PERSONA5:The・Determination   作:Ganko

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Codename:Navi

熱い雨が身を打ち続ける。いやに夜が長く感じて寝付けなかった私は、ルブランを抜け出して佐倉家のシャワーを借りている。

 

あの後言われたターゲットのシャドウを送り返し、メメントスを出てからずっと、明智の前で見せた私自身の笑みが瞼の裏にこびりついていた。自分の顔なんて、見ることは無かったはずなのに。

 

いや、違う。正確には見た。明智の仮面の奥に光る瞳に反射した、自分の姿を。他者を傷つけることしか能がないわたしにぴったりな冷酷な笑みが、自分自身のそれだと認識すればするほど気分が悪くなってくる。明智の前であんな風に振舞っている間はなにも感じなかったのに。それどころか居心地の良ささえ、感じていたかもしれないのに。

 

演技をしているつもりでも、その実本当の自分をさらけ出しているに過ぎなかった。

 

つくづく呪われた運命に嫌気が差す。何が起きようと、なにを変えようと、Charaという存在のさだめはいつでも破滅の一途を辿るだけだ。そしてその発端は全て自分にある。

 

自分をこんな風に造った神サマみたいなものがいるのなら、いくら恨んでも恨み切れない。そもそもこんな力、初めから欲してなかったし、私だってもっと平和な道を歩んでいたかった。

 

私にはただ人より強い意志が与えられただけだったはず。

 

狂いだしたのは、いつからだったか。

 

「…」

 

蛇口をひねりお湯を止め、洗面所へと出る。

 

持ってきたタオルを使って身体を拭いたあと、雑にドライヤーで髪を乾かす。その時、ガタンと廊下の方で物音がしたが、惣治郎もここにはいるのだからと別に気にせず鏡に向き直った。

 

後始末を終え廊下に出ると、少し離れたところにある二階へと続く階段を誰かが駆け上がっていくのが見えた。惣治郎っぽくはなかったので、おそらくは“彼女”だろう。逃げるようにして姿を消した人影の正体には心当たりがあって、だからこそ、リビングのテーブルの上に鎮座する起動したままの携帯ゲーム機の扱いに困った。

 

しかも、よりによって起動してるゲームがこれか。

 

さっさと出ていけばよかったのだが、なんとなくいたずら心が顔を持ち上げてきた私はそのゲーム機を手に取り、人影が消えていった階段を上っていく。

 

すると二階の廊下からすり足で去っていく音が聞こえて急いで階段を上り切ると、部屋に入ろうとドアを開けたままこちらを見つめる、小動物めいた一人の少女と目があった。

 

「あ」

 

素っ頓狂な声を上げてしばらく硬直したのち、少女は顔をこちらへ向けた状態で固定したままドアを開ききり部屋に逃げ込もうとしたので呼び止める。

 

()()

 

「え!?」

 

「逃げなくてもいいでしょ。これ」

 

ゆっくりと歩み寄り差し出したゲーム機に、おずおずと手を伸ばして受け取る“双葉”。

 

「あ、ありがとう」

 

雨宮のつけているものよりも大きな眼鏡の奥から、怯えたような瞳が私を覗く。

 

低めの身長に手足も全体的に細く華奢な印象の拭いきれない、橙の長髪をたたえたこの少女の名前は“佐倉双葉”。

 

色々と訳あって、いまは惣治郎に引き取られている。その見た目通りあまり外には出ず引きこもり気味な生活を送っていて、惣治郎以外の人間と面と向かって会話したことも、割と久しぶりなはずだ。

 

かろうじて絞り出した感謝の言葉も消え入りそうな弱さだったし、そこから何を話すべきなのか分からずあうあうと呻きをもらすばかり。

 

「好きなの?そのゲーム」

 

「う、うん」

 

「どのぐらい?」

 

「どのぐらい?…うーん、まぁトップ5ぐらいには」

 

「そう」

 

「ていうか、なんで?」

 

「私も好きなんだ。()()()()()()()

 

そう言うと、双葉の目がほんの少しだけ輝いた。こういう手合いには、自分が乗れる話題を提供してやるのが最も有効。

 

とはいえ、彼女にとって今の私は赤の他人以外の何物でもない。前々からこの家に世話にはなっていたけど、絶対に出会わないように引きこもられていたから、顔を合わせたことも無かったわけで。

 

でも、私は双葉に関しての知識を持っているし、双葉は双葉で私が雨宮と一緒にルブランの屋根裏で生活していることぐらいは盗聴で知っているはず。

 

「私、アンダーテールの誰も知らない秘密を知ってるんだけど、聞きたくない?」

 

「え。…なにそれ」

 

「どう?」

 

「…聞きたいのはやまやまだけど、そもそもお前、誰なんだ?」

 

前々から気になっていたのだろう。警戒心丸出しな様子で私の事を睨みながら、双葉はそんなことを聞いてきた。

 

「誰、といわれても」

 

「なんでこっちに住んでる。居候とは事情が違うだろ。惣治郎となにか関係があるのか?」

 

「ないよ。ただ善意で泊めてもらってるだけ」

 

「なんで帰らない」

 

「そこは知ってるんじゃない?聴いてたよね、この前の話」

 

「な、なななんのことだ」

 

双葉については私は普通であれば知らないようなことまで知っている。ルブランに盗聴器が仕掛けてあることも、もちろん把握済みだ。とはいえここまで分かりやすく動揺してくれるのなら、知識がなくともギリギリ分かりそうなものだが。

 

ルブランでの会話の内容を盗聴しているのなら、私たちが怪盗である可能性もすでに考えているに違いない。しかし確信には至らないせいで一歩踏み込めないでいるんだろう。本来は双葉の方から怪盗団に接触してくるのを待つほうがいいのかもしれないけど、私はここでかねてより計画していた作戦の一部を実行に移すことにした。

 

明智との接触後こんなにすぐ誰かを廃人化させられそうになるとは思っていなかったけど…それならそれで、こちらも行動を早めればいい。

 

「部屋入るね」

 

「え…えぇ!?」

 

強引に部屋の中へと押し入り、電気もついていない、ごみ袋だらけの散らかった部屋を歩く。

 

とはいっても歩く隙間すらないような部屋なうえに、奥には大きなデスクとPC類がでかでかと鎮座しているおかげで余計にこの部屋が狭く見える。

 

「電気ぐらいつければ?」

 

「ちょ、なに勝手に入ってる…!」

 

後ろから抱きしめるようにして双葉が私を止めようとしてくるが、その力は怖いぐらいに弱くて拘束の意味をまったくなさなかった。私はずんずんと足を進め、しがみついている双葉を引きずっていく。

 

「ちょ、止まって…」

 

「何か見られたくないものでも?」

 

「そうじゃなくって…!勝手に人の部屋に入るほうがおかしいだろ!」

 

「盗聴は良いんだ」

 

「とっ」 

 

いきなりそう問い詰めると、双葉は言葉を詰まらせて、そのうちその反応が肯定と変わらないことに自分で気づき、自分の方から謝ってきた。

 

「別に、元々はそうじろうがちゃんと仕事してるか、確認するためのものだっただけで…」

 

「色々聞いた?」

 

「…聞いた」

 

「例えば?」

 

「今日の話も、全部…」

 

つまり、かいつまんで話した私の生い立ちもある程度は知っているわけだ。だったらなおさら話が早そうで、むしろ助かる。

 

双葉は急な展開に戸惑いを隠し切れておらず、両の手を行き場なくあたふたさせながら決して私と目を合わせようとはしない。

 

きっと怪盗云々の話も聞こえているだろうから、慎重に言葉を選んでいる最中なんだろう。私からすれば珍しい、眼鏡を外した顔をまじまじと見つめていると、今度は双葉の方から口を開いた。

 

「お、お前が辛い思いをしたから今、ここにいることは知ってる。あ、でも辛くはない…んだったか?」

 

「辛くないわけじゃないけど、辛いのは私よりも両親のほうだって思ってるから、私が被害者面できないなって思ってるだけ」

 

「…変な奴だな、お前」

 

「どうも。ところで、双葉のほうも随分大変な思いをしてきたみたいだね」

 

「わたし?」

 

「大体知ってるよ。惣治郎に引き取られるようになった経緯も、今引きこもってる理由も」

 

すっと息を呑む音が聞こえたが、かまわず続ける。

 

「母親は研究者である日事故で死亡。親戚の間をたらいまわしにあっている最中に惣治郎に引き取られて今に至る」

 

「な、なんで」

 

「なんで知ってるかはどうだっていいんだよ。双葉。私はあなたに重要な話をしに来た」

 

