深夜廻戦   作:フールル

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 いつの間にか年が過ぎていました。
 あけましておめどうございます。今年度も本作品をよろしくお願い致します。

 やっと書けました。想像を絵にして、形にするまで時間が掛かりました。
 大変長らくお待たせしました。


一〇夜目

 ――もういやだ。 

 巫女の宿願を聞き届け、神は降臨した。

 ソレは赤黒い煙の様な塊から死人の様に変色した太い指が何本も生えた神と呼ぶにはあまりにもおどろおどろしい異形であった。

 中心には大きな口が存在し、そこからは一本の竹箒の様な細い腕が生えている。

 そこに加えて赤い縄の様なモノが絡みついた二本の腕が伸びており、細い腕と合わせて三本の腕で赤い大鋏を携えていた。――コトワリ様。この地域の古くに信仰が根差し、時の流れと共に忘れ去られ、一時は都市伝説にまで落ちた一柱。

 縁結びと縁切りを司る慈悲深き神は切っ先を一人の少年へと向け疾走する。

 死者との絆を育んでしまった哀れな少年。

 ()()の身体を使っても絆を手放そうとしなかった少年。

 生者と死者の縁に終幕を。

 それが巫女の本心からの願いなのだから。

 

 

 ――避けろ!!

 身の毛も弥立つような呪力の存在が背後に現れたこと反射的に察知した二人に遅れて、乙骨は真希の言葉で自身に危機が迫っている事を感知した。

 大きな鋏の切っ先――振り向いた時にはもう、すぐ側まで迫っている。

 

止まれ!!

 

 目の前に迫る脅威に対して狗巻が取った選択肢は、その対象に自身の術式をぶつけるものであった。

 一族相伝の呪術。

 言霊に呪力を乗せ、並大抵の呪霊は抵抗することも出来ずに一方的に祓う強力な呪術。

 ――そう、並大抵の呪霊であればの話だ。

 呪言は使用した語彙によって術者へ掛かる負担が決まる。

 より攻撃的なモノ程、声を発するのも辛くなるほどに喉を消耗する。

 そして、対象が自身より格上だった場合、例え語彙が弱いモノであったとしても消耗は増す。

 ――止まれ。

 それは、攻撃的ではない語彙であった。

 だが、鋏を構えた異形はソレを意にも返さない。

 羽虫の囁きなど耳に留まらないと言わん様に。

 向けた呪力がそのまま、否異形の呪力を上乗せされて返された。

 首から上が吹き飛ばされるような衝撃と激痛。

 狗巻の視界は一瞬で白く染まった。

 

 ――狗巻君っ!?

 

 乙骨の目には口から大量の血を零し、再起不能になった狗巻の姿が映る。

 彼は対処を遅れさせた。

 他の二人の様に呪力探知で反射的にコトワリの存在に気づけていたら、里香を直接呼ぶ時間があった。

 ハル()の手で里香とのパスを一時的に切られた彼は、里香の半顕現ですら対応の手段として用いることが出来ない身だった。

 つまり、身に迫る脅威に対して手詰まり。――残る最後の一人、パンダを除いて。

 パンダはコトワリの存在にいち早く気づき、そして僅かな時間の中で最適解の行動を導き出した。

 

「後は任せたぞ、憂太」

 

 パンダの両腕が乙骨と狗巻を弾き飛ばす。

 一を犠牲にニを救う――覚悟を決めた挺身の行動である。

 地面転がりながら受け身を取り、顔を上げた乙骨の目に映ったのは胴体を二つに切り落とされ、床に転がるパンダの姿。

 大事な、大切な友達が無残にも果てた。

 目の前の現実が彼の心を深い、深い憎悪と怒りで満たしていく。

 

里香ァ゛!!

 

 一切の躊躇などない。

 高ぶった感情に彼のタガは外れた。

 パンダ同様、その身を真っ二つに断たれた大柱が樹が割れるような断末魔を上げる中で、彼は怨嗟の叫びをあげる。

 『特級過呪怨霊』折本里香の完全顕現。

 大きさにして、人よりも二回りほどの巨躯。

 上半身だけを切り取ったような顔のない巨人の異形が彼の背後に並び立った。 

 

「ぶっ潰せ!!」

「う゛ん゛!!」

 

 里香は両の掌を一つに合わせ、上段から勢いよく振り下ろす。

 ――当たった!!

