深夜廻戦   作:フールル

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 はい……大変長らくお待たせいたしました。
 遅筆ですね。いつの間にか雪が降ろうといや、降ってる季節になりました。
 皆さん、健康には気を付けてくださいね。


九夜目

「それでは……憂太とハルの大健闘を称して──」

 

『乾杯!』

「しゃけ!」

「かんぱーい」

「……かんぱい」

 

 時を遡り夏のある日、京都から戻ってきた乙骨とハルの二人は同級生達に迎えられた後に空き教室で行われた祝勝会に参加していた。

 夏に行われた呪術高専姉妹校交流会。

 特例で参加した乙骨、ハルを除いた一年生である彼らは交流会の参加資格を奪取することが出来ず、京都で行われた交流会の様子を東京で観戦していた。

 交流会の勝敗は都高専に軍配が上がり、その喜びを現地で分かち合えない事を惜しんだパンダの発案で空き教室を借りて一年生のみの小さな祝勝会が開かれたのだ。

 

「なんだよハル、ノリが悪いぞ。もっと腹から声だせよ」

「しゃけ」

 

 手に持ったコップの中身を一息に流し込んだ真希がハルの俯いた顔を見て、悪態を零す。

 狗巻の同意に乙骨とパンダの視線もハルへと向いた。

 ただでさえ小柄な体を縮こまらせるようにしてハルは俯いた。

 

だって……私、なにも出来なかった上に足まで引っ張っちゃって……、参加資格を貰えなかった皆に歓迎されることなんて出来ていないのに」

 

 姉妹交流会におけるハルの戦績は散々なモノで終わってしまった。

 それこそ、此処にいる参加できなかった同級生達の方が健闘出来たのではないかと思われる程に。

 それをハルは悔やんでいた。

 ハルが参加資格を貰ってしまった故に交流会に選考から漏れてしまった人達、彼らも含めてハルに向けられるのはなんで参加したのに結果一つ勝ち取れずに負けたのだという蔑みの声が当然だとネガティブな思考にハルは陥っていた。

 

「結果を見れば、ハルどころか先輩方の見せ場も全て掻っ攫っていった憂太の独り勝ちだけどなー」

「そうだぞ憂太、ワンサイドゲームを作っちまったらハルの見せ場も何もねぇじゃねーか」

「しゃけ!」

「っえ!? 僕!?」

「っ!? お、乙骨君は悪くないよ!!」

 

 人間のそういう面倒なところ分かんなーいというパンダの悪ノリに他2名が乗じて乙骨を弄り出す。

 それをフォローしようと顔を上げてアタフタし始めるハル。

 ある意味、滑稽な茶番の開幕ではあったがコレはコレで5人が仲の良い証左であった。

 

「交流会の参加資格云々の話だけどさー、このメンバーの中で一番功績あげてるのはやっぱりハルなんだよねー」

「え? そうかなぁ……」

 

 祝勝会の最中、ポテトチップスをバリバリと食べながら雑談している中にパンダが新しい話題を入れる。

 手に持ったオレンジジュースをクピリと一口飲んで、テレビ画面で行われいる格闘対戦を観戦していたハルは首を傾げた。

 

「下手しなくても上の連中(先輩達)よりも真っ当に結果残してるんだから交流会の選考に選ばれるのは当然だろ──っあ! 棘、てめぇ、ハメ技やめろって言っただろうが!」

「しゃけ! しゃけ!」

「……そうなの? 僕、一回しかハルちゃんと任務同行していないから分かんないんだけど」

 

 操作するキャラクターが敗退してしまった為に成す術がなくなった乙骨がコントローラーを置いて、パンダたちの方に振り返る。

 乙骨がハルと任務を同席したのは三級呪霊関連の依頼のみで真希とパンダが言う先輩方にも劣らない功績には繋がらない。

 それ以外ともなると想像が追い付かないでいた。

 

「オレ等だって憂太と同じだ。ハルが担当するのは一級呪霊に相当する依頼だから、同席なんてムリムリ」

「そんなハルが術式を人に向けるモノではないって縛りを付けてんじゃ、交流会もあんなもんだろ。身体捌きも何もあったもんじゃない……ハル、これからお前も憂太と一緒に扱いてやるからな」

「ぇ……うん、頑張るよ真希ちゃん」

 