小さく震える双葉の手を握り、心の奥を覗くようにその大きな瞳を真っすぐに見据える。

 

「私を信じてみて」

 

 

 

翌日…6月12日 日曜日

 

 

「…と、言う訳なんだけど」

 

翌日の午後、私の願いによりルブランに集合した怪盗団一行に、昨日した話を聞かせた。

 

惣治郎には、事情があって引き取っていた子どもがいたこと。その子どもは私たちのひとつ年下で、母親を幼い頃に事故で亡くしている。

 

そして親戚に引き取られることとなったが、誰も双葉の面倒をまじめに見ようとはせずほったらかしのような状態で過ごしていた。そして、それをみかねた惣治郎が双葉を引き取ったが、今や他人に心を開こうとせず、ずっと家で一人で引きこもってしまっている…そんなようなことを掻い摘んで話した。

 

なぜ親戚にひどい扱いを受けていたのか、母親の死の真相なんかには触れずにおいた。どうせパレス内で判明することだ。

 

一通り話し終えたら、みんなは神妙な表情で話の内容を飲み込もうとしていた。坂本なんかは考える間もなく、私の提案に乗っかってきた。

 

「いいじゃねぇか。本人も望んでんだろ?だったら俺らで、改心させてやろうぜ」

 

そう。私がした提案は、佐倉双葉の改心である。

 

昨日、私は双葉に自分が怪盗であることを打ち明けた。双葉も、盗聴していた内容からある程度は察していたようで、あまり驚きはしていなかった。けど、改心の方法なんかを教えた途端に目の色を変えて、話に食いついてきた。

 

双葉の母親は研究者で、分野は認知訶学。双葉もそれは知っていて、怪盗団の噂を目にする度にどこか似ているような気がしていたらしい。

 

それからは私の話を信じてくれるようになって、もし本当に改心ができるというのなら、自分を改心してほしい、と双葉の方から頼んできた。

 

「肝心の本人は今どこにいる?」

 

「惣治郎の家。初対面の人間が大勢いるとこには行きたくないんだってさ」

 

「そうか。できれば、俺も本人の口から聞いておきたかったんだが」

 

喜多川の意見も最もだ。雨宮もそれに頷き、杏も同意した。駄目で元々ではあるが、一応双葉に電話してみようか。

 

1コール。

 

2コール。

 

3コールまで待ってはたと気付く。そもそもここでの会話は双葉には筒抜けなのだから、今の流れも全て聞いていただろう。長らく他人との接触を避けてきた双葉に、ここで自分の意思発表をしろというのは酷かもしれない。

 

一旦電話を切って、チャットで双葉に語り掛ける。

 

>聞こえてた?

Futaba:うむ

>文字でいいからこっちに送ってきて

 

そうメッセージを残してから数分後に返信がきた。

 

『全部、今妻木が言った通りだ。私はお母さんが死んでからずっと心を閉ざしてしまっていた。でも、昨日妻木の話を聞いて思った。怪盗団は、本気でこの世の中を変えるつもりで、悪党を改心させてるって。だから、信じてみようと思った。私は変わりたい。いつまでもこのままでいたいとは思っていない。でも自分一人じゃ、どうしようもなくて…。手伝ってくれたら、嬉しい』

 

長文のチャットが飛んできて全員がそれを読み終えた頃、何故かメッセージが削除された。

 

「わざわざ消すことないのに」

 

それを見て杏が苦笑し、皆もそれに肩を落とす。どうやら、みんな反対の意思はなさそうだ。

 

「よし。じゃあ、知名度を上げるという目的とは外れるが…これはやってやるしかないな、レン」

 

「ああ。困っている人が居るなら見捨てないのが、心の怪盗団だ」

 

「たりめーだ!俺たちで救ってやろーぜ!」

 

「見ず知らずの一人の人間のため…か。そういうのも悪くはない」

 

「マスターには蓮と綺羅もお世話になってるんだし、放っておけるわけないよね!私も賛成!」

 

「うむ。全会一致だ!ツマキ、パレスは確認してあるんだったよな?」

 

「うん。キーワードも全部わかってる」

 

「じゃ、さっそく今から乗り込むか?」

 

「いや、準備は念入りにした方がいい。作戦の決行は明日からだ」

 

モルガナの言葉に頷き、一先ず今日は解散となった。雨宮はこれから明日の潜入に使う道具の類を買い足しにいくそうで、私もそれについて行くことにした。時期が時期だし、ゲームで見たような灼熱地獄に放り出される心配は無いだろうけど、砂漠であることに変わりはないだろう。飲み水は必須だな。なるべくかさばらないやつで。

 

 

モナ入りカバンを提げた雨宮と共にルブランを出て、まず向かったのは武見診療所。ルブランからは目の前レベルで近いから、買ったものがかさばる心配もない。

 

雨宮と一緒に入り口のドアを潜ると、相変わらずけだるそうにしていた武見と目が合う。

 

「珍しいね。二人一緒に来るなんて」

 

「どうも」

 

「またヘンなことしてないでしょうね?」

 

おそらく、また怪我するようなことしてないだろうな、の意味だろう。こくりと頷くと、小さく息をついて「ならいい」と吐き捨てた。

 

「で、二人で来たんだし治験ってことはないでしょ」

 

「はい。薬を買いに」

 

「…まったく、二人そろって何に使ってるんだか」

 

「受験です」

 

「はいはい。もうそういうことにしておいてあげる」

 

雨宮が武見と取引をしている最中、私は待合室にある自販機で120mlの水だけ購入しておいた。なぜかは知らないが、ここの水だけ80円という破格の値段で売ってあるので、利用しない手はない。こいつは冷蔵庫にいれておいて、明日のパレス攻略の時に持っていこう。

 

薬を買い終えた雨宮が渋い顔で袋片手に近寄ってきて、お釣りの小銭で同じ水を自販機で購入する。

 

「どうしたの?」

 

「あまり多くは買えないな、と。この後装備も見に行かないといけないから」

 

まー、こんな怪しい取引でもちゃんと商売はしてるってことだね。足元見られてるだけなのかは知らないけど。

 

「喉でも乾いてるの?」

 

「別に。安いから買っただけだ」

 

「ふぅん」

 

 

「…お?」

 

「どうも」

 

「お前が連れと一緒に来るのは珍しいな。今日は何の用だ?」

 

一旦診療所で買ったものをルブランに置いてから、次は装備の購入のためにアンタッチャブルへやってきた。

 

私は別にミリタリーオタクでは無いけど、こういうものに興味がないわけでは無い。とはいえ店の品ぞろえは、どれほど精巧につくられているのかは素人目には分からないものばかりだし、下手なことは言えないなと思いつつも、銃やナイフのレプリカを見て少しだけ心が躍るのを感じていた。

 

値札を見るとやはりどれもかなりいい値段をしている。薬も安くないし、雨宮も大変だな。メメントスやパレスにいるシャドウが時折現金を落としていくけど、それだけじゃ全然やりくりできそうにない額だ。きっと日々のバイト代もここに吸い込まれていってるんだろう。

 

そんな雨宮を尻目に、私は店内に設置されたガチャガチャの前に立つ。一回800円という高額なガチャに含まれるのは、戦場で食べられるような保存食や携帯食の類。つまり食べ物である。

 

試しに一度回してみると、出てきたのは『ミリ飯フルーツ』。カプセルが半透明なせいで中身が確認できないがこれだけは分かる。きっとおいしくはない。

 

「800円をどぶに捨てるな」

 

「捨ててないでしょ。欲しいならあげる」

 

「いらない」

 

「私だっていらないよ」

 

「捨ててるじゃないか」

 

「むう」

 

ならば惣治郎にあげるか…いや、あえての双葉?