 振り下ろされた拳を受けたコトワリごと、床板をぶち抜く。

 階下へと消えるコトワリ。その姿を見下ろして、乙骨は歯を軋ませた。

 会心の当たり――だが、想像していたよりも手応えがない。

 気持ちの中では里香の手によって、柘榴のように弾ける異形の姿を期待していたのだ。

 ――里香の怪力を持ってしても砕けない程に硬い。

 どうすれば、パンダに与えた蛮行に対して報いを与えれるだろうか。

 

「憂太!!」

「――っ!? 真希ちゃん! パンダ君は!?」

 

 名前を呼ぶ真希の声に乙骨は我を取り戻した。

 今は半分に分かれたパンダの容態が最重要だ。

 パンダの側に駆け寄り、顔を覗き込む彼に対して、弱々しくパンダが片手をあげる。

 

「パンダ君!!」

「……パンダはパンダだ。かなり痛いけど……死ぬわけじゃない。憂太、俺の下半身は?」

 

 パンダの身体は非生物の傀儡だ。

 身体を二つに分けられても、動物の様に臓物が零れるわけではない。組織が崩壊し、血が噴き出す訳でもない。

 呪力を込めて作られた核さえ無事ならパンダに死は訪れない。

 だが、パンダに泣き別れした自身の身体を修復するまでの機能は備えられていない。

 制作者であり、育ての親である夜蛾の手が必要になる。

 パンダの意図を汲み取って辺りを見渡す。

 近くにパンダの下半身が転がっている様子はなかった。

 ――まさか階下に落ちたのか?

 里香が異形を叩き落とした事でポッカリと部屋の中央に開いた穴。

 そこに転がり落ちたとしか考えられない。

 表情を曇らせる乙骨。

 そこに畳みかけるように空間が軋みをあげて、足元が揺れる。

 天井からはパラパラと細かい木片が落ちて来た。

 ――時間があまり残されていない。

 廃屋の異空間を作り出していた大柱は息絶えた。

 今にもこの空間ごと廃屋は倒壊しそうだ。

 そして、都合の悪いことは此方を嘲笑うかのように畳みかけてくる。

 

()()がいねぇ」

「え?」

 

 焦燥に駆られた真希が発した言葉に乙骨は耳を疑った。

 真希が背負いこんでいた筈のハルの姿が忽然と姿を消している。

 落とした筈はない。直前まで少女の体重を肌に感じていたからだ。

 なら、どのタイミングで?

 状況を振り返るとすぐに思い当たる節に行き着いた。

 パンダを切ったあの異形が顕現したあのタイミング。

 真希の意識がハルから逸れたあの一瞬だ。

 それを説明した真希に、乙骨は一度悩むそぶりを見せるものの、首を振って両手で頬を叩いた。

 

「二手に分かれよう真希さん。僕がパンダ君の下半身とハルちゃんを。真希さんは狗巻君とパンダ君を抱えて、今すぐ此処を脱出しよう」

「……分かった」

 

 真希の言葉に彼は頷いた。

 里香が居れば廃屋が倒壊したとしても無事な可能性が高い。

 その上で完全顕現してしまった里香を携えた以上、乙骨一人の方が立ち回りが効きやすい事情もあった。

 制御の利かない爆弾を振り回している様なモノだ。

 共闘するには真希の身が持たない。

 自身の力がこの窮地の場面で及ばない。

 認めたくない。

 パンダとハルは、真希にとっても大事な仲間なのだ。

 だが……どうしようもない事だ。此処で駄々を捏ねる程、真希は幼くはなかった。

 やるせなく、自身の力不足に腹が立つ。

 拳を強く、強く握りしめ、激情を堪えた真希は乙骨の言葉に頷き、パンダの身体と倒れた狗巻を拾い上げる。

 

「最後は5人で笑い合うからな、憂太」

「……分かっているよ」

 

 ――だから、帰って来いよ。

 真希の言葉を背に乙骨は階下へ向かって飛び込んだ。

 ――本当に笑い合えるのだろうか。

 この窮地を脱して、5人全員無事に帰還を果したとして以前の様に笑い合える日が果たして来るのだろうか。

 ハルの激情を目の当たりにしている彼は一抹の不安を消しきれないでいた。

 

 

 

「あった……」

 

 パンダの下半身は階下に降り立ったすぐ側に転がっていた。

 里香の陰に回収した後に乙骨は懐中電灯を頼りに辺りを見渡す。

 鋏を持った異形の姿はいない。

 ――何処にいる?

