入ってきていた。
Ren:終わったな
An:いきなりなに
Ryuji:例のモデルの件、どうすんだ
An:うーん…
>とりあえず行ってみる
Ryuji:マジ?あいつ結構ヤバいぞ
Ren:悪い奴には見えなかった
An:うん。それに、もしかしたらマダラメのことを探るチャンスかも知れないしね
>そういうこと
An:綺羅が行くならもちろんわたしも行くよ。一人で行かせるのは心配だしね
Ren:みんなで行けばいい
Ryuji:賛成
An:せっかくチケット貰ったし、明後日の個展見に行ってみない?そこで喜多川君と話できるだろうし
Ren:了解
Ryuji:OK!
Ryuji:ところで
Ryuji:テストどうだった?
An:竜司は?
Ryuji:聞くなよ
Ren:そこそこ自信あり
>適当
Ryuji:うわ。絶対しれっと高得点とってるやつの反応
An:現実逃避してないで今からでも勉強したら?
Ren:杏は?
An:え?
Ryuji:テスト、どうだったんだよ
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世間にとっては華の日曜日。多くの人々が学校や仕事を休んでいるはずのこの日に、何故か仮暮らしさせてもらっているこの喫茶は閑古鳥が鳴いている。
「うるせぇよ。そう思うなら客引きでもして来い」
そう言って、佐倉さんは煙草をふかしながら新聞を開く。そういうところが原因だとは思うのだが、無駄に繁盛してしまってもそれはそれで困るから、実際はこのままがいいっていうのが本音。
たまに佐倉さんをからかいながら、休日は基本私もルブランのカウンターに立って仕事をしている。給料は無いが、その代わりにここに住まわせてもらっているんだから文句など言えるわけがない。そんな私を尻目に、雨宮は今日もせっせとどこかへ出かけていった。まったくもって良い身分である。
カウンターの下でスマホを弄りながらテレビの音声に耳を傾けていると、ドアの前にすらりとした影が伸びた。開かれた扉の先には、いかにも高級そうなスーツを着込んだ美人な女性が立っていた。見覚えありまくりなその顔に思わず見つめてしまったが、相手も同じように少しの間私の顔を見て固まっていた。
「…いらっしゃい」
「え、ええ。どうも…」
ぎこちなく挨拶をかわす二人を視界から外して、とりあえず水を出す用意をしようとコップを取りだす。
「…バイト、二人もいるんですね」
「まぁな」
「…」
「ご注文は?」
「…ブレンドで」
「あいよ」
適当な量を注ぎ水を出す。なんだか急にピリピリとしだした店内にコップとテーブルが触れる音がする。
「どうぞ」
「…あなた、どこかで会わなかったかしら?」
そう言って、目の前の美人は私のほうをまじまじと眺めだした。
そう言われて私がピンと来るはずはない。なぜなら私にとって、彼女もゲームの中で登場した人物という認識でしかないからだ。もしかして本当に過去に会っていたとしても、そんな思い出は私には思い当たらない。
彼女の名は、
「あなたもしかして、妻木さんじゃないかしら?」
佐倉さんがコーヒーを淹れている間ずっと考えていた冴が、急にそんなことを言う。正解なんだけど、なんで知っているのかこっちは分かっていないだけにただただ不気味だ。ここで素直に「はいそうです」と答えて良いモノかも見当がつかない。
私は一瞬答えを保留し、冴の顔を見て思い出すふりをしながら考える。私はこの人と、出会ったことがあっただろうか?
新島冴はそう長くはないが検事として働いている。仕事関係の場で会ったとするならば…心当たりは一つある。だが、そうか…あの時向こうにいたのは、冴さんだったのかな…。
あの時はまだペルソナなんて言葉も知らない時期だ。顔を見ただけじゃ印象には残らないだろうし、そもそもあの時の私はずっと俯いていた気がするし。
「いえ、多分人違いです」
「あら?そうかしら…」
「名前については個人情報なので、すいません」
もし私の心当たりが的を射ていたのならば、これ以上この話を掘り下げたくない。私がその人であると知られても、ここに住み込んでいることがバレたりなんかしたら間違いなく面倒なことになる。私にとっても…今はもういない両親にとっても。
冴は申し訳なさそうにして引き下がったが、その怪訝そうな目は相変わらず私のほうへと向けられていた。
そしてとても接客をするものとは思えないしかめっ面で間に割り入った佐倉さんがコーヒーを出して、ようやくその視線は逸らされる。
やはりこの人の出すこの厳格な雰囲気はそこに居るだけで疲れるな。
『…ですが相変わらず、警察は事件の足取りを詳細には追えていないというのが現状ですよね?』
ぽつぽつと交わした会話が途切れてもともと重い空気はさらに重くなる。少しでも気を紛らわそうとテレビの音量を上げて視線をそっちへやる。
「ここは大丈夫なんですか?」
「何のことだ?」
「最近色々と物騒じゃないですか。そのせいで余計に客足も遠のいてるんじゃないですか?」
「余計なお世話だよ」
ぶっきらぼうに答える佐倉さんと、落ち着いた様子でうっすら笑みを浮かべる冴。当たり前だが二人の会話をよそにテレビの中では議論が進んでいく。
議題はもちろん、精神暴走事件と鴨志田の事件の関連性についてだ。コメンテーター数人とアナウンサー、そしてその中には、『二代目探偵王子』として名高い