 真希の言葉に冷や汗を流しつつも頷くハル。

 一級を相手に取れる術式を有しながらもそれを人に向けることを避けた優しい友達にこれから一緒に頑張ろっかと乙骨は笑いかけた。

 ごく普通の呪術高専に通う学生の日常。そんな一幕。

 

 ──心優しい少女が今にも泣きそうな表情を浮かべて、自分に術式を向けてくる未来を乙骨は想像だにもしていなかった。

 

 

 傍らに転がる懐中電灯が明後日の方向を照らしていた。

 乙骨は懐中電灯を拾うこともなく、暗闇の中で僅かに揺れる光源に目を向けて、固まっていた。

 

「……ハルちゃん」

 

 呆然とした乙骨の口から漏れた言葉が闇に溶けていく。

 呪力探知が鈍い乙骨でも背筋が凍り付く程の怖気。

 悲しそうな表情から一変して、能面を付けた様に表情を無くしたハルが纏う空気がおどろおどろしいモノへと変貌している。

 呆然と固まった乙骨が目の前の光景を処理するより早くに反射的に動いたのは今までずっと傍らで乙骨を守ってきた里香だった。

 

『憂太に手を出すなぁ!!』

 

 乙骨の背後で呪力が渦巻き大きな両腕を形作る。

 乙骨が静止の声を出す暇もなく、里香はハルを捻りつぶそうと拳を突き出した。

 姉妹校交流会において同世代の呪術師を一方的に蹂躙した里香の暴力。

 見るからに小柄で弱々しいハルがソレを受けてしまえば、一溜りもないことは考えるまでもないことだ。

 

呪い裁ち

 

 再び、鋭い金属音が鳴り響く。

 同時にハルへと突き出された里香の拳は、闇に霧散した。

 歯牙にもかけずにあっさりと、乙骨憂太を特級呪術師として押し上げる力の一端が処理された。

 

「え……」

 

 何が起きた。

 呪霊に限らず呪術師の戦いにおいて思考の空白を生み、無防備を晒してしまうことは避けなければいけない。

 常に思考を回せ。初見殺しが罷り通る戦いにおいて、一手でも反応の遅れは死に直結する大きな隙だからだ。

 この場において彼はそれをやってしまった。

 幼い頃から、また呪術師として活動を始めても里香の庇護の下にあった彼に里香を無効化される事を想定する事は酷であったとしてもだ。

 乙骨の無防備な隙をハルは見逃すつもりはない。

 この後、どんなに辛い目に遭おうとも乙骨の左腕を切り落とすと決意を固めて、ハルは踏み込む。

 

「……さよなら」

 

 ──だが、ハルの鋏が乙骨の腕を切り落とす事はなかった。

 乙骨にもハルにも()()の干渉は予想もしていないものであった。

 

『憂太!!』

 

 ──っ!? 

 

 先に気づいたのは里香。次にハルだった。

 目前に迫った乙骨を蹴り飛ばし、ハルが宙返りをするように後退する。

 直後、二人が居た場所に天井からシャンデリアが降ってきた。

 忘れてはならない。

 二人がいる場所は、呪霊(大柱)の腹の中。

 ヒトを害すという悪意を常に警戒しなければいけない。

 ハルにとって里香を乙骨から引き剥がすことが目的であり、そこに殺意はない。

 だから祓除の機会をふいにしてでも、ハルは乙骨を生かす選択を取った。

 そして、二度ハルによる祓除を避けた乙骨がようやく思考を巡らせて取る手段は――逃走の一手に尽きた。

 里香が反射的に暴力を振るったとはいえ、彼自身が友達であるハルへ刃を向けるにはまだ覚悟が出来ていなかった。

 だから逃げる。

 逃げて、逃げて、ハルとの衝突を先送りにしてまずは生き延びなければいけない。

 彼はまだこの世界に未練を残しているからだ。

 

『憂太、右!』

 

 里香の声に従って、乙骨は身体を右に捻った。

 半身の我が身を掠るように何かが通り過ぎていく。

 床に転がる懐中電灯を拾う間もなくハルに背を向けた彼は、ソレが何かを判別することが出来ないまま、持てる力を全て足を動かす事に回す。

 視界の確保も出来ない状態でハルを躱しながら階段を上ることは、あまりにも無謀な試みである為に来た道を引き返すことしか彼には取れる逃走経路はなかった。

 

 

 

 