 闇が満ちる空間に差し込む一筋の光。

 三六〇度、見渡しても姿は見えない。

 ――平面上に居ないとするなら……後は、上か下!

 背面、上から迫る奇襲に対して、乙骨は反応する事が出来た。

 

「ハルちゃんを返せ!!」

 

 その奇襲は彼にはもう通用しない。

 迫る鋏の軌道を横に避けた彼は手に持った刀を、鋏を持つ腕の一本――細い腕に向けて振り抜いた。

 ――硬いっ!!

 里香の呪力を込めた一撃は生半可な呪霊の強度ならば容易く切り裂く。

 だが、乙骨の手に伝わってきたのはまるで巌を前に鶴嘴を振り下ろした様な強固な反動である。

 腕一本落とす気概ではあったが、刀が残した結果は浅い切り傷を付けるに留まった。

 ――まだだ! もっと強く、もっと大きく呪力を込める!

 友を無残な姿に堕とした激情はまだ、胸の内で燻っている。

 湧き上がる呪力を力へと変換する。

 より速く。より強く。

 刀を振るう回数を重ねる毎に、それは洗練されていく。

 ――ここだ!!

 幾度も繰り返した攻防の隙を縫って、乙骨は刀を上段から振り下ろした。

 黒閃。

 込められた呪力が黒く瞬く。

 

「そんな……」

 

 過去、類を見ない自身が持てる最大の一撃。

 だが、異形はそれに堪えた様子を見せなかった。

 代わりに砕け散ったのは自身の得物()

 彼は此処に来て、込める呪力の加減を誤った。

 呪具の限界を彼は察する事が出来なかったのだ。

 ――どうすればいいんだ……。

 最も脆そうな部分を狙っていたというのに、この結果だ。

 刀身が砕け散り、柄だけを握りしめた彼は途方に暮れる。

 伴侶の窮地に、彼女は自らの身を削って献身する事を決めた。

 

「憂太、これを使って」

「――っ、ありがとう里香」

 

 牙が一本、乙骨の手に収まる。

 里香が自ら、口内に生える一本をへし折った為だ。

 過去に災厄と称えられ恐れられた呪詛師の遺骸が呪物として化したように、過呪怨霊である里香が顕現している間だけ有用な肉体の一部。

 砕け散った刀よりもずっと強力な呪物(武器)

 彼が感謝の言葉を述べれば、彼女はニッコリと禍々しく嗤った。

 鋏を何度も開閉し、金属音を何度も鳴り響かせた異形は生物が首を傾げてこちらを見る様にのっぺりと切っ先の向きを乙骨に向ける。

 ――来るっ!!

 阿吽の呼吸。

 幾度も繰り返されたその動作のタイミングを、彼は既に身体で覚えている。

 刀とは勝手が違う。牙とは原始的な武器だ。ゼロ距離で獲物に対して突き立てなければいけない。

 お互いの殺傷圏内から逃げる事は出来ない。

 風を切るような鋭い一撃を肌に感じながら、乙骨は強く踏み込み、擦れ擦れで避けながら前に飛び込む。

 そして、両手で持った牙の切っ先を思いっきり、異形の太い腕へと突き立てた。

 皮を破る感触が手に伝わる。

 肉を割き、深く深く牙が突き刺さった。

 ――やった!!

 初めて与えることが出来た傷。

 得られた達成感に気持ちが舞い上がるが、彼は油断はしない。

 深く刺さった牙の回収よりも離脱を優先して距離を取る。

 これでダメなら、里香の牙を二本、三本と突き刺さないといけない。

 もう幾分も時間を使ってしまった。できれば、これで終わって欲しい。

 そう願いを込めて、離れた位置から乙骨は傷を負った異形を見つめる。

 異形は牙の刺さった腕を痙攣させている。

 やがて、力を無くしてのかブラリと垂れ下がる腕。

 重厚な鋏を支えきれなくなってしまったか、音を立てて鋏が異形の手から零れ落ちた。

 

 

「ハルちゃんを返せ」

 