 

「誰かにあげるなら祐介にしてやってくれ」

 

あぁ、それは確かにそうだった。

 

カプセルをカバンに詰め込み、明日喜多川に渡してやろうと心に決めた。奴は万年空腹状態だし、いいことしたな、私。うん。

 

「で、何買ったの?」

 

「結構いろいろ」

 

店の奥から仰々しい荷物を持って出た店主の岩井は、いつもの強面を崩さないままそれを雨宮に手渡す。長かったり重そうなやつが袋から飛び出ているので半分私が持ってやる。

 

「今日は偉く奮発しやがったな。バイト代か?」

 

「はい」

 

「殊勝なこった。また頼むぜ」

 

 

夜…

 

買い出しを終えてルブランへ帰ると、玄関先に喜多川が持っていたはずの“サユリ”が飾られているのが目に飛び込んできた。

 

どうやら、結局喜多川は一晩で考えを改め、サユリをルブランに預けて寮に帰ったらしい。たしかにあそこはうるさいし汚いが、人の心を学ぶにはうってつけの場所だと気づいた…らしい。なんとも喜多川らしい理由だが、流石にサユリを学生寮で野晒しにする気にはなれなかったようで、マスターに託すことにしたんだろう。

 

「今時珍しい、律儀な奴だな。にしてもこんな逸品、ホントにうちで預かってていいものかねぇ」

 

「持ち主の希望なんだし、いいんじゃないの?意外と馴染んでるし」

 

「確かに」

 

私の言葉に雨宮が同意したその時、肩からひょっこりと顔を出していたモルガナがカバンから抜け出して扉の方にとぼとぼと歩いていった。

 

「どこ行くの?」

 

「ちょっと散歩してくる。今日はほぼカバンの中だけだったからな」

 

確かに、電車移動の間とかはずっと窮屈そうだったし、少し体を動かしたくなる気持ちはわかる。今までも、モルガナはこうしてふらっと外に出かけることがあったし、特に気に留めず器用にジャンプでドアを開けて出ていくモルガナの背を見送った。

 

「あの猫本当よくしゃべるよな。で、今のは何て言ってたんだ?」

 

「“カバンの中にいて疲れたから散歩してくる”って」

 

顎髭を弄りながら、意地悪そうな笑みを浮かべた惣治郎が雨宮に聞くと、返ってきたいつも通りの返事に苦笑する。私たちがモルガナの言葉が分かるってことはどうにも信じてない風だけど、何を言ってたのかは都度聞いてくる。そっけない態度なのは相変わらずだけど、本当は惣治郎もモルガナの事を気に入っている…はず。

 

「それはそうと」

 

手洗いを済ませ上に上がろうとした時、惣治郎に引き留められて振り向く。

 

「お前ら中間試験の結果なかなかだったらしいな」

 

そう言ってカウンターの上にポンと差し出されたのは二枚の1万円札。どうやら中間試験の結果が良かったご褒美らしい。

 

「…いいの?」

 

「仮にも“今は”お前らの親代わりだからな」

 

不愛想に吐き捨ててるように、前なら聞こえたかもしれない。

 

でも、数週間過ごしてみればすぐにわかる。これはただの照れ隠し。

 

「その気持ち悪い顔を今すぐやめろ。じゃないと没収だ」

 

「ゴメンナサイ」

 

「俺も、いいんですか?」

 

「当たり前だろ。その調子で真面目に過ごしてれば、来年にはまた元に戻れる。がんばれよ」

 

没収される前にありがたくお小遣いをいただくと、惣治郎はさっさと店じまいを始める。私と雨宮もそのルーティンにはもう慣れたもので、誰が言う訳でもなく三人で片づけを済ませてしまった。

 

すると自然に、全員の視線が優しく微笑むサユリへと吸い込まれていく。ほぅ、と息をつきながら、惣治郎はサユリの芸術としての出来栄えを褒め称え、ナプキンで軽く額縁を拭いた。

 

「にしてもいい絵だよな。常連どもが見たら腰抜かすかもな」

 

「誰も気付かないんじゃない?爺さん婆さんはさ」

 

「…。かもな」

 

私のこれは、別に老人に対する皮肉だけじゃない、あまりにも、この空間に溶け込みすぎていて、誰も気付かないんじゃないかって、純粋に思った。

 

これは私が直接聞いたわけじゃなく、ゲームの中での記憶だけど…。

 

喜多川はこの絵をルブランに預ける時、『何でもない日常をほんの少し彩るだけでいい』とこぼしていた。これが展覧会の会場で、ライトアップされてショーケースに飾られてでもいたのなら、とてつもない存在感を放つに決まっているのに。

 

今私たちが見ているサユリには、そんな雰囲気はない。ただ静かに、私たちを見守ってくれているような。

 

なんというか、安心感がある。

 

私はそんなサユリの眼差しを眺めているうちに、いつしか自分の家族のことを思い出してしまっていた。

 

顔だって全然違うし、女性であるということしか共通点がなさそうなものなのに、どうしてかこの絵は、人の母親への郷愁を煽るような気がする。

 

…あまり長くは見れないな。さっと視線を逸らして部屋へ戻ろうとする私を、惣治郎は寂し気な表情で見ていたような気がした。

 

 

 

翌日…6月13日 月曜日

 

Ren:今日の放課後、いつもの場所で

An:いつもの場所ってどこだっけ…

Ren:ん?

An:なんか、最近は蓮の部屋に集まることもあったから

Yusuke:アジトはあの連絡通路だろう?

Ren:とりあえず今日はルブラン集合で

Ryuji:りょ

Ren:アジトどうしたい?俺も正直連絡通路は周囲の人が気になるし

An:だよね。私はルブランでもいいかなって思うけど

Yusuke:マスターに迷惑が掛からないのなら、俺もその方がいい

>静かにしてれば何も言われないと思うよ

Ren:多分問題ない

Ryuji:この二人が言うなら大丈夫じゃね?

Ren:じゃあ、これからはアジトはルブランの二階で

Ren:集合した後は、すぐ近くの惣治郎さんの家にいく

An:りょーかい!

 

 

放課後すぐに集合した私たちは、事前に用意したアイテムたちを持って佐倉家に来ていた。インターホンを鳴らすと、静かにゆっくりと扉が開かれ、その先には双葉が…。

 

「あれ?」

 

「開けてすぐ何かが走り去っていったな。まるで猫のような俊敏さだった」

 

「ワガハイほどじゃなかっただろ。…いやネコじゃねーよ!」

 

「今のは自爆しただけだろ」

 

まぁともあれ、約束通り扉は開けてくれた。明かりのついていない暗い廊下を進み、階段を上って双葉の部屋の前へ。

 

「双葉―?」

 

「…い、いるぞぅ」

 

「開けて」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれください」

 

消え入りそうな震え声が部屋の中から聞こえ、しょうがないので、双葉の気持ちの準備ができるまで待ってやることにした。

 

一分。

 

…二分。

 

……三分。

 

………三分といえばカップ焼きそばか。ちょうど双葉の好物だしな…とどうでもいいことを考えているうちに四分。

 

…………五分。

 

……………五分と言えばカップヌードルというよりはうどんの方だろう。私は硬めの方が好きだから三分半ぐらいで開ける…などと誰に向けてでもないことを思い出しているうちに六分。

 

「双葉―?」

 

「い、今開けるから」

 

「あと二分経ったら蹴破るね」

 

「それは困る!」

 

閉じた扉の向こうから、気持ちを落ち着かせようと深呼吸しているのが聞こえてくる。まぁ、本人にとってはそれほどまでに重大なことなんだろう。それこそ、自分の人生を一からやり直すような覚悟で、私の手を取ってくれたんだろうから。

 

数秒後、留め具が軋む音とともに、ゆっくりと扉が押し開かれた。相変わらず電気は点いてないし散らかってもいる部屋に、ちゃんと双葉の姿があった。プルプルと小刻みに震えてはいるが、二本足でなんとか立っている。

 

事前に人見知りであることは伝えていたので、まずは物腰柔らかめに杏が切り出す。

 

「あなたが、佐倉双葉さん?」

 

「お、押忍…!」

 

「そんなにかしこまらないでっ。綺羅から話は聞いてるんだったよね」

 

双葉はこくりと頷き、杏が続ける。

 

「あなたは何もしなくていいよ。わたしたちに任せて」

 

「…うん。信じる」

 

「なんか、人見知りって割には大胆だよな。俺らみたいな得体のしれねぇ奴に、こんなこと頼むなんてよ」

 

「それは…そこの…」

 

遠慮がちに指さされた先には私がいた。

 

「そいつの話を、私も聞いてたから…。そんな奴が言うなら、嘘じゃないかもって思った」

 

「安心しろフタバ。期待には応えてやる。ワガハイ達怪盗団が、きっちりオシゴトしてきてやるからよ」

 

「うひゃぁっ!?ね、ねこ!?いつの間に!?」

 

「猫じゃねー!って、そうか。コイツにはまだワガハイの言葉が分からんのか…」

 

いつの間にか雨宮のカバンから抜け出て双葉のデスクの上に陣取っていたモルガナに対して双葉がオーバーにのけぞり、正面に立っていた雨宮のつま先を踏み抜いた。

 

「うわぁっ!?ごごごごごめんなさいぃっ」

 

「いや、別に…」

 