 ──ハルちゃんの姿は……居ない。距離は離せたか。

 

 暗闇の廊下を走り抜けた末の突き当りに接する一室。

 そこに飛び込んだ乙骨は、ドアを少しだけ開けて外の様子を窺った。

 揺れる懐中電灯の光は見えない。

 ハルとの間にかなりの距離を稼げた証左であった。

 ドアを閉め、息を落ち着けると共に彼はズルズルとドアを背に座り込んだ。

 

 ──ハルちゃん、どうして。

 

 友達であるハルに凶刃を向けられた事は、乙骨にとってとても信じられない出来事である。

 なまじに自身の存在肯定を友という存在に依存している分、その衝撃は大きい。

 直前まで抱いていた怒りはとうに失せ、消化できない現実に戸惑いが彼の胸の内の大半を埋めている。

 

 ──最初から。最初からこうしておけば良かったんだ。

 ──そうすればこんな痛い思いしなくてよかったのに。

 ──乙骨君は分かってないよ。私の気持ちなんて分かるわけないよ。

 

 その言葉を最後にハルはまるで人が変わったかのように表情を無くして、乙骨に襲い掛かった。

 その際は幸運に恵まれ、難を逃れることが出来たがもう一度、彼女と相対した時に自身が無事その場を切り抜けれる事は出来ないだろうと乙骨は自信を持って言える。

 

 ──里香の繋がりを一時的に解除した術式、アレがある限り今の僕では逆立ちしたってハルちゃんには敵わない。

 

 日々鍛錬を重ね、腕を磨いてるとはいえ乙骨が呪術師として活動を始めた期間は周りと比べるとかなり浅い。

 都高専に編入した当時から与えられた特級呪術師の階級を含めて、現在に至る彼の実力は、特級過呪怨霊である里香の存在によって高下駄を履かされている状態にあった。

 つまり──術式の無効化によって、一時的にでも里香とのパスを切断される以上乙骨とハルとの相性は最悪と言える。

 

 ──完全顕現すれば……いや、それだと皆も巻き込みかねない。里香がハルちゃんに対してどのくらい手加減出来るのかも未知数だ。

 

 過去に一度だけ行った里香の完全顕現。

 アレを使えば、ハルとの相対はなんとかなるかもしれないと考えが過るが、彼はすぐにそれを却下した。

 特級呪霊の階級は、伊達ではないがその分高火力過ぎて使用する場面を選ぶものである。

 手詰まり。

 ハルとの喧嘩は乙骨、一人ではどうにか出来るモノではない。

 自分の手札を確認して、彼は自分の置かれた状況をようやく理解した。

 

 ──だとすると、やっぱりこの場を切り抜けて皆と合流するしかない。

 

 その為には、ハルを躱して階段を上るしかない。──果たして、そうなのだろうか。

 乙骨が考えを改めて巡らせている――その時だった、ゆっくりとだが確かにドアノブが捻る音が彼の耳に入り、同時にドアを背に座り込んでいた彼を押しのけようとする圧力が外から掛かってきた。

 

 ──っ!? 気配はなかったのに!! 

 

「……開かない」

 

 ひっそりとつぶやかれた言葉を乙骨の耳は捉えた。

 時間の猶予は既にない。

 ただの少女ならまだしも、呪力を込めた一撃を持ってすれば古ぼけたドアの一枚や二枚、簡単に打ち破れるからだ。

 

「里香っ!!」

 

 具体的な指示を言葉に出さなくとも里香は乙骨の思考を読み取って、動く。

 半顕現した大きな両腕は、一旦上に持ち上げられた後勢いよく板張りの床を叩きつけた。

 木の割れる大きな破砕音。乙骨を躱す様に木片が勢いよく辺りに飛び散る。

 部屋の中央に開いた底が見えない暗闇の穴こそ、彼が行き着いた一縷の望みを掛けた活路。

 ハルと逸れた際に彼女は、唐突に開いた穴によって落ちてしまっていた。

 そこから得られる情報は、床下に落ちるという行為は空間移動の択の一つに挙げられる事。

 状況が好転するか否かは選ぶことが出来ないにしろ、今の彼には躊躇している時間は残されていない。

 暗闇の穴に身を投げた彼の背後から先程と同じような破砕音がした。

 

 ──危なかった。

 

 振り返ることも出来ず、彼の視界はそのまま黒に塗りつぶされた。

 