『僕は、今回の秀尽学園での事件と精神暴走事件には、何かしらの関連があるとみています。どちらも、人の急な心変わりが原因で起きた騒動ですし、その豹変ぶりもよく似ている』
多少容姿が優れていることと、高校生という若さで現役探偵ということで話題を呼んでいる明智だが、実のところ今こいつが解説もどきを行っている精神暴走事件はこいつが引き起こしているものである。
そして、表に出ていないだけで既に多くの人間が“廃人化”させられてきているはずだ。全ては明智の計画と、その上に立つ真の黒幕の思惑のせいで。
こいつも早めに止めておくべきなのかもしれない。しかし現時点では、こいつに接触するための術を持たない。何か考えないと。
「あなた、彼についてどう思う?」
「私?」
「そう。あなた」
ふと、冴が私にそんなことを聞いてきた。探りを入れるような目線と心の中に踏み入ってくるような声色は、少なくともまだ犯罪は犯していないのに尋問でもされているかのような気分にさせられる。見た目はキレイだけど、なんでもないところで仕事の癖が出ちゃうのが玉に瑕なのかもしれない。もしくは、本当に何か探られているのかな。
「別に何も」
「そう?興味深そうに彼を見ていたから」
「しいて言えば、話し方がムカつきます」
「ほう。珍しく意見が合ったな」
適当に言っただけなんだから乗っからないでほしい。
「ご馳走様でした。また来ます。元気そうでよかったわ」
「どうも」
最後に意味ありげな言葉をつぶやいて冴はお代を置いてルブランを後にした。
一気に張り詰めていた空気が緩んだような気になって思わずため息をつく。横をみれば、佐倉さんも同じように深く息を吐いていた。お互い思うところは同じだったようだ。
気疲れした反動で忘れただけか、それとも気遣ってあえて言及しなかったのかは分からないけど、冴が私のことを知っているかもしれないことに関しては何も言われなかった。おそらく後者であることは察しつつ、その心遣いに甘えて私はさっき起きたことを記憶の隅に追いやった。
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テスト終わりの余韻も抜けぬまま迎えた月曜日の放課後。もうすでに試験にはどんな問題が出たかも忘れ去ってしまった私の脳みそは、次に改心させることになる斑目のことだけを考えていた。斑目の事を改心させることになるのは確定事項だが、その前に一つ私には気になることがあった。
私の記憶では、斑目は改心する直前に『黒い仮面』について言及していた。
だからもしかしたら、その黒い仮面の正体である男も斑目のパレスに来ていたのかもしれない。斑目を廃人化させる必要は黒幕側に無い以上、何か別の目的があったのか。
とにかく、斑目のパレスに張っていればもしかすると
「そしてこれが、先生が二月もかけて作り上げた作品だ」
「なんか、不思議な感じ。個展って言うと、その人の特徴とか癖がある程度わかるイメージだったんだけど、斑目さんの絵はどれも全然違って見えるっていうか」
問題は会えたところで何をどうするかというところだ。明智は既に心を壊しているだろうから、生半な説得なんて耳を貸さないだろう。力づくで言うことを聞かせるのもやぶさかではないが、もっといい方法がある気がしてならない。できる限り暴力は避けて…。
「そうなんだ!そこが先生の凄いところで…」
「ねぇ、綺羅は今まで見てきた中だとどれが好き?」
「丘の上の花畑とか、良いんじゃないかな」
「あぁ。あれも良い絵だ。妻木さんも物を見る目がある」
となると少しリスキーではあるが、二重スパイをやってみるのも良いかもしれない。私自身の危険性を引き合いに出せば、そう難しいことではない気がする。
時が来るまで、私も明智に協力する形で動き奴を引き留めるチャンスを伺えれば良い。
それはそうと、さっきから現実と脳内で意識が完全に断裂していて、ちゃんと会話になっていたのか不安なところだ。無意識下でヘンなことを言っていなかっただろうか。
「ふぅ。とりあえずこれで一周したね」
「二人とも、今日は来てくれてありがとう。もしよければ、今度先生のアトリエまで来てくれないか?ここがその住所だ」
どうやら私の知らないうちに個展会場を全て見て回れたらしい。ぼーっとしていただけだから何も記憶には残らなかったが、斑目が盗作を行っている事実に変わりはないことが確認できただけでも良かったか。
ここに在る絵は全て、斑目本人ではなくその弟子たちが描いた絵。それをさも自分が描いたかのように公言し、あまつさえその弟子たちにはなんの取り分も渡さない。立派な盗作爺のままでむしろ安心さえした。
ここに来た時実際に斑目と話したが、杏はその様子から見て本当にメメントスで聞いたマダラメが、あの斑目なのか判断しかねていた。鴨志田の時もそうだったが、どうしてこうも悪人は外面だけは取り繕えるんだろう。
「綺羅はどう思う?わたしはそんな悪い人には見えなかったけど」
「黒だろうね。あの中に斑目が描いた絵は一つもないんじゃない」
「確かに、画風はこれでもかってぐらいバラバラだったね」
「手っ取り早く確かめるならパレスがあるかを確かめてみよう。今度、アトリエに行ったときにでもさ」
「そうだね…。って、竜司と蓮は!?なんで先にどっかいってんのよ…!」
知らないうちに雨宮のことも下の名前呼びになっている杏。雨宮、しょっちゅう出かけてると思ったら、杏とどっか行ってたのかな?