他人の足を思い切り踏んだ驚きで態勢を崩した双葉を、雨宮が咄嗟に支えてやる。双葉の身体が軽いのもあっただろうけど、余裕そうに背中を支えてゆっくりと起き上がらせる動作は、雨宮のというよりはジョーカーの振る舞いというように感じられた。双葉も双葉で顔面を真っ赤にしているが、多分雨宮にされたことじゃなく自分の叫びっぷりに赤面しているだけだろう。

 

「その猫はあまり気にしないでくれ。それより、これから俺たちは君の心の中にいって、ふさぎ込む原因になってる認知を盗み出してくる」

 

「なるほど…だから、“心の怪盗団”なのか…」

 

「そうだ」

 

「…」

 

双葉は口をつぐみ、黙って私のほうをチラリと見る。なんだか助け船が欲しそうな目をしていたので、しょうがなく私の方から口にする。

 

「ねぇ雨宮。双葉も連れて行っていいかな?」

 

「連れていく?」

 

「うん。自分の目で見たいんだってさ」

 

そう言うと、雨宮はモルガナの方を向き、本人がパレスの中に入っても問題ないのかと聞いた。返事はYesともNoともとれない曖昧なもので、そもそも試したことが無いから分からない、だそうだ。

 

「何が起きるか分からない以上、連れていくなら相当慎重にいかないとだぜ?」

 

「もちろん。それは百も承知で」

 

「…向こうで何か起きたら取り返しつかないぞ」

 

やや語気を強めたモルガナに頷いて見せると、やれやれとでも言いたげに頭を振って渋々了承してくれた。確かにリスクを伴う行為ではあるものの、私が傍についてやっていれば大抵のことはなんとかなるだろう。これは根拠のない自信なんかじゃない。

 

結局、双葉には私がきっちりと護衛という形で付くことになり、この場に居る全員でパレスへの侵入を試みることとなった。

 

ナビを起動してしばらくすると、私たちはいつの間にか広大な砂漠の真っただ中に…は、立っていなかった。

 

「おおおお…!」

 

興味深そうに周囲を見渡す双葉と一緒に降り立った場所は、ぎらぎらと眩しい太陽が輝く砂漠の上ではなく、薄暗くひんやりとした空間だった。

 

双葉の心が開かれているのが原因か、それともナビを使った場所の方が重要だったのかは分からないが、なんにせよ好都合である。いくら私でも、あの劣悪な環境下でドライビングをしたいとは思っていなかったから。

 

「ここが私の認知世界」

 

「おいフタバ?ここからは割と危険な道のりになる。勝手に一人で動いたりするんじゃないぞ」

 

「わ、わかった。コイツについていく」

 

モルガナの警告に素直にうなずいた双葉は、小動物並みのすばしっこさで私の背後にぴったりとくっついてきた。うむ。それでいい。

 

それからはジョーカーが先陣を切り、このピラミッドの内部と思われるパレスを進んでいく。

 

といっても、双葉自身の拒絶が弱いせいか、ピラミッドの中心に向けて伸びる長い階段を遮るものは何も無く、ゲームの様にわき道を進むことを強いられる様子も無い。

 

それどころか部屋の扉も自分から開けてくれたので、頂上に行くためのエレベーターがあるフロアまで一直線にたどり着けてしまった。

 

一同、拍子抜けした様子ではあったものの、戦わずに済むならそれに越したことは無いと先に進むことを優先した。

 

エレベーターに全員乗り込み、起動スイッチをジョーカーが押すと、足場が真上に向けて急発進し、かなりの高度まで上がってこれた。その場所は斑目のパレスと同じく、歪みの中心点に近い場所であることから、出鱈目に切り離された不安定な足場の集合体だった。ここまできてようやく、シャドウの姿が見え隠れし始める。

 

「あれは…」

 

「シャドウだ。襲ってくる敵だから注意しろ」

 

「敵、なのか。自分の心の中にこんなのがいるって、なんか気持ち悪いな」

 

遠目から見た双葉が眼鏡の奥で顔をしかめる。それをみて、モルガナがすかさず補足を入れる。

 

「あれも、フタバ自身の認知が生み出した存在だ。といっても、その辺にうろついてる奴らは双葉の認知と直接は関係してない。無意識領域から生まれた自己防衛本能が、その場所に応じた形をとっているだけだ」

 

「人の無意識からあんな異形が生まれるのか?」

 

「姿かたちは人それぞれであることに間違いはない。なんてったって、シャドウもペルソナと同じ存在だからな」

 

「ペルソナ…。お前たちが使う力のことだよな」

 

「そうだ。と、まぁここらでいっぺん見せとくか」

 

一体のシャドウが私たちの存在に気付き、生気の感じられないのろのろとした動きで近づいてきた。墓守のような風貌だったそのシャドウは、蛇と人が融合したような姿のシャドウに化け、手に持った槍で先頭のジョーカーに襲い掛かる。

 

突き出された槍は短剣で弾かれ、反撃の蹴りがクリーンヒット。痛みで手を離し武器を失ったシャドウは狼狽し、ジョーカーに向かって命乞いを始めてしまった。ペルソナのなんたるかを見せようという流れだったのに、なんとも空気の読めないシャドウである。

 

「すまない」

 

一応本人も反省の念はあるようで。

 

とは言いつつちゃっかり仮面は入手してこの場は事なきを得た。しょうがないので、モナがゾロを召喚して双葉に説明を続ける。

 

「これがワガハイのペルソナ、“ゾロ”だ。ペルソナっていうのは、宿主の人格そのものといってもいい。ワガハイの場合、この雄々しき紳士の姿こそが、心を写した姿ってことになる」

 

「人格を、コントロールするってことか…?…うん、なんとなく理解はできる気がする」

 

「まじ?」

 

「スカルとは大違いね」

 

「ようするに、自我の一部をコントロールできていない状態だとシャドウになって、その逆だとペルソナになるってことか?」

 

「大体そういう認識でOKだ。素人にしては中々見どころがあるな」

 

「…シロウトじゃない。このへんの話は、お母さんの文献であらかた調べてたとこだったし」

 

双葉の言葉に、みな一斉に顔を合わせる。

 

「君の母親は、どういう人だったんだ?」

 

フォックスがそう聞くと、双葉は少し声を詰まらせた。

 

複雑な事情であることはこの場の全員が察していることだとは思うが、同時に一番気になる部分でもあるはずだ。私たちは自ら怪盗を名乗りその行為に信念を持っているけれど、その実自分たちがやっていることについて一から十まで説明しきれるかと言われるとそうではない。

 

そもそもなぜ認知世界なんてものが存在するのか。イセカイナビとはどういう仕組みなのか。そのあたりのことはてんで知らない。

 

だからこそ、双葉のいう“母親の研究”とやらに興味が沸くのは仕方のないこと。

 

「私のお母さんは“認知訶学”っていう分野の研究をしてた。科学じゃなくて、訶学な。ここ大事」

 

「それは、認知科学とどう違うの?」

 

「人の認知が見える景色やその人の人格にどう作用するのかを研究する…ここまでは普通の科学と同じだ。でもお母さんの研究は、その認知に干渉する方法に関するものだった。…私が見た中に、この認知世界のことも書かれてた」

 

「知っていたのか」

 

ジョーカーの問いに双葉はかぶりをふる。

 

「言葉としては知ってたけど、でもまさか、本当に実在するなんて思ってなかった。便宜上の造語だと思ってたから…」

 

「そうか。でもすごいな…見たことも無いはずの認知世界について、双葉のお母さんは研究を続けていたんだな」

 

「うん…。でも、その研究を…私は…」

 

「…」

 

その場の全員が双葉の母親についての疑問が喉を出かかったが、さしものスカルも遠慮し誰も口に出すことは無かった。

 

ここまで話を聞いてきて、次に気になるのは母親は今どうしているのか、だろう。惣治郎に引き取られているところをみるに、あまり芳しい状況でないことはほかのみんなからみても想像に容易いだろう。私がばらすこともできたけど、さすがにそれは少し双葉がかわいそうだ。

 

と、その場の誰もが二の足を踏んでいると、急にパレス全体がガクンと縦に揺れて、小刻みな揺れが起き始めた。

 

体勢を崩しかけた双葉を支えながら周囲を見渡すと、下の方から何故か砂がせりあがってきているのが確認できた。幸いここはピラミッドの中でもかなり上の方に位置するから、すぐに飲み込まれるような心配はなさそうだけども。

 

またひとつ、大きな揺れが私たちを襲う。今度はさっきよりも大きな衝撃が、上の方から伝わってきた。

 

「おい、上を見ろ!」

 

フォックスの声に顔を上げると、ピラミッドの天井ともいえる部分に大きなヒビが入っていて、今にも崩れ落ちてきそうだ。

 