 

 

 

「情報を整理するか」

 

 先頭を歩く真希は足を止め、後ろに続く二人に呼び掛けた。

 帰ってきた二つ返事に背を壁に寄り掛からせて、彼女は頭の中に処理する情報を羅列していく。

 そもそも、どうして情報を整理しなければいけない状況になったのか。

 それは、ハル、乙骨の二人と逸れてから三人は止む得ず廃屋の中を歩き回っていたが、逸れた二人の痕跡を見つけることが出来ず、加えてハルが道中で説明した大柱へ接触する糸口すら見つけれていなかった為だ。

 真希は、この中で同じところをグルグルと回らされているような錯覚を覚えていた。

 

「現状、私はこのまま歩き続けても一向に問題が解決しないと見てる」

 

 この問題というのは、逸れた二人との合流の事だ。

 それを説明するまでもなく、パンダと狗巻は真希の言葉に頷く。

 

「私たちが持っている情報はだいたい3つだ。

 ① 闇雲に探索を続けてもほぼ同じ空間をグルグルと回らされる。

 ② 床下を壊せば、下に落ちられる。

 ③ 呪霊にもなれなかった霊魂が此処にはいる」

 

 時間を掛けた割には得られた情報が全然ない。

 真希は落胆を乗せて息を吐き出すと共に思考を切り替える。

 この三つはリスクを回避して得たもの、これ以上の成果を望むのであればリスクを冒さなければならない。

 

「パンダ、霊魂との交信は?」

「出来るわけないでしょ。巫術の術式なんてウチのメンバーだったら、誰も……憂太だったら可能性があるかもだな」

 

 だが、その乙骨が逸れている以上霊魂との交信は望めない。

 廃屋を彷徨う子供の霊。

 ハル以上にこの屋敷の構造に詳しそうな存在ではあった為、重要な情報源であることは間違えないが、彼(彼女?)は、呪術師を忌避しているのか遠巻きから眺めているだけに留まっていた。

 

「私が呪具を捨てて接触する──には、見返りが不透明だな」

「おかか」

「ちょっと危険かなぁ。憑りつかれて人格でも乗っ取られたら、俺たちの手ではフォローしきれないな」

 

 ──そら、そうだよなぁ。

 二人の反対に真希は頭に浮かんだ案を取り下げる。

 呪具を手放せば、並外れた身体能力を持つだけの一般人なのだ。向こうが餌か何かと思って来る可能性はあるが、それをやったところで情報が引き出せるとは限らない。

 最悪のケースは、パンダの言う通り、憑依されることで意識を掌握されて身内に刃を向けてしまう事だろう。

 

「いっそ、全員床下に落ちてみるか?」

「おかか」

 

 真希が掘り返した案に狗巻は良い顔を見せなかった。

 何処に落ちるのかも分からない。落ちた結果がしっかりとあるのかすら不明なのだ。

 落ちたら最後、呪霊の胃の中だったという可能性すら孕む。

 そんな事は真希ですら分かっている。ソレをやむを得ず提案したのはそれ以外しかこの空間を出る手段が見えなかったからだ。

 

「俺が壁や天井でも壊すか。階段が見つからないなら無理矢理にでも上にあがるしかないし」

 

 ガシガシと頭を掻きながら名案を捻り出そうとする真希を見て、パンダが提案する。

 壁を壊しても別の部屋に繋がっている可能性はあるが、天井を壊して無理矢理上るのは力押しとはいえこれまでになかった行動である。

 果たして、呪霊の腹の中とはいえ板張りの天井が容易く壊れるかどうかはやってみないと分からないところはあるが……。

 

 ──試す価値はあるな。と、すると足場が必要だな。何処かの部屋に大きい食卓と椅子が何個かあった筈。

 

「ツナマヨ」

「ん? どうした、棘」

 

 ふと、狗巻が真希の肩を叩く。

 思考の海から無理矢理引き上げられた彼女はそのまま、彼の指さす方向を見た。

 

「……犬だな」

「犬だな」

「梅」

 

 狗巻の懐中電灯が照らす先。

 一匹の黒い子犬がそこには鎮座していた。

 三人の視線が自身に向けられたのを悟ったのか、子犬は元気よく鳴くと闇の中へと駆けて行った。

 