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雨宮達は怪チャンの管理人であるクラスメイト“三島”のツテを頼り、マダラメについて書き込みを行ったであろう本人に、直接コンタクトをとることにしたらしい。改心は人そのものを変えるような行為である以上、実行に踏み入るのに慎重になるのは当然の事である。
私はそっちの役目は三人と一匹に任せ、一人で斑目のアトリエまでやってきていた。
用があるのはこっちじゃなく認知世界の方なので、さっさとアプリを起動して“美術館”へと移動する。
空間が歪み、次に周囲の景色がはっきりした時にはもう、目の前には豪華絢爛な美術館へと姿を変えた斑目のアトリエが立っていた。
認知存在の人間たちが列に並び、会場に入れるのを今か今かと待ちわびている脇を通り抜け、人目につかない場所から塀を乗り越えて敷地の中に忍び込んだ。
もし明智がここに来るならどういう道を通るか。そのことを考えながら道筋を導き出していく。
ゲームでは、ジョーカー達が初めてここに来た時に天窓からロープを下ろして内部へと忍び込んだけど、あれと同じルートを明智が取るはずもない。そもそも本当に明智がここへ来ていたのならば、何が目的でここに来たのかを考える必要がある。
明智は黒幕の手先として、邪魔者を廃人化させて闇へ葬ることが任務のはず。しかし、斑目が黒幕の目的に直接関与はしていない以上、廃人化が目的ではないのは明らか。
もしかすると、斑目のシャドウは明智の事を知っていたが、直接目で見たわけでは無いのかも知れない。
もう一人、明智の事を知っていたパレスの主がいる。そいつは裏社会にズブズブだったとはいえ、やはり黒幕との直接的なかかわりは薄いように思える。
広すぎる日本庭園を思わせる敷地の壁によりかかり、もう少しこの静かな場所で考えてみる。
そもそも明智はどうやって、これまで廃人化を起こしてきたのか。
力を得ることになったのは今から約2年前のはず。
それを使ってパレスかメメントスに侵入し、廃人化させたい人間のシャドウを殺害すれば事件は起こせる。
多くの人間がもつ歪みはたかが知れている。強く心を歪ませても、基本的にはメメントス内でシャドウが生まれる程度。
しかしそんな中で、ごくまれに人よりも大きく認知を歪ませ、心を壊してしまったものが現れ、それらは集合的無意識そのものであるメメントスという枠組みから外れ、自分だけの
要するにパレス自体が結構珍しいものということ。だったら、明智は普段メメントスで活動していることの方が多いんじゃないだろうか。こんな野望に関係ない爺のパレスに、用もないのにわざわざ足を運ぶ可能性は低い。
だったら何故斑目はあの時、黒い仮面について聞いてきたのか。
それはさっきの話に繋がるのかもしれない。明智は基本メメントスでシャドウを殺して回っている。現実の人間に直接影響が及ぶシャドウに対しても見境なく。
そんな明智の所業は現実にはもちろん知られることは無い。
だけど、認知世界の中でなら広く知られていてもおかしくはない。ましてメメントスは全ての人間の集合的無意識。そこでお構いなしに殺戮を繰り返す明智のことが知れれば、認知世界内のシャドウには共通認識として黒い仮面イコール危険という認知が共有されるという可能性。
無くはない気はする。シャドウの知り得たことは現実の本人には知り得ない以上、明智にとって認知世界の中で自分の存在が広まることにデメリットはないと考えるかもしれない。例えば、私たちの様にメメントスの上層で足止めを食らうこともないし、余計な雑魚は近寄っても来ないだろう。
ということは、ここでこうして待っているのには全くもって意味がないということになるな。
そう思い至りさっさとこの場を後にしようとした。けど、静かで近くにシャドウもいないこの場所はやけに心を落ち着かせた。もう少しここで空を眺めるのも良いかもしれない。
パレスは基本的に歪みの生じている場所以外は現実とほぼ変わらない景色が続くものだ。斑目の場合は、自らの弟子を奴隷のようにこき使っていたアトリエを自分の作品だけで飾られた美術館であると認知しているせいで、閑静な住宅街に突然超巨大で金ぴかな建物が突っ立っている構成になっている。
しかも自分以外はどうでもいいということの表れか、輝かしくライトアップされた美術館の周囲は一切の明かりがなく、永遠の夜が続いている。
そんな夜特有の独特な静けさも相まって、意外とこの場所は頭を空っぽにするのに適している。近いうち崩壊させるのがもったいないぐらいだ。
しばらく張りぼての夜空を眺めてぼーっとした後、満足した私は敷地から抜け出ししれっとパレスから現実へと帰還した。
成果は何も得られなかったけど無駄では無かった。今度はメメントスで張ってみよう。
「妻木さん?」
スマホ片手に斑目のアトリエ前を通り過ぎようとした時、自分を呼び止める声がかかった。そちらを振り向くと、凛としたたたずまいで不思議そうに首をかしげる喜多川がいた。
「どうしてここに?」
「暇だったから、来てみた」
「そうか。なら、少し時間をくれないだろうか」
「いいけど…」
「一目見たときからずっと、ゆっくり話がしたいと思っていた。立ち話もなんだ。アトリエの中に入らないか?」
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招かれるまま、斑目のアトリエである質素なあばら家の中にお邪魔させてもらった。パレスの絢爛な様相とは内装も外装もまったくの真逆である。
その中の喜多川が普段使っているらしい部屋に案内され、適当な椅子に腰かける。部屋の中はどこをみても画材だらけで、ところどころ絵の具がついたりしている。
「話したいことって?」
「単刀直入に言う。あなたは、何者なんだ?」
「…何者って言われても、ただの一般人なんだけど」
「妻木さんを初めて見たとき、目を惹かれて仕方がなかった。人ごみの中で、唯一妻木さんだけが浮かんで見えたんだ。この世のものでは無いとすら思った」
「そこまで…?」
「現世に生きる人には見えなかった。そこに確かに存在しているのに、妻木さんだけは額縁の中の絵画の様に映ったんだ」
「それで、モデルをお願いしてきた」