 繰り返される乙骨の言葉。

 目の前の異形とハルが何らかの関わりがあるのは、事情を知らない彼でもうっすらと予測が立っていた。

 大きさは違えどハルが持っていたモノと同じ赤い鋏。

 消えたハルの姿。

 彼女の在処を知っているのは、こいつしかいない。

 

「ハルちゃんを返せ」

 

 ――皆で帰るんだ。5人で無事に。

 歪な姿をした異形では腕に突き刺さった牙を自ら抜くことは出来そうにない。

 鋏はもう持てない。

 継戦能力を欠いてしまった以上、この戦いは乙骨の勝ちだ。

 乙骨はとどめを刺すのではなくハルの返還を求める。

 その声に反応してなのか、異形の姿は実体を伴わないように音もなく闇に溶けていく。

 

「え?」

 

 呪力が霧散して残されたのは、見知った少女の姿――が二人。

 予想外の光景に彼は固まった。

 まるで()()したかのように見目姿がまるで同じ。

 彼は俯く少女達の姿に狼狽えてしまった。――まだ戦闘は終わっていないというのに。

 思考の空白。油断。

 勝ちを確信し、得られた戦果に戸惑った。

 それが付け入る隙になってしまう。

 

「「領域展開」」

 

 片方が腕を曲げ、片方が腕を伸ばす。

 合わさる右手と右手。

 ハルとも似つかぬ、怖気漂わせる言葉。

 異形の呪力が崩壊する廃屋の空間を塗りつぶし、里香ごと乙骨を飲み込んだ。

 

 

 そこは山であった。

 風に乗る草葉の匂い。揺れる木々の音。夏の訪れを報せる虫の音。

 都会に慣れていた乙骨の五感を覆う自然の存在。

 喧騒と陰鬱からかけ離れた静寂と清廉な空間。

 雲一つない青空の中で爛々と輝く太陽にジワリとシャツの内側に汗が滲む。

 

「此処は……」

 

 自然溢れる山の中、一部を切り開いて建てられた神社の境内に乙骨は立っていた。

 感覚としては帳のソレに似ている。

 だが、帳は薄い膜で覆うといった感触に対して、今乙骨が感じているソレは空間そのものが呪力によって塗りつぶされて改変されたモノ。

 呪術戦の極致、領域展開。

 姉妹校交流会で無双した彼でも()()まだ知らない領域。

 対峙する相手次第では発動を許せば、そのまま詰みに直結することを彼は認識していない。

 

「領域展開、憂太にはまだ教えていなかったね」

「――っ!? 五条先生!」

 

 背後から掛けられた言葉に乙骨が後ろを向けば、少し離れた位置に五条が立っている。

 思わず歩み寄ろうとした彼を五条は手で制した。

 

「ストップ。それ以上近づくと大変なことが起きてしまう」

「? 大変なこと、ですか?」

「具体的には憂太の頭の中がポンと弾けて、廃人になる」

 

 首を傾げる乙骨を五条は茶化す様に、だが嘘偽りのない事実を伝える。

 距離にして3メートル前後。

 五条を中心として円状に暗い夜空の星空の様な空間が生成されている。

 その空間に教え子が足を踏み入れてはいけない理由を五条は簡潔して彼に伝えた。

 

「……領域展開した空間には術師の術式効果が付与されていて、先生の術式だと知覚情報の処理をショートさせるから先生の側には近寄ってはいけないんですね」

「そ、他にも術者の能力上昇や術式の必中効果があるんだけど、それはまた今度にしよう」

 

 呑み込みの早い教え子を慈しむように眺めていた五条の視線が自身の背後に向いたことに気づいた彼は、後ろへ視線を向けて――身構える。

 神社の本殿を背に大鋏を携えた異形の姿があった。

 開かれた鋏の顎、その切っ先は乙骨の方を向いている。

 注意深く此方の様子を伺っているのか参道の中央に座したまま、襲って来る気配はなかった。

 ソレに指を向けて、乙骨は五条に問う。

 アレは何ですか、と。

 

「コトワリ、この地域に古く信仰されていた神様さ。詳しく話せば、それこそ学会の論文発表になるから、大分割愛させて貰うけど……君にとっての里香であるようにハルにとって、アレが術師の力の源になっているんだ」

 