「おい、おいおいおい…!!」

 

「ウソ…崩れる…?なんで!?」

 

「分からない…!だが、心当たりがあるとすれば」

 

モナはそこで言葉を止め、双葉に目をやる。

 

「リーサル、オマエは一旦フタバを連れて逃げろ!」

 

「どこに」

 

「知らん!だがこの状況、一旦パレスの外に出たほうがきっと安全なはずだ!」

 

「…。モナたちは?」

 

「なにしにここに来たのか忘れたのか?オタカラを探す!」

 

「この状況でか!?」

 

フォックスの疑問も最もだが、モナは当然と言わんばかりの態度で続ける。

 

「全部崩れてオタカラが埋もれちまったら改心できなくなっちまうぞ?」

 

「む…それは…」

 

「こうしてる時間も勿体ねぇ!間違いなくオタカラは近いんだ!さっさと見つけてずらかるぞオマエラ!」

 

「ちょーっと待った待った」

 

走り出そうとしたモナを引き留め、双葉をお姫様抱っこの形で持ち上げる。

 

言っていることは最もだが、ネタバレするとこのパレスのオタカラは双葉自身であり、本人がここに居る以上パレスにオタカラなど存在しない。

 

「どうせ下はもう埋もれかけてるし、一旦上に…」

 

言い終わるより先に、もう一度パレス全体をこれまでで一番大きな揺れが襲う。さっきまでの揺れとの違和感に思わず下を向くと、崩れた足場を飲み込んでいく流砂の中から、無数の触手のようなものがうねうねと顔をのぞかせていた。

 

あまりにも異質なその光景にサッと血の気が引いたような錯覚を覚える。

 

「なっ…なんじゃありゃあああ!?」

 

「とにかく一旦上に逃げるぞ!」

 

ジョーカーの鶴の一声によって、私たちは全員一斉にその場を弾かれた様に駆けだした。真下はあんなふうになってしまっている以上、一度上から外に出て外側に向かって突っ走るしか逃げる方法はない。流石のモナもここいらばかりは引き際を弁えて、生き残ることを優先するようだ。

 

「ジョーカーどっち!?」

 

「っ…こっちだ!来い!!」

 

謎の崩壊が始まってさほど時間は経っていないにも関わらず、どこもかしこも瓦礫だらけで道らしき道はどこにもない。

 

3メートル以上は積み重なった瓦礫を乗り越えようと、ジョーカーが足場役を買って出て一人ずつ上に登らせていく。

 

パンサー、フォックス、モナ、スカルの順番で瓦礫を乗り越え、上でスカルが待機。

 

「双葉、立てる?」

 

「わ、悪い…腰が引けて…」

 

「うん。ジョーカー」

 

「どんとこい」

 

私が皆まで言わずとも、ジョーカーは手を交差させて合図を送る。

 

私は双葉をお姫様だっこした状態で少し助走をつけ、雨宮の掌を踏んでふわりと跳躍。上でスカルが補助してくれたおかげで、難なく二人同時に超えることに成功。最後に、ジョーカーが自力で壁を駆け上がり、スカルが上で引き上げて全員が無事向こう側へ。

 

「オマエラ、これ使って上に行けそうだ!」

 

「走れ!!」

 

が、少々もたついたのもあって、さっきは遥か下の方に見えていた謎の触手が、随分近くまで迫ってきていた。一体あれが何なのかは見当もつかないが、間違いなく私たちに敵意を持っていることだけは分かる。

 

モナが待機するリフトの中に全員で転がり込み、最後に入ったジョーカーが近未来的な緑色の光を放つ操作盤のようなものを押すと、足場は浮上しほどなくして最上…つまり外へ出た。

 

もちろんてっぺんにはほどんど足場など残っていなかったが、一度外へ出れば後は階段状になっている外壁を駆け下りるだけだ。

 

リフトから繋がる僅かな足場を飛び越し全力で走る…!

 

「わたしのせい…?わたしの…」

 

我武者羅に走っている最中、耳を抑え酷く覚えた様子の双葉の口から、震える声で何かをつぶやいているのが聞こえてくる。…今、彼女の中でどんな思いが渦巻いているのかは、常人に理解できるものじゃないだろう。そもそもこんな状況に陥るだけで普通の人間はパニックに陥る。

 

「フタバアアアアァァ」

 

「ひっ」

 

轟音と共に崩れ去るピラミッドを中腹当たりまで下ってきた時、私たちの立つ場所にいきなり大きな黒い影が落とされた。

 

「シャドウか…!?」

 

「いや、おそらくだが、あれは…!」

 

頭上を雄々しい大翼で飛び回っているのは、スフィンクスのような体躯に人の顔を持ち合わせた化け物と呼ぶにふさわしい凶悪な見た目の何かだった。私はこれの正体を知っているが。

 

空を旋回しながらこちらをねめまわす双眸から伸びる視線は、常に私の腕の中に居る双葉に注がれ続けていた。

 

だが今はそんなことを気にする余裕はない。一瞬でも足を止めればこのピラミッドの崩壊に巻き込まれてしまう。

 

「モナ、車くるま!!」

 

「わかってるよっ…!!?」

 

全員で必死にピラミッドを駆け下りながら、パンサーが機転を利かしてモナを空中へと放り投げた。そして空中で車に変身したモナはピラミッドを降りきった場所で待機。

 

どういう仕組みか知らないが車の後方の扉が取り払われ、全員でそこに飛び込む―!

 

雪崩れ込むように突撃したので車内はあらゆる角度で独創的なポーズをとる人間で埋め尽くされた。その中をかいくぐりなんとか運転席に辿り着いたジョーカーがアクセルを踏み、背後から襲い来る崩壊の余波と謎の触手の猛追を振り切ろうと爆走する。

 

ニャータリーエンジンがフル回転する音と共に、左右に大きく揺れるままに車内で転げまわるみんなの呻き声が漏れる。

 

「ちょっ…どこ触ってんだっつの!」

 

「しょーがねぇだろこんな状況なんだからよ!」

 

「ぶむぅ…!?」

 

「…ごめん双葉。ちょっとだけ我慢して」

 

「命を削られるようなこの緊迫感…!!そしてこの見渡す限りの大砂原にパレス独特の異様な光景…!!ああ…くるぞ。俺の中の芸術が」

 

「フォックスちょっと黙っててくれ!」

 

「オイジョーカー!このまま走ってたらパレス出ちまうぞ!?」

 

「分かってる…!揺れるぞ!」

 

直進していた車が急旋回し、後部座席で団子になっている私たちは物の様に車体の左側へと寄る。その直後、かすめた触手によって傾いていた車体は派手に一回転してもう一度走り出す。

 

身体のあちこちをぶつけながらも、まだこの車の走行が続いているのを見るになんとかジョーカーの運転のおかげで時間は稼げているようだ。でも、このまま走っているだけじゃあ埒は明かない。

 

未だに姿勢を正せないまま何とか窓の外を覗き見ると、崩れ去ったピラミッドを中心に発生した大きな砂煙が音もたてずに後ろから猛スピードで迫ってきている。

 

見た目がただの煙なだけあって、その光景を見たところで特になんの焦燥感も抱かなかった…というか、抱けなかった。

 

その砂煙の塊が私たちの乗る車に追いついた瞬間、モナ車は派手に吹き飛ばされもはや上下感覚など感じられなくなるほど何回転もしたあと、真っ逆さまにひっくり返った状態でようやく止まった。

 

「お、オマエラ…無事か…?」

 

無事なわけない。

 

モナは本来の姿に戻り、私たちは砂の上に放り出され、ふらつきながらも急いで立ち上がる。

 

「み、みんないる?」

 

「おう、聞こえてるぞ!」

 

ついさっきまで見晴らしのいい光景が広がっていたこの場所は、今や砂の嵐によって一寸先も見渡せないような状態になっている。

 

私も、自分の腕の中に双葉がいることぐらいしか状況を把握できていない。できていないが、私たちを追っていた触手が相も変わらず猛烈に迫ってきていることは感じ取れた。

 

「Chara!」

 

瞬時にペルソナを召喚し眼前に向けてナイフを振るう。視界こそ塞がれているが、肉を裂く手ごたえは伝わってきた。足元に転がった巨大なタコの足みたいな感触で、何が起きたのかは想像がついた。

 

「ゾロ!」

 

そして、モナがペルソナで疾風を巻き起こし周囲の砂を払おうとしたが規模がデカすぎてほとんど視界は確保できなかった。

 

それを見てジョーカーも、手持ちのペルソナを切り替えて疾風魔法を発動しようやく、ほんの少しだけ見通しは良くなった。だけどまだ足りない。

 

私は二人の起こした旋風に向けて手をかざし、ジョーカーと共に特訓して手に入れた力を使おうと意識を集中する。

 

…大事なのは、目的をはき違えないこと。これは誰かを害するためじゃなく、ただこの砂煙を払うためだけに使う。この広大な砂漠を丸ごと飲み込むような巨大な嵐を振り払うための、ド派手な爆発を…!