「そうだ。だが描くに当たって、そのオーラの正体を少しでも掴んでおきたい」
まだ知り合って間もない仲の相手に「この世のものじゃない」なんて言われたのはさすがに初めての体験だった。そんなことを言えるのは喜多川ぐらいのものだろうし、案外その言葉は的を射ているのかもしれないのだから恐ろしい。真贋を見抜くというのはこういうことか。
確かにわたしはこの世のものではないものを心に宿している。でもそれを説明しろというのも難しい話だ。
「妻木さんの過去を語ってみてくれるか。そこから何か掴めるかもしれん」
「それはもっと難しい。話したくない」
「そうか。それは…悪いことを聞いた」
その後、何言かぶつぶつと呟いた後、顎に手を当て完全に自分思考の中に入り込んでしまった喜多川をまじまじと観察していると、こちらの視線に気づいてはっと顔を上げた。
「すまない。考え耽っていた」
「ううん。こっちこそ、あまり有益なことは話は出来なかったし」
「いや、そうでもない。むしろ、この感覚を絵に表すことができるのか…いい目標が出来た」
自分の中で結論は出たのか、喜多川は満足げな表情をしていた。
相変わらずマイペースなやつだと思いながら足を組み、今度はこっちが訊きたかったことを口にしてみた。
「そういえば、モデルって具体的にはどういうもの?」
「どういうもの、とは」
「脱いだりするの?」
「ああ」
「ここで?」
「そうなるな」
こいつ、自分でこう言ってる間はその言葉の意味を全く理解してないんだろうなと呆れながら、やはりそうなるのかとやや諦め気味に頬を掻く。
恥じらいがある訳じゃなく、
「分かったよ」
「いいのか!?」
「駄目だと思ってたの?」
「いや、自分で言っておいてなんだが、無理して脱がなくても」
そんなことを気にする素振りをさっきのやり取りで全く見せてこなかったくせに、今更何を怖気づいているんだこの男は。感情が表に出ないなんてレベルじゃないぞ。
「何かするわけじゃなければ、別にどうでも」
「随分、豪気だな」
「ただまぁ、覚悟はしておいてね」
「覚悟?」
「多少刺激の強いものを見せることになるからさ」
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テレビでは相も変わらず連日同じニュースを取り上げ、同じような顔ぶれが同じようなことをしゃべり続けている。現役高校生であるはずの明智吾郎もその例外ではない。毎朝毎朝、ルブランのコーヒーを飲みながら鼻につくあの声を聞かなくてはならないわけだ。
怪盗団については次の動きを待つ姿勢でいるらしいけど…そのうちこっちから会いに行ってやろう。
「最近学校はどうなんだ?」
「なんとかやってます」
「そうか。まぁその調子で大人しくしてろよ」
「噂は減らないけどな」
「ん?相変わらずよくしゃべる猫だな。飯ならもう食っただろ。おやつか?」
「ゴシュジン!ワガハイはただのネコじゃないぞ!」
「違うのか?んー」
「“ワガハイはネコではない”って言ってます」
「はぁ?」
素っ頓狂な顔で答える惣治郎といつものポーカーフェイスで平然とモルガナ語を翻訳して伝える雨宮に挟まれながら、バターを塗ったトーストを頬張る。
さっくりとした感触を楽しみつつ、今度は自分で淹れたコーヒーを一口含む。悪くはないが、やはり本家にはまだまだ届かない。いつかは完全にここの技術をマスターして、いつでもどこでもルブランテイストのコーヒーを飲めるようになりたいものだ。
「綺羅の方はどうなんだ?」
「どうって」
「学校だよ、学校。楽しく過ごせてるのか?」
「それなりに」
「ったく、愛想ないな二人とも。そんなんじゃ人間関係躓くぞ」
「もう躓いてる」
「右に同じ」
私も雨宮も今更そんなところを突っつかれたところで痛くもかゆくもない。我が強いのは自覚しているし愛想がないのもよく言われる。だがこれが自分だと認めてからはそれを変えてまで作りたい友好関係なんかは今のところないわけで。
まぁ、雨宮に関してはもとからこうだったのかは知らないけど。
「最近の若ぇのはこんなもんなのかね…俺なんかお前らぐらいの頃は」
「ご馳走様」
「ご馳走様でした」
朝食を食べ終えた私たちは惣治郎の武勇伝を遠くに聞きながらそそくさと階段を上がって通学の用意を始める。
「妻木さん」
「ん?」
カバンに必要なものを詰めながら、雨宮が振り返らずに言ってきた。
「今日の放課後、少しだけ時間ある?」
「うん。喜多川の話?」
「それもある。でもみんなで集まる前に、ちょっとお願いがある」
「なんかろくでもない話な気がする」
「メメントスで、俺に稽古をつけてほしい」
「ワガハイが提案してやったのさ」
どや顔の雨宮に私があからさまに嫌な顔をすると、窓際で毛づくろいをしていたモルガナが話に割入ってきた。
「前にメメントスでみたオマエの力は凄かったが、ワガハイに言わせればそれより以前に基礎の身体能力が優れている。リーダーのコイツがオマエに遅れをとるわけにはいかないっていうから、だったら本人に特訓してもらえってな」
「ダメか?」
大体通学カバンはいつも同じものが同じ状態で入ってる私には特に入れるものは無く、さっさと背負って雨宮の準備を待つ。
「貸しにしててもいいなら」
「ありがとう、と言っていいのか分からないけど。それ、どのぐらい大きな借りになるんだ?」
「さぁね」
「これは後々恐ろしい要求が飛んでくるぞ…。なにが来てもいいように、ちゃんと鍛えてもらえよ?」
モルガナが雨宮のカバンに入り準備は万端。私たちは二人そろって屋根裏部屋から階段を下り、惣治郎とあいさつを交わしてルブランを後にした。
もうすっかり慣れた道のりを、いつもと同じ音楽をかけて往く。四茶の駅までは徒歩一分でたどり着くし、その後は乗り換えを除けばほとんど電車に揺られているだけでいい。問題はその電車が毎回人がすし詰めになっている満員電車なところだけだ。
慣れてきたとはいえ、また今日もあの中に突撃するのかと思うとやや気が落ちこむ。隣を歩く雨宮はというと、そうでもなさそうな顔をしているが。
「ん?どうしたツマキ。コイツの顔になんかついてるか?」
「もうあの満員電車にも慣れたのかなって思って」
「全然慣れない。本当はバスとかゆっくりで行きたいぐらいだ」
「ワガハイも多分一生慣れないと思う」
