付き合いたての恋人の家に泊まることになった。
しかも家には彼女の両親はいない状態で。
つまりそう……二人っきりで。




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(タイトルからもお察しできる通り)つまり、これは枕の話です。


YES NO

 

 

チャイムを押すとピンポンという音がする。やがて少し経ってから玄関の扉が開く。揺れる黒髪が視界に入る。

 

「……い、いらっしゃい……ませ……」

 

慌ててきたのか、少し息を乱しながら彼女が出てきた。はぁはぁ、という小さな吐息が聞こえる。色っぽかったのは内緒。

 

「どうぞ……中へ……」

 

燐子は恥ずかしそうにはにかんで僕を家の中へと導いてくれた。

そうして連れて来られたのは彼女の部屋。なんというか落ち着いた感じの、彼女らしい部屋だ。部屋に入った瞬間良い匂いがした。ってか広っ。ピアノでかっ。

 

「そ、その……じっと見られると、恥ずかしいです……」

 

「あ、あぁ、ごめん」

 

恥ずかしそうに頬を赤く染めた燐子に指摘されて僕は慌てて止めた。

 

「女の子の部屋って初めてだから、つい」

 

初めての体験だからついつい見回してしまった。けどやっぱりそれは恥ずかしいよね。

 

「……初めて……ですか。……初めて」

 

燐子はなんだか嬉しそうに「初めて……」と繰り返す。壊れた機械みたいだ。

 

「燐子?」

 

「えっ、あ……わ、私……お茶入れて来ますね」

 

僕が声をかけたら慌てて部屋を出て行った。

 

「……僕、どこに座ればいいんだろ」

 

燐子の部屋に僕一人残されて立ち尽くす。初めての彼女の部屋は座る場所にも戸惑う。きっと地べたに座るのが正しいんだろう。彼女のベッドに座るのが不正解だってことだけは僕にでもわかる。

一人になって少しだけ冷静になる。いや完全に落ち着いたわけじゃない。ちょっとマシになっただけだ。

自分が知らぬうちに緊張していたことに気付く。さっきも言ったが女の子の部屋は初めてだ。なんなら女の子の家だって初めて。これで緊張するなというのが無茶だ、と僕は思う。

そんな初めて訪れた女の子の家に、僕は今日泊まることになる。余計に心臓がうるさい。いや、何も期待していないよ僕は。

 

「すぅ」

 

深呼吸して思う。……あれ? なんでそんな神様もびっくり仰天展開になった?

今日のことは燐子から言い出したことだった。意外なことだと僕はびっくりした。

燐子と僕は付き合い始めて2週間ぐらいになる。お互いの用事だとか、あと学校が違うというのもあってなかなか会う機会というのは限られていた。そんな中で僕らはメッセージアプリなんかでお喋りして交流を深めていた。

それでもやっぱり付き合いたてのカップルなので実際に対面で会いたくなる。そこで僕らはいつ会おうかとお互いのスケジュールをすり合わせをしていた。それが昨日のこと。

そのやりとりの中で、

 

『明日、親がいないんです』

 

という言葉と加えて可愛らしい絵文字が盛り込まれている、意味深なメッセージが燐子から送られてきた。

僕は受け取り方に困った。果たして燐子の意図はなんなのか。僕をからかってるのか。それとも何か親が不在で困りごとでもあるのか。それとも――

 

『じゃあ、僕と泊まりに行こうか』

 

思考が巡り廻って。僕はそう返信した。冗談半分、本気半分。いやでも冗談か、僕の勘違いに違いないと思っていた。思っていたんだ……。

 

『是非!』

 

これもまた可愛らしい絵文字と一緒に送られてきた。うん……? ……『是非』?

あれ……? ……やっぱり『是非』。

………………。……えっ!? …………マジ?

何度も何度もメッセージを見返すがやっぱり変わらない。是非、という言葉が送られて来ている。なんだか嬉しそうな絵文字付きで。

……そこからはあれよあれよと話は進んでいく。何時に両親が家を出るから家に来るのは何時以降がいいです、みたいなやりとりを繰り返して、現在に至る。

回想終了。いや本当にどうしてこんな展開になったのか。そして燐子は一体どんな思惑があって僕を自宅に呼んだんだろう。それも両親が不在の時に。いや燐子の両親が居たら居たでそれはそれでちょっとプレッシャーなんだけど。

 

「はぁ」

 

……うんまあ、どうしてもそわそわしてしまうよね。それを誤魔化そうと周りを見るとここが女の子の部屋であることを思い知らされて余計に落ち着かなくなる。

ああ、早く燐子戻ってこないかな。いやでも戻ってきたらそれはそれで落ち着かなくなるなぁ。

 

「お、お待たせしました……」

 

がちゃと扉が開く音がして、二つのカップを乗せたお盆を持って燐子が戻ってくる。頬の赤さはそのまま。

 

「おかえり……ところで僕、どこに座ればいいかな?」

 

まあ、直接本人に聞くのが一番いいよね。と思って聞いてみた。

 

「あっ……ご、ごめんなさい。え、えっと……あの、その……べ、ベッドに」

 

「ベッド!?」

 

衝撃的な発言が出てきたよ。いきなりベッドに座るとかいいの? 大丈夫なんですかそれ? 僕のこと信頼しすぎじゃない?