 

指を鳴らした瞬間、二人が生み出した小規模な竜巻の中にかすかな閃光が迸り、次の瞬間爆音とともに炎が爆ぜて自分の体ごと周囲のものすべてを吹き飛ばした。

 

足を踏ん張る間もなく体は浮いたので、双葉の頭と顔をしっかり覆うようにして抱きかかえながら着地の衝撃に備える。

 

そして背中から叩きつけられ何度も砂の上を転がりながら、ようやく止まった。今日はこんなのばっかりだ。三半規管がいかれそうだし、そもそも砂の上を転げまわっているおかげで服の中まで砂だらけだ。

 

「双葉生きてる?」

 

「も、もうなにがなんだか」

 

よかった。息はしてる。

 

他の皆もかなり遠方かつ四方に散らばってはいるが、ただ吹き飛んだだけで砂の上に着地しているので大したダメージはなさそうだ。ともあれ、これで視界を遮るものはなくなり景色は一気に明るくなった。

 

相変わらず、清々しいほどの青空には双葉の認知上の母親が飛び回りながら様子を伺っていた。

 

そして…。

 

「佐倉、双葉」

 

「…え?」

 

地の底を這うような暗く冷たい声を響かせたのは、私たちの正面に立つ、金色の瞳をした双葉のシャドウ。

 

私の知るような雰囲気とは違って、なんだかやけに攻撃的な雰囲気を纏っている。

 

「何故、まだ生きてる。お前は母親を殺した大罪人。それなのに、何故?」

 

「…」

 

「どうして、怪盗に縋った。どうして、希望を感じた。どうして、生きていていいと、思った?」

 

「フタバァ!お前のせいで私は死んだっ!!お前さえいなければ!!あの研究を完成させられたかもしれないのにっ!!」

 

憤怒の形相で、大空を旋回していた化け物がそう叫ぶ。双葉はその劈くような咆哮に耐え切れず耳を塞ぎ、私の胸に顔を押し付けて目を閉じた。さっきよりも息は上がってるし震えも大きくなっている。酷なのは分かるが、ここは本人に意地を見せてもらうしかない。

 

縋り付く双葉を無理やり引き離し目と目を合わす。

 

「“思い出せ”」

 

「え?」

 

「直視して。あれは双葉の、認知上の母親だよ」

 

「…」

 

「もう一度言う。あれは、()()()()()()()()()

 

「わたしの、認知上の?わたしの…あたまのなかの」

 

彼女ならば理解できるはずだ。あの異形こそが母親であると、自分の頭の中で勝手に作り上げてしまっているという事実を。

 

「そいつの言葉に耳を貸すな、佐倉双葉」

 

膝をついて見つめ合う私たちに向かって、離れた位置に立つ双葉のシャドウが割り入ってくる。

 

「今まで自分の目で見てきたものが全てだ。お前のせいでお母さんは、ノイローゼを起こして自殺した。遺書にもそう書いてあった。親戚にもそう責められた。誰もお前を必要としなかった。それが全てだ」

 

「…」

 

「分かっているだろう。自分には生きている価値が無いと。でも自分で終わらせる覚悟も勇気もないから、ただふさぎ込むことしかできずに生きることから逃げているだけだった。だから、怪盗団を利用しようとしたんだろう?」

 

「ちがう…!」

 

「なら、望み通り殺してやる。哀れなわたし」

 

その言葉を最後に、シャドウは手を翻す。

 

虚空に蛍光色に光る魔法陣のようなものが浮き出て、そこからさっきの触手が無数に生えてきた。

 

真っすぐこちらに向かってきた触手だったが、それは側面からの電撃を浴びて動きを止める。電撃が飛んできたほうを見ると、スカルがダッシュで私と双葉の元に駆け寄ってくれているところだった。

 

「リーサル!よく分かんねぇけど、俺たちはとにかく時間を稼げばいいのか!?」

 

「うん。それでよろしく」

 

「おうよ!そういうことなら…!」

 

私たちの前に立って襲い来る触手をいなすスカル。何も考えていないようで、その実自分にできることは何なのかを常に考えているのがこの男だ。無駄な腕っぷしもこういう時には役に立つ。

 

他のみんなも触手を足止めすることに加勢してきてくれた時、これまで様子見を続けていた認知存在の双葉の母親もついに動き始めた。

 

巨大な獅子のような腕を大きく振りかぶりながら地上に急接近し、座り込む私たちめがけて爪を剥き出す。

 

「アルセーヌ!」

 

が、その攻撃が届くより先に、ジョーカーの雄たけびとともにその巨体は横に逸れ地面に叩きつけられる。アルセーヌの攻撃によって体勢を崩し、そのまま着地したようだ。

 

「若葉は任せろ」

 

すれちがいざまにそう言い残し、距離を取った認知存在を追うジョーカー。今の言葉の節に、私はどこか違和感を感じずにはいられなかったが、今はそれを考える時間じゃない。こうしている間にも双葉のシャドウとみんなとの攻防は続いていて、状況は刻一刻と動き続けているんだ。

 

「…どうして邪魔をする、怪盗団」

 

「仲間が傷つけられるのを黙ってみてるわけねぇだろ!」

 

「何も知らずに付き合ってるのか。可哀そうに」

 

「あぁ?」

 

「佐倉双葉は死んで当然の存在だ。でも現実じゃ死にきれないから、お前たちを利用しこちらの世界へきて、逃れられぬ死を享受しようとしているんだ」

 

「死んで当然の存在なんて、そんな人この世に居ない!確かに私たちは、双葉ちゃんの事情をこの目で見てきたわけじゃないけど」

 

「そう、お前たちは何も知らない」

 

双葉のシャドウが一歩、前に出る。

 

スカル、パンサー、モナ、フォックスの四人が一斉に腰を低く構える。

 

「お母さんが死んだのは、事故じゃない。わたしのせいで育児ノイローゼを起こし、そのせいで自殺したんだ」

 

「自殺…!?」

 

「遺書にもそう書いてあった。初めから、わたしのことは大嫌いだったそうだ」

 

また一歩、大きく踏み出す。

 

そこで気付く。

 

からだが、うごかない。

 

認知の操作か、双葉自身の持つ認知訶学の知識や、長年の引きこもり生活で身に着けたハッキング技術の影響か。とにかく、指先一つ曲げることすらできなかった。

 

「わたしは生きていることが罪なんだ。だから、ここで死ぬ。お前たちにはなんの迷惑だってかけない。だから、」

 

「だから、何だ」

 

シャドウの言葉を遮ったのは、意外にも今まで静かに話を聞いていたフォックスだった。

 

「だから、大人しく死なせろとでも言いたいのか?…寝言は寝て言うんだな、臆病者め」

 

「…なに?」

 

「分からないか?今の話が本当だったとしても、お前がやろうとしていることは、ただの現実逃避だ」

 

「違う。わたしがやろうとしていることは贖罪だ」

 

「お前はただ、現実から目を背けたいだけだ。…きっと、贖罪したい気持ちだけは嘘じゃないんだろう。それだけ母親のことを思っていたんだろう。だったらなぜ、その母親から授かった命を蔑ろにしようなんて考えられるんだ」

 

「…!」

 

「よく考えろ!お前がしたいことは、母親を裏切ることか?復讐することか?」

 

フォックスの言葉は、シャドウだけでなく双葉本人の心にも届いていたらしい。はっと息を呑む音が、二人の双葉から同時に漏れる。

 

「わからない…」

 

震える声で、できるだけの声量で言葉を発したのは、双葉本人のほうだ。本人の心の中で、一体どんな感情が渦巻いているのかは分からないが、それでも前を向こうとしていることだけはみんなが感じ取っていた。

 

と、その時…どこからともなく聞き覚えのない声がその場に響いた。

 

『“研究の邪魔をしてきて嫌いだった”、“鬱陶しかった”』

 

『…どうやら、君のお母さんは育児ノイローゼを起こしていたようだね』

 

『君のことが足かせになって、生きるのが嫌になっちゃったみたいだ』

 

『あんなに一生懸命になっていた研究の成果まで投げ出して…』

 

『自殺だってよ。よほど娘が嫌いだったんだな』

 