そうは言う割に、雨宮はいつも大して表情も変えずおしくらまんじゅう状態の車内で涼しい顔してるって印象しかない。私と似てあまり表情には出ないタイプなのは知っていたけど、そこはあまり気にしていないものだと思っていた。
「妻木さんはどう?」
「別に何とも」
「だと思った」
言いながら改札を通り、予定調和的に絶妙なタイミングでホームに到着した列車にそのまま流れ込む。
最後尾から入ったので、入り口から最も近いドア側に張り付く形となる。ここは全面人に囲われる心配はないけれど、乗降の際のごたごたに巻き込まれやすい面倒な位置でもある。
ドアの側面にある縦の手すり側に私が立ち、雨宮はドアの真正面辺りに立つ。これは駅に着くたび毎回一度降りる羽目になるやつだ。
ふと顔を見上げると、車両の天井にぶら下がっている広告の中に件の斑目の個展も載っているのを発見する。
「人気みたいだね。マダラメ」
「そうだな。俺たちが行った日、テレビの取材も来てたし」
「すごい人ごみだったよな。おかげでワガハイ、誰かも知らん肘やら膝で揉まれまくったぞ」
「書き込みの投稿主に会ったんだよね?」
「ああ。まぁその話は、放課後みんなで集まってからしよう」
なんて話しているうちに列車は多くの人が並び待つ駅へと到着しドアが開く。
降りたい人は我先にと車両の奥から出てくる。それの邪魔にならないよう、一度列車から降りて全員が降りるのを待つ。かなり多くの人が降りたように感じたのに、見た目では全く変わったようには見えない。それなのに次に乗車しようとする人数はさっきよりも多い。
とりあえず先頭に立つ私たちは出来るだけ奥へ進む。そんなことをせずとも後続から物凄い力で押しやられるけども。
そんなこんなでようやく全員が乗りこめた時、人の隙間を縫って私たちはさっきとは真逆の、入り口から反対側のドア側まで押しやられていた。我ながらこの一瞬だけ液状化でもしたのかと思いたくなる。
と、私と雨宮のすぐそばに座っていたスーツ姿の若そうな男が、ばっと顔を上げて何やら叫びながら急いでドアから出ていった。当然ドアは開いたり閉まったり忙しない動きをしていたし、奥に座っていたもんだから色んな人が嫌そうな顔をしながら体をよじらせていた。
「空いたよ。座ったら?」
「いや、妻木さんが座ってくれ」
運よく目の前で席を立ってくれたおかげで一人分誰かが座るスペースが出来た。別に私は立っていることに疲れたりはしないから雨宮に席を譲ろうとしたら、雨宮の方もとりあえず遠慮してきた。
お前が座れお前が座れと日本人的なやり取りをしているうちに、目を閉じて腕を組んだままの大柄な中年サラリーマンがどこからともなく現れて、やっこらせえと空いた席に座ってしまった。そのまま俯き狸寝入りを決め込んでしまったので、私と雨宮含め周囲の人たちからは苦笑される羽目になった。
「早く座らないから」
「それは妻木さんのほうだろ」
「私はいいよ。これからは雨宮が座って」
「そうはいかない。レディーファーストだ」
「立ったまんまじゃその本も読みづらいでしょ」
「別にこのままでも読める。だから妻木さんが座ってくれ」
「…」
「…」
「え、オマエラもしかして怒ってる?」
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「いや、それはおかしい。私は別に満員電車に対して何も思ってないって朝言ったよ」
「そもそもあまり本音は言わないタイプだろ。いい加減建前はいい」
「アノさぁオマエラ。ワガハイそろそろその議論止めてもいいんじゃないかって思うんだけど」
「「ちょっと待ってて」」
もうここまで来たら互いに引き下がれない。
今日一日授業をほっぽり出して話し合った、『通学中電車の席が一つだけ空いた場合どっちが座るか議論』について決着がつくまで、私はこの言葉を止めることは無い。
それは雨宮も同じであり、ああいえばこういう合戦がついには放課後までもつれ込んでしまっている。
約束通り今日はみんなで話し合う前にメメントスへ来たわけだが、この勝負が収束するまでは特訓もお預け。
…と言いたいところだったが、良いことを思いついた。
「じゃあ分かった。特訓がてら、今からちょっと戦おうよ」
「戦う?俺と妻木さんでか?」
「そう。で、負けた方がこれから座るってことで」
「負けたほうなのか。でもその勝負じゃ、正直ツマキが有利すぎないか?」
「もちろん」
私は数歩雨宮から離れてから、振り返って言う。
「雨宮はいつもの武器を使って、私に一回でも当てられたら勝ち。ペルソナでもなんでも使って構わないよ」
「…そっちは?」
「あきらめるまで逃げ切れば勝ち」
雨宮…いや、ジョーカーは懐から短剣を取り出し、手袋を深くはめ直して不敵に笑う。まるで勝利を確信したかのような余裕の笑み。それを見て私も、自前の無骨なナイフをポケットから取り出してふっと笑う。
「その条件なら俺の勝ちは決まっていそうなものだが」
「どうかな」
「…スタートの合図は」
「モナ、適当によろしく」
「いや、やるのはいいけど、怪我しないようにほどほどにしとけよ?いくらペルソナで回復できるからってあんまり無茶は…」
「はーやーくー」
「じゃあ、ハイ。よーいスタート」
気の抜けた合図とともにコンクリートを蹴る音が一つ響く。
ジョーカーは数メートルの距離を一気に詰めて私の眼前まで肉薄してきた。いきなり身内同士で戦いあうって話なのに、よくもまぁそんなに本気でかかってこれるものだ。よほど私を電車の席に座らせたいらしい。
「座るのはそっちだ!」
「いいや、ジョーカーだよ」
「あほみたいな理由でなんでここまで出来るんだ、コイツラ…」
あっちはレプリカとはいえここは認知世界。通常のものよりも本物に近い見た目であるせいで、その刃は本物である。つまり当たればただでは済まない凶器なわけだが、ジョーカーは一切の容赦なく全力で振るってくる。私はそれを最低限の動きだけで躱し続け、時折打撃を交えて反撃も差し込む。
流石にこの動機だけでこのやる気が生まれているわけではないだろうが、それにしても中々一撃一撃が鋭い。まだそんなに戦闘経験もないだろうに。
模擬戦で殺傷能力のある武器を使っている時点で今更とも思うが、ジョーカーは手加減なく顔や首に目掛けてもダガーを振るう。本気でかからないとこの勝負には勝てないと理解しているからこそなんだろう。