……どうしよう初めての彼女の部屋だから色々自重すべきだと思ってたけど我慢できなさそう。

 

「その……わ、私は、気にしませんから」

 

燐子が気にしなくても僕が気にするんだよなぁ……。とは思いつつ、燐子のベッドに座る機会なんて逃すことができないとも思い、僕は言われた通りにベッドに座る。身体が一瞬沈み込むような感覚がした。はー柔らかい。

燐子も隣に腰を下ろす。僕と彼女の間にお盆が置かれる。お盆には高級感あるカップが二つ。ちゃぷんと少しだけ液体が揺れる。

 

「…………」

 

「…………」

 

二人とも言葉を継げなくなる。いやだってベッドで彼女と座ってるんだぜ。しかも二人っきりの彼女の家で。燐子は気にしないって言ってたけど、ちょっと恥ずかしいそうにしてる。

 

「…………そ、その……これ、ホットミルクです」

 

沈黙を破ったのは燐子の方からだった。

 

「ありがとう、燐子」

 

「い、いえ……どういたしまして」

 

燐子が持ってきたお盆に乗ったカップの白い色の液体が湯気を昇らせていた。……零さないように気を付けよう。そう決意して僕はお盆に乗ったカップを一つ持ち上げる。

カップに入った熱いミルクを口に含む。まろやかな舌触り。心が落ち着く。

ちょっと落ち着いてきたので、燐子に聞いてみようと思った。僕を何故誰もいない家に呼んだのか。それもお泊り。

 

「それで……僕を家に呼んだのは、なんで?」

 

「そ、それは……」

 

燐子は言い淀む。顔は赤く染まる、彼女の視線を何度か僕の方とそこ以外を彷徨う。

燐子は自分を落ち着けようとしてゆっくりと息を吸って、吐いた。そして視線を僕の方に定めて、口を開く。

その表情は先ほど変わりない。だけど何か違う気がした。

 

「秘密、です……」

 

その表情はやっぱり恥ずかしそうで、そして妙に艶っぽく見えた。そう色っぽいんだ。僕はそれ以上言葉を重ねることができなかった。

燐子の発言にどう意味や意図なのかはわからない。けどきっと何かあるんだろう、そんなことを感じさせた。

妙に間が空くのがむず痒くて、それでいて何か話すのもどうにもむず痒くて。僕はそれを誤魔化そうとカップを持って、ホットミルクを流し込む。

……今度は、ホットミルクの味がよくわからなかった。ただ熱さだけを舌に伝わっていた。

 

 

●●●●

 

 

あれから二人で夕飯を食べ、二人でゲームをやったりとゆっくりとした時間を過ごした。だけど、いまだに燐子が僕を両親のいない家に泊まらせた理由はわからないままだった。

いい加減勘違いしてもいいんだろうか。そういう意図があるって思っていいんだろうか。直接聞きたいけど、聞けずにいる。だって勘違いだったら恥ずかしいやつどころか変態野郎になるじゃんか。

そんなこんなでずるずる来て。もう時計は午後10時を回っていた。

 

「……そ、そろそろお風呂に、入りませんか」

 

そう燐子が切り出してきた。一瞬、一緒に、って思ってしまう。

 

「えっ、あっ! ち、違いますっ。べっ、別々、ですから……っ」

 

考えてることがバレた。……どうやら僕は顔に出てたらしい。燐子は慌てて否定した。

 

「…………そういうのは、もうちょっと……進展してからで……」

 

……そんな呟きが聞こえた。僕は聞かないふりをする。だってどう反応すればいいんだよ。進展って何? 色々変な想像が掻き立てられてしまう。もうさっきから燐子に心揺さぶられてばっかりだ。

 

「……どっちから、先入ります? 先の方が……いいですか?」

 

「燐子から先入ったら」

 

燐子の家だし、ね。

 

「……で、でしたら……お先に、失礼します……」

 

そう言って燐子はお風呂へと向かっていった。

 

「……あ、あの」

 

と思ったら扉を半分開けて、燐子はそこから顔を少しだけ出していた。なんだろう。

 

「の、覗いちゃ……ダメ、ですから」

 