 ――だから、僕が一方的に伸して祓うわけにもいかないんだよね。

 億劫そうに告げる五条の説明に乙骨はなるほどと頷いた。

 術式の数は幾数多。それに比例するように多種多様な術師が存在する。

 その中で分類するならハルの術式は後ろに憑いた神の力をその身に降ろして振るう降霊術の亜種。

 一般術師とは比例にもならない出力を出すことが可能になるが、降ろした神が暴走するというリスクもある。

 降霊術師が暴走した際は、神が満足するまで暴れさせて帰って貰うのを待つか、周りの術師が鎮圧させるかのどちらかだ。

 

「降霊術を扱う生徒は過去にも居たんだけど、流石にハルちゃんは別格でね、封印処置を推す呪術師も少なくはないんだ。――それを僕が黙らせた。憂太にも言ったけど一人は寂しいもんさ」

「はい、僕もそう思います」

 

 自身と似た境遇にハルが立っていた事実を初めて耳にし、共感を覚えながら乙骨は五条の言葉に頷く。

 存在の肯定。誰かに自分を認めてもらえることはとても嬉しく、色を失った世界が色付き充実する事だ。

 教え子が初対面の時から此処まで大きく成長したことを、表情を見て、察した五条は笑みを浮かべた。

 ――憂太とハルはもっと仲良くなると思うよ。()()も似ているからね。

 そう締め括って、五条は両手を合わせて拍子を付けた。

 緩んだ空気を引き締める為にだ。

 

「アレとの呪術戦は僕が引き継ごう。里香を顕現させてても憂太とアレでは相性が悪過ぎる」

「じゃあ、僕は何をすればいいんですか」

「僕がアレの気を引いている間にこの境内にいるハルを見つけて欲しい。アイツの気を収めるにはハルの言葉が一番効くからね」

「この森の中からですか?」

 

 神社を取り囲む森は鬱葱と生い茂っていて、この中から一人の少女を探し出すのは簡単なことではない。

 呪力の残穢を辿ろうにも空間ソノモノが、コトワリの呪力で満ちている為にハルの痕跡を読むことは不可能。

 一切の情報源もないままに山林で行方不明者を捜索するのと同義である指示をされた乙骨の表情は曇る。

 呪力を用いる事が出来なければ、彼はベテランの捜索隊員ではなく、ただの学生。

 それでは闇雲に探してもハルを見つける可能性は限りなく低い。

 途方に暮れた表情を見て、五条は少し思案顔になるものの、すぐに頬を緩めて脇にある林のある一点を指さした。

 藪に紛れて視認がし難いが、草葉の隙間から僅かに小さく黒い毛並みが見える。

 

「カレを頼るといい」

「……子犬ですか?」

「何故か知らないけどやけに親切な動物霊だ。ひょっとしたら、カレがハルの下まで君を導いてくれるかもしれない」

 

 犬は霊であっても鼻が利く。それに加えて人に対して従順だ。

 だが、知らない人である五条達に此処まで真摯に関与するのは、度が過ぎていて違和感を覚えるモノ。

 よっぽど生前に飼い主に愛情を持って飼われたか、それとも外部の何者かの指示があったか。

 真希を誘導して、廃屋脱出の手助けを行った子犬の霊を五条は予め注意深く観察したが術師や呪霊による残穢は見当たらなかった為に後者の可能性は無いモノと判断した。

 もしかしたら、此処がハルの故郷だけあって、生前にハルとの繋がりがあるのかもしれない。

 それは裏の取れない憶測だが、猫の手ならぬ犬の手も借りれる状況なら借りても損はない。

 

「先生! 子犬が滅茶苦茶怯えています!?」

「里香の顕現を解くと良い。君はともかく、里香そのものが弱者にとってはナイフを突きつけているのと同義だ。無害であることをアピールして、助けを請えばカレは君を導いてくれる」

 

 自身の言葉を受けて教え子が犬の導きに従って藪の奥へと消えていったのを見届けた後に、彼は歩みを進め参道の中心に鎮座する神と対峙した。

 祓呪対象の乙骨、展開の必中効果を乱す五条。

 特に後者の存在は祓呪の遂行を妨害する為に捨て置くわけにはいかない。

 

「子供同士の喧嘩にモンペが出張るなよ」

 

 最強の呪術師の言葉を皮切りにコトワリはその鋏の切っ先を五条へと振りかざした。

 

 