目元目掛けて横に薙いできたダガーをナイフで受け、その腕を掴み懐に飛び込む。するとジョーカーがもう片方の手でピストルを抜くのが見えた。
咄嗟に腕を蹴り銃を飛ばしながら、掴んだ腕をそのまま引いて背負い投げのような形で投げ飛ばして距離を取る。床に転がったピストルは、もう手に届く位置にはない。
「ペルソナは使わないの?」
「いいや。使うさ」
そう言いながらなおもジョーカーは生身で突っ込んでくる。
シャドウに対する攻撃とは違い、相手が人なのを意識してか体の動きは最小限に抑えて細かく連撃を放ってくる。それらすべてを受け流すついでに腕や胴体に対して打撃を当てていく。多少なりともダメージは蓄積しているはずだけど、動きに全く鈍りが見えないしそれどころか精度が上がってきている気すらする。
胸に飛んできた刺突を避けたところに足払いの追撃が来る。あえて避けずに体幹をぐっと固めることで足を止め、下がってきた顔にローキック。クリーンヒットしたように思ったけど、ジョーカーはさほど怯まずにダガーを振り上げてそのまま連撃へとつなげてくる。
「アルセーヌ!」
薙ぎ払ってきたダガーに連なるように、アルセーヌの鋭い鉤爪が襲ってくる。少し打点をずらして、片方を避けようとすればもう片方が当たるような仕掛け方だ。さっきまでのように最低限の動きだけで対処できるようなレベルではなくなってきた。少しでも気を抜けば皮どころか肉ごとごっそりと持っていかれそうだ。
下段、上段を織り交ぜたペルソナとの連携を活かした華麗な連撃を跳ねるように躱し、一見して隙の無いように見える中に僅かなチャンスを見出す。これは元の世界でもやってきたことだから、無意識的に体が動く。
アルセーヌのかかと落としを横に避け、その隙をついたジョーカーの突きを左手で受け流す。
少し前のめりに体制を崩したジョーカーの足に自分の足をひっかけて奥に押しやる。ただでさえ前傾姿勢になっていた所に余計な動きが加わり、ジョーカーの体はゆっくりと前に倒れていく。
地に足を付けていない状態では、防御も攻撃も出来はしない。
背中側に回り込み腕を拘束する形でそのまま地面へと押し倒す。関節のどこに力をかけてやれば動けなくなるかは
「っ…すごいな。全然動かないぞ」
「そういう風に固めてるからね」
「どこで知るんだそんな技術。空手でも習ってたのか?」
「空手でこんな風にはならないよ」
後ろ手に拘束されながら、ジョーカーは関心したように感想を漏らしていた。その間もずっと抵抗は止めてないけど、こっちには全く力が伝わってこない。
「じゃあどうやって?」
「自然に、かな」
「…日本育ちだよな?」
「もちろん」
「…学校か?」
どんな学校だそれ。
「私の
「…どういう意味だ?」
「分からないだろうね。でも事実なんだよ。私は自分以外を傷つけるために生れた存在だった」
腕に込めた力を弱めてジョーカーを解放してからも、私たちはしばらくそのままの体勢で居た。私から戦うことのなにがしかを教えるのであれば、そのルーツはある程度知っておいてもらった方がいいと思った。だから、私は自分のことについて、理解されなくてもいいからただ吐き出した。
「同時に私は、他人が傷つくのを見て面白いって思えるどうしようもないやつで、喜んでこの力を振るってた。ジョーカーも、モナも、見たでしょ?あの力」
この世界でも最強格の強さを誇る“刈り取るもの”を、たった一撃で消し去れるあの力。
「でも今の私は、この力が好きじゃない。ジョーカーに、あんな風にまで強くなってほしいとも思わない。だから、私から教えられるのは基本的な体の動かし方と、戦闘中の意識とか…そんなのだけ。それでもいいなら、この特訓も続けてあげないこともない」
「充分だ。さっきだって、その“基本的な身のこなし”だけで全部捌かれたんだしな」
「…嬉しそうだね」
思っていた反応と違い不思議に思った私に対して、ジョーカーはこう答えた。
「そう言ってくれるって思ってたけど、やっぱりうれしいものだ」
「ふうん?」
いつまでもうつ伏せに覆いかぶさったままの体勢でへらへらとしている私たちに呆れたのか、モナが私の背中に飛び乗ってきた。
「いつまでそうやってるつもりだオマエラ!待たされるワガハイの身にもなれっての」
「なら、今日はここまでにして引き上げようか。そろそろ集合の時間だし」
「まったく…今日の本題は特訓じゃない。マダラメの調査に行くんだからな!」
ジョーカーの背中から離れて、頭の上まで登ってきたモナを投げ渡す。
「はいはい。じゃ行こうか。今日は私の勝ちってことで」
「生き物投げんなって!?おいジョーカー、オマエもいつまでもにやけてないで行くぞ!?」
「…ああ。今はまだ、それでいい」
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『日本画の大家が弟子の作品を盗作している。テレビは表の顔しか報じていない』
『住み込みさせている弟子への扱いは酷く、絵など教えて貰えない』
『虐待など日常茶飯事で、その様子はまるで飼い犬をしつけるかのよう』
『耐えきれず、自ら命を絶った者もいる』
インターホンを鳴らしてすぐ、喜多川の声が聞こえてくる。
「何か御用でしょうか。先生なら今は不在で…」
「妻木です」
「すぐ行くよ!」
斑目のアトリエということになっているあばら家の中からバタバタと足音が近寄ってきて、勢いよく扉が開け放たれる。
すぐに喜多川と目が合うが、その視線はすぐ私の後ろに控える雨宮や坂本たちに吸い寄せられた。
「お前たちもか」
「わりぃけど、今日はモデルの話で来たんじゃねぇんだ」
喜多川が疑問を呈すると、坂本がスマホの画面を突きつける。そこには、掲示板に書き込まれた斑目のことと予想できるタレコミがでかでかと表示されている。
「こんなウワサ、あんだけど」
「盗作…虐待?」
「ねぇ、喜多川君はその、大丈夫なの?」
「…くだらない。そんな事実は存在しない」
「でも、実際個展で現物を見た私は違和感しか感じなかったよ」
喜多川はいちに、斑目への疑惑について真っ向から否定してきた。ここまでは知識通り、問題はここからだ。
ここにいる中では1番喜多川との接点がある私が、深く踏み込んで揺さぶりをかけて見ることにした。