顔を赤くしながら、それだけ言って燐子は去っていた。しないよ。……したいけど。

そんな欲望を我慢しつつ燐子の部屋で彼女を待つ。本当にいい匂いがして色々耐え切れそうにないんだけど。

そんな葛藤を30分ぐらい繰り返していたら燐子が戻ってきた。黒のネグリジェを着ていて、火照っているのか、すらりと伸びた、いつもは新雪のように白い腕が今は少し赤い。ネグリジェの胸元からは彼女の豊かな胸の谷間が見えてて、非常に心臓に悪い。

 

「お待たせ、しました……」

 

僕の様子には気づかず、燐子が僕に近づいてくる。

 

「……じゃあ、僕、入って来るね」

 

「あっ、は、はい。いってらっしゃませ……」

 

僕は逃げるように部屋を出た。いやだってあんな色っぽい姿で近づかれた不味いよ。紳士でいたいのに、狼になっちゃう。

 

「あ」

 

僕、お風呂の場所、わからない。

 

 

●●●●

 

 

格好悪いが、一度部屋に戻って燐子に案内してもらった。案内してもらっている間、会話が上手く回らなかったのは僕が緊張していたからだ。それだけ今の燐子は刺激的なんだ。燐子のネグリジェ姿を見て、ムラっと来ないわけがない。仕方ない仕方ない。

……燐子に気付かれているだろうか。誤魔化せているだろうか。

 

「あー……」

 

シャワーを頭から浴びる。温度設定は冷水にしてある。頭を冷やしたかった。身体も。じゃないと、理性がはち切れそうなんだ。……ほんと、これ、理性持つかなぁ。

というか、僕はどこで寝るんだろうか。同じ部屋で、とかなったらどうしよう。それもう眠れないよ?

……十分ぐらい冷水を浴び続けて色々と耐え切る覚悟をしてから、お風呂を出た。

俺も寝間着に着替え、燐子の部屋へと戻る。部屋の扉の前で深呼吸。我慢しろ我慢しろ。勘違いで襲ったら犯罪勘違いで襲ったら犯罪。

 

「……よしっ」

 

俺は彼女の部屋の扉を開けた。

 

「…………」

 

――開けたまま固まった。

 

「…………ぅぅ」

 

ベッドで寝そべる燐子。ここまではまだいい。まだわかる。しかし、ツッコミどころが一つ。

――彼女が抱いているあの枕は一体なんなんだろう。燐子は『YES』と描かれている枕を胸元に抱いているのだ。あれはなんだ?

 

「…………」

 

あれは俗称『YES NO枕』というやつでは? いや、そもそもなんでそんなもの燐子は抱きしめているのだろう? まるで僕に見せるように。ああ、どうでもいいけど枕になりたい。

 

「……ぁ、あの……こ、これは、ですね……」

 

燐子が林檎のように真っ赤になりながら口を開く。

 

「………………そ、そういうこと……なんです……」

 

聞こえたのはか細い声。だけど聞こえた。今の僕は燐子の一言一句聞き逃さないのように集中してる。

そういうことってどういうこと? ……理性がはち切れそうになる。ごくりと大きく喉が鳴る。

僕の視線を感じて、あるいは自分の顔が真っ赤っかであることを自覚して燐子はその枕で顔を隠す。

 

「ひょっとして……僕を家に泊めたのも?」

 

「……は、はい……そ、そういうつもり、でした……」

 

「…………」

 

「…………ぅぅぅ」

 

……もうさ、いいんじゃね。我慢しなくていいよね。

 

「…………燐子」

 

僕は燐子に近づく。ベッドに上って、彼女が持っている例の枕を剥ぎ取る。やっぱり顔は真っ赤っかで涙目だった。

 

「……………………はぃ」

 

燐子の声は小さくて、消えてしまいそうだった。僕が目を合わせようとすると彼女は合わせまいと視線を逃がす。

 

「そういうことだって、思っていいんだね?」

 

ゆっくり、優しく。囁くように僕は燐子に尋ねる。

 

「……………………はい」

 

こくんと首を縦に振って頷く。

燐子の身体に触れる。小刻みに震えていた。無理もない。僕たちは初心者カップルなんだから。そのまま彼女を優しく抱き寄せる。震えがせめて和らいでくれるようにと思いながら。

そうやって僕と燐子は近づいて、もう彼女は視線を逃がせなくなった。彼女の目に怯えや恐怖といった感情が宿っている。それと同時に熱っぽい何かも宿っていた。

僕と彼女の呼吸の音と時計の刻む音だけが部屋に響く。言葉はもう必要なかった。

 

 

 

――その後、僕たちの間でそういうことの合図としてその枕が使われるようになったのは言うまでもないことだ。

 




はぁ、枕になりたい……

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