「パンダ、アイツはなんて言ってた?」

「パンダ犬科じゃねーし……けど、あの犬種何処かで見たような?」

昆布茶昆布茶(こぶチャコぶちゃ)

 

 首を傾げるパンダに狗巻は、あぁ……と頷いた。

 ポメラニアン。色こそ違えど、ハルが都高専で飼っている犬と同じ犬種だ。

 この場所に似つかわしくない子犬の動物霊が何故此処に。

 一同は頭を捻るが理由は見えない。──と、闇の中から此方に呼び掛ける様にもう一度子犬の鳴き声が響いた。

 

「どーするよ?」

「何かの手がかりかもしれないし……追うしかないでしょ」

「しゃけ」

 

 廃屋に入ってからの初めての他者(犬)との接触である。

 見逃す理由はない。

 三人は改めて隊列を組みなおすと、消えていった子犬を追うために闇の中を歩き始めた。

 

 

 

 ──僕は何処に向かっているのだろう。

 

 乙骨は一人、闇の中でふと、胸中に独り言ちた。

 自ら床下の穴に飛び込むことでハルの魔の手を避けてから暫く、廃屋内の何処かに飛ばされた彼は何んとなしにクラスメイトとの合流を目標に彷徨っていた。

 懐中電灯を失い、夜目が効いているとはいえ覚束ない視界で廃屋の中を彷徨うのは彼が呪術師の端くれとはいえ、少し心細い。

 

 ──里香が居てくれるだけ……だいぶマシか。

 

 途中、視界外で何度も破砕音が乙骨の耳に入ったが、ソレが何だったのかを一々彼は里香に尋ねるのをやめていた。

 砕けた木片などをつま先で蹴ることが都度都度あれば、里香が彼に向けられた危害を察知し、取り除いた事など尋ねなくとも分かってしまったからだ。

 

 ──階段か、転ばないようにしないと。

 

 手すりのない階段は踏み外せば一溜りもない。

 慎重に一段、一段、階段の段差を確認して上る彼の心境は待ち望んでいた階段だというのに曇天が差してしまった面持ちである。

 時間を経てもなお、彼の心の内は友達(ハル)との衝突にあった。

 別れを拒む自身の気持ち。別れを勧める彼女の気持ち。

 一体、何方が正しいのだろうか。

 首をもたげた疑念に解答などない。

 それでも彼は、悲しそうに呟いた彼女の気持ちを慮って、胸を痛めた。

 

 ──別にハルちゃんだって、僕との別れを惜しんでいないわけではないんだ。だけど……それだったら、別れが無いに越したことはないじゃないか。

 

 死者(里香)との離別。

 ハルがそこに拘っている理由を彼は読めずにいた。

 自身の胸の痛みを押し通してまでも、他人の面倒に気を回す。

 ハルらしさ溢れる行動だが、それだけではない訳を乙骨は、我を通そうとしたハルから感じ取れた。

 ハルと仲直りをしようと思うのであれば、そこを掘り下げなければどうにもならないだろう。

 彼もまた自身の我を通したいのだから。

 

 そうして、悶々と考えながら道すがら歩いた乙骨は、一枚のドアに行き着いた。

 特になんの変哲もないドア。

 それのドアノブに手を掛け、押し開いた彼はうっすらと見える部屋の全貌に息を呑んだ。

 

 ──これが大柱。

 

 一番に目を引いたのはドアの正面、壁に接するように聳え立つ大きな木の柱であった。

 事前にハルから情報を得てなかったら彼は、その存在を見逃していただろう。

 だが、持ち前の鈍い呪力感知が機能していなくても、この部屋に足を踏み入れた時から何かに注視されているような緊張感を覚えていた。

 上手に隠元を行おうとも、自身を祓除出来る存在に気を払っているのだろうか。

 間に存在するテーブルを回り込み、大柱の正面に立った彼はこの空間から向けられた視線の正体を考察しながらどうしたものかと頭を悩ませた。

 実習の体で、クラスメイト一同でこの廃屋に乗り込んだのだ。

 ソレがクラスメイトと逸れ、一人と衝突し、たった一人で大柱の前に辿り着き、果たしてこのまま祓除して良いモノか。

 里香を用いれば、容易く祓除出来る。その確信を彼は持っていた。

 だが、ソレは自身の担任である五条だって分かっている筈だ。

 

 ──僕、一人で片付けることはあまり好ましくないのかな。

 