「斑目一人で描いたものじゃないでしょ?」
「いや、そんなことはない。先生にあらぬ疑いをかけないでもらいたい」
「じゃあ、虐待は?」
「そんなこと、先生がするわけがない!今、住み込みの弟子は俺1人…その俺が言うんだから疑う余地はないだろう?」
「本当に?」
「身寄りのない俺を、ここまで育ててくれたのは先生だ…!恩人を、これ以上愚弄しないでもらえるか…?」
心を見透かすように、雨宮よりも更に高い位置にある喜多川の目を真っ直ぐ見据えて動揺を誘う。答えを知っている私だからこそ、ここまで強気に出れるわけだけど。
喜多川はあくまで、斑目は潔白であるという主張を曲げないつもりらしい。その声は震え、必死に怒りを抑えているようだった。
雨宮はそんな私たちの横から、喜多川に自分の連絡先を提示した。
「俺たちは、もし喜多川が虐げられていたり苦しい思いをしているのなら力になりたいと思っている」
雨宮の提案を受けてなお食い下がろうとする喜多川の背後から、斑目本人がゆらりと現れた。
「祐介、もうよい」
「で、ですが…」
「悪い噂を聞いて、友人が心配になってきたんだろう。彼らが悪いわけでは無い」
「…」
「まぁ、この偏屈な爺が万人に好かれているとは思っておらんよ。じゃが、ご近所の手前もある。ほどほどに、頼めるかね?」
それだけ言って、斑目はまたあばら家の奥へと消えていった。
喜多川はバツが悪そうに俯いた後、私たちに向けて丁寧に頭を下げた。
「非礼だった。…済まなかった」
「いやまぁ、俺らも」
「…そうだ!“あの絵”を見れば、先生を信じてもらえるかもしれない。これが、先生の処女作であり、俺が絵の道を志したきっかけにもなった作品だ」
ポケットからスマホを取り出し、喜多川は1つの絵画の写真を見せてきた。各々それを覗き込み、杏や坂本は感嘆を漏らした。
「キレイ…」
「芸術分かんねぇけど、これすげえのは、分かる…」
「“サユリ”だ。高巻さんや妻木さんを見た時、この絵を見た時と同じような衝撃があった。…妻木さんのは、少し種類が違ったが。とにかく、俺はこんな美を追求したい。モデルの件、どうかよろしく頼む」
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喜多川本人の言質は取れなかった。だけど、
「あいつが本当のこと隠してんのは間違いないはずなんだよ。現に俺ら、斑目の元弟子から直接聞いてきたんだからな」
「その話、詳しく聞かせて」
「うん。メメントスで改心させた…ナカノマツって人。その人、斑目の元弟子だったの」
「そんでそいつが言うには、盗作も虐待も事実で喜多川の奴も同じ目に遭ってるらしい。斑目は身寄りのない喜多川を利用してやがんだよ。絶対」
「しかも、キタガワの本音も、言伝だがそいつから聴けた。『逃げ出せるものなら逃げ出したい』って言ってたらしいぜ」
「“らしい”ばっかりだね。ところで」
私は雨宮のスマホを指さし、
「イセカイナビは?」
みんなの視線をそちらへ誘導した。
音声入力で自動で開かれたナビの画面。そこには、斑目の名前で検索候補が見つかったと表示されている。
「やっぱ、あんのかよ…あの爺さんにも」
「どうする?レン」
「…行ってみよう。中に入れば、もっとなにか分かるかもしれない。改心させるかどうか決めるのは、それからでも遅くない」
異論は出ず、キーワードを探して斑目のパレスを調査することになった。
元の知識とは若干展開が異なるものの、大まかな流れは大して変わらないはず。この先で、私達は斑目の本性を知ることとなる。
キーワードは、あばら家と美術館。
議論の最中に偶然ヒットした結果、自動でパレスへのナビゲートが開始される。当然みんなは初めて入るから、そびえ立つ巨大な美術館に目を奪われている。
「パレス入るなら言えって!ワガハイが気付かずに歩いてってまた敵に捕まったらどうする気だ!」
「や、二本足で歩いた時点で気づけよ…」
「とりあえず、少し中を見てみよう」
先行するジョーカーに続き、美術館の外周を進む。
天窓付きの展示室を発見しそこから侵入。モルガナが用意したロープを括りつけてたらしてあるから、退路も問題ない。
美術館の中は知識通り、暗めの照明に広い廊下、そして壁一面を覆うような大きさの絵画たち。描かれているのは全て、斑目の元弟子たちの姿だ。それが判明するのは、書き込みを行った元弟子や喜多川の絵もあることに、モナが気づいた時だ。
「なるほどな。弟子は自分の作品ってことか」
もう少し進むとロビーにたどり着き、その部屋の中央に鎮座する像を発見する。
平伏す人間の上に斑目を模した像が立っているデザインだ。もちろん、全身金ピカだ。作品名は、『無限の泉』。タイトルの彫ってある石版の前にパンサーが立ち、その横に書かれている説明文を読み上げる。
「“彼らは、斑目館長様が私費を費やして作り上げた作品群である。彼らは、自身のあらゆる着想やアイデアを斑目様に提供しなければならない。それが出来ぬ者に、生きる価値無し”…!?」
「マジかよ。自殺した弟子も居るって、確かナカノハラも言ってたよな?そういうことだろ、これ!」
「ジョーカー、どうする?」
「リーサルの意見が聞きたい」
「いいと思うよ。決定で」
「当たり前だろ!斑目をこんまま放置してたら俺らと、同じになっちまう!」
異論は出ない。心の怪盗団の掟の中に、改心させる相手は全員が賛成できる相手に限る全会一致の決まりがある。ジョーカーは全員の意思を確認した上で、斑目の改心を決定した。
パンサーとスカルは、言い返せない立場を利用して弱者を虐げる大人を許せない気持ちが人一倍大きい。鴨志田に生徒と教師という上下関係を利用されてきたのがこの2人。
過去の自分と同じように、黙って耐える道を選ぼうとしている喜多川を救いたいという気持ちも大きいんだろう。
ジョーカーも同じだ。モナだって。
「行こうみんな。祐介を助けよう」
「おうよ!リーダー!」
一致団結し、1人の人間を救うために狼煙を上げた怪盗団。そんな輪の中に私という存在が平然と溶け込んでいる。
救いようのないクズでも、努力さえすれば。
“良い奴”になれると、今はまだ思えない。近くに彼らの存在があることによって、私はより一層自分の存在自体に懐疑的になる。
私はやりとげられるだろうか?