『あいつのせいで…』

 

『あいつのせいで』

 

『あいつのせいで!』

 

「ぅ…ああああああっ!!?」

 

続く罵倒の声に双葉は耐えきれなくなったのか、周囲の音をかき消すように叫びながら耳を塞ぐ。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」

 

何度も謝罪の言葉を繰り返しす双葉を抱えながらも、なおも私は体の自由が利かない状態だった。シャドウの攻撃もだんだんと苛烈さを増し、少しずつ前線を押しやられてきている。

 

おそらくだけどこれはやはり、双葉の持つ力の特性が影響してるはず。だったらなおのこと、双葉にはここで覚醒してもらわなくちゃいけない。私たちは、こんな場所で足踏みしてる場合じゃない。

 

「わたしはここで死ぬべきなんだ!邪魔をするなら、お前も!」

 

「Chara」

 

私ごと双葉を貫こうと放たれた触手をペルソナで両断し、そして次は自分の中に呼び覚ます。

 

「双葉…」

 

また、私の周りに一瞬ノイズが走る。

 

動かなかった手足は、もう自由だ。

 

私は双葉と…フタバのシャドウに向けて言葉を連ねる。

 

「奇しくもそこのオイナリが言った通り…」

 

「オイナリだと!?」

 

「…」

 

「…君はただ、真実に怯えて逃げてるだけだよ」

 

「っ…何も、知らないくせに!!」

 

「知ってるよ。死にたいと思っていることも、変わりたいと思ってることも、全部本当だって」

 

立ち上がり、赤い光を纏った拳を握る。

 

「どっちも叶えてあげるよ。この場所で今までの君は死に、新しい君に生まれ変わる」

 

一歩、また一歩と距離を狭めていく間は、やはり鴨志田の時と同じように周りの時が止まったかのような錯覚に陥る。

 

「わたしはそんなの望んでない!」

 

「望まれていないと、思い込んでいるだけじゃなくて?」

 

「…!」

 

「思い出せ、佐倉双葉。あの遺書が本物だったという証拠はあった?死の間際まで、ノイローゼの兆候なんてあったか?君が信じるべきは本当に、葬式に参列して母親の遺書とやらを大勢の親戚の前で読み上げたあの黒服か?」

 

「…」

 

「奇しくも、本当に奇しくも、そこのオイナリが言った通り…」

 

「オイナリだとっ!?」

 

「…」

 

「…君が、本当にお母さんのことを信じたいのであれば、信じればいいんだよ」

 

「信じる…」

 

「君のお母さんと、そしてなにより、君自身を」

 

シャドウは一瞬俯き、そしてゆっくりと、決意のこもった瞳で顔を上げた。

 

「そう、か。やっぱり…違った。“アレ”は、お母さんなんかじゃない!!汚い大人が作り上げた幻想……!」

 

そう叫び、ずかずかとへたり込んだままの双葉本人に近寄っていく。

 

 

「立て、佐倉双葉!もう分かっているはずだ!お母さんの死の真相も、自分が何をすべきなのかも!」

 

「…うん。分かってる。分かってたけど…でも、勇気が無くて安易な答えを受け入れちゃったのが良くなかったんだよな」

 

「わたしが本当にやるべきことは、死ぬことじゃない」

 

「やるべきこと…やりたいことは、研究を奪って、お母さんとわたしの人生を踏みにじった奴らへの叛逆だ!」

 

双葉たちは向かい合って、互いに頷きあった。どうやら、きちんと自力で答えに辿り着いたらしい。私がしたのは、ほんの少しだけ、自分の持つ決意に双葉の心を中てさせただけ。あとは全部、双葉自身の力でなんとかなるはずだ。

 

シャドウが光に包まれ消えた後、双葉は少しの間頭を押さえて苦しそうにしていたが、それはみんなで静かに見守り、やがて反逆の意志が顕現するのを見届けた。

 

小型の宇宙船のような形をしたペルソナからさっきまでとは少し小振りになった触手が伸び、双葉の身体をその中へと持っていく。

 

「ふ、双葉ちゃん!?大丈夫なの?」

 

『大丈夫!…なんとかなりそう!』

 

思わずパンサーが心配の声を上げるが、どうやら中は平和らしい。

 

それより、と双葉が続ける。

 

『そこの癖ッ毛眼鏡!…ああいや、今は眼鏡してないけど。わたしが援護する!地上に墜としたタイミングで攻撃してくれ!』

 

今の今まで、たった一人で()()()()の認知存在の気を引き続けていたジョーカーに、双葉が助け舟を出す。あくまで時間稼ぎという名目で立ち回っていたせいもあるだろうが、お互いに大したダメージは負っていないように見える。

 

「フタバぁぁァ…!!お前なんて産まなければぁぁぁ!!!」

 

異形の姿に憤怒の形相。あれが、今まで双葉が抱えていた母親の幻想だ。

 

真実とはかけはなれたあの姿は、双葉の母親である一色若葉の研究内容を横取りしたいがために、その手のものに吹き込まれた偽りの真実が原因だ。今の双葉には、そんな幻の吐く言葉など届きはしないだろう。

 

『何を言われようと、わたしは生きる!もう二度と、騙されない!わたしのお母さんはそんなこと言わないっ!』

 

「黙れっ!!おまえのせいなんだ!ぜんぶ!お前の!!」

 

『…こんなまぼろしに騙されてたなんて』

 

「あと少しで“研究成果”を発表できたのに、お前が邪魔をした!!」

 

『…確かに、そうだった。わたしはわがままを言ってお母さんに怒られた。…でも!そのあとちゃんとお母さんは、研究が終わったら好きなところに行こうって言ってくれた…!わたしのことを…だいすきだって言ってくれたっ!!』

 

双葉の叫びと共に、ペルソナから発せられた緑色の波動がパレス全体に波打ちながら行きわたる。

 

「わたしはもう、幻想なんかに惑わされない。お前はお母さんでもなんでもない、腐った大人が作ったニセモノだ!」

 

次の瞬間、快晴の空を映していたパレスにたちまち暗雲が垂れ込み始め空模様はおどろおどろしい嵐の様相を呈す。

 

今までとは違う乾いた暴風が吹き荒れる中、一色若葉の認知存在は大きな翼を翻し空高くまで飛翔した。暗雲の彼方まで飛び上がったのを見届けてモナが警鐘を鳴らす。

 

「まずい、いつ仕掛けてくるか分からんぞ!」

 

『わたしに任せて!自分の心の歪みぐらい、“ハック”してみせる!』

 

「信じるぞ、フタバ!?」

 

地上にいる私たちからは敵の動きを目視で確認することは不可能で、荒れ狂う嵐の影響で気配の察知も難しい。もしあの巨体の一撃をまともに喰らったりしたらひとたまりも無いだろう。

 

だけど皆、双葉の力強い言葉に背中を預けることをためらわなかった。その言葉の節々には、今までには無かった自信があったから。

 

その時をじっと待つ。

 

そして、おそらく私と双葉だけが気配の接近を探知して訪れたその時に、暗雲を突っ切って巨体が高速で地上に向かって体当たりを仕掛けてきた。

 

視認すると同時に直撃を覚悟しそうになるが、その前に突如として降り注いだ雷が、その両翼を焼き切った…!

 

「よし今だ!みんな、やっちゃって!」

 

どうやら、今の雷は双葉が認知の操作で意図的に生み出したものだったらしい。場所を限定するとはいえ、かなり強力な力だな…と、感心している場合ではない。急いで包囲しトドメをさすために駆け寄る。

 

それでもかなり開いた距離を詰めるには時間が足りず、翼はなくともその四肢でもう一度認知存在は立ち上がった。落下した位置から最も近かったのはジョーカーで、誰よりも早く追撃を行おうとペルソナを召喚していた。

 

「ラクシャーサ!」

 

刀を二本持った鬼のようなペルソナは見た目に反して俊敏に動く。その剣撃で四肢を切り裂き、敵を怯ませた間に、追い付いてきた私たちも一斉に加勢する。

 

私はそのままゼロ距離まで距離を詰めにいき、その後ろからみんながペルソナで攻撃を放つ。

 

キッドの電撃が巨体を穿ち、カルメンの炎が毛皮を爛れさせ、その炎をゾロの疾風がさらに助長し巻き上がらせる。

 

「ゴエモンッ!!」

 

そして苦しみからか手当たり次第に暴れまわる巨体が、ゴエモンの一刀によって片足を切断され地に伏した。

 

「ふ…ふたば…あああああ!!」

 

『もう…わたしは惑わされない。他人の嘘より、自分の魂を信じるって決めたんだ』

 