 得物()を構えながら躊躇した乙骨だったが、目の前で武器を取られた大柱は一溜りもない。

 乙骨の行動に反応して、室内全体が大柱の意思に従うよう震え始めた。

 窓は激しく物音を立てながら開閉を繰り返し、頭上ではシャンデリアがユラユラと揺れる。

 木目を眼のように大きく見開いた大柱は、武器を構えた乙骨に強い殺意をぶつけながら自身の外敵を排除せんと、騒霊現象(ポルタ―ガイスト)を引き起こした。

 

『憂太!』

「里香! お願い!」

 

 室内で嵐が巻き起こったのかのような惨状。

 吹きすさぶ風が彼の肌を撫でる。

 家財道具が竜巻に巻き込まれたかのように錐揉み回転する。

 乙骨は身の守りを里香に託し、呪力を込めて刀を上段に構えた。

 四の五の言ってられない状況だ。このまま大柱を祓除する。

 彼は意思を固め、一歩踏み込む。

 

呪い裁ち

 

「っぅ゛ぁあ゛!?」

 

 鋭い金属音が鳴り響く。最悪のタイミングで行われたハルの介入を彼は想定していなかった。

 里香の守りを剥がされ、無防備を晒した乙骨の脇腹目掛けて部屋の中を駆けまわっていた椅子が強打した。

 武器を取りこぼし、もんどりを打って倒れる彼に騒霊現象(ポルタ―ガイスト)を意に介してないのか、小柄な影が平然と歩み寄る。

 

呪い裁ち

 

 今一度、金属音が鳴り響く。

 途端に荒れ回っていた家財道具全てが糸が切れた人形の様に沈黙し、そのまま床に落下した。

 静寂を取り戻した室内で乙骨は、ハルがすぐ側にまで寄ってきているのを感じていた。

 

「ハルちゃん……僕は、まだ──」

「……」

 

 仰向けに転がり、ハルを見上げる乙骨。

 彼が言いかけた言葉を飲み込んだのは、無言で見下ろす彼女の姿が形こそ同じハルでも別のナニカに見えた為か。

 ナニカがおかしい。そう気づいたとしても、すでに遅い。

 今の彼がどう転ぼうとも突き付けられた刃を躱す余裕などないのだ。

 ヒンヤリと冷たい鉄の温度が左腕の付け根に触れる。

 

『止まれ!!』

「何、やってんだハル!!」

 

 呪言──狗巻の制止がハルの動きを縫い留める。

 その腹を真希が薙刀の柄を振りかぶって殴り飛ばした。

 ピンボールの様に弾け飛んだハルがそのまま壁に激突するのを注視しながら、パンダが乙骨を抱き起す。

 

「大丈夫か?」

「うん……ありがとう皆」

「で、何がどう過程を弄ったらハルが暴走するんだ?」

 

 乙骨を背に庇うように立ち位置を調整した真希が尋ねる。

 狗巻の懐中電灯が照らす先でハルがゆらりと立ち上がる。

 ちっとも堪えた様子はねぇな。と、真希は冷静に状況を分析していた。

 加減をしたとはいえ、小柄で紙耐久なハルだ。

 先の一撃で戦意喪失になってもおかしくない威力の打撃をぶつけた。

 それなのに彼女は何処か違和感を覚える様な出で立ちで立ち上がったのだ。

 

「えーっと、まず──「話すと長いなら、簡潔にまとめろ。会話に時間割いてる暇なんてそうねぇんだから」

 

 此処に至る経緯を一から説明しようとした乙骨の言葉に被せる様に真希がバッサリと切る。

 ──鬼かよ……。

 パンダ、狗巻の二人は真希の対応を内心、毒づきながらもそれを表に出して茶化そうとはしない。

 時と場所を選ぶ。

 今の三人は一歩踏み外したら致命傷を負いかねない状況下にあるのだから。

 一級呪術師の暴走は緊張感を欠いて対応できる程、柔なモノではない。

 

「ハルちゃんと喧嘩した! そうしたら、ハルちゃんがハルちゃんじゃなくなって!!」

「オーケー……喧嘩両成敗に落ち着けるにも先ずは落ち着いた場所でやらねーとな」

 

 喧嘩? 