 手加減するにはめんどくさい相手。

 それが現呪術師最強の五条がコトワリに向けた総評である。

 乙骨に対して相性が悪いと言ったがソレは的確な表現ではなかった。

 正確には()()を主戦力とする呪術師全てがコトワリとは相性が悪い。――五条、自身も例外なく。

 呪という負のエネルギーに対して、縁切り――呪を断つ事に特化したその権能(術式)は、五条が無敵たらしめる無下限術式を引っぺ剥がす。

 つまり――目の前に迫る刃は五条悟に死を突き付ける可能性を秘めたものという事。

 ――当たれば死ぬ。別に僕は脅威を前に心が弾む戦闘狂(バトルジャンキー)気質じゃないから、フラストレーション溜まるんだよねぇ。

 

 真希が軌道を読みやすいと称した様に鋏という鉄器は、武具として扱うには不向きな要素が重いもの。

 大きさが変わろうともそれは、変わらない。

 ――そして五条は()()()の対峙とあって攻略法は用意していた。

 五条の懐から取り出される呪符で編まれた縄。

 それを寸前で躱した鋏の切っ先に巻き付けた。

 それをコトワリは軋むような音を立てて引き千切ろうと試みるが、鋏が開く様子はない。

 

「こっちの術式は剥がされたけど……これでお前はただの木偶の坊だ」

 

 鋏の開閉を許した為に五条が出力していた無下限術式は断たれてしまった。

 だが、それも一度キリのみだ。

 鋏が開かない以上、コトワリの術式はこれ以上作用はしない。

 無力化完了。

 無下限術式を編みなおしながら一息ついた五条であったが、境内に響く鉄の擦れ合う音に耳を疑った。

 

「……ハルを通して外界を学んだか」

 

 切っ先に巻き付いていた縄が、別のところから差し込まれた()によって断たれる。

 傀儡呪術――否、傀儡擬き。

 呪力によって、存在が練られ顕現したコトワリの分身。

 ハルの形を取った何かを六眼で解析した彼は、無駄に多芸になったと悪態をつく。

 

「めんどくさい事になったな」

 

 傀儡の手に握られている鋏。

 コトワリの鋏と合わせて二本。

 万が一にと用意していたプランが意味を為さなくなったこともあって、彼はやれやれと息をついた。

 

 

 

 鬱葱としていた森ではあったが、人の手が入っていない訳ではなかった。

 人一人分くらいが辛うじて通れる程度に均された獣道を乙骨は、先導する子犬に続いて駆けている。

 真夏の青空の下とはいえ、草木の生い茂る森では毛色が黒く小さい彼は、一瞬でも目を離してしまえば、見失いそうだ。

 

「はっはっはっ……」

 

 弾む息。胸を打つ鼓動が早い。

 慣れない山道で体力の消費が激しい。

 これ以上ペースを上げることは無理だと、乙骨は判断した。

 ハルまであとどれくらいなのか。

 子犬に問いかけても答えは返ってこない。

 分岐路を右に。道の脇に置かれた地蔵の前を通り過ぎ、少し開けた場所に彼女は居た。

 

「ハルちゃん!!」

 

 両手を膝に置いて、肩を上下させながら乙骨はハルに呼び掛ける。

 返事はない。

 片腕で頭を抱え、しゃがみ込む彼女の視界に彼は映ってはいない。

 

「ハルちゃん!! もう! やめよう!! こんなことしたって何も報われないじゃないか!!」

 

 返事がない。

 この距離で聞こえてないなんて事は無い筈だ。

 息を整えた乙骨はハルの傍まで歩み寄った。

 

「ユイ。ユイ……会いたいよ、ユイ…」

「ハルちゃん……」

 

 乙骨は立ち尽くした。

 既視感(デジャブ)。脳内に走る光景は高専を訪れる前、処刑を受け入れていた自分の姿。

 ハルは今、外界から自分を切り離して、自身を殻の中へ閉じ込めている。

 経験していたからこそ、分かる共感。

 だからこそ、乙骨はあの時の自身を振り返り、自然と口が開いた。

 

「そこは寂しいところだよ、ハルちゃん。一人は寂しいよ、どうして君がそこに……」

 