「死ぬ…のよ!!お前の…ような、忌み子は!!」

 

『ニセモノに何を言われたって、どうだっていい。何を言われようと、わたしは生きる!』

 

ダッシュでその巨体の真下に潜り込み、心臓目掛けて手をかざす。

 

「やれっ!!」

 

「ペルソナ…!」

 

イメージしたのはアルセーヌの呪怨の力。

 

直接心臓を焼く焔は天を衝き、認知存在の消滅と共に暗雲を吹き飛ばした。

 

かくして、双葉が真に自分を取り戻すことにできたことによりオタカラを得たことになり、パレスは崩壊を始めた。

 

 

急いでモルガナカーに乗り込み脱出しようとする最中、認知存在が消滅した場所に一人の人影が立っているのをパンサーが見つけた。

 

急ぐ必要はあるものの、出口は幸い遠くない。私たちは、その人影に走っていく双葉を見送り、事が済むまで待つことにした。

 

「お母さんっ」

 

「双葉…ありがとう。本当の私を思い出してくれて」

 

「ううんっ…わたし、おかあさんのこと…!」

 

「大丈夫よ。分かってるから。あなたは賢くて、可愛くて、わたしの自慢の娘」

 

さっきまでの怪物の姿とは打って変わって、そこに立っているのは穏やかな顔をした、人間の姿の一色若葉…双葉の母親だ。

 

二人が言葉を交わしているのを遠目に車の中から見守っていると、スカルが口を開いた。

 

「なぁ…結局、双葉の母ちゃんって亡くなってんだよな?」

 

皆複雑そうに首を縦に振ると、「やっぱそうだよな…」と顔を俯かせた。

 

「なんでなんだろうな。自殺では無いんだろ?」

 

その問いに対し、運転席のジョーカーが答える。

 

「多分、双葉の母親が研究していた認知訶学に関係してる」

 

「関係って?」

 

「例えば、その研究成果を横取りしようとした奴に殺され、遺書を捏造し自殺に見せかけた…とか」

 

「んなこと出来んのか!?今の世の中で!」

 

「俺もそうやって冤罪を着せられた」

 

「…っマジかよ」

 

「本人から話してくれればいいけどな」

 

「だな。ワガハイ達から詮索するような内容じゃないことは確かだ。でもその研究…間違いなくワガハイ達がやってることに関係してるぞ。何か情報が引き出せれば、ワガハイの正体にもつながる可能性がある…」

 

「イセカイナビのことも、もしかしたら知ってるかもしれないよね」

 

「無粋な連中だ」

 

あれこれと考えが錯綜している中で、フォックスはただ窓から双葉たちお様子を微笑ましそうに眺めながらそう言った。

 

「んだとー?」

 

「先のことを考えるのもいいが、今はただ、ひとつの親子の絆が結びなおされたことを祝福しているだけでいいだろう」

 

そう言われて一斉に、みんなの視線が双葉の元に集まっていく。

 

「…だな。もう、死んじまおうなんてかんがえてねーみてーだし」

 

「ああ。作戦成功だ」

 

「困ってる人を勇気づけるっていう怪盗団のモットー、達成できたかな」

 

「できたさ。ワガハイたち怪盗団は決して、目の前の困ってる人々を見捨てない。色々イレギュラーが重なったが、今回も上手くいったな、ジョーカー!」

 

「リーサルが仕事を持ってきてくれたおかげだ」

 

「それはどうも…」

 

そう言いながら、私に不敵な笑みを向けるジョーカー。

 

私はなんとなくそれから目を逸らし、窓の外を覗く。

 

「てかそうだよ!オタカラはっ!?」

 

「まったくスカルは騒がしいな…」

 

「モナがオタカラオタカラ言ってたんだろうが!」

 

「まったくこれだからアホは…。パンサー、スカルに説明してやってくれ」

 

「そうだよ!オタカラ、どうすんの!?まだとってないよね!?」

 

「マジかぁ…」

 

ため息をつくモナの代わりに、私がスカルとパンサーの二人に説明してやることにした。

 

このパレスは見れば分かる通り、ピラミッド。ピラミッドは王の墓だとする説もある影響で、ここも同じく墓のイメージとしてこの光景になった。

 

つまり、佐倉双葉が死ぬべき場所としてあのピラミッドが出来上がったわけだ。

 

で、このパレスが出来上がった訳は、双葉は母親の死を捏造しようとした何者かの言葉によって、母親の死の原因が自分にあると思い込み、自らの死を望むようになってしまった…という経緯だろう。だから歪みの発生地が双葉自身となるわけで、必然的にオタカラも、双葉自身となる。

 

「「なるほど、わからん」」

 

「はぁ…」

 

掻い摘んで簡単に説明した後、私もモナと同じようなため息をつく羽目になった。からかうモナといちゃつくスカルの喧騒を横目に見ていると、何故か双葉が私の顔を見ながら微笑んでいることに気が付いた。

 

「…?」

 

結局その理由は分からないまま、双葉は母親に別れを告げて車に向かって走りだした。既に疲弊しきっている運動不足の体で、大量の砂の上を走る様は中々に滑稽だったが…。

 

「ごめん!待たせた!」

 

私の隣に双葉が乗り込み、ひとまずその場は脱出することとなった。

 

 

現実へと帰還した私たちは、込み入った話はまた後日としてその場で解散した。雨宮も先にルブランに戻ったので、今双葉の部屋には私と二人きりだ。

 

「すぅ…」

 

「…」

 

双葉はこっちへ帰ってくるなり電池が切れたように意識を失って眠り始めた。流石に、数年引きこもってた体にあのパレスの刺激は強すぎただろうし、無理もない。私はそんな双葉の寝顔を見下ろしながら、これからのことについて思考を馳せる。

 

こうして双葉をパレスに連れていきペルソナの覚醒を促したのには、もちろん理由がある。といっても、前々から計画していたものとは少し予定が違ってしまったけれど…。

 

明智から依頼された“仕事”は思いのほか直球でスピーディなものだった。あいつのことはひとまず逃がしたけれど、それがバレればすぐに私は切り捨てられる。それはまだ、私にとって望ましいことじゃない。

 

そこで双葉の協力を仰ぐことにしたわけだ。ターゲットには姿をくらませるように言ったけど、それだけじゃ確実に追跡されてしまう。双葉には、ターゲットの情報隠蔽に一役買ってもらう。死亡確認こそされないものの、完全に消えたとなればそれ以上追うことも出来ず、その人物の抹消という名目は果たされる。…これで、上手くいくことを祈ろう。

 

上手くいかなかったら…その時はその時だ。

 

できればそんなことにはなってほしくないけど…場合によっては多少強引な手段に打って出る必要もあるだろう。でも、そうまでする価値はきっとある。

 

明智吾郎という人間を、私は救いたい。不条理や理不尽に見舞われ続けてきた彼だからこそ、きっと私の考えには賛同してくれるはずなんだ。

 

明智吾郎は生きるべきであるという、私の理想に。

 

「…おやすみ、双葉」

 

その明智吾郎は、この少女の敵でもあるわけだけど…それは明智を見捨てる理由にはならない。救われるべき人間は私がこの手で救って見せる。

 

それこそが、今私がここにいる意味なんだ。

 

「…きら」

 

「ん?」

 

双葉の部屋を後にしようとした時、ふわりと自分の右手に何かが触れた。

 

見ると、それは弱弱しく伸ばした双葉の手だった。寝ぼけているのかなんなのか、まるで「行ってほしくない」と訴えるようなその手を振りはらって、布団の中におしやる。でも、双葉はしつこく私の手を握ってくる。

 

「…」

 

聡明な双葉の事だ。多くは語らずとも、実際にパレスで見せたペルソナで、私の正体には気が付いていることだろう。

 

初めて双葉と話したとき、私は協力の対価としてアンダーテールの秘密を教えると約束した。

 

「キャラ…」

 

「なに」

 

「ふへ…」

 

双葉にこれから頼む仕事の危険さにくらべれば、こんな情報は安いものかも知れない。でも、私は何としても双葉の協力を取りつけたかった。

 

気の抜けた気色悪い笑みを浮かべる双葉を見下ろしている間に、なんだか私も眠くなってきてしまった。そもそも今回のパレス、吹っ飛びすぎの転がりすぎでシンプルに消耗したし…。

 

「やれやれ…」

 

そんな言い訳を胸に秘めて、なかなか手を離そうとしない双葉に、私は従ってやることにした。

 

絶対に二人で寝ることは想定されてないベッドの上に寝転がり、目を閉じる。

 

 


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