 なんだソレは。ソレでハルが暴走するのか。

 真希の中で疑念が浮かぶも、ソレを悠長に解決する暇なんてない。

 体勢を低く、前傾姿勢を取った彼女が鋏を持った右腕を掲げて突貫してきた為だ。

 

 ──速い。だが、得物が(ソレ)なら私でも動きは読める。

 

 呪力で強化された機動力があれど、鋏という刃物の特性は戦闘にはあまりにも不向きだ。

 ナイフと違って、曲線を描くことが出来ず、腕の直線軌道上に刃先が向かなければ切れない。

 真希が薙刀を下からすくい上げる様にタイミングを合わせて打ち合えば、容易にハルの腕は宙に持ち上げられた。

 ガラ空きの胴体、薙刀を片手に移した真希は、空いた手を引きながら強く踏み込む。

 

「一度、眠っとけ」

 

 当身──真希の掌底がハルの胸を打つ。

 ガクンと糸が切れたようにハルはそのまま、膝を折ってうつ伏せに倒れた。

 

「……なんとかなるもんだな」

 

 残心。

 数秒の沈黙の後に真希は息を吐きながら、肩から力を抜く。

 床に転がった真紅の鋏が空気に溶ける様に実体を無くす。

 ──終わったな。

 少し離れた位置で様子を伺っていた三人も気持ち余裕が出来たのか、安堵の溜息を洩らした。

 

「私はハルの側にいる。大柱はパンダ、憂太、お前らに任せた」

「りょーかい」

「うん、分かった」

 

 騒霊現象(ポルタ―ガイスト)の対応に狗巻。

 大柱の物理的な破壊にパンダ、乙骨を割り当てれば戦力的には十分だ。

 三人が大柱に向かっているのを眺めて、ふと脇に転がっているハルを見て真希は親切心がわき上がった。

 友達をこのまま、床に転がしておくのは忍びないと感じたのだ。

 片腕でハルを持ち上げ、背中に背負いこむ。

 

ずるい……ずるいよ。なんで、なんで乙骨君は良くて、私はダメなの? 

「ん?」

 

 この時、真希は肩口に持ってきたハルの口がボソボソと動いてる事に気づいた。

 それはあまりにもか細く、独り言にしては何処か夢心地で無意識に綴られていくモノ。

 ──気絶しているのに寝言か。器用なモンだな。

 言葉を上手く聞き取ることが出来ず、真希はハルのソレを寝言と片付けてしまった。

 この時、ハルの意識は表層には出ていなかったものの、決して寝言と片付けてしまえる程断絶などしていない。

 彼女は暗い精神の殻の中で陰鬱に湧き上がる気持ちに呑み込まれていた。

 

ユイ……ユイィ……会いたいよ。ずっと一緒に居たかった……

 

 例え狗巻の様な呪言師ではなくとも言葉には力が宿る。

 真希はハルへの対応を誤った。

 だが、この時の彼女を責めるのはあまりにも酷だろう。

 この際の正当対応は、ハルの完全な無力化──つまり、封印処置であった。それを彼女は、否、同学年の同輩は知識はあれど、処置手順をまだ知らなかった。

 

嫌い、乙骨が嫌い。私とユイの縁は切らないといけなかったのにどうして? どうして、乙骨君は……。嫌だ……嫌だ。そんなもしもがあるなら縁だって切らなかった……ずっと、ずっと、一緒に……。嫌だ……こんな思い、もういやだ

「っ!? 避けろ!!」

 

 背筋が凍り付きそうな呪力が部屋の片隅に湧き上がる。

 真希の言葉と同時に振り向いた三人が見たのは、目の前に迫る大きな鋼の(アギト)であった。




 毎度のことながら、誤字脱字報告ありがとうございます。(以下、敬称略順不同)
 『甲乙、赤頭巾、雷兎』

 次回 大柱死す! デュエルスタンバイッ!

 公式ファンブックスには乙骨の術式の欄に里香の表記があるので、ハルちゃん、パス切ったら顕現無効化出来るんじゃないかなーなんて、ふわっとした解釈です。

 実際、どうなんだろう。
 コミックスではまだ乙骨君の深堀には触れてないのでなんとも感触を得られないのが……。

 そういえば、いつの間にか呪術廻戦の劇場版が迫っていますね。
 アニメ終わった辺りから乙骨編に入り始めているのに、まだ乙骨編を書き終わらない作者が此処に居ます。スマヌゥ。
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