 あの時の五条の様に口が回らない。

 一人になることは寂しいことだ。

 誰かを傷つけたくなくて、一人で消えようとして、だけど、やっぱり寂しくて、誰かに認めてほしかった。

 此処に居ていいのだと。共に笑い合っていいのだと。

 友達は彼を照らす光だ。

 真希、狗巻、パンダ、そして、ハル。

 4人は彼にとって掛け替えのない存在だ。

 彼は、その内の一人が閉じこもって、一人になろうとしていることがどうしようもなく切なくて、胸が痛んだ。

 

「一緒に帰ろうよ。また、皆で一緒に笑っていたいんだ。だから、ハルちゃん顔をあげて」

「ユイ…ユイ……ごめんね、ユイ……」

「っ……」

 

 どうすればいいんだ。

 乙骨の言葉はハルには届かなかった。

 やるせない気持ちが胸を満たす。

 呆然と立ち尽くす乙骨を見かねたのか、後ろでその様子を見ていた子犬が彼の足元を通り過ぎ、ハルの下へと歩み寄った。

 ワン、と一声。子犬の鳴声が夏の森へと溶ける。

 

「……っ、クロ?」

 

 俯いて外界を映していなかったハルの瞳が初めて動いた。

 信じられないモノを見るかのように、呆けた表情を浮かべ少女は子犬へと視線を向ける。

 ワン、もう一度。元気な子犬の鳴き声がハルの耳の内を満たした。

 

「クロっ、クロ!? どうして? どうして此処に?」

「その子が僕をここまで導いてくれたんだ」

 

 今度こそ、ハルは顔を上げた。

 深い深い絶望に染まった瞳。

 それが乙骨の視線と交わった時、少女は事の一端を察した。

 じわりと滲む涙の粒。それがそのまま、頬を伝って地面へ落ちる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私、何も変われなかった。ずっと、ずっと、ずっと!! 独りよがりで何も向き合えていなかった!! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」

「ハルちゃんっ!?」

 

 様子がおかしい。

 彼が彼女の様子を見て、それを気づくのに幾分も時間を有さない。

 顔面を蒼白にして、目を見開いたまま、息を吸う間もなく言葉を発し続けている。

 パニック症状だ。

 

「落ち着いて!! ハルちゃん! ハルちゃん!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 夏の空に、新緑の森に亀裂が走る。

 少女の身体がひきつけを起こし、痙攣し始めた。

 少年の声は届いていない。

 途切れる様な短い吐息。うまく息も吸えていない。

 少女の容態に合わせる様にボロボロと空間が崩れていく。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ―――」

「ハルちゃん!!」

 

 膝を折り、少女の身体が前のめりに倒れていく。

 彼が少女を受け止めた時、空間は崩壊を起こし、領域展開の維持はままならなくなっていた。

 そして、少女が気絶すると共に夏の晴れ空は幕を閉じた。

 

 何も変われず、後悔を胸の内に残した少女とこんな結末を望んではいなかった少年を残して。




 誤字、脱字報告ありがとうございます。(以下敬称略、順不同)
minotauros

 コトワリ様、硬いだけでヨワヨワです。
 まあ、原典でも小学生の少女一人に手玉に取られてましたからね。
 ただ、ハルを通して色々と学んでいます。

 追記
 Q,基本的に五条>コトワリ様のパワーバランスが働いているのに対して、何故五条先生は、コトワリ様を手加減するには面倒な相手と捉えているの?

 A,根本的にコトワリを相手に呪術を使うこと自体が間違っているからです。
  コトワリは自身の術式で信仰してくれる人間を直接害する術式(権能)を持たない代わりに、呪霊、呪術に対しては絶対的な優位に立つというパワーバランスが働いています。
  五条先生が自身の領域展開で必中効果を中和したのは、自身を守るよりも里香をその場で解体されることを避ける為でした。
  コトワリの領域展開した空間内において、外部に出力している呪術、もちろん中和に使用している領域展開すら繋がりを断たれて無効化されてしまう為、コトワリのリソースを自身に集中させる為に手加減しながらも囮を務めるという普段では絶対にやらない立ち回りを五条先生は強要されていました。
 作中では描写していませんが、最終的に9人まで増えた傀儡ハルとコトワリを同時に相手にして、無下限呪術をグミ打ちして立ち回っていたりしています。

 これにて廃屋編は終わり。
 あと数話以内になんとか風呂敷畳んで、夏油さん登場まで持っていけたら、すぐに前日譚編は終わりそうです! たぶん。
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