怪盗として活動を続けていくうちに、今までとは違う自分に。
「リーサル」
少し呆然としていた私に、ジョーカーが何かを手渡してきた。その手を見ると、そこにはジョーカーの使うピストルの色違いが握られていた。黒い銃身は照明を反射して、鈍く艶めいている。
「これを託す」
「え?」
「その力のことは、今は深く聞かないでおく。それがリーサルにとって好ましいものじゃないと言うのなら、無理に振るわないでもいい。手段はひとつじゃないはずだ」
私には、ジョーカーが何を伝えようとしているのか理解しかねた。
…手段はひとつじゃない?
「急に何?」
「スタンドプレイは控えろってこったよ」
左肩に置かれたスカルの手。スタンドプレイをしているつもりもないんだけど。
「ワガハイ達は怪盗“団”だ。オマエ1人で戦ってるわけじゃない」
もちろん、そんなことは分かっている。
「あの力、リーサルは使わずに済めばいいと思ってるんだろ?」
「そうだね」
確かに、さっきメメントスでそんなことを言ったかもしれない。でも、確かにこの力は邪悪なものだけど、それを振るう理由は前とは違う。実利を考えれば、使わない手はない。
それが一番効率的。
でも、使わずに済むならそれに越したことはない。それも確かだ。
これは私の力である以前に、憎むべき外の人間の心そのものだ。消しされるものなら消し去りたいぐらいだ。
「…」
「…!来るぞオマエラ!構えろ!」
「ちっ…話の途中で邪魔しやがって…!」
立ち止まっている間に、警備員の格好をしたシャドウが美術館の奥からぞろぞろと現れてきた。ジョーカーは私の手の中にピストルを無理やり押しやり、戦闘態勢をとった。
襲撃してきたシャドウは多く、ざっと見て6体。小柄な羽の生えた天狗のようなシャドウだ。
手段は1つじゃない。
そう考えた途端に、体が動かなくなった。
目の前にシャドウの手が迫る。
このまま何もしなければ確実にその手は私の体を貫くだろう。そう理解しながら、私の体は動いてくれない。まるで他人事のように、それをただ眺めていた。
シャドウが私に触れるまであと、二秒…一秒…。
痛みを覚悟した瞬間、私の視界は斜めに傾いた。ジョーカーが私を突き飛ばしたんだ。
「ジャックフロスト!」
召喚したペルソナが強烈な吹雪を起こし、シャドウの羽を凍てつかせる。二、三体は地に落ちたが、動きが素早く残りは空中へと逃げ延びている。
それに向けてスカルがショットガンで、モナがパチンコで一体ずつ撃ち落とす。残ったシャドウは2体…。
「ジョーカー伏せてっ!」
うち一体は、床に倒れたまま動かない私に向けて突撃してきた。それに合わせてパンサーが鞭を薙ぎ、風切り音とともにシャドウを地面へとたたき落とす。
残りの一体は…。
誰よりも早くその存在に気づいた私は、左手に握るピストルを構えてパンサーに向けて引き金を引く。
驚いて目を瞑ったパンサーの背後で、頭を撃ち抜かれたシャドウが消滅していく。
「済まない、立てるか」
「…もちろん」
差し出されたジョーカーの手を取り立ち上がる。
そうか。別にこの力を使わなくたって、私“達”は大丈夫なんだ。仲間が居れば、戦えるんだ…怪盗団は。
誰かを傷つけるためじゃなく、救うために戦えば。
私にだって、出来るはずだ。
「…ペルソナ」
仮面を外してもう1人の私を呼び出す。隣に立つCharaは相変わらずだが…意志は私と共有している。
あの力を使わずに、どこまでやれるか、なんて心配は無用だろう。仲間がいるなら。
「行くぞっ!」
残りのシャドウを一斉攻撃で仕留める。最後の一撃まで、私のナイフは赤色に染まることはなかった。仮面から立ちのぼる炎も。
静けさを取り戻したロビーで、私は自分の手に目線を落とす。相変わらず、汚れに満ちている。
「リーサル、ありがとね」
「何が?」
「助けてくれたでしょ」
「それは当然なの」
一生この汚れは取れないだろうし、決意の力も消し去ることはきっと出来ない。
「リーサルはワガハイ達をもっと信頼しろ!ワガハイ達も、オマエを信じる」
「そういうことだ。その銃は信頼の証として、持っていてくれ」
だけど、在り方を変えることはできる。これからの私を作るのは、紛れもなく私自身の意志のはずだ。
手段は1つじゃない。
心に宿る暴力は封印して、私だけの力で、これから訪れる障害を乗り越えてみせる。
怪盗団の仲間として。悪ではなく、正義として。
それが私という存在を作った誰かへの、反逆になるなら。
「うん。分かったよ」
それでも、もしこの力を使うことで誰かを救うことが出来るのなら、迷いなく私は使うだろう。
私の決意を。